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小説92(BASEBALL KID'S)

 ←番外編32(5-4)(ア・イ・シ・テ・ル) →小説93(ラストクリスマス)
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フォレストシンガーズストーリィ92

「BASEBALL KID'S」

1

 ずいぶんと久しぶりだ。わくわくして自然に歌が口から飛び出す。よっ、シゲ、張り切ってるな、と乾さんに声をかけられて、俺は頭をかいた。
 発端はリーダーだった。春日弥生さんのたっての希望で、フォレストシンガーズ、略称FSの我らがリーダー、本橋真次郎が彼女のニューアルバムのレコーディングに参加したのである。弥生さんと呼べとなぜかうちの後輩の三沢幸生が強制するので、俺もさしてよく知らない大先輩シンガーを弥生さんと呼んでいるのだが、その弥生さん作の曲「生きていこうね」を本橋さんが彼女とデュエットすることになったのだった。
正確な年齢は知らないが、弥生さんと親しい幸生に言わせると、たぶんおふくろより年上、であるらしい。見た目は五十代程度だが、六十歳以上ってわけだ。七十歳に近いのかもしれない。
「聴けばわかるけど、年下の男と年上の女が恋をする歌だ」
 レコーディングを終えた本橋さんがげんなりした表情で言うのを、乾隆也……FSには年齢順に本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、三沢幸生、木村章の五人のメンバーがいる。本庄繁之が俺……がさえぎった。
「なに? シンちゃん、そういうのいやだったのか?」
 俺はサンドイッチの具、つまり上がふたり、下がふたりの同年齢にはさまれている。本橋さんと乾さんは同年、幸生と章も同年だ。本橋さんは乾さんの質問を強く否定した。
「ちがう。最後まで聞け」
「聞きましょ」
「そんなのはいいんだよ。歌そのものは気持ちよかった。ちがうんだ。運動不足だ」
「おまえが?」
「俺だけじゃないだろ。おまえらもだ。このごろトレーニングもさぼってる」
「忙しいから、運動不足になるのは否めないな。幸生、口をとがらせてどうした?」
「俺は自転車でトレーニングしてますよ」
「俺は歌のトレーニングはしてるけど……」
 言った章を無視して、本橋さんは言った。
「全体には運動不足だよ。弥生さんの駄目出しが強烈で、俺はくたくただぞー」
「情けないね」
「野球やれば?」
 口をはさんだのは本橋さんの奥方で、我々のマネージャーでもある旧姓山田美江子さんだった。美江子さんもまた、本橋さん、乾さんと同い年。全員が同じ大学の合唱部出身である。
「昔はたまにやってたじゃない? みんな野球は好きでしょ、ね、シゲくん?」
「俺はやるより見るほうが……」
「そうだな、このごろやってないな。やるか」
「そう言ってる本橋くんよりも、シゲくんの目がいちばん輝いてるよ」
 くすくす笑って、美江子さんは言った。
「スケジュール調整もしますし、グラウンドも借りてくる。プライベートでも、みんなでやることは私の仕事よ。シゲくん、恭子さんは応援にこられる?」
「来るんじゃないかな」
 もとアスリートの俺の妻、恭子は妊娠をきっかけにプロテニスプレイヤーを引退して、現状は専業主婦だ。妊娠中でなかったら、野球だったら私もやりたい、と言うかもしれない。運動神経は抜群なんだから、野球だってできるにちがいない。
「じゃあ、シゲくんの住まいの近くでグラウンドを探そうね」
「おう、そうか、恭子さんが来やすいようにだな。山田、気配りもできるな」
「失礼ね。明日の晩ごはんはヌキ」
「そりゃないぜ」
「聞こえないもーん」
 結婚してもあいかわらず、仕事場では山田、本橋くんと呼び合う夫婦のささやかなもめごとは勃発したものの、美江子さんが準備万端整えてくれて、夜には仕事があるが昼間はオフ、という今日、大久々で野球の試合をするはこびとなったのだった。
「私は応援団長やる」
 可愛らしいパラソルをくるくる回して、恭子とふたりでいる美江子さんが言い、本橋さんは言った。
「山田、おまえも出ろよ。メンバーぎりぎりなんだから」
「いやだ。五月の陽ざしは夏より強いんだからね。陽に灼けてシミができるのはごめんです。ね、恭子さん、いっしょに応援しようね」
「はい。シゲちゃん、がんばって」
「まかせとけ」
 なーんて強がってみたけど、大丈夫だろうか。
「シゲ、監督もおまえだぞ」
「なんでですか」
 試合が決まったとき、本橋さんは言ったのだ。
「野球経験者はおまえだけだ」
「経験者ってね、少年野球ですよ」
