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小説143(I'LL MAKE LOVE TO YOU)

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なまはげ

フォレストシンガーズストーリィ143

「I'LL MAKE LOVE TO YOU」


 身体が大きくて声が低くて、若い男。昔は未婚男子に限られていたらしいのだが、現代では既婚でも可なのだそうだ。若い男は都会に出ていって数少なくなっているので、中年男子でも可なのだそうだ。
「幸生と章はあれだし、乾もあれだし、そうなると俺かシゲだよな」
「あれってどれ?」
 この台詞は当然、幸生である。
「リーダー、あれってどれですか? はっきり言って下さいよ」
「はっきり言ったら気を悪くする奴が約三名いるだろ。な、シゲ?」
「いや、俺もあれですから。そうなると本橋さんですよね」
「……やっぱり俺か」
 言われるまでもなく、うちのメンバー中、最適任であるのは俺だとわかっていた。未婚のみはあてはまらないが、まだ俺は若い男の部類であろうし、他の項目もほぼあてはまる。
 秋田県はなまはげの本場だ。
 かつてはいつだっていつだって、仕事で東京を離れると、俺たちは連れ立って行動していた。いつのころからか、ライヴツアーなどで地方に行ったとしても、単独行動が増えた。それぞれに単独の仕事も増えたのだし、時にはひとりでぶらっと、なじみのない土地を歩くのもいいものだ。
 が、本日は仕事で秋田にやってきて、五人そろってなまはげ見物に来た。すると、町の顔役である年配の男性に打診されたのだった。
「フォレストシンガーズとおっしゃる? 歌手なんですね。若い男性が五人いらっしゃるんですね。三人までは独身ですか。独身でも結婚なさっていてもよろしいんですよ。昔は……」
 昔はなまはげ役の男にはなかなかきびしい条件が課せられていたのだと、顔役さんが話してくれた。それで俺たちも知ったわけだが、現代ではそんなことを言っていると、なまはげをやれる男なんかいないんだ、と顔役さんは笑って言った。
「ですから、どなたでもいいんですが、いや、中でもお似合いの方がいらっしゃいますな。やってみられませんか」
 いわゆるなまはげ体験ってやつだ。秋田なまりはあるものの、標準語で話す顔役さんも、本橋さんがもっとも似合いそうだと言いたかったのだろう。
 あれ、とは、身体が細いとか背丈が足りないとか、声が高いとかである。俺の次に適任なのはシゲのはずだが、シゲも俺よりはだいぶ背が低い。そうなると俺だ。俺がてめえのなまはげ姿を想像していると、幸生が言った。
「リーダーのなまはげ。なまはげって鬼でしょ? 子供を怖がらせるんだよね。そうしてその子の将来のトラウマになったりするんだ。リーダーだと似合いすぎて……きゃぁぁ、俺が怖いわっ」
「顔はお面で隠れて、そしてなおいっそう怖くなる。本橋、本当におまえには似合いだよ」
 うんうん、やれやれっ、と乾も言う。章とシゲは苦笑いしている。俺も苦笑いするしかなく、顔役さんのご要望にお答えすることになった。


