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小説159(青葉城恋唄)

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お城

フォレストシンガーズストーリィ159


「青葉城恋唄」

1

 城が好きで好きで、大学では史学部を選び、入学したばかりのころには考えていたものだ。泉水やヒデにも話した。
「俺は城めぐりのフィールドワークがやりたいな」
 あのころは、泉水は海外青年協力隊に加わって、世界にはばたくと言っていた。ヒデは冗談まじりのように、心理学者になろうかと言っていた。
 大学三年の夏休み、城が好きなのは変わっていないが、将来なりたいものは……と考えると悩み深くなる、俺は仙台にいた。仙台といえば青葉城だ。伊達政宗の城。正式には仙台城址である。緑したたる城跡で、俺は歌っていた。


「広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
 早瀬躍る光に 揺れていた君の瞳
 時はめぐり また夏が来て
 あの日と同じ 流れの岸
 瀬音ゆかしき 杜の都
 あの人は もういない

 七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
 夜空輝く星に 願いをこめた君の囁き
 時はめぐり また夏が来て
 あの日と同じ 七夕祭り
 葉ずれさやけき 杜の都
 あの人は もういない」


 大学一年生のときに恋をした。が、恋心を打ち明けることすらできずに、彼女は見知らぬ男の妻になり、母にまでなってしまった。あのひとはもういない、ではなく、最初からいなかったのと同じだ。存在はしていても、いないのだ。
 かたわらにいるのはむさくるしい男。あのひと、であろうはずがない。城好きなのもむさくるしいのも俺と似ている、同じ学部の長野常春と語らって、ふたりで青葉城を見にきたのだった。
「長野、この歌、覚えてるか?」
「青葉城恋唄は知ってるよ」
「そうじゃなくて、おまえ、一昨年の初夏だったか……覚えてないのか?」
「なんのことだよ、本庄?」
「覚えてないんだったらいいよ」
 一年生の初夏の日に、合唱部の友達の実松が女の子たちと相談をまとめ、男女とりまぜた大人数でサイクリングに行った。実松やヒデや安西や野呂といった男子部の同級生も、榛名さんや宮村さんやリリヤさんといった女子部の同級生もいた。
 泉水や泉水の友達の高田さんや、その他の合唱部連中の友達も来て、賑やかに楽しいサイクリングだった。部外者も大勢参加していたので、俺は実松とともに長野を誘いにいったのだが、冷淡にも断られた。
 いやなんだったら来なくていいよ、と俺は言ったのだが、長野はサイクリングの後、みんなで夕食を食べた店の外にあらわれて、ヒデが彼を公園に誘ったらついてきた。
 そこまではいいのだが、長野はビールに酔って噴水に飛び込んだ。そのときに長野が下手っぴな節回しでがなっていた歌が、「青葉城恋唄」だったのだ。
 噴水に飛び込んだのもまだいい。だが、長野は翌日になって、突拍子もない行動に出た。合唱部の奴らに公園に連れ込まれ、奴らに噴水に放り込まれたと、紙に書いてキャンパスの樹木に貼り付けたのである。
 その事実を安西と実松に知らされ、張り紙の実物を実松に見せられた俺は、長野のアパートに行ってみた。長野は本当にそういうことがあったのだと思い込んでいる様子で、俺がそうではないと言っても聞く耳も持たなかった。
 諦めて俺は帰り、それからしばらくして再び長野のアパートに行ってみたら、彼の部屋は空き室になっていた。それからは学内でも長野を見かけなくなった。
