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小説148(学生時代)

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フォレストシンガーズストーリィ148

「学生時代」

1

キャンパスのベンチに腰かけてタイガーとふたり、昼食をしたためていると、感慨深いものがある。かたわらでのほーっと市販のお弁当を食べているタイガーの顔は、俗世間を超越していると皆に言われるだけあって、年齢も超越しているかに見える。
 浮世の義理もしがらみも、俗世の欲望もないのであるらしく、ただひたすら寄生虫と仲良くしていたら楽しいのだから、タイガーは年を取らないのだろう。
 が、私は彼と同い年とはいえ、欲も煩悩もあるのだから、年相応に老けていく。三十三歳だってよ、この私がさ、ひとごとみたいだな、と思ってしまうのだ。
 現在、加藤大河ことタイガーは、私たちの母校の医学部寄生虫学科、准教授の地位にいる。そして私、喜多晴海は、語学部中国語学科の講師の立場だ。タイガーはずっとずっとずーっと寄生虫とつきあって生きているのだが、私には俗な生活もあった。
 大学を卒業して、友達の小倉花蓮の口ききがあり、彼女の父親が社長である総合商社、小倉物産に職を得た。二十五歳で退職して中国に渡り、かの地で働いた。結婚しようと言ってくれた男もいたのだが、彼の親の反対で引き裂かれた。
 三十歳になる目前には日本に帰国し、しばらくは日本語教師をやって食べていたのだが、先ごろ、母校からの招聘で、卒業した中国語学科の臨時講師になったのだ。
 私なんかに大学の先生がつとまるか? 自分で自分を危ぶんだりもしたのだが、先生ったって臨時の講師だしね、ってわけで、生来の無鉄砲さも手伝って引き受けて、ただいまは学生たちには、タイガーと同じように「先生」と呼ばれているのである。
「晴海さんにはまだ話していませんでしたね」
 同じ先生ったって年季のちがうタイガーが、先に食事をすませて話しかけてきた。
「晴海さんはまだ食事中ですか。食事中にお話するのは無作法なのでしょうか」
「私はタイガーが黙って食べてるから、いっしょに黙ってただけだよ。なんの話し?」
「実はですね……」
 楽しそうな顔をして、タイガーが話してくれた。
「うちの学部に木村龍くんという青年が入学したのですよ」
「寄生虫のほうだよね」
「そうです。木村章さんはごぞんじでしょう?」
「フォレストシンガーズの?」
「さようです。木村龍くんは木村章さんの弟さんなのですよ。龍くんは兄上の影響なのか、合唱部にも入部したそうなのです。合唱部に入部すると、そこにももうひとり、晴海さんがごぞんじの方の血縁青年がいたそうなのですよ」
「誰?」
「三沢雄心くんです」
「三沢幸生くんの弟?」
「雄心くんは三沢さんのいとこだそうです。龍くんは一浪、雄心くんは現役合格しましたので、龍くんのほうが年長ですが、仲良くなったようですよ」
「へええ」
 合唱部には昔から、兄と弟だの、姉と妹だのがそろって入部してくるケースがあった。木村くんは私よりも二歳年下なのだから、そうすると弟とは年齢差が大きい計算になるが、三沢くんのほうはいとこか。有名人の二代目登場になるわけだ。
「兄上方ほどに歌は上手ではないそうですけど、将来が楽しみですね」
「フォレストシンガーズの二代目もできたりして? 彼らの息子じゃなくてよかったよ」
「そうですか」
「息子が入学してきたなんて聞いたら、私はそんな年になったのか、って愕然としちゃう」
「ほお、そういうものですか」
「フォレストシンガーズでは子供がいるのは本庄くんだけだよね。本橋くんは美江子ちゃんと結婚したんだけど、あとの三人は独身だし、徳永も独身。金子さんも独身。タイガーも私も独身」
「そうですねぇ」
 母校で教授もどきの仕事をするのは、私には難行でもある。今まではそっちに夢中だったのだが、春がすぎていく季節になって、余裕も出てきた。合唱部を見にいこうかと考えていると、タイガーが言った。
「龍くんが言っていましたよ。現在の合唱部はそうではないのだが、昔は男子部と女子部に分かれてたって? なぜ? と訊かれて、訊かれても僕は知りません」
「じゃあ、男女に分かれてないんだ。そのほうが普通だよね。私だって、昔はなぜ男女が分けられてたのかなんて知らないよ」
「そうなのですか」
 そこへタイガーの助手である、島田弓子さんが先生を呼びにきた。タイガーは研究室に戻っていき、私は合唱部見学を決行することにした。
 部室は中国語学科の建物とは離れているのもあって、まだ通りかかったこともなかったのだ。前に立つと、ふたつの建物が統合されて大きな建物に変わっている。様変わりしたんだな、とまたまた感慨を覚えながら、ノックすると女の子の声がした。
「はい、どうぞ」
「よろしいですか。じゃ、失礼します」
 中に足を踏み入れ、私は自己紹介した。
「この春から中国語学科で臨時講師をしています、喜多晴海と申します。私もこの大学の卒業生で、合唱部出身でもあるんですよ」
「あら、そうなんですか。私は合唱部キャプテン、日向房子と申します。中国語学科です。先生はどういった方面でご教鞭を?」
「教鞭なんて言われるほどでもないけど、会話のほうです」
「じゃあ、私もいずれお世話になるかもしれませんね。その上、先生は合唱部のご出身でもいらっしゃる。えーと、何期生でいらっしゃるのか伺ってもかまいませんか」
 近頃の若い子なんてものは、合唱部の先輩? それがどうした? といった態度を取るのかと思っていた。だが、日向房子さんはお行儀もよく、この子がキャプテンなんだったら合唱部も安泰だわ、と私を安心させてくれた。
「じゃあ、フォレストシンガーズの本橋さんと乾さんの同期ですか」
「はい。徳永渉とも同い年です」
 他には誰もいなくて、せがまれるままに昔の合唱部の話などしているうちに、ふぅちゃんと呼んで下さいな、と彼女が言う。彼女はフォレストシンガーズのファンで、特に本庄繁之ファンなのであるそうだ。いっぷう変わった趣味の持ち主である。
「寄生虫学科の加藤先生とも昔からの友達で、さっきもお昼を食べて話してたの。彼からの情報によると、三沢、木村両名が入部したんですってね」
「そうなんですよ。私、感激しちゃって、なのに、嘘だったら承知しないからね、なんて彼らを脅してしまいました」
「フォレストシンガーズの二代目グループ誕生、なんてことにはならないかな」
「さあ? 三沢くんも木村くんも、歌はそれほどでも……」
「そうなの?」
 タイガー情報は、そのあたりも正確だったらしい。
「三沢くんと木村くんにはお会いになってらっしゃらないんですね。紹介しますから、ぜひ、夕刻にでももう一度いらして下さいな。そうだ、よろしかったら後輩たちに指導して下さい」
「私が? 私だって歌はそれほど上手じゃないのよ」
「私も歌はそんなに上手じゃないんです。喜多先生がいらしたころの合唱部とはちがって、今は副キャプテンの九十九くんだって、他の四年生だって、歌はたいしたことがないんですよ。正直言って、後輩たちの歌唱指導は自信がないんです」
「私にも自信はない」
「そんなことおっしゃらずに……」
「指導はできないけど、三沢くんや木村くんには会いたいな。近いうちにまた来ますから、よろしくね」
 近いうちに、の約束は守れなくて、私が合唱部室を再訪したのは、夏休みが近づいている日だった。学校の試験も終わり、学生たちが平和な顔つきで、部室にたむろしている。私たちのころよりも広くなった部室だが、男女の学生があちこちでお喋りしている光景は、あのころとさほどに変化はなかった。
「喜多先生、来て下さったんですね」
 ふぅちゃんが満面の笑みで出迎えてくれ、副キャプテンを紹介してくれた。
