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小説10(ハートブレイクボーイ)後編

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フォレストシンガーズストーリィ・10

 「ハートブレイク・ボーイ」・後編

4

 他人の耳に心に痛い台詞にしても、逆にほんわかするような台詞にしても、俺にはあんなにうまくは言えない。そういうのも天性のものなのだろうか。公園のベンチにすわった俺は、寒いよっ、と横で不平をとなえている女は気にしないふりで、デビューしてからの短い日々を思い出していた。
 今年の秋のはじめにデビューして、秋が終わろうとしている。指折り数えたらほんの三ヶ月ほど。そのわりにはずいぶんとさまざまな出来事があった。ジャパンダックスとの出会い、オフィス・ヤマザキ主催ライヴ、全国各地のFM放送局への挨拶回り。新米シンガーズとしては怒涛の日々だったと俺は思う。
「章、寒いよ」
 となりにすわっている女が、俺に身を寄せてきた。
「なんでこんなところにすわってなきゃいけないの? どっか行こうよ」
「……もうちょっと」
「なんで? ここでなにかあるの?」
「なにかあるんじゃなくて、なんだかだとあったんだよ。そんなに寒いか? たいしたことないだろ。まだ秋なんだしさ」
「章は北海道の子だから、寒いのなんて慣れてるんだろうけど、あたしは寒いの」
「我慢しろ」
「……もうっ」
 ふくれっ面が可愛くなくもない、悦子を見ると思い出すのは、他人の耳に心に痛い台詞にしても、逆にほんわかするような台詞にしても……が両方得意な乾さんだ。他人の心を真っ向から斬り捨てる。かと思ったら、他人の心をぽわっとあたためてくれる。被害者も俺、癒されるのも俺。俺がこんな性格だからこそ、なんだろうけど、乾さんにずばずばっとやられるのは俺ばっかりなんじゃないだろうか。
「ここではいろんなことがあったんだよ。デビュー前からさ……ここじゃないけど、おまえと再会したあの日にも……」
「あたしと再会した日?」
 てめえは関わってもいない過去ではなく、てめえが関わっている最近のほうに興味があるらしく、悦子は俺を見つめた。
 あの日、乾さんのアパートをふらっと訪ねた日だ。乾さんには半分しか話さなかったけど、昔のロック仲間に再会した中に、悦子がまじっていたのだ。フォレストシンガーズのメンバーになる前は、俺はロックバンドをやっていた。「ジギー」という名の女の子バンドで、黒一点の俺はヴォーカリストだった。
 アマチュアではあったけど、ジギーには熱烈なファンがいた。悦子もそのひとり。当時から俺に熱いまなざしを注いでくれていた。ありがたいと言えばありがたいのだけど、俺の好みじゃない。少々ボリュームがありすぎるのと、化粧が濃すぎるのが難だったのだろうか。ただなんとなく趣味ではないから近寄らずにいた。
「ストーンズかぁ。彼らもガキのころは不良少年だったんですよね。今でも不良老年か。ビートルズにしたって同じだよね。ロッカーってのはろくでもない奴らの集団なんだ。なのにさ、あいつらはてめえらが至上の音楽をやってるとふんぞり返ってやがる。昔の知り合いに会ったんです。そいつらと飲んだ。そしたら言いやがった。章は将来の保証ができたんだよな、俺たちには保証なんてなーんにもないけど、生きてる張りはあるぜ、夢をぶん投げて安定を目指すだなんて、ロッカーの風上にも置けねえよ、おまえなんかもはやロッカーじゃねえよ……だってさ」
 ふらっと訪ねた部屋で、乾さんのギターを放り投げて弦を切ってしまって、乾さんを怒らせた。そんなことでシリアスに怒るひとではないのだが、咄嗟にすみませんが言えなくて、気まずくなってしまった。俺がガキみたいにすねていると、乾さんはローリング・ストーンズのCDをかけてくれた。
 あ、気を使ってくれてるんだ、と気づいた俺は、その夜にあったことを話した。ほとんど事実だ。昔の仲間は俺に憫笑、冷笑、嘲笑、ありったけの侮蔑を向けた。
「将来の保証なんかないよ。おまえらとおんなじだよ。俺なんか……俺たちなんか……なんの保証もないけどやってるんだよ。歌いたいから……みんなそうだよ」
 力なく反論したら、ジギーと同じようなアマチュアバンドをやっているタカシが言った。
「おまえってころびバテレンみたいなもんじゃん。昔は言ってただろ。俺は覚えてるぞ。章は言った。俺の魂は生まれつきのロッカーなんだ、ロックで生きる以外の道は考えられないよ、ってさ。なのになんだよ。ロックではプロになれなかったからって、コーラスグループ? そんなの俺たちの生きる道じゃない。おまえは裏切り者だ」
 ころびバテレンってなに? ときょとんと尋ねたのが悦子だった。俺も知らない、なんだ、それ? 俺も俺も、と他の奴らも言い、タカシが躍起になって説明していた。俺はその隙にこっそり居酒屋を抜け出したのだが、悦子がついてきたのだった。
「……あいつら、ひがんでるんだよ。あいつらはいつまでたってもプロになれないのに、章はプロになっちゃったから。気にしなくていいんじゃない?」
「気にしてねえよ」
 大嘘だった。思い切り傷ついていた。
「あたしのことは覚えてる?」
「なんとなく」
「つめたいな。章の大ファンだったのにさ」
「ロッカーじゃない俺でも?」
「ロッカーじゃなくても章は好き。あたしの大好きなタイプの顔なんだよね。身長が足りないけど、その顔があったら許す」
「おまえに許してもらわなくてもいいんだよ」
 好きなのは顔かよ、そんなファンなんかいらねえんだよ、とは言わずにおいた。悦子も言いたいことをずばりと言う性格であるようだが、乾さんとは次元がちがう。なにやら期待しているような雰囲気は感じたのだが、のらりくらりとかわして逃げ出した。乾さんのアパートを訪ねてなぐさめてもらおうと思ったわけでもないのだが、本音は甘えていたのだろうか。
 だけど結局怒られて、俺はますます拗ねてしまって、乾さんもそんな俺を持て余したのか、幸生を呼び出した。乾さんの部屋で幸生と取っ組み合って、だからってすっきりもしなかったけど、すこしは気がまぎれて、乾さんにあやまることだけはできた。幸生とふたりで帰る道すがら、俺は言った。
「乾さんって腹立たしいんだよ。あの……あの澄まし顔にむかつくんだよ。なんだってああ出るんだ? 悪いのは全部俺だぞ。俺の勝手な八つ当たりでギターがいかれちまったんだ。大事なギターなんだろうが。素直に怒れよ。リーダーみたいにさ、ぼかっとやったらいいじゃないか」
「ギターの弦を切ったからってぼかっ? リーダーだってそうは出ないよ」
「そうか?」
「思い出してみな。リーダーに殴られたあれこれを」
「……んんと……」
 本気でばちーんってのは数少ない。乾さんが殴れと言ったから、という理由で、俺が無断遅刻したときに殴られたのしか思い浮かばない。あれも乾さんがらみか。いっそうむかついてきた。
