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小説125(雨よふらないで)

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フォレストシンガーズストーリィ125

「雨よふらないで」


1

 シンガーやミュージシャンやプロデューサーや作曲家、我が母校からは音楽関係者が何人も出ているのだが、こんなところにもいるとは知らなかった。
 彼の名は大河内元気。俺が男子合唱部キャプテンだったころの一年生だ。俺よりは背が高いとはいうものの、やや小柄で平凡な顔立ちで、歌唱力でも他のなんでもとりたてて目立ちはしなかったから、俺の記憶からも薄れていた。
 そんな彼が音楽評論家になっていると知ったのは、ごく最近だった。評論家の名前はそれほどには表に出ないものであろうが、俺だって同じ業界にいるのだから、知らないとは恥だ。彼が合唱部にいたとは、他の四人は知らなくても当然なのだが、俺は知っていないといけない。
 インターネットで偶然にも発見した大河内元気の名前を検索して、俺の後輩だと調べがついたので、俺は彼にコンタクトを取った。
「三沢キャプテンですか。連絡して下さったとは嬉しいですよ」
「キャプテンじゃないんだけどね、今は俺はフォレストシンガーズの下っ端です」
「知ってますけど、会いたいな」
 学生時代にはダイちゃんと呼ばれていたのも、彼と電話で話していると思い出した。カフェで待ち合わせてビアレストランに席を移し、話していると、彼が言ったのだった。
「三沢さんってグループサウンズがお好きでしたよね」
「うん。ずっと好きだよ」
「フォレストシンガーズがGSカバーアルバムを出すって情報は、僕も聞いてますよ。三沢さんにはGS出身者の知り合いはいますか」
「いなくもないよ。もとGS、現別ジャンルのシンガーはいるもんな」
「評論家としての僕の大先輩の、秋月星氏は?」
「あの方もGS出身?」
 星と書いて「せい」と読む秋月さんの名前は知っている。団塊の世代であろうか。GSの人々にはその世代が多かった。評論家の方々の前身なんてものは、親しくもなかったら俺は知らない。しかし、秋月星氏がそうだと知って、その名前をGSの中から思い出そうと努力した。
 そのまんまの名前の人は、有名どころの中にはいなかったはずだ。秋月星がペンネームだとして、GS時代のステージネームと関連しているのだとしたら?
「秋葉星斗?」
「そうです。三沢さんは勘が鋭いんですよね」
「それほどでも……いやいや、俺は鋭いんだよ」
 謙遜は性に合わないのでいばっておいて、さらに考えた。
「セイト・アキバだよね。彼のいたグループは「スターマンズ」。秋葉さんの名前の星と、スーパースターのスターをひっかけたグループ名だろ。スターマンズのヴォーカル、ジュリーと張り合うスーパースターのセイト。スターマンズの最大ヒット曲の「スターライトラヴァーズ」って大好きだよ」
 当時は俺は生まれていないのだから、リアルタイムではむろん知らない。母がジュリーファンでレコードを持っていて、子供にもわりあいなじみやすかったからか、俺はガキのころからGSが好きだった。
 ジュリーファンの母はセイトをライバル視していたようで、スターマンズなんてイモなバンド名だと言っていたが、ザ・タイガースはどうなんだ?
 ネーミングはGSの場合はどれもこれも、さしてかっこよくはなかった。現在の俺の目から見ると、ルックスもかっこよくはないのだが、当時はきらびやかにかっこよかったのだろう。かっこよさも時代につれて変化するのだから、俺も来世紀にはかっこいい男と言ってもらえるかもしれない。
 二十二世紀の美青年、三沢幸生。俺がこの世から消えてしまってから生まれた女の子たちが、きゃあっ、ユキちゃんってかっこいい、と騒いでくれるだろうか。死んでからもててもどうしようもないけれど、そのためには後世に名を残さなくてはね。
