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小説160(Penny Lane)

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ビートルズ

フォレストシンガーズストーリィ160


「Penny Lane」

1

二年ばかり前の新婚旅行には、本橋くんの好きなジャズやソウルミュージック発祥の地、アメリカ南部を旅した。あれからフォレストシンガーズは、マネージャーの私がびっくりするほどに売れてきて、近頃はものすごく多忙になっている。
「忙しすぎて、乾くんも幸生くんも章くんも結婚しないんだろか」
「忙しかったって適当にやってるさ」
「適当って? 男の適当ってどんなの?」
「適当ってのはだな……おい、怒るなよ。美江子、鎮まれ」
 いつの間にやら、本橋くんは私をプライベートでは「美江子」と呼ぶようになっているが、私はあいかわらず「本橋くん」だ。今さら他の呼び名はやりにくくて。
 それはともあれ、売れてきているのは非常に喜ばしいのだが、あまりにも仕事仕事だと燃えつきてしまう。ここはマネージャーの私の手腕の見せどころ。社長とも協議してスケジュールのやりくりをつけ、長めの休暇が取れた。
「旅行でもする? シゲくんは休暇はどうするの?」
「ヒデや泉水や実松も誘おうって、恭子が言ってますんで、大勢で旅行します」
「いいね、それ。乾くんは?」
「俺は海外ひとり旅でもしようかな」
「ひとり? ほんと? 章くんは?」
「俺もひとり旅。ひとりで行く末を考えてきます」
「ふーん、ふたりともほんとかな? 幸生くんは?」
「俺は宇宙旅行に行きたい」
「誰と?」
「決まってるじゃーん。彼女とですよ」
「幸生くんにはいるの?」
「むこうが俺を彼氏だと思ってる女だったら、掃いて捨てたくなるほどいるんですよ。もてるってつらいわ。僕ちゃん、どうしましょ」
 正直に答えたのはシゲくんだけで、あとの三人は嘘だかジョークだか。
 だが、乾くんも章くんも休暇には海外へ行くと言っていた。幸生くんはじっくり考えてから行動すると言っていたが、じっくり考えているうちに休暇が終わってしまうのではなかろうか。
 いずれにしても、もはや三十歳もとうにすぎたメンバーたちに、私がお節介を焼く必要もない。怪我には気をつけてね、と言うにとどめて、私は私で本橋くんと相談した。
「海外に行くか? おまえはどこに行きたい?」
「音楽関係の場所?」
「音楽とは無関係でもいいよ」
「そうだな。ビートルズは?」
「ビートルズは音楽以外のなにものでもないけど、いいよな。イギリスってまだ行ったことないだろ。ロックっていうか、ビートルズは現代音楽の始祖みたいな存在なんだから、俺も彼らにゆかりの土地は見てみたい。リバプールだな」
 相談がまとまって、私たちはイギリスへと旅立った。
 多忙になるに伴って、フォレストシンガーズには海外での仕事も入るようになっている。現時点では仕事ではアジア諸国にしか訪れていないのだが、いずれはヨーロッパにも進出したいとの野望は抱いている。
 仕事で本橋くんが単独で韓国に出向いたり、プライベートでは幸生くんがベトナムに行ったりもしていた。私も彼らと同行してアジアのいくつかの国を訪れたが、イギリスは本当にはじめてだ。
「本橋くんは英会話は大丈夫?」
「聞くな。おまえにまかせるよ」
「そうだっけ? 私はまあ、日常会話程度だったらなんとかなるかな」
「なんとかしてくれよ。頼んだぜ」
「ツアーじゃないんだものね。うん、ミエちゃんにまかせなさい」
 大言壮語するとあとが恐ろしいかもしれないのだが、私には本橋くんよりは英会話能力はあると信じて、ふたりでやってきたのだった。
 降り立ったのは、リバプールジョン・レノン空港。ロンドンヒースロー空港は入国手続きが煩雑なのだそうだが、地方空港だからか、リバプールではスムーズに私の英語が通じて、簡単に入国させてもらえた。
「よかったね、本橋くん。サングラスなんかかけてるから、怪しい男だと思われるんじゃないかって、私はひやひやしてたんだよ」
「怪しいとはなんだよ。ま、日本ではちっとは変装ってのか、ごまかさなきゃいけなくなってるけど、外国でだったら平気だもんな。のびのびするよ」
 サングラスをはずした本橋くんが、大きく背伸びをした。私はマネージャーの職業柄、世間に顔も名前も知られていないのだが、私の夫はいまやちょこっと有名人。あの本橋くんがこうなるなんてね、と私は隔世の感を覚えてしまうのだった。
 フォレストシンガーズを結成したころも、デビューできなくてつらかったころも、ようやくデビューしたものの、売れなくて鬱勃としていたころも、私は彼らを身近で見ていた。
 いつだって彼らは、いつかは成功してみせる、と一途に心に誓って、シンガーズとしての道を邁進してきたのだ。誓いも望みもかなわない場合もあるけれど、彼らの夢はかなった。中途で砕けて散る夢ではなかったと、今では晴れやかに言える。
 その分、彼らは不自由な身の上にもなってきている。もはや地下鉄になど乗れないし、五人で街をぶらついたりもできない。幸生くんは、ファンの方に騒がれたと嬉しそうに報告してくれるのだが、嬉しさと苦しさがこもごもなのであろう。
「まーたファンの方に声をかけられちゃいましたよ。いまや俺が一番多くない? フォレストシンガーズの三沢さんっ、愛してますっ、私をあなたのものにしてっ。あなたにこの身も心も捧げたいわ、ってさ、迫られて困っちゃった」
「幸生、そういうひととおまえはなにをしたんだ?」
「乾さんったら、そんな怖い顔しないで。なんにもするわけないでしょ。ユキちゃんはずっと、あなたひとすじよん」
「……いっそ結婚しようか、ユキ。男同士の結婚は日本では許されるんだったか、ミエちゃん?」
「日本では同性の結婚は許されていません。アメリカでは州によっては結婚できるよね。イギリスもできるんじゃなかったかな。他にも同性結婚ができる国はあるよ。ふたりで永住する? あ、駄目。乾くんも幸生くんも、あなたたちが結婚したいんだったら引退してからにしてよね。引退って言っても、よぼよぼになるまでは駄目だよ。私が引退は許可しませんから」
「山田、おまえが乗るな」
 ついつい乗せられてマジになってしまった私に、本橋くんがいやぁな顔をして言い、シゲくんは言った。
「乾さん、お願いだからやめて下さいね。乾さんは幸生なんかと結婚しなくても、お相手がそのうち……たぶん……」
 章くんも言った。
「幸生、乾さんと結婚するくらいだったら弥生さんと……いや、弥生さんには夫がいるよな。そしたらニーナさんにしろよ」
「それでもいいよ。ほら、俺ってもてるじゃん。乾さんにまでプロポーズされちゃった。この次のライヴでファンの方に発表しようかな。フォレストシンガーズが引退したら、ユキちゃんは乾さんと結婚しますってさ」
「やめろ」
 シゲくんと本橋くんと章くんは真顔で言い、乾くんはふふんと笑っていた。
 ああやってじきにケムに巻こうとするところは、まったく変わっていない。幸生くんはあいかわらずジョークが生き甲斐であるのだし、乾くんもおとぼけ顔で幸生くんに加担する。章くんはときおり、俺は結婚なんかできないよ、と深刻に言っているのだが。
 深刻に言っていた翌日には、あの子、可愛いな、と呟いては、幸生くんに言われているのが章くんである。
「おまえはまた誰かに惚れたのかよ。惚れたってふられるんだから、無駄な抵抗はやめろっての」
「ふられるって決まってねえだろうが」
「ふられるよ」
「うるせえんだよ」
「おー、やんのかよっ」
 そこから蹴飛ばし合いになるのだからして、このふたりもまったく変わっていない。
 大人にはなってきたけれど、根本はちっとも変わっていなくて、そんな彼らと接するたびに、私はむしろ安心する。シゲくんだけはお父さんになって、どっしりした落ち着きを加えてきているが、鈍感シゲくんは健在だから、そんなところにも私は安心してしまうのだった。
 そしてそして、ほんの三年も前には、彼と結婚するなんて想像もできなかった本橋真次郎が、今では私の夫。仕事では旧姓を使っているが、私の本名は本橋美江子だ。隔世の感も、あいかわらずだよね、って部分もあって、そうして私たちはこれからも…… 
 きっとそう。そういられるはず。基本的にはちっとも変わらないままで、フォレストシンガーズはもっともっとビッグになっていく。私も彼らの手助けをしていく。きっときっと、そうできるはずだ。
「ねえ、これって夢だろうとは思うんだろうけど、夢にしたらリアリティがあるって言うか、そのような経験をしたのよ。あなたと結婚する前。これってどう思う?」
「夢なんだろ? どんな?」
 ホテルにたどりついてベッドに入って、私は夢を書き留めたノートを、本橋くんに手渡した。いくらか前の夢だが、秘密にしてしまってあった。こんなものは、結婚したからこそ見せられるのだ。