「悪い子はいねえがぁ。がおっ!!」
 東北なまりのイントネーションはむずかしいのだが、精一杯それらしく言って吼えてみせた。
 なまはげの扮装をして、生まれついてのなまはげみたいに似合っていると、嬉しくもない全員の感想を聞いたあとで、顔役さんに再びの提案をされたのだった。
「近くに小学校があるんですよ。季節はずれではありますが、子供たちにその格好でぜひ」
 おー、行こう行こうと言い出したのは幸生で、なまはげの俺と他四名は小学校にやってきた。
 今どきの子供なんてものは、こんなものはまさしく子供だましだとバカにするのかと思っていたが、この地方の小学生たちは、幼いころからなまはげの薫陶を受けている。実際にトラウマになるのではないか、児童虐待なのではないかと言われて困っているのだとも、顔役さんは言っていた。
 そのせいか、子供たちは本当になまはげに怯えている様子だ。幼い顔に恐怖の色を浮かべて逃げ惑う子供たちを追っかけまわしていると、俺は変質者になったような気がしてならない。あとの四人は校庭の隅に固まって笑ったり、ひそひそやったりしていた。
「あの声、怖いよぉっ!!  お嬢ちゃんたちもお坊ちゃんたちも早く逃げてっ!!」
 面白がっているにちがいない声で幸生が叫び、章も叫んだ。
「なまはげのおじちゃん、こっちには来ないでねーっ!!」
「実に恐ろしい。子供たちの心に傷が残らないといいけど……」
 乾も言い、シゲがなにやら応じていたが、シゲの声は低いので聞き取れなかった。
 そうやって、俺自身も子供たちを苛めているような気分で校庭を走っていると、いつしか樹々が鬱蒼と繁る場所に迷い出た。児童数が少ないわりには広い小学校の校庭だ。俺にとってははじめての場所でもあるのだから、迷子になったのだろうか。
 立ち止まって見回し、こっちだろうかと見当をつけた方向へと歩き出す。小学校は昼休みの時刻なのに、周囲は静寂。そんなにも遠くへと来てしまったのか。
 なまはげのかぶりものの下でしかめっ面をしつつ、歩いていくと、ますます方角がわからなくなる。ただただ歩いていくと、開けた場所に出た。むこうに赤い実が見える。苺だろうか。もいで食っても大丈夫だろうと、俺は実のほうへと歩み寄った。ひどく喉が渇いていた。
「苺にしたらでかいな。毒はないよな」
 腹は丈夫なんだし、当たったとしても死にはしないだろうとひと粒口に入れると、たしかに苺の味がした。
「でか苺か。なまはげの里の苺はでかいんだな」
 苺を食ったら急に眠くなってきて、俺は地面にすわり込んだ。思いのほか時間も経過しているようだ。歩き回って疲れるほどでもないにしても、気疲れはしていたのか。俺はその姿勢でしばしうとうとしていたらしい。
「……お帰りなさい」
 女の声に目が覚めて振り向くと、小柄ななまはげが立っていた。
「女がなまはげ?」
「女だっているのよ。やーだ、人を食ったみたい」
「え?」
「口の端から血がたらたら」
「血じゃないだろ。苺の果汁だよ。えーと、あなたは? お帰りなさいって?」
 なまはげとは扮装なのだから、よその地方から来た観光客の女がやってみたくなって体験しているのだろう。短い会話からすると、彼女にはなまりはない。関東地方の住人か。
「なにを言ってるのよ。ごはんができてるから、帰ろうね」
「帰るってどこへ?」
「私たちの家。忘れちゃったの?」
 なんの芝居だろうか。顔役さんが趣向を凝らして、彼女にこうしろとでも頼んだのか。俺にはさっぱりわからないのだが、こうして食事をふるまってくれるつもりなのかもしれない。喉の渇きがおさまると、空腹も覚えていた。
 わけもわからぬままに彼女についていった。しばらく歩くと藁葺き屋根の小屋が建っていて、中に入ると囲炉裏に鍋がかかっている。彼女は囲炉裏端にすわり、俺にもすわれと言う。鄙びた模様の座布団にすわると、彼女がお椀に汁とメシをよそってくれた。
「いただきます。あなたのお名前は?」
「女房の名前を忘れたの?」
「女房って……俺の女房は美江子っていうんだけど、あなたは美江子じゃないだろ。美江子にしたら背が低いし、身体つきもあいつよりも細い。誰?」
「だから、あなたの女房よ、シンさん」
「俺の名前は真次郎だけど、なんなんだよ、これは。手の込んだ芝居か? 顔役さんに頼まれた?」
「芝居? なんなんだかわからないけど、私の名前は、あなたが食べたあれよ」
「苺?」
「ええ」
 なんなんだかわからないとは俺が言いたいのだが、芝居なんだったら乗るべきだろうか。幸生と乾がやる気持ちの悪い芝居よりは乗りやすいので、一応、乗ってみることにした。
 どっきりカメラとかいうやつだろうか。このシーンが撮影されていて、どこかでうちの仲間たちが見ている? そうとも考えられる。だとしたらうろたえてはみっともない。
