番外編

番外編51(IF……part2)

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番外編51「IF……part2」

1

 歌が上手ではなかったとしたら、どれほどの美少年だってフォレストシンガーズには入れてもらえない。なのだから、木村章の歌唱力が相当に図抜けているのは当然だ。ユキよりは落ちるはずだけど、顔もいいし歌もうまい。
 オリジナルメンバーの小笠原英彦さんが脱退してしまったから、フォレストシンガーズは新メンバーを募集していた。大勢の応募者の中から選ばれたのが章とあたし、三沢ユキ。章は十七歳、ユキは十六歳。
 もとは四人の大人の男性のヴォーカルグループから、ひとり抜けて残ったのは、三十一歳の本橋真次郎さんと乾隆也さん。三十歳の本庄繁之さん。そんな中に十代のメンバーを加えたのは、なんのせいなのかはユキは知らない。
 なんだっていいの。ユキは幸せなんだから。ちっちゃなころから歌手になりたくて、アイドルでもいいなと思ってはいたけれど、ヴォーカルグループのメンバーにしてもらえたのは嬉しい。たったひとりの可愛い少女だから、大人の男性たちが可愛がってくれるのも嬉しい。
 ちびの章だって嫌いではないけれど、彼はお兄さんたちにきびしく扱われていて、ユキは可愛がられてるからって嫉妬しているのか、あたしを敵対視する。章はひがみっぽいんだよ。だから十七歳にもなってちびなんだよ。
 喧嘩を売ってくる章と口論していると、乾さんに章が叱られる。章はぴしゃっとほっぺをぶたれたりもする。そんなときにはあたしがかばってあげるのに、ひねくれ少年の章はあたしが悪いみたいに言うんだから。
 ちょっとしたもめごとはよくあるけれど、そうやってユキも章もフォレストシンガーズのメンバーとして生きている。そんなある日、乾さんに言われた。
「海辺で歌づくりと歌の特訓のための合宿をするんだ。章とユキは俺が車で迎えにいくから、準備しておけよ」
 付き人のクニちゃんも加えて六人で、フォレストシンガーズの夏合宿がスタート。休みではないけれど、自由時間には泳げる。ユキは張り切って新しい水着も買って準備していた。
 当日は本橋さんの車にシゲさんとクニちゃんが乗り、乾さんの車にはユキと章が乗せてもらった。ユキは助手席にすわって運転している乾さんのナビゲイター。ナビなんかしなくても乾さんは道を知っていたし、運転もとっても上手だったけど、車はぼろなんだよね。ちょっとがっかりだった。
 たどりついた海辺の別荘は、フォレストシンガーズの所属事務所「オフィス・ヤマザキ」の社長が合宿のために借りてくれたものだった。先に泳いでから、ユキは夕食を作ると言い、章とクニちゃんを助手にして食事の支度をした。
 そこでクニちゃんが大失敗をして、食べられるはずもない夕食が完成した。クニちゃんがした失敗とは、ビーフストロガノフにワインとまちがえてお酢を入れたってこと。失敗はクニちゃんがしたのだと知ってはいたけれど、ユキはそれを章のせいにした。
 章は怒って、ユキを突き飛ばして海辺へ走り出ていった。シゲさんはユキの言葉を信じたけれど、乾さんは信じてくれなくて、問い詰められて白状してものすごく叱られた。
 生意気言ったりすると叱られるけど、いつもは乾さんはユキには優しいのに。あんなに叱られたのははじめて。怖くて泣いているユキに、乾さんは言った。
「人を陥れようとするなんて、人間としてはしてはいけないことだろ。おまえだって知ってるだろ。おまえは章をやめさせたいのか。ユキ、返事しろ」
「……声が……喋れない」
「泣くのは仕方がないんだろうな。十六の女の子に俺ががんがん言ったら、そりゃあ泣くだろ。だけど、今日は許さない。おまえが心から反省するまでは説教だ。わかったのか、ユキ!!」
 びしーっと言われて涙にくれて、ユキは言った。
「はい……もう章に意地悪はしません」
「章にもあやまれよ」
「章になんかごめんなさいはしたくないんだもん。乾さんにだったら言うから。ごめんなさいっ、もうしませんからっ」
「章にもきちんと詫びろ。でないと許さない。女の子にだって与える体罰はあるんだぞ。罰がほしいのか」
「乾さん……怖いよ、怖い怖いよぉ」
「当然だろ。人間として最低限のふるまいができないようでは、これからの長い人生は渡っていけないんだ。章に詫びろ」
「はい」
 いやだったけど、シゲさんに連れられて戻ってきた章に、小さな声で言った。
「ごめんね」
「……乾さんにひっぱたかれたとか?」
「うん」
「ええ? 乾さんって女の子もひっぱたくのか」
「そうだよ。あのね……」
 小声で言っていると、聞こえたらしく、乾さんにおでこをぴんっとされた。
「こら、ユキ。嘘をつくな。嘘を本当にしてやろうか」
「いやいやっ。でも、ぶったよ、今」
「ぶつってのはだな……ユキ、ここにおいで」
「いやですっ。ごめんなさいっ」
 叫んでいるユキを見て、乾さんは意地悪な笑み。本橋さんはやれやれと言いたげに肩を落とし、シゲさんもため息をついている。章とクニちゃんは、安心したような顔をしてごはんを食べていた。


 合宿二日目の午後、疲労困憊ってこれ、ってほどにくたびれ果てて、ユキは部屋のベッドで伸びていた。六人中では女の子はひとりだけだから、ユキは個室。章とクニちゃんが同室で、あとの三人も同じ部屋。別荘は小さいのだから、ユキだけがひとり部屋だ。
 女の子のユキがひとり部屋なのは当たり前だけど、寂しい。乾さんもひとり部屋だったら甘えにいくのにな。だって、ユキをこんなに疲れさせたのは乾さんなんだもん。
 鍛え上げられている喉を持つ本橋さんと乾さんとシゲさんは平気だったのだろうけど、章もくたくたになって怒られていた。ユキは怒られはしなかったものの、歌の特訓合宿ってこんなにきびしいの? であって、バカンス気分は一日で吹き飛ばされた。
 最初から言われていたのだから、血を吐くほどに鍛えられるのは当たり前。だけど、乾さんは章にもあたしにも無茶苦茶にきびしくて、本橋さんが止めてくれるほどだった。
「ユキは女の子で小さくて、体力だって乏しいんだから、そうまで……」
「甘やかすな。ユキは女だって知っての上で、うちに入れたんだろ。これしきでついてこられない奴はいらないんだ。ユキ、章、やるぞ」
「は、はい」
「泣くんだったら出ていけ」
 マゾじゃないんだから、きびしくされたり叱られたりしてしびれたりはしない。なのにユキは、きびしい乾さんを見ているとびびんっとなる。乾さんのきびしさも大好き。これがユキに向けられているんじゃなかったら、かっこいい、ですむけれど、びっしびっしきびしく指導されて、ユキは倒れそうになってしまった。
