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小説97(Dio, come ti amo)

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フォレストシンガーズストーリィ97

「Dio, come ti amo」

1

それはもちろん、俺だってグラブダブドリブってのを知ってはいる。俺とはまるきり別世界の住人だとしか思えない、綺麗な顔をした男たちの集団ロックバンドだ。
 かつては俺たちフォレストシンガーズの事務所に所属していて、現在は一時活動休止中のビジュアル系ロックバンド、燦劇にしても綺麗な顔をしていたが、奴らは化粧していた。グラブダブドリブは化粧なんかしないってのに、なんでああなのだろうか。
「なんでああって?」
「俺の言いたいことはわかってるんだろうが。改まって聞くな、章」
「顔が綺麗すぎる? たしかにね」
「ロックバンドなんてのはルックスも大切なんだろうさ。燦劇にしたって……しかし、俺はジャパンダックスのほうが、少なくとも外見的には親しみやすかったよ」
「シゲさんだったらそうだろうな」
 本日は乾さんは雑誌の撮影。なんとなんと、メンズファッション雑誌のモデルというのか、モデルではなく着こなしのいい男の見本というのか、そのような仕事をしている。
 本橋さんはフォレストシンガーズのリーダーとして、音楽雑誌のインタビューを受けている。幸生は依頼された作詞の打ち合わせだそうで、スタジオには章と俺しかいない。美江子さんもいない。あとの三人は仕事をすませてスタジオに来る段取りになっているので、章とふたりで待っているのだ。
 次回のアルバムの話しなんぞをしていたら、章がグラブダブドリブの話題を持ち出し、俺たちもあいつらほど売れたらなぁ、と言うので、話題がこうなったのだった。
「乾さんは顔はまあ、ハンサムっていうのでもないらしいよな」
「シゲさんが男の顔の話しって、珍しいね。そうだな。乾さんはハンサムじゃないよ。でもさ、センスがいいってのはそれだけでもかっこいいんでしょ。だからあんな仕事が入ったんだよ」
「言えてる。あんな仕事は俺には一生やってこない」
「そりゃそうじゃん」
 当たり前だと言われても、本当に当たり前だろうから、反論する気にはなれない。
「顔は俺のほうがましだと思うけど、俺はちっこくて脚が短いから、若いころはまだよかったにしても、三十すぎると駄目だよね。このごろまるでもてなくなったしさ」
「そうなのか」
 いい傾向だ、と言ってはいけないであろう。章は独身なのだから、もてなくては困るのかもしれない。俺が現在独身だったとして、若いころと同じか、もしやあれ以上にもてないとしたら、一生結婚もできなかったのではあるまいか。
 フォレストシンガーズに加わったのは、章が二十一の年だから、それ以前の俺はよく知らないにしても、二十二歳以降の俺は知っている。
「シゲさんって女の話しとなると、姉さんしかないの?」
 いつか章はそう言いやがった。
「シゲさんは彼女の話しってしないよね。今はいないの? 前にはいたんでしょ?」
 そうも言いやがって、幸生が目で止めていたりもした。
 生まれてから一度ももてたためしのないシゲだとは、そのころの章は知らなかったのだろう。後に幸生に聞かされたのか、俺の様子を見ていたらわかったのか、シゲさんの彼女は? などとは尋ねなくなった。
 二十六歳になるまでは、俺は恋人を持ったことがなかったのだ。ようやく持てた恋人の恭子とは結婚したのだから、もはや彼女の話題などからはイチ抜けた、ってなものではあるが、それまでは正直言って寂しかった。
 俺たちの仲間になった当初から、章には恋人がいた。それからだって何人もいた。本橋さんや乾さんや幸生にしたって、はっきりとは口にしないものの、幾度も恋はしたはずだ。
 だからみんなして、恋愛話もたびたびしていた。俺はいつだってその中には加わっていけず、ただただ感心して聞くばかりだったのだ。
 へええ、いいな、やっぱみんな、もてるんだな、俺だけだな、もてないのは。なんでなんだろうな、俺は冴えない奴だからか? ださいからか? だろうなぁ、フォレストシンガーズの中でだって、俺がもっともださいもんな。
 そんなことを考えながら、仲間たちの恋愛話の聞き役しかできなかった俺は、実に寂しい男だった。なのであるから、昔の俺以上にもてなかったとしたら、と俺がここで言ったとしたら、章はこう言うのではないだろうか。
「昔のシゲさん以上にもてないなんて、それ以上ってのかそれ以下ってのか、そんなのあり得ないよ。でしょ?」
 だから言わないが、昔の記憶にしたって、もてた記憶があるのはうらやましい。
「脚なんて長くしようもないんだし、どうしようもないけどさ。シゲさんはグラブダブドリブの話はしたくない?」
「いや、いいよ。なんの話しだ?」
「リーダーと俺は、ジェイミーと歌の勝負をしたよね。その後でリーダーと乾さんと美江子さんは、中根さんの山荘だかに招かれた。沢崎さんも来てたらしいけど、あんまり詳しい話はしてくれなかったじゃん」
「そうだったな」
「それから、どうやら幸生は、グラブダブドリブがらみでなにかあったらしいんだ。そいつも俺は詳しく知らないんだけど、乾さんもなにかあったらしいよ」
「ふーん、そうなのか」
 鈍感だからかもしれないのだが、俺には仲間たちの間のエピソードを知らない場合が間々ある。注意力が散漫だからなのかもしれない。
「俺が関わってた話以外は、俺はよくは知らないんだけど、俺もグラブダブドリブの奴らとはすこしは関わったんだよ。そっちはシゲさんとは関係ないからいいんだけど、シゲさんにはなんにもなかったの?」
「なーんにもない」
 自慢じゃないが、グラブダブドリブなんてものはCDと、数少ないが見たことはあるライヴでしか知らない。グラブだったら俺は野球のグラブのほうが好きだし、特に知りたくないからいいのだが。
「そっかー、そんならいいけどね」
「グラブダブドリブはビジュアル系ではないんだよな」
「ハードロックが基本だよ。激しいビートの俺の大好きなロック」
「じゃあ、化粧はしないんだよな」
「たまにちらっとメイクしてるかな。まぶたにラメの粉をつけたり、髪につけたり、爪を塗ったりってのは見たことあるよ」
 あの顔にさらに化粧をするのか、不必要ではないか、と怒りたくなったので、俺は本橋さんみたいに言った。
「男が化粧なんかするな。男は生まれつきの顔で勝負するんだ。男の顔は履歴書だって言うじゃないか」
「シゲさん、言ってて虚しくなってこない?」
「なんでだよっ」
「知ってるくせにさ……ふむふむ、シゲさんは綺麗な顔をした男の話題となると怒るんだ。燦劇にはそれほどでもなかったけど?」
「あいつらには驚きが先に立ったんだよ」
「燦劇はガキだったしね。ふむふむ、そうかそうか」
 最初のうちは俺にも丁寧語で喋っていた章だが、いつのころからかほとんど気も使わなくなって、幸生と同様に俺を軽視するようになった。本橋さんや乾さんへの言葉遣いも砕けてきてはいるが、基本的には先輩への敬意を持って接しているのに。
 それだけ親しくなれたと考えておくしかないのだが、俺はやっぱりサンドイッチの具で、年上には後輩としてのけじめをつけ、年下にはけじめなんぞつけてもらえない、薄っぺらな軽い男だってわけなのか。
 ついついひねくれそうになるのを考え直して、俺は言った。
「俺はグラブダブドリブとはなんの関わりもないし、プライベートで会ったこともないよ。むこうも俺は知らないだろ」
「知ってるよ。意外に奴らもフォレストシンガーズを意識してるみたいなんだ。この間、チカが帰国してたからドルフと三人で飲んで、俺たちの話しもしたんだよ。ドルフが言ってた。シゲって奴は……んん、なんて言ってたっけ?」
「いいよ、なんて言ったんだって」
 チカとは、章の昔なじみの女性ギタリストである。過日、章がロックバンドをやりたいと言い出して、加西チカさんにもギタリストとして加わってもらったのだ。そのときのことも俺は鮮明に覚えていた。


