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小説129(I LOVE YOU)

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フォレストシンガーズストーリィ129

「I love you」


1

 丸っこい体格の中年男は、俺よりも背が高い。長身ではないが、シゲさんほどはあるから中背だろう。作家に身長なんて不要なんだから、俺に十センチ分けてほしい。
 タクシー乗り場で偶然にも会って相乗りしようとなって、ともにタクシーのバックシートにすわっている男は、みずき霧笛。シナリオライターであり、小説も書いている。俺にはシナリオも小説も似たようなものに思えるが、かなりちがうのだそうだ。
 年齢は五十ぐらいか。この年で生まれたばかりの双生児の父であって、奥さんは十も年下だそうで、このおっさんの奥さんなんだからたいして美人でもないだろうとは思うのだが、若い奥さんはうらやましいとも思う。
「みずきさんって音楽は好きなんですよね」
「好きですよ。僕はただ好きなだけですけど、聴くのは大好きです」
「小説にも歌がちらばめられてるから、好きなんだろうとは思ってましたよ。ジャンルは問わず?」
「ロックもフォークも好きです。中年ですから、古い歌が好きですね」
「俺は中年ではないけど、古いロックは好きですよ」
「僕は演歌なんかも好きですね」
「演歌かぁ……」
 演歌の話はしたくないので、ロックに誘導しようとしていると、みずきさんが言った。
「ちょっと、運転手さん、止めて下さい」
「こんなところで?」
 不満そうではあったものの、運転手がブレーキをかけると、みずきさんは俺に言った。
「木村さん、見えます? ほら、あそこ」
「人がいますね。高速を人間が歩いてたりしたら、跳ね飛ばしてくれって言ってるようなもんじゃん。乗せてやります?」
「そのほうがいいでしょうね」
 夜の高速道路を、ひとり歩いていく後姿は若い男だ。みずきさんに頼まれたドライバーが徐行運転でそいつに近寄っていって、窓から話しかけた。
「こんなところを歩いてちゃ駄目だろ。乗りなさい」
 痩せた男は振り向いてうなずき、助手席に乗ってきた。美人だったらよかったのになぁ、と俺は思ってしまい、彼との対応はみずきさんにおまかせした。
「どうしたんですか? 車が故障でもした?」
「そうじゃなくてね……」
 弱々しい声は震えているように聞こえる。車がスタートし、みずきさんは俺に救いを求める目を向けたが、知らんぷりした。
「……ええと……どこまで送りましょうか?」
「どこかで適当に降ろしてくれたらいいですよ」
「あなたのお宅は?」
「こうなったら帰れないもんな。どこでもいいよ」
「帰れない? 失礼ですが、泣いてます?」
「放っておいて」
 見たところは二十歳前後、未成年なのかもしれない。未成年だとしても男なのだから、泣いていたのだとしても放っておけばいい。どこかで降ろしてあとは知らない、でいいであろうに、みずきさんには作家の好奇心でもあるのか、さらに質問した。
「お金は持ってるんですか」
「なーんにも持ってないよ。捨てられたんだから」
「捨てられた?」
「僕さ、彼女の車に乗ってたんだよね。僕がちょっと気に入らないことを言ったからって、彼女が怒って、車から放り出されたの。だから、金もない。彼女の家で同棲してたんだから、帰る家もないんだ。そのうちには彼女の留守を狙って家に入って、目ぼしいものは奪い返してくるよ。それまでは野宿でもするさ」
「それはよくないでしょうが……うーむ、困ったな」
「あなたの家に連れていってくれるの?」
「僕の家には小さい赤ん坊がいますので……」
「じゃあ、ほっといて」
 聞いてはいるのだろうが、運転手は無言で車を走らせている。みずきさんの家に最初に行ってくれるように言ったのだから、車はそこに向かっている。こうしているとみずきさんの家に到着してしまう。俺はそれでもいいのだが、赤ん坊のいる家にこんな厄介者を連れてはいけないだろう。
 そうなると、その前にこいつをどこかで降ろすか。でないとみずきさんの家をすぎてしまえば、俺のマンションに連れていかなくてはならなくなるかもしれない。いやだ。美人だったらいいけれど、男なんか連れていきたくない。
 黙ってしまった男は、うつむいて泣いているようにも見える。泣き虫男ってのは俺の周囲に何人かいて、そういう奴らは大嫌いだ。俺のマンションで泣いていた何人かの男を思い出すと、怒りたくなる。女の子だったらまだしも。