「リトルリーグであろうとなんであろうと、経験はなににも勝る」
 そうだそうだ、シゲさん、辣腕監督!! と後輩どもも煽り、乾さんは言った。
「うちは五人だろ。シゲ監督、足りない分はどうするんだ、シゲ監督?」
「監督を連発しないで下さい。そうそう、モモちゃんはどうだろ。彼女、ソフトボールやってたって聞きましたよ」
「草野球なんだから女の子だっていいよな。これで六人。あとは?」
 同じ事務所の新米男女デュオ、「フルーツパフェ」のモモちゃんは頼りになりそうだが、モモちゃんの相棒のクリちゃんは、頼りにならないに決まっている。一応奴は男だが、モモちゃんの陰にすべてに於いて隠れている。意向を聞いてみたらモモちゃんは大喜びだったし、クリちゃんも僕もやります、と言うのでこれで七人になった。が、まだ足りない。
「僕も出して下さい」
「ぼくもやりたーい」
「その日の昼間なら出られます」
 先だって一名ずつ対談したのが縁で妙になつかれている、といってもポンが乾さんに、ヨシとかっちゃんは本橋さんになついているのだが、そういう関係になっているアイドルグループ「ラヴラヴボーイズ」と会った際に話してみたら、ヨシとかっちゃんが乗り気になった。ポンと他二名、さあやとロロという変な芸名の奴らは、オレはパス、であった。
「ヨシやかっちゃんは若いから役に立つだろ。九人はそろったんだな。それでいいのか、シゲ監督?」
「乾さん、また……補欠もいりますよね」
「監督は私がやろうか」
 思いがけない人物が名乗り出てきた。うちのプロダクションの社長だ。
「いざとなったら代打私、で出る。私も昔は草野球ならやったんだ」
 だいぶくたびれてきた五十男だけど、監督ならば喜んでお譲りすることにした。補欠がひとり。あとは飛び入りにでも参加してもらおう。我々のチームはシンプルに「シンガーズ」と名づけた。対するはこれまた大学の合唱部先輩、高倉誠氏率いるスタジオミュージシャンとプロデューサーや音楽関係者のチームで、その名は「ヤングおじさんズ」……だせっ、とかいうコメントは控えておこう。
 横須賀出身の幸生はガキの時分からのベイスターズファンであり、三重県出身の俺はタイガースファン、このふたりは筋金入りといってもいいだろうが、あとの三人は見るほうの経験も浅い。いつか乾さんが教えてくれた。
「俺は野球は見るのは嫌いじゃないけど、特定のチームを応援はしてなかったんだ。最近、東北のチームができたろ。弱っちいのが愛しくて、判官びいきとか言うのもあって応援してたら熱くなってきた。やっぱひいきチームがあったほうが、プロ野球は格段に面白いよな」
「金沢に近いからですか? 名古屋のチームのほうが近い気もするけど」
 金沢出身の乾さんは言った。
「あそこは嫌いなんだ。ヨミウリとか言うのも嫌いだ。本橋は、っと、これ、知ってるか?」
「なんですか」
 広島出身の高倉先輩は熱狂的カープファンであるらしい。大学に入学したばかりのころには野球にはなんの興味もなかった本橋さんは、高倉さんに強引に神宮や東京の球場へと連行され、洗脳されてカープファンとなった。乾さんも連れていかれたらしいが、俺はシンちゃんほどには単純じゃない、と澄ましていた。
 かくして我らの共通点はアンチGのみ。美江子さんはスワローズファンだし、章は出身地に近い北海道のチームを応援している。章のひいきチームも歴史は浅いので、幸生や俺ほど長く野球ファンはやっていない。ガキのころは野球なんか嫌いだった、親父がジャイアンツファンで、テレビは野球ばっかりで、アニメとか見られなかったもんな、と章は言っていた。こういうひとは案外多いようだ。
 本日の試合のために美江子さんが借りてくれたグラウンドは本格的なもので、ロッカールームも完備している。そこに集まった男たちが着替えていると、乾さんが言った。
「シゲ、あのころのユニフォーム、しまってあったのか」
「まだまだ着られますよ。体型は変わってないでしょ」
 あのころとは、フォレストシンガーズがまるっきり売れていなくて、俺たちが暇だったころだ。FS野球チームを結成するとなって、俺はユニフォームを作ったのだが、他のみんなはてんでにばらばらの服を着ていた。今日もユニフォームは俺だけだ。
「体型が変わるほどの年齢じゃないだろ」
「あっちのおじさんたちと比べれば……って、うわ、前言撤回」
「遅い。一度口に出した言葉は決して消えないんだぞ」
「乾さん、告げ口はなしですよ」
「さあ、どうしよっかな」
 にやにやしている乾さんに、やめて下さいよ、と言いながら見回してみると……どいつもこいつも腰が細すぎる。
