お遊び篇

お遊び篇4・混合編2(続・Transformation rhapsody)

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猫耳


お遊び篇4・混合編2

「続・Transformation rhapsody」


1・幸生

 山荘にはみゅうと隆也兄が残り、将一兄と僕は東京に帰ってきた。章くんたちも帰ってきた。みゅうがいないのは寂しいし、隆也兄はみゅうを女の子として好きなのだろうか。恋しているのだろうか、と考えると悩ましくはあるのだが、僕は隆也兄を信じている。
 彼の気持ちが恋心だとしても、立派な大人の隆也兄ちゃんは、まだ子供のみゅうを妹として扱って大切に可愛がるはずだ。それって源氏物語みたい? やっぱ僕って不利じゃん?
 ではあるのだが、隆也兄がみゅうを好きだと宣言したわけでもないし、あれは兄心だったのだとも考えられる。将一兄だってお兄ちゃんとしてみゅうに接しているのだから、今すぐどうこうではないだろう。
 丈人さんのはジョークだったのかもしれないし、真次郎さんは特別にみゅうについては言っていなかった。章くんだって本気だったのかどうかはわからない。僕自身の気持ちにしたって、今はまだよくはわからない。
 みゅうを取り巻く男が六人、みんなしてみゅうを好きなのはまちがいないけれど、今すぐにみゅうと結婚したがる男はいないはず。それともうひとつ、これ以上みゅうを好きになる男が出てきたとしても、隆也兄ちゃんがついていてくれるのだから守ってくれる。僕はそうとも信じていた。
 普通の人間の隆也兄には守れないようなタイプの男が、もしもみゅうを狙ったとしたら、そのときには丈人さんや真次郎さんに頼もう。強い強い知り合いができたのはいいことだろう。
 東京に帰ってきて、将一兄とふたり暮らしになると、すこしは寂しい。だけど、将一兄はいつだって僕のそばにいてくれるのだし、近所にひとつ年上の友達もできた。章くんが兄さんたちと暮らす家はそんなには近くはないのだが、中学生にだって遊びにいける距離だ。
「章くん、お正月には故郷に帰るの?」
「かったるい。帰らないよ」
「かったるいの? お父さんやお母さんには会いたくない?」
「別に会いたくないな。親父やおふくろってうるせえんだもん。兄貴たちは正月だって例の任務で忙しいから、帰らないって言ってる。俺も東京にいるよ」
「章くんって大人だね」
「おまえよりはな」
 親父、おふくろだって。うちの兄たちもふたりで話しているときには、親父がさ、おふくろがさ、と言うけれど、僕はそんなふうに両親を呼んだことはない。一度くらいは言ってみたかった。大人になった僕が、親父、おふくろって呼びかけたら……
 そんな想像をすると悲しくなる。死んでしまったひとを想ってもしようがない。泣いたりしたら章くんに軽蔑されそうだから、黙っていると、章くんはギターを抱えた。今日も僕は章くんが兄さんたちと暮らしているマンションに遊びにきていた。
「章くんはお正月には友達と遊ぶの?」
「誰とも約束はしてないよ。おまえはまた山荘に行くのか?」
「隆也兄ちゃんがみゅうを連れて帰ってくるわけにもいかないから、将一兄ちゃんがどうするか決めるんだろうな。年末年始って音楽家もいろいろとイベントなんかがあるみたいだから、お正月前には帰ってきたんだよ」
 クリスマスは山荘ですごし、その前後には兄たちはかわるがわる、東京に行ってイベントに出席していた。みゅうも一緒の四人のクリスマスは楽しかったな、と僕が思い出していると、章くんはギターを弾きながら言った。
「山荘に行かないんだったら、俺と遊びにいこうか。カウントダウンライヴなんかどう?」
「カウントダウンって夜でしょ」
「当然じゃん」
「そんなの、兄さんたちは行かせてくれる?」
「さあ……どう……」
 どうだろ、と言いかけたようなのだが、章くんはそこで言葉を切って言った。
「行きたかったら勝手に行くんだよ」
「高校生が夜のライヴに行ってもいいのかな」
「俺もまだそんなのって行ったことはないけど、中学生だって高校生だって大勢来てるよ」
「僕は……行かせてもらえないかも」
「おまえはそんなに兄ちゃんたちが怖いのか」
「怖くはないんだけどね」
 放任主義というか、章くんの兄さんたちは弟にあまり干渉はしないようだが、そこは中学生の僕と高校生の章くんの差か。兄さんたちの立場の差か。
 両親はちゃんといて、兄さんたちにとっては弟でしかない章くん。両親がいなくて、兄たちにとっては息子のようなものでもある僕。地球防衛軍の任務とやらいう、アニメみたいな仕事に忙しい、章くんの兄さんたち。仕事は忙しくても家にいる時間の多い僕の兄たち。
 さまざまな差があるからこそ、章くんと僕の立場もちがう。僕は兄たちにとっては息子のようなものなのだからこそ、躾もきびしい。
 夜には外出はしてはいけない、とは言われていないけれど、僕は夜中の外出なんかしたことはないのだから、今までは言われなかっただけか。言ってみたらどうなる? 駄目なものは駄目だ、の主義の兄たちは、きっと許してはくれないだろう。
 カウントダウンライヴって行ってみたいな。だけど、駄目だって言われるんだろうな。きびしいったって、本当は深く優しくてあたたかい兄ちゃんたちなんだもの。僕は兄ちゃんたちの言いつけを守らなくちゃ。
 小学生くらいまでは駄々をこねると叱られて、叱られるから兄ちゃんたちの言うことは聞かなくてはいけない、と思っていた。だけど、僕はもうちっちゃな子供ではないのだから、叱られなくても兄ちゃんたちの言いつけは守るんだ。
 うん、そうだよね。いけないことはいけないんだよ。僕が決心して顔を上げると、章くんは畳の上に寝そべって寝息を立てていた。
「章くん? 寝ちゃった? 寝てる章くんをほっといて帰ったらいけないかな。なんだか僕も眠くなってきたよ」
 しようがないので毛布を二枚持ってきた。寝てしまっている章くんに毛布をかけてあげて、僕も毛布にくるまって目を閉じると、夢の世界に入っていった。
 章くんと知り合ってから時々見る夢。女の子のアキラとユキの夢だ。そこにはアキラもユキも丈人さんも真次郎さんも、僕の兄ちゃんたちもいる。猫のみゅうもいて、みゅうは将一兄の膝で眠っていた。アキラは兄ちゃんたちに言っていた。
「大晦日のカウントダウンライヴだよ。ユキと行ってくるからね」
「ああ、いいけどさ、酒は飲むなよ」
 真次郎さんは言い、丈人さんは将一兄を見た。
「ユキも行かせてやるんですか」
「アキラが行くんだったらユキも行きたいんだろうな。高校生が夜中のライヴってのは……俺がついていくよ」
「お兄ちゃんが一緒なんてやだっ」
 反抗的にユキは言い、隆也兄も言った。
「高校生の女の子がふたりっきりで夜の外出なんて、行っていいはずがないんだよ。アキラも本当はいけないけど、兄さんたちは許してるんだし、将一兄さんって保護者がついていれば安心だろ。ユキ、そうしなさい」
「いやいや。アキラとふたりがいい」
「ふたりきりでは許さない」
 将一兄が言い、丈人さんはアキラに言った。
「アキラはそれでいいだろ?」
「大人がいるとつまんねえよ。ユキ、抵抗しろ」
「うん、抵抗する」
 まるでみゅうみたいに、ユキは兄ちゃんたちに反抗する。丈人さんも真次郎さんも、アキラとユキに言い聞かせようとする。隆也兄もユキにお説教をする。それでもアキラもユキも反抗して、とうとうアキラは丈人兄さんにどこかに連れていかれた。
「まったく聞き分けのない奴らだな。アキラは兄貴にまかせて、ユキは将一さんと隆也さんにまかせますよ。俺はみゅうと別室で……」
 猫のみゅうを抱き上げた真次郎さんもどこかに行ってしまい、ユキはお兄ちゃんたちを見上げた。
「ユキ、行くんだもん。アキラとふたりでライヴに行くの。行かせてくれないんだったら、ユキはお兄ちゃんたちなんか大嫌い!!」
「いい加減にしないとお仕置きだよ」
 とってもとっても怖い顔で、将一兄がユキを見る。隆也兄も眼を細めてユキを見る。その目に負けて、ユキは泣き出して、将一兄の胸にしがみついた。
「お仕置きはやだっ!! ユキ……はい、お兄ちゃん、言うこと聞きます。ごめんなさい」
「お仕置きされなくても泣くのか? 隆也、これって効果的だろ」
「そうなんでしょうけど、どうせ言ってるだけだろ、ってなめられますよ。たまには本当にお仕置きしたらどうですか」
「隆也お兄ちゃんったら、そんなことを言ったらやだっ!!」
 わはは、って兄ちゃんたちの笑い声。ユキは将一兄の胸に抱かれて泣いて、幸せな気持ちになっていく。そこで目が覚めた。
「……やっぱりそうだよね」
 ついさっきの章くんとの会話が、夢に出てきたのだろう。みゅうが兄たちに脅されているのも加わったか。アキラではなく章くんはまだ寝ている。僕がじっと見つめていると、章くんが目を開けた。
「ほにゃ?」
「章くん、夢を見た?」
「見たよ。俺もおまえも女の子だった。兄ちゃんたちにカウントダウンライヴに行きたいって言ってさ、俺は許してもらったんだけど、おまえは将一さんに駄目だって言われてた。それで反抗して、俺は丈人兄ちゃんにどっかに連れていかれたんだよな」
 同じだ。僕はなにも言えなくなって、ただ、章くんを見ていた。
「ライヴには将一さんがついてくるって言って、おまえも俺もやだって言って、俺は丈人兄ちゃんに言われたんだ。おまえが悪いんだろ、ユキが兄さんにきつく叱られたらおまえのせいだぞ、って。そんでさ……そのあたりで目が覚めたんだったかな」
「ユキはカウントライヴに行きたいなんて言わないもん。わがまま言ったらお兄ちゃんたちに叱られるの。怖いんだもん」
「なんか女っぽくねえか、おまえ?」
 僕は章くんの手を握り締めた。
「ユキもそんな夢を見たの。ほとんど同じだよ。どうしてなの?」
「同じ?」
 ふたりしてぞぞっとしたのは、僕の夢と章くんの夢がシンクロナイズして……そしてそれがなんなのか、さっぱり意味がわからなかったからだった。


