番外編

番外編48(Several photographs)

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はーと


番外編48

「Several photographs」

1

 デスクいっぱいに広げた写真。何枚も何枚ものフォレストシンガーズの写真、彼ら個人個人の写真にも、私は見入っていた。事務所には私だけしかいない。誰にも邪魔されずに、思い出に浸っていたのだ。
「これはフォレストシンガーズ結成記念だね」
 大学生の彼らの写真だ。四年生の本橋くんと乾くん、三年生のヒデくんとシゲくん、二年生の幸生くん。
 みんなして少年っぽさの残る顔をして、本橋くんは不敵な面構え、乾くんは微笑、ヒデくんはいたずらっぽくて、シゲくんは生真面目で、幸生くんはにっこにこ。実に彼ららしい表情をしている。本橋くんと乾くんは二十一歳、シゲくんとヒデくんは二十歳、幸生くんは十九歳だった。
「こっちはデビュー記念だったよね」
 二十四歳になった本橋くんと乾くん、二十三歳のシゲくん。二十二歳の幸生くんと章くん。ヒデくんはもういない。
 俺たちはもう大人だよ、と彼らは言っていたけれど、今の私から見ればこの年頃の彼らも少年っぽさを多分に残して見える。この写真を撮ったのは私だ。デビューが決まったのだから、写真なんてこれからはいやってほどに撮るだろうけれど、純粋にプライベートな写真が撮りたくて。
「ああ、これは」
 みんなそろって浴衣姿の写真は、シゲくんが結婚すると決まる前だったか。乾くんの故郷の金沢に行き、乾くんのお母さまが縫って下さった浴衣を着て、イベントスタッフの女性に撮ってもらったのだった。
 このころは本橋くんと乾くんと私が二十七歳。シゲくんは二十六歳。幸生くんと章くんが二十四歳。幸生くんと章くんには子供っぽさが残っていて、ふたりで向き合って舌を出し合っている。私は乾くんの隣で、乾くんとふたりでお澄まし顔をしていた。
「これはシゲくんの結婚式」
 新郎のシゲくんは二十七歳、新婦の恭子さんは二十四歳。タキシードの花婿とウェディングドレスの花嫁を囲んで、他の五人が笑っている。
 本橋くんと乾くんと私は二十八歳。章くんと幸生くんは二十六歳。ちょっとは大人っぽくなってきた、ダークスーツの男性たちと、ブルーのドレスの私。後輩に先を越されちゃったね、なんて、乾くんや本橋くんと言い合っていたのも思い出した。
「それからこれは……」
 このときには私はいないのだが、フォレストシンガーズ初の全国縦断ライヴツアーの写真だ。政令指定都市を回るライヴの年には、本橋くんと私はごたごたしていて、私はツアーに同行しないのが、安心したような、寂しいような、だった。
 初の全国ライヴに燃えている彼らが、新大阪駅の外で撮った写真。撮影者は新米マネージャーだった吉木くんだろうか。臨時マネージャーの原西さんも加わって、六人で笑っている。
 三十一歳の本橋くんと乾くん。三十歳になったシゲくん。二十九歳の幸生くんと章くん。ライヴツアー初演の大阪へ到着したばかりで、明日からのライヴを思って頬が紅潮している。章くんひとりは眠そうな顔をしていて、こら、起きろ、章、と言いたくなったりして。
「これは見ると恥ずかしくもないかな」
 三十二歳になった本橋くんと私の、結婚式の写真だ。みんなすっかり大人になって……と私は思うけれど、四十歳くらいになって見返したとしたら、まだまだ青いね、なんて感想を抱くのだろうか。
 白無垢に銀の総刺繍の打ち掛けの私、紋付袴姿の純日本ふう花婿衣装の本橋くん。タキシードを着た乾くん、シゲくん、章くんと幸生くん。フォレストシンガーズはだんだん売れてきていて、私の心はさまざまな想いと思い出でいっぱいだった。
「それからこれは、十周年」
 デビュー十周年。私は彼らの協力者でしかなかったけれど、みんなみんなが言ってくれた。乾くんは私の手を握ってこう言った。
「何度でも言うよ。あなたがいてくれたからこそ、俺たちはここまで歩いてこられたんだ。ありがとう、ミエちゃん。本橋も言えよ」
「うん、ありがとう。シゲも言え」
「俺はいつだって上手には言えませんけど、美江子さんも一緒に歩き続けてこられて、本当に本当に嬉しいです。ありがとうございました」
「リーダーったらそれだけ? ふたりっきりになったら言うの?」
 幸生くんも言ってくれた。
