番外編

番外編40(文筆家のひとりごと)

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原稿
番外編40


 「文筆家のひとりごと」

1

 喧嘩っていうよりも、ユキが隆也さんに叱られてばっかりなんだよね。たったのふたつしか年はちがわなくて、隆也さんだっていつだって、俺はまだ大人じゃないよ、と言う。隆也さんが大人ではないのだったら、ユキはなに? 赤ちゃん?
 この間は乾さんの後輩の、小笠原ヒデさんにも叱られた。ヒデさんってひとは荒っぽくて、叱られたというよりも怒鳴られた感じで、ユキは怖くて泣いてたの。
 ヒデさんに抱え上げられて、おまえが俺の彼女だったらひっぱたく、なんて言われて、乾さんもおまえをひっぱたいたらいいんだ、とも言われていたら、隆也さんがやってきて、ユキをヒデさんの腕から救い出してくれた。
 助けてもらったのはいいけど、隆也さんも怒ると怖いから、抱っこされてどこかに運ばれていく途中でも、ユキはめそめそ泣いていた。
「おまえは俺の友達にでもあんな態度なんだよな。ヒデになにかしようとしたのか?」
「叩こうとしたり蹴飛ばそうとしたり……」
「ヒデはけっこう気性が激しいんだよ。おまえがあいつに暴力をふるって殴り返されたりって、絶対にしないとは言い切れないんだ」
「そしたら、隆也さんが仕返し……」
「おまえが先にヒデを殴ったんだとしたら、どっちが悪いんだ?」
「だって……」
 口は達者なユキちゃんのはずなのに、隆也さんには言い返せなくなってしまう。ユキはこんなにも隆也さんを好きだから、叱られていてもちょっとは嬉しいから。
「俺は女の子とは対等の立場でつきあいたいのに、おまえがそうだからこうなってしまうんだろ」
 校舎の陰になっているところまで運んでいって、隆也さんはユキを地面に降ろした。
「何度も言ったよな。おまえが泣きすぎると俺は持て余す。そんなに泣いてばかりいるな」
「だって……泣けて……」
「泣くのを我慢するってのも必要だよ。人間、辛抱が第一」
「我慢も辛抱もできないのっ!!」
「口答えするな」
「そんなにいばるなっ!!」
 一生懸命言い返すと、隆也さんはユキを抱き寄せておでこにキスしてくれた。
「そのほうがいいよ。泣いてばかりいるよりは、口答えのほうがまだしもだ。ユキ、これを読んでおきなさい」
 手渡されたのは一冊の本。「現代女性の人生訓」とタイトルがついていた。
「おまえだって大学を卒業したら、社会人になって世間に出ていくんだろ。いつまでもそんなじゃいけないんだよ」
「ユキはまだ十八なのに?」
「早すぎはしない。遅すぎもしない。精神修養を積め」
「世間の荒波からだって、隆也さんが守ってくれたらいいのに」
「人生はおのれで切り開いていくものだ。ユキ、この本を熟読して、読書感想文を提出しなさい。俺は夏休みに入ったら合唱部の合宿の準備と実行で多忙になって、しばらくは会えないから、この次に電話をするまでに読書感想文を書いておけよ」
「えー……そんなの……」
「書けと言われたら書け」
「もうっ、横暴なんだから……でも……」
 はい、と言わされてしまった。今日のユキも乾さんに叱られて、これって罰? 隆也さんらしい罰ではあるみたいな。でも、やだなぁ、感想文なんて。
 いやではあったのだけど、夏休みになるとデートもできなくなって、ユキは自宅で本を読んでいた。ひとり暮らしの部屋にはエアコンはあるけれど、本がむずかしすぎて汗をかいてしまう。けれど、これを読み終えて感想文を提出したら、隆也さんは約束を果たしてくれるだろうか。
 つきあっていてもキスくらいしかしてくれない隆也さんに焦れて、彼の部屋に忍び込んで本橋さんに発見された日。あの日は本橋さんにも叱られたけど、隆也さんは言ってくれた。
「夏休みになったらロマンティックな舞台を用意するから、海辺のホテルででも……」
 おまえを抱きたい、だったのだろう。その日を楽しみにして、ユキちゃん、がんばらなくっちゃ。


