番外編

番外編52(素顔のままで)

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番外編52


「素顔のままで」


1・隆也

 その名を聞いたときには、俺の胸の中に小さな棘がささったくらいの気分だった。
「寺島彩花です。どうぞよろしくお願いします」
 細身で小柄な女性新人シンガーが、我々フォレストシンガーズの楽屋を訪ねてきてくれて挨拶してくれた。テレビで共演するのだから、当然の行為といえる。
 この業界も年功序列が幅を利かしていて、先輩後輩のけじめはなかなかきびしい。売れてる者勝ちの世界ではあるけれど、キャリアの浅いほうが高いほうにへりくだるのは、日本社会の風習なのであろう。
「ああ、本橋です。よろしく。きみはまだデビューしたばかりなんだろ」
 リーダー本橋が鷹揚に彼女に話しかけ、残る四人も自己紹介した。
「木村章です。よろしくね」
「三沢幸生でーす。ユキちゃんって呼んでくれてもいいんだよ。彩花さん……彩花ちゃん……どこかで聞いた名前だな」
「本庄繁之です。乾さん、挨拶しないんですか」
「あ、名乗り遅れました。乾隆也です。五人まとめてフォレストシンガーズです」
 このようなときにはよくやるように、よろしくー、とハモってみせると、彩花ちゃんは嬉しそうな顔をしてくれて、可憐に頭を下げて楽屋から出ていった。
「ねえねえ、乾さんは思い出しません?」
 それはそれだけの出来事だったのだが、帰りがけに幸生が話しかけてきて、ふたりで連れ立って外に出た。
「俺も彩花ちゃんの名前を聞いてから、なんだろ、なんだろ、どこで聞いたんだろ、って思い出してたんですよね。あの話って俺以外の誰かにもしました?」
「あの話とはどの話だ?」
「ソロシンガー乾隆也、彼の恋人の名は彩花」
「あっ!!」
 胸に刺さった棘がすっと抜けた。
「それだったか。それで彩花って名が……おまえはそんなものをよくも覚えてたな」
「忘れませんよ。そのあとのユキちゃんが隆也さんの恋人になった空想話だって、俺は忘れてません。幸生の記憶力のよさを乾さんは知らないんですか」
「知ってるけどさ」
「無意識だったのかもしれないけど、みずきさんにお願いした小説のテーマにも、それが含まれていたんでしょうね。乾さんとそんな話しをして、俺の妄想が確固とした形になったんだよ。みずきさんは俺の想いを読み取って、ああいった小説を書いてくれたんですよ」
「ふむふむ」
 すでに本となって世に出ている、みずき霧笛の小説がある。みずきさんとは数年前の「水晶の月」というタイトルのラジオドラマのシナリオライターだ。
 昔から妄想話のたぐいはしていて、おまえの妄想はとめどもない、と本橋に言われていた。乾さんは妄想巧者だと章も言い、そのわりには月並みだと幸生には言われた。シゲはシゲで、俺にはそんな頭はありませーん、と言っていた。
 妄想の産物である、ソロシンガー本橋真次郎と乾隆也のストーリィを幸生に話した。そのときに隆也の恋人と設定したのが彩花。姓はつけていなかったのだが、まったくの架空の女性だった。
 フォレストシンガーズの乾隆也ではない俺。俺はそうだとしてもシンガーになっている。本橋だってシンガーになって、いつかどこかでめぐり会って彼とは友達になる。そう考えて練った妄想だ。本橋の恋人には友香子、俺には彩花。双方ともに架空の女性も登場させた。
 あの話は幸生にしかしていないはずだが、そのときには幸生はユキを俺の恋人に設定し、俺は例によって妄想をふくらませて、別人の彩花までを空想していたのだった。
 空想や妄想をくっきりとは覚えていないが、幸生は他の際にだって、隆也さんはユキの恋人、などと言っていたのだから、みずきさんの小説を読ませてもらっても、俺には意外でもなかった。ああ、こうなるわけね、だったのだ。
 みずき霧笛作「A girl meets a boy」は、十八歳大学一年生の三沢ユキと、二十歳で大学三年生の乾隆也のラヴストーリィを軸に展開していく。ガキのユキとガキの隆也の恋愛なのだから、ふたりは喧嘩ばかりしている。そこに本橋やシゲやヒデやミエちゃんや金子さんや徳永も出てきて、彼らも彼ららしく描かれていた。
 シナリオライターが本職のみずきさんの処女小説であるのだから、稚拙な部分はあったのだろう。俺にしても評論家でもないのだから論評はできないが、楽しく読ませていただいた。
 幸生はみずきさんから、出版してもいいかと問われ、激しく迷ったのだそうだ。幸生がみずきさんにお願いして書いてもらい、幸生をユキにしてほしいと依頼したくせに、小説のキャラとなったユキは恥ずかしかったらしい。
 らしくもないとはいえ、俺にも恥ずかしい気持ちは理解できる。なにしろ、ユキと隆也のベッドシーンまであるのだから。
 激しく迷った末に、幸生は出版を承諾した。実は目立ちたがり幸生としては、嬉しい気分も強かったのだろう。俺も相談はされたのだが、プロのライターが執筆した作品を出版するのは当然であろうから、ご自由になさって下さい、と応じておいた。
 やがてみずきさんは「A girl meets a boy」の他にも短編を書き、一冊の単行本にまとめて出版した。俺自身のみならず、友人や先輩や後輩たちが一種別人格になって続々と登場する短編集は、俺にとっては面映くもあり、面白くもあり、興味深く浸れた。
 みずきさんに幸生が依頼した小説の参考になったのが、俺の妄想話でもあったのだろう。幸生は以前から言っていたのだから、ほんの一端にすぎなかったのだろうが、それが彩花さんの名前とつながるのだ。
「彩花ってそんなに珍しい名前でもないだろ。俺の妄想の彩花には姓はなかったんだから、同姓同名でもないよ」
「姓はなかったよね。でも、あの彩花ちゃんとこの彩花ちゃんは、ルックスも似てますよ」
 記憶力の優れた幸生は、俺の妄想彩花の外見や性格までもをよく覚えていた。
「小柄でほっそりしてて、泣きべそ顔の似合う彩花。俺の理想のタイプでもあるんだもんね。乾さんが最初に妄想したほうは大人だったけど、今夜会った彩花ちゃんは、あとのほうに似てるでしょ。隆也さんと同棲してて、お風呂に連れていこうとしたら猫のユキが出てきて邪魔したってほう」