「美江子さんっ、愛してます。リーダーと離婚したら次は僕ちゃんとね」
「幸生くんは乾くんと結婚するんじゃなかったの?」
 私も言うと、幸生くんは真面目な顔で考え込んだ。
「重婚罪ってのがあるんだよね。困ったな」
「つまらないことで困るな。美江子さん……」
 章くんも真面目な顔で言った。
「俺は……言わなくても知ってますよね。美江子さんに向かって若気のいたり発言を多々繰り返して参りましたが、今後ともよろしくお願いします。美江子さんがいなかったら、きっと俺たちはここまでは来られませんでしたよ」
「章くんまで、いやだな。そんなふうに言われたら……私なんか……」
「私なんかじゃないんだよ。俺たちの想いは伝わった?」
「うん、乾くん……私こそありがとう」
 十周年記念行事の話をしていた席で、みんなして私にそう言ってくれた。戻ってきたヒデくんも別の席で言ってくれた。
「美江子さんは立派ですよ。女性の力って偉大やきに」
「ヒデくんまでがなにを言ってるのよ」
「いいえ。俺は実感してます。女性の力って……いや、美江子さんの力だな。これからもフォレストシンガーズのみんなを支えてやって下さい」
「うん、まかしといて」
 そして、ここには十周年記念のプライベート写真もある。
 結婚してから二年ほどになる本橋くんと私の住まいで、プライベートなお祝いをしたときの写真だ。フォレストシンガーズの全員はもちろん、ヒデくんもいる。金子さんや沢田さんや、酒巻くんもいる。集まれるひとは集まって、フォレストシンガーズの十周年を祝ってくれた。
 フォレストシンガーズ五人の写真もある。三十四歳の本橋くんと乾くん、三十三歳になって、パパになったシゲくん。三十二歳の幸生くんと章くん。あれから十年……十年もたったなんて、デビューしてから十年も、五人と私で歩いてこられたなんて。
 黒いTシャツの本橋くん。シルバーグレイのシャツの乾くん。チェックのシャツのシゲくん。テディベアプリントのシャツを着た幸生くん。ピンクのシャツの章くん。どこかは変わったけれど、大部分は変わらない私の仲間たち。永遠に仲間でいたいと、私は心から思う。
 センチメンタルになりすぎてるよね、と苦笑して、私は写真を一枚、取り上げた。学生時代の彼らの写真だ。章くんがいなくて、ヒデくんが私たちの仲間だったころの写真。大学四年生の私はここには写っていないのだが、目を閉じると私もいる光景が浮かんできた。


 前の席でしょぼくれているのは酒巻くん。三つ年下の私の彼氏。これが私の彼氏ねぇ……彼氏と呼ぶには幼すぎる。またべそかいてるの? なにがあったの? 合唱部の先輩に怒られた?
「もうじき合宿だよね。酒巻くんも行くんでしょ?」
 なにがあったの、とは質問せずに、楽しい話をしようとしたら、酒巻くんはうつむいたままで言った。
「行きますけど、合宿では一年生男子が数人、同室になるんですよね」
「そうだよ。酒巻くんにだって友達はいるんでしょ」
「いるのかな。僕は友達だと思ってますけど、むこうは思ってないような気がします」
「酒巻くんから話しかけて、楽しくやればいいのよ。そのせいでしょぼんとしてるの?」
「この間ね……」
 五月ごろからつきあいはじめた酒巻くんと、デートをしていた。私のショッピングに連れ回してから、休憩しようとお茶を飲む。主導権はすべて私。酒巻くんは文句も言わずについてきて、これでは彼ではなくて、荷物持ちのつきそいみたい。どうしても私はそう思ってしまい、デート気分にはなれずにいた。
「一年生の男子が……」
「うんうん」
 生返事はしていたものの、私は酒巻くんの話は聞いていなかった。
 デートとなると男が行く先を決める。店を予約したり、どこに行くかを決めて女の子を連れていってくれる。それが普通だろうか。そうだとしても、私はそこまでは望んでいないけれど、もうすこしは意見も言ってほしい。
 三年生のときの彼とはほんの短期間しかつきあっていなかったけれど、それでも彼は街で会うとなると、夕食の店を決めて予約してくれた。
「友達に聞いたんだ。いい店があるんだよ。美江子ちゃんも気に入るはずだ。行こうよ」
 そう言って素敵な店に連れていってくれた。一年生のときの彼はさらに、強引といっていいほどに、なんでもかんでも自分で決めて、私をそこに連れていった。
「星さん、どこに行くの?」
「映画を見てメシを食って、それからあとは……俺んちか、おまえんちか」
「ごはんのあとは帰るの」
