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小説161(21century boy)

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フォレストシンガーズストーリィ161


「21century boy」

1

 一年生になったら、一年生になったら、友達百人でっきるかな、なんて歌を歌いながら、幼稚園から友達と手をつないで家に帰っていたあのころ。小学生になる春を待つ六歳児だった俺の思い出には、こんなのがあった。
「ちょっと、マサル、あんたは小学校に上がるっていう甥に、なんというプレゼントをくれるのよ」
「いけないか?」
 玄関に入った俺の耳に聞こえてきたのは、母と母の末弟、マサル叔父の声だった。
「耕史郎にはピアノを習わせてはいるけど、こんなものは……」
「ピアノ用の教則本だぜ」
「……学用品とか洋服とか、そういうものをプレゼントしてよ」
「そんなのやっても喜ぶのは姉ちゃんで、耕史郎は喜ばないよ」
「こんなものだって、耕史郎は喜ばないよっ!!」
 もとヤンキーのヤングママ、ふたつそろったヤンママの俺の母は当時二十三歳。末弟のマサル叔父は高校生だった。ママも僕も喜ばないプレゼントってなんだろ? まだ「俺」とは言わなかった僕は、そおっと部屋を覗いてみた。
「おぅ、おかえり、こうちゃん、いいものやるよ」
「なにをくれるの?」
 叔父がプレゼントしてくれたものとは、ロックバンド、ボン・ジョヴィの楽譜集。キーボードのための楽譜集だったのだ。
 六歳児の俺の思い出なのだから、各自の台詞なんかはむろん適宜アレンジを加えてある。俺としてもそんなものをもらってもちーっとも嬉しくはなかったのだが、叔父は俺に弾いてみろと言う。ものはためしに弾いてみたら、ますますちーっとも楽しくなかった。
 楽しくないのではなくてむずかしすぎて、こんなの僕には弾けないよ、だったのだが、むしろ闘志が湧いた。いつか僕はこの曲をピアノで弾けるようになってみせると決意したのだ。
 おそらくはあれが、俺のロックへの目覚めだ。叔父はロックフリークで、俺がロックに興味を示すようになったものだから、大喜びでロックの薀蓄を授けてくれた。
 近所にあった母の実家に入り浸り、春休みには叔父のかけるロックを聴いてすごした。ヤンママの弟だけあって、叔父もヤンキー。ロックフリークヤンキーであった。エイちゃんじゃなくて、俺は海外ロックが好きなんだ、と言っていたのは、暴走族ではなかったからだろうか。
 そして俺は小学生になった。入学式の日には俺は、母に髪をポニーテールにさせられて、ピンクのスーツを着せられた。母の服装も、父がどうしていなかったのかも記憶にないのだが、俺がそんなスタイルだったのはまざまざと覚えている。
「女の子はこっちよ」
 親と子を別々にさせて、おばさん先生が新入生を整列させようとする。新小学一年生のガキどもなんてのは、幼稚園児と変わりない。先生はさぞかし苦労していたのだろうと、今になれば理解できるが、しかし、俺を女の子の列に並ばせようとしたのはなぜだ?
 男女別々の列の女の子側に並んだ俺を遠くから見て、母は近所のおばさん連中といっしょになってげらげら笑っていた。俺としてはどっちでもよかったので、おとなしくそこに並んでいたら、うしろに立っていた女の子が言った。
「あんた、女?」
「男だけどさ」
「そうだよね。髪の毛もそんなんだし、服もピンクだけど、男の子だよね」
「うん」
「なんでこっちにいるの?」
「先生がここにって言ったから」
 振り向くと、その子のほうがよほど男らしく見えた。
「そっか。僕って女の子みたいだからだ」
「うん。女の子みたい。なんて名前?」
「磯畑耕史郎」
「名前は男の子みたい」
「おまえ、なんて名前?」
「あんず」
「あんず? 女の子みたいな名前だね」
「あたしは女の子だよっ」
 あとで俺が男だと知った先生は、平謝りだったようだが、母はなんにも気にもしていなかったし、俺も別になんとも思わなかった。あんずちゃんと話ができたのは、女の子の列に並んだおかげだと思って、けっこう嬉しかったものだ。
 本格的に一年生がスタートすると、俺には早速ニックネームがついた。女耕史郎だそうだ。別にそれもかまわないのだが、女、女、と冷やかすクラスの男どもには、あんずちゃんが怒ってくれた。
「耕史郎は顔が可愛いし、ピンクも似合うんだからいいんだよっ!! 文句があるんだったらかかってこーい。あんずちゃんがやっつけてやる」
 真に受けてかかっていった身体の大きな男の子を、あんずちゃんはかろやかに投げ飛ばした。
「あたし、柔道やってるんだよ。もっとかかってくる?」
 投げ飛ばされて泣き出した男の子の声を聞きつけて、先生が教室に駆け込んできた。
「あんずちゃんがーっ」
「あんずちゃんがトシくんにーっ!!」
 同級生たちが先生に訴え、先生はあんずちゃんとトシくんを職員室に連れていった。それから時間がたち、先生がふたりを連れて戻ってきて言った。
「トシくんは耕史郎くんに意地悪を言ったのね。それであんずちゃんが怒って、トシくんを投げ飛ばした。どちらもよくないわ。だけど、あんずちゃんには正義感があるのよ。さ、仲直りしなさい。握手しようね」
 そんな事件があったので、あんずちゃんにもニックネームがついた。女三四郎だそうだ。三四郎と耕史郎とトシくんは、それから間もなく仲良しになったのだ。
「三四郎か。柔道やってるからだろ。姿三四郎っていう有名な柔道家がいるんだよ」
 父が教えてくれて、母と俺は、へええと感心した。母は言ったものだった。
「よかったね。強い友達ができて」
「うんっ!」
 が、あんずちゃんは言った。
「ちがうよ。姿三四郎って実在の人物じゃないんだって」
「実在って?」
「本当にいたって意味かな」
「本当にはいなかったの? そしたらなに?」
「映画に出てくるひとじゃないかな。実在じゃなくて、架空のひとだって。パパはそう言ってた」
 ヤンパパの俺の父よりも、あんずちゃんの父はかしこい。だから、あんずちゃんも俺よりもかしこいのだと、俺は納得した。小学校一年生が「実在」だの「架空」だのという言葉を知っていたのだから、本当にあんずちゃんはかしこかった。
 思い起こすに、小さくて女の子みたいだった俺は、女三四郎と大きなトシくんに守られて、小学生時代を送った気がする。小学生は弱い者苛めが得意技であるのだから、俺はそれからもよく同級生や上級生に苛められたりからかわれたりした。
 そのたびにあんずちゃんかトシくんが俺をかばってくれた。このふたりは身体も大きくて、力も強かった。あんずちゃんは女の子といえども柔道家だったのだし、トシくんも強くて、ふたりともに勉強もできた。