「ああ、そのようだな。しかし、おまえは他人の妄想までを……」
「楽しかったんだから覚えてますよ。男の幸生は幸いに生きるで、女のユキはカタカナ。猫の雪はスノウの雪」
「漢字設定までしたんだな」
「スノウだから純白の猫だね。清廉無垢な真っ白な猫は、ユキちゃんの化身なのよ。猫の雪は女の子でしょ」
「どっちでもいいよ」
「よくない。女の子です」
「はい、女の子です」
 猫でさえもメスがいい幸生なのだから、俺もうなずいておいた。
「あの続きはないんですか」
「続きかぁ……実物の彩花ちゃんと会ってしまったら、やりづらいな」
 知り合いにいる名前だとやりづらいからこそ、俺の記憶には彩花という名の女性はいないからこそ、使った名前だった。そこまでは当時は考えていなかったのだが、そうだったのだろう。
「そうだね。本物の彩花ちゃんはいくつなんだかは知らないけど、美少女の彩花ちゃんを妄想に登場させたら、彼女をいじくって遊んでるみたいじゃん。乾さん、そんな無礼な真似はしちゃいけませんよ」
「しないよ。やりそうなのはおまえだろ」
「僕ちゃんだってしないわよ。それよりもさ、ユキと隆也の恋を実践しましょ」
「三十すぎたユキと隆也か?」
「げっ。興ざめ」
 興ざめだと言ったくせに、幸生は考えを変えたらしい。
「隆也さんは実年齢でもいいの。幸生は永遠の美少年なんだから、ユキちゃんも永遠の美少女なのよ。隆也さん、ユキを捨てないで」
 この芝居こそ永遠に続くのであるようで、俺も覚悟を決めて乗るしかないのだろう。ここにいるのは十六歳の美少女、ユキ、俺はそう妄想しようとした。
 実際には三十歳を超えた三沢幸生は、テレビ局での録画取りを終えて私服に着替えている。年齢よりも若いファッションなのも永遠なのかどうか、今夜もボーイズファッションに近い。いまだ少年めいた体格を、真っ赤なTシャツとベージュのハーフパンツに包んでいる。
 うふんうふん、ごろにゃん、くんくんくん、と猫だか犬だかみたいな声を出し、俺にしなだれかかってくる幸生、ではなく、ユキと見なして、俺は細い身体を抱え上げた。
「あらーん、ユキちゃん、こうやって隆也さんにさらわれていくのね。どうにでもして」
「どうにでもしていいんだな」
「え? きゃっ!!」
 抱き上げると少々重いので、肩にかつぎ上げた。
「女の子にそんな乱暴なっ!! でも、素敵」
「こうするとおまえの脚が見えるんだ。脛毛を剃れ。女なんだろ」
「そんなのって差別よ。毛深い女は嫌いなの? 女の子にだって脛に毛がはえてる子はいるのよ。ユキには髭もはえるんだからねっ」
「うちの女房にゃ髭がある、ってか」
「女房にしてくれるの? 隆也さん、結婚式場までさらっていって」
 ああ言えばこう言う奴なのもとうに知っているが、脛毛はないことにしよう、ではなく、こう出るのか。
「毛深い女はいやだってのは差別かもしれないが、俺の趣味ではないんだよ。ごめんな、ユキ。電気髭剃りだったら車にあるから、脛は剃ってくれるか。髭も永久脱毛してくれ。性転換もしてくれ。戸籍には目をつぶるから、おまえの身体が女になったら内縁の妻にしてやるよ」
「隆也さんってば、妄想も芸が細かいのよね。ゲイじゃなくて芸人の芸よ」
「知ってるよ。剃るのか、ユキ?」
「あのさ、そろそろやめません?」
 やめようと言い出すのは俺の役目なのだが、今夜は幸生が言っている。かまわずかついだままで駐車場のほうへと歩いていくと、幸生は言った。
「ユキったら、野蛮な男に拉致されて強奪されて、無理無体にも手篭めにされて花嫁にされてしまうんだわ。隆也さんってばお髭が青いの?」
「青髭か」
 童話の青髭は先妻を殺害し、新妻をも殺そうとした。新妻が先妻の死骸を発見し、青髭に殺されそうになったところを、兄ふたりに救い出されて青髭の財産を手に入れ、それからは幸せに暮らしましたとさ、のストーリィだった。
「俺は髭は濃くもないけど、剃り立てだと青くなくもないよな」
「青いお髭のおーじーさまはー、いっつもみんなの嫌われ者」
 これは「赤鼻のトナカイ」の替え歌だろう。ああ言えばこう言う、から替え歌に続いていくのも、幸生の得意技だ。
「嫌われ者っていうよりも、怖がられ者のおじさまだぜ。おまえには兄貴はいないけど、妹がふたりいるだろ。雅美ちゃんと輝美ちゃんに救いを求めろよ。三人で力を合わせて、悪い青髭をやっつけるんだ」
「雅美ちゃーん、輝美ちゃーん、助けてーー」
 こんなところで大声を出してはいけない、程度の分別はあるようで、幸生は小声で妹たちの名を呼んだ。その声に応じてあらわれ出てきたのは、噂の彩花ちゃんだった。
「乾さん……え?」
「あ、ああ、ほんのジョークです」
 見慣れている者は知っているであろうが、このシーンを彩花ちゃんはどう受け取るか。俺は焦って幸生を肩から降ろした。そっと降ろしたつもりだったのに、人騒がせ幸生は故意に地面に倒れ、ううっ、ううっ、と唸っている。蹴飛ばしてやろうかとも思ったのだが、そうすると彩花ちゃんが驚くであろう。ためらっていると、幸生が言った。
「骨折しちゃったよぉ。乾さんったらね、俺をさらっていって食おうとして、彩花ちゃんに目撃されたから乱暴にほっぽり出したんだよ。俺は昔から先輩たちに殴られたり蹴られたり投げられたりして、骨折なんて何百回もさせられてるんだけど、今夜はひどすぎ。複雑骨折だ。彩花ちゃん、見て見て。膝から骨が飛び出してるでしょ?」
「ええ? そうなんですか。大変。病院に行かなくちゃ」
「そうだよね。救急車を呼んで」
「はいっ」
 本気にしているらしく、彩花ちゃんが携帯電話を取り出した。俺はさらに焦って、彼女の手を押さえた。
「幸生の台詞もジョークだからね。きみも見てたでしょ。俺は幸生を荒っぽくなんか扱ってなかったじゃないか。そろりと降ろしたんだから、骨折はしないんだよ」
「そうですかー。三沢さん、ほんと?」
「嘘です。膝だけじゃなく全身複雑骨折。あ、気絶する」
 気絶すると口にしてから、幸生は気を失う真似をした。彩花ちゃんはきっとなって俺に食ってかかってきた。
「乾さんったらひどいです。三沢さんは気絶しちゃったじゃありませんか」