 そのような経験は俺たちにはないが、俺抜きでどっきりの趣向がたくらまれていて、みんなしてこの場面を見ているのかもしれない。フォレストシンガーズも多少は売れてきたので、テレビ局がそういった企画を考えたとしても、あり得なくはないではないか。
 顔役さんも苺と名乗っているこの女もぐるか。ならば、俺は動揺せずに乗ってやろう。このシーンはみんなで見ているのではなく、あとから放映されるのかもしれないのだから、狼狽したりしてはいけないのだ。
 山菜汁とあきたこまちであろうか、炊きたてではないメシを賞味しながら、俺は腹を決めた。苺と俺はなまはげの夫婦なのだ。秋田らしくていい。
「ん? かぶりもの……こんなのかぶったままで苺やメシを食ってるんだよな。はずすわけにもいかないんだろうけど……いや、いいよ。この口ってこんなに自然にものを食えたのか」
「さっきからなにを言ってるの?」
 彼女の口元に耳を寄せた。
「俺をフォレストシンガーズの本橋真次郎と知っての上で、やってるんだろ」
 首をかしげて微笑んで、彼女は俺の顔を押しのけた。なまはげなのに、微笑んでいるとわかるのだ。彼女は美人なのだと、俺にはなぜだかそう思えた。優しく甘く低めの俺の好みの声だからなのだろうか。なまはげが美人だなんて変だよな、と思いつつも俺は尋ねた。
「知らないのか」
「シンさん、さっきから変ね。どこに行ってたの?」
「小学校」
「小学校ってなに?」
「きみのほうが変だろ。話が通じないんじゃなくて、通じないふりだよな。俺はこれからどうすりゃいいんだ」
「ちょっと待っててね」
 声や身のこなしは若い女だ。彼女は食い終えた食器を台所であるほうへと下げていき、水音を立てたあとで戻ってきた。
「お待たせ」
「……ああっと、ごちそうさま」
「なんだかとっても変なひと。ね、シンさん……」
「お、え? あ?」
 かたわらにしどけないポーズですわった彼女は、俺の胸に手を這わせた。細くしなやかな白い腕が、なまはげの藁っぽい衣装の中にすべり込んでくる。彼女も俺と同じような扮装をしていて、顔はなまはげ、服もなまはげなのだが、腕や手は人間の女だった。
「テレビなんだろ。これはまずいだろ。俺には女房もいるんだし……」
「女房はここにいるじゃないの。焦らさないで」
「……いや、あのさ、なまはげってキスするのか?」
 冗談にしてしまおうとしたのに、彼女はやけに色っぽく微笑んだ。
「キスってこれ?」
「うおっと」
 押し倒されてくちびるを奪われた。俺にしても好きになった女の子のくちびるを奪った経験ならばあるが、逆ははじめてだ。なまはげのかぶりもの同士のキスは、不思議にエロティックな味がした。
「やめろよ。テレビが……」
「テレビってなんなのよ? あなたってほんとにさっきからわけのわからないことばっかり言って。久しぶりで帰ってきたんだから、そしたらすることはひとつでしょ。あなたがしてくれないんだったら私から……いい?」
「おい、待て」
「待たない」
 つと立ち上がった彼女が、かぶりものはそのままで服を脱ぐ。止めなくてはならないのはわかっていたが、あまりにも色っぽくて、俺はついつい見とれていた。
 鬼の顔をした女の白い裸身は、人間の女となんら変わりない。かぶりものを取らないのはなにかの意図があるからだろうか、と考える程度の余裕はあったのだが、それもつかの間で、裸になった女に抱きつかれて理性が飛んだ。
 かぶりものをしたままではもどかしくて、取ろうとしたのだが取れない。顔はこのまんまだというのも倒錯めいていていいではないか。では、俺も服を脱ごう。
 そこまで考えてはっと我に返りそうになる。俺は……俺は……俺はなまはげ? なまはげの男としてなまはげの女と夫婦となり、なまはげの交接を? してはいけないことか? 夫婦なんだったらいいじゃないか。
 夫婦……俺には現実の世界に妻がいる。現実の世界ってなんだ? これは現実ではないというのか? ならばよけいに、女と抱き合ったっていいじゃないか。
 いいのか、悪いのか? 理性が消し飛んで思考が形をなさない。これは浮気か? 美江子に対する裏切りか。あいつがこれを見ていたら怒り狂うだろうか。誰かが見ているのか? 苺がそうと知っていてこうふるまうなんて、それではどっきりカメラなんて可愛いものにはならないではないか。
 エロ番組収録ではあるまいし、では、これはどっきりではないのか? そしたらなんだ? なんなんだ、これは。
 そんなふうにも断片的には考えていたのだが、藁をまとった俺が全裸の女を抱いている感触はいわく言いがたくセクシャルで、どうにもこうにも突き放せない。しっかと彼女を抱きしめて、畳の上に倒れこんでいった。
 