 力が強くて勉強のできる小学生は、同級生に尊敬される。俺は宿題もしょっちゅう、トシくんやあんずちゃんのを写させてもらっていた。
 勉強を教わったり、かばってもらったりしていた俺は、かわりにふたりにロックを教えてやった。母の実家にふたりを連れていき、叔父と四人でCDでロックを聴き、時には俺の家で俺のピアノに合わせて、四人で歌ったりもした。
「ねえねえ、おじちゃん。おじちゃんはロックバンドってのはやってないの?」
「やってないよ。俺、楽器はできねえもん」
「トシくんはヴァイオリンやってるんだって。あんずちゃんは歌が上手でしょ。四人でバンドを結成しようよ」
 そう言ったのは、俺が小学校三年生、叔父は高校を卒業して、ガソリンスタンドで働くようになったころだった。ボン・ジョヴィは俺のロックの原点なのだが、そのころにはグラムロックってやつも好きになっていて、デヴィット・ボウイやTレックスなどにも傾倒するようになっていた。
「四人って、小学生とかよ」
「僕、ボン・ジョヴィの曲が弾けるようになったよ」
「あんなのは弾けるとは言わないんだよ」
「弾けるもん」
「で、俺はなにをやるんだ? あんずがヴォーカル、こうちゃんがピアノ、トシがヴァイオリンだったら、俺はドラムかベースか……やってみたいけど……バカか、おまえは。小学生なんかとバンドがやれるか」
「やろうよ」
「バカバカのバカっ!!  そんで俺は小学校の学芸会に出るのか。やらねえよっ!」
 すこしばかり心は動いているように見えたのだが、叔父は断固として拒否し、俺も諦めた。
 なのだから、俺は小学生のころにはバンドはやれなかった。学芸会のクラス合唱でピアノを弾かされたりはしたが、小学唱歌なんてまるっきりつまらなかった。
 小学校を卒業するとあんずちゃんもトシくんも、私立の中学校をお受験して俺とは別の学校に通うことになったのだが、母は言った。
「耕史郎はピアノがとっても上手だもんね。ボン・ジョヴィの曲だって弾けるくらいなんだから、勉強なんかしなくていいの。中学校を卒業するまでにロックスターになってね」
「ママ、ロック好きだった?」
「好きでもなかったんだけど、耕史郎が好きだって言うから、マサルにCD借りて聴いたのよ。けっこういいじゃん。耕史郎の将来はロックスターだよ。ばんばん稼いでママやパパに楽をさせてね」
「うん、そうする」
 将来の目標は定まった。俺は普通に公立中学校に通い、ロックバンドを結成してピアノを弾いた。
部活をやらなくてはいけないと校則で決まっているのだが、ロックバンドは部活ではない。そこで部活は演劇部を選び、やがて来るはずのロックスターとしてのステージに備えて、鍛錬もしていたつもりだった。
 勉強はちっともしなかったが、義務教育なので卒業はできる。高校には行かずにロックスターになる予定だったのだが、中学三年になるころには、同い年の仲間たちが言い出した。
「いつまでもロックやってたら、高校に行けなくなっちまうよ」
「活動停止な。高校に合格したらまたやろう」
「耕史郎、おまえは高校は受験しないのか?」
「え? 受験すんの?」
 しないといけないのだろうか、と思って帰って母に尋ねると、母はどうでもいいようなそぶりで言った。
「高校くらいは出たほうがいいかもね。あんたはこのママとこのパパの子なんだから、勉強なんかできなくて当たり前なんだよ。だけどさ、このママの子だけあって顔は可愛いし、ロックスターになってほしかったんだ。まだ無理だね。高校生になってからでも遅くないか。とりあえずどこでもいいから、高校には行けば?」
 中学校卒ではロックスター以外のなんにもなれやしない。ロックスターになるあてもないのならば、高校進学しかないかと、俺は母の意見に従った。
 もちろんももちろん、偏差値の低い、どこでもいいとしか言いようのない高校にしか進学できなかったのだが、一応は高校生になった。中学高校は制服があったし、校則で男子は長髪禁止だったので、俺も十二歳から十七歳くらいまでは、女の子にまちがわれることもなく成長していった。
 成長はしていたのだが、背はいっこうに伸びない。高校に合格したらまたロックバンドをやろうと言った中学時代のバンド仲間たちは、別々の高校に進学してつきあいがとだえ、約束は反古にされた。高校生になったものの、俺は暗かった。
 高校一年生はひたすらに暗く通りすぎ、やがて高校二年になろうというバレンタインデーに、俺はクラスの女の子にプレゼントをもらった。
「チョコレート? ちがうの? ん?」
「真珠だよ」
「真珠? なんで俺にこんなものをくれるの?」
「磯畑くんって真珠みたいだなって思ったの。磯畑くんはチョコレートなんていっぱいもらうでしょ? 私は別の変わったものをプレゼントしたかったんだ」
「チョコレートなんかもらったことないよ」
「ええっ、ほんとっ?!」
 義理チョコだったらもらったが、愛のあかしのバレンタインチョコは一度ももらったことはない。そう言うと、ミキちゃんという名のクラスメートはびっくり顔になった。
「義理チョコだって磯畑くんが思ってただけで、実は本命チョコじゃなかったの?」
「ちがうんじゃないかな。義理、って大きく描いた手作りチョコとかさ」
「いつもらったの?」
「中学校のとき」
「あのね、手作りチョコは義理にはしないんだよ」
「そうなの? だとしたら、本命にあげたお余りを俺にくれたんだろ」
「そうなのかな」
 ミキちゃんは俺の手をやわらかく握った。
「じゃあ、磯畑くんって女の子とつきあったこともないの?」
「ないな。だって、俺、女の子よかロックが好きだもん」
「私も嫌い?」
「ううん、ミキちゃんは好き。優しいしさ。はじめて俺にバレンタインの本命プレゼントをくれた女の子だもん。つきあう?」
「うん、嬉しい」
 もてただのもてないだのと、回りの男たちはよく言っていた。俺にはそんな話はまったくピンとも来なかったのだが、もてるってこういうことか、と思っていたら、ミキちゃんはキスしてくれた。
「俺、ちびだからさ、そんでもてなかったのかな」
「磯畑くんは、ちっちゃいところが可愛いの。私も小さいから、大きい男ってやだな。磯畑くんじゃなくてパールって呼んでいい?」
「真珠のプレゼントにちなんで? 磯畑耕史郎よりも、俺にはパールが似合う?」
「うん、とってもよく似合う。その真珠、ピアスにしたら?」
「いいね。けど、今やると校則にひっかかるから、卒業するまでしまっておくよ」
「パールって変に真面目だよね。ロック好きだって言うくせに、校則は守るんだから」
「校則って守るもんじゃないの? ミキちゃんも真面目じゃん」
「ほら」
 女子は長髪可なので、ミキちゃんは髪が長い。耳を隠している髪を払いのけて見せてくれた耳たぶには、俺にくれたのとおそろいのパールのピアスが光っていた。