「彼が九十九くんです。喜多先生の話はしたでしょ?」
「はい、伺っています。九十九正義と申します。よろしくお願いします」
 副キャプテンもお行儀がいい。現在の合唱部は体育会気質ではなくなっているのかもしれないが、体育会好きだった本橋くんや本庄くんは、主将、副将と会ったら満足するだろう。
「龍くんと雄心くんは来てないのよね」
「来てないね。あいつらまたさぼってるよ」
「喜多先生は龍くんと雄心くんに会いたいっておっしゃってたのに……」
「んん、そのうち来るかな、来ないかな」
 九十九くんとふぅちゃんは困った顔をして言い合っている。いいよいいよ、別に、と私が言うと、小柄な女の子が話しかけてきた。
「私、村瀬野乃花と申します。四年生です」
「はい。喜多です」
「……ふぅちゃんからお話を聞いたんです。私、喜多先生とお話ししてみたくて……よろしいですか。ふたりでお話できますか」
 小柄ではあるのだが、彼女はとぴきりの美女だ。ノノと呼んで下さいね、と微笑みを向けられて、これほどの美女となると、女でもどきっとするんだな、と考えつつ、彼女と外へ出た。
「では、遠慮なく、ノノちゃん、私に話したいってなに?」
「あのね、私が高校生のときに……話すととっても長くなるんです。かまいませんか」
「私は時間はあるよ。むこうで話す?」
 合唱部の他の面々には聞かれたくないのだろうか。部室から遠ざかって歩き出しながら、ノノちゃんが話してくれた。
「金子将一さんとフォレストシンガーズが、海辺で夏のイベントに出演したんです。その海辺っていうのが、私の祖母の別荘のある土地でした。私が十六歳の年、祖母が亡くなった年でした。私の祖母はこの大学の教授でして、本橋さんの恩師だったんだそうです」
「ああ、そうなのね。お気の毒に……」
「喜多先生は中国語学科だったんでしたら、渥美教授はごぞんじありませんよね。祖母は理学部の教授でしたから」
「渥美教授ね。お名前は知ってるような……」
 巨大大学なのだから、教授も数多い。私の記憶は確固とはしていなかった。
「何年も何年も前ですから、もう祖母の話しをしても平気です。でも、あのころは私は悲しくて悲しくて、祖母のお葬式をすませて、別荘にこもっていたんです。このまま飢え死にしてしまったら、祖母のいる天国に行けるんじゃないかと……」
「気持ちはわかる気もする」
「私は祖母に育てられたので、祖母を亡くして天涯孤独になってしまったんですよ。親戚はいましたけど、深いつきあいはしていませんでしたから。そんなころに……」
 ただただ悲しみにくれていたノノちゃんは、それでも海辺のイベントを聴きにいったのだと言う。浜辺で金子将一と出会い、フォレストシンガーズのみんなとも知り合って、励ましてもらったのだと話した。
「そのおかげで、私は元気になれました。みなさん、とってもとっても優しかった。みなさんが泊まってらした旅館で、いっしょにごはんを食べたりもして、大学の話しも聞いたんです。私も金子さんやフォレストシンガーズの卒業した大学に入ろう、合格したら合唱部にも入ろう、そう決めたから、祖母がいなくなっても生きていけたんです」
「そうなんだ。で、実現したんだね」
「はい。あれからたまに金子さんのライヴに行って、だけど、金子さんは私なんか覚えてもいないだろうに、楽屋に入っていくなんてできなくて、どうやって入っていったらいいのかもわからなくて、一度もお会いしていません。金子さんがお元気なのは知ってますけど、喜多先生は金子さんをよく知ってらっしゃるんだって思ったら、どうしてもお話したくて……あつかましくてすみません」
「ううん、いいのよ」
 こらえ切れないかのような涙が、ノノちゃんのなめらかな頬を伝っている。金子将一か。うむむ、これはまちがいなく、彼女の幼い恋の対象だったのだ。しかし、私はどうしたらいいのだろう。
「ノノちゃん、彼はいるの?」
「いません」
「……そう」
 二十一か、二十二か、若い美人のノノちゃんが十六歳のころといえば、金子さんの妹のリリヤちゃん並みの美少女だったのだろう。金子さん、あんた、この子に悪いことをしたんじゃないだろうね? ついついそう考え、まさかねぇ、まさかじゃないのかな、うーん、彼は……彼は……私はそれほど彼をよく知っているんでもないし……
 などなどと悩んでしまっていると、憂いを含んだまなざしが美貌をきわただせている美女は、小声で言った。
「喜多先生がごぞんじの、金子さんの話を聞かせていただけませんか」
「私はそんなには……金子さんは二年先輩でね、四年生のときには男子部のキャプテンだったの。フォレストシンガーズのみんなにも会ったんだったら、そんな話は聞いたでしょ」
「聞きました。よくよく覚えてます。忘れられません」
「ノノちゃん、金子さんに恋した?」
「昔の話しですけど……きっとそうだったんでしょうね」
 あの罪作り野郎は、それで、ノノちゃんになにをした? ここにはいない金子さんを詰りたくなったのだが、ノノちゃんにはっきり尋ねるわけにもいかなくて、私はため息を吐き出した。
「喜多先生ったら、恋っていったって私の片想いですよ。あのころの私は十六で、金子さんは三十一歳だった。そんな子供に金子さんが変なことをするわけないじゃありませんか」
「そりゃそうか」
 彼女の言を信じよう。ごめんなさい、金子さん、と心で詫びていると、ノノちゃんは言った。
「抱っこはしてもらったんです。お姫さま抱っこ。女の子は憧れますよね。ノノは枕より軽い、なんて言って、私を抱っこして歩いていった。私、ずっとこのままでいたかった」
「……うん」
「いつもいつも優しかったけど、ちょっとは叱られました。金子さんにだったら叱られてても嬉しかった。なのにわあわあ泣いちゃって、泣いても金子さんは困りもせずに、好きなだけ泣け、なんて言うの。生意気なわがまま娘だったのに、金子さんはいつだって私を優しく包み込んでくれた。あれだけのひとに私は恋したんですよ。他の男のひとなんてみーんなクズです」
「あちゃ」
 いつだったか、誰かにこんな打ち明け話しを聞いた。あれはノリちゃん? 彼女は本橋くん以外の男はクズだとまでは言わなかったが、近い話を聞かされたものだ。
「いつだって、って言うほど長くそばにいられたんでもないのに、あのころのほんの数日は、私の宝物です。今が夢だったらいいのにな。目が覚めたら金子さんがそばにいてくれて、ノノ、おはよう、って抱っこしてくれたらいいのにな」
 たしかに金子さんは、十六歳の少女から見れば、「あれだけのひと」であろう。私も長らく会ってはいないが、今でも金子さんはかっこいい。徳永にはたまには会っていて、彼に言わせると金子さんも相当にぼろかすになるのだが、徳永はひねくれ者だから、あいつの言はほっといてもいいのだ。
 しかし、これではいけない。こんな想いにとらわれていては、花の年頃をあたら無駄にすごしてしまう。私は心を励まして言った。
「そうする相手が、金子さんにはいるんだよ」
「恋人が?」
「私も知ってるひと。私は徳永渉と友達でね、知ってるでしょ、徳永渉は」
「はい」
「徳永が時々、金子さんの話をする。金子さんが後輩たちの前でおおっぴらに言って、ライヴで公表までした仲の恋人がいるんだって。もうじき結婚するはずだよ」
「……結婚?」
「たぶんね」
 実際には徳永によると、金子さんは沢田愛理さんにプロポーズしてもふられてばっかで、ざまねえや、であるのだが、そこまで話さなくてもいいだろう。
「金子さんは独身ったって、内実はそうなんだから……」
「わかりました」
 押し殺した声で言って、ノノちゃんは私に頭を下げて走り去っていった。背中が泣いている。喜多晴海、あんたは鬼女か、と自分を罵ってみたり、これでいいんだ、とうなずいたりしていた。


