番外編

番外編46(十六歳のころ)

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番外編46

「十六歳のころ」


1

 
 パソコンがアパートに届いた日、俺は俺のパソコンの先生にお願いした。
「フォレストシンガーズサイトを見せて」
 彼は俺が働く「ヒノデ電気店」に、休みになるとアルバイトに来る大学生だ。今日も頼んだら来てくれて、無料でパソコンの設定やらその他諸々をやってくれた。俺は彼に教わってパソコンを使えるようになり、店にあるパソコンだったら使っていたのだが、詳しいとは言えない。
 神戸の大学に通う彼の名は新之助。シンちゃんなんて呼ぶと本橋さんみたいなので、先生であるにも関わらず呼び捨てにしている。背が高くてすらりとしていて、外見は今どきのかっこいい兄ちゃんだが、中身は俺にもつきあいやすい青年だ。
「ヒデさんてフォレストシンガーズのファン? フォレストシンガーズにヒデさんみたいな男のファンがおるんか」
「男のファンだっているだろうけど、俺はファンっていうんでもなくて……」
 ヒノデ電気のオヤジさんは、俺が以前にどこでなにをしていたのかは知らない。細かい事情などはなにひとつ尋ねずに、世捨て人同然の暮らしをして神戸に流れついてきた俺を拾って、面倒を見てくれた。
 現在では周囲には、俺の過去を知るひとはいない。アマチュア時代のフォレストシンガーズにいた、なんて言っても意味もないし、誰にも言うつもりはなかったのだが、かつての仲間たちは言ってくれた。今でもおまえは俺たちの仲間だよ、と。
 なのだから、新之助には言ってもいいだろう。本当は誰かに話したかったのだ。過去ったってたいした過去でもあるまいに、もったいつける必要もないのだから。
「俺が土佐の生まれなんは知っとうやろ。高校までは土佐で育ち、大学は東京やったんや。大学では合唱部に入ってた。合唱部の先輩に誘われて、三年生のときにヴォーカルグループに入れてもらった。それがフォレストシンガーズだよ」
「へええ? そうなん?」
 驚いた顔をしている新之助を見ていると、どこかがくすぐられる。虚栄心ってやつなのだろうか。こんな過去が虚栄になるはずもないのに、自嘲と羞恥を味わいながらも、俺は話した。
「新之助でも知ってるくらいに、フォレストシンガーズは有名になったんだよな。俺は大学を卒業して間もない時期に、フォレストシンガーズを脱退したんだ。だから、昔は彼らの仲間だったってだけだ。でも、最近になって彼らと会うようになって、ちょっとは親しくしてもらってるんだよ」
「へええ。ヒデさんってすごいんやな」
「すごくなんかなーい」
 大阪で泉水ちゃんと再会して、シゲが結婚したと教えてもらったころだったか。俺は大阪のインターネットカフェで、生まれてはじめてネット検索ってやつをした。
 店の従業員の女の子の指導のもと、俺が検索したのはフォレストシンガーズ。アマチュア時代には俺もメンバーのひとりだったのだが、そのころには遠く離れていた、かつての仲間たちをインターネットで見たのだった。
 それから数年がすぎて、俺は神戸の電気屋で働くようになった。フォレストシンガーズの面々とも再会し、昔通りに近い程度にはつきあえるようになった。
 世の中にはフォレストシンガーズを取り上げたサイトなんてものがいくつもある。インターネットだとしごく手軽にフォレストシンガーズの情報が得られる。そうなると俺もパソコンがほしくなり、店のオヤジさんに頼んで、安いパソコンを買ったのだ。
「怒らんでもええやん。そうかそうか、そうやったんや」
「店のパソコンでだったらフォレストシンガーズサイトってのは見たけど、これも同じ操作でええんか」
「だいたいは同じやで。ちゃんと覚えや」
 えらそうに言いながらも、新之助は俺に細々としたパソコン操作を教えてくれた。
 そうして俺も一応はパソコンが使いこなせるようになった。キーボードもまあまあなめらかに叩けるようになり、フォレストシンガーズのサイトを見るのが楽しみになった。
 茨城県のマンションで妻と娘とともに暮らしていたころ……そんな話までを新之助にするつもりはなかったが、俺には人の夫であり、父であった時期もあった。そのころにフォレストシンガーズのメジャーデビューを知り、ひそかにCDを買ってきて、妻の目と耳を盗んで深夜に聴いていた。
 あれは暗鬱な楽しみだったのだが、今ではフォレストシンガーズを笑って見られる。音楽だって明るい気持ちで聴けるようになって、ひとりでフォレストシンガーズのCDにハーモニーをつけたりして、俺は歌が下手になったな、だなどと、苦笑いしているのだった。
「ヒデさんもパソコンが上手に使えるようになったやん。ブログなんかやってみいひん?」
 今日も新之助が遊びに来ていて、ブラインドタッチでキーボードを操っている。ブログというものは聞いたことはあるのだが、よくは知らないので新之助に質問した。
「ブログとホームページってどうちがうんや?」
「簡単に言うたら、ブログのほうが簡単にできるってことやな」
「簡単に簡単か」
「ホームページはHTMLやとかなんやとか……ヒデさん、HTMLはわかる?」
「わからん」
「他にもややこしいとこがあるし、ホームページはヒデさんには無理かもしれんな。そやけど、ブログは簡単に作れるで」
「ブログなんか作ってなにをするねん?」
「文章を書くとか、写真をアップするとか。ヒデさんは作曲もするんやろ。曲もアップできる」
「アップ? アップアップか。溺れてるんじゃないんだろ? むずかしいな」
「むずかしく考えんでもええねん。音楽を流すのはちょい手間がかかるから、俺が手伝うわ。やってみる?」
 文章を書く。フォレストシンガーズのネタか。やってみたいような気もすれば、やらないほうがいいような気もする。俺が迷っていると、新之助は言った。
「ヒデさんが文章を書いたら、世界中の人に発信できるねん。ヒデさんって有名なグループの昔のメンバーやろ。ヒデさんは知らんでも、むこうはヒデさんを知ってるひと、けっこうおるんとちゃうのん?」