2・章

 変身兄貴や変身猫のせいなのだろうか。幸生と俺は夢の国での変身なのだから、どうでもいいと言えばいいのだが、ほとんど同じ夢なのは解せない。
 その夜も俺は夢を見た。またまた女の子になる夢で、俺は学校をさぼって、丈人兄貴に見つかって怒られていた。
「俺たちはどうもおまえを甘やかしすぎたみたいだな」
「甘くないじゃん」
「甘いだろうが。将一さんや隆也さんは、ユキをきびしく躾けてるって聞いてるぞ。きびしいったって女の子なんだから、叩いたりはしないみたいだけど、叩かなくてもきびしい躾はできるんだよ」
「兄ちゃんたち、俺だったら叩くじゃないか」
「おまえを叩いたことなんかないだろ」
「……そうだっけ?」
 なかったかな? ほっぺただの頭だのを、きつくではなかったら殴られたのでは? と思ったのだが、いつ、どこで、なにをして殴られたのか、思い出させなかった。
「甘やかされてるからこそ、おまえは女の子らしくないんだ。俺だのおまえだの、モロに男言葉だの、高校生だったらまだいいけど、大人になってもそんなだったら、嫁のもらい手もありゃしないんだよ。その上に学校をサボった? 不良になりかけてるな。うーん、しかし、罰ったってな……おまえがこたえる罰ったら、殴るしか思いつかないよ」
 腕組みをした丈人は俺をじっと睨み、しばらくしてから言った。
「いい罰を思いつくまで、部屋に行ってろ。出てきたらひっぱたくぞ」
「……わかったよ」
 思い切りぶんむくれて、俺は兄貴の言いつけを聞いた。夢なのだから当然なのかもしれないが、俺の部屋にはユキもいた。
「おまえと一緒に学校をさぼったんだよな。おまえも兄ちゃんたちに怒られた?」
「うん」
「叩かれた?」
「叩かれないよ。お兄ちゃんたちはユキを叩いたりはしないの。だけど、お仕置きはされた」
「どんな?」
「漢籍」
「なんだ、それ?」
 漢字だらけの昔の本なのだそうだ。ユキの兄ちゃんたちは音楽家なのだが本も好きで、むずかしい本をたくさん持っているらしい。漢字ばかりの本を書き写す。それがユキが兄ちゃんたちから受けたお仕置きだったのだそうだ。
「漢籍を毎日一時間、書き写すの。国語の勉強にもなるし、心を落ち着けて反省もできるから、高校生にはとってもいいお仕置きなんだって」
「教師の罰みたいじゃん。ユキ、うちの兄ちゃんたちに言うなよな。アキラにもその罰を与えるなんて言われたら……それだったら殴られるほうがいいよ」
「そおお? 叩かれるよりいいんじゃない?」
「やだっ!!」
「アキラってば、やっぱり男の子みたい」
 俺は男だよっ、と言い切れなくて、俺は話題を変えた。
「なのに家を抜け出してきたりしたら、兄ちゃんたちに見つかったらもっと叱られるよ」
「そうかも。漢籍を書き写す時間が、毎日二時間に変わるかもね。ユキ、帰る」
「どうやって?」
 おまえまでが虫に変身するなよ、するなよするなよ、俺は強く念じていたのだが、ユキの姿が霞んでおぼろげになっていって、消えかけているところで目が覚めた。
 現実の俺は高校一年で、ユキではなく幸生は中学三年生だ。今は冬休みなので、学校をさぼるってのもない。だけど、俺もさぼりなんかしないでおこう。机の前で漢籍を書き写す、なんて罰はうちの兄貴たちには思いつかないだろうが、幸生の兄貴たちが知恵を授けたら大変だ。
 お仕置きってのはしなくても、言うだけでも効果はある、と幸生の兄ちゃんたちは言うそうだが、漢籍だったら俺も実際、想像しただけで恐ろしい。俺はほんとに、そんな罰だったら単純に殴られるほうがよっぽどいい。
 楽譜を毎日書き写す、ってんだったら楽しそうだが、そんなのは罰にはならないだろう。今日は朝から兄貴たちは出かけているようなので、いつもの荒っぽい起こされ方はしなくてすんだ。そのせいですでに昼前だが、ま、いい。どうせ暇なんだから。
 インスタントラーメンで昼メシにして、俺は幸生の家を訪ねていった。幸生も昨夜は俺と同じ夢を見たのだろうか。あいつと俺が夜毎、同じ夢を見ている? 女の子になる夢だけか? 夢のすべてを覚えてはいないが、女の子になる夢は強烈な印象だから、いくらかは覚えている。
 女の子の晶とユキの夢の中では、いつだってふたりともがいる。ふたりしてなにかしらやっては、兄ちゃんたちに怒られる。ユキはどこかしら娘が父ちゃんに叱られるように、俺は妹が兄ちゃんに怒られるように。
 夢の国では俺は、女の子の俺を受け入れている。最初は困惑しまくったのだが、夢のストーリィは進展しているのか。幸生は最初から女の子ユキを普通に受け入れたようだ。というのは、あいつは俺よりもガキで、俺は男、意識が弱いからなのか。
 幸生ってどっかしら女の子っぽいというか、あれもガキだからなのかな、未熟だからか、と一応は納得して、俺は幸生の家の前に立った。
 ここはかなり大きな家だ。彼らの山荘のある土地では、俺も幸生の兄さんたちに会った。みゅうにも会って、丈人がみゅうを口説いていたのにつられたようにして、俺はどう? とみゅうに言ったのだが、あれは丈人の邪魔をしたかったのが大部分だった。
 実体は猫で女に変身するなんて、うちの兄貴たちと同じなのか、あれよりはましなのか。どっちにしたって近い女を、俺の彼女になんかしたくない。女になったみゅうは小柄な美少女だが、俺は普通の人間なのだから、女の子も普通がいい。普通の美人がいい。
 とすると、虫に変身する丈人兄貴と、猫に変身するみゅうは似合いなのか。しかししかし、みゅうは幸生の大事な猫なのだから、あんな遊び人兄貴の女になったりしたら、幸生が気の毒ではないか。
 丈人が遊び人なのかどうか、はっきりとは知らないが、今も悪い男から女を救い出しては、その女に惚れられているのは事実だ。俺はそういうときには逃げると決めていて、そのあとで丈人と女がどうなったのかは知らないが、なにかやっているかもしれない。
 真次郎も悪い男から女を救い出してやっているのだが、そのあとで真次郎はぶすっとしている。ぶすっとしている真次郎は近寄りがたい雰囲気になるので、慣れない女には怖いのか。あまり惚れられりたりはしない。時にはあるのかもしれないが、俺は真次郎が女に恋されているシーンは見たことがない。
 なのだから、俺がそばにいても、真次郎は変な手段を用いようとはしない。女から逃げる必要があったとしても、真次郎だったら俺を可愛い坊やだなんて呼ばないだろう。真次郎は丈人ほどの遊び人ではなさそうなのは、顔のちがいか。