 その後には高校でバンド仲間が見つかり、ロックバンドを結成してキーボーディストをやっていたのだが、俺にはあまり熱が入れられないでいた。なんのせいだかは知らないが、仲間たちと気が合いにくかったのかもしれない。
 そしてこうして高校三年生になろうとしていたころ、ミキちゃんが俺にロック雑誌を見せた。
「パールは大学には行かないつもりだよね。私も大学になんか行きたくないから、メイキャップアーティストの専門学校に入ろうかと思ってるの。パールの夢はロックスターでしょ? これ、受けてみたら?」
 開いた雑誌の一ページには、「バンド仲間募集」との投稿があった。
「俺たちとバンドやろうぜ。
 こっちは二名。ヴォーカルとギターだ。
 ファイとエミーっていうんだよ。
 俺ら、顔はいいの。特にファイはすっげえ美形なんだ。
 だからさ、顔のいい男がいいよ。
 待ってるよーん」
 顔のいい男? あんたらも顔はいい? なんなんだ、ロックって顔でやるのか? いや、たしかにロッカーは顔がよくてかっこいいと人気が出る。それだけではスターにはなれないだろうが、ルックスがよければ得だろう。
「パールも顔はとってもいいんだし、キーボードなんだから資格はあるよ。受けてみたら? ね、やってみなよ」
 中学生まではなんだって母に相談していたが、もう高校生なんだし、ミキちゃんが熱心に勧めてくれるのだし、母に話すのは合格してからにしよう。そう決めて、俺はファイとエミーという男に会いにいった。
 自ら言っているのには誤りはなく、ファイもエミーも大変な美形だった。特にファイが、というのも当たっている。ファイは相当に背が高く、エミーも背はわりあい高い。俺はちびだから駄目かな。顔はいいと彼らは言ってくれたけど、身長ではねられるかな。
 そう思っていたのだが、やがて、エミーから自宅に電話がかかってきた。他にあとふたり、ドラムとベースの男を入れて、いっしょにやろうと言うのだった。
「ドラムもベースもおまえほどじゃないけど、背は低いほうだよ。そのほうがファイが目立つからいいんだってさ。そいつらはファイほどじゃないけど顔もいい。顔で売るバンドになろうぜ」
「うん、じゃあよろしくね」
 かすかな迷いはあったけれど、とにもかくにもやってみよう。俺は母にもファイやエミーとのバンドの話を打ち明けた。
「耕史郎も大人になってきたんだね。自分で決めたんだよね。顔のいい男の子たちのバンドか。ママもそのうち見にいっていい?」
「ママっていくつだった?」
「あんたよりも十八歳年上なだけじゃん。三十五。若い美女でしょ?」
「うん、まあまあね」
「ミキちゃんには負けるけど、私もまだまだ捨てたもんじゃないんだよ。そうすると……パパは捨ててやろうかな」
「ママ、やめようね」
「耕史郎、いい加減にママって呼ぶのはやめな」
「そしたらなんて呼ぶの? おふくろ?」
「それもやだな。ばばあになった気がする」
「お母ちゃん」
「お母さんにすれば? それもなんだか気持ち悪いね。暁子さんって呼べよ」
「うん、考えておくよ」
 ファイとエミーと、あとふたりの仲間に会って、バンド名も決めた。「燦劇」だ。ファイはサファイア、エミーはエメラルドから取ったニックネームなのだそうで、ふと思いついて言った。
「俺、彼女にはパールって呼ばれてるんだ。みんな宝石だよね。竹下くんと松戸くんも、宝石っぽいニックネームにしない?」
 何度も会っては五人で相談して、ベースの竹下大輔はトパーズ、トビー。ドラムの松戸洋幸はルビーと決めた。燦劇のコンセプトも決定して、うちに帰って母に報告した。
「暁子さん、俺をこれからはパールって呼んでね」
「パール? ふむ。似合うネーミングだね。で、燦劇ってのはビジュアルロックで行くわけ? 耕史郎、じゃないや。パールはビジュアル系って好きだった?」
「そんなによくは知らないけど、グラムロックは好きだしさ、詞はファイで曲はエミーが書くから、俺は演奏するだけだよ」
「うんうん、よしよし、がんばれよ」
 学校に行って、ミキちゃんにも報告した。オーディションに合格したと話したときにも、泣き出しそうになって喜んでくれたミキちゃんは、今回も嬉しそうに俺にキスしてくれた。
「ミキちゃん、ほんとに優しいね。大好きだよ」
「パールの両親は反対はしないんだよね」
「しないよ。暁子さんも喜んでくれた。パパ……じゃなくて、父親も反対はしなかったな」
「暁子さんって誰?」
「ママの名前だよ。十七にもなってママって呼ぶとみっともないんだけど、お母さんだのおふくろだのとも呼ばれたくないんだって。だから、名前で暁子さん」
 変なの、と呟いてから、ミキちゃんは真顔になった。
「よそで暁子さんは、なんて言うと、誤解されるよ。それはいいんだけどさ」
「ミキちゃんも誤解したの?」
「ちょっとしそうになったけど、いいんだってば。でもさ、パールの親ってものわかりいいよね。うちなんか、メイキャップアーティストだなんてまともな仕事じゃないとか言って、毎晩喧嘩してるんだから」
「そうかな。素敵な仕事だよ」
「だよね。私が専門学校に入ったら、燦劇のメイクを担当してあげる」
「俺が化粧してもいやじゃない?」
「パールにだったらよく似合いそう、先にやってみてあげようか」
「コスメは持ってるの?」
「今日は私んち、親も弟もいないんだ。学校がすんだらうちに行く?」
 放課後にミキちゃんの家に行き、化粧をほどこしてもらった。つけまつげにアイシャドーに口紅に、ばっちりメイクの俺を鏡で見て、やっぱ気持ち悪いかな、と思っていると、ミキちゃんがうしろから抱きついてきた。
「パール、すっごくよく似合うよ。最高」
「そうかな。気味が悪くない?」
「全然。パール、大好き」
「あ、口紅が……」
 ついでにミキちゃんも化粧をしていたので、ミキちゃんの口紅と俺の口紅がまざり合う変なキスをして、その日、俺たちははじめて結ばれた。
 化粧は好きになれないかもしれないけど、ミキちゃんは大好きだし、これで俺の将来にひとつの明確な目標もできた。その日の俺は燃えていたから、ミキちゃんと抱き合うのも燃えた。ただただ熱く熱く、すべてに俺は燃えていた。