「そんなの、いないだろ」
「いるかも知れんで。世界中はおおげさにしても、なんとなくネット検索をしててヒデさんのブログを見つけて、アクセスしてくれる昔なじみなんてのもいるかもしれへん」
「……ふーむ」
 二十代後半のころの俺は、時代の流れの速さに取り残された爺さんみたいだった。三十代になった俺は、俺はまだ若いんだ、と考えられるようになっている。遅すぎはしないだろう。ブログをやってみよう。
「新之助、おまえが頼りや。教えて」
「やる? よっしゃ。教えたるわ」
「おまえもブログってやってんのか?」
「まあね」
 ブログ作成を事細かに教わって、ちゃうちゃうちゃーう、ヒデさんは覚えが悪い、と怒られて、なんやと、若造が生意気に、とこっちも怒って、喧嘩になったりもしたが、新之助は辛抱強かった。俺は根本的に短気なのだが、新之助の性格のおかげで、ブログが書けるようになったのだ。
 今ではフォレストシンガーズのみんなとメールのやりとりもできる。特にシゲや幸生とは頻繁とまではいかないにせよ、連絡を取り合っている。恥ずかしいので俺のブログの話はしなかったのだが、むこうの公式サイトは見ていて、これもブログなのだと初に知った。
 フォレストシンガーズ公式サイトには、メンバーたちが交互に文章を書いている。それがブログだったのだ。
「ちょうどシゲさんが結婚したころでしたよね。金子将一さんと俺たちフォレストシンガーズが、ラジオドラマの「水晶の月」ってのに出演していたのを、お聴き下さっていた方はいらっしゃいますか? いらっしゃいますよね。
 あのラジオドラマのシナリオライターさんである、みずき霧笛さんは現在は、プロのライターになられました。シナリオばかりではなく小説も書きたいとのことで、みずきさんがフォレストシンガーズを主役にした物語を書いて下さったんですよ。
 俺がお願いしたものですから、変則的っていうのか、俺たちそのまんまではないんです。詳しくお知りになりたいファンのみなさまは、みずきさんのブログをお読み下さいませませっ」
 今回の担当は幸生で、そんな文章を書いていた。
 「水晶の月」とは話には聞いたのだが、東京でのみ放送されたラジオドラマなのだから、俺は聞いていない。録音したテープはあるのだそうだから、シゲに頼めばくれるのだろうが、機会を逸してしまっていた。
 大学の学生寮を舞台にしたラジオドラマで、フォレストシンガーズの五人と金子さんは、大学生役を演じていると聞いている。名前は彼らそのまんまで、性格はまったくちがうとも聞いている。
 この次にシゲに会ったら、俺にも聞かせてくれよ、と言おうか。どんな感じのドラマなのかな、と考えながら、俺はみずきさんのブログを探した。みずき霧笛の名で検索すると、たやすく彼のブログにヒットした。
 日常雑記のようなブログの数々から、タイトルからして小説の話題であろうと判断した文章を選び出し、幸生の勧めに従って内容を読んだ。
「商業出版したいとは考えているのですけど、三沢さんがね……これはなんぼなんでも恥ずかしい、とおっしゃるものでして、お許しが出ていないのですよ。
 短編ですので、お許しが出たとしても、この作品のみでは本にはできません。三沢さんやフォレストシンガーズのみなさんの許可を得るまでに、フォレストシンガーズをメインとした短編を書き溜める心積もりでおります。
 どんなストーリィですか? と質問して下さる方もいらっしゃいますか?
「A girl meets a boy」とタイトルをつけた短編では、三沢さんが……いえ、それもまだ書いてはいけないのです。三沢さんのお望みで……書きたいな。書きたいけど書けません。申し訳ございませんです。
 もうひとつ、ただいま構想を練っているストーリィがありまして、そちらはフォレストシンガーズのみなさんの少年時代を、僕の想像でフィクションもまじえて書きたいというものです。
 僕は三沢さんとは親しくしていただいていますので、彼のあの饒舌なお喋りを聞かせてもらったりもするのですよ。そうして三沢さんの口から、彼自身の少年時代を語っていただきました。十六歳のころってのがいいですね。
 もちろん主役は三沢さんです。十六歳のころには彼らは出会ってはいなかったのですが、当時から知り合いだったという設定もいいですよね。
 横須賀の三沢さん、東京の本橋さん、三重の本庄さん、高知の小笠原さん、金沢の乾さん、北海道の木村さん(順不同)、出身地がばらばらの六人のメンバーが、十六歳のころに出会っていた。さて、どこでどう出会っていたことにしましょうか」
 そこまで読んで、俺はびっくりした。
 他の五人は当然だろうが、高知の小笠原? 俺までが出てくるのか。幸生はみずきさんに、俺をどんなふうに話しているのだろう。俺はみずきさんとはまったく面識もないのだが、あの幸生が話しているのだから、とんでもない奴になっているのではなかろうか。
 思わず、俺はキーボードを叩いていた。深く考えもせずにみずきさんに向けて綴ったメールは、こんなものになった。
「はじめまして。小笠原英彦です。騙りではありませんよ。
 このメールアドレスを三沢幸生に確認していただければ、本物だとわかってもらえるはずです。
 みずきさんのブログを読ませていただいて、メールしています。
 みずきさんが小説について書いておられるのを読んで、メールしたくなりました。
 ぜひぜひ書いて下さい。実際にはまだ知り合っていなかった俺たちが、十六歳で出会う物語。そこには俺もいるんですね。感激です。
 早く読みたいな。いや、せっついてすみません。
 それと、幸生が主役の完成している物語ってどんなのですか? 俺も尋ねたらいけないのでしょうか。知りたいですよ。幸生にもメールします」
 とりとめもないメールになったのだが、思い切って発信し、してしまってから後悔した。
 興奮してるみたいなメールだったか? みっともなかったか? しかし、発信してしまったものはどうしようもない。あのメールは俺の真情を綴ったのだから、無視されたらそれはそのときのこと。怒られたとしたら詫びよう。そうしか仕方ないではないか。