「秋月さんは今でも時にはライヴハウスで歌ってるんですよ。一週間後にラフォフォラって店でミニライヴみたいのをやるんですって。行きますか、紹介させていただきますよ」
「うん。俺もスターマンズの歌を改めて聴いておくよ」
 最大のヒット曲はある。ファンも多かったはずだが、GSベストアルバムにはスターマンズの歌はおさめられていない。版権だかなんだかの理由か。俺はそこまでは知らないが、「GSレア曲アルバム」にならば「スターライトラヴァーズ」が収録されていた。
 ダイちゃんと約束してからうちに帰り、そのアルバムをかけた。GSははっきり言って、歌唱力はちょっと……ってのも多い。セイトくんも上手だとは言えない。この歌を発表してからだと四十年以上たっているのだから、円熟味が出てきているのだろうか。
 不安もちょっぴり抱きつつも、一週間後に「ラフォフォラ」とやらに行った。章がジギー時代に出演したと聞いているライヴハウスと一字ちがいだと思っていたら、一字ちがいではなかった。
「ちがうじゃん。ダイちゃん、そのまんまだろ」
「ラフォフォラじゃありませんでしたね。でも、それがなにか?」
「ロフォフォラだろ。ここには章がアマチュアロックバンド時代に出演していたって聞いたんだよ。こんなところにあったんだ」
「三沢さんも出演したんですか」
「俺はここには出てないけどね。入りましょうか」
 小さな店だ。ロックライヴだったらオールスタンディングだったのだろうか。今夜はテーブルも座席もあって、レトロな酒にしようと、ホッピーをオーダーした。
「ビールっぽくって焼酎っぽいんですね」
「ホッピーの焼酎割りだな。うまい?」
「僕は甘い酒のほうが好きですが……」
「甘い酒なんて男の酒じゃねえぜ」
「はい、すみません」
 単に俺が甘いのは嫌いだってだけだけどね、と舌を出しつつ、ダイちゃんとホッピーを飲んで学生時代の話をしていた。ダイちゃんは酒巻も加わっていたファイブボーイズの残り四名、知念、長嶺、岸本、椎名と同年なのだが、彼らとはつきあいはないと言っていた。
 改めて勉強してきていたので一発でわかる、「スターライトラヴァーズ」のイントロが聞こえ、秋月星氏がステージに登場した。当時のGSファッション、真紅のミリタリールックだ。痛いといえなくもない。
 もとセイト、現秋月さんは、痩せているのに腹だけがせり出した体型になっている。評論家としては名は売れているので、美食で腹ばかり太ってメタボになったのか。洋服の腹がはち切れそうに見える。
「スターライトラヴァーズ」を歌い終えると、秋月さんは気持ちよさそうにGSメドレーを歌いはじめた。「モナリザの微笑み」「キサナドゥの伝説」「ブルーシャトー」「スワンの涙」「エメラルドの伝説」などなど。
 GS好きの俺はみんな知っているけれど、若い客は知らないだろう。寒そうだ。秋月さんの歌唱力はむしろ衰えていて、歌も痛かった。
「ああ、秋風がしみる」
「ドアが開いてますか?」
「そうじゃなくてね、はい、静聴しましょうね」
 静聴はするけど、秋月さん、成長してなくない? 若造にはあるまじき生意気な台詞を胸のうちで呟きながらも、俺は知っている歌ばかりだったので楽しませてもらった。
「あー、今夜はどうもありがとう」
 ステージで秋月さんが言った。
「今夜はフォレストシンガーズの三沢幸生くんが来てくれているらしいんだ。僕の仕事仲間が連れてきてくれてるんだよ。三沢くん、いる?」
 先にダイちゃんが言っていたのか。呼ばれたのだから俺は立ち上がった。
「はい、三沢です。みなさん、こんばんは」
「いるんだね。こっちに来なさいよ」
「いえ、そんな僭越な……」
「僕はフォレストシンガーズって知らなかったんだけど、ダイちゃんに聞いたよ。ダイちゃんも来てくれてるんだね。ダイちゃんはいいから、三沢くん、来なさいよ」
「はい」
 そもそも少ない客は、秋月さんにも拍手をぱらぱら程度しかしていなかった。俺にも同様で、静かに飲みたいんだから邪魔すんな、と言われているような気がする。嬉しくない気分でステージに行くと、秋月さんに言われた。