あんたなんかと二度と会いたくないっ、とノノちゃんには思われるだろう。それでも仕方ないか、と私は思っていたのだが、講義をすませてキャンパスを歩いていると、むこうにいたノノちゃんが会釈した。
「この間はきついこと言って、ごめんね」
「いいえ。はっきり聞けて嬉しかったです」
「けなげだね。ノノちゃん、お昼、食べようか」
「喜多先生とごいっしょできるんですか。嬉しいな」
 なんて可愛い子だろうか。私が男だったとしたら、五年か六年前のノノちゃんと出会って恋をされていたとしたら、ふらふらふらーっと、あり得なくもない。
 徳永だったとしたら、年の差もわきまえず、抱いてと迫られたりしたら抱くのではないか。あいつだったらやりかねないのか。それとも、徳永にだって社会常識はあるのだから、そこまではしないのか。
 仮定の話を空想したって意味はない。ノノちゃんと大学の外の静かな喫茶店で向き合ってすわった。この店の名は「ペニーレイン」。ビートルズ好きのふっくらしたママさんは、あのころここに通っていた学生たちを覚えてはいないだろうけれど、すこし老けた笑顔で私たちを迎え入れてくれた。
 お昼には少々早い時刻なので、店はすいている。ノノちゃんは私に、彼女が十六歳だった夏の、金子将一とのエピソードを話してくれた。
 ノリちゃんもこんなふうに、私に本橋くんとのエピソードを話してくれた。私って女の子が打ち明け話をしやすい女なのかな、と苦笑しながらも、彼女の話を聞いていた。そこに私の空想もいささか加えると、話はこうなるのだ。