「これもジョークだから気にしないで」
「じゃあ、さっきのは? どうして三沢さんをかついでたんですか」
「幸生がやってほしいって言うからさ」
「人のせいにして、乾さんったら卑怯者」
「いや、あのね、この手の行動は俺たちの場合は、日常的ジョークっていうか……」
「ジョークでかつがれたりしたら、三沢さんがかわいそうです」
「かわいそうじゃないんだよ。喜んでるんだから」
「喜んでるんだったら変態ですよ」
 そうなんだ、変態なんだよ、とは言えないでいる俺に、彩花ちゃんが迫ってきた。
「三沢さんって乾さんの彼? 彼って変? 男のひと同士でカップルだとなんて言うの? 両方が彼? 恋人?」
「ちがいます。幸生は俺の永遠の後輩だよ。あのさ、参ったな。幸生、やりすぎた。ごめんな、立てよ」
「いやいやーん」
 気絶のふりの続きで目を閉じたまま、幸生は言った。
「ユキちゃんは隆也さんの彼じゃなくて、彼女なのよ。今は身体は男だけど、性転換して女になるの。隆也さんがそうしないと内縁の妻にしてくれないって言うから、ユキちゃんはそうするしかないのよ。彩花ちゃん、ユキちゃんってかわいそうだよね」
「そうだったんですか。ユキちゃん、ほんとにかわいそう。男だって好きな男のひとと、そのまんまで結ばれたっていいじゃない。乾さん、ひどすぎます」
「あのさ、あのね……」
「今夜の隆也さんったら、シゲさんみたい」
 シゲみたいに口ごもってしまうのも当たり前ではないか。こうなるとどう収束すればいいのか、俺にも判断がつかない。幸生は調子に乗って言った。
「ユキと隆也さんは大学生のころから恋人同士なのよ」
「あ、あれ、本当の話し?」
「本当のって、なんの話し?」
「みずき霧笛さんの本の話しです」
 彩花ちゃんがあれを読んでいたとは、俺の発想外も発想外だった。幸生にも発想外だったようで、目を開いて半身を起こして言った。
「……うん、そうなの。あれはノンフィクション」
「そうだったんですね。私は本を読むのが好きで、デビュー前からフォレストシンガーズのファンだったから、フォレストシンガーズのみなさんが出てくる小説だって知って、読んだんです。三沢ユキちゃんって三沢幸生さんに似た名前の女の子だとしか思ってなかったんですけど、三沢幸生さんは出てきませんでしたよね。そうだったのかぁ」
「そうなんだよ。俺は身体は男だけど、ハートは女の子なんだもんね」
「そういう人、けっこういるんですってね。私ははじめて見たんだけど、どう言えばいいのか……三沢さん、つらかったんでしょ」
「んんと……やっぱ俺のほうがやりすぎ。ごめんなさい」
 ぴょこっと立ち上がった幸生は、彩花ちゃんに、それから俺にと深く頭を下げた。
「嘘です。俺はジョークでだったら女の子にもなるけど、心も身体も男です。隆也さん、嘘ばっかり言ってごめんなさい。ユキは悪い子だからお仕置きして」
「あのな……」
 どうせ反省するなら完全に素に戻ればいいものを、半端に戻る。これも幸生だと知ってはいるのだが、俺としても腹が立ってきた。
「隆也さん、怒っちゃった。彩花ちゃん、俺の言ったことってほとんどが嘘だけど、一部分は本当なんだよ」
「どの一部分ですか?」
「昔から先輩たちに暴力をふるわれてるって部分。骨折は大げさにしても、叩かれてばっかりなんだ。隆也さんにだってお仕置きはされるの。悪い子だから叱られてお仕置きされるんだけど、叩かれたら泣いちゃう」
「はあ……三沢さんっておいくつですか」
「年は関係ないのよ。彩花ちゃんだったら悪い子になって、大人の男に叱られたらどう?」
「泣いちゃうかな」
「でしょ? ユキはハートは美少年だから、子供なのよね。子供だから大人の先輩に叱られるの。隆也さん、ごめんなさい。許して」
 馬鹿馬鹿しすぎて怒っていられなくなったので、俺は言った。
「ごめんなさいをしている可愛いユキを、叩いたりはしないよ。もういいんだよ、ユキ。っと、芝居はここまでだ。幸生、完全に幸生に戻れ」
「はいっ!!」
 前半は優しく、後半はかなり荒々しく言うと、幸生は飛び上がってから姿勢を正し、彩花ちゃんは俺を怖そうに見た。
「お仕置きって、小説の中で金子さんが……金子さんも?」
「小説では金子さんが言ってたね。金子さんには妹さんがいるから、その名残で現実でも、女の子には言うみたいだな。いずれにしても、みーんなジョークだから」
 俺が言うと、彩花ちゃんは信じているのかいないのか、の表情で言った。
「三沢さんが突然、ごめんなさいって言ったのは?」
 その質問には当人が答えた。
「彩花ちゃんが言ったでしょ。そういう人はけっこういる、つらかったでしょ、ってさ。本当にそういう人はいるのに、ジョークにしちゃいけないからです。そんなジョークを言うと乾さんにぶたれるんだもん。きゃっ、あああん」
 ついにたまりかねて幸生の頭をごつんとやると、泣き声を出して、ごめんなさい、ごめんなさい、を連発する。彩花ちゃんは絶句している様子で、なんと言いつくろおうかと思っていたら、中年の男性がやってきた。
「彩花ちゃん、車が来たよ。あ、フォレストシンガーズの?」
「三沢さんと乾さんです。こちらは私のマネージャーの只野さん。では、失礼します。でも、なんだか……うん、うーん、なんだか……」
 只野さんも俺たちに挨拶してくれて、ふたりしてタクシーのいるほうらしき方向に歩いていった。彩花ちゃんは妙な誤解を抱いているのではないか、と俺は考え、幸生をぎろっとやった。
「えええん、ごめんなさい。だってだって……」
「幸生に戻れ」
「これで幸生なんですけど」
「……おまえも車だろ。帰れ」
「いやーん、隆也さ……じゃなくて、乾さん、怒ったらいやいや。俺のジョークは乾さんの妄想同様、とめどもないんですよね。反省してますから、もっとぶっていいから許して」
「怒ってねえよ。俺のジョークもやりすぎたんだから、お互いさまだろ。ただし、幸生、いい加減にしろよ」
「はい」
 しおらしくうなずく幸生に手を上げて、それぞれの車のほうへと歩き出す。幸生がうしろで呟いている言葉は、でもやっぱり、隆也さんって素敵、だった。あれが反省している奴の台詞だろうか。