「じゃあ、どこかで降りろよ。高速から降りた地点でいいだろ」
「木村さん、気の毒ですよ、彼が」
「助けてもらったってのに礼も言わない、名乗りもしない、礼儀知らずな奴なんて放っておきましょうよ。俺たちには関係ないんだから」
「それはそうですけど、どうしたらいいんですか」
「生命の危険のない場所で、捨てたらいいんですよ」
「木村さんって……」
「冷たいって? 俺から見るとみずきさんのほうが……」
「僕がなんですか?」
 情けをかけてやる必要もねえだろ、と言いたかったのだが言わずにおいて、俺は言った。
「いくつなんだかなんて名前なんだかも知らないけど、ガキでもないでしょ。おのれの才覚でどうにでもしますよ」
「乾さんや三沢さんや本橋さんや本庄さんだったら……」
「俺はそのうちの誰でもない。俺は木村章です」
「ずいぶんニヒルですね。木村さん主役のハードボイルドだったら書けそうですよ」
 ハードボイルドってのは、幸生がみずきさんにお願いしたから出てきている台詞だろう。プロのライターにも三沢幸生主役のハードボイルドは書けなかったらしいが、木村章主役だったら書ける? 俺は幸生よりはニヒルにもなれるけれど、体格は同じに近いのだから、書けるはずがないじゃないか。ちびのハードボイルドは絵にならない。
「木村、乾、三沢、本橋、本庄……」
 前の席の男が呟いた。
「ああ、木村さんってあの?」
「知ってるのか」
「知ってるよ。フォレストシンガーズだね。彼は木村さんの恋人?」
 冗談じゃねえよっ!! と叫びたくなった俺を押しとどめて、みずきさんが言った。
「恋人ではありませんが、知り合いですよ。僕には妻子がいますから」
「妻子がいたってさ……まあ、いいけど。そっか、フォレストシンガーズの木村章か。僕はテツシっていうんだ」
「俺と知り合い?」
「僕は乾さんだったら知ってるけど、彼は僕なんか覚えてないかもね」
 乾さんと知り合いなのか。だからといって、乾さんのマンションに連れていくってのも変か。乾さんはこいつを覚えていないかもしれない、ということは、知り合いといってもそれほどでもないのだろうし。
「木村さん、乾さんにお願いできませんか」
 みずきさんが言い、俺は乾さんにメールした。
「テツシって知ってますか? 彼女に捨てられたとか言ってるのを拾ったんだけど、乾さんを知ってるとテツシは言ってます。連れていっていいですか」
 お節介焼きでかっこつけの乾さんならば、知り合いなのだったら放っておけとは言わないであろう。メール発信をして数分後に、返信があった。
「テツシってミュージシャンふうの青年か? だとしたら彼かな。俺は自宅にいるから、連れてきていいよ」
 メールを見せると、ほっとした様子でみずきさんはうなずいた。
 自らの仕事をしている運転手は、先にタクシーをみずきさんの自宅前につけた。みずきさんはよろしくお願いしますと言い残して降りていき、俺は運転手に乾さんのマンションの住所を告げた。
「そこに行くんですね」
「行って下さい」
 ニヒルには徹し切れない俺は、こうやって見知らぬ奴やら、ほんのすこし関わりのある奴やら、関わりのありすぎる弟やらの世話を焼く羽目になる。弟は仕方がないにしても、なんだってこうなるのやら。
 その後は車の中は沈黙一色だった。カーラジオすらが沈黙している。こんなときには激しいビートのロックが聴きたい。俺はデジタルオーディオでハードロックを聴き、乾さんのマンションにつくまで黙っていた。
「ここだね。近いんだよね」
「……近いって?」
「いいんだ。僕はここから……」
「乾さんが連れてこいって言ってるんだよ。おまえには帰るところがないんだろ。来いよ」
「行くよ」
 タクシーを降り、エレベーターに乗り、乾さんの部屋の前に立ち、チャイムを押した。
「入れ。章、ご苦労。テツシくんってやっぱりあのテツシくんだったんだな」
「覚えててくれた?」
 背丈は乾さんと俺の中間程度。細さ具合は俺と同じか。頼りなげにふらふらしているテツシを促して、俺は乾さんの部屋に入った、
「なんかこう……妙な匂いがするな。近づくと感じるよ。乾さん、感じません?」
「……シンナーかな。かすかだけど匂うな。それでおまえは、田野倉さんに叱られたんだろ。だから部屋から追い出された?」
 ちがうともそうだともテツシは言わず、俺は言った。
「部屋から追い出されたんじゃなくて、車から捨てられたんだそうですよ。乾さんってテツシの彼女の名前を知ってるんですか」
「彼女ね……それはいいけど、車か」
 高速道路を歩いていたテツシの話をすると、乾さんは言った。