 著者のみずき霧笛です。この小説は私の本意ではなく、三沢幸生さんのご依頼によって書いております。
 ラジオドラマが縁になって知り合ったフォレストシンガーズの方々と、金子将一さん。彼ら六人のうちでは私はもっとも三沢さんと親しくしていただいていまして、時折妙な頼みごとをされるのです。三沢幸生主役のハードボイルドシナリオというものもありました。
 いくらなんでもね、あの三沢さんがハードボイルドってのは……とは思ったのですが、書こうとこころみはしたのですよ。しかし、書けませんでした。私の筆力不足を痛感しました。というよりも、三沢さんはハードボイルドとはかけ離れた男性だから……いえいえ、弁解はよしましょう。
 私は三沢さんの実物をかなり知っているのですから、あの三沢さんが女の子のユキちゃん、はぁ……ではあったのですが、ハードボイルドよりは書きやすいでしょう。三沢さんが空想の中でならば、美少女になってみたいとの願望を抱いているのは知っています。それは特別に変態的願望でもないはずです。
 いささか風変わりではありますが、三沢さんとは風変わりな男性なのですから、そのようなご依頼を引き受けるのも、私にとっては修行になる。
 そう決心して案を練り、推敲、加筆訂正、全部書き直し、三沢さんとの相談、などなどを経て、一応の形にはなりました。乾隆也さんが三沢ユキの相手役であるというのも、他の人は絶対にいやがるだろうとの三沢さんの言葉を聞くまでもなく、私にも理解できます。
 三沢さん以外には原案すら見てもらっていないので、他の方々がどのような感想を持たれるのか、非常に不安ではありますが、猛烈に怒るほどではないはず、ですよね?
 乾さんは寛容な方ですし、三沢さんとの芝居もやっているのですし、三沢幸生ではなく三沢ユキの恋人役なのですから、笑って受け入れてくれると信じましょう。信じなくては書けません。まさか原稿を破り捨てられたりは、しませんよね?
 そうして日夜、パソコンに向かって文章を綴り、読み返して推敲し、自己満足と自己卑下を交互に味わい、投げ出したくもなったりして、別のものが書きたくなったりもするのです。
 「水晶の月」がラジオドラマの大賞を受賞して、あれからは私はプロのシナリオライターと名乗れるようになりました。ライターで生計を立てられるようになる以前は、私は妻とともに靴屋を営んでおりました。現在では店は妻にまかせっ切りで、近くに小さなマンションを借りて、仕事場にしております。
 仕事場にこもって、今日も私はパソコンと向き合う。シナリオも書いてはいますし、別の仕事もあるにはあるのですが、さして多忙ではない私は、冗談小説も書きたくなる。手慰み手遊びのような小説も書きたくなりました。