 先輩たちは鷹揚にも章の願いをかなえてやろうとしたのだが、幸生が怒り出し、いささかややこしい事態になるのかと、俺は危ぶんでいた。
 が、幸生はしつこくは怒っていなかったので安心して、俺もロックバンドの木村章を見守っていてやろうと決めていた。昔々のある日、いつか章はフォレストシンガーズを抜けて、ロックの道へと舞い戻っていくのだろうか、と考えた覚えがあるが、章はそうしたいと言っているのではなく、余技のようにロックバンドをやりたいと言っているのだから。
「ねえ、乾さん、このコードは……」
 むろん本来の仕事もこなしてはいるのだが、章の心の大半はロックが占めてしまっているらしい。仕事場にもギター持参で、乾さんに質問していた。
「俺の書いた曲なんですけど、ギターを弾くってのをころっと忘れてた。フォレストシンガーズの歌だとギターは専門家が弾いてくれるんだもんな。このパート、俺担当なんですよ」
「……こりゃまた難曲だね。おまえの作る曲はたいていむずかしいけど、歌だったらお手のものだろ。ギターか……チカさんに教えてもらえ」
「チカに一泡吹かせてやらないとおさまらないんですよ。あの野郎、この下手くそ、このド下手、ド素人、ギターなんかやめちまえ、歌だけ歌ってろ、とかなんとか、口汚く罵りやがって……くっそーっ、腹ん中が煮えくり返ってきたぁっ!!」
「ほお、チカさんは野郎なのか」
「あんなの女じゃないよっ!!」
 耳が痛くなりそうなハイトーンで章は叫び、部屋から出ていった。俺は、あんなの女じゃねえぞ、と本橋さんが美江子さんを評していたのを思い出した。そのときちょうど、本橋さんと美江子さんは喧嘩の真っ只中だったのだ。
「おまえも大変だね。てめえは男じゃねえんだよ、と言われる男と、あんなの女じゃねえんだよ、と言われる女に囲まれてるんだ。性倒錯の世界みたいだな」
 ぶつぶつ言いながら部屋に入ってきた本橋さんに、皮肉っぽく言ったのは、乾さんだった。
「うん、そんなら俺は女装して、彼女には男装してもらおうか。俺の女装は想像すると気持ち悪いけど、彼女の男装はかっこいいだろうな」
「あらん、素敵、ユキちゃん、男装の美江子さんに惚れそうだわーって」
 そこに割り込んだのは当然、幸生だった。
「女装は俺がやりましょう。んで、男装の美江子さんとラヴシーン。きゃあ、やってみたい」
「幸生、俺はそんな話はしてない。乾も幸生も黙ってろ」
「はい、リーダー。乾さん、黙りましょう」
「黙るよ。シゲ、本橋の相手をしてやれ」
「お、俺が?」
 おまえがいちばんいい、おまえがいちばんわかってくれる、と本橋さんは俺に向き直った。
「おまえもそう思うだろ、シゲ? 山田は女じゃない。女があんなことを言うか。あんなことをするか」
「あんなこととは?」
「山田があんまり意固地だから、俺はつい腹が立ってだな……」
 一部は俺も見ていたのだが、全部は知らないその際の話を、本橋さんが聞かせてくれた。
 仕事の話が口喧嘩に発展して、おまえはうるさいんだ、あっち行ってろ、と本橋さんは怒鳴った。美江子さんは怯まずに言い返したのだそうだ。
「怒鳴ったって怖くなんかないんだからね。あんたの恫喝口調なんて屁でもないってのよ」
「……あのなぁ」
「あっち行ってろ? 行かせてごらん」
「いいんだな」
「なにをする……」
 なにをするのよっ、と全部は言わせず、本橋さんは美江子さんを抱え上げた。
「むこうの部屋でおとなしくしてろ。わかったか」
「わからない。なんなの、それ? そうやって女を腕ずくで意のままにしようって男は、エスカレートするとなにをしでかすんだろうね。腕ずくで女をレイプする男って、あんたみたいな性格してるんじゃないの?」
「レイプ? おまえこそなにをエスカレートしてるんだ。俺は腕ずくで女をものにしなくちゃいけないほど、女に不自由してねえんだよ」
「そういう発想って最悪」
「どっちの発想が最悪だ。いいからおまえは引っ込んでろ」
 抱えた美江子さんを運んでいって、別室に放り込む寸前、アッパーカットが本橋さんの顎で炸裂した。たたらを踏みそうになったのをからくももちこたえ、美江子さんを落とさずにすんだものの、ずきずきするぞ、と本橋さんはおのれの顎を示した。言われてみれば本橋さんの顎が腫れぼったくなっていた。
「で、美江子さんは?」
「あっちの部屋に放り込んできた」
「どこに放り投げたんですか」
「ソファだ」
 練習のためのスタジオには我々のプライベートルームがあり、別室とはその隣室だ。密談や仮眠もなされるのでソファがある。本橋さんは荒っぽい行動を後悔したわけでもないらしいが、そっと覗いてみた。
「まさかあいつが泣いてるわけもないだろうけど、覗いたらあいつ、壁に向かって逆立ちしてた。逆立ち体勢でわめいてた。本橋真次郎のくそったれ野郎ーっ!! だった。それが女の台詞か。アッパーカットも逆立ちも女のやることじゃないだろ」
「喧嘩の発端は知りませんけど、悪いのは本橋さんです」
「んん? シゲ、おまえがそう言うのか」
「言いますよ。美江子さんになんてことをするんですか。俺が美江子さんを呼んできますから、あやまって下さい」
 ぶすっと本橋さんは黙り込み、乾さんと幸生が聞こえよがしのひそひそ声で言い合っていた。
「さすがシゲさん、言うべきことは言う」
「だよな。アッパーカットも逆立ちも、その台詞もあの台詞も、俺にはミエちゃんの魅力のひとつだと思えるよ。女らしくはないかもしれないけど、過剰に女らしくないのがミエちゃんじゃないか。なあ、幸生?」
「そうそう。それでこそ美江子さんです。俺がリーダーにそんなことされたら、よよと泣き崩れるしかないのに。美江子さんったらかっこいいわん。惚れ直しそう」
「ミエちゃんにしても、そんなことをしたのが本橋だったからこそで、見知らぬ男だったら……」
 ぎらっと目が光り、乾さんは本橋さんに迫力満点の一瞥を向けた。
「本橋真次郎の大馬鹿野郎。おまえもな、ミエちゃんだったら平気だろうと思ったからこそやったんだろうけど、そういうことをする奴のどこが男らしいんだ? おまえは一人前の男のつもりだろ。そんなのはガキの悪さだ。本橋、そこへ直れ。俺が制裁を加えてやる」
「なんだと、てめえ……ほざきやがって」
「きゃああ、乾さんもかっこいい」
 すっとんきょうな上にもすっとんきょうな声で幸生は叫び、先刻までそこにはいなかった章が戻ってきてほげっとした顔で言った。
「美江子さんがむこうのドアから出ていくところに出くわしたんですけど、リーダーに伝言です。私はあんたがなにをどう言おうと、なにをどうしようと、私が決めたようにするからね、ですって。どういう意味? 今度あんなことをしたら、喉笛に食いついて食いちぎってやる、とも言ってましたよ。すげえ怖い顔だった。リーダー、なにしたんですか?」
「どいつもこいつもうるさいんだよ。俺は……たしかに乾の言う通りだ。ガキの喧嘩だ。俺が悪いんだ。あとで山田にあやまっておく。くそくそ、結局こうなるんだよな。シゲも……もういいよ」
 荒っぽいのはまちがいないけど、潔いのもシンちゃんのいいところだね、と乾さんが笑い、じゃかましい、黙れ、と本橋さんはヤケクソみたいに言い、そのあとで本橋さんは美江子さんに詫びていた。
「わかればいいのよ、本橋くん。顎はなんともないみたいね。私のパンチじゃあね。私も鍛えようかな。シゲくん、コーチしてくれる?」
「よろしければ協力しますよ」
「……やめろ、シゲ。山田もやめろ。これ以上おまえが……いや、いやいや、俺の身の破滅だ」
「なに言ってんの、本橋くん?」
「なんでもない。おまえはそれ以上鍛えなくていい。な、腕力が必要になったら、ここには男が五人いるんだから、おまえは引っ込んでりゃ……なんて言ったらまた怒るんだろ。乾、俺にはお手上げだ。おまえが言え」
「鍛えるのはいいことだよ」
「そんなことを言えと言ってないっ」
 まるでその場をおさめようとしているかのように、章の絶叫が届いてきた。
「チカ、覚えてろ。俺はギターもうまくなって、おまえを見返してやるからなーっ!!」
「エレキをおまえに教える技能は俺にはないぜ。自力でがんばれ、章。健闘を祈る」
「乾さん、つめたいなぁ」
「ひとに頼っててリーダーがつとまるの、章ちゃん?」
「うるせえんだよ、てめえは。幸生は黙ってろ」
 黙ってろ、って言葉は今まで数万回も飛び交っていたのではないだろうか。シゲは黙ってろ、と言われた記憶は俺にはほとんどないけれど、本橋さんにしたって、世間一般で言う寡黙な男じゃない。俺の場合、俺は無口だといえるのはこの仲間たちといるからかもしれない。なににしても俺は、みんなの話し声を聞いてるといい気持ちなんだよな、とつくづく思っていた。ずっとずっとこのままでいられたらな、と。
 チカさんに章がギターを教わっているシーンは、俺も幸生とともに見物していた。俺はチカさんタイプの女性はどちらかといえば苦手だが、かっこいい女性ではあった。
 そして、章はロックバンド「トワイライトエクスプレス」を結成し、ライヴもやり、ライヴCDも出すのだそうだ。とりあえずはそれだけで満足したらしき章を見ていて、こいつがフォレストシンガーズを脱退するなんて言い出さなくてよかった、と俺は胸を撫で下ろした。
 章がいなくなってしまっては、俺たちはずっとずっとこのままでなんか、いられやしないのだから。俺はずっとずっとこのままでいたいのだから。