2

 正式名称をなんというのかは知らないが、ベンチのような椅子にかけているのは見知らぬ女性と私。端っこと端っこには女がすわっていて、無口なおじさんがおでんをよそってくれる。注文していないのにお酒も出てきた。
 寒さの中を空腹を抱えて歩いていた私は、おでんの匂いと屋台の灯りに吸い寄せられて長椅子にすわったのだが、相客がいた。彼女はうつむいていて、お皿のおでんは冷め切っている。お酒をちびちび飲むばかりで、時おり嗚咽が漏れる。
 見知らぬひとにお節介を焼くわけにもいかないし、さっさと食べて帰ろうと思っていたら、暖簾をかきわけて入ってきた男たちがいた。
「美江子さん? 屋台でひとりで……自棄酒か?」
 この声は沢崎司? 続いて中根悠介の声もした。
「ひとりなんだよな? 美江子さんが屋台でコップ酒って趣味があるとは知らなかったよ」
「美江子さん? 紹介しろよ」
 続いて別の声。夢を見ているのでもなさそうだし、幻覚を見るにもまだ飲んでもいないので現実だろうと決めて、声の持ち主を見た。記憶にある顔だ。誰だろう? 
「沢崎さんと中根さんこそ……似合わない」
 屋台なんて似合わない、と言ったら、主のおじさんに失礼であろうかと口を閉ざしたのだが、似合わないにもほどがある。中根さんも沢崎さんもだし、もうひとりの男性もだ。
 長い長い髪は三人ともに共通している。沢崎さんは茶髪にエメラルドのメッシュ、中根さんは鳶いろの超ロングヘア、もうひとりは真っ黒な髪を背中でたばねている。沢崎さんは茶色の革ジャン、中根さんはなんと紫のコートを着ていて、ロッカーにも見えるのだが、見ようによってはチンピラのお兄さんにも見える。
 屋台の主は彼らを知らないのだろう。地回りの方々だとでも思っているのかもしれないが、黙々と仕事をしていてなにも言わなかった。
 相客の女性はこちらを見ようともしない。私の右に沢崎さんがすわり、左には黒髪の男性がすわった。見覚えのあるその男性は黒のコートに黒のパンツと黒ずくめの服装で、沢崎さんや中根さん以上に怪しい風体に見えなくもない。沢崎さんも中根さんも百八十センチ以上の長身の持ち主なのだが、彼はさらに背が高く、声は沢崎さんや中根さんよりさらに低かった。
 女性的といえなくもない華麗で妖艶なる美貌の中根さん、ワイルドで荒々しくも鋭角的な美貌の沢崎さん、このふたりだけでも私の心臓にはよくないのだが、もうひとりもまたとびきりの美貌を備えている。中根さんとも沢崎さんともタイプがちがって、クールで理知的といえばいいのだろうか。ひとの心を射抜いてしまいそうな瞳も真っ黒で、底なし沼のように見えなくもない。
 両隣にここまでの美形にすわられると、私はもじもじしたくなってしまうのだった。
 中根さんが沢崎さんの右にすわると、彼らの前にもおでんのお皿とお酒が置かれた。正視しにくくてちらちらと左の男性を観察していると、沢崎さんが彼に言った。
「フォレストシンガーズ、知ってるだろ。あいつらのマネージャーの山田美江子さんだよ」
「ああ、フォレストシンガーズか。面識はないけど知ってるよ。はじめまして、真柴豪と申します」
「あ、あ、真柴さんでいらっしゃいましたか。私もお噂はかねがね……はじめまして、山田です」
 名刺を取り出そうとしたら、真柴さんの大きな手に制された。
「プライベートですから。しかしな、司……」
「んん?」
 真柴さんが沢崎さんになにやら囁き、沢崎さんは中根さんになにやら囁き、真柴さんは私に言った。
「出ませんか。こんなところではじっくり話せない。食っちまって出ましょう。よそに行きましょう」
「……あの、私は……」
「お時間に余裕はあるんでしょう? だからこんなところで飲んでらっしゃるんでしょ?」
「飲むというよりおなかがすいて……」
「ここでは一応の腹ごしらえにしておいて、場所を移しましょう」
 は、はい、とうなずくしかなかった。中根さんと沢崎さんの美貌は何度目にしてもいっかな慣れないし、何度もというほど会ったわけではない。
 その上にもうひとり……辣腕プロデューサーとしてつとに有名な真柴豪氏の高名は耳にしていたが、こうしてそばにいられると平静な気分ではいられない。
 それでも中根さんや沢崎さんとはなじみもできているのだが、真柴さんは彼ら以上に私を居心地悪くさせるのだ。FSのみんなにしても美声の持ち主ではあるのだから、私は男性の美声には慣れているつもりなのだが、真柴さんの声には背筋がぞくっとする。本橋くんの低くて太目の声をもう一段低く太くしたような、甘く響く声。
 中根さんや沢崎さんの声は、男性としては普通といえばいえるのだが、真柴さんの声は決して普通ではない。魅惑的な悪魔の声、と形容しては言いすぎだろうか。
 三人はそそくさと食べ終え、私は食べられなくなってしまったのだが、もういい? と沢崎さんに訊かれてうなずくと、真柴さんがさっさと私の分まで支払いをすませて促した。
「あのお、私の分は……」
「いいから。どこに行きますか?」
「どこにと言われましても……」
 ここがどこなのかは知っているけれど、店なんかは知らない。仕事をすませて帰宅する前に歩いていた場所にすぎないのだから。真柴さんは礼儀上尋ねてくれたようだが、じゃあ、俺の知ってる店に、と言って歩き出した。
 本橋くんや乾くんにしても、並の男性よりは背が高い。私は女としては標準体型だが、本橋くんや乾くんと歩いていると、見上げて話さないといけない。男性の標準程度のシゲくんも見上げて話す。章くんや幸生くんは私とはたいして身長差はないので見上げる感じにはならない。
