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小説131(悲しきあこがれ)

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フォレストシンガーズストーリィ131

「悲しきあこがれ」


1

どんっと俺にぶつかってきて、肩を怒らせて怒った顔で睨みつけてきた男。彼の顔に見覚えがあった。
「金、貸して」
 低い声が俺に似ている。この声にも覚えがある。いつ、どこで、彼に会ったのだったか。
「よお、金、貸せよ」
「きみに金を貸す理由はないんだけどね」
「あんたのせいだよ。あんたのせいで俺は……」
「俺のせい?」
 憎しみがこもっているとさえ見える目で俺を睨む彼の顔……いつかどこかで、たしかに会っている。いつどこで会ったのかが思い出せなくて、思い出したくて、俺は彼を落ち着かせようとした。
 街中でぶつかってきた彼を、ひとまずはどこかに連れていかなくてはならない。どこに連れていこうか? 彼が誰なのかを知りたくて、ふたりきりになれる場所は、と考えていたら思いついた。駐車場に止めてある俺の車だ。
「きみがなにを言いたいのかよくわからないんだけど、話をしないか」
「あんたはどうせ、俺なんか忘れちまったんだろ。え? 本庄さん」
「俺が本庄だって知ってるんだね。俺もきみを知ってるような気がするんだ。車に乗らないか」
 年齢はどのくらいだろう。俺よりは若いのだろうとしかわからない。背丈は俺程度で、顔立ちは凡庸。俺にしても同様なのだが、目立たない普通の若い男だ。彼が曖昧にうなずいたので、俺は彼を駐車場へと導いていった。
「なんて名前?」
「テツロー」
「テツローくん……名前にも聞き覚えがあるな。乗って」
 車に乗り込むと、俺は尋ねた。
「俺のせいできみがどうにかなって、だから、俺がきみに金を貸すのか? どういう意味?」
「あんたって人がいいんだな。変わってないね」
「変わってって……どこかで会ったんだね。いつ?」
「会ってなんかいなくったって、フォレストシンガーズの本庄繁之ってけっこう有名だろ。ファンだったらあんたが人がいいってのも知ってるんじゃないの?」
「きみは俺たちのファンの方? それだけ?」
 その質問には返答せずに、テツローは言った。
「高校なんかつまらなくて、やめたくて、やめたってどうにもならないと思って、だけど、学校はさぼってたんだよ。六年ぐらい前だったな。学校をさぼってラジオを聴いて、俺はベースヴォーカリストになりたいと思うようになった。俺の声って低いだろ。低い声の男はコーラスグループでベースマンになれるんだって、あのころは売れてなかったあんたのことを知って、そう思うようになったんだよ。だからって、そんなもんには簡単にはなれないんだよな」
 この話も、どこかで聞いた記憶がある。けれど、まだ思い出せなかった。
「俺はあのころから作詞や作曲をやってたよ。俺が書いた歌を歌ったら、おまえだったらプロになれるって言ってくれた人がいたんだ。ベースヴォーカリストじゃなくても、シンガーソングライターになれる。もっと磨いて努力して、コンテストを受けろって言われたんだ」
「俺たちもそうして……」
「あんたの話しなんか聞いてねえんだよ」
 鋭く遮って、テツローは続けた。
「だからさ、俺は歌を書いて歌ったよ。高校を卒業してからコンテストを受けた。だけど、そんなもんにはちっとも合格しなかったんだよ」
 まあね、運ってのもあるからね、と口の中で言うと、テツローはいっそう鋭い目つきで俺を睨みつけた。
「シンガーソングライターになりたいなんて、親は馬鹿げた夢だって言う。大学に行くつもりがないんだったら働けって言われたよ。フリーターなんかやってちゃ駄目だって言われて、父さんが見つけてくれた会社の正社員になった。でも、俺はシンガーソングライターになりたいんだ。捨てられないから、仕事を真面目にやらずに歌を書いたり歌ったりしてる。コンテストだのなんだので有休はみんな使っちまって、休みが足りないから欠勤もして、がんばっててもまるっきりコンテストになんか受からない。これ以上欠勤するようだったらクビだぞ、って上司には言われるし、遅刻や欠勤や早退が多いからって、他の奴らよりもボーナスは少ないし、給料だってカットされるんだ。あんたのせいだろうが」