 女ってのは強くて背が高くて、顔もいい男が好きなのだろう。真次郎は顔が怖すぎる。今どきの女は肉食動物みたいな男は好きではないのだ。そしたら俺も、背は高くないし強くないにしても、顔は丈人似なのだから、これからもっともてるかな。
 背だってもっと伸びるはずだから、俺もきっともてもて美青年に成長するはず。そしたらやっぱりみゅうじゃなくて、普通の人間の美人の彼女ができるはず。
 長々と考えてそんな結論に達し、だったら、みゅうはいなくてもいいよな、となって、幸生たちの家のチャイムを押した。出てきたのは幸生の上の兄貴。将一さんだった。彼は丈人とはまったくちがったタイプの美青年、というよりも、三十を過ぎているのだから美中年か。
 中年には見えない引き締まった身体つきで、背丈は丈人程度だ。このおっさんももてるんだろうな、とは思うが、男の綺麗なのなんて気持ち悪い。丈人は兄貴だから見慣れちゃいるが、他人の美青年や美中年は敬遠したい。
「幸生は友達の家に行ったよ」
「ああ、そっか」
 よその大人には丁寧に喋れ、と今さらながら丈人に言われたのだが、俺は敬語なんて苦手だ。口の中で挨拶して逃げ出そうとしたら、将一さんが言った。
「ガールフレンドみたいだな」
「幸生にそんなのがいるの?」
「いるようだよ。章にはいないのか」
 そのアキラは、晶ではなく章だ。将一さんを見ていると、晶になってしまったような錯覚が起きる。それもあって俺はこのおっさんが苦手なのだろうか。
「生意気だな。中学生坊主のくせしやがって」
「生意気かな。幸生はじきに帰ってくるだろうから、中で待ってろよ。きみは俺たちの書いた曲や詞に興味があるんだろ」
 興味はあったのだが言い出せなくて、まだ見せてもらっていない。そう言われると気持ちが動いて、家の中に通されるままになった。
「昼メシは食ったのか」
「食ったけど……将一さんもメシ食うって言うんだね」
「男はそう言うだろ」
「うん、男だからね」
「育ち盛りの食欲旺盛時期なんだから、もっと食えるだろ。手製のピザがあるよ。俺は昼メシはまだだから、つきあえよ」
「手製?」
「隆也が作って冷凍していってくれたんだよ」
 隆也さんも女みたいなのかな? 料理が上手でも女みたいではないのか。料理のうまい兄貴がいるといいかもしれない。にしても、丈人か真次郎を隆也さんと取り替えてほしくはない。俺は上品な兄貴なんていらないのだ。
 幸生とはかなり親しくなったのだが、幸生の兄ちゃんたちとは深い話はしていない。将一さんはオーブンでピザを焼いてくれ、カフェオレを添えて出してくれた。
「うまそ」
 それだけ言って食おうとしたら、言われた。
「よその家で食うときくらいは、いただきます、って挨拶しろ」
「いいじゃん、そんなの」
「兄さんたちが許しているとはいえ、おまえは礼儀作法がよくないな」
「兄ちゃんたちだってあれだもん」
「おまえの兄さんたちとは多少は会話もしたが、するべきときには礼儀正しくできるんだよ。おまえだってこれからは大人の社会とも触れ合うんだろうから、状況をわきまえてふるまいなさい」
「丈人はできるかもしれないけど、真次郎にはできないよ」
「できるよ。章、口答えばかりしていないで、はいと言いなさい」
 なんだって俺がよその兄貴に命令されるんだ。ふっと、ユキとアキラが女の子だった夢の第一幕を思い出したのだが、むかついたのでそっぽを向いた。
「おまえにもお仕置きが必要なのか」
「やだからね、漢籍なんて」
「漢籍?」
「ああっと……なんでもない。あのさ、あんたは俺の兄貴じゃねえだろ。いばんなよ」
 あの夢の話は、俺は兄貴たちにはしていない。幸生もしていないはずなので、俺は別の話をして将一さんを睨み上げた。将一さんはふふっと笑って言った。
「ま、食おう」
「いらねえよ。帰る」
「ずいぶんと意地っ張りで反抗的なんだな。俺はおまえの兄貴じゃないけど、大人としての教育だったらする必要はあるかな」
「いらねえって言ってんだろ。俺をおまえと呼ぶな」
「幸生の友達のガキなんだから、おまえで十分だ」
「俺は幸生よりは大人だよ」
「幸生よりはな」
 余裕の態度で笑われて、いっそうむかついてくる。そのとき、幸生がダイニングルームに走り込んできた。
「章くん、なんか悪いことをしたの? そんで将一兄ちゃんに叱られた?」
「俺はなんにもしてねえよ」
「えー? 将一兄ちゃん?」
「うん、ま、食おう。幸生も食事はまだだろ。ピザをもう一枚焼こうな」
 将一さんは立って冷蔵庫のほうに行き、幸生は不安げに俺に尋ねた。
「なんだか変な雰囲気だったよ。章くんって行儀がよくないから、うちの兄ちゃんに叱られたんじゃないの?」
 その通りなのだが、認めるなんて悔しいので言いたくなかった。
「ごめんなさい、って言わなくちゃ」
「誰が。けっ」
「将一兄ちゃんにきつく叱られたら、すっごく怖いんだからね」
「よその兄貴なんか怖くねえんだよ。俺はおまえみたいな弱虫でもないし、女の子っぽくもないんだよっ」
「あの兄さんたちに鍛えられてるから? だけど、僕だって弱虫でも女の子でもないよっ!!」
 あれよあれよという間に、幸生と俺の喧嘩になった。頭に来たので俺は幸生を蹴飛ばし、幸生が俺に組みついてくる。ふたりして取っ組み合ってキッチンの床をころがっていると、俺が上になった瞬間、ジーンズの腰のあたりをぶらさげられて吊り上げられた。
「幸生」
 ぶらさげているのは当然、将一さんで、幸生をじろっとやってから、片手で幸生をもぶらさげた。げ、普通の人間のくせして、こいつも力は強いんじゃん、と思っていたら、そのままどこかへ運んでいかれた。
「食いものに被害が出るだろ。ここで話し合え。ここでだったら多少は取っ組み合ってもいいぞ」
 放り出されたのは庭の芝生の上。芝生だから投げられても痛くはなかったのだが、悔しくて悔しくて、けれど、こんなに力の強い男に飛びかかっても勝てるはずがない。俺がぶすくれていると、幸生は言った。
「将一兄ちゃん……ごめんなさい」
「おまえにも章みたいなちょっとばかり荒っぽい友達ができて、俺は嬉しいよ。ただし、章……あとにしようか」
「あとでもいらないよ」
 言った俺に笑い声を浴びせて、将一さんは庭のガラス戸を閉めてしまった。