2・幸生

 これほどの女好き幸生の心が女である道理はないが、どこかしら、女である部分はあるのだろう。章には言われた。
「普通の男は、俺が女だったら、なんて妄想は絶対に持たないんだよ。俺は絶対にそんなふうには考えないもんな」
「いつだったか、後世は女に生まれ変わりたいって言ってなかった?」
「それは別だろ。女のほうが楽かと思ったけど、そうでもないみたいだし、俺は男がいいんだよ」
「女は楽なんかじゃないけどね」
「だから、同じ苦しい人生だったら、男がいいんだ」
「同じではないだろうけど、章ちゃんってそんなに苦しい人生だったの?」
「昔はさ……」
 そこから話がそれ、つらかった昔話になったのだが、それはそれとして、だ。
 むろん幸生は乾さんに恋はしていないが、ユキになって隆也さんと恋をする妄想は楽しい。みずきさんの小説本にしたって、抵抗はなくもなかったが、結局は本にするのを承諾して、世間に出回ると嬉しさ半分、恥ずかしさ半分の心境になった。
 男の幸生は恋は女としたい。しかし、男の人生と女の人生の両方を経験してみたいとは思う。不可能な願望を形にしてくれたみずきさんには感謝しているが、こんなだから俺は変態だと言われるのだろうか。
 若いころには変態呼ばわりされると断固抗議していたが、ちょっとはあるのかなぁ、と思うようになってきた。これも大人になった証拠か?
 変態傾向ありの幸生だって、こいつは俺自身なのだから、受け入れて生きていくしかないのだと、達観しているのは大人の証拠だ。三十をすぎたら成人男子になるのは当然至極で、なにをぬかしてやがるか、今さら、ではある。
 が、三十すぎた幸生は女に変身したくない。おっちゃん坊やみたいな幸生が女になったら、おばちゃんお嬢ちゃんユキ? やだやだ、ユキは永遠の美少女でないと駄目。永遠の美少年幸生は徐々に無理が出てきたのだから、妄想のユキは永遠でいたい。
 みずきさんの小説に逆影響を受けたわけでもないのだが、近頃もあいかわらず、乾さんとユキの芝居を演じたり、ユキが夢に出てきたり、ひとりで空想したりはしている。先日はやりすぎて、乾さんに叱られる前に反省したのだが、あのときの乾さんは怖くて素敵だった。
 年を食うと怒りっぽくなるとも、人間が丸くなるとも言われている。乾さんの場合はどちらであろうか。それほどの年ではないとも言えるが、さほどには変わっていないだろう。そんな乾さんも時には怒る。
 時として相当に本気で怒っている乾さんは、怖いけど素敵、のレベルではなく、俺は震え上がる。泣きたくもなる。
 先日の乾さんはもうすこしでそのレベルを超えそうで、俺としては超えてもらいたくないので先に反省したのだが、そのレベルすれすれの乾さんは素敵だった。あんな乾さんを素敵だと感じる俺の心には、ユキが忍び込んでいるのだろうか。
 戸籍と身体と心が釣り合った人間は、そんな人もいるんだなぁ、と考えているしかない、そんな領域をジョークにしてはいけない。あれ以上やっていたとしたら、乾さんに言われていただろう。
「殴る値打ちもない奴だよ、おまえは」
 最近になって明確に気づいた乾さんの態度。その言葉を発するときの彼が、もっとも本気で怒っている。あるいは、口もきいてくれないかだ。
 そうなる前でよかった。頭を殴られる程度でよかった。次の段階だとほっぺたへの平手打ちか、顔に拳骨か、俺にも乾さんの制裁の段階が読めるようになってきている。乾さんの叱責の最高段階はなんだろう? 見放されるのか。そこまで行けば叱責ではなく、おしまいなのであろう。
 おしまいなんていやいや。叱られてもぶたれても、ユキは隆也さんのおそばにいたいの、って、これだから俺は変態なのだろう。ちょっとだけだったら変態でもいいもんねーだ、と開き直って、俺はパソコンを起動した。
 ただいま、後輩の酒巻國友はニューヨークで音楽の勉強をしている。メールのやりとりはしているのだが、今夜はチャットをする約束だったのだ。
「三沢さん、こんばんは、ですよね、日本は」
 チャットでも礼儀正しい酒巻に、俺は挨拶もなしで言った。言ったではなくキーボードを叩いたのだが、感覚としては言ったのだ。
「俺さ、わりと久々で乾さんに叱られたんだ」
「悪いことをしたんですか」
「したし、言った」
「なんだかうらやましいな」
「おまえも乾さんに叱られたいの? 変態」
「変態じゃありませんよ」
「あんたに言われたくないってか。変態は俺? 乾さんに叱られたら、嬉しいっていうんでもないけど、隆也さんって素敵だわ、って思っちゃうんだもん」
「素敵ですか」
「素敵だよ。おまえだって金子さんに叱られたらそう思ったんじゃないの?」
「素敵ではなく、怖いです」
「怖さが快感に変わる」
「変わりません」
 酒巻が日本にいたころにもやっていた、会話の延長だ。酒巻の表情やあの低い声までが伝わってきそうに思える。機械の会話でそう思うのは、なじみ深い奴だからか。
「うらやましいってなぜ?」
 キータッチの早い酒巻に必死でついていきながら、俺は質問した。
「僕には今は、叱ってくれる先輩がいないからですね。三沢さんがずっと前に言った、叱ってくれる先輩はありがたいって言葉が、心から実感できるようになりました」
「弱気になったら叱られて、殴られて泣きたい?」
「泣きたくはないんですけど、励ましてもらいたいです。弱気になってますよね」
「ぼかっ」
「殴ってくれたんですか。ありがとうございます」
「どういたしまして」
 今では俺にもいばれる後輩はいなくもないのだが、酒巻に会いたいと思う。ここでそう発言すると、酒巻だと号泣しそうなのでやめておいた。
「三沢さんはどうして乾さんに叱られたんですか」
「妄想が、んんと、ちょっと待てよ」
「どうしたんですか? パソコンの調子がおかしい?」
 そうではなく、あやふやながらも遠い日の情景が浮かんできた。
 大学のキャンパスのベンチ。乾さんと酒巻がそこにすわって昼メシを食っている。俺も近づいていくと乾さんは俺に金をくれて、これでメシを食えと言ってくれた。俺はおにぎりかなんかを買って酒巻と話したのだった。
「思い出したよ。おまえの妄想」
「僕の妄想ですか」
「キーボードで打つのは面倒だから、おまえも思い出せ。大学のときだよ。乾さんが兄さんだったらな、っていうおまえの妄想」
 しばし会話がとぎれてから、酒巻の台詞がモニタに出てきた。
「あれですか。三沢さんって記憶力が抜群なんですね。僕も覚えてますよ。あのとき、三沢さんは言ってましたよね」
「なんて言った?」
「俺はまだまだ乾さんをよくは知らない。よく知るようになったら、女の子ユキと隆也さんのストーリィを作れるようになる」
「そうだっけ」
 言ったような気もするが、遠すぎる思い出だ。文章になって残っているのでもない妄想話を、こうして語り合っているのが変なのかもしれない。
「作れるようになりましたね」
「あれは書いたのはみずきさんだよ」
 酒巻も「A girl meets a boy」は読んでいて、俺以上に恥ずかしがっていた。照れ屋さんのシゲさんでさえもああまでは恥ずかしがっていなかったのに、こいつは神経過敏なのか。俺とは別種の変態なのか。
 あの小説が俺の願望に基づいているとも、酒巻は知っている。俺は話を脱線させて、そこからは学生時代の話をした。話のネタも尽きそうになると、酒巻が言った。
「みなさんはお元気なんですよね」
「お元気だよ。あいかわらずだし、なーんにも変わってないんだ。おまえも変わってないか」
「変わってませんよ」
 励ますのならばぼかっよりも、歌がいいだろう。だが、チャットでは歌っても聞こえないので、俺は手元にあった「素顔のままで」の訳詞を引き寄せた。
「俺はおまえよりもキーボードを叩くのがはるかに遅い。練習の意味で詩を打つから、聴けよ」
「聴けないけど見てますよ」
 そこで俺は、できる限りのスピードでキーボードを叩いた。

「僕を喜ばせようとして変わらないで
 君は決して僕をがっかりさせなかった
 君はありふれていて、僕がもう君と付き合わない...なんて想像しないで

 つらい時、君を一人にしないよ
 僕らはこれほど遠くに決して来なかったかもしれない
 僕は楽しい時を受け取ったんだ  
 この先、つらい時を受け入れる
 素顔のままの君を受けとめるよ

 新しいファッションなんか着ないで
 髪の色を変えないで
 君はいつも僕の口に出さない愛情を抱いている
 けれど、君には、僕が気にかけていないと思えるかもしれない

 気の利いた会話は要らないよ
 熱心にしようとした事はない
 ただ話しができる誰かが欲しいだけ
 素顔のままの君がいい

 君はいつも、僕の知ってる馴染みの誰かになろうとしてる...って事を僕は知っておくべきだね
 君が僕を信じてくれるには何が必要なんだろう...僕が君を信じるように

 愛してる、永遠に...って僕は言って
 そして、心から約束するよ
 もうこれ以上上手くは君を愛せない
 素顔のままの君を愛してる」

 変わらないでほしいと、他人に言うのは傲慢なのかもしれない。けれど、誰もが変わらぬ俺の友達でいてほしい。
 愛にはさまざまな形があるのだと乾さんも言っていた。男が女を愛するのとは別の形で俺は乾さんも、酒巻も愛している。本橋さんもシゲさんもヒデさんも章も、金子さんも沢田さんも美江子さんも、それぞれにちがった形で愛している。
 詩を打ち終えると、英語版の「素顔のままで」を、聴こえないのは承知で歌った。酒巻のキーボードがしばらく沈黙していたのは、想いが届いていたからだろう。最後にひとこと、酒巻が発言した。
「三沢さん、ありがとうございます。明日からまた元気を出せますよ」
 無機質なパソコンの文字に、涙がにじんでいた。