「車にしてもそうなんじゃないのか? シンナーなんか吸って気づかれて叱られて、おまえがどう反応したんだかは知らないけど、そんな奴は高速道路を歩いて頭を冷やせとでも言われたか。シンナーで酔ってる奴を高速に放り出すってのは、田野倉さんもちょっとひどいよな。田野倉さんなんだろ」
 テツシがうなずき、俺は言った。
「乾さんとテツシってどういう知り合い? こいつもミュージシャンなんですか」
「テツシの職業は知らないんだけど、そんな感じにも見えるだろ」
「見えなくはないかな」
 職業を知らないのに、テツシの彼女の名前は知っている。どんな知り合いだ。乾さんは詳しくは言ってくれずに、俺に尋ねた。
「シンナーを覚まさせるにはどうするんだ?」
「シンナーなんか吸ったことはないから、俺は知りません。疑ってるんですか」
「疑ってないよ。酒と同じでいいのか」
「知りませんよ」
「おまえのハートは男なのか?」
 今度はテツシに質問している。テツシは再びうなずき、乾さんは言った。
「来い」
 おまえの身体は男だけど、心はどうなんだ? かつては俺も乾さんに尋ねられた。いわゆる男らしくない男には、時たま乾さんはこんな質問をする。モモクリのクリにも質問していた。
 世の中には心が性別を裏切っている存在がいるからだとは、俺にも知識としてはある。テレビにはおねえキャラってやつがよく出ていて、あいつらは営業用なのではないかと思わなくもないが、中には本当にそうである奴もいるのだろう。
 身体は男でも心が女なのならば、男扱いしてはいけない。乾さんらしい思想だ。テツシはハートも男か。正直に言わない場合もあるだろうが、本人が男だと言っているのだったら、男扱いすると乾さんは決めたのか。
 へなっとしたタイプだから、こいつのハートは女なのかもしれない、と思ったのか。だから確認したのか。確認してどうするつもりだろう? 乾さんはテツシをどこかに連れていき、耳を澄ませていると、水音が聞こえてきた。
 脱がせてシャワーを浴びせて、シンナーの酔いを醒まさせているのか。徹底的にやらせるつもりで乾さんが見張っているのならば、心が女の子だったらまずいからか。まったく乾さんらしいやりようだ。
 あれでシンナーが抜けるのかどうか、経験のない俺は知らないが、効果はあるだろう。俺は乾さんのCDコレクションを眺めて、ふたりが戻ってくるのを待っていた。乾さんの部屋にもロックが増えていて、妙に嬉しかった。
「冷たいよ。風邪を引くだろ」
「あったかいシャワーじゃ醒めないだろ。正気に戻ったか」
「もとから正気だよ」
「赤らんでるな。叩かれたか」
 シャワーはすませたようで、乾さんとテツシの会話が聞こえてきた。
「僕も……僕だって……プロになりたいんだよ。だけど、オーディションだの受けてみたって駄目なんだ。ケイさんは……自らの力で切り開けって言って……オーディションの情報なんかだったら教えてくれるけど、助けてはくれないんだよ」
「当然だろ」
「当然じゃないじゃないか。僕は……そのためにケイさんを好きになったんじゃないけど……こうなったら助けてくれたってよくない? 乾さんも言うの、甘えるなって?」
「当然だ」
 冷然とした乾さんの声と、涙まじりのテツシの声が聞こえる。ケイさんってのは田野倉さんの名前か。ケイコとでもいうのか。彼女も音楽関係者か。年上の彼女なのか。
「当然当然って……でも、僕は助けてほしい。ケイさんが助けてくれたら、オーディションだって……そうはしてくれないから、いっつも落ちるんだよ。このごろはそれで喧嘩になって、前にも僕はシンナーをやった。そのときに言われたんだ。今度やったら出て行かせるって」
「当然の台詞ばかりだな」
「またやったんだよ。今日はケイさんが僕を車で迎えにきてくれたから、その前にやってたんだよね。匂いと僕の態度で気づかれて叱られて、叩かれたのって車の中でだよ。そんでさ……」
「ケイさんが車を出した。おまえが言ったのか」
「言ったのは僕だよ。高速なのはもちろん知ってたけど、あんたなんか大嫌いだ、降ろせ、あんたとなんか別れるって」
「売り言葉に買い言葉か。そんなら出て行け、だな」
「よくわかるね」
 事情は俺にもわかった。そんなら叩かれるのも当然だろう。俺がもしもやったとしたら、リーダーにも乾さんにも殴られる。しかし、年上とはいえ、彼女というよりもお母さんかお姉さんみたいな恋人なのか。
 あの頼りないガキっぼいテツシにならば、そんな恋人も似合いなのかもしれないが、俺はいやだ。俺は彼女と殴り合いだったらしても、一方的に彼女に叱られて殴られるなんて、そんな女はいらない。俺を叱るのは先輩たちだけでたくさんだ。