 たいていの男性は私より背が高いから、並んで歩くと見上げて話す。それにしてもこの三人の背の高さといったら、真柴さんだと私より三十センチ近く高いかもしれない。三人ともに百八十五センチ前後あるだろう。大木に囲まれて歩いている気分だった。
「寒くありませんか」
 さりげなく、のつもりなのだろうけれど、囁かれて見つめられると心臓に悪い。中根さんも沢崎さんも心臓にはよくないのだが、真柴さんはいっそうだ。三十路目前の女をこんな心持ちにさせるとは、このひとはさぞや……と真柴さんを見上げると、沢崎さんがくつくつ笑った。
「美江子さん、気をつけたほうがいいよ。豪のこの目とこの声は、天下無敵の女殺しなんだから」
「やっぱり……」
「やっぱり? わかるよな、美江子さんだったら。ロッカーとしては悠介のほうが女をぽーっとさせるんだろうけど、なにしろ悠介は愛想がない。ステージででも無愛想だけど、プライベートとなると愛想なんてかけらもない。女がいたって気も使わない。いつでもどこでもこいつはこの調子だ。悠介ももちろんもてるんだけど、もてたくないんだそうだよ」
「男性としては稀有なタイプですわね」
「そうだよな。俺はもてたいもんな。FSの連中もか?」
「この場にいないひとの話はしないでおきます」
「ふーん、美江子さんもいつもと調子がちがうな」
 脚の長い男は歩くスピードが早いはずだが、私の歩調に合わせてくれているようで、彼らはゆっくり歩いている。
 右には沢崎さん、左には真柴さんが歩いていて、中根さんはそのうしろから無言でついてくる。私はともかく、この三人の周囲の空気は、知らないひとが見たらぎくっとするものになっているのではないだろうか。
 性別不明と呼ぶには中根さんは背が高すぎるけど、紫のコートなんか絶対に普通の男は着ない。なのに素晴らしくさまになっている。沢崎さんは美しい狼のようで、真柴さんは美しい悪魔だ。本橋くん、乾くん、シゲくん、幸生くん、章くん、あなたたちの普通さがなつかしいよぉ、と言いたくなってきた。
 もしかしたら私は、妖女と妖狼と悪魔に魅入られて、魔の世界へ連れていかれようとしているのではないだろうか。たどりついた酒場も妖しげなムードに満ちていて、客はひとりもいない。逃げたくなったのだが好奇心もあって、隅のテーブルに導かれるままに腰を下ろした。
 早速三人ともが煙草に火をつける。煙草なんだろうか。媚薬でも入った麻薬なんじゃないだろうか。あなたは? と真柴さんに問われて、私はぶるぶるっと頭を振った。アルコールなんか飲んでなくても、麻薬なんか摂取しなくても、私は十二分に頭をくらくらさせていた。
 彼らはウィスキーをオンザロックで、私は薄い水割りにしてもらって、お酒とおつまみがテーブルに並ぶと、沢崎さんが言い出した。
「さっきの話の続きだけどさ、悠介って奴は女が寄ってきたらうっとうしそうに、しっしっ、あっち行け、って態度を取る。俺はいい女だったら歓迎するよ。美江子さんみたいな……」
「たしかに美江子さんは魅力的だな」
「ほらほら、危ないぞぉ。どうする、美江子さん? 口説かれたらその気になる?」
 どうも沢崎さんは、私をからかって楽しむ傾向があるらしい。知らん顔をしていると、夏の話をはじめた。
「悠介も覚えてるだろ。夏の海辺でのイベントにFSが出演してて、俺がふらっと遊びにいったときの話だ。あんときは帰るのが遅くなって、みんなに責められたんだよな」
「ああ、覚えてる」
「帰るのが遅くなっちまった一因はこのひとなんだ。美江子さんと話して、帰るつもりで立ち上がった。そのつもりだったんだけど、振り向いたら美江子さんが憂い顔でなにか考えてたんだよな。その風情がなんともいえず色っぽくて、たまらなくなってついふらふらと……美江子さんのフェロモンってのはメガトン級だぜ」
「たしかに。で、司、なにをしたんだ?」
 下らない、といった表情でいるのは中根さんで、真柴さんが問い返した。
「悪さをしたんだろ」
「悪さじゃないさ。魅力的な女を見たら、悠介以外の男だったらやりたくなることだ。抱きしめたい、キスしたい、そう思うのは男としては自然だろ」
「女から見たらそれを悪さと言うんだよ」
「おまえに言われたくねえんだよ。でな、そのつもりで近づいた。美江子さんもまんざらじゃなさそうに見えたんだけどな」
 どんな顔をしてこんな会話を聞いていたらいいのだろう。席を立つのもわざとらしいので、無表情を作って聞いていたら、沢崎さんが言った。
「ところが、そこに邪魔が入った。悠介、FSの中で喧嘩の強そうな奴は誰だ?」
「本橋だろ」
「俺もそう思ってたよ。本橋に見つかるとやばいなって感じてたんだけど、邪魔をしにきやがったのは乾だった。あいつもなかなかどうして……この俺の攻撃をするっとかわした。俺は目を疑ったぞ。乾なんてのは細いし、強そうにも見えない。俺が肘でがんっとやったらあえなくノックアウト、だとばかり思ってた」
「人は見かけによらぬもの、ってのか?」
「その通りだよ。まあ、乾は美江子さんを軽々と抱き上げて……」
「抱き上げて? いつの話?」
 いやいや、じゃないかなぁ、と……とかなんとかごまかして、沢崎さんは咳払いをし、中根さんは不気味に微笑んだ。
「美江子さんくらいの女だったら、乾でも楽々抱き上げるだろ。されたことはない?」
「できるだろうと思いますよ」
 抱き上げられたりおんぶしてもらったりってのは、考えてみればみんなにある。そんな話をする必要もないので、私も曖昧にごまかしておいた。
「仮定の話だよ。できるだろ。俺にもできるよ。ためしてみる?」
「けっこうです」