「きみもシンガーなんだよね。ダイちゃんが言ってたよ。GS好きなんだろ。歌って」
「GSの歌ですか。ますますもって僭越ですから」
「いいから歌ってよ」
 命令されているのだから、歌うしかない。俺は秋月さんが歌わなかった「花の首飾り」を歌った。俺の声には合ったハイトーンで、伴奏は達者なのでうまく歌えたはずだが、秋月さんの機嫌がどんどん悪くなっていくのが感じ取れた。
 歌い終えて客席に向かってお辞儀をすると、秋月さんが顎をしゃくった。ひとことも言わずに、席に帰れと暗に示されている。お客さんの反応はきわめて乏しかったし、なんだかなぁ、昔に戻ったみたい、って気分になって、ダイちゃんがいる席に戻っていった。
「三沢さん、すみません」
「いいんだけどね……」
「三沢さんは歌が上手すぎるから……」
「ダイちゃんの言葉に癒されたよ。ありがとう」
 申し訳なさそうにしているダイちゃんに笑いかけはしたものの、来るんじゃなかったかな、歌えと言われても固辞すべきだったかな、とも思う。そう思うのも僭越なのだろうか、とも思ってしまう。
 グループサウンズが大隆盛だったころに、大スターだった人々ほどには、秋葉星斗の名は有名ではない。スターマンズは時の流れの中に埋もれて、ヒット曲もレア曲扱いされている。うちの母はセイトをジュリーのライバル視していたけれど、リアルタイムでは知らない俺でさえも、それほどの存在ではなかったのかと、だって、この歌唱力だもんな、と思うのだった。
 こうして失望させられるのだったら、来るんじゃなかったかも。俺はGSの歌が好きなのであって、昔にはファンだった往年の少女ではないのだから、失望もたいしたものでもないのかも。
 それよりも、俺が邪魔をしたせいで秋月さんの気分もよくなくなって、歌の精度までが落ちていっているようにも聞こえて、耐え難くなってきた。俺らしくもなくしゅんとした心持ちになってきたので、ダイちゃんに言った。
「用事を思い出したからお先に失礼するよ」
「……三沢さん、僕、かえって悪いことをしましたね」
「おまえのせいじゃないさ。今夜はありがとう。楽しかった」
 なーんか悲しいな、なんてしんみりしながらも、俺は外に出た。ダイちゃんは帰るわけにもいかないのだろうから、あとから秋月さんに挨拶にいって、なんだってあんな奴を連れてくるんだ、とでも言われたら気の毒だが、一緒に挨拶にいく気分にはなれなかった。
 外に出ると看板を見つめる。「ロフォフォラ」。章は十年も昔にこの店で演奏していたのか。俺はGSが流行していたころにタイムトラベルして、生で、ファンの女性たちの熱狂の中に身を置いてみたいと考えたことはある。
 秋月さんのせいでGS全体に失望したりはしない。俺は死ぬまでGSが好きだ。あの音楽が好きだ。けれど、たった今は十年前にタイムトラベルして、章の「ジギー」を見たい、聴きたい。店の外にたたずんで目を閉じると、GSの演奏だかジギーの演奏だか判然としない音と、女の子たちの嬌声が聞こえてくる気がした。
「……この音は? 雨か」
 突然の雨だ。雨宿りしようと「ロフォフォラ」の庇の下に身を隠す。降る雨を眺めていると、向かいの店先に女の子がいるのが見えた。
 雨が激しくなってくる。隠れていても濡れてしまうのに、向かいの店先にいる女の子が雨の中に飛び出していく。着ているワンピースがじきにぐっしょり濡れていって、水溜りに足を取られたのか、彼女は地べたにすわり込んでしまった。
 こんな状況で声をかけると、人の弱みにつけ込んでナンパしようっての、とばかりに怒られるかと思って遠慮していたのだが、こうなれば知らん顔はしていられない。俺も雨の中に走り出して、すわっている彼女に話しかけた。
「濡れすぎると身体に毒ですよ。俺はなんにもしないから、雨宿りしましょうよ」
 地面にすわって俺を見上げる彼女の顔は、どしゃぶりの雨の中に捨てられた子猫みたいだった。