2

 四歳から十九歳までずーっといっしょにいたというファイとエミーは、幼稚園時代からの友達なのだそうだ。なかなか本名を言いたがらなかったのだが、ルビーやトビーと三人で聞き出したところによると、こんな名前だった。
「俺は鈴木一夫っていうんだよ。誰にも言うなよ。ファイはむしゃのこうじそう。俺の名前なんかは説明しなくてもいいだろうけど、むしゃのこうじそうって漢字で書けるか?」
 えー? わかんないよ、とトビーとルビーは言ったが、俺には書けた。
「サファイアなんだからさ、青いんだよね。青は「せい」碧は「へき」だから、「そう」なんだったらこれじゃない?」
 武者小路蒼と漢字で書いてみせると、当たり、とエミーが言った。
「パールって学があるんだな。現役高校生だからか? 優等生なのか?」
「そんなはずないじゃん。高校なんか行ってるだけだよ」
 燦劇を結成したころは、ファイとエミーはすでに高校を卒業していて、十九歳。トビーが俺と同じ十八歳の高校三年生。ルビーは十七歳の高校二年生。
 年齢も近くてロック好きなのも同じの俺たちは、すぐに仲良くなった。ライヴハウスで演奏する仕事がもらえるようになって、現役高校生たちはますます真面目に学校には通わなくなった。それでもどうにかトビーと俺が高校を卒業したころには、俺たちはなかなか忙しくなっていて、ルビーが言ったのだった。
「俺も高校やめるよ。勉強なんてつまんないしさ、燦劇やってるほうがいい。ドラムを叩いてるのが一番楽しいもん」
 いいんじゃねえの? と他の三人は言ったのだが、俺はルビーに意見してみた。
「暁子さんが言ってたよ。高校くらいは出ておいたほうがいいよって」
「暁子さんって誰? パールの彼女?」
 彼女はいると言っていたけれど、名前やどんな女の子なのかまでは話していなかったので、ちがうよ、と言いかけて気が変わった。
「そうだよ。十八歳年上の美女なんだ」
 げっ、とファイが呻き、それから言った。
「そしたら三十六か? すげえ。パールってすげえ」
「すげえの? うん、まあね。同い年の彼女もいるしさ」
「うげげ。すごすぎる」
 エミーも言った。
「そんなに年上の女とは、どうやってつきあってるんだ? 同い年の彼女ってのもいて、二股かけてるんだろ? ばれないのか?」
「ばれないようにやってるもん。年上の暁子さんには、ごはん作ってもらったり、洗濯もしてくれるよ。同い年のミキちゃんとは、普通につきあってる。このピアスはミキちゃんがくれた真珠で作ったんだ」
「俺にも彼女はいるけどさ」
 トビーも言った。
「おんなじ高校の子なんだ。ルビーには?」
「いるよ。俺はライヴハウスで知り合った子。ファイとエミーには……」
 三人で口をそろえて言った。
「いないはずないよな。いるに決まってるよな」
 いるに決まってっだろ、とファイは言い、エミーは言った。
「俺には高校のときには彼女はいたけど、彼女は大学に行ったから別れたんだよ。だから、今はいない。ファンに好みの子がいたら、告白しようかな。ファイ、おまえには何人いるんだ?」
「さあ、何人だろ」
 いつまでも誤解させておいてはいけないので、実は暁子さんって母親なんだよ、と言って、種明かしはしたのだが、なぜだか他の四人は、パールはすっげえもてるんだ、と思い込んだらしい。ま、そう思いたいんだったら思っていればいい。ロッカーってのはもてたほうがかっこいいのだろうから。
 そうやってお互いの彼女の話しをしたりしていると、ファイって奴はたいへんに危ないと思えてきた。なにしろファイは長身で、声も顔立ちも甘くて、文句のつけようのない美形だ。エミーがちょこっと漏らしたところによると、中学生のころからもてにもてていたらしい。
 最初のうちはファイがファンの女の子たちと話していても、キスをしてあげていても、時々はそのうちの誰かと消えてしまっても、大丈夫かな、と思っているだけで、俺はなんにも言わなかった。
 ルビーとトビーには彼女がいるのだし、熱心にドラムやベースの練習をしているし、ファンの子と遊んでいる暇はないはずだ。ロッカーなんてものは不真面目な遊び人が多いと思われがちだが、パールとトビーとルビーは決して不真面目な遊び人ではない。
 エミーは口ではファンとどうこうと言うけれど、じっと見ていたら、そんなに無茶はしないだろうと思えた。問題はファイである。
 四人の仲間たちの行動をじろじろと見て、やっぱりファイがもっとも危ないと決めた俺は、ファイに意見した。
「おまえ、ちびのくせに生意気だな」
「ちびは関係ないだろ。生意気だからって殴るの? やれよ」
 仲間たちはうろたえ、俺は思いついた手段を実行してみた。
「だけどさ、パールはねぇ……ねえ、トビー、ここ、さわってみて」
「ここ?」
 私服のシャツの胸をはだけてみせると、エミーが尋ねた。
「ここって、おまえの胸? おまえの胸をさわるとどうなんの?」
「今は真っ平らだけど、乱暴されるとここがにょきにょきってなって、僕、じゃなくて、あたし、女の子に変身しちゃうの。ファイ、やってみる?」
「おい、こら、下らないジョークは……」
「ファイ、ジョークだと思ってる? みんなも? 本当かもよ。やってみたらわかるからやってみて」
「……最初から殴る気なんかねえよ。まあ、パールの言うことは正しい。おまえらも自重しろよ」
 おまえがだ、と他の三人も言ってくれて、これって効果ありそう、と思っていると、二、三日後にファイが言った。
「パール、ステージでやらないか?」
「なにをやるの?」
「この間みたいのだよ。俺の昔の女にもいたんだけど、美少年同士のなんたらかんたらっての、女は好きだろ。ライヴのMCってのかな。そんときにパールが女の子役になって、俺とからむってわけ。おまえはああいうの、好きなんだろ」
「好きじゃないけど、女の子はそういうのが好きか。そうかもしれないね」
 ミキちゃんにしても、ふたりでテレビを見ていて、アイドル少年たちがいちゃいちゃしている演技をするのを見ると喜ぶ。暁子さんもそんなのが好きなようだ。ファンの子たちも、パールとファイって似合うよね、と言っていた。
 女の子って変な趣味だなと思っていたのだが、ステージで受けるのだったらやってみてもいいかもしれない。
 他の三人には内緒でファイと相談をまとめ、次の仕事でやってみることにした。俺たちのオリジナルを歌い終えたファイが、キーボードに歩み寄ってくる。ファイが俺の顔を覗き込み、俺のほっぺたをちょんとつつくと、客席がざわめいてきた。
「うるせえな、女ってのは。おーい、静かにしろよ」
 ファンの子たちに向かって言ったファイは、俺には甘い声で言った。
「どうしようか? ん、パール?」
「どうしようかってなあに? どうするつもりなの? やだ、こんなに大勢の人が見てるのに」
「うん、じゃ、ふたりきりになったらな」
「そうね。楽しみにしてるわ」
 客席のざわめきが高まって、きゃっ、きゃああ、と言っている女の子の声が聞こえてくる。エミーとトビーとルビーはぎょぎょっとしている様子だったが、俺はかまわず言った。
「たまあにだけど、パールは女の子に変身しちゃうんだ。いつそうなるかは決まってないから、見たかったらライヴに毎回来てね。だけどさ、そんなのは燦劇の遊びみたいなものなんだよ。俺たちの仕事は音楽なんだから、一番は音楽を聴いてね。はい、次行くよっ」
 きゃああ、きゃああ、と女の子たちは大喜び。ファイはうしろを向いて舌を出し、エミーとトビーとルビーはしかめっ面。けれど、まちがいなく受けた。
 ステージが終了すると、またやろうね、とファイと言い合い、他の三人は、勝手にすれば? の態度だった。
 そうしてMCにも趣向を凝らし、ファイとエミーの書く歌がよかったのもあり、ファイのヴォーカルがよかったのもあり、俺たちの顔がよかったのもあるのだろう。燦劇は次第に人気が出てきた。アマチュアではあったのだが、インディズレーベルからCDも出し、仕事もどんどん増えていった。
「俺たち、化粧してるから素顔はわからないはずなのに、それでも顔がいいって得なのかな」
 ライヴが終わると、ファンの子たちに追っかけられないうちにと逃げ出して、ミキちゃんとデート。高校を卒業して離れ離れになったものの、専門学校生のミキちゃんは今でも俺の彼女だ。
「顔がいいほうが化粧栄えするんだよ。男の子の顔って化粧しても似合わないのが多いけど、燦劇のみんなはよく似合うんだもん。そりゃあ顔はいいほうがいいよ」
「俺も化粧が上手になっただろ? でもさ、やっぱり素顔のまんまがいい。化粧した顔で人前に出るのはあんまり好きではないんだけど、仕事だもんね」
「いいじゃない。男が化粧するのが変だなんて言うほうが変なんだよ。暁子さんはなんにも言わないんでしょ?」
「我が息子ながら、なんて綺麗なのっ!! って叫んでたよ。父親はいやそうな顔をするんだけど、暁子さんに怒られてた」
 それがおまえの仕事か、ま、しようがないわな、と父は言った。うちはひとり息子じゃなくてひとり娘か、とも言うのだが、いつだって暁子さんは言ってくれるのだ。
「パパが化粧したら化け物面だろうけど、パールは似合うんだからいいじゃないの。あんたの息子がこんなに綺麗な顔をしてるのは、母が私だからだよ」
「パール……俺はそんな名前を息子につけた覚えはないんだけどな」
「芸名ってやつなんだから、ケチばっかりつけないの。パールはそのうちにはロックスターになって、私たちに楽をさせてくれるんだよね」
「うん、お父さん、暁子さん、待っててね」
 ケチはつけるのだが、父も受け入れてくれるようにはなった。
 そしてこうしてそしてこうして、俺が二十歳になった年に、燦劇がついにメジャーデビューできる日がやってきた。仲間たちと喜び合い、ミキちゃんとも抱き合って喜び、暁子さんも大喜びして赤飯を炊いてくれた。父もぼそっと言った。
「よかったな。がんばれよ、パール」
 父もパールと呼んでくれるようになった。仲間たちは、おまえの親って変人だろ、と言うのだが、変人なんかじゃない。とってもとっても素敵な両親だと思う。
「独立していい? エミーはパソコンおたくでさ、家にパソコンがいっぱいあるからひとり暮らしは面倒だ、なんて言うんだけど、他のみんなはプロになったらひとり暮らしするって。時間が不規則だったりもするから、暁子さんやお父さんにも迷惑かけるしね、いいでしょ?」
「寂しいけど、パールも大人になったんだものね。だけど、たまには遊びにおいで」
 暁子さんはそう言ってくれ、父もうなずいてくれた。
 マサル叔父は高校を卒業してからガソリンスタンドに就職したのだが、数年後には転職して、現在は引越しセンター勤めだ。暁子さんほどではないが、ヤンキーらしく早く結婚して、子供は小学生。叔父が引越しの手配をすべてやってくれて、二十歳にして俺は親元から独立した。