3・幸生

 現実と関わりがない夢もあるのだが、このごろの僕は現実の続き、それでいてちがった夢を見る。ちがっているのはここだ。
「女の子同士で取っ組み合いなんかするんじゃないよ」
 カウントダウンライヴに行きたいと言って、許してもらえなかった夢も、学校をさぼった夢も、ユキでも幸生でも同じだっただろう。今回はユキはアキラと喧嘩をしたのだ。男の子同士だったら将一兄は僕たちをつまみ上げて、芝生にほっぽり出した。
 冬でも青々としている人工芝生の上にほっぽり出された章くんと僕に、将一兄は言った。ここでだったら多少は取っ組み合ってもいいよ、と。
 そのあとで章くんと僕は……というのは現実の話だから置いておいて、夢の中では女の子のユキは、将一兄の膝に抱っこされて、言い聞かされていた。
「顔をひっかいたりして傷が残ったら大変だろ。おまえの顔は可愛いんだから、怪我をしたら俺も悲しいよ。アキラだって可愛い顔をしてるんだ。可愛い妹の顔に怪我でもさせられたら、アキラの兄さんたちも悲しむよ。女の子は喧嘩するとしても、口でにしなさい」
「アキラがユキを蹴ったんだもん」
「あの子は女の子にしちゃあ、荒々しすぎるんだな。おまえは兄貴ふたりに育てられたにしては、女の子らしくお行儀もよく育ったよ。おませではあるけど、可愛い女の子になった。アキラに蹴られたりしたら、隆也か俺に言いつけにくればいいんだよ」
「告げ口は卑怯なんでしょ?」
「女の子はいいんだ。あのアキラと対抗しようとするには、おまえではか弱すぎるだろ。言いつけにおいで」
「……そしたら、お兄ちゃんはどうするの?」
 すこし考え込んでから、将一兄は微笑んで言った。
「アキラもユキと並んで、漢籍の書写をやれ、だな」
「アキラってそれが一番こたえるんだって」
「ほお、そうなのか。アキラの兄さんたちにも助言しようかな」
「内緒なんだった。アキラくんのお兄ちゃんたちに言わないでね」
「言わないよ。俺がアキラにお仕置きしてやるときに、そう言ってやろう」
「それも駄目。丈人さんや真次郎さんにばれちゃうよ」
「ああ、そうだな」
 大きな優しい手でユキの髪を撫でてくれて、お兄ちゃんは言った。
「アキラは丈人くんや真次郎くんの管轄だよ。俺はおまえだけの面倒を見ていればいいんだから」
「みゅうは?」
「みゅうは別だろ。ユキ、眠くなったか? ベッドに行こうか」
「うん。お兄ちゃん、喧嘩なんかしてごめんなさい」
「ああ、いい子だ」
 優しいな、お兄ちゃん、大好き。ユキはお兄ちゃんに抱かれてベッドに連れていかれる途中で、うっとりしていた。
 そりゃあね、弟の幸生にだってお兄ちゃんたちは優しいんだよ。章くんの兄さんたちほどではないにしても、ちょっとは荒っぽく扱われたりもするけれど、優しいったら優しいの。でも、女の子のユキには態度がちがうんだね。
 夢のユキに本物の幸生の意識が入り込む。夢の中では妹として、弟のときとはちがったふうに甘えられるのが嬉しい。夢なんだもの、いいじゃない、とユキも幸生も思う。
 そうしてベッドに連れていってもらい、布団の中に入れられて、おやすみ、ユキ、っておでこにキスをしてもらう。ユキもお兄ちゃんのほっぺにキスをして、もっとお話して、とおねだりをした。お兄ちゃんはベッドサイドにすわり、子守唄を歌ってくれるのだった。
「……んん?」
「お兄ちゃん、歌をやめたらやだ」
「ちょっと待て。妙な気配がするんだよ」
 立ち上がって窓から外を窺う兄。ユキもベッドに起き上がって胸を押さえていた。
「お兄ちゃん、痴漢?」
「痴漢ってのでもなさそうな……うわっ!!」
 自然に窓が開き、突風とともに大きな動物が飛び込んできた。人間? ユキは悲鳴も上げられなくなって、目を見開いてなにものかを見つめ、将一兄は言った。
「猫男か? みゅうと関係でもあるのか。ユキに手を触れるな」
 兄はユキをかばうように、ベッドに背中を向ける。ユキにはよく見えなくなった動物は、低い声で言った。
「ユキなんぞに関心はねえよ。みゅうって名前がついてるんだな」
「みゅうはあんたの?」
「あいつは俺のものだ。あいつが並みの猫じゃないのは知ってるんだろ。俺だってこの姿を見れば、並みの猫でも人間でもないのは当然だ。みゅうは俺たちの種族の女なんだよ。今は幼生で、並みの猫よりも成長は遅いんだけど、俺たちの種族の女なのはまちがいない。長く探しててやっと見つけた。ここではなく山荘にいるんだそうだな。あんたにも挨拶しておくつもりで、訪ねてきたんだよ」
「みゅうを連れていくのか」
「そのつもりだよ。あんたにはありがたい話じゃねえのか」
 いやだ、夢なんだから早く醒めて!! ユキはそう叫びたかったのだけど、声が出せないままに猫男の話を聞いていた。
「ユキやアキラが変身するってのは、月の満ち欠けが影響してるんだよ。みゅうにしても同じだ。人間だって俺たちの種族だって、女は月に影響を受けるんだ」
「みゅうが変身するのは知ってるけど、ユキは変身なんかしないぞ」
「してるよ。あんたが知らないだけだ。な、ユキ?」
 変身といったって、夢ででしょ? ユキはそう言いたかったのだが、依然として声は出せなかった。猫男はユキの顔を覗き込み、言った。
「可愛い娘だな。ここにはみゅうはいないんだから、こいつを連れていこうか」
「……絶対に許せない。その前に俺と闘え」
「ったってさ、あんたじゃ俺には勝ち目はねえよ」
「わかってるけど、黙ってユキを連れ去られるのを見ているわけにはいかないんだ。ユキ、逃げろ」
「だって……動けないよ」
 ようやく震え声は出たものの、ユキは身動きできない。猫男は銀白の毛並み。みゅうと同じだ。紺碧の瞳もみゅうと同じ。みゅうは猫のときは猫で、人間になると少女だが、猫男は半分が巨大な猫、半分は人間にも見える。ユキは必死で言った。
「将一お兄ちゃん、丈人さんと真次郎さんを呼ぼうよ」
「おまえが絶叫したら、彼らの耳にだったら届くだろうな。しかし、それでは俺の兄としての誇りが……誇りの問題ではないのか。ユキ、叫べ!!」
「うんっ!!」
 猫男は嘲笑的な表情で立っていて、ユキは喉も張り裂けんばかりの勢いで叫んだ。
「丈人さんっ!! 真次郎さんっ!! 化け物だよーっ!! ユキを助けてっ!! お兄ちゃんも助けてーーーっ!!!」
 ここは夢の国なのだか、リアル世界なのだか、もはやわけもわからない。隆也兄は留守なのだろうか、と思っていたら、ドアが開いて隆也兄が部屋に飛び込んできた。
「ユキ!!」
 無言で立っている猫男を見て驚愕の色は浮かべたものの、隆也兄は素早くユキに走り寄って抱き上げた。ユキは隆也兄にしがみついて、再び、三たび、叫んだ。
「丈人さんっ!! 真次郎さんっ!! 丈人さんっ!! 真次郎さんっ!! 来てっ!!」
 誰が来ようと平気だよ、とでも言いたいのか。猫男は平然と立っている。隆也兄は事情を知らないはずなのだが、ユキと一緒になって叫んだ。
「丈人!! 真次郎!! 来てくれっ!! 来いよーっ!!」
「隆也お兄ちゃん、このひと……って言うのかな。猫男なんだよ。みゅうの仲間なんだって」
「猫男ってのは見たらわかる気がするよ。ユキ、説明はあとで聞くから、おまえも叫べ」
「叫ぶ」
「俺も叫ぼうか。叫ぶしかないな」
 三人の声で夢中で絶叫していたら、やがて、ドアのむこうに虫の姿が見えた。黒い点が近づいてきて、赤と青の奇妙な形の虫が確認できると、ユキは安心のあまり泣き出した。虫たちが丈人さんと真次郎さんに変わり、隆也兄はユキをぎゅーっと抱きしめて言った。
「きみたちに頼りたくはないんだけど、この際はどうしようもないだろ。兄さん、ざっと説明してやって下さい」
「ああ。真次郎くん、丈人くん、頼むよ。こういうわけなんだ」
 先ほどの猫男の話を、将一兄が語る。猫男は無言で立っているばかりで、話を聞き終えると、丈人さんが言った。
「猫男か。みゅうがおまえの仲間だと言うんだったら、連れて帰るのはいいんだろうな。しかし、ユキまでは連れていかせない。真次郎、そっちに回れ」
「おう」
「じゃあ、アキラをくれるのか」
 せせら笑うように猫男が言い、真次郎さんが飛びかかった。
 隆也兄は将一兄に目で合図して、ユキを抱えて窓から庭に飛び出す。将一兄も続いて飛び出してきたので、ユキは言った。
「みゅうはどうしてるの?」
「車の中で寝てるんだよ。ユキに会いたいって言い出して、どうなだめても聞かなかったから、連れてきたんだ。ユキに会わせてやったらヒステリーもおさまるだろうから、会ったら引き返すつもりだった。兄さん、みゅうをあいつに渡すんですか」
「そうするしか仕方がないかな。あっちの立ち回りがすんだら話し合おう。アキラは大丈夫だろうか。猫男の仲間がアキラを襲撃していたりはしないのかな。ここは丈人と真次郎にまかせておけばいいんだろうけど、ユキ、アキラに電話しろ」
 寝室からは凄まじいほどの物音が聞こえている。そんな中で、ユキは隆也兄が持っていたケータイでアキラを呼び出した。
「うっせえな。俺は寝てたんだぞ。なんだってあんたが電話してくるんだよ」
「ケータイは隆也お兄ちゃんのだけど、電話してるのはユキだよ」
「声でわかるけどさ、なんか用か。眠いんだよ、俺は」
「ねぼすけアキラっ!! 怪しい気配はない?」
「……怪しい気配? 兄ちゃんたちはいないみたいだな。なんかあったのか?」
 寝ぼけ声がすこし変化し、アキラは狼狽しているように聞こえる。将一兄はユキの手から電話を取り上げた。
「将一だ。おまえをそこにひとりにしておくのは……だからといって、ここに来いと言うのも……今は何事も起きてないんだな? わかった。ちょっと待ってろ」
 ケータイを耳からはずし、将一兄は寝室に呼びかけた。
「丈人くんか真次郎くん、ひとりでも闘えるようだったら、アキラのところに帰ってやってくれ。アキラだって危険かもしれない。我が身ばかりを考えていて、アキラを気にしていなかったのは迂闊だったよ。今は無事でいるが、猫男の仲間がいるとも考えられるだろ」
「おい、おまえの仲間はいるのか」
 真次郎さんの声がし、猫男の声も聞こえた。
「いねえよ。俺は単身で乗り込んできたんだ。アキラって娘の顔も拝みたいけど、あとでいい。今はおまえたちとの闘いが……楽しいな。たまんねえぜ」
「だそうだから、アキラは大丈夫ですよっ!!」
 丈人さんの叫び声が聞こえ、こっちの三人はほっと息をついた。