「Close your eyes,make a wish
 And blow out the candlelight
 For tonight is just your night
 We`re gonne calebrete,all thru the night
 Pour the wine,light the fire
 Girl your wish is my command
 I submnit to your demands
 I`ll do anything,girl you need only ask」

 幾許かの時間が経過したのか。俺はたった今、なにをしていたのか?
 記憶も形をなさない。俺は着衣の状態で、女は全裸で、寄り添って抱き合って畳に寝そべっている。ふと口をついて出た歌は、メイクラヴの歌だった。
「なあに、その歌? 変な言葉」
「英語だよ。俺は英語は苦手だけど、この程度だったら多少はわかるだろ」
「英語って?」
「イギリスやアメリカの言葉だよ。きみは英語ってものを知らないのか」
「知らない」
 とぼけているのではないのか。俺は本当になまはげの里に迷い込んでしまったのか。なのになぜ、彼女は秋田なまりで喋らない? たった今の状況が俺にはわからない。頭の一部が朦朧としてきていた。
「ここはどこ?」
「なにを言ってるの?」
「きみは誰?」
「あなたの女房」
「俺は誰だ?」
「私の亭主」
「きみと俺とはどうやって知り合って、どうやって惚れ合って結婚したんだ?」
「なにを言ってるのかわからない」
 ああ、どうだっていいよな、そんなことは、と言いたくなる。なんなのだろう、これは、との気分はつきまとっているのだが、どうだっていいさ、ともなってくるのだった。
「俺たち、フォレストシンガーズっていってさ、男五人の歌うたいなんだよ。フォレストシンガーズってのは、森の歌うたいたちって意味だな。乾とシゲと幸生と章って男と、五人で長く歌ってきた。昔はちっとも売れなくて、いい加減いやになっちまったりもしてたんだけど、近年になってちょっとずつ売れてきたんだ」
「なんなの?」
 本当に彼女は俺の言っている言葉を理解していないのか。なのになぜ、俺はこんなことを話しているのか。自身の行為の意味もわからぬままに、俺は話し続けた。
「それで、今回は五人で仕事のために秋田に来た。明日の夜にはライヴがあるんだ。その前に秋田観光なんてのもやって、今夜は秋田のローカルテレビに出演する予定なんだよ。そのテレビ局が変な芝居をやらせてるのかとも思ったけど、そうだとしたらここまではやらないよな。きみはAV女優じゃないんだろ。俺だってそんな……わけがわかんねえよ」
「あなたの言ってることのほうがわからないのよ」
「きみは正直に言ってるのか?」
「そうよ」
 信じたくなる。信じてどうしていけないんだ、とも思ってしまう。
「俺はさっき、きみを抱いた?」
 うふふと笑って答えない。当たり前じゃないの、と言いたいのだろうか。俺にはその明確な記憶がない。第一、俺はなまはげの衣装のまんまではないか。服を着たまんまでもできなくはないが、ただ、彼女を抱きしめているだけの記憶しかないのだった。
 もしかしたら俺はなまはげの男として生まれて、なまはげとして育って、なまはげの女と結婚したのかもしれない。きっとそうなのだろう。
 なんだっていいさ。肌のなじんだ女とこうして抱き合っているのは心地よい。気持ちがいい。こうして眠って起きたら、俺はなにをすればいいんだろう。なまはげの男って狩りでもするんだろうか。そんなことなど考えながら、俺は女を抱きしめてとろりとろりと夢の国に漂っていった。