 淡いブルーのワンピースが雨に濡れて身体に張り付いて、身体のラインをくっきりさせている。こんな際でもないのだったら、おー、いいプロポーションだなぁ、と感動して鑑賞させてもらったのだろうが、そんな場合ではない。
 彼女は俺の好みのタイプである。可愛い顔立ちで小柄でスリムで、若い。俺から見ると若すぎ感もあるのだが、若い女の子は好きだ。が、そんなことを気にしている場合でもないので、俺は彼女と手をつないで走って、どこへ連れていこうかと考えていた。
 ここまでびっしょびっしょの女の子なのだから、知り合いの店にするべきだ。シャワーを浴びさせてもらって、できれば着替えも貸してもらえる店。そんなのは近くにはない。このあたりは俺の行動範囲ではない。
 そうすると、俺の部屋? それでは思い切り下心……下心はないけれど、彼女はそう思うだろう。だったら、知り合いの家は? 女性の家、女性のいる家、ここからなるだけ近いところ。
 出会った瞬間から口をきいていない彼女の手を引いて、タクシーを捜して走っていく。雨は激しさを増すばかり。彼女はおとなしくついてくる。俺にしてもこの状況では喋っていられないので、ふたりして無言で走っていると、ようやくタクシーが拾えた。
「あなたは行きたいところはある? 帰る?」
 この質問が先だろう。俺が尋ねると、彼女は無言でかぶりを振った。タクシードライバーはシートが濡れるのをいやがっているのだろうが、乗せてはくれたのだから感謝していた。
「すみません。濡れた分はチップをはずむってことでいいですか」
「それはいいんだけど、どこに行くの?」
「えーとえーと……電話しますから、ここへ向かって下さい」
 とりあえず本橋さんに頼ろう。本橋さんか美江子さんが家にいてくれるようにと祈りながら、ケータイを取り出す。そのときはじめて、彼女が声を出した。
「あなたの名前はなんていうの?」
「えと、三沢幸生」
「三沢さん、あなたの家に連れていって」
「俺、ひとり暮らしだよ。俺は独身だけど、それでいいの?」
「それでいいの」
 濡れた服を着て震えている彼女を見ていると、いやだとは言えない。いやではない。俺には下心はないからね、と彼女にだか自分だかに言い訳しつつ、ドライバーには俺のマンションの住所を告げた。それっきり黙りっこくりっぱなしの数十分は、お喋りユキちゃんには少々苦しい時間だった。