2


 ついでではないのだが、もうひとつ思い出した。
「ま、男は美人が好きだよね。女だって背が高くてかっこいい男に魅せられるってのが本能なんだろうけど、女は男ほど馬鹿じゃないから、ルックスにだけ惹かれるって傾向は少ないんだって。だから大丈夫だよ、シゲさん。もてないもてないなんて言ってるけど、もてない分、シゲさんにはきっと、真実の愛を捧げる女性があらわれる。俺が保証してあげます」
 いつか幸生はそう言った。
 なんの根拠があって保証してくれたのかは知らないが、幸生の言った通り、俺には伴侶となる女性ができた。近く子供も生まれる。互いにけなし合ってばかりいたくせに、本橋さんと美江子さんも結婚した。
 リーダーとマネージャーの結婚式では、ただいまDJとなっている酒巻國友が司会をつとめ、他の四人でまともな歌を歌ったのだが、友人たちばかりになった二次会で、幸生と章がおかしな歌を披露したのだった。
 三沢幸生作詞、木村章作曲の「この愛は永遠に」。章と幸生のデュエットは、男ふたりの歌だとはとうてい思えない、摩訶不思議なできばえだった。幸生は女声から低音までを駆使し、章もいつになく低い声から天まで上がれのハイトーンヴォイスを駆使し、聴き慣れているはずの仲間たちをも幻惑させた。
 混声コーラス? 歌ってるのは何人? あ、眩暈がしそうだ、と、聴いていた乾さんと俺は頭を抱えそうだった。幸生も章も特別製の声の持ち主だと知り尽くしているはずなのに、改めて驚嘆したのだった。
 歌声も一種異様なまでの雰囲気をかもし出していたけれど、歌詞も相当なものだった。「この愛は永遠に」というのだから大甘ラヴソングかと思ったら、メロディはラヴバラードそのものなのに、本橋さんと美江子さんの仲をよくよく知っている幸生であり、あの幸生だからこそ書ける詞だと俺には思えた。

「おまえはいつだって言っただろ
 殺されたってあんたなんかに恋はしないってさ

 あなたもいつだって言ったじゃない
 おまえと恋なんかするぐらいだったら、俺は……ってさ

 なのにどうしてこうなったの? 