4・章

 これは夢か現実か。俺は章なのか晶なのか。手で触れてみると胸がふくらんでいたので、女の子の晶だ。そうするとこれは夢だ。
 夢なのだから現実感なんてなくても当然なのだろうし、俺は以前に狼男を見ているのだし、猫娘のみゅうが変身するところも、幸生たちの山荘で一度は見た。慣れていてもいいはずだが、慣れられるものではない。俺はみゅうではない、猫女に魅入られていた。
「あっちにはあたしたちの種族の男が行ってるんだけど、どうやらあんたの兄ちゃんたちと闘ってるようだね。好きなんだから」
「好きって……闘いが?」
「あたしたちは本性は猫なんだよ。あんたたちが認識してる猫とまるっきり同じ。猫の男は喧嘩が大好きじゃないの?」
「そうみたいだね。そんでさ、あんたは俺をどうするつもり?」
「話がしたかっただけだよ。あんたは女の姿をしてるんだから、女のあたしが抱いてやるってわけにもいかないだろ。男の子だったら抱きたいけど、女同士はいやだね」
「俺もいやだよ」
 男だったらこの猫女に抱かれる? 抱かれるってのはそういう意味だろう。猫女なんてやだっ、ではあるのだが、ここまでの美女だったら……俺の中にいる男の章は言っていた。こんなに綺麗な女と初体験、してみたい。
「馬鹿野郎、てめえは引っ込め」
「あたし?」
「ちがう。あのさぁ、だったらさ、話をしてよ。話をしてから出ていってくんない?」
「怖いの?」
 認めたくはないのだが、怖い。怖くて魅力的なのは、狼男は男だったが、この女は女だからだろうか。俺の心は男なのか女なのか、どっちだ?
「怖くなんかねぇよーっ!!」
「そう? これでも?」
「きゃーーーっ!!」
 女の子の悲鳴を上げて、俺は逃げ惑った。猫女の長いしっぽが伸びてくる。しっぽがムチのようにしなり、俺を攻撃する。
 顔に首に腕に腹にと、しっぽのムチ打ち。痛い。狼男は恐ろしかったが、あいつは俺には危害は加えなかった。猫女は俺にムチの攻撃をするのだから、こっちのほうがさらに怖い。怖くて痛くて、俺は逃げるしかなかった。
「やめてーっ!! 許してっ!! ごめんなさーいっ!!」
 なんにも悪いこともしてないのに、どうして俺があやまってるんだよっ、とは思ったのだが、猫女が攻撃をやめてくれるのならば、ごめんなさいなんて安いもんだ。俺はひたすら逃げ回り、ごめんなさい、ごめんなさいと叫び続けていた。
 兄貴たちは幸生の家にいる。むこうには猫男がいて、兄貴たちはそいつと闘っているのであるらしい。猫男は単身で人間たちのもとにやってきたと言っていたはずだが、男はひとりって意味か? それとも、この女がいるとはそいつは知らないのだろうか。
 そのあたりはちっともわからないが、猫男と闘うのも、猫女にムチ打ちされるのも、俺はどっちもいやだいやだ。夢なんだったら早く目覚めろ、と念じてみても、願いはかなわない。
 逃げ回るといっても家の中だけで、外には出ていけない。玄関まで走っていってドアを開けようとしても開かない。結界でも張られているのか。猫女は俺を追ってきて、サディスティックな笑みを浮かべてしっぽムチをふるう。
 吊り上がった大きな目。大きな口から覗く牙と真っ赤な長い舌。美女が残虐な愉悦の表情を浮かべると、エロティックでもあるのだが、エロっぽいなんて考えている余裕はない。それに、夢の中の俺は女なんだから、エロっぽい女なんていらないのだ。
「タケ兄ちゃんっ、シン兄ちゃんっ、そっちはひとりでどうにでもなるだろ。俺を助けにこーいっ!! 殺されるぞっ!!」
 しっぽをかいくぐって叫ぶと、猫女が動きを止めた。
「兄ちゃん? 来てくれたのか?」
 が、猫女の背後に立っていたのは、兄貴ではなかった。
「みゅう?」
 シルバーホワイトの小さな猫。この毛色は珍しいはずだから、みゅうなのだろう。みゅうは山荘にいるはずだが、夢なんだからなんでもアリなのか。
「人間がつけた名前はみゅうだって? みゅう、大きくなったね」
 俺を攻撃するのはやめた猫女が、優しげな声を出してみゅうを抱き上げた。
「んん? なんだって? あんたはまだ小さいんだから、自由自在に変身はできやしないんだよ。大人になったらあんたはあたしみたいな姿になるの。あんたが人間世界にまぎれ込んじまったから、人間社会に混乱が起きたんだよ」
 みゅっ、にゃっ、とみゅうは鳴いている。俺には猫のみゅうの言葉は理解できないが、猫女には理解できているのだろう。猫たちは会話をしているのだった。
「そうなんだね。あんたはいい人間に保護されたんだ。優しくしてもらったの?」
「みゅみゅっ」
「優しいだけじゃなかったって? あんたは子供なんだから、ちょっとはいいんじゃないの?」
「みゃお」
「男はあんたにはそんな気分になるよね。猫のあんただったら平気でも、人間の娘に変身するんだもの。男を惑わしたんだろ? あいつが怒りそう」
「みゅうう?」
「あいつのことは覚えてないの? 思い出しつつある? アキラにも見せてやろうね」
 脳内のスクリーンに映し出されているのか、森と平地の光景が見えてきた。解説はなくても、ストーリィが進行していくのが俺にはわかった。
 化け猫の里。俺にはそうとしか思えない国で、赤ん坊が生まれた。それがみゅうだったのだろう。生まれたての子猫は母親らしき猫女に抱かれていて、猫男もいた。立派な髭を持つ猫男は、みゅうの父親なのだろうか。かたわらにいる若い猫男に言っていた。
「おまえが大人になったら、この子をやるよ。強くなってこの子を迎えにこい」
「はい。俺は修行してきます」
 猫の老若までが俺にはわかる。若い猫は修行の旅に出、みゅうは成長していく。猫女の子供としての名前もあるようだが、俺には聞き取れなかった。
 里には人間社会につながる裂け目のような場所がある。幼児になったみゅうはそのあたりで遊んでいて、裂け目に落っこちた。みゅうが俺に見せているのか。大人の猫女か。みゅうが墜落しているのも見えた。
 暗闇の中にさまざまな色が点滅しているような、そんなトンネルのような場所を墜落していって、みゅうはどこかに落ちた。
 それまではずっと子猫の姿だったみゅうは、人間の家にさまよい込んで幸生に拾われ、ほんのちょっと記憶を取り戻したのか。取り戻したとはいえ、みゅうにはほとんどその記憶の正体はわからなかったらしいのだが、そうなってから変身するようになった。
 少女の姿をしていたり、猫の姿をしていたりするみゅうが、幸生の家の中にいる。山荘にもいる。庭で飛び跳ねているみゅう。蝶々を追っかけているみゅう。パソコンのコードをかじって、隆也さんに止められているみゅう。
 山荘の庭で蛇と格闘しているみゅう。風呂場で将一さんにシャワーを浴びせられているみゅう。幸生の膝にくっついて眠っているみゅう。
 このあたりは幸生の家の変身猫となってからのみゅうの記憶だろう。丈人に抱えられているみゅうも、俺に向かってべーっとやっているみゅうも見えた。猫だったみゅうが人間に変身していく……俺は初に見るシーンだったのでごくっと唾を飲むと、そこでスクリーンが暗転した。
「人間に変身した瞬間は、みゅうは裸だからね、アキラは見なくていいの」
「俺は女なんだからよくない?」
「気持ちは男だろ。ちゃんと見たかい?」
 みゅうは猫のままで猫女に抱かれていて、猫女は俺に問いかけていた。
「見たよ。みゅうについてはだいたいわかったけど、幸生や俺の変身は、みゅうの変身となにか関係あるの?」
「あるみたいだよ。あんたの兄ちゃんたちってのも……」
「兄貴たちも関係あるの? けどさ、幸生や俺の変身は夢でだよ」
「今は夢?」
「夢じゃないのか……わかんねえよ。そんでさ、あれってみゅうの父ちゃんなんだろ。父ちゃんがみゅうはおまえにやるって言ってた相手の猫男が……」
「みゅうが拾われた家で、あんたの兄ちゃんたちと遊んでる奴さ」
 遊んでるのか。うちの兄貴たちだって、猫男に遊ばれている奴らではないだろうが、大丈夫なのだろうか。
  