インターネットのファンサイトというものは、実にさまざまあるのだ。店のパソコンではフォレストシンガーズ公式サイトくらいしか見なかったが、俺の専用パソコンを手に入れてからは、フォレストシンガーズ関連サイトをいろいろと見て、感心したり笑ったり呆れたりもするようになった。
 むろん俺にもためになるものはある。どこで調べたんだろうか、と思うほどに、フォレストシンガーズ情報に詳しいファンもいる。しかし、変なものもいくつもあった。
「……章と本橋さんが……」
 背中越しに本橋さんが章を抱擁している絵。なんじゃい、これは、ふざけんな、とばかりに、俺はふたりになり変わって怒った。
「幸生と乾さんやったら……あ、あった」
 当人たちは知っているのか、見たのか。彼らもパソコンは持っていて、自分たちが出てくるサイトには興味があるだろうから、見たのかもしれない。こっちは幸生と乾さんが抱き合って見つめ合っていて、ふたりともに目がハートマークになっている絵だった。
 はじめてこのたぐいの絵を見たときには、俺の頭の上から花火が上がり、俺自身も花火とともに飛んでいって、幸生みたいに叫んでいる気分になった。
「うきゃーっ!!」
 そう叫んでいる俺が、花火の中で両手両足で万歳している。頭が変になりそうだったので、空想までもが変きわまりなかった。
 そのころと較べれば多少は見慣れたが、こんなものを描くのは女性ファンだろう。女とはまったく……まったくまったくまったく、としか言えない。新之助はネットのサイトには免疫があり、若いからもあって男同士のなんたらかんたらには偏見はないようで、こう言っていた。
「こんな趣味の女の子はようけいてるから、有名人の男はこうやってサイトでおもちゃにされてるよ。そんだけフォレストシンガーズも有名になってきたってことやろ」
「ふむ、なるほど」
 なるほどではあったのだが、俺としては耐え難い。フォレストシンガーズには全員、こんな趣味はなーい。妙なサイトを作るファンに、かたっぱしから抗議メールを送ってやりたかったのだが、気を落ち着けてやめておいた。
 絵だとつい見てしまって、慌ててサイトを消すのが常なのだが、文章はスルーできる。フォレストシンガーズを題材にした素人小説もいくつかあるのだが、ストーリィがそっちへ展開しそうになると、読むのはやめていた。
 それはそれとして、俺のブログにはフォレストシンガーズも登場させた。こんな一文も書いた。

「フォレストシンガーズを知っているひとは、ずいぶんと増えてきたんだな。俺も嬉しいんだけど……あんたには関係ないじゃん? ってか。
 いいや、俺もフォレストシンガーズのファンなんだよ。今ではただのファンだけど、昔はね……ちょっとね。自慢していい?
 同じ大学の同じ男子合唱部出身の五人がフォレストシンガーズ。ファンだったらそれは知ってるよね。最初の五人には木村章じゃなくて、別の男がいたんだとも知ってる? そいつが俺なんだよ。自慢にもなりゃしないけど、そうなんだ。
 本橋さんと乾さんに誘ってもらった三人の後輩の中に、俺もいた。最年少の三沢幸生が大学を卒業するまでには、俺たち、プロになれるよな、って、燃えてたよ、俺だって燃えてたんだよ。
 なのに俺は……俺ときたらまーだ繰言を書いてるんだから。
 プロになれる前に脱退してしまった、堪え性のない奴が俺。自慢じゃなくて自嘲だね」

 短い文章を書いてブログを更新し、俺はフォレストシンガーズサイトを見にいった。フォレストシンガーズについての文章を書くのははじめてだったので、こんなことを書いてもよかったのだろうか、との念も起きていた。
 ところが、その翌日、そんな気分が吹っ飛ぶようなものを見てしまったのだ。
 小笠原英彦という名前が出てくるフォレストシンガーズ小説を見つけて、俺は文章に目を留めてしまった。これは……これは……やばい、とは思ったのだが、俺の名前が出てくるとなると読まずにはいられない。その小説のようなものは、こうなっていた。