2

 フォレストシンガーズ五人と、金子将一、彼らはノノの別荘からほど近い宿舎に泊まっていて、六人一室ですごしていた。
 ノノはイベントがはじまる前日に金子将一と出会い、六人の男たちに妹のように可愛がってもらって、祖母を亡くした悲しみを徐々に薄れさせていっていた。とはいえ、彼らはいつまでもここにいるのではない。いつも会えるのでもなくて、会いたくてたまらなくなったのだ。
 彼らの部屋は庭に面していて、男が泊まっているのだからして無防備なのだろう。ある日、ノノがこっそり訪ねていくと、カーテンは開けっ放しで、彼らの会話が漏れ聞こえてきた。
「風呂に入ろうか」
 言ったのは金子で、三沢が応じた。
「六人で? 金子さんといっしょにお風呂に入るのってはじめてかな。ユキちゃん、感激だわ。お背中をお流ししますからね、金子さん」
「いらねえよ」
「……そんな冷酷に言い捨てなくても」
「おまえは誰の背中でも流したいのか。風呂屋の三助やれよ」
「それってなに? ねえねえ、リーダー、さんすけってなんですか」
「なんだっていい。行きましょうか、金子さん」
 おー、そうしようか、と全員うなずいて、ぞろぞろと部屋から出ていった。無人になった部屋のガラス戸にそっと手をかけると、軽く開いたのだ。ノノは足音を忍ばせて部屋に入り込み、しばしはためらってから、羽織っていたカーディガンを脱いだ。
 うまい具合に肩ストラップのないキャミソールに、ショートパンツ姿だったノノは、部屋の隅にあった大きなバスタオルをしっかと巻きつけた。身体の小さなノノには大きめのタオルは、胸元から腿までを覆ってくれて、ノノはその格好で浴室へと歩いていった。
 バスタオルを鎧のようにまとったノノは、自分がなにをしたいのか、自分でもよくわかっていなかったのだ。だが、浴室から男たちの声が聞こえてきて、吸い寄せられるようにしてそちらへと近づいていった。
 すりガラスに男たちの影が映る。裸……みんな裸。お風呂なんだから裸は当たり前だよね、とは思ったものの、ノノの心臓はどっきんどっきんしていた。
「かっこいいよね。言うまでもないけどさ、金子さんってほんと、かっこいいんだから。かっこよすぎますよ。その身長、俺にも分けて。脚を数センチ、鋸で切っていいですか」
 三沢の声がし、乾が答えた。
「金子さんの脚を切り取るのは可能だろうけど、それをおまえの脚に接続手術してもらうのか? 異物反応が起きるぞ」
「真面目に返答しないで下さいよ、乾さん。ええんええん、俺、惨めだよぉ。章、仲間同士でくっつこう」
「おまえと仲間になんかなりたくねえんだよ」
「章しか仲間はいないのにぃ。ええんええんええーん」
 泣き真似をしている三沢の声。ガラスに映る影の様子では、あれが金子さん? シルエットでも長身の雄々しい姿が見て取れる。男の裸が見たいわけでもなかったのだが、ノノは浴室のドアを細く開けようとした。そのとき、乾の声が聞こえた。
「……入浴してるのは男ばっかりですよ。覗こうっていうんですか?」
「誰だ?」
 金子の声もして、歩み寄ってくる気配もする。ノノは逃げようとしたのだが、逃げて旅館の従業員に見つけられたら……とも考えてしまい、咄嗟に動けなかった。
「この宿って、宿泊客は俺たちだけだろ? 誰なんだろ」
 怪訝そうな木村の声もして、浴室のドアが開いた。ノノの頭上から、金子の鋭い声が飛んできた。
「ノノ、なんたる行儀の悪い真似をするんだ。女の子がピーピングトム? いつの間に入り込んだんだ?」
「ええ? ノノちゃん? あらまあ、ノノちゃんもそんな格好? そのバスタオルをはずして、俺たちといっしょにお風呂? 俺は大歓迎したいところだけど……金子さん、嘘ですってば。ノノちゃん、いけないよ」
 金子の背後から顔を出したのは、三沢だ。ノノは彼らを正視できなかったのだが、ちらりと見ると、ふたりともに腰をタオルで覆っていた。
「いたずらにもほどがある。ノノ、出ていけ」
「……はい」
 そう言うしかなくて、とぼとぼと出ていこうとしたノノに、金子が言った。
「その下、服を着てるんだろ。俺たちの部屋に行って待ってなさい。宿のひとに訊かれたら、金子が呼んだって言うといいよ。それほど遅い時刻でもないんだから、納得してくれるだろ。俺もすぐに行く。みっちり叱られる覚悟をしてろ」
「金子さん、そんなの……」
「三沢、おまえは黙ってろ」
 さからいもできず、ノノはめそめそしながら彼らの部屋に入っていった。
 逃げ出したい、帰りたい、だけど、金子さんにみっちり叱られたい気もする。叱られるっていうことは、金子さんが私だけをまっすぐに見て、私だけを心に置いて、私だけのために言葉を尽くしてくれることなのだから。
 おばあちゃんには叱られるとしても、ノノは困った子ね、程度だった。優しかったおばあちゃんだけど、時々は叱られた。もうおばあちゃんは私を叱ってはくれないから、誰かに叱られたいんだろうか。誰かじゃなくて、金子さんに……
 やがて、金子が部屋に入ってきて、ノノの前にあぐらをかいた。ノノは顔も上げられずに、彼のお小言を拝聴していた。
「今夜は呼んでなかったし、約束もしていなかったね。勝手に来て忍び込んだのか」
「はい」
「それだけだってお行儀が悪いだろ。しかも風呂場に忍び込む? 女の子が男の入浴シーンを見たって楽しくもないだろうに」
「楽しくはないけど……」
「だったら、なにがしたかった?」
「わかんないもん」
「宿の方はおまえを知ってるだろうから、まさかこそ泥だって警察を呼びもしないだろうけど、俺たちなんだからいいったらいいんだけど、女の子のすることじゃないね。男の子が女性の入浴シーンを覗こうとするよりは罪が軽いのか……まったく、ノノ、二度とするな。わかったか?」
「わかんない」
「ノノ」
 怒鳴られたのでもないのに、きびしい声が怖くて怖くて、ノノはうつむいて泣き出した。
「わからないって言うんだったら、わかるまで……いいのか?」
「やだよ、怖いもん。金子さんに叱られたら……叱られたら……優しく叱られるんだったらいいけど、そんなに怖いのはやだ。だけど、ノノは金子さんとお話がしたいの……」
「話しだったらいくらでもするけど、泣いてるおまえとは話もできないよ。泣き止むまでそこで反省していなさい。俺たちはダイニングにいるから、泣き止んだら顔を洗って出ておいで。晩メシをいっしょに食おう。そこでいっぱい話そうな」
「怖い金子さんは嫌い」
「誰が悪くて叱られてるんだ。叱られてるときに嫌いなんて言う子は……ノノ、おまえは子供なんだから、子供を叱るとなるとそれなりのやりようもあるんだぞ。やってみてほしいか」
 なにをされるのかはまったく謎だったのだが、激しくかぶりを振ると涙が飛び散った。
「泣くのは無理もないけど、誰が悪いのか、なぜ叱られたのか、よく考えてみなさい。考えてもわからないんだったらわからせてやろう」
「……いらないもん」
「口答えは許さない」
 その口調と見つめる目のきびしさに、ノノは声を上げてさらに泣き出し、金子は肩をすくめて部屋から出ていった。ノノが泣き続けていると、ドアにノックの音がした。
「ノノちゃん、俺だよ。ユキちゃんだよ。金子さんに思い切り叱られた? 俺だって金子さんに本気で叱られたら泣いちゃうよ。かわいそうにね……入っていい?」
「三沢さんだったらいい」
「俺だったら? ほんとは……うん、では、お邪魔します」
 入ってきた三沢は、ノノにクッキーの箱を差し出した。
「ぶたれたりはしてないよね?」
「ぶたれて? そんなんじゃないけど、うんと叱られた。そんでね、わからないんだったらわからせるって、それってぶつってこと?」
「金子さんは女の子はぶたないだろうけど、俺だったらね、散々ぶたれたからさ」
「ええ? 嘘でしょ?」
「本当だよ。頭をぼかぼかごつごつ。先輩たちにはいっつも殴られてるの。俺たちって合唱部じゃん? 合唱部には指揮のためのタクトがあって、そいつは先輩が後輩に制裁を加えるためにも使われてたから、じきにまがっちゃうんだよ。何度買い換えたか」
「……嘘」
 ま、それは大げさだけどね、と三沢は言い、ノノを見て微笑んだ。
「手でだったら殴られるよ、ほんとに。でもさ、ノノちゃんをぶったりするわけないじゃん。そりゃぁね、ノノちゃんはお行儀よくなかったんだから、大人にお説教されるのは必要なんだろうな。だからってあんなでかい男が、ちっちゃなノノちゃんに手を上げるはずはないの。金子さんは脅しも上手だから、そう言って脅しただけだろ。脅すだけでも俺にはよくないと思えるけど、金子さんとしては、ノノちゃんへの効果的教育だと考えたんだろうな」
「子供だから?」
「そうだよ。ノノちゃんは子供。大人の金子さんにお説教されて泣いてるのが似合いの子供。自覚しなさい」
「……うん」
 俺らしくもない台詞だな、と三沢は苦笑したが、実際にはなにが言いたいのか、ノノにも理解はできた気がした。
「でも、ノノは……」
「それ以上言わないの。言っても無駄なことってあるんだよ。あーあ、ますます泣かせちまったか。金子さんに殴られるのは俺かもな。俺も俺らしくないことを言ってないで、ノノちゃんを泣き止ませなくちゃ。ったって、俺では役者不足だね」
 三沢も部屋から出ていき、時間が経過し、かわりに金子がやってきて、ノノを膝に抱いて揺さぶってあやしてくれた。赤ん坊のようにそうして揺らされていたひとときが、ノノには宝物となった。