2

 鷺の森大学男子学生寮は、今朝は不気味に静まり返っている。
 三沢幸生と木村章の部屋も、本庄繁之と小笠原英彦の部屋も、本橋真次郎と乾隆也の部屋も、酒巻國友と栗原準の部屋も、静寂に包まれている。金子将一は彼らの部屋に耳を澄まし、みんな、いないのだろうかと考えた。
 小規模な寮には五つの個室があり、四年生で寮長の将一がひと部屋。残る四つを下級生たちが使用している。今年は将一以外の全員が一年生で、自然、将一が寮長に任命されたのだ。
 昨夜は八人ともに寮にいて、喧騒もあった。繁之と英彦が夕食のおかずの取り合いをしていると、章がバットを持ってきて、うるせえんだよっ、おまえらはっ!! と怒鳴りつけ、テーブルの食物をすべてなぎ払ってしまった。
 幸生はけけけけっと笑う。準が驚きのあまりか、声を上げて泣き出す。國友は準を泣き止ませようとおおわらわになり、真次郎は狼狽する。隆也は怯えて真次郎の背中に隠れる。全員を鎮圧するには将一では荷が勝ちすぎて、隙を見て逃げ出したものだった。
 逃げ出したので、その後はどうなったのか将一は知らないが、夜中に寮に帰ってみたら、しんとしていた。夜中には寝ているのだろうから、静かであるのが当たり前なのかもしれないが、朝になってもしーんとしているのだ。
「みんなが寝てるんだったら起こしにいくべきか。しかし……」
 将一はひとりごちた。
 十八歳の少年などというものは、睡眠時間を長く取る必要があるのだろう。将一が寝坊している下級生たちを起こしにいくと、誰かしらに蹴られたり殴られたりした。
 とりわけ、普段から凶暴な繁之はひどい。将一が起こすとむくっと起き上がったのはよかったものの、無言で将一の腹に頭突きを食らわせた。将一が腹を抱えて唸っていると、繁之はなにごともなかったように眠りに戻り、すやすやと寝息を立てていたものだ。
 そのくせ、起きてくると文句をつけるのである。寮生を起こすのは寮長の義務じゃねえかよ、あんたのせいで遅刻しちまったじゃねえかよ、などなどと言うのも繁之だ。
「義務……しかし、暴力の被害は受けたくない。どうしようか。庭に出て考えよう」
 寮自体は小型なのだが、敷地は広い。したがって庭も広い。将一が出ていくと、整列している少年たちの姿が見えた。
「え? 遅くまで寝ていたのは俺のほうで、みんな起きてたのか。実は俺の部屋の時計が狂っていたのか」
 慌てて腕時計も確認してみたら、将一の部屋の掛け時計と同じ時刻を指していた。両方の時計が狂うとは考えられないので、時間は正確なはずだ。ひとまず安心して、将一は樹木の陰から寮生たちを見つめた。
 八人ともにそろっている。そしてもうひとり、見知らぬ男がいる。この場の誰よりも背が高く、レスリングか砲丸投げか円盤投げか槍投げか、いずれかの選手ででもあろうかのごとく、横幅も筋肉も相当にある巨漢だった。
 彼が八人の寮生の前に立ち、全員をねめ回しているのだ。このせいで八人ともに黙りこくっていて、寮が静かだったのだろう。彼は何者だろう、と将一が見ていると、男が口を開いた。
「全員、そろったな。真次郎から聞いてたんだけど、おまえたちはどいつもこいつも、軟弱者ばかりだそうじゃないか。真次郎だってそうなんだけど、こいつ以下だって奴もいるんだろ。特にそこのふたり」
 そこのふたり、と指差されたのは準と國友。そろって小柄な少年たちはびくっと身体を強張らせる。たった今の台詞からすると、彼は真次郎の兄か。真次郎には空手家の兄がいると聞いている。本橋敬一郎。おそらくはそうなのだろう。
 であれば、この体格も合点が行く。出ていくべきか、行かざるべきか、将一が悩んでいるうちに、敬一郎は重々しい低音で続けていた。
「そこのふたりは最後でいい。章、おまえは軟弱じゃないそうだな」
「俺は野球やってるから、軟弱なつもりはないよ。空手でだったら敬一郎さんには負けるだろうけど、野球でだったら誰にも負けない。遠投競争でもする?」
「ボールはあるか」
「あるよ」
 他の者たちは敬一郎を見て怯えているようだが、章は臆してはいない。章は手にボールを二個持っていて、一個を敬一郎に手渡した。