「どうしてそれが俺のせい?」
「あんたたちが俺をその気にさせて、なのに、なんの責任も取ってくれなかったんだろ。無責任なことを言うから、俺の人生は狂っちまったんだよ」
「あんたたちって、俺と誰?」
「フォレストシンガーズのリーダーだよ」
「きみがプロになれるって言ったのは、本橋さん?」
 本橋さんの名前を口にしたら、そこからつながって思い出した。
 そう、あれは六年前、独身だった俺が仕事帰りにメシを食って帰ろうとしていたら、声をかけてきた少年がいた。彼の名はテツロー。俺に弟子にしてくれと言い、俺は困り果て、本橋さんに助けを求めた。
 テツローを俺のアパートに連れてきて、本橋さんにも来てもらい、説得してもらったのだったか。細部はよく覚えていないが、たしかにあのとき、本橋さんはテツローに、おまえの歌唱力と才能があればプロになれる、と言った。
 あの少年がこの男か。あれから六年たっているのだったら、テツローは二十三、四歳になっているのだろう。彼の中では、俺の人生を狂わせたのは本橋と本庄だ、となっている。俺たちのせいなんかじゃない、とは言えなくて、俺は言った。
「思い出したよ。俺の弟子にしろって言ったテツローくんだね」
「へえ、覚えてるんだ」
「まだ遅くはないだろ。これからだってまだまだ……」
「もう無理だよ。そんな気はなくなっちまった」
「そしたら、まともにサラリーマンとして働いたらいいんじゃないのか。勤務態度がよくなったら、給料だってちゃんともらえるだろ」
「人ごとだと思って、あのときも今も、無責任に言ってくれるよな」
 あのときの俺はひたすらに困りっぱなしだったのも思い出した。そして、今の俺もひたすらに困っていた。
「フリーターやってたころにいっぺんだけ、コンテストに出た俺の歌に目をつけてくれた歌手がいたんだ。ベテランの男の歌手だよ。ノブ・日高」
「日高さんは知ってるよ」
 以前に共演したこともあり、本橋さんや乾さんと喧嘩になったこともあるシンガーだ。日高さんは往年の大スターポジションではあるが、時にはライヴをやったりもする。フォレストシンガーズは彼には嫌われているのかと思っていたが、過去のいざこざは根に持たないのか、たまに会っても忘れたような顔をしているので、俺たちもなんにもなかった顔をして接していた。
「日高さんに認められたのか」
「認められたってのかさ、ライヴでバックコーラスやらないかって言われて、正式におまえの歌を聴きたいから、スタジオに来いって言われたんだ」
「認められたんじゃないか」
「そうじゃなくて、テストだろ」
 テストだとしても、認めてもいない者に声はかけないはずだ。
「で、行ったよ、俺。そういうところからプロのシンガーになれるかもしれないんだから、やだって言えるわけないもんな」
「行ったらどうなった?」
「遅刻したから怒られた」
「なんで遅刻なんかした?」
「寝坊」
 章みたいな奴だな、と呆れていると、テツローは言った。
「がんがん怒られて、でも、もう一度だけチャンスをやるから、明日も来いって言われて、なのに、次の日も寝坊して遅刻したんだ。朝が早かったんだもん」
「早かったにしても……それでよく、サラリーマンがつとまるよな。で?」
「二度目は切られた」
「当然だろうな。きみがサラリーマンになっても遅刻欠勤が多いってのは、コンテストに出るためだけじゃないだろ」
「そうでもないけどね」
 性格が基本的にぐうたらなのではないか。まったく、昔の章みたいな奴だ。
「その性格じゃ、プロのシンガーになるってのもな……」
「プロのシンガーに性格は関係あるの?」
「あるよ。仕事に遅刻するなんてのはシンガー以前に、社会人として失格だろ。俺たちだってアマチュアのころから、時間厳守は鉄則だったよ。練習時間に遅刻しても、先輩に叱られた。殴られだってした。当たり前なんだ」
 叱られたのも殴られたのも章であって、俺は大幅な遅刻はしたことがないのだが、ここにはいない章の話はしたくないので、俺の話しとして語った。
「遅刻して叱られて殴られて、ふてくされてさ、アマチュアだってそんな奴はどうしようもないんだよ。ましてプロになったら、時間も守れない奴は最低だろうが。回りの人たちにどれだけ迷惑をかけるかわかるだろ」