 聞き終えた私はほーっ、と深い吐息をつき、ノノは言った。
「三沢さんは先輩に殴られるなんて言ってましたけど、本当なんですか」
「今はないの?」
「そんなの、ありません。ないはず……男の子たちが絶対やってないかどうかは、ちょっと知りませんけど……」
「私たちのころは男子部ではなくもなかったみたいよ」
 ぶん殴るのぶっ飛ばすの、そんな台詞は男子部では日常だったし、実際にもあったようだ。現在の合唱部にはないのだろうか。野蛮な風潮は一掃されたのだろうか。
「徳永も先輩に殴られたことはあるの?」
「ある」
「誰に? 金子さん?」
「誰だったかなんてどうだっていいだろ。思い出したらむかっ腹が立ってきやがったぞ。待ち伏せして仕返ししてやろうかな」
「こら、やめろ」
 止めたらにやりとしたので、私をからかったのかもしれないのだが、徳永にしてもあったのかもしれない。あのとき、私は言った。
「そっかそっか、怖いものなしに見える徳永も、金子さんは怖いんだ。あんたが悪さしてたら、金子さんに言いつけようっと」
「ご随意に」
「あんたなんかは素手で殴ったってこたえないんだから、バットででも殴ったほうがいいよね。野球部からバットを借りてくるように、金子さんにアドバイスしよう。それとも、これか」
「二度もやられやしねえんだよ」
 顔をひねり上げてやろうとした私の手をはずして、へへんと笑っていた、大学一年生の憎たらしい徳永の顔を思い出す。後日、金子さんにバットの話をしたら、私が叱られた。
「バットっていうのは野球部では神聖な道具だろ。そんなもので後輩を殴るから貸せなんて頼んだら、こっちが蹴り出されるよ。喜多さん、めったなことを言うもんじゃないよ」
「はーい。でもさ、野球部では昔からバットで精神注入とかって?」
「精神注入棒は戦時の海軍でしょ。野蛮なのはいやだね」
「金子さんは後輩は殴らないんですか」
「俺は生涯一度も、暴力はふるったことはない」
「嘘だと思う」
「嘘じゃないよ」
 嘘も欺瞞もお上手だった金子さんなのだから、あれも嘘だったのだろう。けれど、女の子には手を上げないはずだ。いかにも力もありそうな金子さんが、小柄なノノちゃんを、たとえ軽くでも叩いて従わせようとするなんて、そうはしなくてよかった。
 私だったらそうやって頭ごなしに叱られて、いばった態度を取られたら、男を嫌いになりそうだが、ノノちゃんは可愛い性格をしているのだから、叱られてますます金子さんを好きになったのか。それしきのいたずら、きつく叱るほどでもないと私は思うが、金子さんには金子さんの考えがあったのだろう。
 ああ、もしかしたら、と、三沢くんが言った台詞も考え合わせて思い当たった。
 ノノはいたずらをして、当時も立派な大人だった男に叱りつけられて、泣いているのが似合いの子供。そうと教えるために、金子さんはノノちゃんを泣くほど叱ったのか。金子さんらしい態度だとも言える。
「今でも私は、金子さんから見たら子供なんでしょうね。そうじゃなかったとしても、金子さんには婚約者がいらっしゃるんでしょう。私は心に金子さんの面影を抱きしめて、金子さんにいっときは可愛がってもらったのを忘れずに、それに恥じない大人の女になります」
「そうだね。恋もしなくちゃ」
「恋はもういいんです。金子さんだけでいいの」
「ノノちゃん、それはよくないよ」
「いいんです」
 きっぱり言って、ノノちゃんは立ち上がった。私に昼食の礼を述べ、去っていく小さくて細い後姿は、凛としているようにも、寂しげにも見えた。