 妄想の続きというか、実現というか、彩花ちゃんと乾さんが恋をするなんてことはないのだろうか。ないのならば俺と、とは行かないだろう。彩花ちゃんは二十歳にもなっていないのだから、年下すぎる。
 今夜は俺は単独仕事だ。彩花ちゃんが所属している音楽事務所のシンガーに提供する詞の打ち合わせをするために、その事務所に出向いた。
「三沢さん、この間はどうも」
 打ち合わせが終わって外に出ると、彩花ちゃんがやってきた。
「仕事?」
「仕事はすんだんですよ。マネージャーに送ってもらおうと思って、事務所に来たんです」
「俺が送るんじゃいけませんか。下心はないんだよ。彩花ちゃんと話がしたいんだ」
「送って下さるんですか。車? じゃあ、社長に断ってきます」
 下心はよけいな台詞だったかと反省してから、彩花ちゃんとともに俺の車に乗り、世間話のあとで尋ねた。
「彩花ちゃんは乾さんをどう思う?」
「怖い」
「怖かった?」
「きびしそうだもん。私は怖そうな男のひとはいやです」
「怖いだけじゃないんだけどね。そうかそうか、恋しちゃったりはしなかったんだ」
「しませんよ」
 あの乾さんも三十をすぎると、もて度が減ってきたか。出会った女性の全員が彼に恋をするわけではないのだろうが、俺のせいかと思うと弁解してあげたくなってきた。
「あれはほんとにジョークだよ」
「そうなんでしょうけど、三沢さんと乾さんってなんだかこう……」
 何パーセントかはジョークではない、とは言えないので、すべてジョークです、と断言した。
「そうかなぁ」
「そうだよ」
「そしたら、みずきさんの小説は?」
「ああっと、あれはね」
 彩花ちゃんがみずきさんと会う機会はないであろうから、みずきさんに全責任をおっかぶせることにした。
「もちろんフィクションだよ。みずきさんに頼まれたんだ。三沢幸生を三沢ユキに変身させて、小説のヒロインにしていいですか、って。俺も興味はあったから快諾したら、ああいう小説になったわけ。面白かった?」
「面白かったけど、ユキちゃんって子供っぽすぎますよね」
「そうだよね。けど、可愛いでしょ?」
「可愛いって言うか、私だったら……私はいいんですよね。三沢さんとみずきさんって知り合いなんでしょ? 紹介していただけます?」
「みずきさんって太目のおじさんだよ」
「外見は関係ありません。私には作家の知り合いはいないから、お話してみたいんです」
「はい、わかりました」
 女を見ると彼女の恋愛方面に頭が回り、男同士でもラヴストーリィ仕立ての発想をして、乾さん以外のうちのメンバーを怒らせる。女性にも怒られる。今日も結局は反省した。
「彩花ちゃんには彼はいるの?」
「大人になるまでは恋愛禁止です」
「事務所の方針?」
「はい」
 未成年にそう申し渡す事務所はあるのだろうが、恋愛は禁止されたらしないものではない。そうも言えないので、うんうんとうなずいておいて、彩花ちゃんを住まいまで送り届けた。
「三沢さん、ありがとうございました。気をつけて帰って下さいね」
「うん、彩花ちゃんも痴漢に気をつけて」
「三沢さんって口数が多すぎるって言われません?」
「言われます。では、おやすみなさい」
 まーたよけいな台詞だったかな、と何度目かに反省しつつ、車を走らせてから、携帯電話を取り出す。運転中通話は事故のもとなので、車を道の脇に寄せて止めた。
「……これこれこうでして、そういうわけで、あの小説はみずきさんの案だとしてもらえますか」
 電話をかけると、みずきさんは笑い声で言った。
「ブログにはちょっと書きましたけど、彩花さんが見てたりはしませんかね」
「見るかもしれませんね。そこまでは考えが至りませんでした」
「ブログを改竄しておきましょうか」
「そこまでしていただかなくても……」
「適当にやっておきますよ。寺島彩花さんってテレビで見たことはあるんです。紹介してもらえるとは楽しみだな。よろしくお願いします」
「みずきさん、変な妄想は持ってませんよね?」
「僕には妻がいます」
「はい、すみません」
 またまたこっちの発想をしてしまい、またまた反省した。
 みずきさんとの電話をすませると、俺は車を乾さんのマンションにつけた。見上げた乾さんの部屋には灯りがついている。俺は頭をさすりながら、エレベータに乗った。
「乾さん、懺悔に来ました」
 インタフォンに向かって言うとドアが開き、無言で顎をしゃくる乾さんについていく。部屋に通してもらい、缶ビールを出してもらって、俺は一息で今夜のいきさつを喋った。
「やっぱ恥ずかしいって気持ちがあって、言い出したのは俺だとは彩花ちゃんには言えなかったんですよ。俺って卑怯者ですよね。隆也さん、お仕置き……」
「お仕置きはいいんだよ。おまえは大人だろ。いつまでそうやって、俺に叱られたいだなんて言ってるんだ」
「あれ? 見抜かれてた?」
 架空会話でならば言ったが、面と向かって乾さんに、叱って、なんて言っただろうか。言ったかもしれないが、ジョークだと受け止められていると思い込んでいた。
「甘えてるんじゃないんだよ。ビールでも飲んで、大人らしくふるまってろ。ガキの幸生も女のユキも出てくるな。出てこさせると蹴り出すぞ」
「はい」
 口調は荒いが、今夜の乾さんは怒ってはいない。缶ビールを飲みつつ煙草をくわえ、火、と命令する。俺も乾さんの煙草を一本もらって、連れ煙草の連れビールとあいなった。
 最近は嫌煙ブームで、飲食店も禁煙が多い。こうして喫煙者の乾さんと煙草を吸って話すのは、心が安らぐひととき。とはいえ、乾さんの言葉が次第に説教じみてくる。何本目かのビールで酔ってきたせいか自覚がないようで、俺も指摘はせずにこうべを垂れて拝聴していた。
 これが乾さんの素顔なんだよね。乾さんに説教されている俺も、後輩としての素顔なんだ。叱られるってやっぱり嬉しい。これは変態だからではなく、後輩として先輩に叱られるのが嬉しいんだよ。
自分で自分に言い訳していても、自然に笑みがこぼれてきた。
「こら、幸生、なにを笑ってるんだ」
「笑ってませんけどね、そんな乾さんって好き。きゃああ、蹴り出さないでっ!!」
 バッカヤロー、のぼかっ。このくらいだったら殴られるのも好き。いや、好きではないけれど、先輩の後輩に対する態度としてはまさしくふさわしい。今夜は俺も猫の雪でもなく、女の子のユキでもなく、素顔の幸生で乾さんに甘えていよう。決して変態チックにではなく、後輩として。