燦劇が所属する音楽事務所は、オフィス・ヤマザキという。太ったおじさんの社長が俺たちを引き受けてくれ、同じ事務所の先輩ミュージシャンにも挨拶にいかされた。
 最初に知り合ったのはフォレストシンガーズ。男五人なのは俺たちと同じでも、むこうはおじさんたちのヴォーカルグループだ。俺たちと知り合ったころには二十代だったのだから、おじさんと呼ぶほどの年ではなかったのだが、俺にはおじさんたちに見えた。
 ヴォーカルグループだって、つまんねえの、と俺は最初は思っていたのだが、次第に彼らと親しくなって、話もするようになってくると、見る目が変わっていった。
 顔は絶対に燦劇のほうが格段上だ。やっている音楽はまるっきり別のものなのだから、むこうが格段上だってかまわない。俺たちは若くて顔がよくて、ファンの数にしてもフォレストシンガーズよりは上なのだから、俺たちのほうが上等だもんね、などと、はじめは俺は思っていた。
 しかし、三沢幸生ってひとは俺と似てると言われるし、乾隆也ってひとはきりりっとすると顔を裏切ってかっこいいし、本橋真次郎ってひとはフォレストシンガーズのリーダーだけあって統率力ってやつに優れている。
 木村章ってひとはもとロッカー。本庄繁之ってひとは少々ぼけてはいるのだが、あの顔でフォレストシンガーズの中では真っ先に結婚したと言う。そんなこんなで、意外性もある彼らに、俺の興味がそそられたのだ。
 本橋さんと乾さんがフォレストシンガーズ最年長、本庄さんが真ん中で、木村さんと三沢さんが最年少。最年少の三沢さんでさえも俺よりも六つも年上で、本庄さんとは七つ、本橋さん、乾さんとは八つの年の差がある。おじさんではないか。
 おじさんなのはまちがいないけれど、いやな大人ではないのだと知って、俺たちもフォレストシンガーズの先輩たちになつくようになっていった。
「俺は三沢さんが一番、親しみやすいんだけどさ」
 メジャーレーベルからCDを発売して、胸を張ってプロだと言えるようになり、ひとり暮らしにもその他の生活にも慣れてきたころに、乾さんと帰り道でいっしょになった。
「乾さんは……」
「んん? 俺がどうした? おまえはひとり暮らしなんだよな。ちゃんとメシは食ってるか?」
「ちゃんとは食ってないかな」
「じゃ、食事をして帰ろうか」
「もしかしたら俺たちのほうが稼いでない? 乾さんたちはあんまり売れてないんだから、俺がおごろうか」
「あのな、パール」
 居酒屋で向き合ってすわると、乾さんはちょっぴり怖い顔になった。
「なんなんだろうな。年上の男としてのプライドか。そういうのを逆撫でするような台詞を口に出すな。俺たちは大学のときに合唱部にいて、合唱部ってのは体育会系だって話したよな」
「聞いたよ。俺も中学校のときに演劇部にいて、クラブでは先輩だの後輩だのって言ってたから、そういうのはわからなくもないな」
「だろ? だからだ」
「年下のくせにおごるって言ったらいけないの? はーい、おごってもらいまーす」
「それでいいよ」
 うちの他の四人には、部活経験はないらしい。先輩だの後輩だのって、信じられねえよ、と四人は言っていたのだが、俺には理解できなくもない。理解はできなくもないが、フォレストシンガーズのような関係は新鮮だった。
「俺たちはリーダーなんて決まってなくて、ファイやエミーは年上だっていったって、会ったときから丁寧に喋ったりはしなかったよ。俺は他のみんなに時々意見をしたりするんだけど、聞いてないんだよね。ファイはあいかわらずだし、ルビーだって高校をやめちゃったし。あんまり言うとうるさがられるだろうから言わないようにしてるんだ」
「燦劇の精神的支柱はおまえなんじゃないのか?」
「精神的支柱? 意味がよくわかんないけど……」
「リーダーってのは絶対的に必要ってわけではないけど、グループに精神的支柱がいるといないではちがう気はするよ」
「そうなの? 俺なんかじゃそんなものにはなれないけど、本橋さんが誰かに意見したら、意見されたほうは従うの?」
「時と場合によるよ」
 いいかな? とことわってから、乾さんは煙草に火をつける。俺は煙草は吸わないけれど、他の四人は吸う。初対面のときだって、誰も俺に、吸っていい? なんて尋ねなかった。
「乾さんって礼儀正しいね。俺ははるかに年下の後輩なのにさ」
「それも時と場合によるよ。礼儀ってのは基本だからね。人間の基本だよ。ロッカーは基本をぶっこわしてこそなのかもしれないけど、人間としての礼節は根本のところでは守らないといけない。おっと、またしても……」
「またしても?」
「いいんだけどさ。話を戻そうか。本橋が後輩たち、及び俺に意見した場合だろ。それがまちがってると思えば、幸生だって反論はする。シゲはあまりしないかな。章は……俺は……うん、パール、ありがとう」
「ありがとうって?」
「そりゃあね、リーダーだって時にはまちがった意見も述べるんだよ。俺は本橋と口喧嘩だったらするし、時には殴り合いになりそうになったこともある。だけど、そうまで激しくはならないのは、リーダーがまちがったことはほとんど言わないからだ。そうと気づかせてくれたから、礼を言ったんだよ」
「ふーん」
 大学出はやはり、言うことがむずかしい。俺たちとはレベルがちがっている。
「うちの精神的支柱はまぎれもなくリーダーだよ。リーダーなんてのはいてもいなくてもいいんだけど、おまえにはその素質があるんだから、こっそりでもいい。燦劇の支柱は俺なんだ、って思って、そう自覚して行動しろよ」
「無理だよ」
「無理ではないんだよ。自覚すれば行動が伴ってくるんだ。俺も本橋についてとやかく言えた義理でもないけど、あいつも学生のころにはさ……それが今ではうちのリーダーとなって、まあ、多少は跳ね上がりたがる節がなきにしもあらずだけど、一人前の社会人、大人、プロシンガーズのリーダーとして、その他諸々のカラーも身につけてきてるもんな」
「そうなのか。それって女の子がらみのなにかもある?」
「女の子に非道な真似はしないよ」
「非道って? 本橋さんって強いんでしょ? 女の子を殴るとか?」
 あまり食べないしあまり飲まない乾さんと、同じくそんなには食べないし飲まない俺とでは、料理も酒も減っていかない。ふたりして会話に集中していた。
「女の子に暴力をふるわないのは、男としての大前提だ。それ以外にもあるだろ。おまえももてるんだろ」
「うん、もてるよ」
 そんなでもないのだが、ファンの女の子には人気があるのだから、そう言っておいてもさしつかえないだろう。そんな話しをしていると、大きな秘密を口にしたくなってきた。
「ファイに言ったんだよね。ファンの子と羽目をはずしすぎないようにって。そんでさ、俺には彼女もいるんだよね。なのに……」
「浮気か」
「結婚もしてないんだから、浮気なんて言うのかな。でも、そう」
 専門学校の卒業が近づいてきていて、ミキちゃんが俺と会えない時期があった。電話をかけるのも悪い気がして、あのころの俺は寂しかった。
 まさかもう、暁子さんに甘えに帰るわけにもいかないし、ミキちゃんは忙しいんだから我慢しよう。だけどさ、ミキちゃん、会いたいな。そんなふうに考えながら、仕事が終わってライヴハウスの外に出ると、ファンの子と出会った。
「燦劇のみんなには言ってないんだよ。乾さんも誰にも言わない?」
「俺に重荷を肩代わりさせようってのか? 話したいんだったら話せばいい。誰にも言わないよ」
「うん。お願いします。ミキちゃんと会えなくて寂しくて、そんなころに出会った女の子。ミキちゃんに似てたんだよ。彼女は俺よりもちっちゃくて、大きな目が可愛くて」
 パールに会えるなんて……と感激の面持ちで俺を見上げた彼女に、俺は一時的に参ってしまったのだった。
 ロックバンドの連中は、グルーピーの女の子と気軽に寝る。ファイもエミーもトビーもルビーも、そんな経験はなくもないようだ。そしたら俺もやってもいいだろ? 一回くらいいいだろ。そんな気持ちになって、彼女とホテルに行った。
「絶対に内緒にしておくからね。あたし、パールとこうなれただけで嬉しいの。もう一度こうしたいなんて言わない。あたしにも彼氏はいるんだから、誰にも言ったりしないよ。パール、ありがとう。素敵だったよ」
 ホテルから出ると、彼女はそう言った。ミキちゃんとしか寝たことがないからなのだろうか。うしろめたい気持ちになって、本当は誰かに話したかったのかもしれない。
「そんなの、みんなやってるんだよね。乾さんには経験ある?」
「ファンの方とどうこうってのはないけど、ゆきずりの恋みたいな経験はあるよ」
「俺、悪いことをしたの?」
「おまえの彼女のミキちゃんには、裏切り行為だよ。俺は彼女のいるときに別の女性とっていう経験もないけど、心でならあるな。あれも裏切りだったんだろ」
「心なんかいいじゃん」
「いや」
 真顔で否定して、乾さんは煙草をもみ消した。
「心の浮気がもっともひどい裏切りだって、そう考えるひともいるかもしれない。ミキちゃんが心でおまえを裏切ったらどう思う?」
「悲しいよ。僕ちゃん、泣いちゃうかも」
「また幸生みたいに……」
 三沢幸生さんの真似ではなく、俺も前々からやっていたのだが、三沢さんほどには上手にやれないからだろうか。このせいで三沢さんとパールが似ていると言われるのか。
「真似とはちがうんだけどさ、今はどうでもいいよね。ミキちゃんには打ち明けるべき?」
「やめとけ。言わぬが花ってのはあるんだよ」
「そうなの? ずるくない?」
「ずるくないよ。後悔してるんだろ。おまえの中ではミキちゃんが恋人で、ファンのその方はゆきずりのひとなんだろ。その方にも彼氏がいるっていうんだったら……でも、こんなふうに言うとおまえの気持ちにはよくないんだろうけど、彼女の優しい嘘だったとも考えられるよ」
「え?」
 ただの一度も、俺はそんなふうには考えなかった。あの子に彼氏がいるんだったら、おあいこなんだからまだいいかな、だったのだ。
「乾さん……そんなのって……」
「どうとでも想像はできるんだし、その方を俺は知らないんだから、なんとも言えないな。ごめんな、パール」
「ううん、俺こそ……」
「おまえが俺に詫びる必要はないよ。心のダメージっていうものは、積み重ねて悔やんで、そうして男は……お、まただ」
「なにがまた?」
「いいんだよ。だけど、悪いのはおまえなんだから、そんなものを心の傷にするな。俺が悪いんだっていうダメージにしろ」
「傷とダメージはちがうの?」
「ちがうんだよ」
 心は軽くなんかならなかったけれど、傷ではなくダメージか。わからないけど、ちょっとはわかる気もする。そうやって考えていけば、俺も大人になるってわけ? 大人になりたいとも思わないけれど、ならなくては仕方がないのだったら、乾さんみたいな大人になりたいな。
 そう思って、だけど、口に出すのは恥ずかしいから黙っていたら、乾さんが水割りをひと口飲んでから言った。
「俺の想像は当たってたよ」
「どの想像?」
「おまえについての想像だよ」
 そんなことを言われても……だったのだが、乾さんはそれ以上は言わずに、ミキちゃんを大事にしろよ、と呟いて微笑んだ。