「そんなのどうだっていい。俺は乾さんの話しをしてるんだよ。あのねちねちこちこちした態度……腹が立つ」
「ねちねちしてるか、乾さんって」
「してないか?」
「俺にはそうは見えないよ。章はまだまだなんにもわかってないね」
「おまえはわかってんのか」
 わかるわけないじゃーん、と幸生はけろりと言った。
「一筋縄ではいかないひとだって、前にも言わなかった? おまえや俺みたいなガキに、乾さんの心根は見えないよ。長年つきあってたら徐々に見えてくるかもな。楽しみだな」
「楽しみなんかじゃないよっ」
 あああ、俺、ついていけるんだろか、そう考えたのは何度目だっただろう。新人シンガーズとしてはそれからは多忙になって、おかげでうだうだ考えずにすんでいた部分はあるのだが、悦子が俺の生活に入り込んできて頭痛の種が増えた。
「……俺んちの電話番号を誰に聞いた?」
「タカシ」 
 あんの野郎……ではあったのだが、今の俺には彼女はいない。女の子の存在というものはないよりはあったほうがいいので、深入りはしないつもりでちょこっと会ったりはしていた。今夜もプラトニックなデートのつもりで、悦子と公園のベンチにすわっているというわけである。
「あたしと会った夜になにがあったって?」
「それはいいんだけどさ、おまえ、もうすこし化粧を薄くしない?」
「やだ」
「おまえの素顔が見たい」
「……口説いてんの?」
「誰がっ!!」
 危ない危ない。プラトニックのはずだった。意志薄弱は木村章の特質のひとつではあるが、好きでもない女の子とは寝ない。寝なくても素顔を見る手段はないものか、下らないことを考えながら、じゃ、ま、飲みにでもいこっか、と言ったら、悦子はなーんだ、つまんねえの、という顔をしてついてきた。
 公園から出ると、悦子が俺の腕に腕をからめてきた。腕を組む程度はいいとしてやろう。あれこれ話しかけてくる悦子に相槌を打ってはいたものの、俺の脳裏にぱっぱっと行きかうのは仲間たちの顔ばかり。本橋さんに乾さん、本庄さんに幸生。彼らにまつわる出来事。章ってそんなに先輩たちが好き? と憎らしそうに尋ねたひとを思い出す。スーはどうしてるかな。どうせだったらスーに再会できたらよかったのに。なんてこともちらっと考えつつ、俺は大阪での一夜を思い出していた。
 成功したロッカーのトミー。名もないロックバンドだったのはかつてはジギーと同じだったのに、今ではロックスターのブラックフレームス。うらやましいやら悔しいやら妬けるやらまぶしいやら、複雑な感情を持ってもいたのだが、トミーと話しているのは楽しかった。彼はふっと言ったのだった。
「乾くんって目つきが鋭いな」
「……そう、ですかね。普段はそうでもないけどね」
「そうかぁ。俺の気のせいかな」
 酒をすごすとじきに寝てしまう俺は、あの夜も早々とダウンした。もっともっとトミーとロックの話がしたかったのに、眠くなってしまったらもはやギブアップだ。乾さんが鋭い目でトミーを見ていた……なぜなんだろう? 詮索したら乾さんに怒られそうで、つっこんでは尋ねられなかった。
 あの晩の乾さんはらしくもなく、ものごとをはっきり言わなかった。俺のせいではなく? 乾さんの挙動ってやつは、俺ごときにはたしかにわからないのかな、と考えておくしかないのか。
 あんたらについていけるのかと俺が弱気になるわけはいくつもあるけど、最大の原因は乾さんだ。幸生は同い年だからその点だけはやりやすい。本橋さんと本庄さんは、いつか幸生も言った通り、適当に先輩としておだてておけばいいのかもしれない。だけど、乾さんは……俺の想いはほうぼうに揺らめく。揺れては寄せて寄せては返す波のようだ。俺は頭を振って、気持ちをたった今に引き戻した。
「俺の仲間たちを知ってる?」
 尋ねてみたら、悦子はつまらなそうな顔になった。
「あたしがなにを言っても聞いてないと思ったら、先輩たちのことを考えてたの? デートしてるときぐらい、あたしのことを考えてよ」
「……知ってるのか知らないのか、どっちだ」
「知ってるよ、一応は。フォレストシンガーズ」
「表面だけしか知らないんだよな」
「そりゃあそうだよ。会ったこともないのにさ。紹介してくれる?」
「おまえを紹介する必要はない」
 我ながら悦子には強気に出られるのは、好きではないからだ。悦子にしてみたって、好きなのは俺の顔だと言う。こんな仲は虚しいって気がしなくもないけど、やっぱり女の子はいるといないじゃ大違いだしなぁ……などと、またしても気をよそにそらしつつも、俺は言った。
「本橋さんってのがリーダーでさ、年も俺よりふたつ上だからいばってる。乾さんはサブリーダー格で、本橋さんと同い年だ。乾さんは時には本橋さんよりいばってる。その次は本庄さん、本庄さんは別にいばってない。先輩とはいってもひとつ上なだけだし、頭も口もあんまり回らないから扱いやすいかな。幸生は口ばっかりの奴。こいつは俺と同い年」
「そんなんじゃわかんないよ。見た目はどんな感じ?」
「本橋さんは背が高くてがっちりしてて、見た目もいばってる。女の子から見たら怖そうな男じゃないのかな。むすっとしてると顔が怖い。乾さんはまるで美形じゃないんだけど、自分をかっこいいと思ってるんだよ、たぶん」
「そういう男って寒いよね」
「だろ? 幸生が言うには、乾さんってのは自惚れさせると始末に負えないから、かっこいいなんて言うなよ、ってさ」
 実際なかなかかっこいいんだけどね、とは言いたくなくて、俺は先輩たちを悪し様に言う気分に酔っていた。
「本庄さんは年より老けて見える。本橋さんよりもっとがっちりしてて、背はそんなに高くないけど力自慢の馬鹿だよ」
「おじさんっぽいの?」
「そうそう。んで幸生……こいつはちびの軽薄馬鹿」
「いばりたがりの馬鹿とかっこつけたがりの馬鹿と、力だけの馬鹿と軽薄馬鹿? 章の仲間って馬鹿ばっかりじゃん」
「そうなんだよ。おまえ、けっこううまいこと言うね」
 そんでな、俺はその上手の馬鹿……と言いそうになったのだが、からくも口を閉ざした。
「なにが楽しくてそんなのとつきあってんの?」
「仕事だから」
「……大変なんだね、章」
「だろ? 同情してくれる? 今んところは正式なマネージャーまでは行ってないんだけど、近いうちには俺たちのマネージャーになるって決まってる女がいて、それがまたいばってんの。本橋さんや乾さんと同い年だし、俺たちより先輩なんだよね。大学のときから本橋さんたちとは仲が良くて、ああいう強い男が味方してくれると思って、俺みたいのは見下げてるんだ。女にまでいばられてるんだぜ、俺は」
「ふーん、かわいそ」
 それでさぁ、俺はさぁ……などなどと、際限もなく愚痴と悪口を垂れ流しているおのれに嫌悪感を抱かなくもなかったのだけど、悦子をみんなと会わせる気はさらさらない。それをいいことに俺は、ひたすらうだうだを続けていた。内心の内心では、こんな台詞はほとんど本音じゃないんだけどね、なんて、誰にともなくいいわけしてるのが情けなくて、よりいっそううだうだしていたのだった。
 