 ぽかっと目が覚めたら、俺はどこかにすわり込んでいた。口の中に苦い味が残っている。苦いといおうかえぐいといおうか、ひどい味だ。俺はなにを食った? 思わずぺっと吐き出すと、出てきたものもひどい色合いだった。
 茶色と濃い緑色の混ざったいかにもまずそうな実の残骸か。俺が食ったのはでか苺だったはず。口の中でこんな色に変化したのか。甘ずっぱい苺の味は、俺の錯覚だったのだろうか。
 苺? そんな名前の女がいたような……俺は全裸の彼女を抱いていたのではなかったか? 身体を見下ろしてみると、なまはげの扮装をしたままだ。顔に触れてもなまはげのかぶりもの。なんだったんだろう、先ほどの経験は?
 喉の渇きと空腹感は増すばかりで、苺を食ったのも飯と汁を食ったのも、なかったことなのかと思えてくる。赤い苺の実と見えたものが妙な作用をして、俺に妙な幻覚を見せたのか。あるいは、狐か狸にでも化かされたのか。
 東北地方はおとぎ話の宝庫だと聞く。おとぎ話にしてはエロティックだったが、まあ、悪い幻覚でもなかった。幻覚なのだったら美江子に対してやましい点もない。よかったよかった。
 口の中に残るいやな味を唾とともにぺっぺっと吐き出しつつ、俺は歩き出した。道に迷ったと思っていたのだが、小学校の校庭で迷子になる道理がないではないか。俺としたことが疲れてしまって、なにもかもがおかしくなっていたのだろう。
 しばらく歩くと見覚えのある景色が見えてくる。広い校庭にはブランコやすべり台もあって、子供たちは昼休みが終了したらしく、閑散とした中にうちのメンバーたちがいるのも見えた。
「本橋、どこへ行ってたんだよ」
 俺を見つけた乾が問いかけたのだが、言うわけにもいかない。おまえの妄想はそんなたぐいか、と、乾にだったら軽蔑される恐れもある。メシを食ったのも錯覚だったらしいので、俺は言った。
「ちょっと休憩してたんだよ。昼飯食ってテレビ局に行こうぜ」
 なまはげ会館のような場所で服装を解き、私服に戻って五人で秋田の郷土料理を食し、ローカルテレビ局に到着した。
 本日は夕方のニュース番組に、フォレストシンガーズがライヴのPRのために出演する。司会の女性アナウンサーの声を聞いて、俺の喉がぐっと詰まった。この声は……苺ではないのか。やや小柄でほっそりした身体つきも苺だ。
 他人の空似といおうか、苺はなまはげ姿だったのだから、顔はむろん全然ちがうのだが、苺が人間の女だったとしたらこんな美人か、と思える女子アナ。考えまいとしても、苺の裸身がちらちら浮かぶ。彼女を脱がせたらあんな肢体を……
「う、いかん」
「リーダー、どうかしました?」
 非難のまなざしで幸生が尋ねる。こういったテレビ出演では乾と幸生がメインになって喋りまくるので、俺は無口でいても問題はないのだが、異常な妄想に苛まれている場合ではない。
「なんともないよ。いささか疲れたかな。慣れない経験をしたんでさ」
「なまはげって疲れるんですか」
 カメラが来ていないのを確認してから幸生とこそこそ言い合い、無駄話はやめろ、と囁くと、リーダーこそ、とぶつぶつ言いながらも幸生は口を閉じた。
 しかし、どうしたって俺の視線は女子アナに行きたがる。幻覚の中で見たはずの苺の裸身と、透視しようとすればできなくもない彼女の裸身が重なって見えて、だんだん気分が悪くなってきた。出演は短い時間だったのだが、生放送の出番が終了するころには俺はへとへとになっていた。