 俺は知らねえよ
 私も知らない」

 タイトルのわりには詩の内容がいかれている。そこここでゲストたちが笑っている。章と幸生がふたりだけで決めたので、こんな歌の存在をたった今まで知らなかった乾さんと俺には大受けに受けていた。仏頂面でいた本橋さんも笑い出した。
 なによ、この歌詞は、と文句をつけたかったような美江子さんも笑い出した。この歌詞では、親兄弟や親戚もいる結婚式場では歌えなかっただろう、としか言いようのない歌詞だった。

「おまえと恋なんかしたら俺は……の続き
 言ってみなさい
 え? なになに? 聞こえない

 あんたなんかと恋をしたら私……の続き
 言ってみろよ
 なんだって? もう一度」

 そこで合図された俺が進み出て、マイクに向かって低い囁き声で歌った。

「ハートも脳みそもこの身体もすべて、なにもかもなにもかも
 おまえに奪われて身動き取れなくなって
 俺が俺でなくなってしまいそうで……」

 乾さんも前に出てきて歌った。

「知ってたよ、あなたの気持ち
 やっと正直に言ったんだね
 だったら私も言ってあげる
 愛してる」
 
 ゲストの友人たちは大喝采していて、ラストは四人でコーラスした。乾さんと俺とは、ポイントだけしか知らされていなかったので冷や汗をかいたのだが、いたずら好きの幸生と章ならではの趣向ではあったのだ。

「ようやく素直になれたんだね
 だけど、あなたはあなた、私は私
 そうさ、おまえはおまえ、俺は俺だよ
 もう一度だけ言おうよ
 愛してる」

 愛してるよ、美江子、と俺が囁き、愛してるわ、真次郎、と幸生が女声で囁き返し、四人は優雅に一礼した。友人たちの万雷の拍手の中、本橋さんにマイクが回った。
「乾、てめえ、初耳だったなんて嘘だろ。四人で口裏を合わせてやがったな。幸生、てめえ、覚えてろ。俺たちの裏側まで暴露しやがって。シゲまで加担してたな。章、おまえの作曲能力はまったくたいしたもんだ。この歌詞にこの曲をつけるとは、俺には考えもつかねえよ。……ありがとう、以上」
 口笛と歓声と拍手の渦に負けない声で、幸生が叫んだ。
「はい。ここで永遠の愛を誓う口づけをどーぞーっ!!」
 本橋さんと美江子さんのキスシーンを見るなんて、最初で最後かもなぁ、と考えながら、俺も拍手していた。あのときの本橋さんは最高にかっこよくて、美江子さんは最高に美しかった。恭子と俺の結婚式は、俺には客観的には見られなかったので除外するとして、世界一の花嫁と花婿だった。
 合唱部で仲間たちと出会ったあの日から、本橋さんと美江子さんの結婚式まで。月並みにすぎるけれど、走馬灯のように俺たちの思い出のひとこまひとこまが浮かぶ。いつでもどこでも、俺のそばには仲間がいた。だからこそくじけずに歩いてこられた。
 