 敬一郎と章が同時に投げたボールは、かなりの遠くまで飛んでいったようだ。場外ホームランといった格好になって、寮の外まで飛んだらしきボールが見えなくなると、がっちゃーんっ!! とガラスの割れる音が聞こえてきた。しかも二連続で。
「あれじゃあどっちの勝ちだかわかんねえな。章の肩の強さだけはわかったよ。他に、俺は軟弱じゃないって奴はいるか」
 進み出たのは繁之だった。
「俺も野球は得意だよ。章にだって負けない。章、バットも持ってるんだろ。ボールを投げてくれよ。本物の場外ホームランを打ってやる」
 腕まくりをした繁之がバットを持ち、章がボールを投げた。またしてもボールは寮の外に飛び出し、ガラスの割れる音。敬一郎も同様にバットを振ると、同じくガラスの割れる音。寮の近隣の住宅のガラスが、四枚割れた計算になる。
「他は? 俺と勝負できる奴はいないのか」
「俺の口と敬一郎さんの口とで勝負しません?」
 言ったのは幸生だったのだが、敬一郎は彼を一瞥し、返事はせずに抱え上げて放り投げた。英彦が叫び声を上げた。
「幸生がボールみたいに飛んでいっちまったよ。あいつ、どこまで飛んだんだろ」
「俺は人間でだって場外ホームランが打てるんだ。おまえも投げてやろうか」
 敬一郎が言い、英彦はだっと走っていって真次郎を蹴飛ばした。
「おまえがこんな兄貴を連れてくるから悪いんだろ。朝っぱらから叩き起こされてよぉ。なんだってこうなっちまうんだ」
「え……いや……あのさ」
 昨夜は気疲れてしていて、将一は熟睡していたのだろう。そのために早朝の騒ぎも聞こえずに寝入っていたらしいが、寮長の部屋は他の学生たちの部屋とは離れているので、敬一郎に発見されずにすんだ。
 他の者たちも寮長の名は出さなかったのか。将一のほうこそいないとでも思われていたのか。いずれにしても、彼らの仲間入りをしなくてすんだのはほっとしていた。
「僕が寮の話しをしたら、そいつらはろくでもない奴らばっかりだから、俺が叩き直してやるって、兄ちゃんは言ってたんだよ。朝からいきなり来て、真っ先に叩き起こされたのは乾と僕なんだ。僕だって知らないよ。兄ちゃんが勝手に来たんだよ」
 必死になって弁解している弟を、敬一郎はぎろりと見た。
「真次郎、うだうだぬかしてるんじゃねえんだよ。おまえはあとで投げてやるから、そこで待ってろ。乾、おまえは相当に情けない奴なんだってな。こっちに来い」
「いえ、あの、その……」
 隆也は敬一郎の視線に射抜かれたのか、棒っきれのようにまっすぐに後に倒れ、真次郎が抱き起こして介抱している。國友と準は抱き合ってがたがた震えている。敬一郎は抱き合っているふたりに近寄っていき、片手で國友の、片手で準の襟首をつかんで一度にまとめて放り上げた。
「すげっ……」
 ふたりが飛んでいった方角を見やって、英彦が呆然とした声を絞り出す。残っているのは敬一郎が認めたらしき、章と繁之。そして英彦。気絶している隆也と真次郎の五人になってしまった。
 幸生と國友と準は何処まで飛ばされたのか。探しにいってこなくちゃ、と将一が考えていると、門のほうから大声が聞こえてきた。
「ここの学生さんなのっ、うちの窓ガラスにボールをぶつけて割ったのはっ!!」
「うちなんか、男の子が飛んできたのよっ!!」
「責任者、いないのか。出てこいっ!!」
 誰か出てこーいっ!! の大合唱を聞き、こそこそと逃げ出そうとしていた将一の頭上から、割れ鐘のような声が降ってきた。
「誰だ、おまえはっ?! 不審者か。泥棒かっ!!」
 兄に向かって、真次郎が言ってくれた。
「兄ちゃん。そのひとは寮長の金子さんだよ。金子さん、いたんですか」
「あ、ああ、おはようございます」
 おどおどと将一が挨拶をすると、敬一郎に襟首をつかまれて吊り上げられた。
「あ、あの、なにをなさるのでしょうか」
「すると、この寮の責任者はおまえだろ。抗議に来た近所の人々の対処をしろ」
「抗議を受ける要因を作ったのは、敬一郎さんでは……」
「なんにしたって、責任者が対処しろ。当然だろ」
 脚で門を開け放った敬一郎に、将一は放り投げられた。寮の近隣の人々の真っ只中に放り出された将一は、頭を抱えて考えていた。
 帰ってくるんじゃなかった。逃げ続けていればよかった。この場から逃げ出せないのならば、俺も気絶したい。神よ、この俺に卒倒するという安らぎを与えたまえ