「脱退を申し出た小笠原英彦に、乾隆也は言った。
「おまえは俺を捨てるのか。俺の気持ちに気づいていないのか」
「……隆也、それは言わないでくれ」
「気づいてるんだろ。俺はこんなにもおまえを……」
「やめてくれよ、隆也」
 じっと聞いていた本橋真次郎が言った。
「シゲ、幸生、隆也とヒデをふたりっきりにしてやろうぜ」
 三沢幸生も言った。
「そうだよね。ヒデだって隆也の気持ちにさ……シゲも気がついてただろ」
「そうなんだね。俺もほんとは隆也を……だけど、ヒデと隆也のほうが似合いだよ。俺は身を引くから、隆也とヒデは幸せになればいい。隆也、ヒデの気持ちはおまえ次第で変わる。無理やりにだっていいから抱いちまえよ。そしたらヒデだって脱退するなんて言わないさ」
「ああ。そうするよ」
 寂しげに微笑んだ本庄繁之と、幸生と真次郎は部屋から出ていく。隆也はじっとじっと英彦を見つめ、腕を伸ばして彼を抱き寄せた。
「ヒデ、好きだよ。いいだろ」
「うん。隆也だったらいいよ。俺さ……俺……おまえにそう言ってほしかったのかもしれない。だから脱退するなんて言い出して、おまえの気持ちをためしたんだ。ごめんな。隆也、抱いて」
「嬉しいよ」
 隆也はそっと英彦の服に手をかける。英彦も隆也の服に手をかけた。
 美しく若い獣が抱き合う。めくるめく時の流れの中で、隆也と英彦は硬く目を閉じ、押し寄せる奔流に身をゆだねていった」

 うっぎゃーっ!! これ以上は読めない。俺はひとりで叫んだ。
「なにを言うとるがかやっ!! なにを書いとるがかやっ!! 俺は乾さんにこんな喋り方はせんちや。シゲだって幸生だって……あんたはわしらの口のききようを知らんのかっ!! 俺は乾さんを隆也とは……シゲがこんなことを言うかっ!! うががが……うう、ヒデ、落ち着け」
 にわかファンだか似非ファンだかが、こんなものを書いたのだ。もしや、このサイトの製作者は俺のブログを読み、小笠原英彦というかつてのフォレストシンガーズのメンバーがいると知って、妙な小説を書いたのか?
 だとしたら、ブログをはじめたのは誤りだったのか? フォレストシンガーズネタはよくなかったのか? 俺のブログなんて読んでいるひとはいないのかと思っていたが、いるのか?
 いやいや、俺がフォレストシンガーズにいたと知っているひとは、日本には何人かはいる。ファイも言っていたし、熱心なファンの中にも、俺の名を知っているひとはいるのだろうから、ブログとは無関係だ。
 怒るのはやめてサイトを閉じ、「HIDEブログ」にアクセスした。昨日書いた文章を読み返していると、初コメントがついているのに気づいた。
「ヒデさん、こんにちは、はじめまして。私はフォレストシンガーズファンの早紗です。サシャと呼んで下さいね。
 私の友達にヒデっていうニックネームの男の子がいまして、彼がブログをはじめたと聞いて、探してみたんです。そしたら、HIDEブログを見つけました。これがそうなのかな、って思って読んでみたら、そうじゃなかったの。
 フォレストシンガーズにいたヒデさんだったんですね。びっくりしたけど、ヒデさんのブログが読めたなんて、嬉しかったな」
 それだけのコメントだったのだが、俺も嬉しくて返信した。
「早紗さん、ありがとう。ヒデです。
 こんな稚拙というか、無茶苦茶なブログにコメントをつけて下さって、僕のほうこそ嬉しいです。よかったらまたなにか書いて下さいね。楽しみにしています」
 そうやって返信したせいか、それからは徐々にコメントがつくようになっていった。
 コメントをつけてもらえるのは嬉しいのだが、中にはいたずらもある。下劣なコメントもつく。このブログの筆者は男だとわかっているだろうに、ドスケベコメントをつけたがる男がいる。削除しても削除してもしつこいので、俺は怒りのコメントをそいつに向かって発した。
「ポルシェとかいう奴。おまえはドアホじゃ。二度と阿呆なコメントをつけるな!!!」
 が、それが悪かったのだろう。そやつはいっそう阿呆コメントをつけるようになり、俺は新之助に相談した。
「ヒデさんのほうこそアホちゃうのん? 知らんかった? そういう奴は「かまってちゃん」とか言うんやで。かまってもらうと喜んでよけいにコメントをつけたがる。そんな奴は無視に限るんやから、ヒデさんは返信せんほうがええねん。無視無視」
「……そうなんか。俺がアホやったんか。ほんなら、コメントに返事をするのはやめとこうかな」
「そのほうがええかもね。へぇ、アクセスが増えてきたやん」
「そうみたいやな」
「よかったね」
 よかったのかどうかは知らないが、ブログは書き逃げでもいいのだと知って、一方的に配信してあとはほったらかす方針に変えた。
「先だってはメールをありがとうございました」
 ある日、メールチェックをしていると、みずき霧笛さんからのメールが届いているのを発見した。
「小笠原さんのお名前はフォレストシンガーズのみなさんからも、金子さんからも山田さんからも伺っております。
 行方不明でいらした小笠原さんが、みなさんのもとへと帰ってこられたと、そうも聞きました。僕としましても感激したものです。
 僕の小説をお知りになったのですね。嬉しいような面映いような気持ちですが、「十六歳のころ」ですか。すこしばかり書いてみたのですが、読んでいただけますと望外の喜びです。
 添付文書として添えておきますので、お時間がおありのときにでも読んでいただけますでしょうか。ご感想をお待ちしております」
 丁寧なメールにつけられたみずきさんの小説を、胸をときめかせて開いてみた。