2

 シャワーを浴びて俺のTシャツとショートパンツを身につけて、長い髪にドライヤーを当てている彼女は、愛子と名乗った。本名だか偽名だかは知らないが、まあ、どっちでもいいだろう。
 小柄な女の子だから、俺の普段着のSサイズTシャツもショートパンツも大きい。この部屋に女性を通すのははじめてではないものの、たいていはベッドインとなるとホテルに行くので、俺の服を着ている女性を見るのは珍しい経験だった。
 びしょ濡れ下着は乾燥機に入れてきたのか。下着まで俺のを貸すわけにもいかないのだから、彼女は素肌にTシャツとショートパンツを着ているのか。バストラインが……とよこしまな目で見そうになって、こら、幸生、隆也さんに叱られるわよ、と俺が俺を叱る。
 よこしまな目で愛子ちゃんを見そうになるのは男の幸生で、叱っているのは女のユキだから、女言葉でいいのである。こんなときには二重人格は便利なのである。愛子ちゃんがほとんど口をきいてくれないのもあって気詰まりで、俺は下らないことを考えて気を紛らわせていた。
 故意に本橋さんのジャケットを着てステージに出ていったり、でかいシゲさんの服を貸してもらったり、乾さんの部屋で彼の丈の長いジーンズを穿いてみて、乾さんってウェスト太い、と言っては、おまえが細すぎるんだ、と言われたり、そんな経験はある。
 女の子の服は普通は男には着られないから、恋人の服を着たことはないけれど、恋人が俺の服を着てるってのも、記憶にはない。華奢な女の子が男の服を着ている姿は色っぽくて、よるべない美少女にすら見えてしまって、俺の好色心を刺激するのは否めない。
 だけど、俺は彼女を抱きたくてここに連れてきたのではない。雨に濡れている捨て猫を保護したのだ。捨て猫とは彼女に失礼なのはわかっちゃいるが、そうとでも考えていないとこの手が、この腕が……であったからだ。
「寝る?」
 髪を乾かした彼女が、ベッドにすわって言った。
「ここに泊まるの?」
「泊めてくれないの?」
「身元調査をするつもりはないけど、きみ、いくつ?」
「二十歳」
「身分証明書は持ってる?」
「なんなのよ、それは。未成年と寝たらまずいから? 変に用心深いんだね」
 彼女は小さなバッグを持っている。そこから財布を出し、財布の中から運転免許証を出して、生年月日欄のみを見せてくれた。ってことは、偽名なのだろうか。姓を知られたくないのか。俺は生年月日を確認してから言った。
「二十歳ですね。だけどさ、俺はそんなつもりはないよ」
「嘘ばっかり。そんなつもりもないのに連れてくるわけないじゃん」
「きみが行きたいって言ったんでしょ」
「だって、私、行くところがないんだもん」
 口を開くとよく喋る子だ。俺はそのほうがいいので、文句はないのだが。
「家出少女? 二十歳だったら家出乙女?」
「なんだっていいけどさ、親父と喧嘩したんだよ。結婚するって決まってから、親父とは喧嘩ばかりしてるの」
「結婚ってきみが?」
「そうだよ」
 けろりんとうなずかないでほしい。結婚が決まっている女の子が、見も知らぬ男の部屋に泊まるだなんて、寝てもいいってそぶりを見せるだなんて、俺は女性というものに幻滅してしまいそうだ。
 いや、結婚前に別の男と寝て遊びおさめにするだとか、結婚してしまえば夫に縛られるのだから、その前に何人もの男と寝ておこうだとか、そういった思想の女性もいるらしい。いてもかまわないけれど、俺はそのための道具にされたくない。
「だったら、家出結婚前娘だね」
「家出ってほどじゃないんだけどさ」
「それだったら、彼の家にいけばいいんじゃない?」
「結婚式の日取りまでが決まったら、結婚したくなくなってきたの。結婚式をドタキャンしてやろうかな」
「……他に好きな男ができたって? それが俺?」
「三沢さんなんて別に好きじゃないよ」
「俺もそういう考え方の女の子は嫌いだよ」
 冷たい口調で言ってみても、愛子ちゃんはけろけろけろっと言い返した。
「嫌いでもいいじゃない。寝たくないんだったらひとりで寝るよ」
「なんにもしないで寝るの?」
「したいの?」
 したくなくはないが、うーむ、困った。
 逆ナン経験もナンパ経験もけっこう豊富な三沢幸生ではあるが、このシチュエーションは初だ。なんの後腐れもないのであれば、一夜限りのベッドでのおつきあいは大歓迎。しかし、軽はずみな行動を起こしていいものか。
 若いころだったらやったかもなぁ、と思ってみると、おまえなんか若いんじゃないか、若造が、ちぇっ、と舌打ちしている秋月さんの顔が脳裏に浮かぶ。若いったって三十はすぎたんですよ。大人になるって悲しいよね。
 ガキだった俺は大人になって分別もわきまえねばならない三十男になり、若かった秋月さんは初老になり、自然の摂理と言ってしまえばそれまでだけれど、大人になるのは悲しいのだった。
「だけど、愛子ちゃんはどうして雨宿りすらもせずに雨に濡れてたの?」
「あのときはなにもかもがいやになってたんだけど、三沢さんに会えてよかったよ」
「そうか……」
 ベッドに横たわって無邪気にも見える笑みを浮かべ、愛子ちゃんは目を閉じた。なんと言えばいいのか、言葉が浮かばないでいるうちに、可愛い寝息が聞こえはじめる。ほんとにきみは猫みたいだ。
 分別を持たなければいけない三十男は、その夜はひとり寂しく、ソファで眠ったのだった。