5・幸生

 車の中にいたはずのみゅうがいない。隆也兄は閉めたはずだと言うのだが、窓が開いていた。人間のみゅうならば車のドアも窓も開けられるのだし、猫だとしてもこの窓の開き具合からすると、みゅうだったら飛び出せる。
「俺の失態です。すみません。みゅうはどこに行ったんだろ」
 うなだれる隆也兄に、将一兄は言った。
「アキラのマンションかもしれないな。隆也、めそめそしてないで車に乗れ。ユキもだ。アキラたちのマンションに行ってみよう」
 こっちの家の中では丈人、真次郎、猫男が大乱闘の真っ只中で、家が破壊される恐れもなくはないのだが、みゅうが先決だ。女の子のユキは兄たちとともに車に乗り、将一兄が運転してアキラたちのマンションへと向かった。
 ただいまユキは女の子なのだから、これは夢なのだろう。猫男はわけのわからないことを口走っていたが、夢なんだからなんだっていい。前の座席には兄たちがすわって、ユキは後部座席に乗り、みゅうを想っていた。
 みゅう、無事だよね? みゅうに会ったらなにもかもがわかるんじゃない? 夢だからこそなのか、ユキはそう確信して目を閉じた。
「ユキ、くたびれただろ。寝ててもいいよ。アキラたちのマンションはすぐだけど、ついたら抱いていってやるから」
 優しく優しく将一兄が言い、ユキはうなずいた。
 夢の中でも夢は見る。ユキが女の子であるというただ一点だけが、これは夢だと教えてくれているその中で、ユキは夢を見た。アキラとふたりして映画を見ている夢だった。
 人里から離れた場所なのか、異次元世界なのか、猫男たちと猫女たちが暮らしている世界だ。そこに一匹の子猫が生まれた。大人たちは半分が猫、半分は人間の姿をしているのだが、子猫は猫の子供だ。大人たちは日本語が話せて、髭オヤジが若い猫男に言っていた。
「娘が生まれたんだ。末はこの子はおまえにやるよ」
「はい、俺は立派な男になるために、修行の旅をしてきます」
 ああ、この子猫がみゅうなんだ、とユキは気づいた。そうすると、修行の旅に出た若い猫男が、我が家にやってきた奴だ。だから、みゅうはあいつのものだと言ったのだ。
 映画ではなく、みゅうが見せてくれているのか。ユキは幸生に戻っているような気もする。僕についてはどうだっていいし、横にいるアキラもどうだっていいので、僕は移り変わる画面に目を凝らし続けていた。
 お父さんに抱っこされて、みゅうみゅう言っているみゅう。お母さんに抱かれておっぱいをもらっているみゅう。猫にも人間にも見える両親に愛されて、可愛がられているみゅうが僕にはちょっぴりうらやましい。ううん、僕だって赤ちゃんのときには、こうして両親に甘えたんだよね。
 子猫のみゅうは変身はせず、猫のまんまでもすこしずつは成長して、家の外に出ていくようになった。
 まったくの子猫の姿をしているみゅうは、人猫の村で遊んでいる。ちっちゃな虫をつかまえたり、人間の世界にはいないような小動物をつかまえたりして、狩の練習をしているのか。僕の家に来てからのみゅうも狩は上手だった。
 そんなある日、みゅうは人間の国へとつながっている裂け目に落っこちた。そうしてみゅうは僕たちの家にやってきたのだろう。みゅうは猫人間たちの里で生まれ、そこには両親もいて、みゅうを探しているのだとわかった。
 迷子のみゅうを探している両親のもとに、修行の旅に出ていた猫男が帰ってくる。彼は人間世界へとつながる裂け目を発見し、人間の国へも出没するようになってみゅうを探し続け、僕たちの家へとたどりついたのだ。
 そうだったんだね、みゅう。そしたら僕は寂しいけど、みゅうをお父さんとお母さんと、村の仲間たち、婚約者であるらしき猫男もいるあの国へ帰らせてやらなくちゃ。
 寂しいけど僕は我慢するよ。でも、アキラと僕が女の子に変身する夢はなんなの? あれとこれとは無関係? そんなふうにも思っていると、目が開いた。僕は男の子の幸生になって、将一兄に抱かれて運ばれている。ここは章くんのマンションか。
「幸生、起きたか。歩くか」
「うん。だけどさ、僕って女の子じゃなかった?」
「女の子になりたいのか? みゅうみたいに可愛がられたいのか」
「そうじゃないけどさ……ま、いっか。だけど、どうして兄ちゃんたちと僕はここにいるの? みゅうは?」
 振り返ると、マンションの駐車場に止まっている隆也兄の車も見える。隆也兄もともに歩いている。僕の身体は男の子で、将一兄の腕から降ろされて歩いている。将一兄が説明してくれたところによると、一部分以外はユキの夢とまったく同じだった。
 一部分とは、僕が男の子の幸生である部分だ。猫男がみゅうを取り返しにやってきて、隆也兄はみゅうを車に乗せて東京にやってきて、丈人さんと真次郎さんを呼び、みゅうがいなくなったところもそっくりそのまま。
 丈人さんと真次郎さんが僕らの家で猫男と闘っているのも同じで、僕たちはみゅうの行方を突き止め、章くんの無事を確認するためにここまで来たのだった。
 それならばとにもかくにも、夢なんかは忘れていよう。どこから夢と現実が入り混じったのかは知らないが、変身猫だの改造人間だのだって、現実離れもいいところなのだから。兄ちゃんたちがついてるんだから、僕はなんにも怖くない。そう決意したものの、ちょっとは怖いので兄たちの背中に隠れるようにして、章くんたち兄弟の部屋の前に立った。
「章、いるんだろ。開けてくれ」
 マンションなのだから同じ建物には別の住人がいる。そこを慮ってか、将一兄が小声でインタフォンに向かって言い、章くんの声も聞こえてきた。
「将一さん? ドアが開かないんだよ。あ、俺、男に戻ってる。なんなんだ、これはっ」
「男に戻ってる? おまえはもともと男じゃないか。幸生も猫男も妙なことを言ってたが、それよりもドアが開かない? なぜだ」
「なぜだかなんて知らねえよっ。こらっ、なんとかしろっ」
「なんとかったって……俺にはなんともしようがないだろ」
「あんたに言ってんじゃねえんだよ。開けてくれよ」
 将一兄に言っているのではなかったら、誰かいるのか? 僕が玄関ドアに耳をくっつけると、みゅうっ、と可憐な声が聞こえた。
「みゅうがいるよ。章くん、開けてっ!!」
「幸生、大声を出すな」
 隆也兄に言われてもかまってはいられない。僕がドアをどんどん叩くと、ようやく中から開いた。飛び込んでみると、背の高い女のひとがいる。そのひとに抱かれているのがみゅうで、女のひとは猫女? 将一兄が彼女に尋ねた。
「あなたはみゅうや猫男の仲間ですか」
「そうだよ。うふっ、大人のいい男が来たね。抱いてあげようか。そっちもいい男」