3

 夏休みになると、ふぅちゃんに強く強く望まれて断り切れず、合唱部の夏合宿に参加した。何年ぶりだろうか、この浜に来るのは。
 そこでようやく、三沢幸生のいとこ、三沢雄心と、木村章の弟、木村龍にも会った。
 雄心くんは中肉中背。龍くんは兄ちゃんよりはかなり背が高くて、細くてひょろろっとしている。雄心くんは三沢くんと似ていないが、龍くんは顔立ちは兄と似ている。合宿の浜辺で、龍くんともふたりきりで話した。
「喜多先生は加藤先生とも徳永さんとも友達なんだ。俺は加藤先生とも徳永さんとも会ったよ」
「徳永にも会ったの?」
「会った。変な奴だな」
「否定はしないよ。徳永はきわめつけ変な奴だからね」
「金子さんも変だよ」
「金子さんとも会った?」
「乾さんのマンションで会った」
 キャプテンや副キャプテンは礼儀正しいのだが、木村龍は言葉遣いがざっくばらんすぎる。しかし、私はそのほうが気楽なので、咎めるつもりもなかった。
「とすると、ノノちゃんは……」
 昔の金子さんを知っている私ではなく、現在の金子さんを知っている龍くんのほうが、話す相手としては適役だったのではないか。ノノちゃんは合宿には不参加であるようだが、龍くんがフォレストシンガーズの木村章の弟だとは知っているだろう。合唱部では周知なのだから。
「ノノちゃんは知ってるよね?」
「四年生のノノちゃん? すっげえ可愛いんだ」
「知ってるんだよね。彼女と話したことはある?」
「特別には話してない」
 するとすると、龍くんほどに金子さんと近しい人間とは話したくないのか。
「ふぅちゃんも美人じゃん。ノノちゃんも可愛いし、合唱部って伝統的に美人が多いって当たってるんだよね。ここにもその証明がいる。喜多先生もお美しいです」
「お世辞を謝々でございます」
「お世辞じゃないけどさ、喜多先生は本橋さんや乾さんと同い年でしょ。年上すぎるよ」
「あんたを口説く気はないから安心していいよ。龍くんは好きな女の子がいるの?」
 うーん、美人には目移りする、なんて言っている龍くんを見ていると、ノノちゃんと恋をしたらいいのにな、と思ってしまう。
 ノノちゃんも龍くんより年上だが、三つくらいの差は気にかけなくてもいい。しかし、あの金子さんに恋をして、いまだ恋をしているようで、新しい恋はしなくてもいい、とまで言うノノちゃんが、龍くんごときでは満足するはずがないだろう。
 あんなの、クズ、と言いそうな気もする。九十九くんは? あの子も金子さんとは比べものになろうはずもないし、他の合唱部の男子にもたいしたのはいないし、ノノちゃんに似合いのかっこいい男はいないのだろうか。
 文化人類学部異文化コミュニケーション学科がノノちゃんの専攻だ。そっちにはいい男がいないだろうか。私はいまだお節介焼きなんだね、あんたに言われたのも当たってるね、と徳永に話しかけていると、龍くんが言った。
「俺は島田さんが……」
「タイガーの助手の?」
「うん、島田弓子さん」
「彼女は……」
 時おり島田さんにも会うので、会話はしている。彼女がタイガーを見るときのまなざしからすると、もしかしたらタイガーに? と思わなくもない。
 確認はしていないし、タイガーはきわめつけ変人の上にきわめつけ鈍感でもあって、いや、そうとも限らないのだが、少なくとも恋に関しては鈍感だろう。そんなタイガーなのだから、島田さんの想いにはひとかけらも気づいていないはずだ。
 このタイガーが好き? あんたも変人だね、と島田さんに言いたくてうずうずするのだが、美人で秀才の島田さんに軽口をきくと、応酬されそうでちょっとびびる。そんなこんなで、私はタイガーにも島田さんにもなんにも尋ねてはいないのだが。
 だけども、私だって三十三年生きてきて、人生経験も積んだのだから、島田さんのそぶりや言葉の端々から、タイガーへの思慕は察せられるのだ。彼女はまちがいなくタイガーに恋をしている。変わった趣味だが、男の趣味は女それぞれだ。
「島田さんがどうしたの?」
「確認もしてないから言えないけど、龍くんはタイガーと……ううん、言わない」
「なんだよ。言ってよ」
「今度、島田さんのタイガーに対する様子をじっくり観察してみたら? そしたらわかるかもよ」
「三沢さんが変な歌を歌ってたんだ」
 なんなの? と問い返すと、龍くんが歌ってみせた。まぎれもなく兄貴よりは一段も二段も劣る歌唱力で彼が歌ったのは、「タイガー&ドラゴン」だった。
「ふむふむ、虎と龍が闘うのか。三沢くんって聡いもんね。龍くんはタイガーや島田さんの話を、三沢くんにもしたんでしょ」
「したよ。俺が島田さんを好きだとは言ってないけど、けっこう学校の話はしてる」
「そこから結びつけたか。だから三沢くんはさ……」
「だから、なに?」
「私とおんなじ」
「へ?」
 そういう男は結婚できないというか、結婚はしないほうがいいというか。私と同じではないが、独身なのは同じなのだから、そういう意味で言ったのだ。龍くんは意味をわかっていないようで、へ、へ? と首をひねっている。
 虎のほうはなーんにも気づいていないようだが、もしやタイガーとドラゴンの恋の鞘当バトルが勃発したら? 面白そうかな、とも思って、私は横を向いて笑った。