「ちょっと休憩だな。こんな時間か。昼メシは出前でも取るとして、届くまで部屋でやすんでなさい。章もいいよ。シゲ、本橋、ここは……」
 乾さんが言って、ユキと章はレッスンルームと決まっている部屋から出ていった。疲れは感じていないのか、大人の男性たちは部屋に残ってお話ししているらしい。章は口をきく気力もなくなっているようで、無言で出ていった。
 抱っこして部屋まで連れてって、なんて言えない。言いたかったけど、甘えるな、って叱られそうで、今日の乾さんは昨日とはちがったふうに怖かった。
「……前から乾さんって素敵だと思ってたよ。章は乾さんには手荒に扱われてて、いい気味だって思ってたんだよね。ユキにはいつもは優しくて、レッスンのときだとか、悪いことをしたときだとかにはきびしい乾さんは好き」
 ベッドにうつぶせてひとりごとを言った。
「昨日は怖いばっかりで、泣くしかできなかったけど、思い出すとかっこよかったよ」
 そんな乾さんは、章の歌や作曲を認めている。昨夜はごはんのあとで、本橋さんと乾さんが章の書いた歌の楽譜を見て、ここはいい、ここはちょっと……駄目だ、うん、ここは……とディスカッションしていた。
 駄目出しもされていたものの、章の作曲はおおむねは合格だったようで、もうすこし手直ししたらニューアルバムにおさめられるものになる、と言われていた。章は頬を染めて嬉しそうだった。
 だからなのかな。ユキは可愛いとは言ってもらえるけど、いたずらをして叱られたりはするけれど、作曲なんかできないんだから、その方面では褒めてももらえないし、会話に参加もできやしない。あんな才能のある章がうらやましくて嫉ましくて、嫉妬してるんだろうか。
 それであたしは章を苛めたくなる? ちがうもんっ。ユキは……だけど、八つ当たりしたーい。クニちゃんなんかからかっても面白くないのだから、ちょっと体力が回復してくると、章を苛めたくなってきた。
「入っていい?」
 章とクニちゃんの部屋のドアをノックすると、章の声が聞こえた。
「入ってくんな」
「クニちゃんはいないの?」
「クニは昼メシの準備だろ。先輩たちは話し中だよ。入ってくんなと言ってんだろうがよ」
 鍵はかかっていなかったのでかまわずドアを開けると、章はベッドにすわって譜面を見ていた。
「昨日、検討してもらってた楽譜? それってユキは歌わないってつもりで書いたんでしょ」
「そこらへんはアレンジ次第だろ。俺ももうちょっと考えて、アレンジは本橋さんや乾さんがしてくれるんだ」
「ギター持ってるんだ。歌ってよ」
「おまえになんか……」
 ユキも嫉妬しているのかもしれないけど、章もユキに嫉妬している。こうして意地悪ばかり言うんだから。
「クニも作曲をこころみてるらしいよ」
「クニちゃんも作曲できるの?」
「できるってほどでもないんだろうけど、昨夜、おまえが寝てからみんなで話してて、クニが言い出したんだよ。僕も作曲したら、見てもらえますか? って。本橋さんも乾さんも見てやるって言った。シゲさんは感心してたよ。おまえ、俺よりも音楽的才能があるんじゃないか、若いのにすごいな、ってさ」
「ユキだってそのうちには……」
「作曲なんて才能がないとできないんだ。シゲさんにできないって言ってるものが、おまえなんかにできるはずないだろ」
 やったこともないのだから、できないのかもしれない。悔しくて下くちびるを噛むと、章は意地悪く言った。
「それにさ、おまえ、乾さんが好きだろ」
「好きだよ」
「恋してるのか? おまえみたいなガキがさ……馬鹿じゃねえのか」
「馬鹿はあんただろっ」
「その口のききよう……乾さんは俺には、年長者に向かってなんだその口は、とかって怒るだろ。おまえは言われないのか、女のくせしてなんだ、その荒い口は、って?」
「言われないよっ!!」
 言われたことはなくもない。荒っぽい口をきいて、乾さんに穏やかにたしなめられた。
「女の子はメシを食うだの、腹ぺこだよー、だのって言わないもんだよ」
「乾さんたちは言ってるじゃないの」
「俺たちは男だ。男言葉と女言葉ってのはあるだろ。近頃は境界が崩れてはきてるけど、荒っぽい男に混ざって仕事をしてたって、悪影響は受けないほうがいいんだよ。どこまでだったらいいか、自分で判断はできるね」
「乾さんってお説教好きだよね」
「好きってのか性格ってのか……おまえがその可愛い声で、その愛らしい笑顔で、はい、わかりました、って言うのを聞くのは好きだな。言ってごらん」
「やだもん」
「ユキ、俺はおまえの二倍近い年だよ。こうやって言い聞かされてるときには、丁寧な受け答えをしなさい。はい、わかりました、ごめんなさい、と言いなさい」
「……」
「そんなんでべそをかくのか。ユキ、言いなさい」
「……はい」
「困った子だね。泣くな」
 頭を撫でてティッシュを差し出してくれた乾さんを思い出していると、章が言っていた。
「大人の男には媚を売って、女だからって色仕掛けみたいな真似もして、だから俺はおまえなんか嫌いなんだよ」
「昨日のことを根に持ってるんだ。あたしだって章なんか大嫌い」
「根に持つに決まってるだろ。おまえが悪いんだろうが」
「おまえだって悪いだろ」
「俺のどこが悪いんだよっ。おまえにおまえと呼ばれたくねえぞ」
「ユキだって、おまえにおまえなんて呼ばれたくねえんだよっ!!」
「その口のききよう、乾さんの前でもできるのか」
「できるよーっだ」
 喧嘩をしていたので気がつかなかったのだけど、クニちゃんが部屋を覗いていたのであるらしい。クニちゃんは章とユキが喧嘩をしているとうろたえるばかりなので、乾さんに言いつけたのだろう。ドアが開いて、乾さんとクニちゃんが入ってくるのを見た章が言った。
「言ってみろよ。乾さんにもおまえって言えよ」
「……おまえなんか出ていけよ」
 好きなひとにおまえだなんて言いたくないのに、乾さんに向かって言ってしまった。乾さんは冷静な声で問い返した。
「おまえって俺か。章との口喧嘩の末の台詞なんだろうけど、女性がおまえなんて呼んでもいいのは、息子か孫にぐらいだな。俺はおまえの息子か」
「乾さんはユキにいつもおまえって……」
「いやだったのか。それは悪かったね。ユキさん、すみません。これからは呼び方を改めますよ。女性には接し方を変えないといけないんだったな。妹みたいに思ってておまえって呼んでたけど、本橋とシゲにも言っておく。これからはあなたと呼ぶよ。章もそうしろ。クニは今まで通りでいい。クニ、昼メシが届いたんじゃないのか」