「それでもいいよ」
「……それでもいいの?」
「いやなのか」
「……ええとね……」
 それでもいいよ、と言ったくせに、ごはんを食べたら店の外で私を抱きすくめて、ついてこい、なんて言ったっけ。ためらっていたら手を引いて、星さんのアパートに連れていった。
「おまえだって抱かれたいんだろ。俺はおまえを抱きたいよ。いやなんだったら帰ってもいいぞ」
「星さんってほんと、強引なんだから」
「強引な男は嫌いか」
「星さんだったら好き」
 あのころの私は現在の酒巻くんと同い年で、星さんが現在の私と同い年だった。私は子供だったから、いばっている星さんにぽーっとなって、彼の言いなりになるのも決していやではなかった。星さんだって私が本気でいやがったら、無理強いはしなかったのだから。
 いやではなくて、焦らしてみたかっただけ? 星さんは私の心を見抜いて、自分のしたいようにしているふうでいて、私がしたいようにしてくれた? 星さんは大人だったよね。私はあのころの星さんの年齢になっていても、大人になんかなっていない。
 女だから酒巻くんをリードするのができないのではなく、私も子供だから、そうと思い当たると、デートを続けているのがつらくなってきた。
「帰るわ」
「そうなんですか。用事でもあるんですか」
「うん、帰る」
「送っていきましょうか」
「真昼間だし、酒巻くんに送ってもらっても……」
「はい、では、お気をつけて帰って下さい」
 告白してくれたのは彼のほうなのだが、デートしていても酒巻くんは私を先輩視していて、言葉遣いも崩さない。星さんは年上だったから当然なのだろうけど、じきに私を美江子と呼び捨てにし、おまえと呼び、おまえはやめて、と言っても笑っていた。
 こんなふうにわけもなく、帰ると言ったりしたら、おとなしく帰らせてなんかくれなかった。口喧嘩になって席を立ち、帰るっ、とふくれてみせたら、星さんもあとからついてきた。
「なんの用事だ? デートの途中で帰ると言い出すのは、大切な用事なんだろうな。言えよ」
「星さんとは関わりない用事です」
「おまえは俺の彼女なんだから、関わりはあるだろ」
「星さんって私のすべてに干渉するの? そんな権利はあるの?」
「こんなところでもめてるのもなんだし、たいした用事じゃないんだったら俺んちに行こうか。駄々をこねたいんだったら、俺の胸の中でやれ」
「駄々なんかこねてないのっ!!」
「そうだね、駄々っ子の美江子ちゃん。ついてこい」
「いやと言ったらいやっ」
「いいからおいで、美江子ちゃん」
 口の達者な星さんは、彼のアパートにたどりつくまでの間に、私の気持ちをほぐしてしまった。ほぐれてはいても意地を張って、星さんのアパートでも意地っ張り台詞を言い続けると、星さんは怒った口調で言った。
「あんまり我を張ってばかりいると、この次のテストには勉強を教えてやらないぞ」
「いいもーん」
「美江子、愛してるよ」
「ずるーい」
 そうして抱きしめられて、キスされてとろけて、私は星さんの前では幼い少女になって、それでいて、星さんに愛される女気分も味わわせてもらったのだった。酒巻くんとだったらあべこべに近い。そんなの、私には荷が重過ぎる。
「じゃあね、またね」
「美江子さん、この次はいつ会えますか」
「そのうちにね。電話するから」
「はい、待ってます」
 酒巻くんと別れて歩き出すと、むこうからヒデくんが歩いてくるのを見つけた。ヒデくんはひとりで歩いているらしい。学生街で繁華街といった街だから、エリアも狭い。同じ大学の学生たちとは行動範囲がかぶっていて、街ではよく知り合いに会うのだ。
「ねえ、お茶しない?」
 なんとなく見ていると、ヒデくんは知らない女の子に声をかけた。女の子は無視して行ってしまったので、ナンパしたのだろう。ヒデくんもナンパなんかするんだね、とため息つくと、彼は肩をすくめて再び歩き出した。私はヒデくんに声をかけた。
「ヒーデくん」
「あ、わ、美江子さん、見てたんですか」
「なんにも見てないし聞いてないよ。お茶だったら私としようか」
「聞いてましたね。いや、あれはほんの暇つぶしですから」
「ヒデくんは暇なの? 彼女はいるんでしょ」
「いませんよ」
 嘘をついているのか本当にいないのか。私にしてみればどっちでもいいので、お茶しようよ、と重ねて言うと、ヒデくんはうなずいてついてきた。
「ひつまぶしっていうのもあるんだよね」
