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小説140(ゆるぎないものひとつ)

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フォレストシンガーズストーリィ140

 
「ゆるぎないものひとつ」


1・幸生

 妙に瑠璃ちゃんの化粧が濃いのはどうしてなんだろう。瑠璃ちゃんも女性なのだから、女性には体調の具合などなどがあって、お肌にトラブルでもあるのだろうか、と考えつつ、俺は瑠璃ちゃんに声をかけた。
「おはよう。元気なくない?」
「ほっといて」
 つんっとされたので、ご機嫌ナナメかと諦めて、仕事の話をすることにした。
「俺が詞を書いた「想い」はさ、わりと子供っぽいタッチだろ。そんでもう一曲、今度は大人っぽいのをって一柳さんに頼まれたんだけど……」
「勝手に書いたらいいじゃない。瑠璃は歌うだけだもん。歌詞なんか知らない」
「……瑠璃ちゃんと俺がデュエットする曲だよ。それはないでしょう」
 ぎろぎろっと睨まれて、俺は知らずあとずさりした。
「瑠璃ちゃんも本橋さんよりも怖いね」
「瑠璃は怖いかもしれないけど、ユキちゃんは気持ち悪いんだよね。そりゃあユキちゃんは歌はうまいけど、なんだって男のくせにあんな声が出るの? ユキちゃんって半分は女なんでしょ? ほんとに男なの?」
「男だよぉ。声は生まれつき変わってるみたいだけど、心も身体も男ですよ。ためしてみますか、お嬢さま」
「ためしてみてもいいよ」
「あのね、意味わかってて言ってる?」
「わかってるよ。瑠璃はねぇ」
 八人のお父さんたちが聞いていないかとあたりを見回したのだが、近くにはdefective boysの面々の姿はなかった。ひとまずは安心したのだが、瑠璃ちゃんの目は据わっていた。
「はじめて男の子と寝たのは中学のときなんだから。それから何人……知りたい?」
「いえ、けっこうです」
「瑠璃はもてるんだからね」
「でしょうね」
「男なんかよりどりみどりなんだからね。ユキちゃんだって瑠璃と寝たいんでしょ?」
「滅相もない」
 モトカレと別れてから彼氏ができない、と言っていたのとはずいぶんちがうのだが、よけいなことは言わないでおこう。瑠璃ちゃんの目はますます据わってきていて、俺はじりじり後退していた。
「瑠璃を子ども扱いしないでよね。寝たいんでしょ?」
「瑠璃ちゃんとユキちゃんは女同士の仕事仲間でしょ。どうしたんだよぉ、瑠璃ちゃん。ためしてみる? なんて言った俺が悪かった。冗談です。許して」
「許してあげない」
「ちょっ、ちょっと、タンマ」
「待たない」
「……瑠璃ちゃん、瑠璃ちゃん、待って」
「いや」
 じりじり下がる俺に、瑠璃ちゃんはずんずん迫ってくる。両手を前にしてガードしつつ、俺は悩んでいた。瑠璃ちゃんは暴力的で気が荒いし、エキセントリックなところはたしかにあるのだが、普段はこのような台詞は口にしない。俺がちらっと色っぽいジョークを言うと、一柳のおじさんに言いつけるよ、だの、本橋さんに言いつけるよ、だのと言って怒る。
 うちの娘になにをするかー、とおじさんたちにも怒られるので、瑠璃ちゃんとは仕事だけのつきあいにしようと決めていた。いや、怒られるからではなくて、いくらなんでも俺だって十八の女の子をマジで口説くほどじゃない。俺には彼女がいるんだぞ、とは瑠璃ちゃんには言ってはいないのだが。
「失言だったよ、ごめんね。ためしてなんかみなくていい。そんなに怒ったの? ごめんったらごめーん。許してよ」
「別にユキちゃんになんか怒ってないよ。だけどね、瑠璃……自信なくなっちゃったよ。瑠璃って魅力ないの?」
「あるよ。すっごくある。キュートで可憐で美人で愛らしくて、可愛くて最高」 
 コケティッシュだのセクシーだのと言うと、話がよくないほうへ向かいそうで言えない。そうすると案外、女の子に対する褒め言葉が見つからない。俺の語彙もたいしたことないな、と思っていると、瑠璃ちゃんがべそかき顔になった。
「瑠璃から誘惑しても、ユキちゃんはそうやって逃げるし」
「あのねぇ、俺はこう見えても三十なんだよ。十九の女の子なんてのは……ああ、なんと言えばいいの?」
「落ちぶれてないって? 十八の女の子に恋をされるほど落ちぶれてないって? ユキちゃんもそう思ってるんだ」
「それを言ったのは乾さんだろ。まだこだわってんの?」
 一年ほど前には十八だった瑠璃ちゃんに、乾さんがそう言ったのだ。
「そうでもないけど……思い出してきた。悔しい」
「あれはさ、俺の憶測だけどね」
 逆恨みで乾さんを殴った瑠璃ちゃんは、おそらく後悔しただろう。その気持ちを軽くしてあげようと、乾さんはああ言ってにやっとしてみせたんだよ、言うつもりはなかった俺の考えを話すと、瑠璃ちゃんは言った。