 
 グラブダブドリブから道がずれて、章のロックバンドやら、さらに昔の本橋さんと美江子さんの結婚式やら、そのまたさらにさらに昔やらを思い出していた俺は、乾さんの声に我に返った。
「ただいま。参ったよ。俺はここのほうがずっといい。シゲ、章、おまえたちは俺の安らぎの素だ。好きだよ、シゲ」
「……は、はあ、あの……」
 慣れぬ仕事で神経が参ったのか、乾さんは俺のそばに寄ってきて手を取り、くちびるを近づけてきた。幸生のように顔にキスしようとするよりは許せるはずだったのに、反射的に振り払ったら、乾さんのほっぺたに乾さん自身の手が命中した。
「うわっ!!」
 悲鳴を上げたのは章で、俺は大慌てで乾さんに駆け寄った。
「うわわっ!! すみませんっ!! すみませんっ!!」
「ごめんは俺の台詞だろ。冗談がすぎたな。俺が悪いんだよ。幸生にやったんだったら喜ぶかもしれないけど、おまえにするべき行為ではなかった。シゲ、ごめんな」
「そ、そんな……俺が……」
「おまえは俺を殴ったんじゃないんだろ。はずみだよ。不可抗力だ」
「でも……」
 冗談を軽くかわしもできずに、思い切り振り払うなんて……おのれの行動が恥ずかしくて、結果的には先輩を殴ってしまったという悔悟の念も起きて、俺は土下座した。
「すみませんっ、乾さん。顔が顔が……」
「俺の面なんてどうってことねえんだよ。シゲ、立て。男が無闇に土下座なんてするもんじゃないぞ。立て」
「……乾さん、女は無闇に土下座していいんですか」
 その声は章で、俺は顔を上げられずに、ふたりの声を聞いていた。
「顔が赤くなってますよ、乾さん。シゲさんのパンチ、じゃないか。乾さんがてめえでてめえの顔を殴ったんですよね」
「そうだよ。俺の面を殴ったのは俺の手だ」
「そうですよね。なのになんだってシゲさんが土下座してるんですか。変なの」
 立て、と乾さんの静かな声も聞こえたが、ためらっていると、俺たちのいる部屋のドアが開いた。
「……シゲさん? 乾さん……木村さん……どうしたんですか?」
 この声は酒巻だ。そこで顔を上げると、酒巻が再び言った。
「シゲさんがべそかいてる。なにがあったんですか? 乾さんになにかとんでもなく悪いことをして、叱られたんですか? だから土下座してお詫びを? 乾さん、シゲさんを許してあげて下さいっ!! 僕もこうしますからっ!!」
 俺の横にはいつくばった酒巻は、フロアに額をこすりつけて言った。
「シゲさんがそんなにも乾さんに叱られる悪いことってなに? まさかシゲさん、浮気したんじゃないんでしょうね」
 おい、酒巻、おいおい、と乾さんも章も言ったが、酒巻は続けた。
「僕にはそれ以外は考えられませんよ。シゲさんは悪いことなんかしないひとなんですから。だけど、魔が差して魅力的な女性によろめいて、恭子さんを裏切った? そんなこともなくはないのかな。そうだとしたら、乾さんにきつく叱られてもしようがないですよね。そうなんだったら僕も怒りますよ。シゲさん、どうなんですか?」
「馬鹿野郎」
 呆れたように言ったのは乾さんで、章も言った。
「おまえも想像力は豊かっていうか、ずれまくってるっていうか。シゲさんが浮気なんかするわけねえだろ。第一、相手が……」
「章……」
「はい、乾さん、言いません。あのさ、シゲさんも酒巻も立てば? もうじき幸生もスタジオに来るよ。あいつの想像力ってのは酒巻どころじゃなくて、ぶっ飛んですっ飛ぶんだから、そんなあんたらを見たら、なにをどう言い出すか、突拍子もない発想をするに決まってる。俺は幸生のそんな台詞も、あんな声も聞きたくねえんだよ。酒巻、立て。シゲさんもお立ちあそばせ」
 たしかに、幸生がこうしている俺と酒巻を見たら、例の破天荒な想像がどうぶっ飛ぶか、俺の乏しい想像力でも一端はわかる。俺は立ち上がり、酒巻もためらいがちに立ち上がったあたりで、本橋さんがやってきた。
「ありゃ、どうした?」
 本橋さんに尋ねられて、章がことの顛末を話した。俺はいっそう恥じ入り、酒巻は目をまん丸にして聞き入っていて、乾さんは煙草に火をつける。話を聞き終えた本橋さんは、がははと笑った。
「馬鹿らしい。下らねえ。シゲ、おまえも幸生並みの大げさ野郎なのか」
「いえ、しかし……」
「そんなもん、詫びるんだったら、あ、悪い、当たっちまったな、でいいんだよ」
「……そうでしょうか」
「……乾、そうじゃねえのか?」
「そうで十分だよ。まあしかし、シゲだからさ」
「うん、このシゲだもんな。なんにしたって、下らない突発事故だろ。忘れろ。で、酒巻、おまえがなんでここにいる?」
 ええと、あの、乾さんが……と酒巻が言いかけ、乾さんがあとを引き取った。
「俺の今日の仕事の話を、酒巻にちらっとしたんだよ。その話を聞きたいって言うから、スタジオに来いって言ったんだ」
「そうだそうだ。俺も聞きたい。うーん、乾さん、その格好で仕事をしてきたんですか」
「そうだよ」
 突発事故のせいで乾さんの服装に目を向けるゆとりはなかったのだが、章が言うので見てみると、今夜の乾さんはまた実に格好がよかった。
「……ファッション雑誌に、かっこいい男代表って載るほどでもないんじゃないんですか。ねえ、リーダー?」
「うちでは一番見られるって程度だろ」
「俺のほうが……くそくそ、そう言いてえよぉ」
「言うだけだったらただだぞ、章」
「虚しいから言いません」
 本橋さんとそんな話をしてから、章は酒巻を手招きした。
「あのな、乾さんの顔が赤いってののわけを、幸生には嘘八百話にして教えてやろうぜ」
「嘘はいけませんよ」
「いいんだ。俺はかつて百万回も幸生の嘘にだまされてるんだから、こんなのなーんにも罪がないんだよ」
「ちなみに、どんな嘘ですか」
「耳を貸せ、酒巻」
「はい」
 酒巻の耳に口をくっつけて、章が内緒話をしている。俺にはひとことも聞こえなかった内緒話のあとで、章は他の三人に言った。
「先輩たちは口出し無用に願いますよ。幸生を焦らせてやるんだ。あ、来た。打ち合わせできないじゃん。早いんだよ、幸生」
 章が舌打ちすると同時にドアが開き、幸生が入ってきた。
「俺が一番あと? みなさーん、こんばんは、お久しぶり、でもないけどさ、数時間会わないとなつかしくて、寂しかったわん。乾さん、あれれ? 乾さんったら顔が赤い。お多福風邪? やばいよぉ。乾さんだって独身なのに、その年でお多福風邪に罹ると、一説によると種なしかぼちゃになっちゃうとかなんとか」
 そう出るか、と本橋さんは呟き、乾さんはくすっと笑い、酒巻は首をすくめ、俺は脱力しそうになった。章は口をはさもうとしたようだったのだが、その隙を与えず、幸生は言った。
「メンソール煙草にもそういう説はあるんだよね。乾さんはメンソールは吸わないから平気だろうけど、あんまりもてすぎると打ち止めになっちゃうって説もあるんですよ」
「打ち止め?」
 マシンガンのごとき幸生の言葉の乱射に対抗したのは、むろん乾さんだった。
「もてると打ち止めになるのか?」
「そうですよ。うちで一番もてるのは乾さんでしょ。そうなるとああなって、ああなってこうなって、これで最後だよ、お疲れさん、ってね、赤い球が出てくるんだって。金の……」
「幸生、もしやミエちゃんが盗聴器をしかけていたらどうする?」
「美江子さんって盗聴マニア?」
「いいや。マネージャーの義務として、なおかつ、ミエちゃんがいない場での夫がなにを言っているのか知りたくて、俺たちの会話をチェックしてるってことも、考えられなくはないんだ。女性の耳がないとは言い切れないこの場所で、金の……?」
「やーね、乾さんには負けちゃうわ。酒巻、おまえも顔が赤いね」
 言われた酒巻はうつむき、俺も顔をこすった。乾さんの頬はたしかに赤いのだが、酒巻の顔は別の意味で赤い。俺の顔も酒巻みたいになっているのだろうかと、こすらずにいられなかったのだ。