 長野本人がふりまいた妙な噂は、じきに消えてしまったのだが、長野に会えなくなってしまった。俺としては気がかりだったのだが、長野が引っ越した先を知らない。学部は同じなのに、教室でも会えない。
 ひきこもりにでもなっているんだろうか、と心配しつつも、俺は勉学もまあまあ真面目にやっていたし、勉強以上に合唱部にも力を入れていたので、長野にばかりかまってはいられない。そのうちには、長野を忘れてしまっていた。
 むしろ実松が長野を気にかけていて、あいつはどうしてるんや? と尋ねたりもしていたが、俺が知らないのだから、学部がちがう実松に調べる手立てはない。いつしか実松も忘れてしまったのだろう。
 そうして人の口の端にも上らなくなった長野が、夏休み前にふらりと教室にあらわれた。よぉ、と俺に手を上げる長野に、俺は言った。
「久しぶりだな。どうしてたんだ?」
「ちょっと休学してたんだ」
「……長野に帰ってたのか?」
「うん、まあな」
「シナリオは書いてるのか?」
「書いてるよ」
 長野県出身の長野常春は、シナリオライター志望なのである。
「本庄、夏休みにどこかに遊びにいかないか」
「おまえと?」
「いやか」
「いやじゃないよ。そんなら、青葉城に行かないか。仙台の七夕は旧暦だろ。合唱部の合宿が終わったあとでも間に合うよ」
「おまえはまだ合唱部なんかにいるのか。うん、ま、いいよ。仙台にだったら僕の親戚があるから、泊めてもらえる。七夕のころでも宿舎は確保できるよ」
「俺まで泊めてもらっていいのか?」
「いいよいいよ」
 というわけで、七夕の時期の仙台にやってきた。凄まじい人出であろうから、七夕祭りは見にいけなくてもいい。この時期の仙台の空気に身をおいて、城を見ていれば満足だった。
 時はめぐり、また夏が来て、あの日と同じ、七夕祭り……俺の思い出すあのひとにまつわる「あの日」は、合唱部コンサート、ふたりきりになれたプール、告白できずに終わった十八の夏の終わり。それでもいくつかはあるではないか。
「七夕飾りはあるよな」
「なんなんだよ、本庄? さっきからなにを言ってるんだ」
「だからさ、覚えてないんだったらいいんだよ」
 覚えていないというよりも、思い出したくないのかもしれない。長野が休学していた間は、どこでなにをしていたのかは知らないが、学校に戻ってきたのだから、喜ばしい出来事だった。
「行こうか、僕の親戚んち」
「本当にいいのか」
「いいから誘ったんだろ」
「うん、じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
 地下鉄に乗ってたどりついたのは、仙台市内の民家だ。表札は同姓であるからして、長野の父方の親戚なのだろう。なんであっても長野はちっとも詳しく話さないのだが、連絡はしてあるそうだから、俺も長野について玄関のドアをくぐった。
「あら、常ちゃん、よく来たね。こちらがお友達? 本庄さんよね。いらっしゃい。どうぞどうぞ」
 出迎えてくれたのは、年のころなら三十代か四十代か、俺には見当もつかない女性だった。
「よ、おばちゃん、来たよ」
「本庄繁之です。ご厄介をおかけします」
「さあさあ、挨拶なんかいいから上がって。暑かったでしょ? ビールにする?」
「おー、いいね。本庄も飲むだろ」
「え、あの……」
 すでに二十歳になっているのだから、ビールだって堂々と飲める。しかし、あつかましいのではなかろうか。
 あのひとに恋心を打ち明けられもせずに別れたあの日、俺は乾さんのアパートにはじめて連れていってもらった。合唱部の一年先輩の乾さんと、同年の本橋さんのデュエットを初に聞かせてもらったのもあの日だ。
 酔い潰れて寝てしまった俺をほっぽって、乾さんと本橋さんとヒデは、遅くまで話していたのだろうか。憧れの先輩の前で醜態をさらして、失恋したとも口走った俺に、三人はとりたててなにも言わずにいてくれた。