「後悔なんかしてないもん。すっとしたもん」
「そう? だけど、乾さんとしてはそんなつもりで言ったんであって、落ちぶれてるなんてことはないんだよ。十代の女の子に恋をされたりしたら、三十すぎの男は嬉しいの。でもね、似合わないでしょ、年の差ありすぎカップルなんて」
「そうかなぁ。なくもないじゃん」
「なくもないけど、瑠璃ちゃんは乾さんを好きなの?」
「あれは嘘だって言ったでしょ」
「だよね。だったらなんなんだよ。俺が好きなの?」
 答えは以前と同じに、あり得ない、だった。
「そしたらなんだよっ」
「あ、ユキちゃんが怒った。ユキちゃんも怒るんだね」
「怒ってないけど、瑠璃ちゃんの言動の意味がさっぱりわからない。誰かにふられたの?」
「そんなはっきり言わなくても……ユキちゃんなんか嫌いだーっ!!」
「わわわ、瑠璃ちゃん、泣かないで」
 情緒不安定で泣き虫で、なにがなんだかさっぱりわからない言動を取る十九歳に振り回されるなんて、三十男にはつきあい切れないんだよっ、と言いたくなったのをこらえて、俺は言った。
「ごめんごめん、何度でもあやまるから泣かないで。ごめんね、ごめんね」
「ユキちゃんにあやまってもらっても意味ない」
「誰があやまったらいいの?」
 小さな小さな声で、瑠璃ちゃんは言った。なに、洋介? たしかに洋介と聞こえた。
「洋介って言った?」
「うん」
「洋介が瑠璃ちゃんになにかした? この間の喧嘩?」
「あのあと」
「……瑠璃ちゃんの数々の台詞や行動を総合してみると……ええと……んん? はっきり言っていい? 瑠璃ちゃんは洋介にふられたのか」
「ふられてないもん」
「……ふられてない?」
「乾さんに聞いて。ユキちゃんには言ってもいいよ、って瑠璃が言ってたって言って」
「乾さん?」
 話を半分は理解できたのだろうか。三分の一程度だろうか。なんだかとーってもややこしそうで、聞きたくない気もしたのだが、俺はその夜、乾さんのマンションに奇襲をかけた。
「ってわけなんですけどね、洋介と瑠璃ちゃんの間になにかあったんですか」
「瑠璃ちゃんって子はまったく……洋介のやることはまだしも、男同士だからわからなくもないけど、今どきの十九歳ってあれでまっとうなのか。モモちゃんも相当なもんだけど、瑠璃ちゃんよりは常識的に近いよな。俺はもういやだ。投げ出したいよ」
「乾さんらしくもない。話して下さいよ」
「瑠璃ちゃんやモモちゃんに関わるくらいだったら、洋介やクリのほうがよっぽどましだ」
 らしくもなくうだうだ言っていた乾さんは、ため息をついてから話してくれた。話してから怒り出した。
「あのクソガキが、出来心だとか遊びだとかお互い楽しかったとかほざきやがって、おかげでおまえや俺までが瑠璃ちゃんにいいようにひっかき回され、おまえは八つ当たりまでされ……畜生、取り消し。洋介のほうがましだなんて取り消しだ。すべてあの洋介のガキが悪い」
「今夜は乾さんまで人が変わってるんだから。話はわかりましたけど、そんなのてめえらで解決しろよな。乾さんにも俺にも関係ないじゃん」
「だろ。今夜はおまえがたいへんにまともな同志に見えるよ」
「いつもは?」
「言わせるな」
 あんなガキどもとつきあってると、俺はオヤジどころかじじいになった気になるよっ、と乾さんはなおも怒っていた。
「それにしても幸生、おまえは我慢強いんだな。瑠璃ちゃんに八つ当たりされてもひたすら低姿勢か。俺だったらこうなるぞ」
「どうなるんですか?」
 いい加減にしろーっ、と乾さんは低音で言った。
「そんなふうに言ったら、瑠璃ちゃんは泣きますよ。あの子は気性が激しいんだもん。俺にはついていけないよ」
「泣いたって知るか。泣きたかったら泣け」
「ふーむ、乾さんをここまで怒らせるとは、今どきのガキはたいしたもんだ」
 洋介にか、瑠璃ちゃんにか、両方にか、乾さんが怒りたくなる気持ちは俺にもわかる。俺が怒りたくならなかったのは、常々本橋さんの怒りを、身を低くしてやりすごすのに慣れているからだろうか。乾さんは立場上、本橋さんの怒りに対抗できるのだから、そこは先輩と後輩の差だろうと俺は納得していた。
「乾さんも大変だろうけど、俺は瑠璃ちゃんと仕事で関わってるんですよ。仕事は仕方ないにしても、他の面ではほっときましょう。勝手にしろ、それに尽きる」
「ったってな、頼ってこられるとそうもいかないんだよ」
「突き放せない? 乾さんとリーダーは似ても似つかぬ性格かと思ってたけど、似てきましたね」
「かもな」
「ほっときゃあいいんですよ。そうしましょう。ね、乾さん?」
「うん、そうできたらいいんだけどな」
 言うは易し、行うは難し、である。俺はともかく、乾さんが頼られると突き放せないらしいのは事実なので、俺も乾さんといっしょにため息をついているしかなかった。