「あ、はい」
 クニちゃんが部屋から出ていく。章は黙って立っている。乾さんはユキに言った。
「あなたも昼食を食べて、練習再開だね。ユキさん、これからはなれなれしくはしないから、それでいいでしょ」
「いやっ!!」
「いや?」
「いやいやいやっ!! ユキはみんなに……ああん、乾さんの意地悪っ!!」
「はて? ユキさんのお望み通りにしたのに、ご不満ですか」
「前と同じにして。乾さん……乾さん……」
 涙が出て視界が曇ってくる。乾さんはユキを見つめていて、章も部屋を出ていった。
「乾さんって皮肉っぽくて意地が悪いのは知ってたけど……そんなのやだもん。妹じゃなくて……あのね、乾さん?」
「妹のような子でもあり、仲間でもあると思ってましたよ。あなたも俺の態度をいやがってはいないと思って、まあ、後輩のようにして接してたんだけど、どうしてほしいんですか」
「……そんな喋り方はやだってば。そんなんだったら……そんなふうに意地悪されるんだったら、昨日みたいにがんがん叱られるほうがいいもん」
「さっきの喧嘩は誰が悪いんだ」
 口調がいつもと同じになって、ユキは涙を飲み込んで言った。
「両方……かな。章も意地悪だったけど……」
「意地悪な章と、意地悪な乾さんに囲まれてると、あなたも苦労しますね」
「その意地悪はやなのっ!! おまえって呼んで」
「このわがまま娘。おいで」
 おいでと呼ばれると涙がわーっと出てきて、ユキは乾さんの胸に抱きついた。
「章もおまえも特訓で疲れたんだろ。疲れたんだったらおとなくししてりゃいいものを、ここは章の部屋なんだから、おまえが入り込んで喧嘩を売ったんだろ。章も口がすぎるんだろうけど、いつだっておまえもそうじゃないか。おまえでいいんだね、ユキ?」
「うん」
「返事ははいだろ。はい、わかりました、だ。ユキ、悪い子は誰だ」
「……ユキ、ええん、ごめんなさい」
「よしよし、おいで」
 乾さんのこの言葉、「おいで」は大好き。メシにしような、って抱き上げられて、章の部屋から運んでいかれる。叱られると怖いけど、優しくなった乾さんは大好き。妹だって後輩だって仕事仲間だっていいから、恋人になんかしてもらえないのはわかってるんだから、ユキはこうして乾さんに甘えていたいの。


2

 昨日はほぼ一日練習で、お昼はお蕎麦、夜はクニちゃんが作った不器用なサンドイッチだった。疲れすぎたユキは早くに寝てしまったので、早くに目が覚めた。
「ユキ」
 浜辺を歩いていると声が聞こえた。
「乾さん……ジョギング?」
「昨日も走ってたよ。知らなかったか。ユキはどうだ?」
「ユキも走るの?」
「無理強いはしないけど、いい鍛錬になるんだよ。いやじゃなかったらついておいで」
 ジョギングなんてやったこともないけど、乾さんについていけるんだったら走ろう。着替えてこようと駆けていって走って戻ってきたら、乾さんが待っていてくれた。
「シゲさんや本橋さんは?」
「まだ寝てたけど、そのうち来るだろ。あいつらも朝には走ってるよ。章とユキは特訓でへたぱってるようだから、声はかけなかったんだ」
「乾さんと一緒に走れるんだったら、へばったりしません」
「うん。あとは黙って走れ。喋ってると疲れるぞ」
 お喋りできないんだったらつまんないな、と思ったけれど、乾さんの命令なんだから口を閉じた。でも、お喋りができないとユキはむしろ疲れが激しくなってくる。
「ユキ、このペースで大丈夫か」
「……乾さん、置いていかないでね」
「ああ、ゆっくりついておいで」
 すこしうしろから、乾さんの背中を目標に走る。ブルーグレイのTシャツと白いジョギングパンツの乾さんについていっていると、ユキの隣に男の子が並んだ。
「誰?」
 背はユキよりは高いけれど、中学生だろうか。華奢な美少年はユキを無視していて、乾さんが振り向いた。
「朝だったらいいけど、昨夜はうろうろしてたんじゃないだろうな」
「してたかもしれないよ」
「一昨日の夜に外をほっつき歩いていたのを保護したんだ。穂高、ユキにも自己紹介しろよ」
「この子は誰?」
「この子って言い方、失礼だね。あたしはフォレストシンガーズのメンバーだよ」
「嘘だろ。フォレストシンガーズって男四人のグループじゃないの?」
 乾さんが話してくれた。
「一昨日はユキが寝てしまってから、章と四人で話してた。章も部屋に引き取ってから、大人たちは飲みに出かけたんだ。本橋とシゲと俺の三人で合宿所からは離れた飲み屋に行ったら、子供がいたんだよ。飲み屋のママさんの息子ってわけでもないようで、ママさんに言われてた。中学生はこんなところにいたらいけないのよ、早く帰りなさい、って。しかし、こいつはママさんの言うことを聞かない。ママさんに目で頼まれたんだよ。他には客もいなかったから、この坊やを帰らせてちょうだいよ、って言われてるんだろうと思って、本橋が言ったわけさ」
 こら、ガキはさっさと帰って寝ろ、と本橋さんに言われた穂高は、べらべらっと口答えして本橋さんにぶたれそうになって、シゲさんが止めた。乾さんは穂高にお説教をして、三人して穂高を送っていったのだそうだ。
「ここらへんは別荘も多いけど、普通の住宅もあるんだね。その中の一軒に穂高を送り届けて、俺たちも合宿所に帰って寝たんだよ。穂高は中学生だろ」
「そうだよ」
「夏休みの宿題はしてるのか」
「僕は登校拒否だから、学校にも行ってないの。宿題なんかないもん」
「こいつは嘘つき少年なのかな。ユキも真剣に聞くなよ」
 ゆっくり走っているあたしたちについてくる穂高の事情は、なんとなくはわかった。
 大人の男性はユキを可愛がってくれるけど、年頃の近い男の子には好かれないようで、子供なんかに興味はないからいいのだけど、穂高もユキをいやな目つきで見る。いやな目つきというか、関心なんかない目というか、そんな視線でちらりとユキを見てから、穂高は乾さんのジョギングパンツを引っ張った。
「やめろよ、脱げるだろ」
「乾さんのパンツ、スヌーピーのプリントなんだね。見ちゃった」
「男のひとのパンツを見たがるって、穂高って変態」
 言ったユキを無視して、穂高はもう一度、乾さんのジョギングパンツを引っ張ろうとする。乾さんは立ち止まって、穂高を見下ろした。
 小さいユキは百五十センチほどしかない。穂高は章とユキの中間ぐらいの背丈か。百六十センチはないと思える。乾さんは百八十センチ足らずだと聞いているから、ユキや穂高は見下ろされる。乾さんを見上げる穂高の目には、変な感情が漂っている?