「本橋さん、ほんとにどうかしました? 真っ青ですよ」
「シゲ……実はな、さっき、疲れたし喉も渇いたしってんで、道端に生えてた草の実みたいなものを食ったんだよ。苺に見えたんたけどまずくて、吐き出しはしたものの、いくらかは体内に入っちまったんだろうな。きっとそのせいだ。気分が悪いんだよ」
「得体の知れないものを食ったら駄目ですよ」
 得体の知れない奴はここにもいるけどな、と幸生を指差して笑おうとしたのだが、ふらっとしてシゲにもたれかかった。
「大変ですよ。乾さん。本橋さんがこんなになるなんて。本橋さんは俺以上に胃腸が丈夫なはずでしょ。救急車を呼びますか」
「まだ本番中だろ。騒がせたら悪いよ。とにかくホテルに帰ろう。幸生、タクシーを呼んでもらってくれ。章、局のみなさんには適当に言っておいて。シゲ、本橋を背負えるか」
 乾が指示を下し、幸生が駆け出していく。テレビ局のスタッフが不安そうにしているのを、章がなだめている。シゲは俺に背中を向けた。
「本橋さんだってへっちゃらですよ。おぶさって下さい」
「……歩けるよ」
「いいから」
 きっぱり言った乾が、俺の腰を持ち上げてシゲに背負わせた。みっともない……男にとってはプライドがなによりも大切で、こんなに大勢ひとがいる場所で背負われるなんて……抗いたかったのだが、元気が出なくてまともに口が動かない。シゲが俺を背負って歩き出し、乾が先導していった。
 以前は章もよくこうやって、シゲに背負われて運ばれていたな。美江子もこんな経験しただろ。俺はたぶんはじめてだよ。兄貴にかつぎ上げられたり投げ飛ばされたりは頻繁だったけど、大人になってからは兄貴たちも人前ではやらなかったもんな。
 シゲに背負われた章が顔を真っ赤にして抵抗していた気持ちが、おのれが背負われてる側になるとよくわかったよ。章は貧血を起こしていてさえも、やだやだ、歩けるよ、降ろしてよ、って騒いでた。俺は騒ぐ元気もないし、騒ぐとますますみっともないからおとなしくしてるけど。
 美江子、おまえもだったよな。俺が抱え上げるとあばれようとして、あのきつい目つきで俺を睨んで、降ろさないと噛みつくからね、だなんて怒り狂ってさ。
 今はもう……結婚してからは……抱え上げてベッドに運んでいくときなんかには抵抗しなくなった。俺の首に両手を回して、俺の胸に頬をつけて、そうしてるとおまえもけっこう可愛いな、なんて、結婚してはじめて知ったよ。
 ひょっとしたらバチが当たったか? それとも、変な実に当たったのか。どっちが先だったのか。実なのか妄想なのか。どっちだったかもわからなくなっちまった。いつか……ずいぶん昔に高熱を出して寝込んだときみたいになるんだろうか。
 まとまりのない思いが浮かんでは消える。
 バチってなんのだ? おまえを裏切ったからか、美江子? おまえが俺にバチを当ててるのか。おまえだったらやりかねないよな。けど、あれは不可抗力だぞ。それにしても、あのアナウンサーさんは苺に似てた。彼女の裸はどんなのだろう。
 さまざまな考えが渦巻く頭をシゲの肩に預けて、タクシーに乗せられてホテルまで連れていかれたのだろう。目を開くと、俺はベッドに横たわっていた。
「本橋、気がついたか」
 いつの間にかホテルにいる。ベッドサイドには乾がすわっていた。
「シゲも幸生も章もいたんだけど、一旦自室に引き取ったよ。医者に往診を頼んだら来てくれて、状況からすると食中りだろうってさ。腹はどうだ?」