「悠介にも豪にもできるだろうな。いや、そんな話じゃないんだ。そんなのできて当然だ。えーと、なんの話だっけ? 乾の妨害の話だったな。で、乾が俺の邪魔をしやがって、この野郎、ぶっ飛ばしてやろうかと思ってたら、そこに三沢があらわれた。あいつはまたまるっきり別のやり方で、乾と俺の睨み合いの邪魔をした。そこに今度は燦劇だのサンだのってグループのガキどもまでがあらわれて、俺は望みを果たせなかったんだ。美江子さん、改めてどう? 豪よりは俺の危険度は少ないよ。美江子さんのてこにも合う程度だ」
 また話がそこに行く。どうせからかってるくせに、と思ってつんとすると、沢崎さんはまたもや言った。
「ファイとはキスしたんだろ」
「したんじゃなくて、無理にされたんです」
「あんなガキよりは俺のほうがいいだろ? 無理にキスしたら受け入れてくれる?」
「司、いい加減にしとけ」
 沢崎さんの目のきらめきは私をからかって遊んでいる以外のなにものでもなかったのだが、真柴さんが言った。
「女性を困らせるのは……というか、美江子さんは困っているわけでもなさそうだな。怒りかけてる」
「そういうところがまた魅力的なんだよ。俺はこういうタイプが好きでさ」
「うん、俺もだけど……」
 馬鹿か、てめえらは、と中根さんも言った。
「彼女を口説きたいんだったら、ふたりきりでやれ。豪でも司でもいいから、どっちかが彼女をどこかに連れていけ。目障りだ」
「そそのかさないで、中根さん。止めてくれるんじゃないの?」
「美江子さんがその気だったら、俺が止める筋じゃないだろ」
「その気なんかさらさらありません」
「美江子さんはいつだったか、男はいると言った。この間はいないと言った。いるのかいないのかはっきりしてくれよ」
「あのね、沢崎さん、言わせてもらえば、そんなことはあなたにはなんに関わりもないし、いてもいなくても、私をお酒の肴にして楽しもうなんて魂胆の男性の、そのたぐいのゲームにつきあう気もさらさらありませんから。馬鹿にするんだったら帰ります」
 帰らないで、と右から沢崎さんに、左から真柴さんに手を握られて、私はぐぐっと言葉に詰まった。降参のポーズをしてから、沢崎さんが言った。
「男三人で飲んでてもなーんにも面白くねえんだよ。ゲームだったらいいだろ。悪さはしない。誓う」
「……どうだか。私はか弱い女ですからね。あなた方みたいな大きな男性に腕ずくで来られたら、絶対に勝ち目はないんだから……ちょっと、なにを三人してげらげらと……」
 誰がか弱いって? 傑作だね、と沢崎さんは言い、あなたのその怒った顔が……と真柴さんはますます私の手を握り締め、中根さんまで声を上げて笑っている。まったく、なんて失礼な……と考えてよけいに怒り顔になったのだろう。真柴さんが言った。
「なんとも魅力的なひとだね。司の気持ちが手に取るようにわかったよ。そう、ゲームをしよう。あなたになにをしようってんでもないけど、司、悠介、勝負しないか」
「なんの? 剣道か」
「剣道は俺には無理だ。豪と司がやればいいだろ。モップでも借りてこい」
「悠介、神聖な剣道をなんと心得てるんだ、おまえは」
「なにが神聖だ。豪、おまえが剣道の段位を持ってるだなんて、剣道の神が知ったら怒り狂うぞ」
「司はいいのか」
「……同じようなもんだな」
 これだけ綺麗な顔をして、どう見ても普通じゃない男性三人も、口喧嘩をしてるとうちの男性たちと変わらないんだな、と思うと笑えてきた。怒るのをやめて笑っていると、真柴さんが提案した。
「ダーツにしようか。美江子さん、勝った者には褒美をいただけますか」
「……褒美?」
「ここにキスでも?」
 と頬をさす。
「……中根さんは私にキスなんかしてほしくないでしょ?」
「勝者への褒章としてなら、喜んでしていただくよ」
 なりゆき上、それだったら……となってしまった。私のキスがご褒美だなんて、本橋くんが聞いたら大笑いしそう。そんなふうに考えつつダーツ勝負を見ていると、なんだか不安になってきた。助けて、と誰かを呼ぶのは癪でなくもないけれど、呼びたくなってきた。
「ちょっと待ってね。お化粧直しをしてくるから」
 女にはこの口実が使える。私は化粧室に行き、携帯電話を取り出した。誰にしようかと迷って選んだのは乾くんだったのだが、電話に出てくれない。そうなると本橋くんだ。
「……はい」
「本橋くん? どこにいるの?」
「ええーと、ここは……」
 幸いにも彼は、この店から近い場所にいる。どうした、なにかあったのか? と急き込んで尋ねる本橋くんに、私は言った。
「本橋くんってダーツはできる?」
「できなくはないけど」
「男性四人のダーツ勝負、したくない?」
「男四人? 誰と誰だ?」
「真柴さん、沢崎さん、中根さん……」
「沢崎だ? おまえ、沢崎といっしょか。行く」
 あとのふたりはどうでもいいのか、本橋くんは私から店の地理を聞き出し、待ってろ、と言い置いて電話を切った。
 誰とどこにいてなにをしていたのかは知らないけれど、私が頼んだ通りに偶然をよそおって、本橋くんが店に入ってきた。
 中根さんはラベンダー、沢崎さんはエメラルド、真柴さんは漆黒と、その美貌との相乗効果でおしゃれすぎるほどおしゃれに見えるセーター姿の三人と引き比べれば、本橋くんは普通も普通だ。紺のダウンジャケットを脱ぐとチェックのシャツにジーンズで、シンガーというよりはしゃれっ気もない一般男性。
 おまけに、FSの中ではもっとも背の高い本橋くんが小柄に見える。中根さんが百八十三、沢崎さんが百八十四、真柴さんが百八十七センチだそうで、百八十センチにわずかに満たない本橋くんだって、身長も体格も決してひけは取っていないのだが、なにが彼を小さく見せるのか。