「今度やったら張り倒すぞ」
「そのぐらいで怒らなくてもいいでしょ」
「おまえは女の子の前で脱がされたいのか」
「脱いであげてもいいよ。乾さんも僕のパンツが見たい?」
「見たくねえんだよ」
 吐き捨てた乾さんに、穂高は言った。
「フォレストシンガーズって僕は前から知ってたよ。知ってたから聞かなかったんだけど、一昨日会った本橋さんとシゲさんと、乾さんともうひとり、ヒデさんって男の四人のグループじゃないの?」
「ヒデが脱退したから新しいメンバーを入れたんだ。このユキと、章っていう十七歳の男との五人グループになったんだよ」
「なんでそんな子供を入れたの?」
「オーディションに応募してきた人々の中では、ユキと章の歌唱力がずば抜けていたからだ。それだけの理由でもないけど、それが一番の材料だったな」
「章って……乾さんのそばにいるのか」
「そりゃそうだよ。フォレストシンガーズの合宿をしてるんだから、章も来てる。クニっていう十六歳の少年も来てる。おまえとだったら年も近くて話し相手にもなるかな。紹介しようか」
「いらないよ。僕はユキとも話しもしたくないんだから。おまえは帰れよ」
「なんであんたに帰れって言われなくちゃいけないんだよっ!!」
 むかっとして言い返すと、乾さんも穂高に言ってくれた。
「生意気な口をきくな」
 章を叱るときと同じ調子。ユキには乾さんはもうすこし静かに言ってくれる。穂高の口がとんがったので横からつついてやると、その指に噛みつかれた。
「痛ーいっ!!」
「穂高!!」
 乾さんが穂高をつかまえて、頭をごつんと叩いた。
「いていてーっ!!」
「ユキに乱暴するな。今度やったら張り倒すぞ」
「乱暴ってほどのこともしてないでしょ。やだよ。僕は乾さんのお説教はびびって来るんだけど、叩かれるなんてやだからね」
「ユキ、おまえも穂高に手を出すな」
 はーい、と声をそろえると、乾さんは腕をゆるめた。
「ジョギングだったらいいから、穂高もおとなしくついてこい」
「乾さんってわりかし荒っぽいんだよね。でも……」
「もしかして……穂高って乾さんに……」
 穂高はあたしだったら無視する。乾さんは前を走っていて、ねえねえ、と話しかけようとしても、乾さんまでが無視する。返事はしてもらえないみたいだけど、ユキは言った。
「そうなんだ。穂高って変態なんだ。男の子なのに乾さんに恋しちゃってるんだ。そうなんでしょ? 穂高はお説教されるのが好きなの?」
 やっぱり穂高は返事をしてくれなくて、乾さんが言った。
「変態ではないんだろうけど、俺にはそんな趣味はないんだよ。ユキもよけいなことは言うなよ」
「変態じゃないの?」
「人の恋心の対象がどうであれ、変態とは呼ばないよ。だからって俺は穂高には恋はされたくない。説教癖はあるから、悪さをしてるガキを叱りたくなるのはユキにでも章にでも穂高にでもなんだよな。それにしたって、恋なんかじゃないだろ」
「ユキが恋するんだったらいいの?」
「おまえが俺に? あるわけないだろ」
「あったらどうするの?」
「俺の恋する対象は、大人の女性だよ。おまえたちはおまえたちにふさわしい相手を見つけなさい」
 はっきり言われちゃった。悲しいけど、最初からわかってたんだものね。
「走るって疲れるよね」
「疲れたんだったら帰れよ」
「やだ、帰らない」
 乾さんと穂高は言い合っていて、ユキも疲れてきた。乾さんは細いけど体力があるんだよね。合宿所から離れて走っていたので、帰り道は遠い。おんぶしてって言ったら叱られるかな。それしきで疲れてるんだったらついてくるな、おまえも帰れ、と言われそうで、涙が出そうになってきた。
「どうした、ユキ? 無口になっちまったな。ジョギングって体力作りには役立つんだけど、おまえは慣れてないだろ。疲れすぎて今日の歌のレッスンができなくなったら元も子もないよ。ほら、おぶされ」
 おねだりしなくても乾さんが言ってくれた。嬉しくて背中におぶさると、穂高が不満そうな声を出した。
「乾さんって女の子には優しいんだよね」
「当たり前だろ。優しいってか、男としては普通だよ」
「そっかなぁ。僕は女の子は嫌いだもん。そうやって乾さんにべたべたしてるそいつを見てると、蹴飛ばしたくなってくるんだから。こうやってさ……」
「穂高、ユキを蹴ったりすると、二度と俺たちの前に顔を見せるなと言われるんだぞ。いいのか」
「……こわっ。でも、かっこいい」
 これはもうまちがいなく、穂高は乾さんに恋してる。女の子のユキは若すぎるから、乾さんの彼女には絶対にしてもらえない。穂高はユキ以上に若い上に男の子なのだから、絶対の二乗は乾さんに受け入れてもらえない。安心もできる半面、かわいそうにも思えた。
「しないよ。したいけど……」
「女の子が嫌いだって言うのはおまえの勝手だけど、乱暴なんかすると人間としての値打ちが下がるんだ。心して行動しろ」
「乾さんは僕に乱暴するじゃん」
「ガキの教育は別だよ」
「……すっげえ勝手な台詞」
「大人は勝手なものだ。おまえも学んだだろ」
 ユキを背負っていても、乾さんは重そうにもなく歩いている。穂高があたしの膝の裏側やらふくらはぎやらを、乾さんには気づかれないようにしてつついている。陰険なやり方なので腹が立って、悲鳴を上げてやろうとしていたら、乾さんが言った。
「女の子に興味がないのだとしても、男がそういうことをやるのは痴漢行為だよ。警察に突き出そうか」
「もうっ、乾さんったら次々に脅し文句を使うんだから」
「ユキに触れるな」
「乾さんの手も、そいつの変なところに触れてるよ」
「おぶってるんだからしようがないだろ。代わるか」
「死んでもいやだ」
「ユキも穂高におんぶしてもらうぐらいだったら、ひとりで歩くよ」
「歩けるんだったら歩けよ。甘えんな、見苦しい」
 はじめてあたしに直接口をきいた穂高に、あたしも言った。