3

 翌日、改めて侘びを言おうとしたら、乾さんに遮られた。
「もうどうだっていいんだよ。本橋も忘れろって言ったただろ。俺は忘れたからおまえも忘れろ。それより、章も大人になったな」
「章ですか?」
 幸生に嘘八百話をしようとして、酒巻には諌められ、幸生に先手を打たれて諦めたらしき章の、どこが大人だ? 今日は乾さんと俺しかまだスタジオには来ていないので、じっくり話を聞こうと、俺は乾さんを見つめた。
「昨日、どうしてああなったのかは忘れたけど、章の態度は覚えてるよ。章が事態を沈静化させたんだろ」
「……そうとも言えますか」
「当たり前だよな、大人になるのも。それをして、ちょっと寂しいかな、なんて思うのは傲慢だ。それと、シゲ、恭子さんには話したのか」
「昨日の一件ですよね。話しました」
 恭子は言ったのだった。
「そんなんでくよくよするなんて、シゲちゃんって気持ちがちっちゃいんだよね。もっとどっしりしたひとだと思ってたのに、私、まちがってたんだろうか」
「なんだよ、そんな言い方しなくてもいいだろ」
 俺も言い返し、口喧嘩になって、恭子はふてくされて先に寝てしまった。今朝は仲直りしたのだが、喧嘩になっちまいました、と言うと、乾さんにぎろっと睨まれた。
「俺は独身なんだから、おまえよりも経験は不足してるよ。奥方が妊娠中だなんて経験はもちろんない。けど、妊娠中の女性はひどくデリケートなものなんだろ。そんな奥さんの気持ちを乱すなんて、夫として失格じゃないのか」
「は……すみません」
「そんな話は恭子さんにはするな。心配かけるな。ミエちゃんが来たよ。ミエちゃんにも聞いてもらったらどうだ」
「いえ……」
 おはよう、どうしたの? と美江子さんに声をかけられて、俺は無言で頭を下げた。
「シゲくんったら、べそかいてる?」
「べそなんかかいてません」
 昨夜も酒巻が、シゲさん、べそかいてる、と言ったが、べそはかいていない。ただ、こうして乾さんに叱りつけられたり、ああして静かでいてきびしい口調で諭されたりすると、実にびんびん響くのだと実感していたのだ。
 昔は乾さんに叱られるのは章が主だったのだが、近頃の章は、乾さんに言わせると大人になったのだそうだから、叱られることも少なくなった。
 そんな章が昔、乾さんはおっかねえよ、といつも言っていたのが腑に落ちた。今ごろになって実感するとは、俺はまさに鈍感なのだろうが、おっかねえとか怖いとか言うのでもなく、かといってなんと表現すればいいのか……
 優しくてきびしい? 今だって、恭子の身の上を案じて言ってくれている。乾さんってひとは、気持ちの半分以上が他人に向いていて、わが身以上に他人を慮るひとであるのか。
 初に乾さんと知り合ったのは俺が十八の年で、十九だった乾さんは、あのころからそんな男だった。鈍感な俺は漠然としか気づいていなかったのだが、深く濃くつきあっていくにつれて実感が深まり、こうして説教されると、その実感が強まっていく。
 乾さんに叱られてすねていた、昔の章のようにはしない。俺は潔く詫びるしかない。俺が悪いのだから。ひょっとしたら、いまや俺のほうが章よりもガキ? まさかそこまでは、と慌てて否定しつつ、乾さんに深々と頭を下げた。
「そう出られると、俺が恥ずかしくなるよ。シゲ、ごめんな」
「いえ、俺が……」
「どうしたの、ふたりとも?」
 美江子さんが不思議そうに言った。
「深刻な話? 私の報告はあとにしようか」
「いや、ミエちゃんの話を先にどうぞ」
 では、と美江子さんは言った。
「あのね、今宵のトワイライトビートボックスは、スケジュールの都合を考え合わせると、シゲくんひとりしか出演できないの。このごろみんな、単独の仕事が増えてきたものね。で、シゲくんひとりでは間が持たない恐れもあるってわけで、ゲストに来てもらうことになりました。急遽お呼びすると決まったゲストの方は……シゲくん、大丈夫?」
「大丈夫かと聞かれるってことは、もしや徳永さんですか」
「徳永くんだったら慣れてるでしょ。シゲくんは彼と会ったことはあったんだっけ」
「彼とは?」
「突然だったのに、よくもまあ時間があったものよね。社長が恐る恐る彼らの事務所に連絡してみたら、彼らはたまたまオフだったんだって。フォレストシンガーズの本庄繁之とDJやるのか、面白そうだ、俺がやる、って言ってくれたひとがいてね」
 彼、俺、男であろう。
「社長も駄目でもしようがないって思ってたらしいけど、引き受けてくれてびっくりしたそうよ。彼も相当なお喋りだそうだし、テレビ出演は断固拒否だけど、ラジオは好きみたいなのよね。でもでも、シゲくんだと完全に負けちゃいそう」
 もったいぶっている美江子さんに、乾さんが言った。
「テレビ出演拒否のお喋り男か。グラブダブドリブのジェイミー・パーソン?」
「ええっ、なんでわかるの?」
「あてずっぽうだけどさ、ミエちゃんがそんなにもったいぶるからピンと来ちまったんだな。当たりなんだね。シゲ、そりゃ大変だよ」
「……そんなに、ですか」
「そんなに、だ」
「私もジェイミーってあまりよくは知らないんだけど、相当なものなんでしょ」
「相当なんだろうね。俺もそうはよく知らないし、プライベートで話したことはないけど、ミエちゃんのほうが知ってるだろ」
「そんなには知らないよ」
 そんなに、そんなに、ばかり言っている美江子さんと乾さんを見ていたら、心臓の鼓動が早くなってきた。
「……あの、乾さん、美江子さん……」
「幸生とも章とも、金子さんとも徳永とも、俺とも本橋ともちがったタイプの、天下無敵のお喋り男なんだそうだよ。俺も多少は彼について聞いたけど、まあ、これもシゲの修行になる。がんばって闘ってこい」
「そうだよね。シゲくん、しっかり」
 激励してもらったものの、ジェイミーってどんな奴なんだ、と思うと、鼓動も脈拍もますます速まっていっていた。