 それまでだって飲み会でビールくらいは飲んでいたのだが、十八だった俺が初に、ビールをがぶがぶ飲んだのもあの日だ。あの日がきっかけになって、本橋さんや乾さんと親しくなれた。シゲ、ヒデ、とふたりともに呼んでくれるようにもなった。
 なのだから、失恋だって悪いことばかりでもなかったんだ。そう考えている俺の前に、ビール瓶やコップやおつまみがずらずらっと並び、夕刻の宴会がはじまった。
「お世話になります、いただきます」
「本庄さんはお行儀いいんだね。気にしなくていいのよ。私はひとり暮らしなんだし、気兼ねしなくちゃいけない人間はだーれもいないんだから」
「おひとりなんですか」
「そうなの」
 長野が言わなくても、彼女が話してくれた。
「私は常ちゃんのお父さんの兄の妻だったの。常ちゃんのお父さんよりも、私の亭主はだいぶ年上だから、ずいぶんと年が離れてたのよ。その亭主は去年、おっちんじまって、私は未亡人になったってわけ。この家は持ち家だし、子供はいないし、私も働いてるから、ちゃんと食べていけてるんだよ」
「そうなんですか。ご愁傷さまでした。ええと……お名前は? 長野さんとお呼びしてよろしいんでしょうか」
「おばちゃんでいいよ」
 いくつなのかは知らないが、おばちゃんとは呼びにくい。彼女はおばちゃんといった雰囲気ではない。長野にとっては義理の伯母なのだからよいのだろうが、俺から見たらおばちゃんではない。
「さーてと、あんたらは好きにしてて。冷蔵庫に食べるものも入ってるし、私が留守でも自由にしてていいよ。なんでも食べて飲んでいいからね」
「お仕事なんですか?」
「そ。私はスナックのママさんなんだ」
 この雰囲気はそのためか。水商売だと言われればうなずける、化粧も濃くて派手なイメージではあった。
「行ってらっしゃーい。帰ってこなくてもいいからな」
「帰ってくるよ。ここは私の家なんだから」
 おばちゃんと呼ぶしかない女性は、甥と遠慮もない会話をかわし、おばちゃんはさらに濃い化粧とさらに派手な服装になって出かけていった。
「いいからいいから、飲んで食ったらいいんだよ、おばちゃんも喜ぶんだから。本庄はすっげえ食欲なんだろ。おばちゃんちの冷蔵庫を空にしてもいいんだからさ」
「うーん、あつかましすぎないか」
「いいんだよ」
 近頃では酒にも慣れてきたとはいえ、土佐の酒豪の血筋を引くヒデのようにはいかない。長野に勧められるままに飲んで食っているうちに眠くなってきて、ぱたっと意識が途絶えた。それからどのくらい寝ていたのだろうか。目が覚めたのは囁き声でだった。
「……うふっ、いいね、若いって」
「……黙れよ」
「あんたと私は血はつながってないんだから、いいんだよ、全然いいんだからね」
「わかってるよ。黙れって」
 顔から血の気が引いていった。伯母と甥の……えええ? いくら俺が鈍いといっても、このムードがなんなのかはわかる。
 血はつながっていないからいい? そういう問題なのだろうか。俺はどうすればいいんだろう。ひめやかな気配はとなりの部屋から伝わってきていて、俺はひたすら、狸寝入りを決め込むしかなかったのだった。
 翌朝はけろりとして、昨夜はなんにもなかったよ、みたいな顔をしている長野を、正面から見るのがつらかった。
「本庄、今夜もここに泊まるだろ。今日はどこに行く?」
「……おばちゃんは?」
「おばちゃんは寝るのが遅いから、起きるのも遅いんだよ。昨日は城しか見てないから、今日は市内観光でもしようか」
「うん、そうだな、いや、でも、俺は帰るよ」
「もう帰るのか?」
「俺は青葉城を見られただけでいいんだ。おばちゃんにはよろしく言っておいてくれ。帰るから」
「変な奴だな」
 変なそぶりをして、長野は気がついたのではないか、俺が聞いていたと? そうと俺が気づいたのは、東京に向かう電車に飛び乗ってからだった。