「あんたがこうしてほしいんでしょ? 章だってそうだよね。ユキが本橋さんに抱っこしてもらったりしてると、うらやましそうだもん」
「章なんて知らないけど……乾さん、僕も肩車して」
「ユキを背負っておまえを肩車? シゲだったらできるかもしれないけど、俺には無理だよ」
「できない?」
「できないよ」
 寂しそうに乾さんを見上げる穂高の目。章だったら舌を出してやるところだけど、穂高には乾さんに対して似た感情を持っているせいか、同情してあげたくなってきた。
「ユキは乾さんにおんぶしてもらって、疲れが取れてきました。今度は穂高にしてあげて」
「男は自分の足で歩け。ってのかさ、俺だってユキを背負ってるほうが気持ちいいんだよ」
「えっちーっ!!」
「乾さんもえっちなんだ」
 ぼそっと言った穂高が、スニーカーを履いたユキの足を拳骨でこつんこつんやっている。うらやましくてやっているのだろうし、痛くはないから我慢してあげた。


 高い声は訓練すれば出るようになる、と教わった通りに、ユキの声域は広がってきているみたい。低い声は出ないけど、あたしはソプラノだし、男性のグループで歌っているのだから、高い声が出るほうがいいとみんな言ってくれる。
 今日も歌の練習で疲れて、ごはんはあたしが作ろうと決めていたのが実行できない。でも、クニちゃんは不器用だからおいしくないものばかり食べさせられそうで、キッチンに行ってみた。
「クニちゃん……なにを作るの?」
「ユキさんは休んでて下さい。僕がしますから」
「買い物には行った?」
「行ってきました。今夜はすき焼きですよ」
「この暑いのに?」
「すき焼きって暑いですか。夏の食事じゃないのかな。ごちそうを食べて元気を出してもらいたかったんですけど、夏には合いません?」
「男はお肉が好きだもんね。いいよ、作って。手伝うから」
「ユキさんは優しいんですよね」
 大人たちは夜中に脱け出して飲みにいったりしている。章やあたしは未成年だから連れていってもらえないのは当然だけど、ずるいんだから。
 飲み屋のママさんは大人の女性なんだろうな。若いのかな、美人なのかな、なんて考えながら、今日はユキがクニちゃんの助手。すき焼きの支度はそんなに大変でもないので、野菜を洗ったりお豆腐を切ったりしていた。
「あれれ? 白ネギは?」
「そんなのなかったよ」
「買い忘れたかな」
 あったのだけど、ユキがそっと捨てた。あたしはネギは大嫌い。こんなの嫌いだと言って食べなかったら、乾さんに叱られる。ユキは穂高じゃないんだから、乾さんに叱られるのはいや。褒めてほしい。
「ユキは好き嫌いが多いんだよな。サンドイッチのピクルスもはねてただろ。出されたものは全部食べなさい。ネギは喉にいいんだよ。好き嫌いは駄目だよ。めっ!! 食べなさい」
 なんて、ママみたいに叱る乾さんはあんまりかっこよくないの。所帯じみた台詞なんて聞きたくないんだから。
「煙草をいたずらするんじゃない。めっ!!」
 あっちの台詞だったら素敵なのに、叱られる内容によって、乾さんがかっこよく見えたり、ママっぽく見えたりするのだった。
 汗だくで夕食の支度をして、シゲさんも手伝ってくれて野菜や肉を運んでいく。暑いけどうまいな、と言ってみんな食べている。バーベキューもいいよな、明日はそうしようか、なんて話もしていると、本橋さんが言った。
「ネギはないのか、クニ?」
「買ったはずなんですけど、忘れてきちゃったみたいです。すみません」
「そうなのか。マーケットの袋の中に残ってないか。見てくるよ」
 なんでネギなんか好きなの? ないと物足りないの? あたしがそう思っていると、乾さんがキッチンに行き、長い白ネギを手にして出てきた。
「あれれ? ありました?」
 クニちゃんが首をかしげ、乾さんは言った。
「ゴミの中に袋にくるまって捨てられたよ。おまえだろ、ユキ」
「え?」
 首をすくめたからばれちゃったみたいで、章が言った。
「そういやぁ、おまえ、ネギは嫌いだって言ってただろ」
「嫌いだからって捨てたのか。クニの失敗になっちまうじゃないか」
 シゲさんが言い、本橋さんも言った。
「袋にくるまってたんだったら、ゴミ箱に入ってたのだって食えるだろ。しかし、こら、ユキ」
「……ゴミの中に入ってたネギなんて、ユキは食べません」
「おまえなんかゴミの中のネギを食ったって平気だろ。食えよ。全部ユキが食え。俺は腹が弱いから食わないよ。全部ユキが食えよな」
 章が言い、クニちゃんも言った。
「切ってきましょうか。汚れてはいませんよね」
「俺もネギは食いたいけど、ユキも食えよ」
 本橋さんが言い、やだやだ、と言っていると、乾さんも言った。
「好き嫌いは言うし、嫌いだからってクニが買ってきたネギを捨てるし、ユキには罰を与えないといけないな」
「……なんの罰ですか。乾さん……ユキさんがかわいそう」
 クニちゃんが言い、乾さんはにっこりして言った。
「栄養になる罰だよ。半分は俺たちも食うけど、ネギの半分を食うのはユキのノルマだ。ユキ、文句を言わずに食え」
「やだっ!!」
「じゃあ、別の体罰だな。さてと、どうしようか」
「いやぁーっ!! 食べますっ」
「当然だろ。まったくもう、めっ!!」
 今夜もママみたいな乾さんに叱られて、ネギをたくさん食べさせられた。クニちゃんとシゲさんは気の毒そうにユキを見てくれていたけれど、章はにやついている。本橋さんは乾さんになにやら囁きかけている。このあたりで許してやれよ、と言ってくれたのかもしれないけれど、残酷な乾さんは、いいや、駄目だ、ノルマは達成させるんだ、と断固として言ったのだった。


3

 十四歳の穂高、十六歳の國友、十七歳の章。真ん中の年齢のひとりはそうは呼べないけれど、あとのふたりは美少年、顔は美少年で性格ブスってやつではあるが、体格も男っぽくはないので似合いそう。あたしの部屋にいる三人を見回して言ってみた。