 仕事で会ってもみんなには愛子ちゃんの話をせずに、帰ったら彼女の姿は消えているのだろうと、それが当然なのだろうと思っていた。
 朝はベッドで眠ったままで、俺が出かける支度をしていても目を覚まさずに、俺も起こそうとはせずにいて、出がけにほっぺにキスしても、愛子ちゃんは起きなかった。行ってらっしゃい、とも言ってくれなかった。
 捨て猫を拾ったのさ。あいつは自由猫なんだから、勝手にまたどこかに行っちまうさ。これもハードボイルドな台詞かな、と苦笑しながら帰ってみると、愛子ちゃんはいた。
「ただいま」
 お帰りとも言ってくれないし、掃除をしてくれているでもなし、メシを作ってくれているでもない。それでも、女の子が俺の帰りを待ってくれていると、心に小さい灯がともる。これではハードボイルド男にはなれっこない。
 ハードボイルドだったらこんなときにはどうふるまうんだろう。いや、俺はそんな男ではないんだから、これでいい。
「メシ食った?」
「コンビニで買ってきて食べたよ」
「俺は外で食ってきたから」
「こんな時間だもんね。そりゃそうだね」
「着替えはなくてもいいの?」
「これでいいよ」
 今夜も愛子ちゃんは俺の服を着ている。そうしているとセクシーだね、と言ったら、抱きたくなる。色っぽい言葉は禁句にしよう。今日は一日、なにをしていたの? とも尋ねずに、俺は言った。
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
 帰宅したのは深夜なのだから、こんな時間から男と女がすることといえばひとつしかない。DVDでも見るなり音楽を聴くなりってのもあるけれど、ロマンを高めると危ない。彼女のほうはなんとも思っていなくても、俺はなんとも思っていなくないのだから。
 だけど、こんなことを続けていてなんになる? 家はないのではないのだから、帰らせるべきだ。だけど、そうは言えなくて、彼女がいてくれると嬉しくて、帰れよ、とは言えない。やっぱり捨て猫アイコだ。捨て猫だったらいたい場所に居ついて、いたくなくなったら出ていくだろう。
 そのつもりでその夜も俺はソファで寝た。なににつけても愛子ちゃんはなんとも思っていないらしく、ベッドで安らかに眠っていた。
 一週間ばかりは東京での仕事だったのだが、帰宅は深夜になる。帰るたびに愛子ちゃんがいて、一緒にメシを食うでもなく、意味のある話をするでもなく、おやすみと言い合って、彼女はベッドで、俺はソファで眠る。
 猫だってなじんできたら、俺のかたわらに寄り添ってきてくれるよ。甘えてきてくれるよ。ユキちゃん、好きよ、って態度で示してくれるよ。なのに、きみはずっとそんな? でも、そのほうがいいんだよね。なつかない猫も面白いのだから。
 近く結婚すると聞いているからか。愛子ちゃんは俺から見たら若すぎるからか。いろんな要素があるせいで、夜中に襲いかかろうって気にもなれなくて、そのくせ、一週間もたてば、帰れば愛子ちゃんがいるってことを楽しみにするようになっていった。
 楽しみにするというのは正しくない。捨て猫が家に居ついて、帰ればそいつがいるのが当然だと受け止めるようになる。その気分が近い。
 猫なんてものは愛想も愛嬌もないのが当たり前で、身勝手なときにだけ甘えにきて、ごはんちょうだーい、あたし、寒いの、ってすり寄ってくるだけだ。愛子ちゃんは自分でごはんは食べているのだし、金も持っているようだから、手がかからない分、猫よりも楽だ。
 最初の夜に話してからは、俺の帰宅が遅いのもあって、ろくろく話してもいない。けれど、夜中にふっと目覚めて近くに女の子の気配を感じ、寝息を聞いていて俺も眠りに戻っていく。そんな夜を幸せだと感じるようになっていった。
「幸生、今夜は早く終わったから、みんなで飲みにいくか」
 本橋さんに誘われた一週間後の夜に、俺は言った。
「久々で早く帰れるんだから、帰って寝ますよ」
「待ってるひとでもいるのか?」
 章が言い、乾さんがなにかしら気づいている目で俺を見る。愛子ちゃんの話は誰にもしていないのだから、いるわけないじゃん、と応じてみんなと別れた。
「けどさ……これでは枯れ切ったじいさんが、若い女の子と同居してそれだけで嬉しがってるみたいじゃん? 三沢幸生、おまえは枯れたのか? そんなはずないじゃん……いや、ただね、遅くまで仕事をしてると疲れてて、その気分にならないってか? 嘘だね。嘘だけど、そのほうがいいでしょ?あいつは猫だ。猫と寝るのはシンプルに寄り添って眠るってだけで、愛子ちゃんはそうもしてくれないけど、実は猫じゃなくて人間の女の子で……いやいやいや、あいつは猫だ」
 ぶつぶつ呟きながら帰宅したその夜、捨て猫の姿は消えていた。
「愛子ちゃん?」
 部屋の灯りをつけると、テーブルの上に手紙があった。