 これはいくらなんでも却下ですよね。
 「水晶の月」の続編と申しますか、正編とはいくぶん異なった設定にして小説化しようとこころみたのですが、自分で書いたシナリオの影響を自分で受けています。
 小笠原英彦、酒巻國友、栗原準、本橋さんの兄の敬一郎氏。三沢さんの口から時おり出てくる男性たちをデフォルメして登場人物にしたのですが、キャラが増えすぎると困るというのがよくよくわかりました。
 シナリオのほうはもとはキャラクターたちの名前がちがっていて、フォレストシンガーズのみなさんと金子さんが演じると決定してから、名前を変えたのです。ですから、私には責任はないのですが、こうなると責任が生じます。
 登場人物のほぼすべての人に怒られそうですから、死蔵しておきましょうか。
 しかし、スラプスティックコメディというものも、書いていて楽しいですよね。まあ、これはこれとしまして、さて、次はなにを書きましょうか。
 鷺の森大学とは、理系大学です。フォレストシンガーズのみなさんの大学は総合大学ですから、大学の設定も異なる。栗原準さんは彼らの大学の卒業生ではないのですが、フルーツパフェという男女デュオグループのひとり。フォレストシンガーズと同じ事務所の後輩です。
 栗原さんについても三沢さんから伺っておりますし、金子将一さんの設定を彼本来の性格にして、こう書いてみましょうか。他の方々も一部は本来の性格に戻してみましょうか。