3

 全国ライヴツアーもやれるようになって、俺たちはその後もどんどんどんどん売れていった。
 フォレストシンガーズのおじさんたちとも、親しさが深まっていく。俺はあるとき、本庄のシゲさんに尋ねてみた。
「前に乾さんと話してたら、乾さんったらさ、あ、またしても、とか、お、まただ、とか言うんだよ。なんのこと?」
「どんな話し?」
 そのときの話を思い出すままにすると、シゲさんはにやっとした。
「ああ、それか」
「なんなの?」
「たぶんだけど、乾さんって説教癖があるって、自他共に認めるってやつなんだな。説教じみた台詞を連発しては内省するひとなんだよ。だからさ、お、また言っちまった、って、内心では頭をかいてたんじゃないかな」
 シゲちゃんってぼけてるんだよ、とシゲさんの奥さんは言う。そういうところもあるのかもしれないが、そればっかりではないのではないだろうか。
「乾さんはいつだって、いいことを言ってくれるんだけどな」
「そうだよね。シゲさんって乾さんを尊敬してる? 三沢さんも乾さんを尊敬してるよね。本橋さんも?」
「まあ、そうかな」
 内省なんてものを俺はしたことがあっただろうか? やっぱり、乾さんってたいしたひとなんだな、と俺は思った。
 そうやって俺たちは、大人とも触れ合うようになった。大人なんてけっだ、とファイあたりは言うのだが、大人にいろいろと教わるのもためになると俺は思う。言うとファイがきっと、ちびのくせにおまえは生意気だと言うだろうから、言わないけど。
 事務所の代表的シンガーは、フォレストシンガーズのおじさんたちよりもさらに年上の、杉内ニーナおばさんだ。ニーナさんも俺たちに食事をおごってくれたりもした。
 なのに、いつしかニーナさんに取って変わって、燦劇がオフィス・ヤマザキトップの売れっ子だとまで言われるようになった。デビューしてから三年、ビジュアル系ロック界ではスターになれて、ジョイントライヴなどではトリになるほどになった燦劇。
 ミキちゃんともずっとずっと恋人でいられ、暁子さんや父にはお小遣いをあげられるようにもなった。マサル叔父にお小遣いをあげると怒るかもしれないので、俺にはいとこに当たる、叔父の子供たちにお年玉をあげたり、プレゼントしてやったりもした。プライベートにもなんの不満もない。
 その上、小学生のころから夢見ていたロックスターになれたんだ、と俺は思っていたのだが、そんなある日、エミーが言い出した。
「ごめんな」
「ごめんって? なにをやったんだよ、てめえは」
 ファイが怒り顔で問い質すと、エミーはうつむいたまんまで言った。
「俺、俺はハードロックがやりたいんだよ。ビジュアルはいやなんだ、最初からそう思ってたけど、言えなかったんだ。燦劇を抜けてもいいか」
「そんな……」
 ルビーとトビーは黙りこくり、ファイはエミーに詰め寄った。
「いきなりなにを言い出すんだよっ。おまえがいなくなったら……ファンが減るぞ。おまえは俺よりは落ちるけど、ギターだって上手ではないけど、俺の次に人気があるんだって知らないのか。それにそれに、うちの曲はどうなるんだよっ。俺は詞は書くけど、曲は書けないんだから」
「それを考えると……だけど、俺は俺のやりたいことをやりたいんだ。でないと生きてる意味もないだろ」
「生きてる意味? 燦劇なんてのは……パール、言えよ。言ってやってくれよ。俺にはうまく言えないんだよ」
「曲はよその誰かに依頼するって手もあるよね」
 なんとなくなんとなく、エミーの様子がおかしいと気づいてはいた。エミーには彼女がいないと言っていたせいか。女の子にふられたせいか。それとも? 
 それとも、はいくつかあるのだが、エミーがおかしかったのはこのせいか。怒るのではなく悲しくて、俺は静かに言った。
「エミーがいなくなっても燦劇は燦劇だよね。だけど、エミー、どうしても?」
「うん、どうしてもそうしたい」
「だったら仕方がないけど、もう一度よく考えてみられない?」
「何度も何度もよくよくよく考えたんだよ。それでもそうしたいんだ。俺はみんなと喧嘩別れなんかしたくないから……」
「気持ちの悪いことをほざいてやがんじゃねえんだよっ!!」
 怒ると凄みの出る声でファイが怒鳴り、トビーがおずおずと言った。
「ファイがそんなに怒ってたら、ゆっくり話し合うってのも無理だよ。な、パール?」
「そうだね。ファイが落ち着いたらもう一度話し合おう。エミー、結論が出るまでは仕事はきちんとやれよ」
「やるよ」
 いつか三沢さんが話してくれたのがよみがえってきた。
「うちにはデビュー前には、別のメンバーがいたんだよ。そのひとはやめてしまったんだ。メンバーチェンジってよくあることだろうけど、誰かがそう言い出すとしゅんとしちゃうんだよね」
 あのときの三沢さんは、俺がはじめて見るほどに寂しげな表情をしていた。
「燦劇は大丈夫だよ。俺たちはビジュアルロック命だもん」
「だといいな」
 大丈夫だとは心の底から思っていたのではない。誰かがそう言い出す可能性は、絶対にないとは言い切れなかった。俺たちはフォレストシンガーズほどに固い絆で結ばれているのではないのだから。
 ファイとエミーは子供のころからの友達だが、あとの三人はオーディションで選ばれた。フォレストシンガーズの五人を見るたびに、俺たちとはずいぶんちがうんだな、と思っていたものだった。乾さんや三沢さんと話をしたときにも、俺はそう思っていた。
 けれど、だからってそんなに突然……俺もエミーを詰りたかった。だが、ファイが狂い出しそうに怒り、トビーとルビーがひたすらに戸惑っているのを見ていると、俺がしっかりしなくちゃ、とも思う。
 燦劇の精神的支柱になれ、と乾さんは言った。俺はとうていそんなものにはなれないけど、今だけでもそうなれたらいい。がんばってみようと決意したのだった。
 オーディションで五人が集まり、何度も何度も話し合ったあのころと同じに、俺たちは何度も何度も話した。あのころは将来の夢に燃えていたけれど、今は燃え殻? たったの三年でこうなってしまうのか。
 ひとりになってからも考えて、五人で話し、その都度、ファイが怒って席を立つのを見ていたら、俺にはちょっぴりうらやましかった。ファイはこんなにもエミーが……俺が脱退すると言い出したんだったら、他の四人はこんなに怒るかな?
 エミーが悪いわけではない。誰が悪いのでもない。気持ちと気持ちはすれちがっていくもの。そうしてエミーは彼なりの結論を出したのだから。
 話し合いの末、燦劇は一時休止すると決めた。社長は嘆き、事務所の事務員さんの玲奈ちゃんも寂しそうにしていて、俺はふと気づいた。
 俺は玲奈ちゃんを事務員さんだとしか思っていなかったのだが、もしかしてエミーは? 燦劇の仲間たちに話す前に、エミーは玲奈ちゃんに話していたらしい。玲奈ちゃんが励ましてくれたらしい。もしかしてもしかして、エミーは玲奈ちゃんが好き? 
 あとで聞いてみたら、玲奈ちゃんはエミーを特になんとも思っていない様子だった。エミーはギター修行にL.Aに行くと言い、冗談っぽく玲奈ちゃんに言っていた。
「寂しいんだったら俺といっしょに行く?」
 そのときにも玲奈ちゃんは、真面目に受け取ってはいないようだった。
 なのだから、エミーはまたまたふられたのだろう。ファイよりも落ちるのはたしかとはいえ、エミーも顔はいい。背も高い。そのわりには、エミーは自分で言うほどもてないのだろうか。俺だって自分で言うほどもてないのだから、あとの三人も同じなのだろうか。
 たぶんファイはまちがいなくもてるだろうけど、案外、他三名は見栄を張っているのかもしれない。俺たちはフォレストシンガーズの五人ほどには、プライベートなつきあいをしていなかったので、互いに知らないことはいっぱいあるのだと、今になって気がついていた。
 「すこしだけさよなら」と名づけた燦劇の一時休止直前ライヴには、ホールからはみ出しそうなほどに大勢のファンが来てくれた。女の子たちは泣いてくれた。
「エミー、また帰ってきてねっ!!」
「ファイ、私を忘れないでーっ!!」
「パール、大好きっ!!」
「ルビー、会えなくなるなんていやだっ!!」
「トビー、もう一度こっちを向いてっ!!」
 ものすごい嬌声の中、時々そんな声が聞き取れる。一時休止とはいえ、あるいはもう二度と、燦劇のパールには戻れないのかもしれない。でも、俺は燦劇のパールでいてよかった。俺は俺のバンドのメンバーも、ファンの子たちも大好きだよ。