「母さんは気が弱くて、親父には無茶を言われても言い返せないの。親父はもとGSで、今でももてなくもないみたいで、浮気だってしてたみたい。母さんが言わないから私が言ってやって、そのせいで喧嘩になったりもした。でも、母さんに言われたの。
「愛子、お母さんはあなたがお父さんと喧嘩ばかりしているといたたまれないの。お願いだから仲直りして。今夜はお父さんがロフォフォラってお店でライヴをやるのよ。花束でも持って行ってやって。そしたらお父さんだって……」
「やだよ、そんなの」
 行きたくなかったから、私は別のところに遊びにいったんだ。
 結婚が決まっているって言ったのは嘘だけど、男だったらいるから、そいつと遊んでた。でも、私って喧嘩っ早いのかな。彼とも喧嘩になっちゃったんだ。ロフォフォラの近くの店でそいつと飲んでて喧嘩して、店から飛び出した。
 そいつは追っかけてもこなかったから、他の男に声をかけられてついていった。そっちの男は私と寝たかったんだよね。そんな感じで迫られたからそこからも逃げて、次の店、次の店ってさまよってたの。
 どこの店でも男が声をかけてきて、いやになって外に出て、また別の店に行って、そうしていたら、ロフォフォラの近くに戻ってた。そうしていたら雨が降ってきた。
 親父に会ったら助けてもらえる? そんなはずないでしょ。あいつは娘なんか気にしてないんだよ。自分のことばっかり考えてるの。助けてもらわなくても、声をかけてきた男からは逃げたら、追っかけてはこないしね。
 でも、雨に打たれてたらなにもかもがいやになってきた。それだけは、三沢さんに言ったことの中では本当のことだよ。三沢さんが声をかけてきたときには、メンドクサイからついていって、こいつと寝ちゃおって思ったんだ。
 雨に濡れて寒くなってたし、なにもかもいやな気分から、なにもかもどうでもいいって気分になって、三沢さんについていった。あとは知ってるよね。
 昼間はほうぼうにメールしてたんだ。親父にもしたよ。どこにいるんだ、帰ってこーい、って返信が届いた。私のことも気にしてるんだね。帰りたくなかったんだけど、帰ってやるとするか。帰ってまた親父と喧嘩してこよう。母さんも心配してるみたいだし。
 ねえ、三沢さん……三沢さんって……こんな男もいるんだな。三沢さんって、なんて書いたらいいんだかわからないけど、一週間、ありがとう。三沢さんのTシャツ、もらっていくね。気に入っちゃったんだもん」