「で、帰らないのか?」
「……帰りたいよ。会いたいよ。僕はケイさんを愛してるんだもん」
「ごめんなさい、二度としませんって言えばいいだろ」
「三度目だから……許してもらえないよ」
「当然すぎるな。俺が田野倉さんだったとしても、殴りつけておっぽり出すよ。それしきですんだのはまだしもだったんじゃないのか」
「それしきじゃないでしょ。だけど、叩かれたっていいから……帰りたいよぉっ!!」
 この場にいるのが本橋さんだったら、泣くな、馬鹿野郎、であろう。俺もそう言いそうだが、乾さんは時と場合によっては言わない。俺が失恋して泣いていたのも、遠くから見ていてくれた。
 今夜もテツシに泣くなとは言わず、ひとりで俺のいる部屋に戻ってきた。乾さんは俺にもなにも言わずに、オーディオにCDをセットした。俺も黙って聴いていると、流れてきたのは春日弥生さんの歌。乾さんは弥生さんのCDアルバムを俺に手渡した。
「合わせて歌えって? 弥生さんのキーにも俺だったら合うだろうから、デュエットしましょうか」
「その前に、その曲の編曲ってのを見てみろ」
 編曲、田野倉ケイとある。この名前がテツシの言っていた、田野倉さん、ケイさん、なのだ。
「編曲家なんですね。弥生さんとは知り合いなのかな」
「かもしれないな。俺は知らなかったんだけど、頼まれて車で送っていったんだよ。田野倉さんのマンションはここから近くて、テツシも一緒に車に乗せて送っていったんだ」
 近い、とテツシが言ったのは、そういう意味だったのか。
「テツシよりはうんと年上の恋人?」
「田野倉さんは四十がらみに見えたよ」
「テツシは二十歳ぐらいですか」
「そんなもんかな」
 二十歳も年上の女か。俺は絶対に受け入れがたいが、年上趣味の男もいるのだろうから、本人たちがいいのだったらいいのだった。
「シンナーを吸ったテツシを叱って叩くとは、おふくろみたいな彼女ですね」
「おふくろは息子を高速で車から放り出したりしないよ」
「そこはほら、親子じゃないんだから、田野倉さんもかっとしたのかな」
「大人げないね。田野倉さんだってテツシを愛してるんだったら、放り出したりしないで家に連れて帰って、もっともっと叩いてやったっていいんだ。もっともっと叱ってやって、言い聞かせて、そうできないんだったら、そんなに年下の恋人とつきあう資格はないよ」
「うーん、そうなのかな。乾さんは田野倉さんの家も知ってるんでしょ」
「知ってるけど、連れていってやれって言うのか」
「連れていかなかったらどうするの? ここに置くんですか」
 泣いているのかすねているのか、テツシは姿をあらわさない。俺は帰ってもいいものだろうか。
「あのね、乾さん?」
「うん、あとは俺が引き受けるよ。すこしは知ってるカップルだ。送っていこうか」
「車で田野倉さんの家に行く前に、俺を送ってくれるんでしょ。テツシも乗せていくつもりでしょ。ほんと、乾さんって……」
「お節介でかっこつけだからな、俺は」
「先に言われたら言えないよ」
 かっこつけの部分には俺は腹を立ててばかりいたが、お節介部分にはたびたび救われた。今夜も乾さんはテツシを救ってやるのか。けっ、かっこつけ、と内心で呟いてから、テツシを呼びにいった。テツシはバスルームのドアにもたれて塩垂れていた。
「まだ泣いてるのか。おまえも帰れ」
「僕には帰るところがないんだよ」
「いいから車に乗れよ」
「乾さんの車?」
「そうだよ。乗れってば乗れ」
「うん……」
 自分よりも明らかに弱そうな相手にしか強く出られない章、とはシゲさんに言われて、ぐさぐさっと傷つけられた。テツシも弱そうだから言えるのだろうが、ひとこと言ってやりたくなった。
「礼ぐらい言えよな。おまえを拾ってやったのは誰だよ」
「みずきさんっておじさんだろ」
「俺もだよ。みずきさんには俺から言っておいてやるよ。おまえみたいな奴、リーダーにだったら殴られてるぞ」
「リーダーって本橋さん? あんたも殴られてるの?」
「俺の話しはしてねえだろ。おまえみたいな奴、そんなだから女にも殴られるんだよ。いくら彼女が年上だっていったって、ガキみたいに叱られて殴られるって、腹は立たないのか」
「あんたに腹が立つよ」
 言うが早いか、俺はテツシに殴られていた。頬に衝撃が来てたたらを踏んで、うげ、こいつ、力はあるんじゃん、と思ってしまって、殴り返せずにいると、乾さんがやってきて、無言でテツシを張り飛ばした。
「うっ……」
 テツシの手は右頬を押さえている。これも乾さん流のかっこつけだ。俺が殴り返してやりたかったのにぃ、でも、できないかな、負けるかな、と考えて、俺もしょげたい気分になった。