2・章

 他人にかまってるゆとりはなーい、と言ってはみたものの、かすかに、ほんのかすかに気にならなくもない。劇団「ぽぽろ」の舞台のメインテーマ曲は完成したのだけれど、挿入曲作りのほうは煮詰まっていて、気分転換に幸生の顔でも見てこようか、と思い立った。
 数年前に「ぽぽろ」の舞台音楽を依頼され、幸生がちょい役で出演もした。幸生のおばあさん役は俺にはどうだってよかったのだが、俺の曲は好評だったのだそうで、ぽぽろの代表者からまたしても依頼を受けたのだ。
 俺にもいくつも気がかりはある。本橋さんと幸生が話してくれたこの件も、ちょっとは気になっていた。先日、本橋さんが言い出したのだ。
「例の件、瑠璃ちゃんと洋介の話だ。聞いたぞ。乾もおまえも知ってるんだろ。シゲもうちにいたんで洋介から聞いた」
「進んで話したんですか、洋介が?」
「うちの奥さんの勘の鋭さに負けたんだよ」
「ああ、美江子さんのね。そうだよなぁ。美江子さんは乾さん以上だもんな。乾さんはよく、女性には負けるって言ってるけど、負けるのが当たり前ってか、乾さんなら負けてないってか、乾さんも変なとこは鈍いっていうか」
「変なとこって?」
「いろいろ」
 面倒なのでいろいろだと応じると、本橋さんは幸生を呼んだ。
「知らないのは章だけだ。おまえから話してやれ」
「はいはーい、章はすねやすい子ですからね」
「子?」
「年は三十、中身は坊や。でしょ?」
「章もおまえにだけは言われたくないだろ」
「いえいえ、俺もね、瑠璃ちゃんと仕事でつきあってると、ああ、俺って年食ったなぁ、ってしみじみしちゃうんですよ。俺がつきあった範囲の女の子の中には、瑠璃ちゃんみたいのはいませんでしたよ」
「女性経験の豊富さにかけては、海よりも深く山よりも高い、この三沢幸生を持ってしても……」
「やだな、リーダー、乾さんみたいな台詞。そうでもないか。乾さんだったらもっと入り組んだ台詞を言うよな」
「おまえはその話を聞いて、どんな感想を抱いた?」
「よくある話じゃん、勝手にしろー」
 ふむ、幸生はこういう説か。
「脱線はこのくらいにして、章に話してやれ。手短かにだぞ」
「脱線したのはリーダーでしょうに」
 おーい、章ちゃーん、と幸生に呼ばれ、章ちゃんと呼ぶなとなんべん言ったらわかるんだ、とぶつくさ言いつつ寄っていって、俺は幸生の話しを聞いた。
 幸生の話しによると、麻田洋介が瑠璃ちゃんと出来心で寝て、瑠璃ちゃんに迫られているのだそうだ。瑠璃ちゃんが言うには、洋介には彼女がいるんだったら、別れてあたしの彼氏になって、なのだそうだ。俺はその話を聞いてむかついて言った。
「あのガキ、いい加減な奴だな。おまえみたいだ」
「なんでそこに俺が出てくるんだよ。章みたいだ、だろ」
「俺はそういうことはしない」
「したことない? 一度も? うっそだ嘘だ、嘘嘘嘘」
「うるせえんだよ、おまえは。俺はだな、彼女がいたら一筋だよ。恋には一途。他の女には目は向けない。浮気だの遊びだのしたいんだったら、決まった彼女なんかつくるな」
 にゃははー、と幸生はおかしな笑い方をし、本橋さんを見た。本橋さんはこほんと咳払いをしてから口を開いた。
「俺は浮気も遊びもしたくないから結婚したんだけどな。シゲもだな。おまえらはまだまだしたいから結婚しないんじゃないのか。その上、洋介はほざきやがった。もてたくてもててるんじゃないしー、だそうだ。シゲが沸騰寸前になってたぞ」
 怒りの発火点は誰よりも本橋さんが低い。続くのは俺だろう。シゲさんや乾さんが幸生が沸騰するのは俺よりもはるかに高い時点でのはずだが、あのシゲさんを怒らせるとは、洋介が言った、もてたくてもてているんじゃない、という台詞以外にも、そのときのふてぶてしい態度も加味していたのではあるまいか。
 俺もますますむかついていたのだが、本橋さんはのほっとした顔をして言った。
「章ももてるよな。おまえはもてたくてもててるのか」
「リーダーは面白がってますね。俺はもてるんじゃなくて……幸生はマメだから、マメな男はもてるってーか、乾さんは本物のもてる男だけど……俺は……うまく言えないからいいです」
 どうせこのごろはもてないしさ、と考えながら、俺は言った。
「俺だって洋介のことを言えるほど、いい加減じゃないとは言えないけど、二股なんてのは……なかったよな、ないよな」
「覚えてもいないほどもてるのか。たいしたもんだ」
 本橋さんが言い、俺は幸生に話しを振った。
「幸生、なんとか言えよ」
「そういうのは男の風上にも置けないぞ、って言いたいの、章ちゃん? きみって案外古いね」
「古い? 普通だよ」
「章は田舎の子だから……わっわっ、冗談だよー、あとはよろしく、リーダー」
 逃げ出した幸生を追っかけようとした俺は、腕をつかまれて止められて、本橋さんを見上げた。
「どうせ俺は田舎者ですよ。リーダーや幸生には、地方出身者の悲哀なんてわかりっこないんだ。俺は金沢出身の乾さんとはちがって、正真正銘のド田舎の出ですからね」
「このところ若い奴らが喧嘩ばっかりしてるんだから、俺たちまで喧嘩はやめような。幸生とおまえのは遊びみたいなもんだけど、本気にもなりかねないだろ。幸生はよけいなことを言いすぎる。あとでぼかっとやっておいてやるよ」
「こういうことでぼかっとやってもらったら、俺はよけい腹が立ちますよ」