 アマチュア時代に公園で歌の練習をするのは、たいていが夜だった。全員がアルバイトで生計を立てていたので、時間のやりくりをして夜に本橋さんのアパートに集合し、公園に向かう。その日も夜だったのに寝坊して、大幅遅刻して本橋さんに殴られ、乾さんには猛烈に叱りつけられて懲りた俺は、遅刻厳禁をおのれに課していた。
 なのに今日も寝坊してしまった。ねぼすけ章はどうしようもないね、と幸生が呆れている。本橋さんは怒ってる。乾さんはなにを言ってやろうかとてぐすね引いている。本庄さんは、とりなしてやろうと考えてくれているかもしれない。
 仲間たちのそれぞれの顔を思い浮かべながら、俺は早朝の駅へと走っていた。今日は岡山の田舎でのイベントのために、新幹線と在来線を乗り継いでごとごとと旅をする予定なのだ。本橋さんに電話はしたものの、これは怒られるのは必至だ。殴られてもしようがない。プロになったってのに……アマチュア時代以上に許してはもらえないのは当然だろう。死にそうになるほど必死になって駅にたどりついたら、美江子さんがひとりで待っていた。
「……今回は私がお供します。みんなは先に行っちゃったよ。チケットの時間変更はしてあるから、行きましょうか」
「はい、すみません」
 しょぼくれて美江子さんのあとからついていった。悦子に悪口三昧言ったバチでも当たったんだろうか。あんなの本音じゃなかったのにぃ、章の馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿の無限大。悔やんでも悔やみきれない気分だったから、俺は電車の中ではほとんど口をきかなかった。美江子さんも怒っていたのか、俺のとなりの席で書きものをしたり調べものをしたりしていて、ほとんどなにも言ってくれなかった。
 たどりついたのは俺の故郷ほどではないとはいえ、かなりの田舎の駅だった。こんなところでイベントって……ホールなんかあるのか? あるんだろうな、イベントは事実、おこなわれるのだから。などと俺は考えていたのだが、駅から出ると美江子さんは立ちすくんだ。
「……すっごい雪。まだ真冬でもないのに、岡山ってこんなに雪深い地方なの?」
 やっとまともに口をきいてくれた。
「そんなはずはありませんよね。稚内じゃないんだから」
「そうよね。うわ、困ったな。ブーツにするんだった」
 黒いコートにスーツ、足元はフラットではあってもパンプスだ。これでは普通に歩けまい。ひなびた駅前にはタクシーもいない。そもそもタクシーに乗るほどの距離ではないと美江子さんは言った。
「どうしようか。旅館に電話して迎えにきてもらうしかないかな」
「そうですよね。異常気象が悪いんですよ。美江子さんはその靴じゃ歩けない……か。いやじゃなかったらおぶってってあげる……なんて言ったら怒ります?」
「章くんが私を? 無理だよ」
 無理と決めつけられると、なにをー、となるのは世の常である。俺は意地になって美江子さんに背中を向けた。
「俺は稚内出身ですよ。これしきの雪はなんともない。そのくせ寒いのは苦手だけど、それは北海道の家庭ではどこでも暖房ががんがん入ってて、寒くないからなんです。雪には慣れてます。弟をおぶって歩いたこともありますよ」
「章くんの弟さんって、十二歳年下でしょ? ちっちゃかったんでしょ? 私は章くんと体重もそんなにちがわないよ。無理だってば」
「無理じゃない」
 えーい、つべこべ言うな、とは言えないが、俺はますます意地になった。
「俺だって男ですよ。身長も美江子さんよりはほんのちょっとだけど高いし、美江子さんよりは体重もありますよ。こう言ってるのがリーダーか乾さんか本庄さんだったら、おぶってもらうんじゃないんですか? 俺をなめないで下さい」
「……共倒れになったらどうするの? 旅館に電話して車に来てもらおうよ」
「できます。早くおぶさって」
 大丈夫かなぁ、とは思っていたのだが、言い出した以上はあとに引けない。困惑顔の美江子さんをまっすぐ見て言った。
「気持ち悪いんですか、俺の背中は」
「そうじゃないけど……だって、悪いじゃない。私がパンプスなんかはいてきたばっかりに、章くんに迷惑かけられないよ」
「俺は平気です。いっぺんやってみたかったんだ。女のひとを背負って雪道を歩くなんて、頼りがいのある大人の男そのものって感じでしょ」
 稚内にいたころに見た記憶がある。背負っていたのは若い男で、背負われていたのはおばあちゃんだった。祖母と孫だったのだろうか。今になって考えれば、乾さんとおばあちゃんはあんなだったのかもしれない。金沢にも雪は積もるんだから、乾さんもおばあちゃんにあんなふうにしたことがあるかもしれない。俺もやってみたい。おばあちゃんより美江子さんのほうが、背負ってて気持ちいいのは当然だろうし。
 そこまで考えてふと思った。よこしまな気分は入ってないか? 気持ちよさそう、なんて言ったら断固拒否されそうだ。純粋に困っている美江子さんを助けるんだ。そうだそうだ。
「美江子さん、遅くなるばっかりですよ。いいから」
「……ごめんね」
 ようやくうなずいて、美江子さんは俺の背中に身体を預けた。よっこらしょっと持ち上げて、そう重くもない、これだったら大丈夫だと安心して、俺は歩き出した。
「ころばないでね。重いでしょ? ごめんね」
「重くなんかありませんよ。ころびませんって。こうしてる俺ってかっこいい?」
「とってもかっこいいよ」
 人が歩いていたら、美江子さんも恥ずかしかったかもしれない。だが、すれちがう人は皆無で、そのうちには美江子さんも軽口をきいてくれるようになっていた。
「やっぱりケータイを買わなくっちゃね。社長がケチだから買ってくれないのよ。みんながケータイを持ってたら、こんなときには便利なのに。章くん、私の体重がこたえてきてない? 降りようか」
「そんなに心配しないで。俺も男だ。なんのこれしき」
「男って大変だね」
 うー、宿はまだか、と弱音を吐きたがるおのれを叱咤して、俺はへっちゃらなふりをよそおって歩き続けた。本橋さんや乾さんは、美江子さんをひょいと抱き上げて走れる。本庄さんは俺を抱えて走っていったことがある。幸生は知らないけど、他の三人だったら美江子さんをおんぶするなんて朝飯前だろう。おんぶは抱っこよりも楽なはずだ。ここで投げ出しては男がすたる。がんばれ、章。
 すたるほどの「男」の持ち合わせなんかないのに、それでも意地を張るのは、やっぱり俺も「男」にとらわれてるな。リーダーのがうつってきたかな。寒いはずが汗だくになって、汗が目にしみて痛い。足取りが重くなってきたころ、美江子さんが指さした。あそこだよ、と言われて気が抜けそうになったのだが、もうすこしだ、がんばれ、章。
「いらっしゃいましたよーっ」
 宿の前に立っていたおばさんが、中に向かって叫ぶと、ばらばらとみんなが出てきた。幸生が目をまん丸にして言った。
「うわっ、章があんなことしてるよっ。明日は吹雪くんじゃないの?」
「バッカヤロー、こんだけ雪が積もってるんだから、吹雪いたって不思議はないんだよ」
「どうした、山田? 足でもくじいたのか」
 そう言う本橋さんも雪道のせいなのか駆け寄ってこない。本庄さんが近寄ってこようとして、ずでんと転倒した。幸生も遠くで騒いでいて、そばに寄ってきたのは乾さんひとりだった。
「さすが雪国生まれの乾さん」
「おまえもだったな。ご苦労さん。ミエちゃん、足をどうかした?」
「そうじゃないの。この靴だから歩きにくいだろうなって、ほとほと困ってたら、章くんがおぶってくれたのよ。章くん、死にかけてない? 重かったでしょ?」
「そんなには重くなかったけど、疲れた。正直言って死にかけてますよ」
「このあたりの人も雪には慣れてないから、今日は道でころぶ人が続出してるらしいぞ。雪道を歩くにはコツがいるんだよな。さすがは章だ。では、失礼」
 乾さんが美江子さんを俺の背中から抱き上げてさらっていき、どうにかそばに来た本庄さんが俺に肩を貸してくれた。
「へとへとになってるだろ。いや、俺もさ……うわっ」
「うわわーっ!!」
 今度は本庄さんとふたりしてころび、幸生が手を叩いて笑い、本庄さんは幸生に言った。
「こらっ、笑うな。おまえだって何度もこけただろうが」
「そんなの忘れたもーん。そうかぁ、北海道出身者にはそういう特技があるんだな。章、俺はおまえを見直したよ。やればできるんじゃん」
「へっ……ねえ、本庄さん、むしろ邪魔。ひとりで歩きますから」
「そうだな。俺も雪なんてものには慣れてないから、ここまで来る途中は苦労したよ。本橋さんも幸生も俺も、こけかけたりこけたりしてくたびれた。乾さんだけだったよ、平気で歩いてたのは」
「そりゃあね」
 ふたりとも雪国生まれだもん、なんていばってみせて、全員が宿に入ると、幸生が言った。
「リーダー、章の遅刻はこれで帳消しってわけには……参りませんか。そうでしょうね」
「それとこれとは話が別だ。章、いいわけは?」
 だってっ、と言いかけたのをこらえて、俺は頭を下げた。
「すみませんでしたっ。寝坊しました。二度とこんなことはしません。リーダー、どうぞ」
「なにを?」
「殴るんでしょ?」
「先手を打たれたら殴れねえよ。反省してるんだったらいい。二度と……とは言うまでもないな。おまえは寝る前には目覚まし時計を十個ほどセットしとけ」
 はいっといい返事をしたら、幸生が安心したみたいな顔で笑った。なにを言ってやろうかとてぐすね引いて待ち構えているんじゃないかと想像していた乾さんもなにも言わず、美江子さんは言ってくれた。ありがとう、章くん、って。その微笑がくたびれ果てた俺の全身にしみいるようで、俺は心で言った。
 ごめんなさい、美江子さん、俺は悦子に美江子さんの悪口を言い散らして憂さ晴らししてたけど、本心なんかじゃありませんからね。正直重かったけど……美江子さんの身体が背中に密着してるのは気持ちよかったな。なんてのは内緒、絶対に内緒。
 