 さっきも酒巻くんとお茶を飲んだのだから、これ以上液体を飲むとおなかががぼがぼしそう。私はフルーツヨーグルトをオーダーし、ヒデくんはアイスカフェオレをオーダーし、どうでもいいような話をした。
「ひつまぶしってウナギですよね。名古屋名物だったかな」
「そうだったかな。ヒデくんはお昼は食べたの?」
「食べました。美江子さんは?」
「食べてないんだけど、食欲ないし、ダイエットにもなるからヨーグルトでいいわ」
「美江子さんはショッピングですか」
「そうよ。買ったものを見せてあげようか」
 そんなもの、見たくない、とヒデくんの顔に書いてあったので、紙袋から品物を取り出すのはやめた。酒巻くんはひとりで帰ったのかな、ごめんね、と心であやまっていると、ヒデくんが言った。
「乾さんもデートかな。彼女、知ってます?」
「乾くんの彼女?」
「去年からつきあってるみたいですよ。三沢ユキ」
 三沢ユキ? 三沢幸生だったら知ってるけど、彼は男の子だし。名前の似た女の子が乾くんの彼女になったのか。私はそんな子は知らないのだが、乾くんの彼女といえば……去年はたしか……他校の学生とつきあっていたのでは? 
 二股かけてたの? 乾くんらしくないな。訝しく感じながらも、ヒデくんの視線の先を見た。乾くんがいる。隣には小柄な女の子がいる。乾くんを見上げてぺちゃくちゃ喋っているのがユキちゃんなのだろう。乾くんが私たちに気づいて近づいてきた。
「ミエちゃんはヒデとデート? 紹介してなかったかな。俺の彼女だよ。ユキ、ヒデは知ってるだろ。山田美江子さんは俺と同い年だから、おまえから見たら先輩だね。挨拶しろよ」
 この口調も乾くんらしくない。彼は女の子をおまえとは呼ばない主義なのでは? 主義が変わったのか、ユキちゃんの希望なのか、さらに訝しみつつ、私は言った。
「山田美江子です。こんにちは、はじめまして」
「二年生の三沢ユキです。よろしくお願いします」
「俺たちも同席させてもらっていいかな」
 乾くんが言い、ヒデくんと私はうなずいたのだが、ユキちゃんは不満そうな顔で言った。
「ユキは隆也さんとふたりっきりがいい」
「おまえはまたそれか。俺の友達とも仲良くしろよ」
「やだやだ。隆也さんはユキだけを見て」
「そうは行かないよ。ここにすわるのがいやだったら帰ってもいいよ」
「そんなの……隆也さんの意地悪」
 素早く身を寄せてきて、ヒデくんが囁いた。
「ガキでしょ、ユキって……」
「というか、うーん……かもね」
 二年生だというわりには、一年生のときの私以上に子供っぽい。子供っぽいのもあるだろうけれど、ユキちゃんは乾くんが好きで好きでたまらないのだろう。ヒデくんは素早く私から身体を離してくすくす笑っている。ユキちゃんはすねた顔をしていて、乾くんは言った。
「おまえだって腹が減ったんだろ。メシをおごってやるって約束したんだから、いやだから帰るって言うんだったら、金だけ渡そうか」
「乾くん、それはないよ」
 私は口をはさんだ。
「お金だけもらっても、ユキちゃんは嬉しくないよね。乾くんったら、なんだか全然らしくない。いつも女の子にはそんなんじゃないのに」
「ユキじゃない女の子には、隆也さんはどうなんですか」
 心配そうにユキちゃんが尋ね、乾くんは知らん顔で私たちのテーブルにすわる。ヒデくんは苦笑いで、私は立っているユキちゃんに言った。
「乾くんは女の子には優しいの。前の彼女にだって……うっ、ごめん、なんにも言ってないよ」
「言いました。聞こえました。前の彼女って、山田さんは知ってるんですか」
「乾くんの前の彼女は知らないんだけど、その前の彼女だったら……うわうわ、なんにも言ってないったらっ」
 なんだって私の口が勝手に動くの? 私は内心で焦っていたのだが、乾くんはしらっと言った。
「俺は大学四年の二十一の男だよ。昔は彼女がいたって当然だろ。過去の恋に妬くな、ユキ」
「だってだって……」
「いいからおまえもすわれ」
 すね顔はそのままで、ユキちゃんも椅子にかけ、ヒデくんが言った。
「乾さんはもてるんやきに、昔は彼女がいたってのは当たり前だろ。今はおまえだけだってよ。それでいいじゃないか」
「ヒデさんに言ってもらっても嬉しくないもん。隆也さんが言って」
「あとでな。今は友達たちと楽しくやろう。ユキ、なにを食う?」
「隆也さんの彼女の話なんか聞いたら、食べたくなくなっちゃった」
 ヒデくんもユキちゃんとは親しくなっているようだが、そうすると三沢幸生くんは? 