 たしか俺のほうから彼女にメールを出して、そのおかげで親しくなったのが、本庄シゲさんの奥さんの恭子さんだ。
 フォレストシンガーズの合宿に、恭子さんも誘われたと言って、電話でそんな話をした記憶もある。恭子さんの水着にシゲさんが文句をつけたとかで、恭子さんは怒っていた。俺もフォレストシンガーズの合宿に行って、恭子さんの水着を見たかったのだが、仕事が入って行けなかったのだ。
 あのころの恭子さんの水着姿は、正直言って見たくないような見たいような、だったのだが、素敵だろうね、と言ってあげたのだから、夫婦喧嘩の仲裁をしたのだとも言えなくもない。俺のおかげで、恭子さんはシゲさんと仲直りできたとも言えなくもない。
 身長は俺と同じくらいか、やや低いくらいだから、女性としては並だろう。が、テニス選手だけあって恭子さんはたくましい。俺なんかよりずっとずっと筋肉もりもりに見える。幾度かは会って話した恭子さんと、仕事を休業中の俺は喫茶店で向き合っていた。
「パールはいくつになったの?」
「二十五。恭子さんは赤ちゃんができて、俺と同じで仕事は休業中だよね。あ、広大はどうしてるの? シゲさんが見てる?」
「うん、今日はシゲちゃんは休みだから、まかせてきた」
「大丈夫かな」
「平気だよ。シゲちゃんはあれで、子守りがうまいんだから。昔から三沢さんや木村さんの子守りをしてたからなんだって」
「三沢さんや木村さんは身体は大人じゃん」
「身体は、だって。もう中身も大人だよ」
「そうかな」
 トレーニングをしないと筋肉は衰えるのだそうで、恭子さんは女っぽい身体つきになった。以前はそんなことは考えてもみなかったのだが、紅茶のカップに添える指の仕草も色っぽく見えた。
「こうしてると俺たち、恋人同士に見えるのかな。どう見ても恭子さんのほうが年上だけど、年上の女って流行ってるしね」
「私はまだ二十八だよ。三つしかちがわないんだからね」
「そうだったの? 三十すぎたのかと思ってたよ」
「失礼ね。失礼なひとばっかりなんだから。フォレストシンガーズのみなさんも美江子さんも、シゲちゃんの友達もみんな、広大はシゲちゃんにそっくりだから、将来はもてない男になるって。そんなことないもん……ううん、もてないほうがいい」
「そおお?」
 この赤ちゃんはシゲさんの息子にまちがいないと断言できるほどに、広大はシゲさんにそっくりである。本庄夫妻の息子の話しなんかもしてから、恭子さんは言った。
「で、パールはこれからどうするの?」
「充電期間はそろそろ完了して、ラジオに出演するんだ。DJやらないかって話が来てるんだよ。やっぱ一応は、俺は名前も知られてるでしょ。燦劇のパールって言ったら、知ってるひともけっこういるもんね。仕事の依頼はあるんだよ」
「そうなんだね。酒巻さんがひがみそう」
 酒巻さんとは、俺はそれほど親しくないのだが、知らないひとではない。フォレストシンガーズの大学の後輩で、DJである。
「酒巻さんは大学生のときにはアナウンサーになりたかったんだけど、なれなくて進路を変更して、DJ志望に変えたんだって。DJにだってなかなかなれなくて、焦ってたみたいよ。私はそのころの酒巻さんを知らないけど、あとから聞いたの。で、その酒巻さんは、アメリカに音楽の勉強に行くらしいの。僕がいない間に、忘れられてしまわないだろうかって心配してた」
「そっか」
 エミーが燦劇を脱退したいとの決意を固めたころ、フォレストシンガーズの木村さんやら乾さんやら、玲奈ちゃんやらに、仲間たちに話す前にその決意を話した。
 玲奈ちゃんに話した際には、そばに酒巻さんがいたとも聞いている。酒巻さんにもちょっとはお世話になったのだから、アメリカに行くと言うのならば挨拶しようかと、恭子さんに彼のケータイナンバーを教えてもらった。
「やあやあ、耕史郎です」
「耕史郎さん? どちらのですか」
 俺の声が三沢さんに似ているのならば、酒巻さんの声はシゲさんに似ている。低くて渋い声の持ち主の酒巻さんは、だが、体格は俺に似ている。
「磯畑耕史郎ですよ」
「聞き覚えのあるお名前なんですが……待って下さい。思い出します」
「酒巻さんって失礼ね」
「失礼……はい、失礼ですよね。申し訳ありません。もうすこしで思い出せますから」
 電話のむこうで恐縮している酒巻さんに、俺は言った。
「僕ちゃんは酒巻さんより後輩だからいいんだろうけど、そんなんだったら、僕ちゃんが酒巻さんの仕事を取っちゃうわよ」
「……三沢さんじゃないんですよね? するとすると……パール?」
「ピンポーン」
 ようやく俺だとわかってくれた酒巻さんは、勢い込んで言った。
「僕の仕事を取る? どういう意味?」
「俺にもDJの仕事が来てるんだよ」
 恭子さんにも話した、仕事の依頼について語ると、酒巻さんは嘆息した。
「名前の売れてるひとはいいね。僕は今でも無名みたいなものなんだけど、あのころはもっと無名だったから、苦労したよ。今さらだけどね」
「そうなんだね。俺たちは無名の苦労って知らないな。ま、酒巻さんのかわりは俺がやってあげるから、心置きなく行ってらっしゃーい」
「ありがとう。よろしくね」
 かわりをやってやると言ったら怒るのかと思っていたが、怒らない。酒巻さんとはこういうひとであるらしい。
「エミーはL.Aだけど、酒巻さんはアメリカのどこ?」
「ニューヨーク」
「おーっ、かーっこいい」
「きみの声、ほんとに三沢さんに似てるね」
「広大はシゲさんの息子なんだから、似てるのは当たり前だろうけど、俺は三沢さんの息子じゃないよ。似ていたくないもんね。あ、そだ、酒巻さん、教えてよ」
 なんでしょうか、と語調が改まった酒巻さんに言った。
「女のひとは自分で産むんだから、生まれた子供が誰の子なのかはわかるよね」
「わかるだろうけど、病院での取替え事件なんてのもあるよ」
「そんなのは考えなかったらわかるでしょ」
「そりゃそうだね。パール、なにを考えてんの?」
 疑惑のまじった酒巻さんの声に、俺は応じた。
「男は奥さんの産んだ子を、自分の子だと信じるしかないんでしょ」
「……それはなんなんだ?」
「なんでもないってーか、シゲさんはシゲさんにそっくりの息子でよかったね、って、俺が言いたいのはそこだよ」
「ふむむ。んんと……僕の電話番号は、恭子さんに教えてもらったの?」
「そうだよ。俺も俺そっくりの子供を、ミキちゃんが生んでくれたらいいな」
「パール、結婚するの?」
「そのうちにはするよ」
 失業中といえばいえる俺がプロポーズしたら、ミキちゃんはうなずいてくれるだろうか。つい気がよそにそれそうになったのだが、気持ちを引き戻して言った。
「酒巻さんには彼女はいないんだよね。ニューヨークで綺麗な奥さん見つけて、連れて帰っておいでよね」
「無理だよ」
「無理じゃないって。乾さんがさ……昔に言ったんだ。パール、おまえは燦劇の精神的支柱になれって。俺もあのとき、無理だって言った。無理ではない、って乾さんは言った。やっぱり俺はそうはなれなかったけど、努力はしたよ。俺、えらい?」
 瞬時の沈黙のあと、酒巻さんが言ってくれた。
「エミーの脱退の話のときだろ? 僕はこの耳で聞いたよ。エミーが言ってた。パールが上手におさめてくれたって。きみは乾さんが見込んだ通りの、燦劇の精神的リーダーなんだよ」
「ふーん、エミーが?」
 面と向かってはなんにも言わなかったエミーが、そう言ってくれたと聞けば、俺は彼の気持ちの支えになれたのかと思えて嬉しい。精神的支柱とは、精神の支えって意味なのだ。
 他のみんなもすこしはそう思ってくれていたのだろうか。今度誰かに会ったら尋ねてみよう。しかし、ファイに尋ねるのはやめたほうがいい。あいつはこうしか言わないはずだ。
「け、ちびのくせに」
 どうせ俺はちびだよっだ、とファイに言い返して、酒巻さんとの電話も切って歩き出した。
 素顔でメイクもなしで、高いヒールも履かずに歩いている俺は、燦劇のパールではなく、ちびの磯畑耕史郎。燦劇のパールには二度と戻れないかもしれないけれど、名前は売れたのだから、他にも生きる道はあるはずだ。
 次はビジュアルじゃなくて、俺もハードロックをやろうか。俺の原点はボン・ジョヴィなのだから、ハードロックは古い、なんて退けずに、新しいバンドを結成して、日本のボン・ジョヴィを目指そうか。
 それとも、T・REXもいいかも。俺の気持ちはエミーみたいに固まってはいないけれど、それはそれで、可能性がいくつもあっていいではないか。