2

 調べればどんな女なのかは判明するのだろうが、二十歳も年下の恋人を持って可愛がって、いばってもいるのであろうおばさんの顔は見たくなかったので、調べずにいた。乾さんはあれからどうしたのか、話してくれなかったのだが、そっちは気になるので、数日後に仕事が早く終わったときに言ってみた。
「乾さん、酒、おごって」
「目当ては酒じゃねえんだろ。行くか」
 見通されているのは乾さんなのだから当たり前だ。ふたりで酒場に行くと、乾さんは言った。
「おまえを先に送っていってから、田野倉さんのマンションに行ったよ。車をマンションの前につけると、田野倉さんの部屋に灯りがついていた。テツシに言ってケータイで田野倉さんを呼び出させたら、出てきてくれたよ」
 泣きながら車から降りたテツシの左の頬を、田野倉さんも張り飛ばしたのだそうだ。テツシはいっそう泣いて田野倉さんの胸に飛び込み、田野倉さんはテツシを抱きしめて、乾さんに言ったのだそうだ。
「ご迷惑をおかけしました。後日、改めてお詫びに伺います」
 いえいえ、とかっこつけて、乾さんは車を出したのだそうだ。
「とことんかっこつけ」
「俺は格好つけてる気はないんだけど、おまえから見たらそうだろうな」
「しかし、そのシーンってのは男女がさかさまでしょ。そうでもないのかな。想像してても綺麗なシーンではありませんよね」
「男女がね……うん、綺麗ってわけでもないんだけど、愛し合ってるカップルだってのは理解できたよ。田野倉さんにとってのテツシは息子のようなものでもあるんだろ」
「それからどうしたんでしょうね」
「さあね」
「左右のほっぺたを腫らして、おばさんに抱かれて泣く美少年の図。やっぱおふくろと息子だよ」
「テツシは美少年ではあるよな」
 どうもなにかしら、乾さんの言葉には含みが感じられる。田野倉さんが若い女ではないからなのだろうか。年上ったって三十くらいの美女だったとしたら綺麗なカップルなのだが、一方がおばさんでは、俺はどうしてもげげっとなってしまうのだから、乾さんも同じ感覚なのかもしれない。
 木村章を殴ったから、乾隆也に殴られて、それもあって田野倉さんにもまたまた殴られたのかもしれないテツシが、泣いている姿を想像する。俺には母と息子にしか思えないけれど、シンナーなんて悪癖は、殴られてでも直してもらったほうがいいはずだ。
「乾さん、ケータイが鳴ってますよ」
 酒を飲み飲み仕事の話しなどもしていると、着メロが聞こえた。乾さんの着メロは今のところは「猫になりたい」だ。幸生が勝手にやったのだとは俺も知っている。俺の着メロも幸生のいたずらで同じ曲にされていたのだが、俺は変えた。乾さんは変えていないのだ。
「俺だったら気にしなくていいから、メールでしょ」
「うん。では、失礼」
 メールを見た乾さんは言った。
「テツシだよ。お詫びとお礼に、田野倉さんと一緒に俺んちに行ってもいいかって。あれからひどく叱られたらしいけど、仲直りもしたようだよ」
「会うんですか。俺はおばさんとは会いたくないから、乾さんはどうぞ」
「そのほうがいいかな」
 いつだったのかは知らないが、田野倉さんとテツシは乾さんに会って、ふたりがかりで詫びたり感謝したりしたのだろう。後日、乾さんは俺にはこう言った。
「木村さんにもよろしくお伝え下さい、って言われたよ」
「はい、伝わりましたよ」
 俺はテツシにも田野倉さんにも、別に会いたくはない。みずきさんにはメールで、一件落着しましたよ、と伝えておいたので、作家の好奇心で質問してきたとしたら、乾さんに聞いて下さいと言えばいい。
 それでその件は落着したのだが、他言無用ってわけでもないのだから、単独仕事でラジオに出演した日に、たまたま会った春日弥生さんに尋ねてみた。
「弥生さんのニューアルバム、聴きましたよ。アルバムの一曲目の「おぼろに溶けて」って曲は弥生さんの作詞作曲で、編曲は田野倉ケイさん。田野倉さんとは知り合いなんですよね」
「うん。知ってるよ」
 乾さんの部屋にあった弥生さんのアルバムは、俺にはあまり興味のないジャンルだった。ジャズにブルースにといったたぐいの曲は、聴いていて退屈だったのだが、「おぼろに溶けて」だけは気に入った。
 幸生にとっての春日弥生さんは、母のような女性だ。幸生と弥生さんが恋人同士じゃなくてよかった、恋人だったら田野倉さんとテツシのように……やだやだ。とはいうものの、幸生の母ならば俺にとっては友達の母なのだから、売り上げに貢献してあげようと、あれからCDも買ったのだった。
「あの歌、いいですよね。好きです」
「ロック好きの章くんにも好いてもらえたやなんて、うち、嬉しいわ。編曲がええってのもあるんやね。それで田野倉さんに興味があるん? 紹介しましょか」
「紹介はしてもらわなくてもいいんです。おばさんでしょ」
「おばさん?」
「おばあさん?」
 不思議そうに俺を見る弥生さんに言った。
「いや、あの、弥生さんの前で年の話しはいけませんね。いや、あの、にゃはにゃはは……」