3・隆也

 ああして夏には結ばれた隆也さんとユキ。ユキのすべては隆也さんのものになったのに、隆也さんのすべてはユキのものではない。隆也さんには女友達が大勢いて、デートしていても邪魔をしにくるの。
 合唱部は男子部と女子部に分かれていると聞いていたから、ユキは安心していた。隆也さんはサークルでは女のひととは仲良くできない環境にいる。文学部には女子学生が多いから、そっちを警戒しなくちゃね。
 そのはずだったのに、隆也さんは女子合唱部のお姉さま方とも仲良しだ。隆也さんと同い年で、三年生の山田美江子さんは美人で、わりに背が高くて、ものすごくきつい口のききようをする。ユキは会うたびに叱られた。
「ユキちゃんは一年生にしたって、子供じみすぎてるんだよね。もうちょっと大人にならなくちゃ」
「山田さんはおばさんみたい」
「おばさん? そういう失礼な口のきき方をするのね」
「隆也さんに言いつける?」
「言いつけたりしない。告げ口なんて大嫌い」
 今日は隆也さんはいなくて、キャンパスで出会った山田さんにお説教されている。隆也さんに叱られるのは甘さもあるけれど、怖いお姉さんに叱られるのはただ怖いだけで、しかし、負けっぱなしだと山田さんを調子づかせそうだから口答えした。
「山田さんってお姉さんじゃなくてお兄さんみたいなんですよね。男みたいだって言われるでしょ」
「半分は男だとは言われたことがあるけど、別に平気だよ。私を女として愛してくれる……そんなのどうだっていいでしょ。ユキちゃんは自分を女の子らしくて可愛いと思ってるんだよね」
「ユキは女の子らしいもん」
「女らしいってのは褒め言葉なんだろうけど、私はそういうのも嫌い。めそめそべたべたして、男に甘えてばっかりで、じきに泣いて駄々をこねるって、それは女らしいんじゃなくて、幼児らしいって言うのよ。あんたはお子ちゃま」
「お子ちゃまだっていいもん。山田さんはおじちゃまですよっ!!」
「私がオヤジだって言うの?」
「オヤジギャルっていうのもありますよね」
 このひともけっこう怒りっぽいようで、だんだん目が吊り上がってきた。
「山田さんがユキを叩いたりしたら……」
「私はオヤジじゃないし、暴力に訴える気はないのよ。だいたいね、自分で自分をユキって呼ぶだけでもお子ちゃまだよ。そういう自称は幼稚園まででしょ」
「ユキには似合ってるからいいのっ!!」
「ユキはね、ユキったらね、そんなのが似合ってるってのが幼稚園児なのよ。あーあ、馬鹿馬鹿しい。幼児レベルの低次元の言い争いなんて不毛すぎるよね。あんたはあんたで好きにしたら? 乾くんもこんなお馬鹿な小娘とつきあって、なにが楽しいんだろ」
 言いながら背中を向けた山田さんに、ユキは手に持っていたものを投げつけた。それは祖父が大学入学祝いにと贈ってくれた万年筆。万年筆なんて実用品だとは思えないが、祖父が大学に合格したときに大喜びして買ってくれた品物だった。
 ユキが大学生になるのか、大学生は高級な筆記具を持たないといかんぞ。そう言って相好を崩し、大きな赤いリボンのついたプレゼントをくれたのだ。
 万年筆ではなく祖父の気持ちが嬉しくて、大切にしていた。万年筆とはインクが入っているのだから、山田さんの背中に当たってこわれてインクが飛び出して、白いTシャツがブルーブラックに染まってしまった。
「あーん、万年筆がこわれちゃったよぉっ」
「なにが当たったのかと思ったら万年筆? そしたら私の服……インクが入ってたの?」
「入ってたけど、山田さんの服よりも、おじいちゃんのプレゼントがっ!! 山田さんのバカっ!!」
 首をひねって背中を見ようとしていた山田さんは、見えなかったようで、諦めた様子で言った。
「安物のTシャツだからいいんだけどね。インクのしみのついた服……どのくらい染まったの?」
「背中の下のほう、半分は真っ青っていうか、青黒い。だけど、山田さんがいけないんだもんっ!! 万年筆がっ!!」
 地面に落ちていた折れた万年筆を拾って手渡してくれ、山田さんは言った。
「投げたのはユキちゃんでしょ? 私も言いすぎたかもしれないけど、ほんっと、あんたってガキだね」
「山田さんの服は安いんでしょうが。万年筆は高いのっ。どうしてくれるんですかっ」
「落ち着いて思い出しなさいよ。誰が投げたの?」
「山田さんがいけないのっ!!」
 大声で騒いでいたせいか、学生たちがあちこちでユキたちを見ている。山田さんは眉をひそめて囁いた。
「ユキちゃん、落ち着きなさい。見られてるよ。恥ずかしいよ」
「恥ずかしくないもん」
「私は恥ずかしいよ。服はインクに染まってるんだし、あんたはきゃあきゃあうるさいし。着替えてくるからあんたは勝手にして」
「万年筆を弁償して。服も弁償しますから」
「差額を払えって? 私の暴言にユキちゃんが怒ったから? それで万年筆を投げつけてこわれた。私にも落ち度はあるのかな」
「ありますっ!!」
 そんなものはないよ、と聞こえてきた男のひとの声に振り返ると、ユキは知らないひとが立っていた。
「皆実さん、学校になにかご用ですか」
「今日は会社の記念日で式典があって、早く終業したんだ。それでなんとなく来てみたら、きみが子供ともめてる。この子は誰? オープンキャンパスの時期ではないよね」
 ふたりの会話からすると、卒業生だろうか。皆実さんと呼ばれた男性は、ユキを高校生だと思っているらしい。山田さんは苦笑いで言った。
「彼女も一応はうちの学生なんですよ。乾くんの彼女のユキちゃんです」
「乾の彼女? この子供が?」
「子供じゃないんですってば。一応は大学生。ユキちゃん、この方は合唱部のOBの皆実さんだよ。ご挨拶しなさいね」
「ユキは合唱部じゃないから、関係ないもん」
「関係なくはないじゃない。大学の先輩だよ。皆実さんは金子さんの親友でもあるの。金子さんには紹介してもらったんでしょ」
「ユキは金子さんも嫌い」
 軽く肩をすくめて、皆実さんは言った。
「山田さんの背中が……俺はきみたちの口論の最後のほうしか聞いてなかったんだけど、およその事情はわかったよ。山田さんに落ち度はないだろ。きびしい口をきいたってのは山田さんらしいけど、だからってものを投げるなんて、子供だとしてもやっていいことではない。とにかく、こんなところではなんだから、こっちに来なさい、ふたりともだ」
「はい」
 皆実さんにうなずきかけてから、山田さんはユキの手を引いた。
「ユキちゃんも来なさいね」
「やだ」
「皆実さん、私、ユキちゃんと話してると怒りたくなっちゃうんです。私も短気だってのは知ってますけど、苛々するんですもの。なんとかして下さい」
「山田さんが俺に頼るのか。この子はよほどだな。乾はいないの?」
「講義は終わっただろうから、部室にいるかもしれませんね」
「じゃあ、部室に行こうか」 
 はい、と再びうなずいてから、山田さんは怖い顔でユキを見下ろした。
「こうなったら乾くんに告げ口するからね。いやだったらついてきなさい。乾くんに言いつけられたくないんでしょ?」
 たちまち涙が出てきて、やだやだやだとかぶりを振ると、呆れ声で皆実さんが言った。
「乾のところへは連れていかないほうがいいのか。だったら、どこに行く?」
「この子はずいぶんと子供だから、乾くんも困ってるらしいんですよね。あまりにも子供っぽすぎるから、時々はきびしく叱ったり、いい加減にしないとひっぱたくよ、とまで言ってるみたい。だからユキちゃんは怯えてるんです。まあね……うん、まあ、だから、えーと……どこにしようか。私のアパートにします?」
「校内だと人目があるもんな。山田さんさえよかったらそうしようか」
「ユキちゃんは泣いてますから、下手な場所には行けませんよね。皆実さんはお時間はいいんですか。つきあっていただいてもいいんでしょうか」
「いいよ。ユキちゃん、来なさい」
「来なさい」
 年上のひとふたりに命令され、山田さんに手を引かれて、ユキはついていった。
 大学から出るとタクシーに乗せられて、山田さんのアパートに連れていかれる。山田さんはタクシーの中で皆実さんに、隆也さんとユキの話をしていた。山田さんには隆也さんとふたりでいるところを幾度か見られているから、説明はまちがっていない。ユキはひたすら黙りこくっていた。
 たどりついた山田さんの部屋は、ユキの女の子らしい部屋とはちがって、さっぱりさばさばしていた。
「私も着替えたかったからちょうどいいです。着替えてお茶でも淹れますね。アイスコーヒーでいいですか」
「ユキはコーヒーは嫌い。苦いもん」
「はいはい。アイスクリームもあるよ。食べる?」
「うん」
 山田さんは着替えを手にキッチンに行き、皆実さんが言った。
「乾は気が長いね。俺だったら……ま、俺はいいんだけど、きみはそんなんでいいのか」
「……隆也さんが……ユキを大人に……だけど、ユキはちっとも大人になれないの」
「乾がきみを大人に? その意味は……そうなのかな。だけど、そうだとしても、大人になるってのもむずかしいもんだよ。俺だって大学を出ても大人になってはいない。きみも簡単にはなれないだろうけど、大人になろうとしろよ。先ほどの口論は誰が悪い?」
「知らない」
「そうか。じゃあ、乾に電話をかけて来てもらおうかな」
「駄目」
「万年筆だっけ? 見せて」
 インクまみれの折れた万年筆を渡すと、皆実さんが組み立ててくれた。
「こわれてないじゃないか。洗っても大丈夫だろ。こうやってくるんで持って帰って、綺麗にすれば元通りになるよ。山田さんだってTシャツを弁償しろって気はないんだろうし、あやまればいいんだ。あやまるのはどっち?」
 ティッシュでくるんだ万年筆を返してくれて、皆実さんはユキを子供を見るように見つめた。
「山田さん」
「そうか。乾を呼ぼう」
「ずるーい。いやっ!!」
「きみはそんなに乾が怖いのか?」
「怖いっていうか……嫌われたくないから……」
「ま、そうなんだろうな」
 アイスコーヒーとアイスクリームをトレイに載せて、キッチンから出てきた山田さんが言った。
「こんなにも乾くんに恋してるユキちゃんっていうところは、可愛いんでしょうね。だから乾くんも……ユキちゃん、ごめんね」
「……山田さん」
 負けたみたい。山田さんは大人だ。ユキはいつまでこんな? ごめんなさい、山田さん、と言いかけた声が言葉にならず、涙をこぼしているユキに、山田さんはアイスクリームの乗っかったスプーンを口に運んでくれた。