3

 お兄さんができたみたいだな、と僕は思う。大学の寮に入って、先輩と同室だと聞いた僕は怖気をふるっていたのだが、同室になった金子将一さんには、一目で魅せられた。
 魅せられたとはいっても、恋心ではない。僕には男のひとに恋をする性癖はない。だけど、大きくて顔立ちが美しくて、強くて優しい金子さんに魅せられたのだ。かっこよくてふところが深くて、人間が大きな寮長さん。僕は金子さんと同室にしてもらって幸せだ。
「準、泣いてるのか? ホームシックか」
 すこしは寮生活にも慣れてきた僕が、部屋の二段ベッドの上段にいると、金子さんが声をかけてくれた。忍び泣きの声が漏れていたのか。口をきくと涙声になりそうだから、僕は声を出せずにいた。
「どうした? なにかあったのか。出てこい」
「だって……僕……泣いて……」
「泣いてるのは知ってるよ。どうして泣いてるのか聞いてるんだ。理由を言え」
「そっとしておいて……」
「出てこい」
 断固として命令されて、僕はベッドのカーテンを開けた。力強い腕に引っ張り出されて、ベッドから出されてしまう。金子さんの前にすわらされて、僕は泣いている理由を話した。
「二年生の木村さんに苛められたんです。僕があんまり弱虫だからって、野球を教えてやるって言われました」
「バットで殴られでもしたか。ボールを投げつけられたのか」
「そうはされてませんけど、ノックってのをやるって」
「木村がボールを打って、おまえが受けるのか」
「そうです。変なところにボールが飛ぶから、走り回ってへとへとになりました」
「ノックってそういうものだろ」
「木村さんは意地悪したんですよ」
 煙草に火をつけて、金子さんはふーっと煙を吐いた。
「意地悪じゃないだろ。しごきと呼ぶのかもしれないが、木村はおまえを鍛えてやろうとしたんだ。苛められたんでもない。それしきで苛められたの意地悪だの言って泣いているから、おまえはみんなに弱虫扱いされるんだよ」
「だって……」
「だってってのはガキか女の子の台詞だ。泣くな」
 静かではあるがきびしい声で言われて、僕は涙を飲み込もうとした。けれど、涙が止まらない。うつむいて泣き続けていたら、顔を上げさせられて頬を叩かれた。
「痛いっ!!」
「力なんか入れてない。泣いてる男は見てると苛々してくるんだ。泣くな。泣くともう一発、次は痛いように殴るぞ」
「十分に……痛いですよ……金子さんも意地悪っ!! 大嫌いっ!!」
 悲鳴のような声で叫び、いっそう泣き出すと、金子さんはそんな僕を見放して部屋から出ていってしまった。頬が痛くて悲しくて、金子さんに見捨てられたのがさらに悲しくて、僕は泣きながらも煙草に手を伸ばした。
 金子さんが忘れていった、灰皿に残った吸いさしの煙草。これをくわえたら金子さんと間接キスになる? 僕はそんな意味で金子さんを好きなんだろうか。だから叱られて叩かれた以上に、見捨てられたのが悲しいのか。
「準くん、いい?」
 ドアにノックの音があり、入ってきたのは同じ一年生の酒巻くんだった。
「あ、煙草なんか吸って。駄目だよ」
「いいじゃないか。煙草くらい、どうってことないよ」
 これは金子さんの忘れもの、なんて言えるはずもない。同じ年の酒巻くんは優しくて、彼にだったらまともに口がきけるので、僕は言った。
「煙草でも吸ったら、僕もちょっとは大人になれるかなって……」
「どんな理屈? あっ、金子さん、入らないで下さい」
 酒巻さんを押しのけるようにして、金子さんが入ってきた。僕は慌てて煙草をもみ消したのだが、酒巻さんの声が聞こえていたのか。またしても叩かれた。
「金子さん……そんなに準くんを叩かないで……」
「そんなにってほどには叩いてないよ。準みたいな男は、多少は荒っぽく扱って鍛えたほうがいいんだ。木村に一任しようかな」
 頬を押さえてテーブルに泣き伏した僕の頭上を、金子さんと酒巻くんの声が通りすぎていった。
「木村さんは荒っぽすぎますよ」
「俺がやるのか。どしどし殴って鍛えていいのか」
「それは……優しく扱ってやって下さい」
「いやだね」
「だって、準くんは金子さんに……」
「準が俺になんだって?」
「いえ……準くん、あんまり泣かないで」
 優しく言ってくれた酒巻さんは出ていき、金子さんも僕にはなにも言わずに出ていった。僕が泣き続けていると、続いて乾さんが入ってきた。
「準が泣いてるからって、酒巻に頼まれたんだよ。金子さんはきびしいから、乾さんがなぐさめてやって下さい、ってさ。金子さんに叱られたのか、殴られたのか」
「煙草を吸って……」
「煙草を吸って叱られた? それもあるんだろうけど、泣きすぎるからだろ。かなりの時間、泣いてるんじゃないのか。ヒデを呼んでこようか、本橋にしようか。あいつら、金子さんどころじゃなく荒っぽいぞ。おまえときたら、うちの寮に女の子が入ってきたみたいだ、って、みんなが噂してるよ」
「そうなんですか」
「心も女の子か。そんな子が金子さんと同室とは、罪だね」
「……乾さん?」
 気づかれている? 僕自身でさえも、たった今気づいたようなものなのに、乾さんは知っているのか? 僕はどうしたらいいんだろ、と思うと、涙が止まらない。乾さんは穏やかな声音で言った。
「おまえのハートは女の子か。自覚はあるのか」
「わかりません……僕を叩いたりするひとは嫌いなのに……」
「おまえが男なんだったら、鍛えるつもりで軽めに殴るのは俺も賛成だよ。だけど、心が女の子なんだったら、こんな寮にはいないほうがいいだろ。よく考えてみろ」
 乾さんが出ていくと、小笠原さんもやってきた。
「まだ泣いてんのか。俺はお節介なんだろうけど、乾さんが心配してたんだよ。おまえのハートは女の子なのかもしれない、って言ってたけど、意味わからん。なんなんだ、それは」
「僕にもわかりません。でも、僕は金子さんが……」
「気色悪いって言ったらいけないのか……むずかしいな」
 小笠原さんも出ていき、ドアの外で三沢さんの声がした。
「入るよ。準、まだ泣いてんの?」
 ドアが開いた瞬間、僕は灰皿を投げつけた。
「うっきゃあーっっ!!」
 三沢さんが凄まじい悲鳴を上げたものだから、金子さんが駆けつけてきた。本庄さんもやってきて、大丈夫か、と三沢さんに声をかけ、うへーっ、灰だらけっ、とふたりして騒いでいる。本橋さんと木村さんの声もする。乾さんと酒巻くんは掃除をしてくれているようだ。
 なんなんだよーっ、との大声とともに小笠原さんもやってきて、寮生が全員勢ぞろい。そんな中で僕は金子さんに三たび目に頬を叩かれて、大声を上げて泣き出した。