「説教なんか聞きたくねえんだよ」
「それは本橋さんや俺のせいではなくて、きみの根性のせいだよ」
 ふんっだと鼻を鳴らすテツローを見ていると、俺が昔の乾さんになったようで気恥ずかしい。フォレストシンガーズでも説教なんてものは俺の役割ではないのだから、若い奴にしていると恥ずかしいのだ。
「さっきさ、歩いてたらあんたを見かけた。こいつは俺の人生を狂わせた奴だって思って、文句を言ってやろうと思ったのもあるんだよ。それもあるんだけど、なんだかなつかしいのもあったんだ。本庄さんっていい人だよな。うん、安心したよ」
「金を借りたいわけじゃなくて?」
「貸してくれる?」
「仕事をクビになったんじゃないんだろ」
「クビになったんだったら貸してくれるのかよ」
 すこしだけだったら、と言いたかったのだが、甘やかしてはいけない。六年前にも本橋さんに、おまえは甘い、というようなことを言われたのだから、今回も金を貸せば俺が叱られるだろう。
「クビにはなってないよ。クビになりそうな心配はあるけどね。俺はさ……あれからもずっとフォレストシンガーズを聴いてたんだ。俺は本庄さんみたいにも、あんたたちのうちの他の誰かみたいにもなれないのかなぁ、って。俺のほうがあんたたちよりかっこいいのにさ。だろ?」
「似たようなものではないのかと……」
「俺のほうがあんたよりは見た目はかっこいいよ」
「若いってだけはかっこいいかもしれないな」
 因縁をつけたいというのもあったらしいが、俺と話したかったのか。金を貸せ、も本心ではなかったようだ。テツローは車のドアを開けた。
「まあ、俺ももうちょっとがんばってみるか。仕事もやって歌も書くって、めっちゃ疲れるけど、夢を捨てたら生きてる張りもないもんな」
「うん、がんばれよ」
 それしか言えないでいる俺に、ドアを開けて外に出たテツローは、複雑そうな瞳を向けた。それきり黙って歩いていったテツローの背中はつっぱってとんがっていて、実際、若いころの章を思い出させた。
 六年前といえば俺は二十六歳で、恭子と知り合ったばかりだった。フォレストシンガーズとしては初のラジオのレギュラー番組「FSの朝までミュージック」。現在ではその番組は終了していて、夕方の「FSのトワイライトビートボックス」がレギュラー番組になっている。
 ビートボックスは週に一度、黄昏どきに我々のうちの誰かがひとり、ふたり、ランダムに出演するのだが、朝までミュージックはふたりずつが週に一度ずつ、都合、週に三回フォレストシンガーズが出演する形だった。
 本橋さんと乾さん、幸生と章がペアになり、俺はあぶれた。五人なのだからひとりあぷれるのはよくあることで、俺は局が選んでくれたテニス選手の川上恭子とペアになった。
 あの番組がなかったとしたら、三十二歳の俺はいまだ独身だったかもしれない。普通の恋もできずに、もてないシゲのまんまで生きていただろうか。今でももてはしないけれど、もてなくてもいいと思えるようになったのは、恭子のおかげだ。
 いや、もてなくてもいいのではなくて、もてないんだから仕方ないし、と完全に割り切れるようになった。現在の俺がもてたりしたら、家庭争議の火種のもとではないか。
 そうして知り合った恭子と相思相愛の恋をし、恋人になって婚約者になって結婚した。それから五年、息子も生まれた。俺はこんなに幸せでいいのだろうか、と思い、テツローを思うと、幸せすぎて悪いな、となったりもしなくもなく。
 テツローと知り合った当時と比較すれば、俺たちの境遇はずいぶんと変わった。一番の重大事は、なんたってちょっとは売れたこと。他のなにもかもは些事、雑事である、と言っては言いすぎだろうが、売れたということは、仕事の面ではなによりも嬉しい。
 俺にしてみれば、私生活は些事、雑事ではないのだが、大局的に考えれば小さなことばかりだ。そうは言っても小さな人間である俺は、そんなことどもに悩み続けて生きてきた。
 大変にもてる仲間たちをうらやんだりやっかんだり。正直に言えば、結婚していたって親父になっていたって、男なんてものはもてたいのであって、過去を振り返ってももてない俺ばかりが見えて、くらーくなったりもするのである。
 もてないなんてのは最大些事なのでいいのだが、他にも俺を暗くさせるできごとは数限りなくあった。