「腹はなんともないんだ。気分がおかしいだけだよ。医者が来たとは知らなかったよ」
「タクシーに乗ったあたりで昏睡状態になっちまったからさ。食中りってそんなになるもんか? いや、おまえの場合は腹が丈夫すぎるから、変なものを食ったら内臓じゃなくて精神に来るのかもしれない。精神に来る変な実だったのかもしれないな」
「おまえの妄想はとめどがないんだから、そのへんにしておけよ。食って吐き出したのは蛇苺だったのかな。幻覚剤みたいな成分でもあったのかもしれないけど、今さら分析もできない。もうだいぶ気分もいいよ」
「そうか。そんならよかった」
 あの実を食ってから数時間、それくらいの時間が経過してから悪影響が出たとは考えられなくもないが、それよりも、あの女子アナだ。
 彼女の声を聞いたときから、俺は変になったのだ。苺に似ていた。苺なんて女は妄想の中の住人であり、なまはげ女だったというのに、あのひとときは俺の中に焼きついてしまっている。メイクラヴの経験なんてものは数え切れないほどにあるのに、あれだけの経験は……
 いや、しかし、俺は彼女を抱いたか? 彼女の裸身を抱いていたのはまちがいないが、最後までは到達しなかったはず。なのに、メイクラヴ以上に強烈な余韻があるのは、妄想だからこそか。変な実の影響もあったからか。
 考えたところで意味はないのだし、乾に話すわけにもいかない。美江子にももちろん話さない。妄想だとしても幻覚だとしても、あいつはやはり怒り狂いそうな気がする。
 別に欲求不満でもないのに……メイクラヴか。英語ではセックスするって意味なのだろうけど、俺の感覚ではもっとロマンティックな香りがする。さっき……こんな歌を歌ったような……苺と抱き合っていたときに歌った歌を口に上せると、乾が怪訝そうに俺を見つめた。
「なんだって今、その歌を?」
「……なんでもないよ。乾、腹が減った」
「おお、全快だね。よかったよかった」
 嬉しそうに言ってから、シゲたちも呼んでくるよと、乾は俺の部屋を出ていった。
 妄想だの空想だのは俺にはほぼ無縁で、それは乾の得意技だったはずだが、俺だってあれくらいの妄想はできるんだと思うと、楽しくなってきた。妄想だったのか幻覚だったのか、苺もどきの副作用だったのか、いずれにしても、面白い経験だった。
 女子アナさんは声と体格がなまはげの苺と他人の空似だったにすぎないのだろうが、それゆえに俺の感覚を異様に惹起して、俺までもが異様な状態になったのだろう。
 空腹を覚えると、頭も胸のうちもすっきりしてきた。乾がルームサービスでも頼んでくれるつもりでいるだろう。ラーメン食いたいな、秋田なんだから稲庭うどんかな、などと考えながら、「I`ll make love to you」を口ずさみながら、俺は苺に語りかけた。
「もう一度会いたいな。ったってさ、美江子もいたりするとやばいか。夢に出てこいよ。今度は本当にきみを抱いたって感覚が……」
 おっと、やばいやばい。じきにあいつらが部屋に入ってくるだろう。こんなひとりごとを言っているのを聞かれたら、やっぱリーダー、変だよ、入院するべきだよ、と幸生が叫ぶ。そうすると俺の頭が再び変になる恐れもある。
 だから、これでおしまい。最後にひとこと、苺、ありがとう、と言っておこうか。

END
 
 
 
 


 

 
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