 あのね、俺はこんな男じゃないんだけどね……手紙を読み終えての俺の感想は、まずはそれだった。するとつまり、愛子ちゃんは秋月さんの娘? 秋月さんの本名は秋葉だか秋月だか、別の姓だかも知らないのだが、運転免許証の姓を知られたらやばいと、愛子ちゃんは警戒したのだろうか。
 いなくなってくれてよかった。親の家に帰るという子供となんか、どうにかならなくてよかった。よかったと考えている心の隙間に、歌が聞こえてきた。あの夜、秋月さんが歌っていた歌を、俺も歌った。
 
「雨に咲いた恋の花は
 静かに散った
 会わずにいたかった
 短い恋の命

 雨に咲いた小さな恋は
 流れて消えた
 知らずにいたかった
 二人の愛のさだめ」

 なーにが恋だ、なーにが愛だ、さだめだ。あいつは捨て猫、一週間だけ我が家に居ついて、なつきもしないで出ていった捨て猫だ。出会った夜に雨がふっていたからといって、この歌もGSの歌だからといって、俺の気持ちには合ってもいない。
 俺の気持ちに合っているのは捨て猫の歌だ。「捨て猫」ってタイトルの既成の歌もあるけれど、俺が書きたい。書きたいと考え続けているくせに書けなかった猫の歌が、今度こそ書けるだろうか。俺は愛子ちゃんに恋をしていた?
 そんなはずないじゃん。抱いてもいない女に恋……そんな経験もなくはないけど、二度とそんな経験はしたくない。
 置手紙だなんてレトロなお土産は、GSのメンバーだった父親の娘にはふさわしい。俺は苦く笑った。この笑みはハードボイルド? なんて呟いてみて、手紙を破って捨てた。きみが本当に猫だったら、そうではなくて恋になっていたら……などと考えるから、俺はハードボイルドにはなれないのだ。

END



 
 
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~ Comment ~

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うわぁぁん(泣
すみません!本当にすみません!
先日頂いたコメントを消してしまいました・・・・・
間違って投稿した自分のを消そう思ったら、誤ってあかねさんから頂いたコメントを消してしましました。。。

本当にすみません!!!

あぁ、もう、やってはいけないことを・・・・・本当に本当にすみません。。

あぁ、でも有利はノーマルです、普通です。
斉藤さんは……設定を変えてしまいましょうか?(冗談です

イケメンの雑さを見ると「顔がイイからって何しても許されるとおもうなよ」って思います。
以前一緒に働いていた男の人が、一般的にモテ顔の人で、
いつも来るおばさんにいろいろもらってました。
私はどこがカッコイイのかわかりませんでしたが。

・・・・・・って、あかねさんのページに返信を書くことをお許しください。。

ちなみにあかねさんのお話は順番に読んでいます。
飛ばしちゃうとどこを読んでたかわからなくなってしまうので。

最近は「猫侍」を見て登場する猫をニヤニヤしてます!


阿部サダヲ張りに誤ります。


すみませんでした!!!

ハルさんへ

そうなんですか?
今度また、改めてコメントしにいきますね。
あまりお気を落とされませんように(^o^)

イケメンでも美人でも、好みってものが大きいですよね。
今どきハンサム俳優は、私なんかには、この顔のどこがいいの? だったり。
美人、綺麗といわれる女優さんが、どこが? だったりします。

若いころはわりと面食い傾向もありましたが、いまや、話していて楽しい相手がいちばんだと思えます。

斎藤さんには興味ありますよ。
彼はただの顔のいい男性ではなくて、底が深そう。私なんかは年だけ食ってて洞察力もなんにもありませんから、こんなひとと関わると怖いかも、とは思いますが、身近で観察してみたい人物ですね。

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