「このゆったりしたワンピースだったら着れるんじゃない? 男の娘ってのが流行ってるんでしょ。着てみない?」
「男の子って、僕らは男の子ですけど……」
 クニちゃんが言い、章も言った。
「俺は男の子じゃなくて、男だよ」
「ユキが言ってるのはさ……」
 あとのふたりは知らないらしいので、穂高が説明してくれた。
「男の娘って書くんだ。男の娘で「おとこのこ」。知らないの? 遅れてるね」
「遅れてるよね。流行ってるんだよ。三人とも似合うと思うんだ。誰か、着てみてよ」
 やだっ、と章は言い、クニちゃんは赤くなって首を横に振っている。穂高はユキのワンピースを手に取って、その気になっている様子だった。
「章は骨っぽいから駄目かもしれないし、背も三人の中では一番高いよね。穂高だったらきっと似合うよ。着てみる?」
「……んんとんんと……」
 もうひとりは美少年じゃないしね、と思っていたもうひとりの、クニちゃんが言った。
「それって女装って言うんでしょ? 穂高くんってそんな趣味があるの?」
「僕にはないけど……ユキがやれって言うんだろ」
「まあ……似合いそうだけど……着る?」
「えーと……どうしようかな」
 必死になって決心しなくてはできないことか? いやそうな顔をして黙っている章と、赤くなっているクニちゃんと、ためらいまくっている穂高を見ていると、あたしが苛々してくる。
 合宿中日の今日は最初で最後の休日。穂高が遊びにきた。大人三人はどこかでなにかをしているのだろうけど、ユキは知らない。乾さんは穂高に会いたくなくて、逃げ出す相談でもしているのかもしれない。
 こっちは少年少女がユキの部屋に集まって、大人たちにはよからぬ相談だと言われそうな話をしている。クニちゃんと穂高がこそこそ小声で話し合って、結論が出たようだった。
「着てみるからさ、クニに手伝ってもらうから、章とユキは出ていけよ」
「ここはあたしの部屋……」
「こら、ドスケベ女。おまえは俺たちにじきにえっちえっちって言うけど、えっちはおまえだろ。男が着替えるんだから出ろ」
 章が言ってあたしを睨む。女の子の服を着るとはいっても穂高は男の子、男の娘になるんだとしても、あたしは出ていかないといけないのか。
「勝手にすりゃいいんだ。俺は見たくもないからな。ユキ、行こうぜ」
「うん、まあね。ユキは見たいから楽しみにしてるね」
 ワンピースなんて簡単に着られるだろうから、クニちゃんに手伝いはおまかせして、ユキは章と外に出た。章は小さな声で尋ねた。
「下着もおまえのを貸すのか?」
「やーだ。えっちっ!!」
「下着はそのまんまでいいのかな。うげ、げろっ、やだな」
「なんでそんなにいやがるの?」
「俺はまともな男だからだよ。あの穂高って奴は……うげうげっのげろげろっ」
 ふたりしてダイニングルームに行くと、本橋さんと乾さんとシゲさんもいた。それからもうひとり、あたしも知っている男の子がいて、乾さんが紹介してくれた。
「社長の息子の数馬だよ。合宿の残り三日間、ここでアルバイトさせてくれって社長に頼まれたんだ。数馬、挨拶しろ」
「ちわ」
 ぶっきらぼうにひとことだけ言った少年は、ユキと同い年だと聞いている山崎数馬、「オフィス・ヤマザキ」の社長の息子だから、会ったことはある。彼も生意気そうな美少年だ。
「穂高とクニは?」
 シゲさんに訊かれて、さああ? ととぼけて、六人でお茶を飲んだ。章と数馬は相性がよくないのか、ちらっちらっとガンを飛ばし合っていて口をきかない。シゲさんは本橋さんに内緒話をしかけている。あたしは乾さんに言った。
「アルバイトって、数馬はなにをするんですか」
「クニも作曲に手を染めてる。あいつは俺たちの付き人ではあるけど、シンガーソングライター志望の前途有望な少年でもあるわけだろ。あいつの望みが一日でも早くかなうように、俺たちも手を貸してやりたいんだ。付き人として合宿の雑用をやってると、作曲してる時間が足りない。そのためもあってバイトを頼んだっていうか、社長に頼まれたんだよ。数馬を鍛えてやってくれってさ」
「数馬も章と同じ立場?」
「章とはちがうけど、年は同じくらいなんだから、基本は同じだな」
「ユキだけがちがうんだ」
「ユキは女の子だけど、仕事の方面ではしごかれただろ」
「はーい、とってもとってもしごかれました」
 運動部の合宿以上にきびしい日々だったけど、歌を鍛えられる以外は優しくしてもらった。乾さんがきびしすぎるって、本橋さんはあたしをかばってくれた。シゲさんなんかはおろおろしていた。
 もちろん、歌では本橋さんにもシゲさんにもいっぱい教わって、合宿に来てからユキの歌唱力はアップしたはずだ。大人の男のひとたちのきびしさも優しさもあったかさも受け止めて、ユキは先輩たちがいっそう大好きになった。
 章に意地悪をして乾さんにひどく叱られたり、ハーモニーについて教えてくれるシゲさんの言葉を熱心に聞いたり、日常生活ではこうしたらいいよ、と歌手としての心得を話してくれる本橋さんを、先生みたいだな、って見つめていたり。
 そんな合宿も半分は終わった。ユキも成長したかな。秋になったらフォレストシンガーズのライヴツアーがはじまるから、いっそうがんばらなくっちゃ。
「あん?」
 ユキがそんなことを考えていると、クニちゃんと美少女があらわれた。本橋さんとシゲさんが顔を見合わせ、乾さんは眉根を寄せて美少女を見ている。章はうげげっと言いかけてから、表情を変えた。おー、綺麗じゃん、であろうとユキには思えた。
「誰?」
 ただひとり、この美少女が誰なのかを知らない、数馬が言った。
「女の子ってユキ以外にもいた? フォレストシンガーズはもうひとり、女のメンバーを加えたの? パパからは聞いてないよ」
「俺たちも聞いてないけど、ユキの友達か?」