「三沢幸生くんとそっくりの名前なんだよね、ユキちゃんって」
「三沢幸生って誰ですか」
「ヒデくんは知らないの? 乾くんは?」
「三沢ユキしか知らないよ。そんなまぎらわしい名前の奴、いたか、ユキ?」
「ユキも知らない。山田さん、乾さんの前の彼女って?」
 なんでなんで? 私は呆然としてしまい、ユキちゃんの質問にまたしても口が勝手に動いた。
「去年は私のよく知らない女の子だったのよね。よその学校のひと。その前は私もよく知ってるひとだったの。私たちが一年生だった年の彼女には、乾くんがふられたんだからいいにしても、去年は彼女とつきあってたくせに、ユキちゃんともつきあってたの?」
「隆也さんったら……そんなのって……」
 ユキちゃんの顔がくしゃくしゃっと歪み、乾くんは言った。
「俺はユキと同時期に別の女の子となんかつきあってないよ。ミエちゃん、なんの根拠があって嘘をつくの?」
「嘘じゃないもん。ヒデくんだって知ってるんじゃないの?」
「知りませんよ。乾さんがそんなことをするわけがないでしょ。いくら美江子さんだって、そんな嘘をつくとは許せませんね」
「ユキ、嘘だよ。泣くな」
 乾くんはユキちゃんに言い、ユキちゃんは泣いている。ヒデくんは私を非難のまなざしで見る。言ってしまったのは失言だったのだが、それにしたって、どうして私は言ってしまったのか? それにしたってそれにしたって、嘘は言っていない。私は乾くんをじっと見て言った。
「私は嘘つきじゃありません。知ってるんだから」
「俺は同時にふたりの女の子となんかつきあいません」
「やってたくせに」
「やってません」
 睨み合っていると、ユキちゃんが口をはさんだ。
「あのぉ、山田さんって隆也さんが好きなの? だから邪魔しようとして嘘をつくの?」
「冗談じゃないってのよ。私にだって彼はいるんだから……じゃなくて、彼なんかいなくても、私は乾くんに恋はしていない。ただの友達なの。ユキちゃん、変な誤解をしないでね」
「だってだって、それにしたら山田さんって変なんだもの。変なことばっかり言うんだから」
「……変かもね。考えるから……」
 そもそもどうして、私は三沢ユキちゃんを知らなかったのだろうか。乾くんやヒデくんが三沢幸生くんを知らないのはなぜ? そこからして変なのだが、考えてもその意味は判明しなかった。
「ユキちゃんとはたまたま会う機会がなくて、だよね。にしたって、三沢幸生くんはどうなるのよ。合唱部にいるでしょ。二年生の男の子の三沢幸生くんが」
「いないよ」
 男子部の四年生と三年生の、乾隆也と小笠原英彦が断言する。とすると、いないのか。なぜなぜなぜ? 私の頭の中では、なぜなぜなぜ、が渦巻いていた。


2

 じきに夏休みになる大学のキャンパスに入っていった。ユキちゃんは乾くんの昔の彼女についてを追及し、私にも質問したがり、乾くんが私にぴしゃっと言ったせいもあった。
「ミエちゃんはどうしてそうよけいな話をするんだよ。俺の昔の彼女については、俺がユキに釈明する。きみが横からごじゃごじゃ言うと話がややこしくなるんだ。ミエちゃんは黙ってろ」
「そうですよ。美江子さんらしくもなく」
 ヒデくんまでが言うので、だったら私は帰る、と言い放って店を出て、大学にやってきた。
 誰にも止められなかったのもあり、私は嘘は言っていないのに、と思うと悔しかったのもあり、人影の少なくなったキャンパスを苛々と歩いていると、本橋くんが合唱部室近くのベンチにすわっているのが見えた。
「よ、山田。なんか怒ってるのか?」