 ただいまは本橋さん以外の三人が独身であるということについて、彼らは大丈夫だろうか、と考えたりする。戻ってきたヒデの将来も、妻や息子の将来を考えたりもする。ヒデとフォレストシンガーズと家庭は同等に大切で、妻と息子はある意味、俺とは一心異体で。
 家庭はしばしどけておくとして、フォレストシンガーズはデビューしてから近く十周年を迎える。十周年……たいした長さではないような、ものすごく長いような。
 本橋さんと乾さんが二十四歳、俺が二十三歳、幸生と章が二十二歳の年にデビューした俺たちが十周年。大人のつもりではいても実はまったくの子供だった俺たちが、全員三十路になったとは、時の流れはなんと速いのだろうか。
 振り返れば猛スピードで飛び去ったかに思える十年は、ありふれた言い方をすれば、長いようで短いようで、短いようで長い年月だった。
 悲しい恋や切ない恋をした。失恋ばっかりしていた。どうしても売れなくて、本橋さんと乾さんは社長に説教ばかりされていて、それでも、社長は俺たちに見切りはつけないでいてくれた。社長もマネージャーの美江子さんも、俺たちのために努力や苦労をしてくれた。
 無数の人々が俺たちに協力してくれた。そのおかげで俺たちは成功への階段を上り続けてこられた。俺たち五人の努力に加えて、協力してくれた方々のおかげだ。その方たちひとりひとりに、俺は感謝を捧げたい。
 まだ成功への階段ははるかに続いていて、そこを一生、上り続けていきたい。今後も壁や障害があったとしても、五人と協力者たちの力があれば、切り崩していける。
 仕事も家庭も充実している俺は、幸せの絶頂期? 絶頂だなんて考えていてはいけない。ピークなんてない。今後ももっともっとと、貪欲にならねば。けれど、幸せになれた俺たちが踏みつけてきた人々もいるのか。
 転落していった人々の屍を乗り越えて、俺たちは成功しつつある? そんなふうには考えたくはないけれど、きっとそんなことも……テツローくんを踏みつけにした覚えはないけれど、俺たちの知らないところにもそんな人が……?
 
 
2

翌日は休日だったのだが、息子を連れた妻が里帰りしているので、家にいるとむしろ寂しい。妻子が留守だとたまにはひとりでのーんびり、と考えるときもあるにはあるが、今日はそんな気分になれないので、午後になってからスタジオに出かけていった。
 大衆食堂で適当に昼メシを食い、フォレストシンガーズ専用スタジオに足を踏み入れる。事務所が借りてくれているスタジオではあるが、俺たちのスタジオだ。
「俺は乾隆也専用スタジオってのを持ちたいな」
 昔、乾さんがそう言っていて、個人の専用スタジオなんてものは俺には発想外だったので驚いた。今でも乾さんはそう思っているのだろうか。買うとしたらいったいいかほどかかるものなのだろうか。そんなことを考えつつ、俺は窓辺に寄った。特になにをするつもりでもなくスタジオに来たので、空気の入れ替えでもしようかと思ったのだ。
 だが、窓を開けようとした手が止まった。スタジオの裏手に面した窓の外から、本橋さんと乾さんの声が聞こえてきたのだった。
「やめちまおうかな」
 言ったのは乾さんで、本橋さんも言った。
「やめろやめろ。やめちまえ」
「まあ、やめるつもりになったら簡単なんだよな」
「そうだろ。やめればいいんだよ。悩むほどのことでもないじゃないか。やめろやめろ」
「長年やってることをやめたとしたら、俺の人生はどう変化するんだろ」
「うーん、そうだなぁ」
 やけにしみじみした調子の本橋さんの声を、これ以上聞いていたくなくて、俺は窓辺から離れた。やめる? 乾さんの声も寂しげで、まさかまさかまさかまさか、でいっぱいになってしまったのだ。
「そんな……そんな相談?」
 そのような兆候は俺はまったく感じてもいなかったが、俺が鈍感だからなのかもしれない。いつだっていつだって、ほのめかされたり匂わされたり、それとなく言われたり、なんとなくの雰囲気でだったりでは、俺は仲間の心にすら気づかない。恭子の気持ちにさえも気づかない場合が間々ある。
 休日だというのに、リーダーと乾さんがふたりそろってスタジオに来て、やめちまえ、簡単だ、との相談は、乾さんが脱退? いやだ。そんなのいやだーっ!!