 気持ちの悪い声を出した猫女が近づいてきて、将一兄の頬に触れる。将一兄はその手をつかんで言った。
「そういったことは後ほどにして、説明していただけませんか」
「あんたはいやなの? そっちは?」
 そっちと呼ばれた隆也兄も言った。
「俺も遠慮させていただきます。なんなんですか、先ほどからの異常な出来事は」
「説明してあげるからさ、ふたりとも、ベッドにおいでよ。そこの子供たちはもう知ってるんだし、みゅうも思い出したんだから、残るはあんたたちだけなんだよ」
「章も幸生もみゅうも知っている? 俺たちにも聞かせて下さい。色仕掛けは無用ですよ。子供たちの前ではしたないふるまいはやめなさい。あなたにしても人間ではないのでしょうけど、女性のそういうふるまいは俺は好きではない。慎ましくしなさい」
 将一兄はお説教口調で言っていたが、猫女はしなだれかかって甘ったるくも毒々しくも見える態度で兄にいちゃつこうとする。僕としては気に入らない気分で見ていたのだが、隆也兄が僕と章くんに言った。
「おまえたちには目の毒だな。先に入らせてもらおうか。章、無事だったんだろ」
「無事ってーか、ムチ打ちされたよ」
「この方に?」
「あのしっぽがムチになるんだ。いてぇよぉ。ほら、見てよ、ここもここも」
 男の子に戻っている章くんの、首筋や手の甲が赤く腫れていた。隆也兄は言った。
「それだけだったらたいしたこともないだろ。猫の美女は将一兄さんにおまかせしておいて、上がるぞ。幸生、おいで」
 玄関先で猫女に誘惑されている将一兄が気がかりではあったのだが、僕たち三人は部屋に入っていった。
「猫に慎ましくしろなんて、猫に小判ってやつだよ」
「そうかもしれないけど、俺は人間の男ですからね」
「価値観がちがうんだよね。知ってるけどさ、あんたっていい男じゃないの。猫女から見てもそそられるわ。抱かせて」
「抱くんだったら俺が……その話はあとにしましょう」
「いやいやいや。今すぐ」
 猫女と将一兄の会話は、聞きたくなくても聞こえてくる。章くんも興味深々で耳をダンボにしていて、隆也兄は困り顔をしていた。
「みゅうとは別の駄々をこねるんだな、あなたは。まあ、俺にも……いや、そんな場合ではない。あなたは何者なんですか。我が家に来ている猫男のなんに当たるんですか」
「私はあいつに惚れてるんだけど、年増はお断りだとか言うんだよ。そうしていたらみゅうが生まれて、みゅうの親父があいつにみゅうをやるって言って、あいつはその気になっちまったの。章と幸生にはそのあたりを見せてやったんだけど、ベッドに行ったらあんたにも見せてあげるよ。行こう」
「子供が聞いてるんですから、慎みなさい」
「いやーん。そんな顔をしたらますますそそられるわ。抱かれるのがいやだったら抱いて。きゃ」
 そこで声が途切れたのだが、将一兄は猫女となにを? しばらくはかすかな音が聞こえ、それから将一兄と猫女も部屋に入ってきた。
「隆也と将一って言うんだよね。私は別にみゅうには恨みはないんだよ。みゅうがあいつの女になったとしても、猫男なんてのはさ……だからいいの。あんたたちにも見せてあげようね」
 ソファに並んですわった僕の兄たちも、映画のようなシーンを見せられているのか。黙って目を閉じていて、章くんが言った。
「おまえも見たのか?」
「見たよ。章くんも見たんだね。おんなじなんでしょ」
 ちょこちょことシーンを話してみたら、ほぼ同じ。ただし、章くんは僕ほどにはみゅうを知らないので、彼が見たほうが詳しいようだった。
「あのおばさんが見せたのか」
 僕が言うと、しっぽのムチが飛んできた。
「わっ!! ごめんなさいっ!! 美人のお姉さんっ!! ムチはやめてっ!!」
 ふんっと鼻を鳴らして、しっぽは引っ込めてくれたのだが、一発だけ当たった腕へのムチ打ちは、セーター越しでもメチャクチャに痛かった。
 章くんは素肌にこの攻撃を受けたのか。痛かっただろうな、かわいそうにね、と僕が思っていると、みゅうが僕の膝に乗っかってきた。なつかしくさえ感じる小さな猫のぬくもり。みゅうは遠くに行ってしまうの?
「みゅう……」
「みゃーーお」
 猫の声で鳴いて、みゅうが僕の手に顔をすり寄せる。猫女は言った。
「何年かしたらみゅうはあたしみたいな姿になるんだけど、それまでは変身はしないかな。あたしにもわからないんだけど、みゅうは人間と暮らしてて、変な猫に育っちまったんだよね。みゅうが大人になるのはずっと先だよ。あんたたちが大人になるころかな」
 こんな形で僕の願いがかなうのか。けれど、願いはかなってもみゅうとは二度と会えないのか。泣きたくなったのをこらえていると、章くんが言った。
「俺たちの夢ってのはなんのせい?」
「夢の中であんたたちが女に変身するってやつかい? あれは夢だよ」
「でも、夢だったはずの今夜の出来事は現実になってるよ」
 僕も言うと、章くんはこくこくと頭を縦に振り、猫女が言った。
「あたしたちだってあんたたちから見たら、夢の産物みたいなものだろ。逆だって同じだよ。みゅうが人間の国にやってきたせいで、いろんな現実が錯乱したんだろうね」
「俺の兄貴たちは?」
「あんたの兄貴たちが発端かもしれないよ」
 中学生にはむずかしすぎる。そう考えている僕は無視して、猫女は章くんを見つめた。
「あんたの目って色気ありすぎだよ。エロばばあ」
「エロばばあ? そうかい、ムチがほしいんだね」
「うぎゃっ、やだっ!! ごめんなさいっ!!」
 この目って色気? エロ? それも中学生にはむずかしすぎるのか。章くんは感じ取れるのだから、やはり僕よりは大人なのか。猫女が章くんを抱え込むと、将一兄が言った。
「見せてもらいましたよ。事情はほぼすべて理解しました。隆也も見たんだな」
「はい。そうなると、みゅうは帰らせるのが正しいんですね」
「そうだな。俺としては幸いだろ、なんてあいつは言った。見抜かれてるんだな」
「猫は鋭敏ですからね」
 ふたりしてわかっているらしいが、僕にはなにが幸いなのかわかりにくい。なんなんだろ、と悩んでいると、隆也兄が言った。
「猫のお嬢さん、章を苛めないでやって下さい」
「あんたがあたしに苛められてくれるの? 将一にはふられちゃったから、あんたでもいいのよ。章なんてからかっても面白くもないけど、あんたらだったらいいわ。ベッドに行く?」
「謹んでご辞退申し上げます」
「じゃあさ、幸生は?」
 章くんが訊き、猫女は鼻を鳴らした。幸生なんて問題外だと言いたいのか。ハートが傷ついた僕のほっぺを、みゅうがざらざら舌で舐めてくれた。