 だからおまえはガキなんだ、いつまでたってもガキなんだ、との本橋さんの内心の声が聞こえたので、俺はふっと笑ってみせた。
「ま、いっか。俺はほんとに田舎者だし。あのね、リーダー、俺は昔はまあ、ちっとはもてたのかもしれないけど、このごろちーっとももてません。なんでなんですか」
「知るかよ。もてるよりも、特定の彼女を作って結婚しろ」
「俺なんかには結婚は向かないよ」
「そうでもないぞ。俺でもやっていけてるんだから」
「俺はリーダーとちがって、ガキだから」
「……自分で言うか」
「甘えてるんだよなぁ、末っ子みたいにさ……やだやだ、俺っていつまでこんななんだろ。洋介なんかどうでもいい。俺は瑠璃ちゃんとも関係ないんだし、俺は俺のことだけでいっぱいいっぱいで、他人にかまってるゆとりはないんです」
 ガキだからこそこうして、口には出させずにいるつもりの言葉までが、ぽろぽろ口からこぼれるのであろう。本橋さんはやけに思慮深い表情で言った。
「舞台音楽のほうはそろそろ完成だろ」
「まだです。あれって金にはならないけど、楽しい。楽しいけどしんどい。そうだ、そうやって男は大人になるんだ。失恋ばかりが心の糧ではない。男は仕事だ。よし、そうだ」
「おい、章?」
 今度は怪訝そうになった本橋さんに、俺は言った。
「俺は結婚どころじゃない、恋どころでもない。まして洋介どころじゃない」
「ああ、そうだな」
「じゃあ、幸生をぼかっ、はよろしく」
「やっぱりやんのか」
「やらないとあいつのためになりません」
 本橋さんと幸生との会話はそのようなものだった。
 気になるのは瑠璃ちゃんと洋介の一件もなのだが、そっちは事実、かすかに気になるだけにすぎなくて、より以上に気になるのは幸生が歌う曲だ。瑠璃ちゃんと謎の女性シンガーユキのデュエット、世の中に男性シンガーは数限りなくいれども、幸生以外にはそんなふうに「謎の女性シンガー」を名乗れる男はいない。俺の知る範囲ではいない。俺にもできない。
 純粋に高い声、キーの高い音、俺はそのいずれを出すのにも自信はあるが、だからといって俺の声は女みたいではない。高い高い男の声なのだ。
「歌ってるのがおまえだと知らずに、目を閉じて聴いてたら……」
 シゲさんまでが言っていた。
「この高いトーンの声は男か女か、って迷うよ。コーラスになって幸生の声と混ざるといっっそうだな。だけど、おまえがソロで歌ってて声が低くなっていくと、ああ、男だな、とわかる。おまえの声は聴いてるひとを混乱に陥れる。幸生の声にはさらに混乱させられる。何度でも思うけど、おまえらの声って奇怪だよな」
 奇怪なのは幸生の声だ。俺の声は普通だとまでは言わないが。幸生ほどではない。よって、俺には瑠璃ちゃんとロックをデュエットして、女同士のデュエットだと名乗る芸はない。
 要はそこがひっかかるのだ。FSも最近になってロックっぽいナンバーもレパートリーに入れるようになったけれど、ハードロックとまでは俺には名づけられない。なのに幸生の奴は、ロック志向でもないくせに瑠璃ちゃんとロックを歌っている。悔しい、と言ったらまちがいなく、まーた章ちゃんってばひがんでる、と幸生に笑われるから言えない。
 以前のdefective boysの曲、三沢幸生作詞、一柳敏郎作曲「想い」はロックバラードだったのだが、幸生が新しく詞を書くと言って見せた曲は、ハードロックになる予定だと聞いた。
 瑠璃ちゃんは性格的には問題児かもしれないが、歌唱力に難はない。瑠璃とユキのデュエットは素晴らしいものになるとの予感は俺にもあって、幸生のためには喜んでやらないといけないのに、なんだか鬱々してしまうのは、俺がうだうだしてるせいで……
 などなどとうだうだ考えながら、俺は瑠璃&defective boysのスタジオにやってきた。あいかわらず俺って回りくどい奴、とも考えながら、俺はスタジオのドアを開けた。
「瑠璃ちゃんは子供扱いされたくないんだろ。大人のつもりでいるんだろ。年齢からしたら俺から見たら子供だよ。けど、いっぱしのシンガーとして、defective boysの錚々たるメンバーをバックに歌うヴォーカリストとしては、子供の顔してていいわけないだろ。わかってないのか」
 え? 誰だ? 誰がこんなシリアスな台詞を口にしてるんだ? 俺はあっけに取られて立ち止まった。defective boysのメンバーたちが遠巻きにして眺めているのは、まぎれもなく幸生だった。その声からしても幸生にまぎれもないのだが、俺は目と耳を疑った。
「一柳さん、なにかありました?」
 小声で尋ねると、一柳さんがしっ、と口に指を当てた。
「木村くんも黙って聞いてて」
「は、はい」
 輪の中心、幸生が対峙している相手は瑠璃ちゃんだった。瑠璃ちゃんは泣いていて、幸生はあくまでもシリアスに、静かな口調で続けた。
「泣けばなんでも許してもらえると思ってたらまちがいだよ。大人の世界はそんなんでは通用しない。ヒステリックに叫んだり怒ったり、しまいには泣いたりするのも、雑談してるときだったりしたらかまわないけど、俺は瑠璃ちゃんに仕事の話をしてたんだ。仕事の話をしてそんな態度を取られたら、俺としてもいつもみたいにへらへらとばかりはしてられないよ」
「だって……ユキちゃんが……」
「俺がなんなの? 俺が悪いっていうんだったらそれでもいいけど、よく考えてみて。瑠璃ちゃんがいつまでもそんなふうに子供じみたふるまいしかしないんだったら……うん、とにかく考えてみて。俺は待ってるから」