 それでもダーツの試合をはじめると、本橋くんは負けてはいなかった。あまりにもかっこよすぎる男性たちと比較すれば、もっさりとも見えかねない本橋くんが、勝負ごととなると堂々とするのは、彼の天性の負けず嫌いゆえだろう。ひいきをしてはいけないのだけど、私は我知らず、本橋くんの応援に力を込めていた。
 店の壁に貼られたダーツの的を目掛けて、彼らの投げる矢がまっすぐに飛んでいく。力が必要な競技であるようで、私もやってみたら的まで届かなかったのだが、彼らの投げた矢は的の中心近くに的確に突き刺さる。
「本橋くんも上手なんだね。よくやってるの?」
「あまりやったことはないけど、コツさえつかめばむずかしくはないな。しかし、これってなんの勝負だ? なにか賭けてるのか、沢崎?」
「誰が勝者か決まったら、賭けてるものもわかるさ」
 賭けなんかじゃないはずなんだけどな……いつの間にかすりかわってない? 抗議しようかと考えていたら、突如として真っ暗になった。停電? 暖房も切れた? にしても、急に寒くなってきたのはなぜ? 暗闇の中にいたのは一瞬だったのか、何分かだったのか、時間の観念もなくなってしまい、目をしばたたいていたら、暗転していた周囲が明るくなった。
「な、なんだ?」
「どうなってるんだ?」
「ここは?」
「うわっ!! 美江子さんっ!」
 先刻までいたのは、酒場ではなかった? 酒場のほの暗い灯りの中で、私は男性四人のダーツを見物していたはず。あれはなんだったの? ここはどこ? 外? 昼間? それよりもなによりも……ええーっ!! 本気で悲鳴を上げそうになったとき、中根さんが叫んだ。
「本橋、脱げ!」
「あ、あ、ああ……うわっと! 目を閉じろ!! 見るなっ!!」
 思わずしゃがみ込んだ私の身体を、本橋くんが彼のシャツで包んでくれた。思いもかけない状況になって、私は目を見開いて声も出せず、大きなシャツに包まれて震えているしかなかった。私は……裸だ。靴も履いていない生まれたまんまの裸……他の男性たちの服は咄嗟には脱げないから、本橋くんがシャツを脱いで私の身体を覆ってくれたのだった。
 なんだなんだ、どうなった? ここはいったい……と、周囲を見回したり、口々に言ったりしている男性たちを見上げて、私は凍りついていた。戸外にいるのはまちがいないようだが、彼らの服装は先刻と変わりない。私ひとりが裸。寒い。寒いのは我慢できるとしても、私だけが裸というこの状態には耐えられそうにない。本橋くんのシャツを着せてもらったから全裸ではなくなったけれど、半裸にはちがいないのだから。
 回りのことなど考えられなくなって、私はシャツの前をしっかりかき合わせ、恐る恐る我が身を検分した。チェックのシャツを羽織ってはいるものの、膝から下にはなんにもない。シャツの中にもなんにもない。舗装もされていないごつごつした地面にしゃがみ込んで、ただただ惚けているしかなかった。
「……歩いてみるしかないのか。ここがどこなんだかもわからないんだから、闇雲に歩かないほうがいいのか。この場にとどまっていたとしても、なにもはじまらないな」
 しばしののちに真柴さんが言い、本橋くんも言った。
「歩くにしたって、山田は靴も履いてないんだ。俺の靴を貸すにしてもでかすぎるだろ。服だってどれもこれもでかすぎる。ここはけっこう寒いから、このまんまじゃ山田が凍えちまうよ」
「コートや革ジャンは消え失せちまったな」
 中根さんも言い、沢崎さんも言った。
「豪と悠介と俺はセーターを着てるから、寒いったって知れてるよな。本橋は下は半袖じゃないか。おまえも寒いだろ」
「俺は寒くなんかない。問題は山田だよ。なんだってこいつだけが……」
「原因を探るのはあとにしよう。ここで議論していても意味はない」
 真柴さんが言った。
「先決問題は美江子さんだな。その格好では気の毒だ。本橋、Tシャツも脱いでくれ」
「豪、本橋を裸にさせるのか」
「司、待て。すこしでも美江子さんを楽にさせてあげるためだ。美江子さん、これを着て」
 見ないから、と言われて、私はシャツを脱いで素肌に本橋くんのTシャツを着た、その上から中根さんのセーターをかぶり、沢崎さんの靴下を履き、真柴さんのスカーフを首に巻き、もう一枚、真柴さんのセーターも着た。もこもこに着ぶくれて、あたたかくはなったものの、下着がないからすうすうする。
 本橋くんは厚手のシャツ一枚きりで、中根さんはシルクのシャツ一枚きり、真柴さんは黒のTシャツ一枚きり、沢崎さんは靴下なしで靴を履いて、かっこよくもなくなってしまって、そんな姿を見ていると泣きたくなってきた。ようやく口も動くようになったので、私は言った。
「……私ばっかりあったかくなって……そんなのいや。Tシャツと靴下だけでいいから、他は返す」
「そうはいかないよ。いくら本橋のTシャツがでかいったって、この寒空に美江子さんをそんな格好にさせておけない。寒くなくても目の毒だ」
 弱々しく微笑んで言う沢崎さんを見返していたら、真柴さんが言った。
「俺も剣道をやってるから、それなりに鍛えてあるから大丈夫だよ。本橋も頑丈そうだし、大丈夫じゃなさそうなのは悠介かな」
「馬鹿にするな。俺のは長袖だから平気だ」
「セーター着てるのは俺だけじゃないか。悠介、これ着るか?」
「おまえの服なんか着たくない。動いたら寒くなくなるだろ。歩くのも止まるのもどっちもどっちだってんだったら歩こう。本橋、あとで替われ」
「な、なに……」
「こうするとあたたかい」