 
5

「The star falls glittering.
 Light pours down on you.
 The shine of the stellar light and the moon
 You are encompassed.

 I become one two people who want to melt by two people as it is and
 want to be connected through all eternity.

 Inside of my arm
 Your smile seeing
 It is more beautiful than the star in the night sky. 」

 凍てついたり汗をかいたり、冷えたり暑くなったりの身体に、温泉のお湯がしみ渡っていく。精神的にはみんなの言葉が、肉体的にはお湯が癒してくれて、俺のひねくれ根性も薄らいでいた。
 この間、こんな歌を作ったんだよ、と言って、乾さんがお湯の中で「世界にひとつだけの……」を歌ってくれた。夜空にきらめく星たちの中で歌う恋の賛歌か。俺も真似して作ってみた。英語が苦手の幸生は、章ちゃんったら意地悪、とぼやいていたが、俺にしたって英語はあやふやだ。ロックで覚えた英語に自信はない。単語や文法も変かもしれない。英語国民に聴かれたらバカにされるかもしれないけど、今のところは雰囲気だけでも。
 自作の歌を歌ったり、冬、夜、星、をテーマにした既成の歌を歌ったり、相客のいない温泉を五人で楽しんでいたら、となりの女湯から美江子さんの声がした。
「聴衆は私ひとりの温泉ライヴだね。乾くんの歌も章くんの歌も、夜空の星が見えてきそうにきらきらしてた。もっと歌って。幸生くん、女の子の歌も歌ってよ」
「リクエストですかー。女の歌ねぇ。これはいかがでしょうか」
 歌い出したのは「M」。プリンセスプリンセスだ。女の子バンドなのはジギーと同じでも、かたや超有名な成功したバンド、かたや俺たちは……較べるのもまちがっている。

「いつもいっしょにいたかった
 となりで笑ってたかった
 季節はまた変わるのに心だけ立ち止まったまま
 あなたのいない右側にすこしは慣れたつもりでいたけど
 どうしてこんなに涙が出るの」

 きわめてキーの高い歌を、幸生はなめらかに歌っている。
 俺たちの声をひと文字であらわせば、幸生は「甘」、俺は「高」、本庄さんは「渋」、本橋さんは「円」、乾さんは「澄」であろうか。スゥイートに高らかに情感たっぶりに、幸生は熱唱していた。この歌の主人公の女の子を俺に変えたら、スーと俺を歌ってるみたいだ、と俺は思う。悦子なんかどうでもいい。俺の心にはまだスーがいる。
 心の片隅には別の思いも生まれる。俺のひねくれ根性……仲間たちへの疎外感、齟齬感、俺が大学を一年限りで中退してしまったからか。俺にはブランクがある。三年間の空白期間が、俺を芯からは仲間たちに溶け込ませてくれないのかもしれない。気にしなければすむのに、誰もそんなことは言わないのに、俺はひがんでいる。大学を辞めたのは自らの意志だった。それを後悔はしていないけど、寂しさ? 仲間はずれ感? そんなものが心に忍び込んでくるのだった。
 大学のころにさ……だとか誰かが言い出しても、俺には会話に参加できない場合がある。彼らの口から出てくる人の名前が、俺にはわからない場合もある。合唱部の後輩の名前なんかは、俺にはわかるはずもない。俺には後輩というものはいないのと同じなのだから。
 そんなのしようがないよな、大学をやめたのは俺の勝手だもん。つまらないことを考えるのはやめよう。お湯の中にもぐって泳いでいって、幸生の足を引っ張ってころばせてやろうかと思っていたら、美江子さんの憤慨した声が聞こえてきた。
「そこにいるのは誰? そんなところに登ってなにをしてるの?」
 なんだなんだ、と本橋さんの顔も剣呑になり、乾さんが立ち上がった。
「覗き魔がいるのか。見てくるよ」
「俺も行きます」
 小さな鄙びた宿だが温泉は潤沢だ。古い宿には間々あるらしく、男湯は女湯より二倍ほど広い。観光客が訪れるような土地ではないので、温泉好きの若い女性を意識もしていないのだろう。近くの農家のひとたちが湯治に来る宿なのかもしれない。古ぼけた建物だ。
 女湯がどうなっているのかよくわからないが、美江子さんは風呂場から出ていったようだった。乾さんと本庄さんが様子を見にいき、のんびりしていたのが突然殺気だってきて、本橋さんも立ち上がった。そそくさと服を着て外に出てみると、女湯の窓の外に高い塀が張り巡らせてあった。宿の浴衣に丹前を羽織った美江子さんが、上気した頬をして言った。
「あの塀に誰かが登ってた。女湯は私だけだったのよ。私が声を出したら逃げていったけど、見られたかもしれない」
 怒っているのと湯上りなのとで、美江子さんの頬が赤い。髪をアップにしていて、悩ましくも色気のある姿だったのだが、そんなことを言ったら殴られそうなので自重していた。
「駄目よ。乾くん、登ったら駄目。落ちるよ。雪もあるのに」
「大丈夫だよ」
 身軽に塀に身体を引き上げた乾さんが、あたりを見回して言った。
「ああ、見えるね、風呂場が。ミエちゃん、どんな奴だった?」
「ちらっと見えただけだからわからない。腹は立つけど今さらどうしようもないじゃない。だけど、あんなことをされるんだったらもうお風呂に入れない。私はもう寝る」
 ぷんぷんしながらの美江子さんは行ってしまい、俺たちは温泉に戻った。男湯にも窓はある。覗き魔があらわれないかと窓から見張っていたら、そいつは性懲りもなく再びやってきた。窓の外を人影が動き、俺たちは服を着たままだったので、乾さんが俺に命令した。
「章、むこうへ回れ。俺はここから出る」
「ひぇ? この窓から?」
 幸生が尋ね、本庄さんは言った。
「俺にはここから出るのは無理そうだけど、乾さんだったら出られるでしょう。おまかせしますよ、章、行け。挟み撃ちだ」
「わかりましたっ」
 なにせ外は雪深いので、雪に慣れている乾さんと俺しか身軽には動けない。俺は走り出して、別方向から塀に登った。俺には腕力はないけど、身体が軽くて敏捷性はあるつもりだ。落っこちないように警戒怠りなく塀を歩いていくと、乾さんも窓から出てきて賊を挟み撃ちにするのに成功した。が、そいつがなにものなのか判明した途端、乾さんと俺は口をぽかんと開けた。
「……女の子?」
 立ち直ったのは乾さんが先で、唖然とした声を出した。
「女の子が覗きをやってたの?」
「覗きじゃないよ。散歩」
「……夜中に塀の上を散歩? きみはどんな趣味だ」
 中学生だろうか。子供じみた、というよりまさしく子供。寒いのに軽装の女の子はあっけらかんと言った。
「都会から来た綺麗なお姉さんが温泉に入ってるって言うから見にきたの。お兄さんたちはあのお姉さんの連れ?」
「そうだけど、きみも女の子なんだから、彼女と会いたかったんだったら風呂場に行けばいいだろ」
「なんとなくいやだ」
「なぜ?」
 と俺は尋ねたが、乾さんは苦笑した。
「わかる気もするけど、いたずらはほどほどにしなさい。落ちて大怪我でもしたらどうする。夜中の塀の上で時ならぬ話をしてる必要もないよ。きみだけだね、覗いてたのは? 男の子といっしょになっていたずらなんかしてないよね」
「男の子が来たら叫んでやるよ」
「そりゃそうだ。きみだったらミエちゃんのためにはよかった。さ、降りて。登ったんだから降りられるだろ」
「んんと……ちょっと怖い」
 登るのは平気でも降りるのは怖い、ってのは理解できなくもない。やれやれと肩をすくめた乾さんが塀から飛び降りて、女の子の腰を抱えて降ろしてやり、俺も続いて飛び降りた。乾さんがわざとのような怖い顔で、女の子を叱った。
「おいたはめっだよ」
「はーい、ごめんなさい」
 やけに素直になった女の子の顔を見ると、どういうわけかこっちも頬がぽぽっとしている。ショートカットのか細い身体。背丈は俺の胸までしかない小さな子だった。小学生なのか? と訊いてみたら、彼女は憤然として答えた。
「中学二年」
「ちっちゃいね」
「あんたは大人なんじゃないの? あんたもちっちゃいね」
「ほっとけ」
 標準語を使おうとつとめているらしいが、なまりは感じ取れる。章、中学生と対等にやり合うな、と苦笑しっぱなしの乾さんが言い、女の子に向き直った。
「この宿の娘さん?」
「ちがうけど、うちは……遠いの。送ってってくれる?」
「送るのはいいけど、二度とあんないたずらはしない?」
「しないから」
「よし、じゃ、送っていくよ。章、そういうことだからみんなに報告してきてくれ」
「了解」
 なーんだ、単なる子供のいたずらか。それにしてもなんだろ、あの子。俺には生意気な態度だったのに、乾さんにはしおらしかった。貫禄の差ってほどの差はないはずなのに……宿の中に入っていくと、他の三人は部屋に戻っていて、美江子さんもいた。俺が先ほどの一幕を説明すると、幸生が言った。
「やっぱ乾さんだよな。そんなちっちゃい子もぽわんとなっちゃったんだ」
「ああ、あれってつまり?」
 きっとそうだよ、と美江子さんも笑った。
「章くんにはそんなで、乾くんには素直だったんでしょ? 恋しちゃったかな。中学生だったらそんなのもあるよ。都会から来たお兄さんに恋をした一夜、その子のいい思い出になったらいいけど」
「その女の子が、美江子さんといっしょに風呂に入るのがいやだったわけは?」
 そんなの知るかよ、と本橋さんと本庄さんは言い、幸生は言った。
「引け目を感じたのかな。都会の綺麗なお姉さんとともに入浴するには、私はこんなにちっちゃな子供だし、なんてね」
「将来は美人になりそうだったよ、あの子」
「章ったらどさくさにまぎれて、そんなところはしっかり見てたんだ。女には抜け目がないんだから」
「女ったってガキだろ。幸生、バカぬかすな」
「乾さんが懇々と言い聞かせて、あの子も心を入れ替えておしとやかな女性に成長するんだよ。将来は美人になったその女の子が、俺たちの前にあらわれたりしたらいいな。そのせつはごめんなさい、ちらりと見ただけだけど、あの瞬間、私は三沢さんに恋をしたんです。今こそ大人になった私の想いを受け取って下さいな、って。そのとき、彼女は二十歳、俺は三十間近ってとこか。いいかも」
「……あり得るとしても、相手は乾さんだよ」
「そうでしたね、ちぇーっだ」
 幸生と馬鹿話をしていると、やがて乾さんが帰ってきた。
「遠くなんかなかったよ。あの子の家はすぐそこ。明日のイベントに来るって目を輝かせてた。いたずらっ子だけど可愛い子だったよ。ミエちゃん、相手は女の子なんだから許してやってくれるよね」
「乾くんが叱っておいてくれたんでしょ? 許してあげましょ」
 紺のセーターにグレイのパンツ、無造作でいながらそんな服装がぴたりと決まるのは、本橋さんや本庄さんと乾さんの決定的なちがいだ。ルックスはタイプがちがうので、本橋さんのほうが好き、と言う女の子もいるだろうけど、客観的に見れば乾さんは本橋さんよりかっこいい。
 コートも着てなかったから冷えた、もう一度風呂に行ってくる、と言い残して乾さんは行ってしまい、美江子さんも、私も行こうかな、中途半端だったからあんまりあったまってないし、と言った。すると幸生も便乗して言った。
「美江子さん、俺も行っていい?」
「お風呂に? いいよ」
「あのぉ……風呂は風呂でも……」
「女湯は駄目だからね」
「あ、さようでございますか」
 当たり前だろ、と本橋さんにごつんとやられて、幸生は大げさに大騒ぎしている。俺もこんな性格に生まれたかったなぁ、と何度目かに俺は思ったのだけど、どうせ不可能な願望を抱くのならば、幸生より乾さんがいいかも。俺みたいにゆらゆらふらふら揺らめかない、毅然とした大人である乾さんのように、俺もいつかはあんなふうになれるんだろうか。たったふたつしか年はちがわないけど、俺では何年たってもああはなれない気もするのだった。