6・章

 なんたって俺の兄貴たちは改造人間で、狼男だって実際に見たのだ。猫女も猫男もへっちゃらだよ、とは行かなかったが、みゅうが猫男と猫女に連れられて化け猫の里に帰っていき、平和といえばいえる日常が戻ってきた。
 女になる夢の原因は解明されていないのだが、夢は夢だ。狼男に改造人間に宇宙人に猫男、猫女と較べれば、夢なんて取るに足りない。
 あれからも時々は、俺はアキラになった夢を見る。夢は夢だと目覚めれば考えられるのだが、夢の中では現実感もあって、ユキとふたりしてじとじとと話しているのだ。今日はユキの悩みの相談室だった。
「ユキのお兄ちゃんたちってユキとは年が離れすぎてるでしょ」
「そうだけどさ、お母さんが浮気して生んだ子だとか言って、隆也さんに殴られそうになったんだろ。あれは男のおまえだっけ。あーっ、ややこしいんだよっ。男のおまえにだったらおまえの兄貴たちも殴ったりするのかって、俺は安心したよ」
「殴るってほどじゃないよ。うちのお兄ちゃんたちは、アキラの兄さんたちほど乱暴じゃないの」
「男はあっちが普通だよ。おまえは男じゃねえんだろ。おまえの兄貴たちは男っぽいところもあるけど、おまえは猫女の色っぽさも感じなかったんだから、男じゃないんだ。男のおまえは未熟なガキ。俺のほうが大人だもんね」
「ユキも男の子のときにはそう思ったけど、今は女の子なのっ」
「うん、ややこしいけどそうだよな」
 自分の服は確認したくもないが、ユキはセーラー服を着ている。俺の学校の制服ではないのだから、コスプレか。
「それでね、お兄ちゃんたちって実の兄ではないのかと思ったら、そんな目で見たら、将一お兄ちゃんも隆也お兄ちゃんもかっこいいんだよね」
「丈人のほうがかっこいいよ」
「アキラも丈人さんに恋してるの?」
「するわけねえだろ。俺はこうなっても心は男なんだ。おまえみたいに心までは女になってねえんだよ。声と身体だけが女なんだよな。ん? なんだって? おまえは兄貴に恋をしたのか」
「そうかもしれない」
 カウンセラーになった俺は言った。
「やめろ。そんなら丈人に恋をするほうがいいよ」
「丈人さんはやめろって、みゅうに言ったくせに……」
「そうなんだけど、将一さんや隆也さんってのは、おまえがどう考えたって実の兄だろ。丈人はおまえから見たら他人なんだから、他のなにもかもは投げ捨てても、実の兄貴よりはいいって意味だよ」
「そっかぁ、丈人さんにしようかな」
「おまえみたいなガキは、丈人にとってもガキだろうけどさ。で、どっちが好きなんだ?」
「隆也お兄ちゃんも将一お兄ちゃんも、どっちも好き」
 これは妹の兄への思慕ってやつだと思うのだが、ガキのユキは勘違いしているのだろう。
「だってね、あの猫女がお兄ちゃんたちに変なことを言ったときには、ユキは妬けたんだもん」
「兄貴をよその女に取られるかもしれないって思って妬けたんだよ。妹の感情だろ」
「あのときは弟に戻ってたけど……」
「そうだったよな」
 あーっ、ややこしいっ、ややこしいっ。
「アキラ、どうしたの?」
「心の中で叫んだんだよ。ユキ、それってあまりにも悲しい恋だしさ、やめろ。我が想いを真摯に見つめ直せば、妹心だってわかるよ。おまえはみゅうがいなくなって寂しくて、気持ちが乱れてるんだ。そうだよ、きっと」
「アキラって意外に優しいんだね。アキラに恋しちゃおうかな」
「それももっともっとややこしいだろうがっ」
 男の章と幸生の恋はうげげげのげだし、女のアキラとユキの恋も、当人の一方の俺としては受け入れがたい。男の章と女のユキだとしたら……ややこしすぎて気が変になりそうだ。
「じゃあさ、男をナンパしにいこうか」
「ユキもアキラも女の子だから、男の子をナンパしにいくの?」
「俺らって女になったら美少女だろ。男のときにも男っぽくはないから、女の子になったら可愛いんだよ。こうやってスカートの裾をちらっとやってみせたら、成功するに決まってるよ」
「はしたなくない?」
「いいの、行くの」
 好奇心が動いたらしく、うなずいたユキとふたりして街に出て、男を物色した。大学生くらいのふたり連れのかっこいい奴らがいたので、俺が声をかけた。
「お兄さんたち、俺ら、暇なんだよね。お茶しない?」
「俺? 女の子だろ」
「でも、なんだか男の子っぽいのがよけいに可愛いよな。お茶だったらいいよ。なんて名前?」
 簡単すぎるほど簡単に成功して、四人で歩き出す。俺としては男をナンパするなんていやだったのだが、女の姿をしていたら女はナンパできないのだからしようがない。お茶と言ったのだから喫茶店にでも行くのかと思っていたのに、男たちは俺たちを暗い道のほうへと導こうとしている。ユキが察したらしく、俺に囁いた。
「アキラ、危険だよ。逃げようよ」
「そうだな」
 が、男たちは逃がしてくれず、ユキと俺は腕をとらえられてしまった。こうなったら俺たちの奥の手を出すまでだ。ユキも猫男出現のときにやったので、声を合わせて俺の兄貴たちを呼んだ。
「丈人さーんっ、真次郎さーんっ、助けてーーっ!!」
「タケ兄ちゃんっ、シン兄ちゃんっ、助けてよーっ!! 妹の危機だよーっ!!」
 待つ間もなく兄貴たちが駆けつけてきて、それぞれにひとりずつを蹴り飛ばし、ユキと俺は握手した。たやすく男たちを撃退してくれるのは知っていたのだが、そのあとが悪かった。丈人は言ったのだ。
「いいお仕置きを思いついたよ。悪さをしていた女の子にはこれが一番。真次郎、来たか」
「ああ、来たよ」
 来たって誰が? 悪さはしていないと言いたかったのだが、男をナンパするなんてのは悪いことかもしれないし、そのせいで危機に陥ったのだから、助けてもらった手前、反抗はしにくい。誰が来るのかとユキと手を握り合って待っていたら、俺たちの目の前に猫女が飛び降りてきた。
「あんたたちじゃ若すぎるけど、抱かせてくれる? 真次郎ってば、猫の男に似てるんだよね。その気性があいつにそっくり。この間だっていい勝負をしたんでしょ。二対一だったとはいえ、あいつといい勝負のできる人間の男は大好きだよ。真次郎、あんたを抱かせてくれるんだったら、頼みを聞いてあげるよ」
「頼みってなんなの?」
 怖そうにユキが尋ねると、しっぽムチが飛んできた。ユキも俺も一発ずつムチ打ちを食らい、悲鳴を上げると、丈人が言った。
「それだけでいいよ。真次郎があんたと行くって言うんだったら、俺は止めないけど、どうする、真次郎?」
「あんたって年増なんだろ。俺はそんなのは……うわうわっ、待てっ!! 女と闘いたくねえよっ!!」
 ムチを食らいそうになった真次郎は虫に変身して逃げていき、丈人も真次郎のあとを追って虫になって飛んでいった。猫女はユキと俺に向き直り、牙を見せてにやりとした。
「うっきゃーっ!! お兄ちゃんっ、助けてーっ!!」
 ユキの悲鳴で目が覚めた。
 あんなお仕置きってのはあんまりだよ、兄ちゃん、やるんだったら自分でやれよな。俺は女の子だとしても、猫女のしっぽムチよりは、兄ちゃんの手加減したげんこつがいいよ。ユキだって同感だろうけど、ともかく、夢でよかった。
 冬休みも残り少ないのだから、起きて宿題をやろうかと思っていたら、誰かが訪ねてきた。インタフォンを取り上げてみると、幸生の声が聞こえた。
「章くーん、僕も宿題やるからさ、一緒にやらない?」
「俺が教えるほうだよな。おまえには教われないよな。損だけどいいよ。入れよ」
「襲わないよ」
「襲うじゃなくて教わるんだよっ」
 ドアを開けてやると、猫を抱いた幸生が立っていた。
「みゅう?」
「みゅうはいなくなったの。この子はさっき、近くで鳴いてるのを拾ったんだ。みゅうがいなくなったんだから、新しくうちの子にするんだよ。章くんにも見せてあげようと思ったんだ。可愛いだろ」
 今度は三毛猫だ。小さいので可愛いといえば可愛いが、こいつはよっぽどの猫好きなのだろう。幸生は部屋に入ってきて、猫に顔をくっつけてべたついていた。
「メスか?」
「三毛はほとんどがメスだよ。オスが稀にいたらホモなんだって」
「猫のホモ?」
 目覚める前に見ていた夢を思い出したのだが、幸生も同じ夢を見ていたのだとしても、夢は夢ではないか。問い質すのはやめておこう。
「だから、この子も女の子だよ。名前はみゅうにしようかな」
「みゅうにしたら、そいつも変身猫になるぞ」
「変身猫なんて三毛のオス以上に稀だよ」
「当然だろうけど、おまえんちの猫になるんだったら、そうなるかもしれないじゃないか。おまえのうちには妙な磁場でもあって、猫は変身猫に成長するんだよ」
「磁場があるんだとしたら、ここにもだよね。それで宇宙人が来たんでしょ」
「かもな」
 猫にはミルクをやり、俺は朝メシも食っていなかったので、パンをかじりながら宿題を広げた。
「勉強しようと思って来たんだけど、この子を拾ったから適当に帰るよ。みゅうがいなくなって将一兄ちゃんも隆也兄ちゃんも帰ってきたし、この子も今日からうちの子なんだもんね。僕は嬉しいな。おまえはなんて名前? 鳴いてごらん」
 これでは宿題どころではないだろう。俺は言った。
「ああ、帰れ帰れ。俺はひとりでやってるほうが勉強がはかどるよ」
「うん、そしたら、兄ちゃんたちに見せてこよっと」
 幸生が猫を抱きしめて立ち上がったとき、虚空から声が聞こえた。
「幸生ったら、浮気するんだ」
「みゅう?」
 ふたりして顔を見合わせていると、再び声が聞こえた。
「そっちには二度と行けないだろうし、現実にこうやって声を聞かせるのもできないだろうけど、夢には出ていくからね。現実ではその子を可愛がってあげてね」
「みゅうなんだろ? こいつ、変身猫じゃないよな」
 俺が尋ねると、うふふっ、の笑い声が聞こえた。余韻が残ってはいたものの、みゅうの声は聞こえなくなり、幸生が歩き出した。
「変身猫だっていいよ。おまえも来たんだし、みゅうにも夢でだったら会えるんだ。楽しみもいっぱいあるんだし、僕は受験勉強もがんばろーっと。章くん、じゃあね、またね」
 幸生は帰っていき、俺は畳に寝そべった。
 あいつも変身猫だったとしたら? まさかとは思うし、みゅうにだってわからないから笑ってごまかしたのだろうけれど、俺の生活はまた一段、人間離れ、現実離れしてくる。夢なんかはどうでもいいと言えるけど、普通の大学生になって普通にかっこよくもてて、普通の美人の彼女ができるという、そっちの夢はかなうのだろうか。
 その前に、幸生が俺の高校の後輩になるのか。幸生がさらに身近にいると、またしても変な事態が起きそうな気もするのだが、兄貴たちにも慣れてはきたのだから、慣れられる、はずだ。
 メイドルックで仕事をする機会はなくて、もう一度やりたいと思わなくもなかった願望も薄れつつある。かわりに夢で女装か。ま、いいんじゃねえの? 女の子としての経験をしてみるのも、夢でだったらいっかー、としか言いようはないのだから。

END



 

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