 こちらは龍くんよりは礼儀も知っている、三沢雄心くんとも話した。
「俺は社会学部ですから、加藤先生は知りません。徳永さんとも金子さんとも会ったことはありません。龍の兄ちゃんと三沢の兄ちゃんには会いましたけどね」
「そうなんだね。雄心くんは恋はしてるの?」
「別にしてません」
「恋はしないといけないんだよ。若いうちしかできない恋ってのもあるの。灰になるまで恋はできるって言うけど、私だってまだ若いんだから、中年や年寄りの恋なんて想像しにくいじゃない? 今しかできない恋をしなさい」
「はい。あの、龍に聞いたんですけど」
 そうだ、私だって「まだ」はつくものの若いんだ。また恋をしようと考えていると、雄心くんはためらいがちに尋ねた。
「喜多先生は徳永さんと、長年の友人なんだそうですね」
「そうだよ」
「そんなに長く友達でいて、それってどういう……むずかしいな」
「いわゆる、男と女の間に友情はなりたつのか、って質問?」
「そんなところです」
「徳永と私の間には友情なんてなくて、罵り合いしかない気もするんだけど、それでも友達だよね。なりたつはず。男と女の友達関係はなりたつの」
「これも龍に聞いたんですけど、本橋さんと山田さんってのも、学生のころには友達だったんでしょう?」
「ああいうのもあるんだけどね」
 実は私も驚いた。数年前だとはいえ、美江子ちゃんサイドからも、本橋くんサイドからも、私は彼女と彼の間の感情を聞いていたのだから。
「重大発表です。リーダーが結婚しまーす。お相手はうちのマネージャーです。ファンのみなさま、気になりますか? 本橋さんが結婚しちゃうなんて、いやいやいやっ!! とおっしゃるファンの方もいらっしゃいます? ごめんなさいね。リーダーになりかわって、僕ちゃんからお詫び申し上げます。詳しくはライヴで。だからさ、気になる方は次のライヴに来てねー」
 一年ばかり前、インターネット検索をしていて、フォレストシンガーズの公式サイトにアクセスして得た情報だった。そのころはフォレストシンガーズの五人がランダムに、サイト内のブログに文章を載せていたのだ。その日の執筆者は三沢幸生。その文面を読んだ私は、ひとりで叫んだ。
「ええ? 本橋くんがフォレストシンガーズのマネージャーと結婚? って、美江子ちゃんだよね? ええーっ?! いったいどうなってそうなったんだ?」  
 フォレストシンガーズとは会ってもいないのだから、私が知らなかったからといって怒る筋ではない。しかし、徳永もなんにも言っていなかったではないか。電話をかけて怒ってやろうかと思っていたら、徳永のほうから電話がかかってきた。
「晴海、フォレストシンガーズのサイトを見てみろ。三沢が重大発表してるぞ」
「読んだよ。あんたは知ってたんじゃないの? なんにも話さなかったのはどうして?」
「俺だってたった今、正式にははじめて知ったんだ。なんとなく知ってはいたけど、確定してるんでもないのに迂闊に話せるか」
「そんならしようがないけどさ」
 電話のむこうで、徳永は少々酔った声を出していた。
「晴海、いっそ俺たちも結婚するか」
「お断り」
「だろうな。おまえがそう言うと確信してるから言ったんだ。俺だってお断りだよ」
「だったら言うな」
 むろん私は、長い年月を超えて、美江子ちゃんと本橋くんの心がどう変化したのかは知らない。そうやって変化する想いもあれば、徳永と私のように絶対に変化しない想いもあるのだ。そうとしか私には言えないのだった。
「友情だなんて恥ずかしい台詞は言わなくても、徳永と私は友達だよ。あいつみたいな男友達もいいものなの」
「好きではないんですか」
 徳永との一年前の会話を思い出して、ふふっと笑って、私は言った。
「好きか嫌いかふたつにひとつなんだったら、好きなんだろうな」
「徳永さんも喜多さんが好きなんでしょ?」
「雄心くんだって大学生なんだから、その言葉の意味はわかるでしょ。いちいち言わせないの」
「ふーむ、むずかしいです」
 腕組みをした雄心くんに、私は言った。
「恋もいいけど、女の子の友達っていうのもいいよね。男友達もいいよね。龍くんとは友達になれたんでしょ。学生時代の友達って財産だともいうし、いっぱい恋していっぱい友達を作って、いっぱいいっぱい……ああ、私もいっぱーい」
「喜多先生?」
「うんうん、そうなんだよ」
 なんだかよくわからん、という顔をしている雄心くんを横目で見て、私は砂浜に後手をついた。
 近頃は母校で働いていて、キャンパスでも教室でも学生時代の思い出のかけらと出会う。私らしくもなく感傷的になってしまうような、あ、ここ、あ、これ、といった追憶が、不意に曲がり角から飛び出してきたりするのだから。
 学校の随所に散らばっている思い出と同じくらいに、ここにも思い出がほうぼうにある。
 一年生のころには、乾くんが好きだなんて錯覚を起こしていたが、それっきり私は合唱部の男の子には恋はしなかった。合唱部のみならず、学生時代には錯覚の恋しかしていない。そのかわりといってはなんだが、徳永渉という変な友達ができた。
 恋へと変化する友情もある。結婚しよう、へと変わる想いもある。本橋くんと美江子ちゃんは、きっとそうやって気持ちを変化させたのだろう。
 心なんてものも人それぞれ。徳永と私はこのまんまでいい。学生時代から、男同士の友達みたいだね、と言われたまんまの、変な仲でいい。きわどい台詞をちょこっと言うところだけは、男と女であろうが、実は性別なんて超越しているのだ、なーんて、言ってもいいだろうか。
 雄心くんは頭をひねりっぱなしだったのだが、私は私で結論づけて、徳永、これからもよろしくね、と海に向かって呟いた。そうしていると、男女混合コーラスが聞こえてきた。おーい、雄心、と誰かに呼ばれて、雄心くんもそこに加わる。合唱部の後輩たちが集まってきていたのだった。
 いつの間にか浜辺に大きな輪ができて、後輩たちが別の曲を歌い出す。私のために歌ってくれているのだろうか。