 東京も寒くなったけど、稚内はさらにはるかに寒いんだろうな、と思っていると、ベンチのとなりにすわっている悦子が言った。
「章ってば、どうしてここにばかり来たがるの? 寒いよ」
「デートったら公園が定番だろ」
「冬の公園なんか定番じゃないよ。デートしてるつもりだったら、もっとムードのいいところに行こうよ」
「おまえとデートしてるつもりはない」
 デートって言ったじゃん、と口をとがらせる悦子の顔は、化粧さえ薄くしたら可愛くなくもないはずだ。が、何度言っても厚化粧はやめない。言葉をつくして説得するほどの仲でもあるまいし、俺は諦めていたのだが、顔を見ると言いたくなって、言いたくないので話題を変えた。
「なあ、悦子、こないだのは本心じゃないんだぜ」
「こないだのって?」
「むしゃくしゃしてたからみんなの悪口を言ったけど、あんなの嘘だから」
「ふーん、どっちがほんと?」
「どっちってさ……そりゃあな、今でもしょっちゅうむしゃくしゃしてるよ。売れる兆候もゼロだし、仲間にしても回りの人間にしても変な奴らばっかりで俺は疲れるし、歌ってりゃ幸せだとは言っても、おかしなことはやらされるし、歌にしたってロックじゃないし」
 やっぱりそうなんだ、と悦子は俺の顔を覗き込んだ。
「章はロックじゃなきゃ満足できないんだよ。やめちゃいな」
「フォレストシンガーズをか? スーみたいに言うな」
 スー? と呟いて、悦子の人工的な細い眉がぴくんと動いた。
「スーってジギーでベース弾いてた子だよね。つきあってたの?」
「おまえにゃ関係ないだろ」
「関係ないかもしれないけどね、つきあってたんじゃなくてつきあってんの? 章は二股かけてんの?」
「かけてねえよ。俺は二股だけは絶対にやらないし、第一、おまえとはつきあってない」
「……そう、そうなんだね」
「スーにはふられた。俺には彼女はいないんだよ」
 そうなんだね、と繰り返し、悦子はくちびるを噛み締めた。
「スーがどうしてるか、あたしは知ってるよ。教えてあげようか」
「でたらめ言うな」
「でたらめじゃないよ。スーはねぇ……」
「聞きたくねえよっ」
 耳をふさいでも悦子の声が聞こえてくる。スーは背が高くてかっこよくて売れてるロッカーとつきあってるんだよ、もうじき結婚するかもしれない、できたとか言ってたし……と聞こえてくる。
 そんなの嘘だ。もしも本当だとしても、今さら俺にはなんの関わりもない。誰とでもつきあって、なんでもいいからできちゃって、結婚して幸せになればいいじゃないか。俺は祝福してやるよ。おめでとう、スー、幸せになれよ、ってか? 言えないよ。悔しいよ。俺はこんなところで好きでもない女といて、おまえは別の誰かの腕の中? そんなのないよ、スー。
 あれは去年だった。俺が幸生に誘われてフォレストシンガーズのメンバーになり、俺はそのときはたいそう嬉しかったのだけど、スーは最初から拒絶反応を示していた。スーは本物の女ロッカーだったから、ロックを捨てた俺が許せなかったのだ。
 喧嘩は数限りなくした。スーは気性が荒くて、怒りながら泣きながら俺にむしゃぶりついてきたっけ。殴られたら殴り返したから、殴り合いだの取っ組み合いだのものの投げ合いだの、いつもやっていた。
「女の子に殴られたからって殴り返すなんて、おまえはそれでも男か」
 実に乾さんらしい台詞だと今になったら思うけど、そんな話をしたら乾さんにそう言われた。横合いから幸生が茶々を入れて、乾さんの言葉も幸生の言葉もはっきりとは覚えていないけど、乾さんはこうも言った。
「女の子と喧嘩して、彼女が殴りかかってきたとしたら、その手を握って優しく囁くんだよ。暴力はいけないよ、話し合おうね、って諌めて落ち着かせる。絶対にやり返したら駄目だ」
 章にはそんなの無理だよ、と幸生が言い、乾さんにだったらできるんですか? と問い返し、そうするように努力するよ、と乾さんは答えていた。そういうもんかな、と思った俺も、それからは努力した。喧嘩はその後も絶え間なかったけど、スーには優しさだってあった。俺の唯一のなぐさめだった。歌は今では俺の現実生活だけど、スーには幻想も抱いていられた。俺はやっぱりスーともう一度……
 アルバイトで食っている、将来なんかなんにも見えない男のままでいたら、スーは俺を捨てなかったのだろうか。フォレストシンガーズとスーのどちらが大切? 彼女にもそう訊かれたけど、両方大切で、けれど結局俺は、歌を選んだ形になった。歌は捨てられない。捨てられたのは俺だ。
 後悔なんかしてないよ、とは言い切れない。俺は訣別したはずのロックに未練があって、スーにも未練がありまくりで、立ち直ってなどいないのだ。ジギーにいたころにはスーと恋人同士ではなかったけど、あのころに戻りたい。ジギーをはじめたばかりの十九の俺に戻って、もう一度スーを口説きたい。
 できっこないよな、そんなこと。月日は後戻りはしないんだから。スー、ほんとに別の男ができたのか? そいつはどんな男だろう。トミーみたいな奴なのかな。嘘だ嘘だと思いたかったけど、本当なのかもしれないと思い直すと、泣きたくなってきた。悦子は世にも底意地の悪い声を出した。
「そんなにもスーが好きだったの?」
「すんだことだよ」
「……すんだことだって言ってるくせに、なんなの、章のその顔は?」
「うるせえんだよ」
「泣いてるじゃないよ。みっともない」
「泣いてねえよっ!!」
 痛いところを突かれて爆発して、言葉がとめどなくあふれてきた。
「俺はおまえなんかとつきあってるつもりもないし、おまえなんかとデートしてるつもりもないんだよ。おまえは俺の趣味じゃないんだよ。化粧は濃すぎるしでぶでぶだし、みっともねえのはおまえの顔と身体だろ。俺はちっちゃくて華奢で、さりげなく化粧してる女が好きなんだ。服装は派手でも似合ってたらいいけど、おまえなんかファッションセンスもなんにもねえだろうが。おまえなんかはロッカーじゃなくて、まがいもののロックフリークじゃないか。ロッカーの真似してそんな格好をしてても滑稽なだけだよ。おまえは楽器が弾けるのか。歌が歌えるのか。ただのロックファンだったらそれらしく、おとなしくしてろ。一人前の台詞をほざくな。俺にお節介焼くな。スーの話なんかするな。俺が誰を好きでも、いつまでも好きでも、ロックが好きでも、ロックにこだわってても、なのにコーラスグループなんかにいるてめえに満足してなくても、つまんねえ仕事やら甘ったるい歌やらに……なんだっていいんだよっ。おまえには関係ないんだよ。おまえなんかな、おまえなんかなぁ……」
 支離滅裂になってきて、自分でもなにを言っているのかわからなくなってきた。そのくせなおも言葉を継ごうとしたら、顔のど真ん中に悦子のこぶしがぼっかーんと来た。
「……うっ!! な、なにしやがんだよっ!!」
 すっげえ強烈、すっげえパンチ……なんたる力持ちの女だ、と頭の片隅で感嘆しながら、俺はもろにうしろに倒れ込んだ。
「どうせあたしはでぶでぶだよ。センスもなんにもないし、楽器も弾けないし歌も歌えないよ。ただのロックファンだよ。化粧の濃いブス女だよ。みっともない女だよっ!!」
「そこまでは言ってないけど……」
「言ったじゃないか」
 そおっと触れてみたら、鼻血が出ていた。骨が折れたかもしれない。たいへんにまずいのだが、折れてしまったらしようがないしなぁ、とむしろ妙に冷静になって骨をたしかめたら、折れてはいないようだった。
「章? 血が出てる」
「あれだけ凄まじいパンチだもんな。血ぐらい出るよ。いいよ、ほっとけ。帰れ」
「……あたし、ひどいことしちゃった? 章の大切な顔に……あんまり腹が立って……」
「今さらなに言ってんだよ。俺は顔なんかどうでもいいんだ。俺は顔が好きだなんて言われたくないんだよ。そんなもん、そんなもん……顔じゃなくて中身のいい男になりてえよっ!!」
「章ぁ……」
 ぐしゅぐしゅっと鼻をすすり上げて、悦子が急に泣き出した。なにかにつけて派手な女だから、泣き方も半端ではなかった。大声を上げてわあわあ泣いている。大粒の涙がぼろぼろこぼれている。泣いているので言葉が聞き取りにくいのだが、章の顔を無茶苦茶にしちゃったよぉぉ、と言っているらしい。悦子に泣かれてはいっしょに泣くわけにもいかず、俺はただただ呆然とすわり込んでいた。
 長い長い時間が経過したような気がして、俺は立ち上がってゆっくりと悦子に近寄っていった。油断しているともう一発やられそうな気もしていたのだが、言ってみた。
「なあ、いつまで泣いてんの? 俺の鼻血は止まったよ。痛いけど、鼻の骨は折れてなさそうだから平気だよ。みんなに言いわけしなくちゃいけないんだけど、寝ぼけてころんでぶつけたとでも言っとこうかな。そのいいわけにはちょうどいい場所だろ。悦子、泣きやめよ」
「……怒ってない?」
「怒ってる」
「あたし、どうしたらいいの?」
「帰れと言ってんだよ」
 こんな時間に女の子をひとりで帰らせるのか? まして泣き顔してるんだぜ、彼女は、と聞こえてきたのは、またしても乾さんの声だった。空耳であるのはまちがいないのだが、俺は声に出さずに言い返した。
 いいんです、こんな奴を襲おうなんて男はいないし、これだけのパンチを持ってる奴なんだから、俺なんかよりよっぽど強い。痴漢ごときはたやすく撃退しますよ、こいつだったら。とは言うものの、おとなしくなってしまった悦子を見返して、俺はぷっと吹き出した。
「化粧が剥げてる」
「……そう? 思い切り泣いたからね」
「そのほうが可愛いぜ、おまえ。すっぴんだと若く見えるよ。おまえ、いくつ?」
「二十歳」
「そんなもんだったのか。あのさ、俺も言いすぎた。おまえはでぶでぶなんかじゃないよ。他になにを言ったかな。俺は忘れちまったから、おまえも忘れろよな」
「……勝手な奴」
 やはりこのまま帰らせるわけにはいかないか。せめて喫茶店にでも行って、顔を洗わせてやらなくちゃ。そしたらまた、あの素顔がわからないメイク顔に戻るんだろうか。そうさせないためにも、スーをすっぱり忘れるためにも、悦子に言うべきかもしれない。俺とつきあおう、俺の彼女になったら、おまえもちっとは俺の言うことを聞くんじゃないのか、って。
 厚化粧はあたしのポリシーなんだもん、とはまさか言わないだろうけど、言うかもしれない。それになぁ、どうしたって悦子は俺の好みのタイプじゃないんだよな。やっぱりやめとこ。友達として、でいいじゃないか、うん、そうしよう、と決めて、俺は悦子に言った。
「忘れてたけど寒いな。お茶してから帰ろう」
 泣きすぎてまぶたを腫らした悦子は、こっくりとうなずいてから、ハンカチを取り出して俺の鼻血の跡をぬぐってくれた。