 本橋さんが言い、シゲさんも言った。
「そうなのか、ユキの友達?」
「あ……はい」
 もしかしたらもしかして、ではなくて、おそらくは、シゲさんも本橋さんも気づいていない。乾さんは気づいているようだけど、言わずにいる。章は当然知っているけど言わない。あたしも言わないことにして言った。
「そうなんです。朝のうちに遊びにきたユキの友達、ほのかちゃんっていうの」
 ほ、だけが同じの偽名を作って紹介すると、穂高は無言で頭を下げた。クニちゃんも言わないつもりらしく、うつむいている。
 淡いピンクと白の水玉の半袖ワンピースは丈が長めで、ほっそりした穂高にはとってもよく似合っている。穂高は髪も長めなので、ユキのヘアアクセサリーをつけていると、本物の女の子にしか見えないのだった。
 声を出すとばれるからなのか、穂高は口をきかない。本橋さんとシゲさんと数馬はだませただろうけど、乾さんは? と見やると、乾さんは顎をしゃくって立ち上がった。ユキもついていくと、合宿所の庭に出ていった。
「なんのいたずらだよ、ユキ」
「男の娘」
「おとこのこ?」
「流行ってるんですよ。知らない?」
「……男の……娘って書くやつだな。ネットで見たことはあるよ。穂高だったら似合ってるからいいけど、本橋やシゲをたばかるのはなんの意味だ?」
「面白いから。気づくまで言わないの」
「気づかないんじゃないのかな、あいつらは。男の娘なんて発想もしないんじゃないか。ネットで見たとしても、なんだ、こりゃってな具合で、男の娘って文字をスルーするだろうから記憶にもとどめてないよ」
 あのひとたちだったらそうだろう。本橋さんやシゲさんは、男らしくない男は嫌いな男なのだから。章も意外にもそうらしいけど、乾さんはそうじゃないの?
「遊びだったらいいよ。で、これからどうするつもり?」
「別にどうって……」
「ほのかちゃんの正体がばれたとしても、本橋もシゲも怒りはしないだろうけどね」
「怒ったらかばってね」
「知らないよ。いたずらお嬢さん」
 意地悪を言ってるけど、そうなったら乾さんはかばってくれるもん。ただのいたずらなんだから怒るな、って言ってくれると、あたしは信じていた。
「数馬にも似合いそうですよね」
「あいつに女装しろなんて言うなよ。数馬は節度がないんだから、章どころじゃないぞ。ほらほら、聞こえてきた」
 庭にまで聞こえてきたのは、数馬の怒鳴り声だった。
「なんだよっ。気持ちの悪い女だなっ!! さわんなよっ!! 俺は女なんか大嫌いだっ!! ユキも大嫌いだけど、おまえもだっ!!」
 あたしは言った。
「ユキは数馬に嫌われる筋合いないんだけど……」
「ほとんど接触もしてないんだもんな。あの年頃の少年の中には、女なんて大嫌いだと言いたがる奴がいるんだよ。穂高も女は嫌いだって言ってたけど、女の子の服を着たいのか。穂高と数馬は似てるのか、似てないのか……」
「喧嘩になりません?」
「本橋もシゲもいるんだし、ほのかちゃんは女の子だと思い込んでるんだから、数馬が乱暴しそうになったら止めるよ。ユキは俺と散歩に行こうか」
「ほのかちゃんから逃げたい?」
「あまり見たいものではないな。無責任だけど逃げよう」
 じっくり「男の娘」を見たい気もするけれど、乾さんとのお散歩のほうがわくわくする。ここから抜け出そうか、と乾さんが言って、別荘の低めのブロック塀によじ登って手を差し伸べてくれる。乾さんがユキの腰を抱え上げようとしたとき、章の叫び声が聞こえた。
「破れたじゃんかよっ!! 数馬、やめろっ!!」
「……行くしかないか」
 乾さんがぼそっと言って、ブロック塀から飛び降りる。なーんだ、がーっかり、とはなったものの、あたしも別荘に戻っていく乾さんのあとから走っていった。
「女の子になんてことを……あれれ? ありゃ?」
 シゲさんが数馬をつかまえている。数馬はシゲさんの腕の中で暴れようとして、ありゃりゃ、と言ったシゲさんの声に反応して穂高を見た。
 数馬が穂高に飛びかかって服を破ったのか。本橋さんとシゲさんがふたりを引き剥がしたのか。穂高は本橋さんの腕に抱えられていて、ワンピースの胸元が大きく破れて素肌が覗いていた。その素肌はもちろん、男の子のぺったんこの胸。
「……ユキのワンピースを破ったなっ!!」
 むかっとしたのであたしも叫ぶと、乾さんがあたしを抱き寄せる。本橋さんは目を手でふさぎ、シゲさんが言った。
「ごめん。見えた……ってかさ、男だろ、きみ?」
「男? そしたら見てもいいのか」
 本橋さんが目を開け、穂高の胸を見下ろす。数馬も言った。
「男がその服……ユキの服? なにやってんだよっ!! おまえらは!!」
「もしかして、きみって……おまえ、穂高か」
 この期に及ぶまで気づかないとは、本橋さんらしい。シゲさんも言った。
「穂高なのか。なんでまたユキの服を……」
 こうなったらばらすしかないよね。ユキは観念して、いたずらを白状したのだった。


 ミルクいろのもやもやの中にいるのは、小柄な男のひと。小柄ではあっても大人なのだろう。大人にしては高い声で、彼は言った。
「昼間は大騒ぎだったね。いたずらをそそのかしたのはユキちゃんなのに、数馬が本橋さんにごつんとやられて、数馬が不公平だってわめいてさ」
「あなたは誰?」
 どこで見ていたの? 尋ねても答えてくれないので、ユキは言った。
「ユキだって大事なワンピースを破られちゃったんだよ」
「章や穂高は美少年だけど性格ブスだって言ってたろ。ユキちゃんだって相当なもんだな。きみは美少女だけど性格は綺麗じゃないだろ。なんで章を苛めるの? ああ、知ってるよ。嫉妬だな」
「……嫉妬なんかしてないもん」
「認めたくないんだよね。しかし、不思議だな。きみも男の娘? ちょっとちがう?」
「ユキは女の子だよ」
 男の子、ではなくて、男の娘だと言いたいのだろうとわかる。これは夢?