 できるものならばあそこに割り込んでいって叫びたい。でも、それが乾さんの決断だとして、本橋さんがそれを承諾し、ふたりの間では話し合いがついているのだとしたら。実は幸生も章も知っていて、俺だけが知らないのだとすれば。
 近頃は俺たちにも個別の仕事が増えている。売れてもきているから、五人そろって行動することは少なくなった。誰かがフォレストシンガーズから離れていく、それこそが前兆だったのか。
 まさかまさか、乾さんが脱退するからといって、フォレストシンガーズ解散とまでは? 本橋さんの声がさばさばしていたのは、本橋さんもそこまで決断しているからなのか。だとしたら、俺も受け入れるしかないのか。
 泣きたくなってきた。叫んだって泣いたってどうにもならないのだとしても、悲しすぎる。長崎の実家に遊びにいっている恭子に電話をかけるわけにもいかないし、恭子がいなくてよかったのか、悪かったのか。
 恭子がいたとしたら、俺は彼女にぶちまけて荒れてしまうだろうか。こんな経験ははじめてだから、おのれがどう行動するのかもわからない。わからないのだから、恭子はいなくてよかったのだろう。恭子に告げるのは、本橋さんが正式に発表してくれてからだ。
 こんな経験ははじめて……いや、そうでもない。ヒデがいなくなってしまったあの日も……またしてもこんな経験をしなくてはいけないのか。悲しすぎて切なすぎて、俺はどうしていいのやらわからない。
 抑えていないとぎゃーーーっ!! とばかりに絶叫してしまいそうで、俺はくちびるを噛んでスタジオから出ていった。

「忘れていた街の空
 見上げた時あこがれが
 この心を満たした 鳥のように
 心は大空を飛び立つ
 どこへ行く

 あなたがいるあの街へ
 急いでいくこの心
 街を離れ山越え
 川を渡り行くのさ
 遠い街めざして飛んでいく」

 乾さんひとりがいなくなるのだとしても悲しすぎるけれど、もしや、解散という事態になったとしたら……まとまりもしない考えに浸っていると、こんな歌が浮かんできた。
 テツローが書いて歌ってくれた歌は、「憧れ」というタイトルだったか。この歌は「悲しきあこがれ」だ。憧れがかなわなかった歌なのだろうか。俺の夢はかないつつあったのに、中途で砕けて散ってしまうのか。
 ひとりぼっちになってしまった俺が空を見上げて、心だけがあなたのいる街へと飛んでいく。そのあなたは、本橋さんや乾さんや幸生や章。恭子と広大はいてくれても、フォレストシンガーズの仲間たちがいなくなったら、ある意味、俺はひとりぼっちだ。
 そんなのいやだ、いやだいやだいやだ。どれだけいやだと叫んでみても、俺のちっぽけな想いはみんなには届かないのか。人が決断してしまった事柄は、他人には覆せない。俺は仲間たちにとっては他人。
 恋人なんかいなくても、若いころの俺が元気に生きてこられたのは、フォレストシンガーズのおかげだ。フォレストシンガーズがなかったとしたら、俺はテツローのような男になっていたかもしれない。
 どうにかして……どうにもならない……いやだ、いやだ、いやだ……だけど、俺がいやだと言ったって……どうにかしたい……どうにもならない……どうにかどうにかどうにか……そんな言葉がひたすらに、俺のうちで巡り巡っていた。
 ひとりでいては気持ちが底の底まで沈んでしまう。誰かにすがりたい。本橋さんや乾さんとは今は話したくない。幸生や章も知っていて言ってくれなかったのだとしたら、会いたくない。ヒデには言いたくない。
 学生時代の先輩も後輩も、フォレストシンガーズとは親しいのだから、そういった人々には言えない。それを言うべき人物は本橋さんなのだから。
 では、誰にすがろうか。スタジオから出て歩き続けていても、すがるべき相手が思い浮かばない。フォレストシンガーズとは一切無関係の友人ってやつが、俺にはいないのか。高校時代以前の友達とは疎遠も疎遠になってしまっているので、考えても考えてもいないのだ。
 ちらほらと浮かぶ名前の相手は、連絡先を知らない。こんなときには……そうだ。大学に行こう。大学に行っても誰とも話しもできないかもしれないけれど、気持ちは落ち着くかもしれない。キャンパスでひとりでじっくり考えよう。
 そう決めて電車とバスを乗り継いで、大学まで行った。キャンパスには昔の俺たちのような学生が歩いている。若い彼や彼女たちは、人生の入り口に立って輝いているように見えた。
「ここ、いいかな」
 ベンチにすわっている青年に声をかけると、彼はうなずいてからバッグを探った。バッグから取り出したのは双眼鏡で、目に当てて樹木の梢を見ている。そうしながら言った。
「あの鳥、なんていう名前なんでしょうね」