いつもの公園のベンチにすわり、俺は幸生にだけ昨夜の出来事を打ち明けていた。先輩たちには寝ぼけてころんでぶつけたと言い、例によって乾さんは疑惑のまなこで俺を見ていたのだが、おまえがそう言うんだったら、そういうことにしておこう、と納得顔をしてくれた。
「そっか、章には彼女がいるんだ。スーちゃんタイプの気の荒い子なんだな」
「彼女じゃないって言ってんだろ。友達だよ」
「押しかけ友達? って言うより、押しかけ女房みたいなもんじゃん」
「彼女とも言われたくないけど、女房なんてもっといやだっ」
 悦子はそれを望んでいるのだろうから、寝るだけだったら簡単だ。遊び相手としてなら悦子だってかまわない。だけど、俺には俺の主義がある。二股は絶対にいやだ。悦子と寝てしまったら、新しい恋を見つけたときにどうする? 近いうちにはスーを完全に忘れて、俺は必ず恋をする。だから、悦子とは遊びの恋もしない。俺はそう決めていた。
「意外に硬いんだよね、章ちゃんって」
「俺はおまえほど軟派な男じゃないんでね」
「あーら、そんなに褒めないで」
 ナン、ナン、ナン、ナンナンナナンパ、って、なんの替え歌だか知らないけど、幸生はおかしな歌でごまかした。そのあとは英語らしかったのだが、耳を澄ましてもなにを歌っているのか判明しない。
「なんだ、それは。タガログ語か、スワヒリ語か、アラビア語か」
「ちがうよん。M78星系に所属する星で、メッシャーとか言ったっけな。その星には文明があるんだ。地球人とは別種だけど人類が住んでいて、もちろん言語も存在するわけね。そのうちのひとつの……」
 ○▲☆*#語、としか表記できない発音で、幸生はその言語の名を口にした。M78星系とはウルトラマンの出身地だと本橋さんに教わったから知っている。それをアレンジしたのだろうけど、馬鹿馬鹿しいのではかばかしい返事はせずに、俺は言った。
「幸生語録ってのをメモしておいたら、将来のためになるかもしれないな」
「将来って? 俺たちが売れっ子になったとき? 写真集を出すんだよね。豪華版写真集の巻末付録、三沢幸生語録か。おー、いいかもいいかも」
「写真集ねぇ……」
「美江子さんが言ってたよ。山田美江子の大予言」
 何年かはかかるかもしれないけど、あなたたちはきっと有名なシンガーになる、あなたたちが売れないわけはないんだもの、いつかはきっと、日本中、いいえ、世界中のひとがフォレストシンガーズの名を知るようになる、パリでもニューヨークでもロンドンでもミラノでも、北京でもハノイでもモザンピークでもソウルでも台北でも、フォレストシンガーズがライヴをやって大ホールを満杯にするのよ。
 実物よりも女っぽい口調で、幸生は美江子さんの口真似をしてみせた。本当にそうなれたらいいなぁ、と、けっ、ノーテンキでいいねぇ、が交互に俺の頭に浮かんだのだが、どちらも口にはせずにおいた。
「絶対にそうなるよ。俺もそんな予感がするんだ」
「あっそ」
「なんだよ、章、クールじゃん。なるんだからな。信じてないのか」
「さあね」
「なるんだよ、なるんだ。絶対の絶対に、俺たちは成功してみせるんだ」
 自分に言い聞かせてでもいるかのごとく、幸生はひとことひとことを明快に発言した。
「いつになるのかな。三年? 五年? 七年? 十年かかってもいいよ。フォレストシンガーズ、ああ、あの歌が上手でかっこいい男性たちのグループだね。特にあの三沢さんって素敵よね。きゃあ、もう、三沢さんの顔を思い出したらうっとりしてきちゃうわ。他のひとなんかどうでもいいのよ。私は三沢さんが大好き。私も三沢さんがいい。駄目よ、三沢さんは私のものなんだからね、って、世界中の街角で女性たちがそんな会話をかわすんだ」
「……好きに言ってろ」
「木村さん? あれもまあいてもいいけどね、とも言ってくれるよ」
「先輩たちは?」
「先輩たちはいなくちゃ困るじゃん。今後もたぶん、艱難辛苦の道のりだよ。俺は本橋さんの背中に隠れて応援するから、章にはシゲさんを貸してやる。乾さんはひとりで身軽だから、先頭に立ってありったけの困難を受け止めてくれるんだ。受け止め切れずに飛んでくる分は、本橋さんとシゲさんがはねのけてくれる。それでもまだ飛んできたら、俺が食っちまってやるから安心しろ」
「おまえは人を食った奴だもんな」
 それでは先輩たちに頼りすぎだろ、とは思うのだが、今までだってそうだったかもしれない。まだまだ俺たちは、艱難辛苦ってやつの断片しか見ていないのだろう。今後もたぶん……なんて想像しただけでへばりそうになるけど、先は長いのだから。茫漠としかけている俺に、幸生は軽い調子で言った。
「いやな想像なんかしないで、楽しい想像をしようよ」
「写真集か? うん、それもいいかもな。侍の格好してみたくないか?」
 おー、やってみたい、と幸生は嬉しそうに言った。
「乾さんはびしっと折り目のついた紋付袴でさ、どっかの藩の若殿。本橋さんは幕末の志士って感じ? シゲさんは脱藩浪人。月代ぼうぼう。章は歌舞伎者ってのかバサラってのか、うつけのたわけのロック侍」
「うつけのたわけのはよけいだけど、みんな似合いそうだな。おまえって想像力だけは過剰なほどにあるんだよな。で、おまえはどんな侍?」
「決まってんじゃん。征夷大将軍。そこな下郎、頭が高い!! 控えおろう!!」
「……好きに言ってろ」
 こいつは時代劇も好きなんだろうか。初耳だが、追求するとキリがなさそうなのでやめておいて、素直な感想を口にした。
「ほんっとにおまえの口はよく回るよな。俺も口は回るほうだと思うんだけど、おまえとは別方向に回って、人を怒らせてばっかりだ。おまえは和ませるだろ。そっちのほうがほんのすこしはいいよな」
「ほんのすこしか……そうだよな。俺がこうやって喋りまくると、本橋さんやシゲさんは怒るけど、怒るほうがまちがってるんだよ。だろ?」
「深刻ななにかで怒ってるのが、おまえの馬鹿台詞に怒るほうに方向転換するんじゃないか。うらやましいよ」
「俺がうらやましい? ほおお、章、おまえもすこしずつわかってきたね」
「わかりたくねえよっ」
 悦子に喋り散らした先輩たちの悪口は、決して俺の本音ではなかった。けれど、幸生の悪口は本音だ。ちびで軽薄な口ばっかりの馬鹿。それはまぎれもないけど、だからこそ俺はそんなおまえがいてくれて……疲れるけど楽しい。いつかはそう言ってやるかもしれないが、今は言わずにおこう。調子に乗らせると天まで昇ってしまう奴なのだから。
「前にさ、乾さんとリーダーがここでやったんだって」
 やったってなにを? と見返すと、幸生は言った。
「ほら、温泉で乾さんが歌っただろ。「世界でひとつだけの……」。あれは本橋さんと歌づくりの対戦をしたときの産物なんだってさ。本橋さんにはそのときにはできなかったらしいけど、あとから対抗して書いたのがあれ」
 即興なんてのは完成作にはならないけど、おまえらはちょいちょいと頭をひねったら歌が賭けていいな、俺にはできないよ、と本橋さんは言い、俺は悩みに悩んでもできませんよ、と本庄さんも言っていた。傲岸不遜に見えるときもある本橋さんにも、のほほんとして見える本庄さんにも、弱みってのがあるようで、あのときも俺は嬉しかったものだ。
 その本橋さんが乾さんに対抗して書いたのは「ムーンライトファンタジー」、俺は温泉の中で「It is more beautiful」と名づけた英語の歌を作った。本庄さんは、俺には歌は書けない、と言い張るのだが、幸生も書いたのだと言って歌い出した。