2

「16歳のころ」


 時に穏やかに時に激しく、波が押し寄せる。英彦は桂浜の波打ち際にたたずんで、遠い水平線を見つめていた。
「おはよう。気持ちのいい朝だね」
「あ、おはよう」
 英彦のかたわらに立ったのは、水色のサマードレスを着た少女だった。
「山田美江子っていうの。あなたは地元のひと?」
「そうだよ。きみはどこから来たの?」
「栃木。グループで遊びにきたの。四国ってはじめてだから、はじめて来るんだったら有名な高知県かなって。高知県って四国の首都みたいじゃない?」
「そうだろうな。四国では一番の都会のはずだよ。俺は小笠原英彦。よろしく」
「よろしくね。私は高校三年生なんだ。小笠原くんは?」
「高校二年、十六歳。俺のほうが年下なんですね」
 グループで来たと言っているが、近くの民宿にでも泊まっていて、朝の散歩に出てきたのだろうか。美江子は明るい笑顔で言った。
「私は昨日、来たばかりなんだけど、高知のおいしいものってなにがあるの?」
「代表的なのはカツオかな。皿鉢料理ってのもありますよ。鮎なんかもうまいんだ。貝にしらすに土佐小夏って夏みかん。文旦に四万十ようかん。いっぱいいっぱいあるぜよ」
「わー、おなかがすいてきちゃった。私たちが泊まってる宿は朝食つきなんだけど、友達はまだ寝てるしね、なにか食べたくなってきた」
「この時間だったら朝市をやってるかな。行きます?」
「連れていって」
 朝から綺麗な女の子とデートか。デートでもないのだろうけれど、俺も朝の散歩に来てよかった。英彦は美江子と連れ立って歩き出した。
 互いの学校の話などをしながら歩いていると、土産物店が並んでいるあたりに出る。坂本龍馬の銅像を背に、少年たちが数人いるのが見えた。長身の少年と小柄な少年がいて、他にも三人。英彦が見ていると、長身の少年が三人の少年に言っているのが聞こえてきた。
「こいつは小学生じゃねえのか。こんなガキに三人もの高校生が、強請りか。俺が相手になってやるよ。どこからでもかかってこい」
 小柄な少年をかばって、長身の少年が立ちふさがった。英彦は美江子に言った。
「美江子さんはここで待ってて」
「英彦くん、どうするの? 警察に電話したほうがよくない?」
「警察はあとでいいですよ」
 走り出した英彦は、長身の少年のさらに前に立ち、言った。
「地元の高校生が観光客を強請ってるのか。土佐の恥ちやな。俺が相手になってやるからかかってこいや」
「おい、邪魔すんなよ」
 うしろの少年が言い、そのさらにうしろにいる小柄な少年も言った。
「俺は小学生じゃなくて高校生なんだけど、喧嘩なんかできないからおまかせします。土佐のお兄さんはなんて名前?」
「小笠原英彦。あんたは?」
「俺は本橋真次郎ってんだけど、東京から遊びにきてるんだ。そっちのちっちゃいのの名前は?」
「ちっちゃい俺は三沢幸生でーす。横須賀の高校一年生」
「俺は高三だよ。小笠原は?」
「高二。土佐生まれの土佐育ちです」
 時ならぬ自己紹介をし合っている英彦たちを、地元の高校生であるらしき三人の少年が睨み据えている。迂闊に飛びかかってこようとはしないのは、真次郎も英彦も長身で強そうに見えるからだろうか。俺は本当に強いんだけど、真次郎さんはどうなのかな、と英彦が思っていると、真次郎が土産物屋のほうをすかし見て言った。
「女の子がいるんだな。おまえの彼女か、英彦?」
「さっき会ったばかりなんだけど、遠くにいるから平気でしょ。本橋さん、やりますか」
「おまえも好きそうだな。おう、やるか。幸生、おまえは隙を見てあの女の子のところへ走っていって、巻き添えを食わないようにしてやれ。おまえだって女の子くらいだったら守れるだろ」
「自信はないけどやってみます。小笠原さん、本橋さん、がんばってね」
 隙を見るのは得意であるらしく、幸生はととっと走っていき、美江子に近寄っていった。そのあたりで三人の少年のうちのひとりが英彦に殴りかかり、そこからは真次郎も英彦も喧嘩に熱中して、他のものごとを考える余裕はなくなってしまった。
 無我夢中で殴り合っていて、どのくらいの時間が経過したのか、突然頭上から水を浴びせられかけて、英彦は叫んだ。
「ぺぺぺっ!! 塩辛いっ!! 誰だっ!! 海の水をぶっかけたなっ!!」
 先ほどまではいなかったはずの少年が、バケツを放り投げて英彦の手を取った。
「あいつらがびっくりしてる間に、逃げたほうがいいよ。味方は彼だね。そこの彼も走ろう。ミエちゃんも幸生も、走るぞっ!!」
 美江子か幸生の知り合いなのだろうか。美江子のグループの仲間か。見知らぬ少年にうなずいて、英彦は走り出した。真次郎も走ってきて、五人で全速力で駆けていると、もうひとりの少年が行く手に立っているのが見えた。
「な、なに? 喧嘩してた?」
 もうひとりの少年が言い、真次郎が応じた。
「喧嘩はしてたんだけどな……おまえも走れ。あいつらが追っかけてきて、おまえが俺たちの友達だと思われたら困るだろ。ついてこい。ミエちゃんっていうのか? そこの女、おまえはもっと走れるのか」
「走れるよ。なめないで」
「おし、そんならいい。みんな、走れっ!!」
 振り返ると、不良少年たちは浜にすわり込んで放心状態でいる。彼らが追ってこないうちにと、六人になった少女と少年たちは、疾風のごとく走って走って走っていた。
 そうして知り合ったのが、東京の本橋真次郎、栃木の山田美江子、金沢の乾隆也、三重の本庄繁之、横須賀の三沢幸生、高知の小笠原英彦だったのだ。バケツで喧嘩に水を差したのが乾隆也、関係もないのに一緒に走ったのが本庄繁之だった。
 年の順番でいくと、真次郎と隆也と美江子が高三、十七歳。繁之と英彦が高二、十六歳。幸生が高一、十五歳。不良からは逃れたようでもあるので、一息つくと英彦は言った。