 ひょいとばかりに中根さんに抱き上げられてしまって、私は抵抗した。
「降ろして。ひとりで歩くから」
「美江子さんの足元は靴下裸足ってやつだろ。そんな足で歩いたら怪我をする恐れがある」
「注意して歩くから……」
「このほうが早い。女の足は遅いから、あんたに気を使ってる暇があったら、抱えてさっさと歩いたほうがいいんだよ」
「私を抱えてたら、中根さんの足も遅くなるでしょ」
「あんたよりは早い。つべこべ言わずにおとなしくしてろ」
 見比べてみたら、中根さんが男性たちの中ではいちばんほっそり見える。なのに私を抱えて、他のひとたちに劣らないスピードで歩いていく。本橋くんは気に食わないような顔をしていたけれど、冷静に考えてみれば、私はかなりの足手まといになるはずなのだ。おとなしくしているしかない。
 それにしてもなおいっそう居心地が悪い。中根さんに抱かれてるよりは本橋くんのほうがましかな、と考えていたら通じたのか、本橋くんが中根さんの腕から私を抱き取った。
「俺のほうがいいだろ」
「ちょっとだけはね」
「そんならそうしてろ」
 ふられたみたいだな、と沢崎さんが笑い、そのようだ、と中根さんが言い、再び歩き出した。
「本橋くん、ごめんね。重い?」
「別に」
「ひとりで歩けるんだけどな」
「靴も履いてないのに歩けるか。それにだな、俺も寒いんだ。おまえを抱いてるとたしかにあったかいんだから、文句を言わずにそうしてろ」
「やだやだ。私、禁治産者になったみたい」
「なんだ、それは」
 きちんと服さえ着ていれば、せめて靴でも履いていれば、足が遅いと言われても歩けるのに。なにがどうなってこんなところに来て、なにがどうなって私だけが裸になってしまったんだろう。ここに私たちが出現した瞬間に、彼らは私の姿を見たのではないだろうか。悲鳴を上げたところをみると、見られている。
「本橋くんも見た?」
「なにを?」
「とぼけないでよね。見たのはしようがないけど、忘れなさい。いい、わかった?」
「とっくに忘れたよ」
「ほんと? ここはどこ? って訊いても、本橋くんにもわかんないよね」
「わからん」
 見渡す限り地面、空は青く晴れていて、だだっ広い荒野の道なき道を歩いている感じだった。樹木の一本もない。私たち一行以外には人もいない。荷物もない。男性のパンツのポケットには財布が入っているのかもしれないが、お金がなんの役に立とうか。私なんか服もない。ないない尽くしの一行だった。
 ひたすらに歩いていってもなんにもない。地面しか見えない。ただ、なんとなくあたたかくなってきたと思ったら、遠く遠くに泉らしきものと樹が見えた。
「暑くなってきたな。気温が上がってきたみたいだ。とにかく水はある。あそこまで急ごう」
 泉を示して真柴さんが言い、泉のもとにたどりつくと、沢崎さんがセーターを脱いで腰に巻いた。
「みんな薄着だから、気温が上がってきたのはラッキーかもしれないな。いつなんどきまた寒くなるかもわからないけど、夏みたいな気候になってきたんじゃないか。水浴びを……」
 うわっ!! と四人がまたしても悲鳴を上げ、本橋くんの腕から降りた私も焦って木陰に逃げ込んだ。ここはオアシスなのか。泉のそばに果樹があったのだ。どうして逃げたのかといえば、私の身体からセーターもTシャツも勝手に脱げて飛び散ったからだった。木陰に隠れた私に、本橋くんが怒った声で言った。
「暑くなったからっていきなり脱ぐな」
「脱いだんじゃないよ。勝手に脱げたのっ!」
「なにものかがいたずらしてるんだとしたら……」
 真柴さんも言った。
「好色な男の神かもな。美江子さんを脱がせたくてしょうがないんだ。いやあ、美江子さん、プロポーションいいね。目の毒じゃなくて目の保養になるよ」
「豪、おまえか」
 じとっと見つめる沢崎さんに、真柴さんがきょとんと尋ねた。
「俺がなんだって?」
「好色な男の神ってのはおまえか、って言ってんだよ」
「俺がどうやったらそんなことができるんだ」
「知るか。いや、しかし、実に……」
「司、なんだ?」
「なにも言ってない。おまえじゃあるまいし。なあ、この泉には入っても大丈夫か? 鮫だのワニだのはいないだろうな」
「飛び込んでみりゃわかる。おまえが食われたら俺たちは入るのはやめとくよ」
 ひでぇ、と沢崎さんは言い、本橋くんがシャツを脱ぎながら私のそばに来た。
「ほら、着ろ」
「なにするの?」
「こいつで探ってみるんだよ」
 こいつ、とは樹の枝だった。本橋くんは樹に登っていき、枝を折り、てっぺん近くに生っていた黄色い果実をもいで私に投げてよこした。本橋くんのシャツを着てボタンをしっかり留めて、泉のほうへと行くと、本橋くんが泉の中を長い枝でかき回した。
「なにもいそうにないけど、ここがファンタジーだかRPGの世界だとすると、モンスターが出てきても不思議はないな。なにが起きるかわからない世界みたいだから、用心に越したことはない。この水は飲めるんだろうか」
「本橋くんは理系なんだから、分析方法も知ってるんじゃないの?」
「器具もないのに分析はできないよ。俺がちょびっと飲んでみるしかない」
「おなかをこわしたらどうするの?」
「そうなったら、おまえたちは飲まなかったらいいんだ」
「本橋くんのおなかは特別製に丈夫だから、ためしてみるには不適切じゃないのかな」
「俺の腹はそんなに丈夫じゃねえよ」
 そうか、本橋は理系か、と、こんな際にも関わらず呑気にも言ったのは真柴さんだった。
「俺は大学では建築学部、司は情報工学、悠介は文学史専攻だ。本橋は?」
「宇宙科学。水の成分分析なんぞは専門外だよ」
「美江子さんは?」