「冬の夜空に星がふり
 あなたの心に恋がふる
 あなたの恋心が僕にも見えるよ
 きらめく星ときらめく恋が
 僕の心に伝わってくる
 踊ろうよ、手をつないで
 歌おうよ、ふたりの恋を」

 タイトルは「星空のダンス」? どう、この歌? と幸生が尋ね、俺は言った。
「歌詞はどうってことないけど、まあ合格かな。曲がなってない」
「なってないだとぉ?」
「こうしたほうがいい」
 歌詞はそのままでメロディを変えて、俺も歌ってみた。幸生は気に入らないそぶりで聴いていたが、俺が歌い終えると降参のポーズをした。
「作曲能力は章の勝ち。じゃあ、これは?」
 次なる歌は「公園にて」だった。
「……タイトルがださくないか。公園にて……どっかで聞いた覚えのあるタイトルだな。えーと……だいぶ前に本庄さんが歌ってたやつ? あれはひどかったじゃないか。アマチュアの歌なんだろ。なんで本庄さんがあんなのを気に入ったのか、俺にはさっぱりわからなかったよ。そのタイトルのぱくりか」
「ぱくりじゃないんだ。いいんだよ、これで。内容はどう?」
「おまえの経験談?」
 まるで……スーが結婚するかもしれないと悦子が言い、でたらめだと思いたくても思えなくて、幸せになれよ、スー、と自棄半分で考えた俺の心情を歌詞にしたようではないか。あなたの幸せを祈って、公園で僕は歌う? 俺はそんな気持ちにはなれずにいるけど、幸生もそんな恋をしているのだろうか。好きな女が別の男と結婚する?
「そんなの、普通はそんな気分になんかなれないんだよ。綺麗ごとじゃないか。おまえの好きな女がよその男のものになるなんてのが経験談だったら、結婚式場に殴り込みをかけて花嫁をかっさらって逃げたらいいんだ」
「そんな映画があったね。それこそ、普通はそんなことはできないんだよ」
「そうかもしれないけど」
 できるものなら俺もそうしたい。だけど、スーはどこにいるのかも知らないし、悦子の話が嘘かまことかもわからない。本当だよ、ときっぱり言われるのが怖くて、悦子に問い質しはしなかった。
「そうだよね、シゲさん、彼女が他の男の花嫁になるんだったら、幸せを祈っているしか道はないんだ」
「シゲさん? どうしてそこに本庄さんが出てくる?」
「シゲさんだなんて言ってないよ」
「そう聞こえたぞ」
「おまえの空耳だってば、章ちゃん」
「……章ちゃんと呼ぶな。ちゃんをつけるな」
 あーきらちゃんはね、章っていうんだほんとはね、だけどちっちゃいからあーきらちゃんって呼びたくなるんだよ、おかしいね、章ちゃん、と幸生は、またまたおかしな替え歌でごまかした。
「ちっちゃいのはてめえだろうが」
「俺はおまえよりは背が高い」
「ほんのちょぴっとじゃないかよ。やめろ、その歌は」
 やめろって言ってんだろ、おー、やるかぁ? なんて、恋愛の話がガキの喧嘩に流れていってうやむやになってしまったのだが、まったく幸生は得体の知れない奴である。
 時として垣間見える真面目な顔、幸生の書くセンチメンタルな甘い歌詞、かと思ったら、「ハートブレイクボーイ」なんていうふざけた詞も書く。あの歌はまだ日の目を見ていないのだが、俺の手元にもコピーがある。俺はきっと今でもハートブレイクボーイのまんまだ。
 幸生の饒舌の極地の中にまぎれ込む、ふとした真情? かと思ったらじきにふざけてごまかして、いったいどれがおまえの本当の顔なんだ? と俺は首をかしげるしかない。あるいはそのどれもが、幸生の真実の顔……多重人格かよ、おまえは、と、てめえを棚に上げて言ってみた。