「怒ってる。本橋くんも三沢幸生って知らないの?」
「幸生? そんな奴は知らないけど、ユキだったら知ってるよ。乾の彼女だろ」
「……ユキちゃんは知ってるんだね」
「知ってるよ。おまえもすわるか。ここはいい風が吹いてて涼しいぜ」
 ベンチに私もすわると、本橋くんは立っていって自動販売機で缶入りラムネを買ってきてくれた。
「ありがとう。なんなんだろ、これって」
「なんなんだろと言われても、なんのことだ?」
「私にもよくわからないからうまく言えないよ。本橋くんはユキちゃんに紹介してもらってたの?」
「紹介っつうのか、言わないほうがいいようなきっかけで、乾の部屋でユキに会ったんだよ。言わないほうがいいんだから、言わない」
「言ったらいけないんだったらいいんだけどね。乾くんらしくない?」
「ユキに対するあいつの態度か。ある面はらしいんじゃねえかな」
 よくよく知っているつもりの、乾くんの前の前の彼女、香奈からは乾くんの態度も聞いた。
「乾くんって優しすぎて思いやりがありすぎて、ものわかりがよすぎて、つきあってて疲れるの。だから別れたの」
 そのあとの他校の彼女についてはほとんど知らないが、彼女はここにはいないのか。ここってどこ? え? ここはどこ? ふっと疑問が沸いたのだが、本橋くんの声で疑問が消えていった。本橋くんは缶コーラを手に、言ったのだった。
「乾とユキなんかじゃなくて、俺だよ」
「本橋くんにも彼女がいるの? いるよね。私は彼女と会ったことがあるんだもの」
「おまえが俺の彼女に会った? 俺には彼女なんかいねえぞ。いつ会った?」
「本橋くんまで嘘ばっかり。本橋くんは彼女とデートしていて、私は酒巻くんとデートしていて、そのときに会ったじゃないの」
「おまえは酒巻とデートするような仲なのか」
 またまたおかしい。本橋くんは知っているはずなのに。
「おまえ、酒巻とつきあってるのか。あんなガキと?」
「つきあってるよ。知ってるくせに。ガキったらガキだけど、それはそれで……」
「ふーん。そんなら言わないよ」
「なにを?」
「言わないったら言わねえんだよ」
「言ってくれないんだったらいいよ。私は酒巻くんとデートしてて、アイスティを飲んだからおなかの中は水分だらけなの。ラムネなんかいらない」
 缶を開けていなかったラムネを突き返すと、本橋くんは言った。
「そしたら俺が飲むよ」
「どうぞ。じゃあね」
 まったくまったく、今日は仲違いばかりだ。酒巻くんとは私の身勝手でああなって、乾くんもヒデくんも怒らせた。本橋くんがどうして怒ったのかは知らないが、怒っているようでもある。私も怒っていたので、本橋くんを残して歩き出した。
「……あ、シゲくん」
 こうして歩いていて、ヒデくんにも乾くんにも本橋くんにもシゲくんにも会うのは、行動範囲がかぶっているのだから不可解ではない。なのに、シゲくんはいた、と思うと嬉しくなって、私は手を振った。
「シゲくーん」
「ああ、美江子さん、こんにちは。どうかしました?」
「シゲくんも三沢幸生って知らないの?」
「三沢幸生ですか。知りませんね」
「三沢ユキは知ってる?」
「知ってますよ。乾さんの彼女ですよね」
 やっぱり、がっくり、だった。
「それがどうかしたんですか」
「どうもしないんだけど、なんなんだろうな、これって」
「これとは?」
「この……」
 世界? ここは私の現実ではないと? ならばなんの世界? 私が知っているはずの彼らの恋人関係がねじくれている。その上に、三沢幸生がいなくてユキがいる。これってなんなの?