「あそこにいる鳥? 俺にはよくは見えないけど、バードウォッチングってのをやってるの?」
「そうなんですよ。僕は野鳥研究会に入ってまして、サークル活動としては野山でやるんですけど、東京にだって珍しい鳥はいるんですよね」
「健康的でいいサークルだね」
「えーと、教授でいらっしゃいます?」
 学生には見えないだろうが、教授にも見えないだろうに。双眼鏡を目に当てたままの学生に、俺は言った。
「この大学の卒業生だよ。散歩してて入ってきたんだ」
「そうですか。煙草、よろしいですか」
「どうぞ」
 双眼鏡をはずして煙草をくわえた彼の目は、高い梢の小鳥から離れない。小鳥のほうへと煙が昇っていって、縄にでもして捕らえようとしているかに見えて、俺も一緒に小鳥と煙を見ていた。
「彼女がね、煙草なんてやめろって言うんですよ」
「やめたらいいじゃないか」
「でも、口さみしいときには吸いたくなるんですよ。先輩は吸わないんですか」
「吸わないよ。煙草なんて簡単にやめられるだろ。きみだったら喫煙歴だって短いんだろうに……ん? 簡単に、やめられる?」
 うっ、はっ、となって、俺はベンチから勢いよく立ち上がった。
「先輩、どうかしました?」
「いや、きみはちょっと待ってて。いやいや、待たなくてもいいんだよ。いや、あのね、あの……うん、確認してみよう」
 ベンチにすわり直して携帯電話を取り出し、本橋さんを呼び出した。
「どうした、シゲ?」
「あの、あのですね、前置きなしで質問したいんですけど、乾さんは禁煙するって言ってます?」
「ついさっき、そんな話をしてたよ。煙草なんて簡単にやめられるだろ、って俺が言ってるのに、長年の習慣をやめるとどうたらとか、つべこべ言って、でも、やっぱりやめようか、でも、やっばりやめたくない、ってなって、しばらくはやめない、だとさ。優柔不断だから結婚もできないんだよな、あいつは」
「……その話だったんですね」
「なにが?」
「スタジオの裏手で乾さんと本橋さんが話していたのは、やめるのは煙草なんですね」
「乾はやめないって言ってるけど、煙草をやめるのやめないのとは話してたよ。あーん? どうしてシゲが知ってるんだ?」
「どうしてでも……それだけですよね。やめるやめないは」
「他にやめるものがあるのか。酒か」
「酒はやめると……いえ、いいんです。詳しくは明日、話しますから」
 死にそうになるほどに安心して、死にそうになるほどに脱力して、俺はケータイを切った。バードウォッチング学生の姿は消えていたが、彼の喫煙のおかげで気づいたのだから、探しにいって礼を言いたいほどだ。
 しかし、そんなことをすると彼が不審がるだろう。ありがとう、と心で言うだけにとどめておいた。それにしてもそれにしても、俺はなんたる早とちり。
 確認してみようともしなかったのは、はっきり知るのが怖かったからだ。それにしてもそれにしても、なんだってああも負のスパイラルにはまり込んで、悪いほうへ悪いほうへと考えてしまったのだろうか。
 テツローと会って気分が暗くなっていたせいか。恭子と広大がいなくて寂しかったせいか。よくもあれだけ負、負、負となっていたものだ。バードウォッチング青年のおかげで脱出できて、本当に本当によかった。


 そのまた翌日、スタジオに行くと幸生がいた。本橋さんと乾さんの会話をどうして俺が知っていたのか、本橋さんに弁明しなくてはならないのだから、幸生の知恵を借りよう。俺は幸生にすべてを話すことにした。
「茶々を入れずに聞けよ」
「茶々を入れないって保証はできないけど、聞きますよ」
「昨日な、俺はスタジオに来たんだ。なんとなく来たんだよ。そしたら、乾さんと本橋さんも来てた。ふたりの会話を盗み聞きした格好になったんだけど、乾さんが言った。やめちまおうかな。本橋さんは言った。やめちまえ。なにをやめるんだと思う?」
「乾さんがやめるんだったら、煙草?」
 今日も俺は、死にそうになるほど脱力した。
「どうしたの、シゲさん? 乾さんが煙草をやめたら困るの? 困るのは俺じゃん」
「なんでおまえが困るんだ」
「非喫煙者の集団に、たったひとりの喫煙者って肩身が狭いもん」
「そうか。おまえも煙草を吸うから、すぐにわかったんだ」
「章にだってわかるんじゃない? シゲさん……なにをやめると思ったの?」
「言いたくないよ」
 すべてを話そうと思ってはいたのだが、幸生のあまりの察しの早さに言いたくなくなった。
「言いたくないことをやめると……他にやめることで言いたくないこと……なんだろうな。ちょっと待ってね。考えるから」
「考えなくていい。俺は待たないからな」
「待っててよぉ」