 みずきさんは的確にキャラクターを把握している。ミエちゃんも実にミエちゃんらしい。皆実さんもこんなシーンに遭遇すれば、こうするだろうと思われる。
 怒りっぽくても根に持たない、潔い女性のミエちゃんならば、ユキを見ていると苛々するだろう。俺がこの隆也だったらどうする? 現在の俺ではなく、二十歳の隆也だったら? そう考えていると、現実の二十歳の俺を思い出した。
 大学三年生の乾隆也には、他校の四年生の彼女がいた。みずきさんは彼女を知らないのだから、当然小説には登場しないのだが、純子という名の意地悪で可愛いひとだった。
 純子は俺を苛めるのが好きで、ふたりで一泊旅行に行ったときには、寝ている俺の爪に真紅のネイルを塗りたくった。朝食の途中で席を立ち、俺に残りを食べさせて、彼女はよその男たちと別のホテルに朝食に行ってしまった。あのときには、俺をゲイだとまで言った。
 俺の部屋に泊まりにきて、壁にネイルでいたずら描きをした。俺をつねったり甘噛みしたりして痛がらせて、嬉しそうに笑っていた。
 どうも彼女は軽いサディストだったとも思えるのだが、あれは子供じみたいたずらと言うよりも、女性特有の意地悪だったのだろう。俺も時には怒ったが、怒りはじきに砕けて、純子ちゃん、愛してるよ、に変わっていった。
 優しさは優柔不断の同義語。隆也くんはまるっきり男らしくない。こんなときには本気で怒ったら? ほらほら、怒ってごらんよ。毅然とした態度の取れない男は、女には物足りないの。私がよその男とどこかに行こうとしたら、怒ればいいのよ。
 純子のそんな台詞の数々が、俺が妄想に登場させた彩花に反映されていた節もある。短いつきあいの純子だったけれど、心には面影が残っている。
 何人か恋をした女性は、性格もいろいろだった。外見もいろいろで、子供っぽいひともいた。俺も子供だった学生時代には、彼女の怒りの前では戸惑って低姿勢に出て、よけいに怒らせたりもした。多少は大人になってからだって、彼女の怒りや我が儘には対処しにくかった。
 ある面は大人になったつもりでいるけれど、俺の女性に対する態度は変わっていないのか。優しすぎる、思いやりがありすぎる、ものわかりがよすぎる、投げかけられた言葉のひとつひとつの意味は、俺には芯からは理解できていない。
 俺のどこが優しすぎる? 優しさが足りないんじゃないの? 優しすぎるってどういう意味? そんな問いの答えは、自ら出すしかないのか。
 後輩たちには先輩面をして、叱りつけて……幸生はそんな俺に? 章はまっぴらごめんの態度だが、幸生は俺の小言をありがたがっているのか。
 叱られる必要があるのは俺だろ? 俺のほうこそ叱ってもらいたいよ。金子さんあたりにはいまだ叱られているけれど、章や幸生を叱る資格が俺にあるのか。過去にも現在にもそんな問いを自らに投げかけて、いっこうに答えは得られない。
 未来もこんなふうか? ねえ、ばあちゃん、あなたに叱られてばかりいた、本物のガキだったころがなつかしいよ。とうとう祖母にまで話しかけてから、俺は幾度目かになる「A girl meets a boy」の世界に戻っていった。


4・幸生

「いつも一緒にいたかった となりで笑ってたかった
 季節はまた変るのに 心だけ立ち止まったまま
 あなたのいない右側に 少しは慣れたつもりでいたのに
 どうしてこんなに涙が出るの
 もう叶わない想いなら あなたを忘れる勇気だけ欲しいよ
 You are only in my fantasy
 今でも覚えている あなたの言葉 肩の向こうに見えた景色さえも
 So once again
 Leavin' for the place without your love
 星が森へ帰るように 自然に消えて ちいさな仕草も はしゃいだあの時の私も
 いつも一緒にいたかった となりで笑ってたかった
 季節はまた変るのに 心だけ立ち止まったまま

 出会った秋の写真には はにかんだ笑顔 ただ嬉しくて
 こんな日がくると思わなかった
 瞬きもしないで あなたを胸にやきつけてた 恋しくて
 You are only in my fantasy
 あなたの声 聞きたくて 消せないアドレスMのページを指でたどってるだけ
 So once again
 Leavin'for the place without your love
 夢見て目が醒めた 黒いジャケット 後ろ姿が誰かと見えなくなっていく
 So once again
 You are only in my fantasy
 星が森へ帰るように自然に消えて ちいさな仕草も
 いつまでも あなたしか見えない 私も」

 黒いジャケット、後姿。誰かと見えなくなっていく。ユキは隆也さんがどこかの女のひとと消えていくうしろ姿を見送り、泣くだけ。
 アドレスブックのIのページ。消せないアドレス。こうしてユキは隆也さんに捨てられる。ユキが歌うのは「I」? 出会ったのは春だけど、他はこの歌のまんま。ユキは子供っぽすぎて、隆也さんに嫌われて捨てられて、ひとりで泣いている。
 はっと目覚めたら、ベッドの隣に隆也さんがいた。歌が聞こえていたのも夢だったのか。隆也さんも目を覚まして、ユキをやわらかく抱きしめてくれた。
「よかった。捨てられてなかった」
「捨て猫になった夢でも見ていたのか。ちっちゃな子猫ちゃん?」
「ユキは大人の猫ちゃんになるからね」
「んん? また誰かに言われたか、ユキは子供っぽすぎるって」
「いっつもみんなに言われてますよーだ。隆也さんもそう思ってるんでしょ」
「思ってるよ」
 はっきり言ってくれちゃってから、隆也さんは枕元を探って煙草を取り出した。
「だけどさ、おまえとこうやって仲が深まっていくにつれて、俺は辛抱強くなってきたんだな。ユキのすべてを受け止めて、俺も大人になるよ。金子さんにも言われたのを聞いてただろ。ユキとつきあってると、おまえの成長のためになるって。たしかにそうだよ」
「ユキは大人にならなくていいの?」
「大人になれよ、当然だろ」
 つんっとユキのおでこをつついてから、隆也さんは煙草に火をつけた。
「煙草って大人のしるし? ユキは吸ったらいけないんでしょ?」
「二十歳になったら吸ってもいいよ。けど、おまえはいずれは結婚して出産するんじゃないのか。女の子はそのためには、喫煙はしないほうがいいな」
「隆也さんの子供?」
「ふたりともに大学を卒業して大人になってから、改めて話し合おうな」
「そのころにはユキも大人になれるかな」
「なれるさ。ならなきゃどうしようもないだろ」
「うん」
 外には雪が降ってるみたい。隆也さんと出会って恋をして、こうして一緒にベッドで朝を迎えるようになって、それでも将来は見えないのだけど、いつまでも隆也さんの腕の中にいたい。
 隆也さんの匂い、煙草の匂い、隆也さんの胸、煙草の煙。ゆらゆらふわふわ。ユキの心もゆらゆらふわふわ。ユキだっていつかは大人になるけれど、それまではこうして甘えさせて。そうしてユキが本当に大人になったら、隆也さんのお嫁さんになれるといいな。隆也さんの子供を産めるといいな。
 たった今のユキの夢はそれだけなの。もっと夢を見させて。隆也さんの胸の中で甘い夢を見ながら、ユキはすこしずつ大人になっていきたい。