「うまく説明できないから、いいわ」
「美江子さん、なんとなく変ですね」
「変なのよ。どうして変なのか理由が判明しないの。シゲくんには彼女はいる?」
「いません」
 そうだよね、ああ、よかった、シゲくんだけは私の知っているシゲくんそのまんま。そうと言ってはいけないだろうから言わなかったのだが、私はそれだけは安心していた。
「ヒデくんには彼女はいるの?」
「知りません」
 とぼけているようでもあるが、ヒデくんの彼女については私はまったく知らないのだから、いいといえばいいのだった。
 けれど、私は私だ。シゲくんとも別れて歩き出しながら、つらつら考えてみても、私は私だ。知っているつもりの彼らが、正しいと信じているはずの記憶が、どうにかなってしまっているだけなのだろうか。
 疲れたみたいな気持ちになって、アパートに帰った。私は大きな紙袋を持っている。そうそう、ショッピングに行ったんだよね。バーゲンで素敵な服を買ったんだった。その記憶は本物で、紙袋から戦利品を取り出して広げてみたり、ひとりファッションショーをやったりしていると、苛々はまぎれていた。
 だけど、お風呂に入ってありあわせの夕食を食べて、布団に横たわると戻ってくる。幸生くん、どうしてキミだけはここにいないの? どうしてユキちゃんがいて、幸生くんはいないの?
「美江子さんってば、そんなに僕ちゃんを愛してるんだね」
「夢? 幸生くんだよね」
「幻覚の中の夢かな。俺が説明してさしあげましょう」
 女の子のユキちゃんではなく、大学生の幸生くんでもなく、大人に見える幸生くんが話してくれた。これは幻覚の中の夢?
「美江子さん、学生時代の写真を見てたでしょ。居眠りしてるってんじゃないんだけど、昔を思い出していた。そうしていたら幽体離脱ってのか、美江子さんの心が肉体から浮遊して、この世界へ飛んできたんですよ」
「この世界って?」
「美江子さんも読んだでしょ。「A girl meets a boy」ですよ」
「みずきさんの小説?」
 ジグソーパズルのピースがひとつ、かちっと音を立ててはまった。
「そうだったんだ」
「そうなんですよ。みずきさんの小説世界では、俺は女の子の三沢ユキじゃん?」
「幸生くんの変態的願望の小説化だよね」
「変態じゃないっての。あれはみずきさんが、ですね」
「お願いしたのは幸生くんでしょ」
「そうですが、ああなるとは俺の意表をついていたと申しますか……」
 もごもご言ってから、幸生くんはにっこりした。
「俺が女の子の三沢ユキに生まれていて、大学で乾さんと出会ったとしたら、恋をしてただろうな。俺もみずきさんの小説を読んでいて、そう思わなくもなかったから、やっぱ変態ですか」
「変態じゃないよ。幸生くんには同性に恋するってのは冗談でしかないんだろうけど、ユキちゃんだったら乾くんに恋してもおかしくはないものね」
「そうですよね。美江子さんだったらそう言ってくれると信じてましたよ」
「すると……」
 ピースがもうひとつはまった。
「だからなんだね。乾くんは二股なんかかけないんだから、ここには彼女はいないんだ」
「彼女ってのはどなた?」
「幸生くんは知らないんだったらいいの。みずきさんは乾くんとユキちゃんを恋人同士だと設定したんだから、他の女性はいないのよ。そのほうがいいものね」
「そりゃそうですね。現実と同じようでもあり、まるっきりちがってもいる、みずきさんのフィクション世界なんですから」
「そうだよね」
 すこし乾くんの性格がちがうのも、みずきさんの設定だからか。思い出してみれば、乾くんとユキちゃんは小説ではあの通りの仲だった。
「本橋くんの台詞はどうなの?」
「ああ、あれ」
 幻覚の中の夢だからなのか、幸生くんはなんでも知っているようだ。
「なんて言いたかったのか、俺は知ってますよ。みずきさんの小説では山田美江子さんと本橋真次郎さんは友達同士だけど、ここは美江子さんの心象世界でもあるんですよね。だからさ、現在の美江子さんの気持ちも入り込んでる。そう言ったら美江子さんにもわかるんじゃない?」
「おまえに彼氏がいるんだったら、言わないって……」
 俺はおまえが好きだ、つきあってくれ、だったのだろうか。私にはそんな願望があった? 大学生のころにはなかったはずだけど、今だからこそ、なのだろうか。