「ここではなんの役にも立たない教育学部です」
「俺たちの専門もなんの役にも立たないか。どうだ、本橋?」
 泉の水を口に含んで、本橋くんは言った。
「味はいい。変な匂いもしない。あとは時間の経過でわかるよ」
「そっか、なら、しばらく休憩しよう」
 思い思いに泉のほとりにすわると、中根さんが言った。
「手持ち無沙汰だな。ギターはないのか」
 あるわけねえだろ、呑気な奴、と沢崎さんが呆れたように言い、私も思っていた。寒くなくなってきたら、みんな楽しそうになってきた。男ってこういうシチュエーションが好きなんだよね。私も私の服があったら、もうちょっと楽しむってこともできそうなんだけど。
 しばしそんな時間がすぎていき、私は立ち上がった。
 水鏡に我が姿を映してみた。大きなシャツ一枚を身にまとった女が、泉の中から私を見ている。暑くなってきて陽射しも強くなってきて、陽に灼けてしまいそう。肌によくないなぁ、なんて、男には理解しがたいだろう。呑気に言ってんじゃねえよ、と誰彼となく言われそうで、ひとりごとを言うにとどめておいた。
 黄色い果実は中根さんがひとくち、水は本橋くんがひとくち味わってみて、なんともなかったら飲んでも食べても大丈夫だろうということで、時間のたつのを待つしかない。
 今のところ、飢えや渇きは感じないのだが、食料も水もなしでは歩き続けてはいられない。それに、私は服がほしい、靴もほしい。シャツは本橋くんので我慢するとしても、ショートパンツとスニーカーが出てこないかと祈ってみたのだが、出てくる道理もなかった。
 当然すぎる疑問、ここはどこだ? からはじまって、男たちが議論している。結論なんか出るはずもなくて、あの酒場は異次元空間へとつながってるんだ、と本橋くんが言い、だろ? と私に同意を求めようとして口をあんぐり開けた。
「……山田……?」
「うわっと!!」
 叫んだのは沢崎さんで、真柴さんも中根さんも私を見て固まっている。私自身にも奇妙な感覚はあったのだが、それがなんなのかわからないでいると、本橋くんが言った。
「山田、立ってみろ」
 立ってみたら、奇妙さの意味がわかった。男たちが巨大化している。二倍、三倍? 私も叫んだ。
「なんなのよーっ!! どうしてそんなに大きくなるのっ!!」
 大きくなったのは俺たちなのか? と彼らはお互いを見つめ、ややあって中根さんが言った。
「回りの風景までが大きくなったんじゃないとしたら、俺たちがでかくなったんじゃない。美江子さんが小さくなったんだ。回りの泉や樹がそのままだろ。相対的に考えれば、美江子さんが縮んだ。たしかにそうかと言われると、比較するものが他にはないから断定はできないけど、美江子さんひとりが縮んだと考えるほうが無理はない。プロポーション比率は変化してないようだな。背丈が四分の一ほどに縮んで、重さは……」
 またしても私をひょいと抱き上げて、続きを言った。
「十分の一ってところか。猫か赤ん坊程度じゃないかな。この重さだと抱いて歩くのは楽だぜ、本橋」
「そのようだな。正直、普段の体重の山田をずっと抱いてるのは重かったから……」
「どうせ私は重いです。だからひとりで歩くって言ってるんじゃないのよっ。靴がないのが悪いの。服もないのが悪いの。こんなのずるーいっ!!」
 ずるいと言われても……なぁ? と本橋くんと沢崎さんが顔を見合わせ、真柴さんは顎に手を当てて考え込み、中根さんは言った。
「服も縮んだんだな。なんだ、これは。豪、仮説はないのか」
「仮説を弄しても意味はないだろ。こうなっちまったものは受け入れるしかない。美江子さん、我慢してくれ」
「そんなのって……そんなのそんなのそんなの……なんで私ばっかりーっ!!」
 いたずらをしている存在がいるのだとしたら、男の神ではない。意地悪な女の神にちがいない。でなくてどうして女の私ばかりを弄ぶ? 男たちは当惑の表情でいて、私は憤懣の持っていき場がなくて、怒るしかなかった。
「私の服はなくなってしまうは、こんなにちっちゃくなっちゃうは、私はどうしたらいいの? あなたたちに訊いてもどうしようもないのはわかってるけど、腹が立つ。私の身にもなってみて。あなたたちがこうなったとしたら、そうやって他人ごとみたいな顔はしてられないんだよ。それでなくてもか弱い女の身で、こんな世界に放り込まれたらなんの役にも立たないのに、その上なんだってちっちゃくまでなるの? どこのどいつの仕業? いたずらしてる奴がいるんだったら出てこーい!!」
 出てこいと叫んでみても、だーれも出てこない。地団太踏んでみても、私の身体はもとに戻らない。情けなくて悔しくて、涙が出てきた。
「……あんまりじゃないのよっ。こんなのやだ。いやいやいやっ!!」
「山田、ヒステリーを起こすな」
「起こしてないっ!! ううん、起こしかけてるかもしれない。むしゃくしゃして止まらない。中根さん、降ろして。軽いからって好き勝手に扱ったらもっと怒るからね」
「了解」
 猫並の大きさの私が怒っても怖くもないんでしょ? と言うとますます怒りたくなりそうなので、ぐっと耐えて言わずにおいた。ヒステリックになったり泣いたりしても、彼らを困らせるだけだろう。中身はもとの美江子なんだから、ちっちゃくなったからって子供みたいになってはいけない。そう思うのに、涙があとからあとからこぼれてきた。
「見ないで……泣けてくるんだからっ!!」
「気持ちはわかるよ」
「本橋くんなんかにわかるわけないのっ!!」
「叫ぶな。泣きたかったら泣いていいから……」
「本橋くんの許しなんか得なくても、泣きたかったら泣く」
「ああ、泣け」