2

 その年のうちに本橋さんと乾さんに誘われて、俺はフォレストシンガーズの一員となった。本橋真次郎、乾隆也、小笠原英彦、三沢幸生、本庄繁之の五人グループは、そこから一歩ずつ歩き出したのだ。
 二十二歳でヒデが脱退し、それっきりヒデは行方知らずになったのだが、ヒデのかわりには木村章が参加した。まがりくねった道を歩き続け、俺が二十三歳でメジャーデビューを果たした。二十六歳になって、ようやくもようやく、俺には本当の意味での恋人ができた。そのひとの名は、テニス選手の川上恭子。
 二十七歳の秋に、俺は川上恭子と結婚した。結婚式に出席してくれた実松が、二次会の席上で長野の名前を出した。
「あのな、さっきもちらっと言うたやろ。長野は今でもシナリオを書いてるらしいで」
「なんでおまえがそれを知ってる?」
「フォレストシンガーズと金子さんが声の出演をしてた、「水晶の月」や」
「あれは長野が書いたんじゃないだろ。作者のみずき霧笛さんには会ったよ。みずきさんにしてもペンネームだけど、長野じゃないよ」
「あれとちごて」
 実松が言うには、「水晶の月」が大賞に選出されたラジオドラマシナリオ公募に、長野常春がシナリオを応募してきていたのだそうだ。
「あれは沢田愛理さんの局やねんやろ。沢田さんがシナリオの審査をしてたひとに言われたんやて。私はフォレストシンガーズの出身校の出身や、って書かれたシナリオが応募されていた。それすなわち沢田さんの母校やろ。俺の母校でもある大学の卒業生の、長野常春が応募してきてたんや」
「なんでおまえが知ってるんだよ」
「鈍い奴っちゃな。酒巻に聞いてんやんけ」
「あ、そうか。なるほど」
 女子合唱部の先輩、沢田愛理さんはラジオアナウンサー、男子合唱部の後輩、酒巻國友はラジオDJである。仕事で関わりができて、酒巻は沢田さんに可愛がってもらっていると言っていた。
 結婚式に招待するほどには、沢田さんと俺は親しくなかったのだが、酒巻は招いた。実松も酒巻とは卒業後も親しくしているし、ゲストテーブルでも同席していたのだから、そんな話はいくらでもできたのだろう。
「沢田さんは落選作品になんかなーんも興味ないみたいで、酒巻にはこんなこともあったで、って話しただけやろな。沢田さんも酒巻も長野は知らんねんから、そんなもんやろ。そやけど、俺は酒巻から聞いてなつかしかった。シゲは長野がどないしてたんか、知らんかったんか」
「知らんよ。一年のときにあいつが変な張り紙をして、そのあとで、おまえが気にしてて、なにか話したよな。それっきりだ」
「そっかぁ。そやけど、長野は今でも元気にシナリオを書いてるんや」
「落選したんだな」
「そうみたいやけどな」
 実は三年生の年に、と話せば、ほんでなんでおまえは先に帰った? となるだろう。そうすると、あの夜の話を……したくないので言わずにおいた。
 それからまた六年がすぎ、俺は三十三歳になった。恭子とは結婚して六年。妊娠を機に恭子はテニス選手を引退し、専業主婦となった。
 二年前に誕生した長男の広大もすくすく育っている。長野の噂はあれ以来聞かないが、今でもシナリオを書いているのだろうか。案外、ペンネームを使って世に出ているのかもしれない。
 ひょっとしてあの夜の出来事を形を変えて、シナリオにしたりしてないか、長野? 作家なんて稼業の者には、ああいった経験も糧になるのだろうか。フォレストシンガーズのメンバーにしたところで、恋やその他の経験は、作詞作曲の糧になると言っている。
 恋の経験もろくにないから、俺には詞も曲も書けないのだとひねくれていたが、恭子と恋をしていても書けなかった。これはもう、天性の才能が欠如しているのだろう。
 デュエットでごいっしょした、美人シンガーに訊かれたこともあった。
「本庄さんは作詞作曲はなさらないの? フォレストシンガーズのみなさんは、ソングライターでもあるんでしょ?」
「はあ、俺も書かなくはないのですが……」
 見栄を張ってみても結局は書けなかった。あのときはたしか、おまえの書いた曲は既成の曲の寄せ集めだと乾さんに指摘されて、泣きたくなってスタジオの外を走ったのだった。
 そのくせ書きたくて脂汗を流して苦吟してみたりしても、どうにもこうにも書けなくて諦めつつあったころに、ヒデが夢に出てきて曲を教えてくれた。その曲に乾さんが詞をつけてくれて、本庄繁之作曲、とクレジットされた歌が初にCDデビューした。
 あれからも一、二度は作詞や作曲をしてみたのだが、いいものはいい、悪いものは悪いんだ、と乾さんにシビアに言われて、俺はいつだって恐れ入るしかないのである。
「シゲ、これは駄目だ。没」
「あのね、乾さん、どこが悪いのか教えてもらえませんか」
「どこが悪いのか自分でわからない奴に、作曲も作詞もする資格はないんだよ」
「そうですね。すみません」
「おい、乾、おまえはきつすぎる」