 
 ライヴで見たことはあるものの、ステージから遠い席では、でかい男だな、との印象しかなかった。生放送のラジオ番組がはじまってから、おーっす、と言いながらスタジオに入ってきたジェイミー・パーソンは、雲をつくがごとき大男だった。
 金髪を振り乱し、サイケデリックカラーとでもいうのか、見ていると目がぐるぐるしてきそうな色彩の乱舞シャツを着た、ジェイミーはマイクに向かって言った。
「ラジオをお聴きのみなみなさま、俺の声、わかる? グラブダブドリブのジェイミー・パーソンでございます。俺がフォレストシンガーズの本庄繁之と漫才やるなんて、めったとない聞きものですよ。今宵は存分にお楽しみ下さい。本庄、てめえ、メインパーソナリティだろ。黙ってないでなんとか言わんか」
「……は、僕は挨拶はしましたが、はい、グラブダブドリブのジェイミー・パーソン……」
「俺は自己紹介したんだよ。さんとかミスターとかつけるなよ。どうせおまえも英語は下手っぴなんだろ。俺は日本語はうまいから、心配しなくていいからな。おまえのニックネームはシゲだろ。シゲ、今宵はよろしく」
「は、はい」
 思い起こせば十二年ばかり前、幸生と初にまとまった会話をかわした。あのときの気分に似ている。が、俺は幸生の先輩で、幸生だってあのころはまだ俺には遠慮があったのだろうから、のっけからこうではなかった。
 だが、ジェイミーときたら、のっけから遠慮も斟酌もない。ばばばばーっ、と喋りまくり、幸生とラジオをやっているとき以上に、俺に口をはさませてくれないのだ。
「おまえらって歌はうまいよな。俺にとってはライバルだぜ。このグラブダブドリブのジェイミーにライバル視されたら、それだけでも光栄すぎて眩暈がするってもんだろ。俺が認めてやってるんだから、おまえたちはたいした奴らなんだよ」
「は、はい、ありが……」
 とうございます、とは言わせてもらえず、ジェイミーはまた喋り出した。
「シゲは俺よか一歳年下だってな。フォレストシンガーズってのは大学の先輩後輩だってのは知ってるんだ。章がドルフと顔なじみだって知ったときからでも、あれからいろいろあったろ。俺もフォレストシンガーズってのは前から知ってはいたんだけど、そのころから注目するようになって、おまえらについての知識も増えたんだよ。光栄だよな」
「は、はい、ジェイミー、さんって言わなくていいんですか」
「呼び捨てでいいんだよ。聞くところによると、俺たちとはキャリアも同じようなもんだろ。売れてるかどうかなんてのは、現在がどうあれ、先がどうころぶかなんて五里霧中なんだから、気にしなくていい。おまえ、無口だな」
「いえ、ジェイミーが……」
「無口でラジオのDJがつとまるか。喋れ」
「喋らせてくれないじゃありませんか」
「それでも負けずに喋れ」
「無理です」
 ラジオのDJが本職の酒巻が、とんでもないゲストが登場した際の苦労話を口にしたこともある。俺とてラジオの仕事には慣れつつあり、あの幸生ともペアでDJを担当している上に、変なゲストに困らされた経験もある。
 しかし、ここまでの奴ははじめてだ。そのうちには俺は相槌を打つばかりになり、ジェイミーの独壇場となっていった。
「フォレストシンガーズの歌ってのは、甘いラヴソングが多いんだ。よく知ってるだろ。おまえたちのCDだって聴いたんだもんな。おまえたちの売りはハーモニー。五つの男の声が調和し、時にはバトルをやっているかのごとくにもなる。対する俺たちは、俺のこの声が売りだ」
「はい」
「なんて言うと、楽器の連中が怒るかもしれないが、楽器なんてのは取り替えもきくんだよ。世界広しといえども、ジェイミー・パーソンは唯一無二だ。俺に勝てるシンガーは世界中、いや、宇宙にまで目を向けても絶対にいない」
「は、はあ」
 ようやく日本中には目を向けられるようになった我々と較べて、彼は宇宙か。すげっ、としか感想の持ちようがなかった。
「宇宙には無数に星がある。未発見ではあるが、異星人ってのはいるんだろう。そいつらも歌を歌うだろう。俺は地球人をライバル視したって意味ねえんだよ。おまえたちを認めちゃいるが、他の日本のシンガーときたらたいていは……」
「あのね、ジェイミー?」
 しみじみと、困ったゲストを呼んだときの酒巻の気持ちがわかった。
「日本のシンガーなんてなおさらどうでもいいよな。地球上のシンガーもどうでもいいんだよ。俺は異星人シンガーのすべてに歌の勝負を挑まれたとしても、まちがいなく勝つ。かーつ!」
「は、はい」
「はいしか言えねえのか、てめえは」
「あなたのそのお喋りの前では、言えません」
「だろうな。しようがねえか。あのな、そんでな」
「はい」
 英語までが出てきて、ぺらぺらぺらーっとまくし立てられて、俺にはなんにも聞き取れなかった。
「なんて言ったんですか?」
「ヒアリングも苦手か。日本人なんだからしようがねえけどよ、俺はオペラ出身だから、ドイツ語とイタリア語はぺらぺらなんだぜ。フランス語もできる。英語は当然できる」
「自慢ですか」
「そうだ。文句あんのか」
「いいえ、ありません」
「乾は多少は英語もできるそうじゃないか。乾と木村は英語の発音がいいとかって、ファンのみなさんが褒めてくれるそうだな」
 そこでふふっと笑う。俺に言わせりゃ、下手だ、と言いたいのか。
「俺は日本語もできるんだから、五ヶ国語に堪能なんだ。日本人ってのはなんでこう……悠介は英語もぺらぺらだし、フィリピンの言葉もできるし、エスペラントまでかじったって言ってたんだけど、司の野郎はよぉ……こら、司、聞いてるか。おまえも英語の勉強しろ。俺が教えてやるって言ってんだろ」
「あの、お仲間の話はいいですから、英語の部分は? リスナーのみなさんにも聞き取れなかった方がいらっしゃいますよ」
「おまえは乾に教えてもらえ。聞き取れない奴はてめえが悪いんだ」
「ジェイミー……それは言いすぎ」
「俺はこれも売りのひとつだから、ファンの方はなーんとも思っちゃいねえんだよ。唯我独尊ジェイミーが好き好きってさ、女の子たちが言ってくれるんだ。あ、おまえ、結婚してるんだって?」
「はい」
 なにを言い出すつもりかと身構えたら、ジェイミーはにっと笑った。
「俺も結婚するんだ。結婚しようって決めた彼女は、手中の珠って存在になるんだよな。可愛くてたまんねえ。彼女は俺のこの胸毛を指にからめて、言うんだぜ」
「はい」
「私は男のひとの胸毛って猛々しくて、好きじゃないって思ってたけど、ジェイミーの胸毛は好きよ、って、そう言ってさ、俺のこの厚い胸に頬を寄せてくるんだ。おまえは胸毛はねえんだろ」
「ありません」
「日本の男って弱々しいんだよな。毛深くない奴も多いしさ」
「俺はわりと毛深い……わっ!!」
 突如として俺のズボンの裾をめくり、ジェイミーはせせら笑った。
「こんなもんのどこが毛深いんだよ」
「ジェイミーは脛毛も金髪なんですか。いえ、見せてくれなくていいですって」
「ラジオでは見えないんだし、おまえに見せても意味ねえもんな。そうだよ、俺は身体中の毛が黄金だ。声も姿も黄金の獅子。獅子ってのはライオンだよ。知ってるよな。まつげも、ほら」
「……そうですね」
 ばしばしっとしばたたくジェイミーのまつげを見てから、反撃をこころみた。
「日本女性は毛深い男は好きではないと……」
「そうなんだよな。日本の女ってのは……いや、日本の男の悪口は言ってもいいが、女性は国の宝なんだから言わないよ」
「幸生と似て……いやいや」
 彼も女好きであろうか。ほんのすこし、ジェイミーが人間らしく見えてきていたのだが、またもや突如として、ジェイミーが歌い出した。
「……あなたから遠く?」
 ライヴで俺がソロで歌い、好評だったのでシングルCDとして発売した曲だ。俺は常々バス担当なのだが、ソロ曲では高い声も出している。こんなに近くでジェイミーの生歌を聴くのは、俺ははじめてだ。俺のソロなのだからキーが低めの「あなたから遠く」を、ジェイミーが低く囁くように、情感たっぷりに歌っていた。
「どうだった?」
 歌い終えたジェイミーが尋ね、俺は答えた。
「素晴らしい。さすがですね」
「うん、じゃ、もう一曲」
「グラブダブドリブですか」
「いいや」
 続いて歌い出したのは、俺は知らない曲だった。