 返事をしない瑠璃ちゃんをじっと見据えてから、幸生が俺に視線を移した。
「よ、章」
 うっ、うっ、うっ、と瑠璃ちゃんは、唸っているのか怒っているのか、本格的に泣き出しそうなのか、俺には不明の様子でいて、幸生は瑠璃ちゃんから離れて俺のそばに来た。俺のそばにはdefective boysの面々もいたのだが、全員が沈黙して幸生を凝視していた。
「すみません」
 誰にともなく幸生は頭を下げ、章、ちょっと、と俺を手招きしてから言った。
「なんだよぉ、なにが言いたいんだよ」
 戸惑いつつもついていくと、幸生は平素の調子に半分ばかりは戻って言った。
「聞いてたのか。だったらおまえの言いたいことはわかるよ」
「いや、別になにが言いたいってんでもないんだけど、なにがあったんだ?」
「作詞についても曲のアレンジについても、前々から瑠璃ちゃんに相談しようとしてた。瑠璃ちゃんと俺が歌うんだから、瑠璃ちゃんと俺とで歌を練り上げていかないといけないだろ。うちではそうしてるだろ。俺も他のシンガーとのデュエットの仕事もしたけど、そのときだってそうしてたよ。そうするのが当たり前だと思ってた」
「うん」
「なのに瑠璃ちゃんはあの調子でさ、心の何パーセントだか、何十パーセントだかは例の件が占めてるんだろうけど、まるっきり仕事は上の空なんだ。しまいにゃああやって泣くし。プロのシンガーとしては失格だろ。で、つい、甘えんな、って……」
「甘えんな? おまえが女の子に言ったの?」
「女の子ったって仕事の面では、対等のシンガー同士だ」
「ああ、まあね、そりゃそうだね」
 何年つきあっていても、先輩たちの意外な一面というのは時として目にするのだが、幸生のこの一面は意外すぎる。俺は普段のようには幸生と話せなくなっていた。
「そう言ったらますます泣かれてさ、俺としたことが、俺らしくもなく……乾さんがいたらああいうのはきっと、もっとずーっと上手にやってくれるんだろうけど、俺だったらあんなもんだよ。思い出したら自己嫌悪に苛まれてきた」
「瑠璃ちゃんの保護者のおじさんたちは、なんにも言ってくれなかったのか」
「三沢くん、頼むよ、我々は瑠璃を甘やかし放題にしてきたから、部外者のきみから言われたほうがいいんだ、って、一柳さんに仰せつかってしまったんだよ」
 部外者であって部外者ではないのが今の幸生の立場であるのだから、瑠璃ちゃんに意見するのがふさわしいといえなくもない。徐々に常の幸生に戻りつつある幸生は頭を抱え、俺もどうにか常の俺に戻って言った。
「大人の顔して瑠璃ちゃんに説教する幸生、先輩たちに見せてあげたいなぁ。本橋さんか乾さんを呼んでこようか。乾さんがいいかな。おまえがやってた説教の続きを、瑠璃ちゃんにしてくれるぞ」
「やめろ」
 これは瑠璃ちゃんと俺の問題なんだから、俺が決着つける、先輩たちに関係ないところでまで頼っていられるか、と幸生が言ったとき、一柳さんが顔を見せた。
「すまなかったね、三沢くん、きみにいやな役目を押しつけてしまった」
「いえ、俺こそすみません。感情的になっちまいました」
「感情的には聞こえなかったよ。瑠璃はいつだってああで、実は僕らも押しつけ合ってたんだ。瑠璃のあの我が儘と気まぐれはなんとかしなくちゃいけない、誰かなんとか言えよ、いやだ、あんたが言え、ってな具合にね。僕なんかは瑠璃の親父みたいなもんで、この年になると若い女の子にはいい顔見せていたいものなんだよ。瑠璃がなにを言ってもなにをしても、よしよし、いい子いい子ってなもんで……最初からそうだったから、これではいかんなぁ、と思ってはいたんだがね」
 他人と仕事をするってのはこういうものなんだなぁ、と俺も、他人と仕事をしているだけにつくづく思う。FSでは末っ子の幸生と章は、今までは三人の兄貴に寄りかかりっぱなしで、大変な部分はすべて、特に本橋さんと乾さんにまかせっぱなしだったのだと、遅まきながら気がついていた。
 つまりさ、俺たちは他人の中に入ってようやく、雛鳥が一人前になって羽ばたこうとしてるんだよ、なーんて、まったくまったく、三十にもなってなにを今さら、ってなものではあるのだが。
「瑠璃もちょっとは反省したかな。しょぼくれてたよ」
「そうですか」
「で、うちの仲間たちは、瑠璃をなぐさめたりあやしたり、またもいい顔だけしてるってわけだ。三沢くんには悪いけど、三沢くんだからこそだな。三沢くんがあんなふうに言うなんて、瑠璃としてはショックだっただろう。今日のところは瑠璃は我々がフォローしておくから、三沢くんは一旦引き取ってくれ」
「わかりました、章、行こう」
「うん、じゃあ、一柳さん、失礼します」
「木村くんはなにか用事があったんじゃないのか」
「別になにもありません。ふらっと見学に来ただけです」
 ふたりでスタジオを辞去して外に出た。
「三沢くんだからこそ、ね。まさしくそうだな、幸生」
「俺だからこそ、ね。はいはい、そうでしょうよ」
 あの説教が乾さんだったとしたら、乾さんらしくて、瑠璃ちゃんもショックなんかは受けなかったのではなかろうか。幸生だとらしくなさすぎるからこそ、瑠璃ちゃんも結局はしょぼくれてしまったのではなかろうか。幸生にも自覚はあるのだろうから反論はしなかったが、おまえがあらわれるから悪いんだ、と俺のせいにした。