「Friends say it's fine
 friends say it's good
 Everybody says
 it's just like rock'n'roll」

 歩きながら歌うのは、T・REX「20century boy」だ。

「I move like a rat,
 talk like a cat,  
 sting like a bee
 Babe i'm gonna be your man
 And it's plain to see
 you were meant for me*, yeah
 I'm your toy Your twentieth century boy」

 なんだか難解でシュールな歌詞だそうだし、俺たちは二十世紀少年ではない。二十一世紀少年だ。もはや少年でもないのだろうけど、心は少年。ロック少年。
 やっぱりまだまだ大人にはなりたくない。ミキちゃんとの結婚も、俺に似た子供も先でいい。俺はいつまでも、二十一世紀のロック少年でいたい。燦劇のパールにいつかは戻るにしろ、戻らないにしろ、俺は二十一世紀のロック少年。永遠のロック少年だよ。

END





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~ Comment ~

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読みましたー!
パールくんのシゲちゃんに対する評価が(笑)
そうそう!恭子さんがシゲちゃんと喧嘩したとき電話してた!この子だったのかー
パールくんは女の子みたいで、背が低い。バンドの精神の支柱になるような子φ(。_。*)メモメモ
髪型とか髪の色はどんな感じですか?パールのピアスは片側ピアス??両方?ビジュアル系って聞いたら何故かエックスジ◯パンが頭に浮かんでかなりハードな格好になってしまう(ーー;)
イメージカラーは真珠の白かな?ピンク?

たおるさんへ

早速読んで下さってありがとうございます。
恭子がパールに言いつけていたシーン、覚えて下さっていたのですね。嬉しいです。

パールと恭子は仲良し。
既婚者で異性同士の友人をいやがる方もいるようですけど、私は、純粋に異性と友達になれたらいいなと思います。そこにちょっと不純な気持ちが入っていても、ちょっとだったらいいんじゃないでしょうか。

パールはパールホワイトのふわふわのロングヘアで、パールのピアスは片耳です。ピンクも似合うけど、普段は平凡な男の子のファッションです。

ビジュアル系っていろいろありますよね。燦劇ではファイは過激なのですが、エミーは化粧が嫌いなのでハードロッカーふう。あとの三人はあまり過激ではなく、バールは特にステージでは女の子っぽいのです。

イメージカラーはやはりパールホワイトですね。
たおるさんに描いてもらえるビジュアルロッカー、とーっても楽しみです。

たおるさんへ・追伸

ショートストーリィもあります。
もうちょっと大人になったパールです。

http://quianred.blog99.fc2.com/blog-entry-1790.html
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