「ユキちゃんの真似をしてごまかそうとしてるね。章くんやとにゃはにゃは言うてても、ユキちゃんほど無邪気っぽくは見えへんわ」
「俺は無邪気にはできてないんですよ。編曲は乾さんや本橋さんがするから、編曲家としての田野倉さんに興味があるわけでもなく……」
「そしたら田野倉さんのなにに興味があるの?」
「田野倉さんの恋人は知ってます?」
「私は田野倉さんのプライベートは知らんよ。そういう仲ではないからね」
「田野倉さんは既婚じゃないんでしょ」
「独身みたいやね」
 既婚の女が若い男を囲うのもなくはないのだろうが、そうではなくてよかった。関係もないのに俺は安心していた。
「弥生さんは知らないんだったら、田野倉さんの恋人の話しはしたらいけないんですよね」
「してはいけない話をしてはいけませんよ」
「はい」
 大先輩だから素直に従っておいたが、俺はどれほど年上であろうとも、女に叱責口調で言われるとむかつく。男にでもむかつくのだが、女に叱られるとなおさらむかつくから、美江子さんとも昔はよく喧嘩したのだろう。
「弥生さんから見ても、乾さんってかっこつけでしょ」
 そこで別の話題を振ると、弥生さんは笑って言った。
「そうやねぇ。かっこつけって言われたら……ええかっこしいって言われたら……うん、そうかもしれんわ」
「女性から見てもそうですよね。素の乾さんってのも演技してるんだよ。彼は俳優になったほうがよかったんじゃありません?」
「演技っていうか、それが素になってるんとちがう?」
 乾さんのかっこつけについて話していると、おばさんとでもこんな話しだったら楽しいんだと思えた。しかし、短時間だったらいいけれど、おばさんを通り越しそうな年頃の女性と長く話していたくない。適当に切り上げて、俺は言った。
「弥生さんは今日は東京泊まりですか」
「この近くのホテルよ」
「そしたら、お送りしなくても大丈夫ですよね」
「いやぁ、章くんがそんなん言うてくれるやなんて。章くんまでがかっこつけんでもええんよ。本心は知ってるんやからね。ひとりで帰れますえ。ありがとう」
 本心とは、この妖怪ばばあ、であろうか。顔に出ていたのか。乾さんのばあちゃんって、弥生さんみたいなひとだったのだろうか。うちの妖怪おばばがさ、と乾さんが話していたのも思い出し、顔で笑って心で舌を出して、俺は言った。
「では、失礼します。痴漢には気をつけてお帰り下さいね」
「この年になりますと、痴漢ではなく別の悪漢に気をつけんとあっかんのよ」
「……あのね、弥生さんこそ幸生の真似を……」
「私がユキちゃんの真似をしてるんとちゃうよ。生まれつき似てるんよ、彼と私は」
「あんな奴に似ているとは、弥生さんは気の毒ですね」
「気の毒とちゃうちゃう。そやからこそ、私は長生きできるやろうから、嬉しいわぁ」
 こたえないところも幸生に似ている弥生さんは、満面の笑みで手を振ってから、ラジオ局から出ていった。
「あっかん悪漢あっかーん。関西ギャグか。ついていけねえよ」
 ひとりごとを言うと、顔見知りのディレクターと目が合った。
「春日さんと田野倉さんの話をしてらっしゃいましたよね。田野倉さんがなにか?」
「石井さんは田野倉さんを知ってるんですか」
「知ってはいますよ」
 関係ないといえばまったく関係もないカップルなのに、気になるのは、テツシがミュージシャン志望で、オーディションに合格しないから自棄になって、シンナーに走ったというのが一番だった。俺もマリファナに走りそうになった記憶はあるから、感情移入しているのだろう。
 ミュージシャンとは言っても歌手なのか楽器なのか、乾さんは知らないと言っていた。歌であっても楽器であっても、ロックバンドにいた俺にはどちらであっても気になるのだ。
「田野倉さんの恋人は?」
「同棲してるみたいですね。木村さん、春日さんに言われてたでしょ」
「してはいけない話をしてはいけません、でしたよね。だけど、俺は知ってるんだからいいじゃないですか。テツシの志望してるミュージシャンってのはなんですか」
「それを知ったら、木村さんが力になってあげるんですか」
「できませんけど、知りたいだけだよ」
 しばしためらってから、石井ディレクターは言った。
「ギターみたいですね。ちょっと外に出ますか」
「ギターか」
 ありふれてはいるけれど、ギタリスト志望か。プロのギタリストになりたいという男などはありふれすぎているからこそ、容易には望みはかなわない。ギター人口が多すぎるのだから。
「彼もそうなんでしょうね」
 局の外の道路でギターを弾いて歌っている、ストリートミュージシャンをちらっと見て、石井さんは言った。
「テツシくんはロックバンドでギターを弾きたいと熱望してて、オーディションを受けたりもしているそうですよ。だけど、合格しないんですよね」
「俺たちもそうだったな。プロになりたくてコンテストを受けて、何度も不合格になってましたよ。田野倉さんは力になってやらないんですよね」
「田野倉さんにもそれほどの力はないんでしょうね。ああ、この歌……」
 ストリートミュージシャンが歌っているのは、「I love you」だった。