3・幸生

 骨折り損のくたびれもうけってほどの骨折りをしたわけでもないのだが、翌日会った瑠璃ちゃんは、普段となんら変わりはなかった。昨日はなにかあった? みたいな顔をして、俺に言った。
「洋介ったらねぇ……」
「なに、そっちの話?」
「そう。他になにかあった?」
「……いいけど、洋介がどうかしたの?」
「思い出してみたら、クミたんって名前は聞いたことがあったんだよね。乾さんちでだったかな。乾さんがなにかのときに言ってた。クミたん、洋介の彼女」
「うん、そうだよ。瑠璃ちゃんも知ってるんだから、隠すまでもないよな」
 洋介なんか俺にはどうだっていいんだよ、と言いたかったのだが言わないでいると、瑠璃ちゃんはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「馬鹿みたい、洋介って。本気にしちゃってさ」
「本気って? どれについて?」
「瑠璃ね、彼氏ができたの。これで気持ちがとっても軽くなったから、がんばって仕事する。もう一曲の詞は書けた?」
「書けたけど、彼氏って洋介じゃなくて?」
「ちがうよー、あんなの、ふんっだ」
「……」
 いいから詞を見せて、と瑠璃ちゃんに命令されて、俺は譜面を取り出した。本気にしちゃって? 洋介ではない彼氏? いったいそれはどういう意味だ、と心をよそにそらしていたものだから、瑠璃ちゃんに昨日の仕返しをされた。
「ユキちゃん、仕事はちゃんとしなくちゃ駄目だよ。瑠璃も誰かに言われたような気がするんだけど、心ここにあらずって言うんじゃないの? 仕事のときにそんな態度だなんて、シンガー失格じゃないの?」
「……そうですねー、瑠璃さん。わかりました。お仕事しましょうね」
「わかればいいんだよ」
 くそくそ、負けてしまった。やはりどうしたって女の子にはかなわないんだ、と諦観して、俺は瑠璃ちゃんと仕事の話をまとめ、書き込みだらけになった譜面を一柳さんに手渡してから、FSの仲間たちのいるスタジオに向かった。女同士のデュエットはたいそう楽しいけれど、相手が相手だけに疲労困憊してしまう。FSのスタジオに帰ると脱力するほどに疲れていた。
「乾さん、俺に頼るなって言わずに、力になって下さいませな」
「なんだよ。とりあえず言ってみな」
「あんなのほっときましょう、って言ったのは俺なんだけど、瑠璃ちゃんが聞き捨てならないことを言うんですよ。あ、リーダーも聞いて。洋介はなにか言ってませんでした?」
 洋介と触れ合う機会がもっとも多いのは本橋さんだ。俺は本橋さんと乾さんに向かって、さきほどの瑠璃ちゃんの台詞を繰り返した。シゲさんと章も近くで聞いていた。
「ふーん、瑠璃ちゃんがそんなことをな。洋介がうちに来たときには……」
 本橋さんの話しによると、洋介は言っていたらしい。クミたんとは音沙汰なしがずっと続いている、俺、ふられちゃったのかも、そしたら瑠璃ちゃんとつきあってもいいかな、と。その話を聞いた章が怒った。
「洋介の野郎、いい加減もいい加減もいい加減も、いい加減にも程があるってほどいい加減じゃないかっ。なんなんだよっ、それは。クミたんにふられたから瑠璃ちゃんに乗り換えるのか」
「みたいなことを洋介は言ってたけど、瑠璃ちゃんには洋介ではない男ができたってんだろ。そっちもなんなんだ、強がりってわけでもないのか」
 首をかしげる本橋さんに、乾さんが言った。
「揣摩臆測でものを言っててもはじまらない。当事者に質問しよう」
 当事者とはもちろん洋介だ。本橋さんが洋介に電話をかけて呼び出し、洋介がやってくるのを待つ間に、乾さんが苦笑いで言った。
「どいつもこいつもお節介だね。俺もだけどさ、静観してるつもりのはずがこうなっちまう」
「いいえ、乾さん、みんな関わってしまったんですから、気になるじゃないですか。お節介というよりも好奇心ですよ。なにごとにも首を突っ込む。そういうところから、他人の経験をも我が経験のように取り入れて、作詞作曲の栄養素にするんです。それでこそソングライターなんだから」
「おまえは詭弁も上手だな、幸生」
「そうとでも言わないと、俺たち暇人みたいじゃん」
 けどさ、みんな興味はあるんでしょ? と見回すと、シゲさんが断固として言った。
「俺は興味なんかない」
「そう? 美江子さんは?」
 通りすがりの美江子さんは、聞こえない、知らない、やってらんないわ、とひとりごとを言いながら行ってしまい、そうしているうちに洋介があらわれた。
「おまえはよぉ」
 不良少年のように……と言うには章では迫力不足なのだが、精一杯凄みを漂わせているらしき口調で、章が洋介に迫った。
「なにを考えてんだよ。もてるったっておまえの場合、見た目でだけだろ。そんなんでもてて嬉しいのか」
「……ったってね……なんでそんなに木村さんが怒るの? 木村さんだってもてるんでしょ? 木村さんも顔は悪くないじゃん」
「俺はおまえとちがって背丈が……うう、言わせるな。そんなことで怒ってるんじゃないんだよ。それで、いったいどうするつもりだ。はっきりしろっ!!」
「叫ばないで。耳がきーん……いや、だからね」
 しどろもどろ気味ではあったが、洋介は本橋さんが言ったのとほぼ同じ内容の話をした。
「だって、仕方ないでしょ? そう思わない? クミたんはあれっきりなーんも言ってきてくれないし、瑠璃ちゃんは俺とつきあおうって言うし、そしたら瑠璃ちゃんにしようかな、ってなるのが普通じゃないか。俺をほったらかしにするクミたんが悪いんだ。こういうのってほら、乾さん、自業自得っていうんでしょ?」
「おまえがか」
「どうして俺なんだよ。クミたんだよぉ」
 つめたい目つきで洋介を見た乾さんは、言ってやれよ、と俺に言った。俺はうなずいて言った。
「なんでも瑠璃ちゃんにはね、本人が言ってたんだから正しい情報のはずなんだけど、彼ができたんだってさ。そいつの名前は洋介じゃないらしいよ。どういうことなんだろうね」
「え? 三沢さん、嘘でしょ?」