END
 
 
 
 



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~ Comment ~

かなりしっとりしたstoryでしたね~

章くんって、この中では確かに異色。
雰囲気がものすごく常人。…なんと表現して良いのか(-”-;
そうそう、客観性がある! というのか。
ものすごく読者目線に近い。
『俺たちの声をひと文字であらわせば、幸生は「甘」、俺は「高」、本庄さんは「渋」、本橋さんは「円」、乾さんは「澄」であろうか。』
これ、すごくよく分かりました。こういう表現をされるとイメージが掴み易い。
つまり、ご本人が感じているように、どこか内に入りきってないから、こういう目線になるのか。
それはそれで、異色だけど、もっと外にいる読者には親切な解説役かも、とやっと納得。

誰もかれもが同じモノを見て、同じ方向を見て、なんて理想はやはり理想でしかなくて、そんなの嘘くさいけど、こうやって、葛藤する存在に読者はとても安心してその世界を一緒に見守れる気がする。
素晴らしい配役。そして、この、まさにここに生きている人々にエールを贈りたい!!!
生涯で本気で愛するヒトなんて、そんなに何度も巡り合える筈はない。そういう面でも、章くんはものすごく一般人に近い。変な表現だけど、なんとなくそんなことを思いました。

いや、だけど、幸生くんの役どころが、今回すごく光ってる!
お会いしてみたいわ~(^^)

私の分身みたいなものなのです

fateさん

いつもありがとうございます。

章は男性キャラの中ではもっとも、私自身を濃く反映しています。
このうじうじしたところなんか、私にそっくりです。
ロック好きのところもね。

一番最初に頭の中に生まれ出てきたのも章でして、それゆえに最初は章がフォレストシンガーズストーリィの主役でした。
こういうときにはシゲはこうする、幸生だとこうする、というのが、はじめのうちは把握できていなかったところもあったのですが、章は自然に動いてくれていたかな。

私は小説を書いていると、文章や言い回しやまとまりやなんやかやに、うー、イライラ、想い通りにならないっ!! ってことがよくあるのですが、完結してしまえば、意外にまとまってるかな、と思えたりもします。

それすなわち、「書かされている」ってことなのでしょうね。
もちろん、書かされているにも関わらず、上手に書けないというのもある。そういうことは以前にfateさんもおっしゃってましたよね。

幸生
「きゃああ、今度デートしましょ。
何歳の幸生がお好みですか。
女の子のユキでもいいわよ。むふふっ」

NoTitle

あらら、とうとう章くん、スーと別れてしまったのね。
あんな可愛い子だったのに、もったいない・・・

で、かわりに登場してきた悦子ちゃんは、ちょっと気の毒 ^^;
でもきっと何云われても章くんのこと、好きなんだろうなあ、というのが伝わってきます。
切ないね。

章くんは随分、乾くんのこと目の敵にしているというか、ライバル視しているというか、意識してますね。
それだけやっぱり乾くんはカッコいいのかな。男の目から見ても。

今回の章くんはほんと、『ハートブレイク』なかんじで、「大丈夫だよ、またいいこともあるよ」と慰めてしまいたくなる西幻でした(笑)

西幻響子さんへ

いつもありがとうございます。
脇役のつもりで出したキャラに想い入れてしまうってこと、ありますよねぇ。
スーもえっちゃんもけっこう気に入ってしまって、章と別れたあとのこのふたりがどうしているのか、なんていうストーリィも書きました。

「女は(男は、の場合はちょっと別かな)外見ではない」なんてのはやはり建前で、ルックスのいいスーともひとつのえっちゃんだと差別されるかなぁってのもあります。

本橋くんはライバル視、幸生は慕いつつもたまにちょこっと反発、シゲはひたすら敬慕。
乾くんに対する感覚は他の三人はこんな感じで、章は特に意識してますよね。

そこにはやはり、章は著者の分身というのが入っているのかもしれません。

「響子さん、ありがとう。
響子さんは俺とデートしようよね。
響子さんってたしか、小柄な男は嫌いじゃないんでしょ。
そう言ってくれるひとは好きだよ」

章からのラヴレターv-119でした。

NoTitle

こんな歌があったよね、こんな歌どう、って、歌詞つきでさらりと歌えてしまうところが良いですねぇ。

声を一文字に表すのがとても良いです。
ついこの間、イル・ディーヴォをYouTubeで見ていまして。
4人のうち3人テナーをそろえているんですけど、3人の声色の違いが感覚でしかつかめなくて。
声を一文字、で、そう見ると良いのか、と一人で納得してしまいました。

彼らは4人であれだけ凄いのですが、フォレスト・シンガーズは5人なので、もっと凄いことになるのかと妄想してしまいました。
でも、ちょっとジャンル的には違うのかな。

けいさんへ

長いのも短いのもお読み下さってありがとうございます。

イル・ディーヴォ,
ある日レンタルショップで目について借りてみて、私もけっこう好きになりました。
圧倒的な歌唱力ですよね。

私は男性ヴォーカルグループってものが好きで、アマチュア男声合唱団なんかも好きです。

イル・ディーヴォとフォレストシンガーズは、ジャンルはだいぶちがうと申しますか、フォレストシンガーズはかなり広いジャンルの歌を網羅するグループのつもりで書いています。

去年、ボーイズⅡメンの来日コンサートを聴きにいって、これはフォレストシンガーズは絶対にかなわないなぁと、勝手に思っていた私です。
比べるほうがまちがってますね。

NoTitle

ああ、ボーイズⅡメン、良いですねぇ。R&Bですね。コンサートですか。いいなあ。

オーストラリアのグループでヒューマン・ネイチャーっていうの、ご存知ですかね。これはポップでかる~いんです。

フォレストシンガーズの最初のイメージが実はこれだったのですが、シゲさんがいるから違うかなあとか、勝手に妄想しています。

けいさんへ

ヒューマン・ネイチャー、なんとなく聞いたことはあるような。
しっかり調べてみますね。

私はハードロックがいちばんの好物ですけど、他のジャンルの音楽もなんでも聴いてみたい。いろんな音楽を知りたいです。
今、お気に入りはイギリスのザ・オーバートーンズ。
1950年代、60年代の歌をちょっと現代ふうにアレンジしたのかな、って感じのヴォーカルグループです。
オーストラリアでは彼らは有名でしょうか?

来年はsantanaが来日するんですよね。
彼のギター、生で聴きた~い。
でも、外国人のライヴは高いですから、あまり行けません。

フォレストシンガーズは実在のグループのどれに似ているか?
うーん。むずかしいですね。
読んで下さる方がご自分の好みにあてはめて考えて下さったら……それが一番かなと思っています。

けいさんがそんなふうに想像して下さるのもとっても嬉しいです。
ありがとうございました。

NoTitle

章くんは個人的に好きですけどね。
素顔か・・・。基本的に他人用に演じるのが人と人ですけどね。
本質は本質で結構違うものですからね。
私もかなり他人に見せるのと自分の性格は違いますしね。
素顔というのは意味が深いですよね。
・・・基本的に素顔を見せないのが大人の嗜みだと思いますけどね。
そう考えると、子どもの頃の好きの方が
単純で楽だった・・・。

LandMさんへ

novelにコメント下さる方はほんのちょっとだけになってしまった今、いつもお読みいただいて感謝しております。

私のキャラが好き、嫌い、どちらを言っていただいても嬉しいです。
こんな奴、どうでもいいな、と言われるよりは、嫌われるほうが個性的って意味ですものね。
章を好きと言っていただけるのも嬉しいですが、嫌いな奴もどんどん書いて下さいませね。

素顔、本質、それもまた深いですねぇ。
ネットでは別人格を作ったり、というのもあり、それでもいくらかはあらわれてくるもの、見えてくるものあり。
文章や文体にも人柄があらわれたりしますよね。

近頃は子どもでも「空気読め」とか言われますが、私の子どものころはそこまでではありませんでしたから、友人づきあいは今の子どもよりは楽でしたねぇ。今の子は大変だと思います。



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