「I Love you 今だけは 悲しい歌 聞きたくないよ
 I Love you 逃れ 逃れ 辿り着いた この部屋
 何もかも許された恋じゃないから
 二人はまるで捨て猫みたい
 この部屋は落ち葉に埋もれた空き箱みたい
 だからおまえは子猫の様な鳴き声で 

 きしむベッドの上で 優しさを待ちより 
 きつく体 抱きしめあえば
 それから また二人は 目を閉じるよう
 悲しい歌に愛がしらけて しまわぬ様に」

 彼はギターも歌もなかなか達者であるのだが、こんなところで歌っているのだからアマチュアなのだろう。石井さんが言った。
「この歌を聴いてると、私は思ってたんですよ。許された恋ではないって、どんな障壁があるんだろうな。不倫かな」
「俺には兄と妹に聞こえてましたね。究極の障壁でしょ? 愛し合ったふたりが、実は兄と妹だった。遠くに離れて育った兄妹が、そうとは知らずに恋をしたんだ。この歌は兄の立場で歌ってる。歌詞からして俺にはそう聞こえますよ」
「このフレーズは……そうとも解釈できますね」
 石井さんが言い、ふたりで歌を聴いていた。

「I Love you 若すぎる 二人の愛には 触れられない 秘密がある
 I Love you 今の暮しの中では 辿り着けない
 ひとつに重なり 生きてゆく恋を
 夢見て 傷つくだけの二人だよ
 何度も 愛してるって聞く おまえは
 この愛なしでは 生きてさえ ゆけないと」