「Nel cielo passano le nuvole
 che vanno verso il mare
 sembrano fazzoletti bianchi
 che salutano il nostro amore

 Dio, come ti amo
 Non e possibile
 Avere tra le braccia tanta felicita
 Baciare le tue labbra che odorano di vento
 Noi due innamorati, come nessuno al mondo

 Dio, come ti amo
 Mi vien da piangere
 In tutta la mia vita, non ho provato mai

 Un bene cosi caro, un bene cosi vero
 Chi puo fermare il fiume che corre verso il mare
 Le rondini nel cielo, che vanno verso il sole?
 Chi puo cambiar l'amore, l'amore mio per te?」

 しかも、英語ではなさそうだ。なにひとつ意味のわからない歌だったが、メロディはよかった。
「ジェイミー、なんていう歌なんですか」
「知らねえのか。ラヴソングだよ」
「……だから、なんてタイトル? 誰の歌?」
「てめえもシンガーだろ。勉強不足だ」
 つめたくあしらわれて、仕方なく諦め、その後もジェイミーの独壇場につきあわされてへとへとになった。
「お疲れ。飲みにいくか」
 ようやく仕事が終わり、ジェイミーが誘ってくれたのだが、とてもそんな元気は残っていなかったので、お断り申し上げた。
「そっか、おまえは奥さんが待ってるんだよな。写真は持ってるか?」
「恭子のですね」
 テニスウェア姿の写真やら、旅行先で知らないひとに頼んで撮ってもらった写真やらのミニアルバムを持ち歩いている。照れくさかったのだが、見せろと言われたので見せたら、ジェイミーは真面目な顔でアルバムを最初から最後まで見た。
「可愛いひとだな。俺の藍の写真も見せてやるよ」
 婚約者であるらしき城下藍さんは、シンガーなのだそうだ。俺はそんなシンガーはまったく知らないが、このジェイミーの愛する女性なのだから、素晴らしい美人なのだろう。見たい。
「……太ってるって本人は言うんだけど、太めなところも可愛いだろ。恭子さんも細くはないけど、すっげえ可愛いよ。なんで女はやせたいんだ? 太めのほうが愛らしいじゃないか」
「そうですよね。ふっくらふわふわ……いや、恭子はがっしりしてますが……今は妊娠中なんで、ふっくらに変わりつつありますね」
 そんな話しをしながらも見せてもらった藍さんの写真は、美人というのではなく、ほおお、意外だな、ではあった。が、輝くばかりの笑顔を、カメラを構えるジェイミーに向けているのだろう。愛情があふれて見えた。
「素敵な方ですね」
「だろ。恭子さんも素敵だ。うん、俺たちはお互いに素敵な素敵なひとと恋をして、おまえは結婚し、俺も結婚するんだよ。俺の藍も近いうちには妊娠するのかな。わが子をこの腕に抱くってどんな気分なんだろ。楽しみだな」
「はい、楽しみです」
「うん。恭子さんを大事にしてさしあげろ。じゃあな、またな」
 最後まで騒々しくジェイミーが引き上げていくと、番組のディレクター氏が一枚の紙片を手渡してくれた。
「本庄さん、乾さんからのファックスですよ」
 そこにはこう綴られてあった。単独仕事に行っていた乾さんが、放送を聞いていてファックスを送ってくれたのだ。

「シゲ、お疲れ。聞きしにまさるだろ、あいつ? 
 ジェイミーの話は今度会ったときにするとして、彼が言った英語はこんな大意だよ。
「この俺に向かって悠介の奴は、おまえは頭は悪くないけど、俺と較べるな、って言いやがったんだ。俺は唯我独尊男だろうけど、悠介はそのはるか上手だ。上には上がいるんだ」くらいかな。
 それから、ジェイミーが歌った歌はイタリアのジリオラ・チンクエッティ、「Dio, come ti amo」。愛の歌だよ。ジェイミーも結婚するって言ってたし、おまえも結婚して近く親父になるんだから、愛するひとに捧げる歌って想いを込めて、歌ってくれたんだな。
 仕事がすんだらまっすぐ帰って、恭子さんをいたわってあげろ。今夜は喧嘩すんなよ」

 まったくもう、乾さんには参るよ、である。
 今宵はなんとも疲れる試練のときだったけれど、ああしてジェイミーの歌を生で聴けたのだけは、この仕事、役得だったかな、などとも思う。
野球のグラブのほうが、グラブダブドリブよりもいいんじゃないのか、と以前には思ったりもしたが、ジェイミーって奴も悪い男ではなさそうだ。
 こうして俺のグラブダブドリブとの個人的初触れ合いが終わったのだが、この話は恭子にもしてもいいだろう。早く帰って恭子を笑わせてやろう。気持ちのスイッチが切り替わり、そこからはただひたすらに、恭子、早く会いたいな、になっていった。
 kyoko dio come ti amo? この用法で正しいのだろうか。こころもとないので、恭子には言わないほうがいいのか。イタリア語の「愛してる」だとしたら照れずに言えそうなのだが、恭子には意味不明だろうから、言わないほうがいいのだろうか。

END




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