「みんな、腹が減ったんじゃないのかな。朝市で朝メシを食いましょうか」
 全員が賛成して、六人で朝市方面に向かって歩いていくと、途方に暮れた表情で立っている少年を発見した。あいつはどうしたのかな、と英彦は思っていたのだが、隆也がその少年に声をかけた。
「泣き出しそうな顔をしてるね。財布でも落とした?」
「そうなんだ。なんでわかるの?」
「金がないのか。困ったな。きみはどこから来たんだ?」
 問いかけた隆也に、少年は応じた。
「木村章っていって、稚内の高校一年生なんだ。親父に連れられてきたから、民宿に帰ったら親父が金は持ってるよ。そこまで帰るのがさ……」
「民宿は近いの? そのくらいだったら貸してやるよ。その前に、おまえも一緒に朝市見物に行かないか」
「ええと……いいんだったら連れていって」
 歩いていく道々で、改めて章に自己紹介をした。
「俺は本橋真次郎。東京からひとり旅に来たんだ。来年は大学生になる予定だから、高校最後のひとり旅だな」
「俺は乾隆也。本橋と同じ高校三年生で、金沢から同じくひとり旅。南国土佐は風光明媚でおおらかで、いいところだね」
「私は山田美江子。栃木の高校三年生。女の子五人のグループで遊びにきたんだけど、あなたたちと行動してるほうが面白いかもね。さっきは本橋くんとヒデくんが喧嘩なんかおっぱじめて、幸生くんをかばってだったから怒るわけにもいかなくて、だけど、どんどん喧嘩がひどくなってきて、どうしようかと思ってたの。そしたら乾くんが通りがかったから事情を話したのよ。喧嘩をやめさせるにはいい方法があるよ、幸生、バケツを借りてこい、って乾くんが言ってね」
 土産物屋でバケツを三つ借りてきて、隆也が海水をくみ上げて美江子と幸生に手渡した、そして、美江子と幸生と隆也が喧嘩の只中に水を差したのであるらしい。幸生も口を添えてから、言った。
「俺は章と同い年で、横須賀の高校一年生だよ。本橋さんもヒデさんもかっこよくってさ、惚れちゃったわ。乾さんもかっこよかったですよ。そんでね、俺もひとり旅。高校一年がひとり旅なんて、って親は反対するし、妹たちは連れてけって言うし、あっちをごまかしこっちをなだめ、くったくったになっちゃったけど、なんとかひとり旅に出てきました」
「俺は本庄繁之。三重県の高校二年生だよ。大学二年の姉貴がいて、姉とふたりで旅行に来たんだけど、姉と一緒に遊んでても面白くもないから、別行動してるんだ」
「俺は地元の高二。小笠原のヒデ。みんな、ヒデって呼んでくれよな。地元の案内は俺にまかせて。ほら、ここですよ。なにが食いたい?」
 十五歳がふたり、十六歳もふたり、十七歳が三人。英彦はいつしか、同年の繁之ともっとも親しみを深めていった。
「美江子さんって美人だよな」
 朝市で売っている簡便な食物をそれぞれに手にして、英彦は繁之に小声で話しかけた。
「栃木ってのは都会でもないのかもしれないけど、都会のお姉さんって感じかな。だけど、俺には彼女はいるしさ。おまえにはいるのか、シゲ?」
「彼女なんかいないよ」
「そうだろうな。おまえっていかにももてなさそうだ」
「ほっといてくれ。おまえって土佐弁は使わないのか」
「おまえだって三重弁はつこうてないきに」
「あ、それが土佐弁か。方言って恥ずかしいだろ」
「なまってはいるけど、俺も恥ずかしいから、よその地方の人間には標準語っぽく喋るんだよ。栃木弁や金沢弁ってのもあるんだろうけど、美江子さんも乾さんも使ってないみたいじゃないか」
「そうだな。本橋さんや幸生の標準語……うらやましいよ」
「うらやましくもないけど」
 英彦と繁之がそんな話をしていると、幸生がやってきて言った。
「本橋さんは東京だから当然なんでしょうけど、美江子さんも乾さんも、来年には東京の大学を受験するんだって。俺も高校を卒業したら東京の大学に行きたいな。シゲさんは大学はどうするんですか。大阪?」
「俺も東京に行きたいな。ヒデは?」
「俺も東京に行きたい。そしたら……」
 おまえは? との想いで英彦が見つめると、章も言った。
「俺も稚内なんてほとほとうんざりだから、大学は東京に行きます。みんなが東京の大学生になれるといいですね。幸生、おまえ、大学受験のできる頭は持ってるのか」
「おまえこそ。章ちゃん、がんばれよ」
「おまえに言われたくねえんだよ。章ちゃんなんて呼ぶな」
 こちらの同年ふたり、幸生と章も仲良くなったようだ。残る年上の同年三人も、親しく話している。隆也が言っているのが聞こえてきた。
「来年は受験だよな。受験に落ちたら、俺は金沢で丁稚奉公……そうならないように、帰ったら受験勉強に励まなくちゃ。本橋もミエちゃんもだね。健闘を祈るよ。俺にもエールを送ってくれる、ミエちゃん?」
「フレーフレー、だね。乾くんも本橋くんも、フレーフレー。美江子もフレーフレー」
「おまえのフレーフレーってのは……いや、ありがとう。俺もおまえたちにエールを送るよ」
 真次郎も言い、三人で応援し合っている。
 同じ大学とまでは行かなくても、数年ののちにはここにいる全員が、東京で再会できる。その可能性は高いのではないだろうか。俺はみんなと同じ大学に行きたい、そして、みんなで……英彦が夢想していると、真次郎が言った。
「ヒデ、土佐の歌っていうと、よさこい節かな。他にもあるだろ。いい歌を教えてくれよ。俺は歌が好きなんだ。みんなで歌わないか」
 おっ、俺も、俺も、歌が好きだと他の五人も異口同音に言い、美江子も言った。
「私も歌は好きだけど、男声合唱を聴くほうがもっといいな。ヒデくん、リードを取って歌って」
「俺ですか。じゃあ、ストリートライヴをやりましょうか。ええとね、これは有名ですよね」
 「土佐の男」という歌があり、英彦は好きなのだが、マイナーだから彼らは知らないだろう。英彦は「南国土佐を後にして」を歌い出した。
 