 ふたりの愛の触れられない秘密、兄妹、俺はそう解釈したのだが、石井さんは別の解釈を口にした。不倫、それからまたあるいは、と言った。
「同性愛ってのもあるでしょ。そこへ想いを至らせると、田野倉さんもテツシくんもつらいんだろうな。テツシくんはプロのギターリストになりたいって望みがかなわない上に、つらい恋をしていて、同情したくなるんですよ」
「同情はされたくないかもしれませんね。俺も昔は……」
 プロになれない以前に、ロックバンドを解散してぺちゃんこになっていたころを思い出す。けれど、俺は障壁のある恋はしていなかった。あれはつらい恋ではなくて、単にふられただけだ。そう思っていると、石井さんの台詞が意識にひっかかった。
「あの、田野倉さんっておばさんでしょ?」
「性別も知らなかったんですか。田野倉ケイさんはおじさんですよ」
「……うっ」
 おじさん、田野倉さんは男、このひとことですべてのピースがはまった。
 二十歳も年下の恋人を叱って殴って車から放り出す。男同士だったらありそうだ。乾さんのあの含みのありそうな言動も、弥生さんが不思議そうに、おばさん? と問い返したのも、テツシの言動も、一気に腑に落ちた。
 テツシは「彼女」と言ったけれど、「彼」なのだから、テツシとしてもおおっぴらには言えない恋なのだろう。なにもかもを知っていて、手を貸してやった乾さんも乾さんらしい。本橋さんやシゲさんだったら、気持ち悪いと言いそうだ。
 幸生はそうは言わないかな。俺だって、なんの関わりもないゲイは気色悪いんだけど、知ってしまうと言えないよ。どんな恋でも恋は恋なのだから。
「そうだったのか」
「そうなんですよ。木村さんだといやですか。いやと言うのかなんと言うか、関係ない?」
「いや……」
 目の当たりにはしたくないが、気持ちが悪いとも言いたくない。
 プロになれないって部分については、俺もテツシには甘えるなと言ってやりたいのだが、恋愛部分には同情の念も起こる。二十歳も年上のおじさんに恋をしているテツシ。それでもなんでも、I love youなのか。
 絶対に俺は落ちていかない恋の中で、もがいているのかもしれないテツシに、気持ち悪いんだよ、とは言わない。だったらなんと言ってやったらいいのか、思いつかないけれど、一応は小声で言っておいた。
「まあ、しっかりやれ、テツシ」
 それしか俺には言えなくて、それ以上はそのカップルについては、想像もできなかった。

END










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木村くんイイです!「ニヒルには徹し切れない俺は、こうやって見知らぬ奴やら~」のあたりが特にイイです
当然、乾くんはカッコイイですが、テツソくん・・・・男性に泣きつくなんて。。。
私だったら「メソメソすんなー!」って蹴り飛ばしているかもしれません。

Iloveyouを兄妹のことを歌ってるっと言うのは、まったく考えもしませんでした。
確かに、そう読み取れます。
木村くん、流石です!
尾崎豊本人はどう思っていたのでしょうか?

先日、外国人が日本のうたを歌う番組で、尾崎豊の曲を歌っている人がいました。
デビューできるんじゃないか?!っていうくらい上手で、その人ともう一人、
青春の影を歌った人が優勝しました。
また出場してくれることを祈ってます。

フォレストシンガーズがテレビに出てたら……ヨダレが出そうです。

ハルさんへ

ニヒルには徹し切れない……こういうウエットなところと、かっこつけても似合わないくせに妙にかっこつけたがるところは、著者本人と章は似ています。
ハルさんのご感想をいただいて、改めてそう思いました。ありがとうございます。

台北のファッションピルの前に、ストリートミュージシャンがいたのですね。彼がギターで弾いている曲……、あ、I LOVE YOUだー! という経験があります。

よそさまのサイトでもこの歌がちょっと話題になってまして、「犯罪者のカップルかも」とおっしゃっていた方がいました。なるほど、いろんな考え方がありますよね。

「許されない」「触れられぬ秘密」「若すぎるふたり」「おまえ」
このあたりのフレーズから、私は(章は)兄と妹かと連想したのですが、本人はなんだと設定していたのでしょうか、「許されぬふたり」全般を描いたのかとも思えます。
彼女がうーんと年下、教師と生徒なんてのも、今、ふっと思いました。

フォレストシンガーズがアニメになってテレビに出たりしたら?
親の私としては恥ずかしくて見てられなくて、きゃあきゃあ騒いで、それでいてしっかり録画して何度も見そうです。

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