 それぞれにそれぞれらしく書けたようではありますが、三沢さんの口から聞いているだけの栗原さんをこんなキャラにしてしまっては、実物も泣き虫であるらしき彼が本当に泣き出すかもしれませんね。
 結婚している栗原さんだからこそ、ゲイっぽく書いてもいいかな、と思ったのです。本橋さんや本庄さんも結婚はしていますが、彼らが同性に恋をするとは、私には想像もできません。すると、栗原さんしかいないではありませんか。
 金子さんは煙草は吸わない、というのもありますが、そのくらいはいいでしょう。うーむ、しかし、ありふれているのだろうか。
 私には同性愛小説は書けないのでしょうか。暴力的なのは嫌いですが、男同士となるとこうなってしまう。現実の同性愛ってどんなの? ボーイズラヴ小説を読んで勉強しましょうか。でも、過激なのは読みたくないし。
 ではでは、もうひとつ、大人の男女のラヴストーリィを書きましょうか。私はそのたぐいも苦手なので、隆也とユキの恋も喧嘩ばかりになってしまうのですが、がんばって書いてみます。私にとっての執筆は、みな勉強なのですから。


4

 こんなに無口なひとといると、私は困ってしまう。無言で煙草を吸い、無言でお酒を飲んでいるひと。彼の前には私がすわっていて、私も無言でお酒を飲む。私から話しかけないと口を開いてくれないひとに、私は言った。
「ここのおつまみ、おいしいね」
「ああ」
「お酒もおいしい。酔ってもいい?」
「いいよ」
「あなたは酔った? そのくらいのお酒では酔わないのよね。あなたってなんでも強いんだもの。口だけは弱いのでもないんでしょ? 私を愛してる?」
「ああ」
「ああ、ばっかり。私、帰る」
 話をするつもりがこうなってしまって、私はバーのストゥルから立ち上がった。支払いもせずにバーの外に出ていくと、彼が早足で追いついてきた。
「無口なひとなんか嫌い」
 無言のままで私の肩を抱き、無言のままで歩いていくひと。あらがおうとしても私の心は彼のもの。背の高い彼の広い胸に頬を寄せて、私は囁いた。
「好き」
「ああ」
「だけど、もうちょっと喋って。どうしたら喋るの? あなたの好きなものってなに?」
「おまえだよ」
「私はあなたの声も好きなのに、もっと喋って。愛してるって言って」
「愛してるよ」
「お金はあなたが払ってくれたの?」
「当然」
「……お喋りな女も嫌い? 私が喋らないと、ふたりでいても無言の行ばかりになっちゃうでしょ。あなたは私に告白してくれたときだって……」
 好きだ、だけだった。私は彼の真摯なまなざしに恋をして、彼のものになったけれど、好きな女には愛の囁きをくれるものでしょう? 瞳と腕と熱い心を感じ取ろうとしても、言葉がほしいと思ってしまう私は、浅はかな女なのだろうか。
「無口な男が好きだって女もいるけど、無口な相手だと会話ができないじゃないの。無口な男なんて小説にも書けやしない。シナリオだったら仕草や彼の気持ちなんかも書けるけど、小説では無口な男はきわめて書きづらいのよ」
 詰ってみても笑っているばかりの彼に、私は言い募った。
「私を愛してくれるときだったら、あなたの無言の中に情熱を読み取れるの。だから、ベッドでは黙っていてもいい。あなたのキスや愛撫が、愛してるよ、って私に教えてくれる。でも、ふたりでお酒を飲んでるときや、こうして歩いているときには言って。幸生さん、なんとか言って」
「好きだよ、おまえが」
「それだけ?」
「それだけだ、行こう」
 止めたタクシーに乗り込む彼のあとから、私も車に乗った。普段は喋らない彼の、ベッドでの雄弁な愛の行為だけが、ふたりの会話なのだろうか。