「南国土佐を後にして 都へ来てから幾歳ぞ
 思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を
 土佐の高知の播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た

 月の浜辺で焚き火を囲み しばしの娯楽のひと時を
 わたしも自慢の声張り上げて 歌うよ土佐のよさこい節を
 みませ見せましょ浦戸をあけて 月の名所は桂浜

 故郷の父さん室戸の沖で 鯨釣ったというたより
 わたしも負けずに励んだ後で 歌うよ土佐のよさこい節を
 言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる
 よさこいよさこい」

 一年のちには真次郎と隆也と美江子が、東京で大学生になる。二年のちには繁之と英彦も、三年ののちには幸生も章も東京に出ていく。再びこうして六人で歌い、美江子が聴いてくれる日がきっとやってくる。
 歌詞はあやふやにしか知らなかったのであろうが、英彦が歌っていると、他の五人も追っかけて歌っている。もう一度こんな日が……英彦はその日を脳裏に上せていた。
 
by みずき霧笛」


第一章のみなのだそうだが、読み終えた俺はくすぐったい気持ちになっていた。
 読ませてほしいと頼んだのが俺だからこそか、みずきさんは小笠原英彦を主役にして物語を書いてくれた。こんな出会いはフィクションだが、みずきさんはみんなの性格を上手にとらえている。俺についてはよくは知らないはずなのに、俺までが俺らしい。
 こうして七人が高校生のときに出会っていたとしたら……俺が想像していると、みずきさんからのもう一通のメールが届いた。添付書類の小説は、噂の「A girl meets a boy」の一節であった。