「本当らしいんだな。俺にもとーっても摩訶不思議。瑠璃ちゃんにたしかめてくる? ただし、瑠璃ちゃんは今はdefective boysのみなさんといっしょだよ。そんなところにおまえがぬけぬけと入っていったら、瑠璃ちゃんがなにを言い出すかわかんないよなぁ。defective boysって、瑠璃ちゃんのお父さんたちなんだぜ。お父さんが八人もいるんだぜ? 本橋さんと乾さんとシゲさんを足しても、あのおじさんたちのうちのひとりの貫禄にもかなわないよ。行く?」
「三沢さん……それは……あの……」
「連れてってあげようか。俺だとおまえに抵抗されたら負けるよなぁ、乾さん、どうしましょ?」
「自業自得ってのは洋介のためにある言葉だろ。縛り上げて車に乗せて連れてくか」
 うわわっ、勘弁してっ、と洋介は叫び、本橋さんが言った。
「おまえはきちんと瑠璃ちゃんと話し合ってもいないんだろ。瑠璃ちゃんのいるスタジオに行って、瑠璃ちゃんの八人の親父さんもまじえて話し合ってこい。でーは、乾、やるか」
「おう、やりましょうか」
 うわっ、ぎゃっ、やだっ、と、完璧にしどろもどろになって逃げようとする洋介に、指の関節をばきばき鳴らしつつ本橋さんが歩み寄る。シゲさんが洋介の行く手を阻む。乾さんは章に、そこらへんにロープがあっただろ、持ってこい、と命じ、そうそう、ありましたねぇ、と章も返事をして取りにいくふりをする。洋介は顔を真っ赤にして絶叫した。
「いやだーっ、殺されるーっ!!」
「うん、殺される恐れはおおいにあるな。俺は洋介ほどの美形じゃなくてよかったよ。洋介はそんな顔に生まれた身の因果だね。恨むんだったら親を恨め」
「三沢さん、そんなに苛めないで。お願い、助けて」
「先輩たちがその気になってるってのに、俺がたとえ身を挺しておまえを守ってやるつもりになったとしても、無駄な悪あがきにしか見えなくないか? そんなのおまえにだってわかるだろ? 俺はおまえにも勝てない自信があるってのに、この三人に勝てるはずないだろ。諦めたまえ、洋介くん」
「いやだ、死にたくない」
「そうだよな、おじさんたちにまず殺されて、瑠璃ちゃんにも殺されて、クミたんにまで殺されるかもしれないんだな。三回死んだらおまえもすこしは眼が覚めるってのか、生まれ変われるってのか、うん、殺されたほうがいい」
「三沢さん……」
 そろそろいいんじゃないの? と章が言った。
「こいつ、完全に本気にしてますよ。リーダー、このへんで勘弁してやりません?」
「章は昔の自分を思い出して、洋介に同情しちまったのかぁ?」
「うるせ、幸生、よけいなことを言うな」
 え? 本気じゃなかったの? と洋介が五人を見回すと、章が笑い出した。本橋さんはとぼけた顔をして、なんの話だ? と呟き、シゲさんは知らんぷりをし、乾さんは流し目で洋介を見た。洋介は大きな大きな息を吐き出し、うぎゃーっ、とわめいてから床に直接すわり込んだ。
「あのさ、あの、リハーサルでもしてたの?」
「なんのリハーサル?」
 俺が問い返すと、洋介は床を蹴飛ばしながら言った。
「俺を苛めるリハーサルだよ。息ぴったりだったもん。リハーサルでもしなくちゃああはいかないでしょ」
「ああは行くんだよ。打ち合わせなんかしたわけでもないけど、章が言い出して、あとはなんとなく阿吽の呼吸ってのかな、阿吽っておまえはなんだか知らないだろうけど、章が阿で、俺が吽、章があ、って言ったら、俺がうん、って言う。そういう呼吸はいつでもぴーったりなんだもーん、ねぇ、章ちゃん? ……返事しないな」
 返事は乾さんがしてくれた。
「阿はこう」
 口を開き、
「吽はこうだよ」
 口を閉じた。ほお、そうなのか、と本橋さんが言い、俺も知らなかった、とシゲさんも言い、乾さんは言った。
「阿吽ってのはそれだけじゃないんだけど、ま、どうでもいいことだよな。洋介、defective boysのみなさんには気づかれないように、瑠璃ちゃんと会って話し合ってこい。瑠璃ちゃんだってお父さんたちには言いたくないらしいから、俺たちが脅かしたような事態にはならないよ。幸生、瑠璃ちゃんはそろそろ身体が空くころか」
「そろそろ仕事は終わるはずです」
「よし、そんなら洋介、さっさと行け。行かないのか。本橋、やっぱりやるか」
「俺はいつでもいいぞ。章、ロープは?」
「はい、持ってきましょうか」
「わ、わかったからっ!!」
 幾度目かに洋介が叫んだ。
「行きますよっ、行くからっ。あとで報告するからっ。じゃーね、じゃ、じゃーまたーっ!!」
 凄まじいスピードで洋介は駆け出していき、シゲさんがぼそっと言った。
「今からあんなだと、あいつは将来どんな男になるんだろ」
 反射的に俺は言った。
「絶対にシゲさんみたいにはならない。俺が保証します」
「その意味は?」
「そりゃあもちろん、シゲさんのほうこそ理想像。洋介はその正反対の……理想の反対語ってなんですかー、乾さん?」
「……反理想……反をくっつけただけか。逆理想……これもおかしいな。理想の反対語は現実だけど、この際は意味が通じない。幸生、ややこしいことを言い出すな」
 ほらね、章、と俺は章に内緒話をしかけた。
「都合が悪くなると怒るんだよな。先輩たちって勝手よねぇ」
「たしかに先輩たちって身勝手だけどさ」
 章が俺の耳に内緒話を返してきた。
「他人にまざって仕事をしてると、先輩のありがたみってやつもわかるだろ」
「……章がそんなことを言うと、空からピストルの弾がふってくるぞ。レーザー光線もふってくる。レントゲンもふってくるよ」
「レントゲンってなんだよ」
「レントゲンを知らないのか、おまえは」
「知ってるけど、なんでそこにレントゲンが出てくるんだよっ」
「なんとなく浮かんだ言葉だよ。な、章?」
 昨日は俺もらしくなかったけど、今日は章がらしくない。先輩たちはそれぞれにたいへん「らしい」けれど、章、どうかしちゃった? と見返すと、俺にだってなにかとあってね、むにゃむにゃ、と章は語尾を濁した。