「待たないって言ってるだろ。それよりも、俺が本橋さんと乾さんの会話を盗み聞きしてたって、どうやって弁解したらいいんだ?」
「内緒にしておいたらいいんじゃない?」
「そうはできないんだよ」
「なんでなんで?」
 なんでなんでって……幸生と話していると、負ではなく変なスパイラルにはまりそうになる。そもそもは、俺がどうしてスタジオにいたのかということを弁解する必要があるのだから、なんとなく、で押し通して詫びればいいのだ。
「本橋さん、すみません。立ち聞きしてました」
 やってきた本橋さんに頭を下げると、本橋さんは言った。
「立ち聞きされて困る話しではなかったからいいんだけど、立ち聞きだけして帰ったのか?」
「はい、そうです」
「変な奴だな。声をかけたらいいんだろ」
「そうなんですけどね……」
 好奇心猫みたいな顔で聞いていた、幸生が言った。
「休みなのにリーダーと乾さんは、なんのためにスタジオに来てたんですか」
「乾も俺も暇だったから、編曲の話しをしようってだけだよ。ちょっと休憩だって乾が裏に出ていって、俺も行ってみたら、あいつは煙草に火をつけずにくわえてて、煙草ってのはやめたほうがいいんだろうけどな……だとかってうだうだぬかしやがって、シゲが聞いてたのはそこなんだろ」
「はい」
「ふむふむふむ。シゲさん、それはないからね」
 どこまで察したのか、幸生が言い、俺は無言でうなずき、本橋さんは首をひねっていた。
 やめるのはフォレストシンガーズ。俺がそんなふうに誤解したなんて、早とちりしたなんて、幸生が察していたのだとしてもいなかったのだとしても、口にする必要はない。そうではなかったのだから、早とちりだったことが心から嬉しかった。
「悲しきあこがれって歌を思い浮かべてたんだよ。全部は知らない歌なんだけど、自分の心境に似合ってるみたいな歌詞でさ……テツローも悲しくない憧れに……ってさ。俺はあのときは自分の気持ちしか考えてなかったけど、テツローにも……憧れって悲しかったらいけないよな」
「テツローって誰?」
 幸生はテツローを知らないのだった。本橋さんはいなくなっていて、俺はまたもや弁解した。
「いや、俺の知り合いだよ」
「テツローがどうかしたの?」
「どうもしなくはないんだけど、幸生、人間って無力だよな」
「はい、そうですが、シゲさんはなにを言いたいの?」
「わからん」
 人間は無力だなんて、ものごとを多少は知るようになった年頃には知っていたはずだ。なのに、この二日ばかりはそれを思い知らされた。思い知ってもどうにもならないことばかり、なのが人生か。
だからさ……テツローも……その言葉の先をどう続ければいいのかも考えつかないままに、俺は幸生に言った。
「おまえもがんばれよ」
「今日のシゲさん、変だね」
「おまえに言われたくないんだよ」
「八本足のタコタコタコ」
「耳タコってか? うん、とにかく、おまえもがんばれ」
「はい、がんばりますっ!! 乾さんが煙草をやめる日はあっても、フォレストシンガーズをやめちゃう日なんて来ないから、シゲさんもがんばってね」
 やはり気づいていたのか。まったく食えない奴だ。こんな食えない奴と俺は……その言葉の続きも浮かばなくて、俺は肩をすくめてみせた。


昨今はテレビの音楽番組自体が少なくなっているのだが、長寿歌番組というものはある。そんな番組で日高さんと共演した。
 日高さんを見ていると思い出す。むろんテツローも思い出すのだが、もうひとつ、いや、ふたつ、みっつと、日高さんにまつわる事件があったのだ。ひとつしか思い出したくないので、他方はどけておくとしたら、こんな出来事だった。
 我々がデビューしてから日が浅かったころに、函館のショーで日高さんと共演した。あのときには日高さんのバックコーラスは女の子たちで、そのうちのひとりに幸生と章が同時に恋をしたのだ。
 双方ともに敢えなくふられたのだそうで、どちらかを選ばれなくてよかったと、そんなことになったら、お互いに気まずいであろうと、俺は考えたものだった。どっちかってーと、選ばれるのは章のほうがいいかな、幸生のほうが打たれ強いもんな、とも考えていたような記憶がある。
 あの女の子の名前は覚えていないけれど、どこでどうしているのか。いつかどこかで会って触れ合って、それっきり二度と会わなかったひとも無数にいる。
 そんなことなども考えながら、録画取りが続いていく。歌番組ではあってもトークもあって、常のごとくに俺はお喋りはほとんどせずに、何人ものシンガーのトークを聞いていた。と、日高さんがいきなり言った。
「フォレストシンガーズが全然売れてなかったころに、仕事もないと言うんで、そんなら俺のバックコーラスをやってくれないかって、声をかけたことがあるんですよ。本庄、覚えてるか?」