「可愛いんだけど、おまえって子供っぽすぎるんだよな、隆也さんにも言われるのと同じ感想を、ヒデさんも持っているはず。ユキは小さな女の子を見るような目で見ているヒデさんを見返した。
「そりゃあ、乾さんは俺なんかよりは大人だよ。だからったって大人にはなり切ってないってのは、乾さん本人が言う通りだ。乾さんだってまだ二十歳なんだから、おまえをあやしてやるってほどの度量はないだろ。おまえが自覚して乾さんを困らせなかったらいいんだよ」
「だって、ユキは乾さんが大好きだから……」
「大好きだからこそ、好きな男を困らせないようにするんだろ」
「乾さんの友達は、みんなそうやってユキを叱ってばっかり。優しくしてくれない男のひとは嫌いだもん」
「おまえに嫌われても俺はへっちゃらだけど、あの乾さんがおまえといると怒りたくなる気持ちもわかるよ。こんなわがまま娘はちっとはひっぱたいてやれぱいいんだ」
 そう言われただけでたちまちべそをかいて、ユキはくちびるを噛み締めた。
「おまえが俺の彼女だったとしたら、ほっぺたをぴしゃっと……」
「やだ。そんなのやだ」
「おまえは乾さんの彼女なんだから、やらないよ。おまえを殴ったりしたら、俺が乾さんに殴られる。乾さんもよくもまあ、こんなわがままな女とつきあってるもんだ」
「ヒデさんも意地悪だね。乾さんは……隆也さんは……ヒデさんよりも喧嘩には強い?」
「知らないけどさ、俺よりも強いなんて男は、本橋さんしかいないんじゃないのかな」
「ヒデさんは自信過剰」
「おまえに言われとうないきに」
 おまえを殴ったりしたら、俺が乾さんに殴られる、ヒデさんはそう言った。本当だろうか。ヒデさんだって背は高くて強そうで、本橋さんには勝てないのだそうだが、たいそう強そうだ。こんな男のひとに乱暴されそうになったら……想像しただけで身が竦みそうになるのだけれど、ユキは自分を励まして言った。
「ユキはわがままだもん。わがままだから乾さんには嫌われてるの。言われなくても知ってる。ヒデさんの馬鹿っ!!」
 ひっぱたいてやろうとした手をつかまれて、逆に引き寄せられた。
「俺がちょっと言ったら、その態度か。乾さんとこに連れていく。俺はおまえを殴れないけど、乾さんに言うよ。こんな女は張り飛ばしたほうがいい。乾さんに思い切り叱られて、泣け。この馬鹿たれガキが」
「やぁーっ!! いやーっ!!」
「あばれるな」
 必死であばれようとしたものだから、抱き上げられてしまった。
「ヒデ、おまえ、なにをやってるんだ?」
 抱え上げられて抵抗するユキをものともせずに、ヒデさんが歩いていく。そんなヒデさんを呼び止めたのはシゲさんだった。
「女の子に荒っぽい真似をするなよ。おまえの怒り声が聞こえたから来てみたら、相手はユキちゃんか。乾さんとこに連れていくって?」
「連れていかなくてもおまえが来たんだから、呼んでこいよ。この赤ん坊みたいなわがままガキ、乾さんにびっしびっし叱られて、ぎゃあぎゃあ泣いたらいいんだ」
「かわいそうだろ」
「かわいそうじゃない。いい薬だ。俺だったら張り倒してるぞ」
「おまえは女の子を殴るのか」
「というよりも、俺はこんなガキとはつきあわないよ。ユキ、おとなしくしろっ!!」
 ヒデさんに怒鳴りつけられて、ユキは声を上げて泣き出した。
「泣き虫でわがままで、しかもこいつは、俺を殴ろうとしたんだぞ。乾さんは言ったよ。女に殴られてもやり返すな、って。だから我慢したんだけど、こんな女は……」
「まあ、おまえが怒るのもわからなくはないけど、乾さんを呼んでくるよ。ユキちゃんを下ろしてやれ。泣いてるじゃないか」
「おまえも甘いな」
 舌打ちをして、ヒデさんはユキを下ろしてくれた。ユキは頭の中がかーっとなっていて、下ろされた瞬間にヒデさんを蹴飛ばそうとしたから、もう一度抱え上げられた。
「気性が激しいってのか。こいつも台風みたいな奴だな。女だって暴力をふるう奴は最低だろうが。乾さんに言われてないのか」
「ヒデ……そうがんがん怒鳴ってやるな」
「おまえは黙ってろ」
 時々は叱られるけど、乾さんはユキにはこうまできつくものは言わない。ヒデさんが怖くてびくびくしていると、乾さんの声が聞こえてきた。
「ヒデ、ごめんな。ユキ……おまえって奴は……」
 乾さんをまっすぐには見られないでいるユキの耳に、シゲさんの声が聞こえてきた。
「乾さん、乾さんまでがユキを乱暴に扱わないで下さいね。話せばわかるんですから、叩くなんて絶対に駄目ですよ」
「シゲ、ありがとう。ユキ、来い」
 ヒデさんの腕の中からユキを抱き取って、乾さんが歩き出す。これからどこへ連れていかれるのか、もしかしたら叩かれるのかもしれない、と思っていても、乾さんに抱かれて運ばれていくユキは幸せだった」


 添えられていたメールによると、小笠原英彦の登場シーンを抜粋したのだそうだ。ここに出てくる俺も俺らしくはあり、シゲもシゲらしくはあるが、それよりもなによりも、なんじゃーっ、これはっ?! だ。
 ユキって誰だ? 恥ずかしいから出版しないでほしい、と幸生が言ったということは、三沢幸生が女になって、乾さんの彼女になっている設定か。みずきさんは詳しい解説はしてくれていないのだが、そうとも考えられる。
 三沢幸生が女と設定されて、乾さんの恋人のユキになった? 幸生がお願いしてみずきさんに書いてもらったのだそうだから、あの幸生だったらやりかねないとも思う。
 男のまんまの三沢幸生が、男のまんまの乾隆也と抱き合う絵よりは、見られるというか読めるというか、ではあるのだが、絵にしても文章にしても、もの書きとは異常な発想をする人種なのだ。幸生が頼んだのだとしても、こんなものを書くか? もしも俺に小説が書けたとしても、殺されても書きたくない。
 もわーっと頭に浮かぶのは、「A girl meets a boy」とタイトルのついた曲だ。フォレストシンガーズの皆と再会してから、俺は作曲も再開している。曲だったら書けるはずだが、書きたくない。頭に浮かべたくもないのだが、みずきさんにお礼メールを書いた。
「ありがとうございます。読ませていただきました。
 「十六歳のころ」は完成していないのですか。今後はどういった展開になるのでしょうか。大変に楽しみです。
 で、もうひとつのほうは……前後もあるのですよね。読むのが恐ろしいけど、読みたくもあります。みずきさんに向かって無礼ではありますが、俺はこういったたぐいは苦手でして……
 いやいや、正直に言いすぎましてすみません。それでも読みたいです。この次にフォレストシンガーズの誰かに会ったら、頼んで読ませてもらいます。読みたくないところは片目をつぶって……いやいやいや、失礼しました。すみません」
 そのようなメールを書いて思い切って発信し、俺はまたまた後悔した。
 みずきさんはメールを読んだら怒るだろうか、笑うだろうか。「A girl meets a boy」の原稿を丸ごと送ってくれるのだろうか。もの書きの発想なんぞはすべてがすべて、俺には謎だった。

END
 
 



 
 



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