 横から本橋さんが言い、幸生が譜面を取り上げた。
「……シゲさん、これ、あのさ、俺は作曲は苦手だからあんまり言えないな。章、見てみろ」
「んん? ぎゃは……いやいや、失礼。いや、しかし……ぎゃはは」
「章、笑うな」
「だってさ、リーダー、笑えるんだもん。シゲさーん、すみませーん」
「いいよいいよ。わかったよ」
 幾度かそうやって、乾さんには叱られ、本橋さんを困らせ、幸生をも困らせ、章には失笑された。それでもそれでも、負けてたまるかと書いた詞と曲が時には乾さんに合格点をもらって、本庄繁之作詞が一曲、本庄繁之作曲が一曲、フォレストシンガーズのアルバムに収録されている。
 才能に乏しすぎる俺のかわりといってはなんだが、近頃は神戸の電気屋さんがたまに曲を提供してくれている。神戸の電気屋さんとは、小笠原英彦、戻ってきたヒデだ。
 歌の仕事で仙台には何度か訪れているのだが、今回はプライベートでやってきた。実松と彼の奥さんのひとみさん、彼らの一粒種のかよ乃ちゃん。ヒデと泉水。恭子と俺と、俺たちの長男の広大。
 赤ん坊と幼児と、三十代の女がふたり、ぎりぎり二十代の女がひとり、三十代の男が三人の一行である。
 ほとんど忘れていた長野を思い出したのは、青葉城が見えるからでもある。夏の青葉は青葉城にはまたとなくよく似合っていた。
「かよ乃ちゃんと広大くん、将来は結婚する?」
 まだ赤ちゃんのかよ乃ちゃんをあやしつつ、泉水が言った。
「広大くんはどう?」
「こんなちっちゃいのと?」
「今はちっちゃいけど、そのうち美人になるんだよ。今から予約しておかないと、よその男にさらわれちゃうよ。ねえ、恭子さん、広大が生まれたときに、幸生くんが言ったよね」
 広大はまだ二歳なのできょとんとしていて、恭子が言い返した。
「シゲさんそっくりだからもてないって? 三沢さんだって独身じゃないのよ」
「俺はもてすぎて結婚できないんだって、幸生くんは言ってたよ」
「もてすぎて結婚できないよりは、もてなくても妻子がいるほうがいいよね、シゲちゃん」
「うん、もちろんだ」
 力強くうなずくと、実松も言った。
「俺はシゲよりはもててたけど、結婚もできたで。こんなにも美人の嫁と、こんなにも可愛らしい娘ができて、俺がいっちゃん幸せや。なあ、ひとみちゃん?」
「そうだよね、パパ」
「しかし、シゲの息子とうちの娘が……どないする、ひとみちゃん?」
「うーん、困ったね、パパ」
 誰がパパじゃい、と呟いたヒデも言った。泉水は昔の俺との約束、標準語で喋ろうな、を守っているのか、大阪で暮らしていてもめったと大阪弁は出さないのだが、ヒデは各地の方言入りまじり言葉になっている。
「俺もシゲよりはもててたで。シゲよりももてん奴なんか、この世にはおらんきに。な、実松? 部室でそんな話もしたよな」
「ああ、したした」
 もうっ、失礼なひとばっかり、と恭子が怒ると、広大が恭子に抱きついた。
「ママ、おこったらやだ」
「広大に怒ってないよ」
「パパにおこってるの?」
「ちがうの。この失礼なおじちゃんたちにだよ。この失礼なおばちゃんにもね」
「おばちゃんってひとみさん?」
「あなたです、泉水さん」
「私はおばちゃんじゃないもん。独身はお姉さんだよ。恭子さんったら、ひとみさんはおばちゃんだなんて言ってるよ」
「泉水さんが言ったんじゃないのよっ!!」
 他愛なくもめている女性たちを見ていると、おばちゃん……思い出しそうになって頭を振った。
「青葉城っつうと、俺はどうしても長野を思い出してしまうんや。ヒデは覚えてるか?」
「長野って誰やった?」
 ほら、一年のときにな、と実松が話し、ヒデも相槌を打っている。俺はちょこちょことそばに寄ってきた広大を膝に乗せて、目の前にそびえる青葉城の天守閣を示した。
「あれ、お城だよ。このお城の歌があるんだ」
「おうた?」
「広大は知らないよな」
「パパ、おしごと、おうた、知ってるよ」
 二歳児はこんなものなのだろうか。シゲの息子にしたら言葉は早いほうだね、あ、そか、恭子さんの息子でもあるからか、と言っていたのは泉水で、幸生は言っていた。
「広大のパパのシゲさんのお仕事は、お歌なんだよ」
 我が家に遊びにきていた幸生の台詞を、広大が記憶したのか。記憶力はいいではないか。しかし、幸生はこうも言っていた。
「早く大きくなれよ。大きくなったら、兄ちゃんがいいこと教えてやるからな」
「てめえ、うちの息子にナンパなんか教えるなよ」
「あら、シゲさんったら、いたの? やーねー、えへへのへ。見抜かれちゃったぁ」
 いくつになっても幸生はあれだ。幸生も乾さんも章も独身のままなのは気がかりではあるが、俺が心配してもしようがないので、頭を現在へと切り替えた。
「広大、お歌、歌おうか」
「うん、パパ、いいこえ、ママが言ってた」
「そりゃそうだ」
 おまえのパパの一番のとりえはこの声なんだから。俺は息子を膝に抱いて歌った。
 