「きみは俺……俺であって俺ではないユキちゃん。章の夢の登場人物だったはずなんだけど、きみが生きてる世界は現実だろ。俺は女の子になって先輩たちに甘えてみたいって思わなくもないんだ。その意味ではきみがうらやましいよ。十六歳の可愛いユキが、本橋さんに抱っこしてもらったり、乾さんに叱られて泣いたり、甘えてみたり、シゲさんにもかばってもらったり。男のまんまでも俺も近いんだろうけど、やっぱちがうもんね」
「あなたがあたし?」
「不思議はいくつもあって、夢なんだって考えたら理屈はつくんだけど、なんなんだろうね。これは、俺の夢ではなくて章の夢。女の子のユキは章の夢から生まれたんだ。その世界がここで、きみの認識では現実なんだよね」
「……わかんない」
「俺は結局は男だから、章の立場のほうがいいよ。十七歳で先輩たちの弟子みたいになって、音楽を教えてもらったり、殴られたり叱り飛ばされたりもして鍛えられたり、そうやって育っていきたい。だからさ、俺は章に嫉妬してるのかもしれないよ。きみには嫉妬はしないんだけど、なんだか変な感じだな。可愛いもんな、ユキちゃんは……」
「だから、あなたは誰なの?」
「可愛いんだけどさ、性格はもうちょっとなんとかしなさいね。俺は見てられないんだよ。まあ、基本的にはきみは俺だから、こりない奴ってのも似てて、乾さんに叱られたってその性格ブスは容易には直らない。ってのか、俺は性格ブスじゃないぞ。章、おまえの偏見だろ」
 わけのわからないことばかり、彼はモノローグのように話し続けていた。
「女の子だからって差別はされてるけど、きみはそうやってシンガーとしては大人の男たちに鍛えられて、素晴らしい歌手になれるよ。なんたってユキなんだから、歌の才能はある。作詞作曲も近くできるようになる。俺が保証してやるから、性格も矯正しなさいね」
「……なんだかわかんないんだけど?」
「章の男心も慮ってやって下さい。ユキちゃんからのお願い」
「ユキはあたしだよ」
「俺もユキなんだよ」
「ユキ……ユキ……わかんないよーっ!!」
 悲鳴みたいに叫んだら目が覚めた。
 なんなの? ユキは章の夢の登場人物? そんなはずないじゃん。ユキはここにちゃんと生きて動いてる。章の夢から生まれたんじゃなくて、ママから生まれたんだよ。
 窓のカーテンごしに朝の陽射しがきらきらと見える。今日も合宿。ベッドから起き上がって部屋のフロアを踏みしめる。ユキには足もある。生きてるって実感もある。夢の登場人物なんかじゃなくて、ユキはユキ。
「あなたもユキ? そっちが夢じゃん。夢の登場人物はあんたでしょうが」
 クロゼットを開けると、昨日、数馬が破ったユキのワンピースが入っている。胸元が裂けてしまったから修繕もできなくて、二度と着られやしない。お気に入りだったのに、数馬の馬鹿。穂高がなにをしたんだかよくは知らないけど、服を破らなくてもいいだろうに。
 あれで数馬は本橋さんに叱られて、頭をごっつーんとやられていた。破れたワンピースもここにあるのだから、あれは現実だ。
 穂高は帰っていったけど、男の娘に目覚めてまたやりたがるかな。そしたらユキも協力してあげようっと。
 数馬は章どころじゃないと乾さんが言ってたから、そんな少年がふたりになって、大人たちは大変だろう。乾さんもあとから言ってたっけ。
「ユキはおいたをしたりするんじゃないんだよ。いい子にしてなさい。数馬はあれなんだから、おまえはなるべく近寄らないほうがいい。数馬がおまえに乱暴したりすると、俺はあいつを張り倒さなくちゃいけなくなるだろ」
「それってユキがいけないから?」
「原因を作るのはおまえだろうからさ」
「ひどーい」
 とは言ったけど、数馬を鍛えるってほうにも、ユキは協力してあげなくちゃ。
 乾さんは本当は気が優しいんだから、章を叩くのだってしたくてやってるんじゃないんだよ。ユキを叱るのも章を叱るのも教育。数馬もきっと同じように扱われるんだね。子供なんだから当たり前なのかな。
「ユキの性格を矯正って……そんなのしなくていいの。ユキはユキだもん」
 消えかけている夢の名残の、大人の男だったユキちゃんに話しかけてから、ユキはエプロンを締めた。今朝はあたしがおいしくて栄養たっぷりの朝ごはんを作ろう。女の子としては、そっちもしっかり鍛えて、将来は乾さんの奥さんに……ってのは無理だとしても。


END
 





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