 三沢さん、だからね、ここに書いた通りです。シナリオだったらともかく、無口な人間は小説のキャラとしては困りものなんです。
 自分で書いていて吹き出しそうになりますよ。この無口男が三沢さん? たったこれだけでも、無口な男となると書きづらいのに、彼の名を幸生だと設定するとよけいに書けません。笑いそうになってしまいます。
 無口な男が書けないのは修行不足でしょうか。私もけっこうお喋りですし、小説は会話を書くほうがやりやすいし。
 複数の人間がいる場では、無口キャラがいてもいいでしょう。しかし、彼と彼女の会話で一方が無口って設定は、少なくとも私には書けません。ハードボイルドでなくても書けません。三沢さん、無口な男に憧れるのはおよしなさい。
 遊んでいないで、肝腎の「A girl meets a boy」の推敲をしましょうか。
 フォレストシンガーズのみなさんや金子さんと知り合って、三沢さんからは学生時代の話しなども聞きました。私の創作意欲が刺激される逸話はいくつもありましたから、私には夢が生まれたのですよ。
 シナリオライターとしては仕事が入るようになったけれど、小説のほうが大衆受けするでしょう。世の中の人々に読んでいただくのならば、シナリオよりも小説です。私はフォレストシンガーズのみなさんを主人公にした小説が書きたい。
 そう考えるようになっていたころに、三沢さんからのご依頼がありました。三沢さんのご希望に沿った小説を書いたあとには、フォレストシンガーズや金子さんのキャラがそのまんま、それでいてフィクションもまじえた小説を書きたいのです。
 短編小説を書き溜めて、いずれは一冊の小説本にして世に問いたい。手始めが「A girl meets a boy」ですね。
 書けと言ったのは三沢さんのくせして、らしくもなく、この小説の話をしている際には、顔に羞恥の色が見え隠れします。恥ずかしいんですか? 嘘でしょ? 三沢さんって羞恥心はないのでは? 私のほうこそ書いてていささか恥ずかしいのに、そこをこらえて書いてるんですよ。
 ですから、本にしたいと言っても反対しないで下さいね。やめてちょうだい、と言われる懸念はなくもないのですが、私は書き上げます。
 推敲も終えて原稿をまとめたら、三沢さんにもフォレストシンガーズのみなさんにも読んでいただきたい。私はさらに短編をいくつも書く心積もりでいますから、本にすることを反対しないで下さいね。三沢さん、みずき霧笛は心よりお願い申し上げております。
 もちろん他の皆さんも、賛成して下さいね。みずき霧笛、一生のお願いです。よろしくお願いします。切に切にお願い申し上げます。

END



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