「は? 俺ですか」
「そうだよ。忘れたのか」
 なんの意図があってこのようなことを言い出すのか。フォレストシンガーズの仲間たちはきょとんとしていて、日高さんは薄ら笑いを浮かべて言った。
「低い声の男性シンガーがほしくて、本庄に声をかけたんですよ。ところが、こいつときたら、約束の時間に来なくてね。二日連続で遅刻しやがった。本橋は聞いてないだろ」
「聞いてません」
 本橋さんは言い、司会者も言った。
「仕事をもらったのに遅刻したんですか。それはいけませんね、本庄さん」
「は……はい、すみません」
 そんな事実はないはずだが、日高さんが言っているのだから、俺はとりあえず詫びておいた。
「そんなだからフォレストシンガーズは売れないんだよな、ってさ。俺はそう思ったわけ。本庄、心を入れ替えたか?」
「えーと……はい」
「ちょっと待って下さいね」
 言ってくれたのは乾さんだった。
「このシーンはカットしてもらえると期待して言いますが、シゲにそのような仕事の依頼があったとは、我々はまったく知らないんですけど……リーダー、そうでしょ?」
「知りません。俺たちが知らないってのはおかしいよな。幸生や章の記憶にはあるか」
「ありません」
 幸生と章が声をそろえ、乾さんは言った。
「なんなんでしょうか、日高さん?」
「なんなのもこんなのもないだろ。事実だから言ってるんだよ。本庄に個人的に依頼したんだから、他の奴らは知らないだけだろ」
「日高さんは記憶が混乱しておられるのではありませんか」
 俺も言った。
「つい先日、ちょっとした知り合いの青年から、そんな話を聞きましたよ。日高さんにバックコーラスをやってほしいと言われて、指定の場所に出向いた。ところが、彼は二日連続で遅刻して、仕事ができなかったと。その彼じゃないんですか」
「声の低い男だったよ。おまえだろ」
「声の低い男は僕だけじゃありませんが……テツローくんって覚えておられませんか」
 カットしてくれるはずだ、と乾さんが言っているのだから、俺は実名を出した。他にもいるゲストは困り顔をしていて、本橋さんが言った。
「テツロー……どこかで聞いた名前だな」
「本橋さんの記憶にあるテツローくんですよ。そのテツローくんと、先日、偶然にも会ったんです。日高さんの記憶も彼でしょう? 僕はテツローくんからその話しを聞いてますし、テツローくんと僕には似たところがありますから、日高さんは混乱なさったんですよ」
「そうかなぁ」
 釈然としない様子ではあったが、日高さんは言った。
「だったらそういうことにしておけよ。ここはカットだな。別の話をしよう」
 大物シンガーである日高さんの言葉で、番組録画が再びスタートした。
「俺の記憶がまちがってるって言うんだったら、なんでおまえがあやまるんだ?」
 その後はごく尋常にトークが続き、録画取りが終了すると、日高さんに詰問された。
「あやまるのはおかしいじゃないか」
「テツローくんのかわりに、詫びさせていただきました」
「テツローっておまえのなんなんだ?」
「なんでもないんですけど、俺に似た青年ですから」
「変な奴だな」
 その場しのぎであやまってしまったのだが、テツローくんのかわりに詫びたといえなくもない。不機嫌な顔になった日高さんは去っていき、本橋さんがそばに寄ってきた。
「テツローって誰だっけ?」
「あのときには本橋さんにお世話になりました」
「俺が世話をしたのか?」
「はい」
「……わかんねえんだけど? 思い出せないんだけど?」
「いいんですよ」
 むこうのほうでは乾さんと幸生と章が固まって、本橋さんと俺をちらちら見ている。テツローと会った話をするべきか。すると本橋さんが怒りそうで、思い出さずにいてくれるほうがいいだろうと判断した。
「シゲがなにを考えてるのか読めないんだけど、あのおっさん、いまだに俺たちに遺恨があるのか」
「そんなこともありましたね。でも、そうでもないでしょ。記憶混乱ですよ」
「記憶が混乱するのは年のせいだな」
「聞こえますよ」
「聞こえてもいいとは言えないけど、シゲ……ほんとにおまえも変な奴だな」
「はい。変な奴です」 
 このところ何人もの人に「変な奴」呼ばわりされたけれど、俺は幸生ほどには変な奴ではないのだから、かまわない。変な奴ですませてもらったら、頭を絞らなくてすんでありがたい。変な奴であると利点もあるものなのだ。
「あのおっさんは……」
 ごくごく小声で、さっさと引退すりゃいいんだよ、と呟いたものの、本橋さんは俺の肩を叩いて歩み去った。

END






 
 
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