4・章

 まさに俺にだってなにかとあるのだから、洋介になんかかまってられない。瑠璃ちゃんは可愛い子だが、いつかは乾さんをぶん殴った。スーに似たところのある暴力娘だ。
 いや、スーなんかを思い出している場合ではない。洋介は俺の昔を彷彿とさせるようないい加減野郎で、そんな野郎と遊びで寝る女は、たとえどんなに可愛くても、馬鹿娘なのだ。馬鹿娘の暴力娘なんぞは、俺は好きにならない。
 いい加減野郎と暴力娘か。思い出している場合ではないのに、スーと俺の間柄を思い出してしまう。しかし、俺はあのころは二股なんかかけていなかった。スー一筋だった。さらに若いロックバンド時代には、二股以上もかけた経験はあるが、なかったことにしておこう。
 俺には馬鹿な弟もいるのだから、馬鹿な若い奴とはこれ以上は係わり合いになりたくないのだ。関わるんだったら乾さんと本橋さんと幸生がやればいい。シゲさんはもてる奴は嫌いだろうし、俺だって嫌いだ。
 先に知り合ったのは洋介だったか瑠璃ちゃんだったか。ふたりともに二十歳前後の彼らとは、前後して知り合ったはずだ。俺は幸生ほどに記憶力はよくないので、ふたりの年齢も、どちらと先に知り合ったのかも明確には覚えていない。
 いずれにせよ、近い時期に我々とあのガキどもは知り合った。ラヴラヴボーイズのポンだったアイドル美少年の洋介、defective boysのヴォーカリストに選ばれてから売れてきた瑠璃。あいつらは以前から俺たちの間に波風を立てていた。
「乾さんったらさ、俺のケータイに入ってた写真を、ぜーんぶ消去しちゃったんだ」
 洋介が言っていたのは、そうされる理由があったからだろう。洋介はこうも言っていた。
「おまえの書いた曲は小学校のお遊戯以下だって、乾さんは言ったよ。そんなにひどい?」
「ひどい」
 ひとことで答えると、洋介は俺を殴りたそうなそぶりを見せた。
 ガキのくせして生意気にもリーダーを殴った奴なのだから、俺としては洋介をその面では尊敬している。ではなく、俺には絶対にやれないことをやった洋介を見直した。でもなく、単に生意気なガキであるにすぎない。
 ラヴラヴボーイズとフォレストシンガーズの各自の個別対談。そんな企画で知り合った洋介たちは、俺をも巻き込んで解散し、洋介は一般人となった。瑠璃ちゃんは有名になりつつあって、かつてとは立場が逆転している。瑠璃ちゃんのほうこそ今ではスターに近い。
 瑠璃ちゃんだって乾さんを殴った。年端も行かぬガキのくせして、洋介も瑠璃も生意気だ。俺にはこいつらは、「生意気」という言葉でしか言い表せない。
 生意気といえば、俺の弟の龍も生意気の典型で、近頃の若い奴らときたら、なんだってこう……と嘆きたくなる。それも俺が年を食った証拠か。そちらに頭が向くといっそう嘆きたくなるし、龍はこの際無関係なのでどけておこう。
 年を食った俺、三十をすぎた俺、十二も年下の厄介な弟。若い奴らってのは年上の人間を煩わせるために存在しているのか。ん? 俺も若いころはそうだったのか?
 このふたりのみならず、モモクリなんていう厄介者もいる。特にクリだ。モモちゃんはまだいいのだが、クリも俺に厄介をかけた。そんな奴らを見ていると自身の二十歳すぎのころを思い出して、俺はどよんとしてくる。
 いいや、あいつらと較べたら俺のほうがよほどしっかりしてたよ。二十一歳からは先輩たちにとっての手のかかる章ではあっただろうけど、俺は……とは言えないかな? 俺も相当なものだったよな、と思ってしまう。
 二股なんかかけたことはない、と幸生には言ったけれど、俺だってやっていた。洋介から見たクミたんほどの恋人はいなかった時期にだったら、当たるを幸い女と寝て、やばい事態に陥りそうになった経験も幾度もある。
 それでもそれでも、スーと恋人同士だったころにだけは、俺は浮気はしなかった。あのころにだって俺はもてたのだから、女の誘惑の手は忍び寄ってきたけれど、スー一筋と心に決めて、ほんの一時期は純情章に戻っていたのだ。
 純情章ももてもて章も今は昔。もてなくなっておっさんに近づいてきている俺は、洋介を妬んでいるのか。それもすこしはあるのだろうと認められるようになったのは、俺も大人になったからだ。三十歳が大人でなくてどうするんだ、ってなものでもあるが。
 洋介の彼女のクミたんとは、俺も会ったことはあるのだが、他人の彼女なんかに興味はなかったので、たいしてよくは覚えていない。たしか、本橋さんの家にみんなが集まった日に、洋介がクミたんを連れてきたのだった。
 アイドルなんかとつきあうと、女の子は苦労が絶えないだろう。こんな奴はやめて、俺とつきあわない? とクミたんに言いたかったのだが、おじさんはいや、と言われたらショックなのでやめておいた。
 事情はあったにしろ、洋介はアイドルではなくなった。洋介ならばラヴラヴボーイズを解散した後でも、ソロシンガーとしてでも役者としてでも、生き残る道はあったはずだ。歌が下手でも演技が最悪でも、アイドルだったらそんな奴は五万といる。
 脱アイドルだなんて言っちゃって、アイドルまでもをやめた洋介は、別の意味でクミたんに苦労をかけている。クミたんは失業者の洋介に苛立っているらしいし、加えて、あのいい加減野郎は……とまあ、俺の気分はどうしてもそこに行きつくのだ。
 これはたぶん、似たもの同士の嫌悪感であろう。そうと気づくといっそう洋介は嫌いだ。あんな奴の顔は二度と見たくない。洋介も龍もクリも、十以上年下の奴らは俺のそばに寄るな、と言いたい。しかし、女の子だったらいいのだから、俺のいい加減さも健在なのだった。
「木村さん……章さん……」
 うちの先輩たちに脅迫されて、defective boysのおじさんたちに話をしにいった洋介は、それからは俺たちのスタジオにはあらわれなくなっていた。おじさんたちに無茶苦茶な目に遭わされたのか、とは思ったものの、来ないほうが俺は嬉しいので、ほとんど忘れていた。
 なのになのに、よりにもよって俺のマンションにあらわれやがった。クリや龍やさあやが俺のマンションに来た日と同じに、予告もなしで突然、俺の部屋の外に立っていた。
「……なんなんだよ、なんの用だよ。帰れ」
「木村さんってなんでそんなに冷たいの。話を聞いてよ。さあやの話は聞いてやったんだろ。俺の話だって聞いてよ。俺は……俺は……木村さんってどこか俺に似てるのかと思って……俺の気持ちもわかってくれるかと思って……」
 こっちは似たもの嫌悪があるってのに、洋介は俺に似たもの同士の好感を持っているのか。そんなものはいらんいらん、と言いたかったのだが、洋介の声に涙がまじっているのが気になった。
「……泣いてるのか?」
「泣いてないよ」
 まちがいなく涙声だ。defective boysのおじさんたちに泣かされてきたのか、それとも……? おじさんたちに多少怒られても、殴られたとしても、洋介が泣くとは思えない。それとも、のほうだろう。こうなるとほっぽり出すわけにもいかなかった。
「入れよ」
「うん」
 部屋に入ると壁にもたれて、洋介はぼそりと呟いた。
「ふられたよ」
 クミたんにか、瑠璃ちゃんにか、両方ともにか。あっちもこっちもつまみ食いするおまえが悪いんだ、と言ってやってもよかったのだが、クミたんにふられたのだとなると、俺も俺の過去を思い出してしまう。
 悪いのは洋介だとはいえ、遊び相手の瑠璃ちゃんにふられるのならば当然だとはいえ、クミたんにふられたとなると、同情してやりたくなる。俺は尋ねた。
「クミたんにか?」
 こっくりしてから、洋介は空中を見つめていた。涙が頬に一筋。顔立ちが相当に整っているだけに、恋愛ドラマでふられた男が泣いているシーンにも見えた。
 龍は俺の部屋に泣きにきたのではないが、クリもさあやもわあわあ泣いた。今度は洋介か。しかし、クリやさあやのようなガキっぽい泣き方ではない。妙に絵になっている。その上、俺にも身に覚えのある感覚だけに、怒るのではなく気の毒になってしまった。
 おまえって泣いててもかっこいいよな、と言いたくなって、結局はおまえが悪いんだろ、ざまあみろ、とも言いたくなって、どう言うべきかわからなくなって、なんにも言わずに歌った。
 
「笑いながら別れて 
 胸の奥は妙にブルー 言いたいことは言えず
 あなたの前じゃいつでも 
 心の言葉が ウラハラになっちゃう

 何も始まらないで今日が終り
 カラスは歌いながら森へ帰る
 自分がイヤで 眠れない
 こんなこと何べんくりかえすの?

 ゆるぎないものひとつ抱きしめたいよ
 誰もがそれを笑ったとしても
 燃えさかる想いだけを伝えましょう
 いのちの証が欲しいなら
 うたおうマイライフ

 神様なら たぶんね 
 そんなに多くのこと 求めちゃいないよ
 欲望から自由になれない 
 僕は手あたりしだい 不幸せ生んじゃう

 誰かにけしかけられてばかりいて
 ひとりじゃ迷子のようにうろたえる
 立ち止まって 考えろよ
 本当に欲しいものは何だろう?」

 本当にほしいものなんて、ゆるぎないものなんて、俺はこの年になってもわかってはいない。洋介なんかにはわかるはずもないけれど、おまえが本当にほしかったものはクミたんか? だとしたら、やっぱり結局おまえが悪いんだ。けっ、ざまあみろ。
 ざまあみろ、ざまあみろ、と口の中で繰り返していても、遠い昔の俺を見ているようで、俺の胸までが痛くなってきそうだった。

END
 

 



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