終わり


 ハッピィエンドと言っていいのか、言ってはいけないのか。そのようなエンディングシーンだ。
 みずきさんも歌はお好きで、全編に古いヒット曲が散りばめられている。みずきさんは五十歳前後
であろうから、なつメロに近い歌が好みなのは当然だろう。俺はみずきさんよりは二十歳ばかり若いのだが、これらの歌はみんな知っていた。
 ラストシーンに出てくる「M」も大好き。女の子の歌だが、俺の声には合っている。ユキは女の子なのだから、夢でこの歌を聴くのも、彼氏に捨てられないかと不安な心をあらわしていて効果的なスパイスになっている。
 みんながみんな、子供っぽーい、と口をそろえるユキ。彩花ちゃんにまでそう言われたが、十八の女の子は子供っぽくてもいいじゃん。いやでも大人になるんだからさ、急いで大人にならなくてもいいよ、と俺は言ってあげたい。
 身びいきってやつがあるのか。ユキの原型は三沢幸生なのだから、俺にとってはマジ他人ではないからか。俺はユキには甘いのだ。いいのだ、それで。
「うん、まあ、いいんじゃないのか。俺がユキの相手役だったとしたら……ちょっとこの、きついってのか、耐え難いってのか、それにしたって、ユキってのは女なんだもんな。俺は脇役だったけど、けっこう俺らしく登場したし、ま、いいよ」
 仲間たちの感想その一、うちのリーダー。歯切れが悪いのはみずきさんに遠慮しているようで、もっと言いたかったのかもしれないが、ま、いいよ、だった。
「おまえって女の子になると可愛いんだな。俺ではユキとはつきあえないとは思うけど、本物の女の子のユキか。俺は実際に彼女と……いやいや、なんでもない」
 感想その二、シゲさん。実際に……そのあとがなんなのかは知らないが、実際に想像したのだろうか。俺を可愛いというとは、シゲさんも可愛い。いや、俺ではなく女の子ユキが可愛いと言ったのだが、シゲさんの好みのタイプだったのか。
「俺はいないんだよな。俺が出てくるとややこしいのかよ。どうせ俺はややこしい奴だよ」
 その三は章。自分が出てこないという一点ばかりを強調していた。
「俺の人格が実物とちがうって、誰かも誰かも言ってたようだけど、こういう面もあるんだろうな。みずきさんはさすがだよ」
 その四、一方の当事者にされている乾さん。乾さんがこの設定をさらっと受け止めてくれたことについては、みずきさんを安心させた。俺が乾さんなら怒りはしないと思っていた通りだった。
 こうして「A girl meets a boy」は幕を閉じ、二編目の短編に移っていく。当初はそれも三沢幸生主役になる予定だったそうなのだが、ヒデさんがみずきさんにコンタクトを取ったために変更され、小笠原英彦主役となった「十六歳のころ」だ。
「十六歳はいいけど……A girlのほうはなぁ……俺はあれはどうも……」
 そのヒデさんが感想その五で、自分が主役になっているのが晴れがましいのか照れくさいのか、絶賛しようとして言葉を濁し、俺が主役のほうは非難しようとしたのか言葉を濁した。女の子ユキは気に入らなかったのであるらしい。
 ヒデさんだったらそうであろうが、ヒデさんもまたみずきさんとは親しくなったようだから、俺としても嬉しかった。
「僕は恥ずかしくて読めませんでした。ベッドシーンはパスです。他の部分は読んだんですけど」
 感想その六、酒巻。読めないとは、著者に対して無礼な奴だ。別に恥ずかしくないじゃーん、なのに。
「徳永が憎まれ役ってのか、似合ってるよな。俺も俺らしいし、皆実もらしいだろ。その他登場人物が微妙な匙加減で、面白かったよ。恥ずかしい? いや、全然」
 金子さんが感想その七。この台詞も金子さんらしい。
「頭がくるくるぱーになりまして、僕までが妄想に……すみません」
 これはモモクリのクリ、感想その八とも言いにくいが、入れておいてやろう。横でむふふっと笑っていたモモちゃんが感想その九だ。
「小説は所詮小説だ、だそうだよ」
 章が聞いてきた徳永さんの感想がその十。その十一は美江子さん。
「私も出てくるんだよね。私もらしいの? そうかもね。うん、あれのおかげで、って言うか、おかげもあるのか……私は続編が読みたいな」
 人は皆、小説に出てくる自分が最大の関心であるのだろう。何人もの人が「A girl meets a boy」を読んでいて、順不同で彼らの感想を述べればざっとこんなところだ。彩花ちゃんにも感想は聞いたから、感想その十二。
 「boy meets a girl」も「girl meets a boy」も「十六歳のころ」も歌のタイトルにもある。みずきさんも本当に歌がお好きなのだ。だからこそ俺とも話しの合う部分があるのだろう。
 そしてそして、「A girl meets a boy」には登場させなかったからなのか、三編目は章主役の物語となる。タイトルは「踊り明かそう」。このタイトルも歌にもある。英語の歌なので小説と関わりがあるのかないのかは知らないが、さわりはこんな感じだ。

「Have you seen her?
 So fine and pretty. fooled me with her style and ease.
 And i feel her from across the room.
 Yes, it's love in the third degree.
 Ooh, baby, baby.
 Won'tcha turn your head my way?
 Ooh, baby, baby.
 Come on, take a chance.
 You're old enough to dance the night away.
 Oh, come on, baby, dance the night away.
 A live wire.
 Barely a beginner, but just watch that lady go.
 She's on fire, 'cause dancing gets her higher than
 Anything else she knows.
 Ooh, baby, baby.
 Won'tcha turn your head my way?
 Ooh, baby, baby.
 Well, don't skip romance, 'cause you're old enough to dance
 The night away.
 Oh, come on, baby, dance the night away.
 Dance the night away.
 Dance, dance, dance the night away.

 だからさ、踊ろうよ。俺と踊ろう。
 なんにも考えなくてもいいだろ。今は踊ろうよ。先がどうなるかなんて知ったことかってさ、踊っていれば忘れていられるだろ。
 歌うからさ、俺が歌うから。
 ヴァン・ヘイレンの歌に合わせて俺も歌うよ。だからきみと踊り明かしたい。
 俺の声はディヴ・リー・ロスとはまるっきりちがってて、高くてきんきんしてるけど、ハードロックは大の得意さ。歌えるよ、もちろん英語で歌えるよ。
 明日のことなんて考えずに踊ろうぜ。
「って、そんな歌詞? 日本語だとそうなるの?」
「そうじゃないけど、踊ろう」
「う、うん」
 曖昧にうなずいた女の手を引いて、俺はダンスフロアに出ていった」

 各作品ごとにテイストがちがっていて、俺ではない誰か、俺がよく知っているひとでいながら、別のひとである誰かが主役となる物語も興味深い。
 アマチュア女性作家がみずさんの作品にイマジネーションをかき立てられて書いた、本橋真次郎主役の「半夏生」という物語もある。その中でも俺は女の子のユキで、その上にお化けにされていたのだが、俺はちーっともいやではなかった。
 そうなのだ。俺は徳永さんとはちがって人の好き嫌いも激しくなく、許容範囲の広いおおらかな人間なのだ。そうだそうだー。
 いくつもの物語を読んで俺のイマジネーションも羽ばたきがっている。俺は詩を書こう。じっくり考えて詩を書いて、みずきさんへの感謝の意も込めて、みずきさんの本と同名のタイトルの三沢幸生ソロアルバムが出したい。三沢ユキの名前でもいい。
「三沢さん、私にも詩を書いて下さい。三沢さんの書いた歌が歌いたいな」
 彩花ちゃんもそう言ってくれた。彼女も素顔のままで生きて、素顔のままで恋をして、大人になっていくのだろう。俺だって素顔のままでいいんだよね。俺の好きなすべてのひとたちと、俺自身にも捧げるために歌おう。


「Don't go changing, to try and please me
 You never let me down before
 Don't imagine you're too familiar
 And I don't see you anymore

 I would not leave you in times of trouble
 We never could have come this far
 I took the good times, I'll take the bad times
 I'll take you just the way you are」

 歌っていれば俺の心に、別の歌詞が湧き上がってくる。ばくりにならないように気をつけなくちゃ、ってのも、英語だったら大丈夫。英語をばくる能力は俺にはないもんね。なくてよかったかも?

END






 

 

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