「青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
 樹かげこぼれる灯に ぬれていた君の頬
 時はめぐり また夏が来て
 あの日と同じ 通りの角
 吹く風やさしき 杜の都
 あの人は もういない

 時はめぐり また夏が来て
 あの日と同じ 流れの岸
 瀬音ゆかしき 杜の都
 あの人は もういない」

 時はいくつもいくつもめぐり、また夏がきて、あのひとはずっと俺のそばにいる。もはや俺の「あのひと」は恭子しかいない。
 フォレストシンガーズも売れてきた。残る三人の独身男への懸念は置いておくとすれば、俺には不安なんてひとつもない。満腹すぎて幸せすぎて、こんなに幸せでいいのだろうかと思える。気持ちよく歌っていたら、恭子が耳元で言った。
「ねえ、シゲちゃん、嬉しい?」
「嬉しいよ。ここにはきみも広大もいて、実松もひとみさんもかよ乃ちゃんもいて、ヒデも泉水もいる。仕事とは別に、俺の大切なひとばっかりがいるんだもんな」
「それもだけど、できたみたいよ」
「えっ?! じゃあ、恭子、旅行なんかしたらいけなかったんじゃないのか?」
「ふたり目だもん。順調だしさ、平気平気。嬉しいよね、シゲちゃんも」
「そりゃそうだよ。嬉しすぎて気絶しそうだ」
「三沢さんみたいに言わないで。そしたらさ、発表していい?」
「う、うん」
 初妊娠のときには恥らってもいたのだが、恭子も強い母になったものだ。いや、もともと強いのだから、女は強し、さらに母は強し、なのであろう。
「みなさーん、聞いて聞いて」
 えっへん、広大がもうじきお兄ちゃんになりまーす、との恭子の発表を聞いて、友人たちが一斉に拍手してくれた。広大までが手を叩いていて、実松に抱かれたかよ乃ちゃんも、もみじのような手をぱちぱちやっている。
 今、この瞬間、幸せすぎる俺の歓喜を、世界中のすべてのひとに分けてあげたい。そこまで思うほどに、俺は幸せだった。

END
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