「蔦のからまるチャペルで
 祈りを捧げた日
 夢多かりし あの頃の
 思い出をたどれば
 懐かしい友の顔が
 一人一人 うかぶ
 重いカバンを抱えて
 通ったあの道

 秋の日の図書館の
 ノートとインクの匂い
 枯葉の散る窓辺 学生時代」

 この歌のように清純ではなかったけれど、私にもまぎれもなく「学生時代」はあった。私だって思い出をたどれば、なつかしい友の顔がひとり、ひとりと浮かぶ。
 龍くんも雄心くんも、ふぅちゃんも九十九くんも、もちろんノノちゃんも、みんな、悔いなき学生時代を送るんだよ。私も悔いなんてこれっぽっちも感じていないんだから。私の学生時代はとてもとても楽しくて、その一端は合唱部が担ってくれていたのだから。
 あなたたちも合唱部に入って、青春を謳歌して、悔いの残らない卒業をして、社会人になってね。私も祈っているよ。
 おまえらしくもない台詞だな、と徳永あたりには嘲笑われそうだが、ごく稀には私もそんな気分になるのだ。
 今がそのとき。後輩たちが私のために、「学生時代」を歌ってくれている。私のためではなく練習なのかもしれないが、「私のため」と思っておいたほうがハッピィではないか。

END


 
 
 
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~ Comment ~

NoTitle

タイガーと呼んで、着ぐるみのトラっぽい顔をした人なのかと思ってしまいました(笑)
寄生虫っていうのがまた、すごい、、、、、なんというか。。
私は無理。。。。
でも勝手な想像ですがとても白衣が似合ってて、
髪がもさっとしてて、いつもサンダル姿なのに、
雰囲気が素敵で一部の女子に好かれていそうな感じがします。


ノノちゃんかわいいですね。
猫っぽい感じがします。
私が男だったらきっと好きになってます!
可愛い子に限って片思い期間が長かったりっていうのがありますよね。
美人なのに好みのタイプが微妙な人だったり。

あぁ、ノノちゃんに素敵な恋人ができたらいいなぁ。
そして紹介してほしいです。

ハルさんへ

いつもありがとうございます。
もうここまで進んできて下さったのですね。嬉しいな。

ただ、これはやっぱり説明不足ですよね。
他のと連動はしているのですが、これだけたくさんあると、タイガーって誰だったかな? となりますよねぇ。

加藤大河、本橋、乾あたりと同い年で、帰国子女です。日本に帰って大学に入り、徳永渉と親友になりました。
ですので、日本語は苦手。常に、誰が相手でも丁寧語で喋ります。外来語は使わず、英語だったら使う。
という設定ですが、英語が苦手な著者が書いていますので、英語部分はいい加減です。すみません(^^;)

そっかぁ、タイガーは一部女子にもてるのか。
恋には疎すぎるひとですので、もしもそうだったとしたら、本人はなんて言うかな? 今度、聞いておきますね。

このストーリィもずいぶん前に書いたので、このころはノノがけっこうお気に入りだったと思い出しました。
そのときどきでお気に入りキャラが変わるってこと、ありません?
ハルさんが可愛いと言って下さって、またノノを書きたくなりました。

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