「この時代にだって、本橋さんの心の深い深いところにはあったのかもね。美江子さんにはなかったの?」
「なかったと思うけど……」
「いずれにせよ、結婚したんですものね」
「そうなのよねぇ……おかしな経験しちゃった。これで私は幽体離脱から蘇るの?」
「たぶんね。乾さんは……」
「え?」
「いいえ、いいんです」
 大人の顔になっているのは当然で、それでいて少年っぽさも残した笑顔で私を見て、幸生くんは消えていった。


 目の前に散らかっているのは、たくさんたくさんの写真。写真には本橋くんも乾くんもヒデくんもシゲくんも、章くんも幸生くんもいる。私もいる。事務所の社長も事務員さんも、同じ事務所のミュージシャンたちも、同じ大学の卒業生たちもいる。
 写真というものはその時々の思い出を、光景を切り取って残した紙きれだ。ただの紙なのにただの紙ではない、不思議なもの。不思議なものと、不思議といえば言える設定の小説によって、私は不思議な体験をした。
 あの世界には章くんはいなかったのは、彼はあの時期には大学を中退していたからか。小説には酒巻くんはいなかったのだが、私の心象世界でもあるからか。小説は私が大学三年生のときを舞台にしていたので、いわば続編でもあったのか。
 まったくもって複雑というかなんというか、けれど、まあ、幻覚でも夢でもなんでもいい。私は現実世界に立ち戻ってきているのだから。心だけが少々ねじれた学生時代に戻っていき、幸生くんの実物があらわれてきて私に説明してくれたのだ。あれは現実経験ではないのだから、それでいい。
「あら、玲奈ちゃん、遅かったのね」
 事務所に入ってきた玲奈ちゃんをちろりと見た。デスクに写真を広げていたのだから、私も仕事をしていたのではないが、遅刻は駄目よ、の意味で言ったのだ。彼女はオフィス・ヤマザキ事務員である。
「山田さん……すみません。あのね、私ね……」
「いいことでもあった? 玲奈ちゃん、ぽーっとしてるね」
「わかります? やだ、私、ぽーっとした顔してるんですか」
「してらっしゃいましてよ。恋のお話?」
「はい」
 ここでの指定席にすわって、玲奈ちゃんは言った。
「昨夜、プロポーズされました」
「人見さんだったよね。金子さんに紹介してもらったって言ってた彼?」
 フォレストシンガーズが仕事をさせてもらっているラジオ局ディレクター、人見さんについては私も聞いている。人見さんが玲奈ちゃんを好きになり、金子さんにお願いして紹介してもらい、ふたりはつきあうようになったのそうだ。
「はい。結婚して下さい、って言われました」
「結婚するのね」
「はい、します」
「そっかー、よかったね。お祝いパーティしなくちゃ」
「パーティなんか恥ずかしいです」
「私にも正式に人見さんを紹介してね。玲奈ちゃんは結婚したら退職するの?」
「山田さんを見習って、仕事は続けます」
「よしよし、よろしい」
 それだったら社長も嘆かないだろう。玲奈ちゃんにしてもなかなかに手に負えない女の子ではあるらしいのだが、若い分は私よりもよほど扱いやすいようで、社長は娘みたいに可愛がっていた。
「私の結婚の話はいいんですけど、フォレストシンガーズの写真? 見ていいですか」
「どうぞどうぞ。そうだ、玲奈ちゃんの結婚式には、仲人さんみたいな存在の金子さんにも歌ってもらうといいよね。フォレストシンガーズも歌わせてもらっていい?」
「ほんとですか。きゃーっ、嬉しいっ!!」
 初々しくて可愛くて、お茶目でおてんばでやんちゃでもあった玲奈ちゃんも、いよいよ結婚かぁ。私も年を取るわけだわ。
 おばあさんみたいな現実そのものの感慨が浮かぶと、幻覚だか夢だかなんてどうでもよくなる。そして、私は写真を一枚、取り上げた。若き日の本橋真次郎が、身体をねじってガッツポーズをしている写真だ。これはいつ? あなたは幻覚の中で、私になんと言いたかったの? ううん、なんだっていいよね。
 私たちは現実に生きているのだもの。あの経験も楽しかったけど、あのとき、本橋くんが私になにを言いたかったにしても、私たちは遠回りの果てに結婚したんだから、それでいいよね。

END
 

 



 
 
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