3

 眠そうにもなく、熱心に読んでいた本橋くんは、そこで顔を上げた。
「ここまでなのか? 続きは?」
「やっぱり夢なんだろうな。夢っていきなり途切れるんだもの。だから続きはない」
「夏の話しってのは実話か? 沢崎が俺たちの海辺でのライヴに来た? 柴垣さんじゃねえのか?」
「そうだったよね。柴垣さんも剣道の段位を持ってるんでしょ? 沢崎さんや真柴さんも持ってるらしいから、混同したんじゃないかな。そこはフィクションだよ。フィクションっていうか、夢なんだから現実も願望も入り混じり、そういうのがアレンジされて……」
「すべてがフィクションじゃないのか? おまえ、そんな願望があったんだ」
「ないよ。夢だって言ってるでしょ。私が本橋くんの胸に……?」
 あなたの胸で泣きたかった? あのころからそんな願望があった? 私はそんなに可愛い女ではない。ただ、危機に陥った場合には、本橋くんに救いを求めたくなる。それはあったのかもしれない。
「で、俺の胸に顔を埋めて泣いたのか? おまえが?」
「ひとりで泣いたの」
「ふーん。おまえもけっこう作り話の能力あるもんな。フィクションだろ?」
「んんとね……」
 夢だよ、と言うと、本橋くんはさらに言った。
「夢にしたら記憶が鮮やかすぎるじゃないか。願望に基づいた作り話だ。おまえは実は無意識に俺に惚れてた。顔がよすぎて中身の悪い男どもにさらわれそうになって、俺を呼んでたんだろ。フィクションでそんなのを作るとは、まちがいなくそうなんだよ」
「あのね、私がこんなふうに自分を矮小な女みたいに描くと思う? あんたって私をなんだと思ってるの?」
「……そんならなんなんだよ」
「だから、夢だってば」
 うーんうーんと考えていた本橋くんは、再び言った。
「えーと、なんだって? 沢崎がおまえにキスしようとして、乾に撃退されたって? 沢崎を柴垣さんに変えたら、本当にあった話しか?」
「どうだったかしら」
 それは本当にあった話しだが、適当にごまかしていると、本橋くんは言った。
「柴垣さんだったらやりかねないな。おまえもRPGって好きなんだよな。俺もおまえの作り話の後半に似た夢は見たことがあるよ」
「作り話じゃないってば。私は乾くんじゃないんだから、こんなに長い話は作れないの」
「しかし……」
 なにやらムキになっている。本橋くんがそう思いたいのだったら、思っていてもいいけどね、と心で言って、私も尋ねた。
「どんな夢?」
「忘れた」
「本橋くんはよく夢をメモにして残してるじゃないの。作詞の参考になるとか言ってるよね。覚えてるんじゃない? メモにすると記憶にも残るんだよね。私も出てきた?」
「ああ、おまえも、うちのみんなも出てきたよ」
 彼もごまかしたいのか、私を抱きしめてあくびをした。
「明日は早くから活動するんだろ。寝ようぜ」
「うん、おやすみ、ダーリン」
「……ダーリン? うげ、鳥肌が立つぞ」
「……快感で?」
「そう思っておくのが互いのためだな。おやすみ、ハニー」
「きゃ」
 照れたのか、本橋くんは布団をひっかぷった。
 ノートを見せる前にはもったいぶってみせたものの、あれは夢にまぎれもない。長編冒険ストーリィのような夢が面白くて、目覚めてからノートにしたためたのだ。
 本橋くんも面白い夢はメモにすると言っていたから、真似をしたのもあった。あのころの私は本橋くんにキスされて、動揺していたのか。無意識的に……それは遠い昔から? いつから?
 いつからかなんて、どうでもいいんだよね。現に私たちは今、ふたりで旅をして、ふたりでホテルに泊まって、ふたりでひとつのベッドで眠っている。いつから互いの想いが恋になったのだとしても、私たちは今、こうしているのだから。
 翌朝は昨夜の言葉通りに早く起きて、おはようのキス。イギリスのおいしいトーストとおいしい紅茶の朝食のあと、街に出て、バスに乗ってビートルズゆかりの土地めぐりをした。
「ペニーレインって通りの名前? 雨じゃないんだね」
 いつだったか、幸生くんが驚いたように言っていた。
「ペニーレインって店もあるよね。ペニーレインでバーボンを、って曲もあるよね。大学の近くにもペニーレインって店、あったな」
 そのペニーレインの実物、実物と呼ぶのはふさわしくないかもしれないが、その場所に本橋くんと私はいる。夏のリバプール。この通りをジョンやポールやジョージやリンゴが走っていたり、フォレストシンガーズのようにみんなで歌っていたりしたのだろうか。
「ねえ、本橋くん、歌って」
「ペニーレインか」
 いつだって思う。私が世界でいちばん好きなのはフォレストシンガーズの歌。私にとってはビートルズよりもフォレストシンガーズだ。
 
「In Penny Lane there is a barber showing photographs
 Of every head he's had the pleasure to know
 And all the people that come and go stop to say hello 」

「Penny Lane is in my ears and in my eyes
 There beneath the blue suburban skies
 I sit and meanwhile back
   
 In Penny Lane there is a fireman with an hourglass
 And in his pocket is a portrait of the Queen
 He likes to keep his fire engine clean
 It's clean machine 」

「Penny Lane is in my ears and in my ears
 A four of fish and finger pie
 In summer meanwhile back 」

 ここで今、英語はちょっぴり怪しいけれど、素敵な歌を披露しているのは、日本のフォレストシンガーズの本橋真次郎ですよ、私の夫です、と言いたくなる。
 けれど、私の英語力では誤って伝わる恐れもあるので言わずにおいて、私も小声で歌ってみた。世界中からの観光客なのだろう。英語の発音は本橋くんよりも格段上だが、歌唱力は素人で、私と似たようなものの、通りすがりの人々も歌っていた。
   
「Penny Lane is in my ears and in my eyes
 There beneath the blue suburban skies
 Penny Lane」

END




   

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~ Comment ~

NoTitle

え?裸?!なに?!!と思ったら、現実ではないとわかって安心しました。
山田さんが危険すぎる!!と口をあけて読んでしまいました。
すごくカッコイイ人の顔を間近で見たら、下心なんかなくても照れてしまいます。
・・・乾くんが近くに居たら耐えられず逃げてしまいそうです。

今日は猫侍を映画館に見に行きました。
登場する猫が可愛くて、大興奮でした。

猫が靴下や足のにおいをかいで「ファッ?!」って顔をする動画をよく見かけますが、
くぅちゃんは匂いじゃなくて足の動きが好きなのですね・・・カワイイ・・・。

目つきの悪い黒猫を見かけなくなってしばらくたつのですが、
先日似たような猫をみかけました。
同じように目つきは悪いのですが、毛が少し茶色がかった黒?という感じでした。
黒猫なのですが、お腹のあたりはくぅちゃんのような色をしています。
もしかしたら以前いた黒猫の子供?と、思ったりしています。

ハルさんへ

いつもコメントありがとうございます。
お返事が遅くなってすみません。

このあたりのストーリィはだいぶ前に書きましたので、無駄に長くてどうでもいいような描写ばっかりで、恐縮です。

「猫侍」私も観たいです。
主演の俳優さんはあまり好きじゃないんですけど、人間なんか見ずに猫を見たらいいんですよね。
観にいこうかなぁ。

お返事が遅くなった理由は、三日間ほど旅行に行っていたからでした。
留守番のくぅはみんなが帰ってきたら、怒ったり嬉しそうにしたりしていました。
旅行先では猫もたくさん見ました。目つきの悪い黒猫もいましたし、ひとりで走っている犬も、ノラうさぎ(?)までいましたよ。
もうひとつのブログに近いうちにアップしますので、また見てやって下さいね。
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