 少年野球のメンバーにしか見えないのが五人もいる。かっちゃんは本物の少年だが、ヨシも、三十路に突入している章も幸生も少年体型だ。クリはふにゃふにゃだし、監督は例外としても、乾さんも足腰細すぎ。それでなくちゃ洗練したかっこよさはあらわせないんだろうけど、野球には向かないのだ。
 まだしもリーダーは使えるだろう。足腰は細いけれど、上半身はがっちりしている。俺も他の奴らよりはましだと思う。
 一番センターかっちゃん、二番ライトヨシ、三番ファースト乾隆也、四番キャッチャーの俺、五番サード本橋真次郎、六番セカンドモモちゃん、七番ショート三沢幸生、八番レフトのクリで、九番ピッチャー木村章と決めたのは監督の社長だが、まあまあのラインナップだと……信じておこう。
 おじさんズは体格は俺たちよりずっとたくましいが、こっちは若さで勝負だ。FS以外のメンバーが平均年齢をぐっと下げている。かっちゃんは十代、ヨシとモモちゃんとクリは二十歳そこそこだ。
「燃えてるな、シゲ、その調子だ。おまえだけが頼りだぞ」
「頼りにしないで下さいよ、リーダー」
「キャッチャーは司令塔なんだろ。監督はあてにならないんだから、おまえが指示を出せ。俺たちは陰の監督に従う」
「まだそんなこと言ってる。モモちゃんがいますよ」
「打つ、守るは彼女も頼りになるな。ソフトボールって、しかし、野球と同じじゃないだろ」
「ちがうところはありますけど、草野球ですから」
 野球やってたのっていつだよ? 二十年も前だよ。章はスポーツは苦手なのだが、幸生にしても乾さんにしても身が軽くて敏捷だし、本橋さんは俺をおだてるけど、この体格を見てもわかる通り、十二分に鍛えている。もとソフトボール選手のモモちゃんもいるんだし、おじさんズにそうそうひけは取らないはずだ。
 巨大ラジカセから、幸生が選曲した今日のための音楽が次々に響いている。「イチローが満塁ホームラン……」と歌ってるのはリンドバーグ。幸生は音楽の守備範囲がすこぶる広く、演歌からクラシックまでなんでもこい、って奴だから、音楽担当としては適役だ。
「おーし、絶対に負けないぞ」
 負けず嫌いの典型たるリーダーが宣言し、高倉さんから審判を紹介された。
「ちょうど広島から出てきてたんで、彼に頼んだんだ。他の審判も彼の知人だ」
「よお、本橋、乾。活躍だな。俺も嬉しいよ」
「大泉先輩……」
「先輩が審判して下さるんですか。おい、シゲ、幸生、章、この方はだな……」
 四年上なので俺は面識がないが、高倉さんの親友たる大泉純一氏、誰かのパロディみたいな名を持つその方は、高倉さんと同郷の、我らの大学の野球部出身であるらしい。プロから呼ばれるほどではなかったようで、現在は故郷でビジネスマンなのだそうだが、乾さんの話しによると、高校野球大会の際には会社を休んで甲子園に駆けつけて審判をつとめる。いわば本職審判員なのだ。
「よろしくお願いしますっ」
 と並んで声をそろえ、一旦ペンチに引っ込んだ。まばらに人影のある観客席では女性たちのパラソルが揺れている。上天気すぎて五月にしては暑い。俺のハートも熱い。
「シゲちゃーん、がんばれーっ!」
「真次郎ーっ、しっかりやれよーっ!!」
 妻帯者ふたりの奥方たちが手を振っている。独身男たちはわざとらしく、いいないいないいな、などとぼやいていた。
「幸生っ、章っ、隆也っ」
「かっちゃん、ヨシくん、モモちゃん、クリちゃん」
「社長もがんばれーっ!」
 サービスなのか、手拍子つきで美江子さんと恭子が全員の名を呼び、みんなで手を振り返した。
「クリとモモちゃんって、夫婦には見えないよなぁ」
 デビュー当時に俺たちの前座をつとめたこともある「フルーツパフェ」のふたりに、章が言った。フルーツパフェだなんて発音しにくい名前ではなく、俺たちはもっぱらモモクリと呼んでいるのだが、本名は栗原準、栗原桃恵という。クリとモモでフルーツパフェ、安易だ。その名をつけたのは社長か? 
 いや、フォレストシンガーズも安易という意味では同類か。出身大学名に「森」の字があるからってつけたグループ名なのだから。
「その年で結婚なんかして……もったいねぇ」
「木村さんったら、どうしてもったいないんですか? あたしたち、愛し合ってるんですもん、ねぇ、クリちゃん?」
「そうだよね、モモちゃん?」
 かーっ、やってらんね、と幸生が叫び、ふと目をグラウンドの外に向けて言った。
「おでましだよぉ」
 誰だろう。俺たちも幸生の視線をたどった。自転車をこいでやってきたのは、小柄な女性だった。
「本橋さーん、いつぞやはどうもぉ」
 大阪弁? あんなに遠くからばっちり届く声の持ち主? 俺は幸生をつついた。
「弥生さんのおでましだな。呼んだのか」
「そうそう。弥生さーん、ようこそ」
 レーサーみたいなつなぎを着た女性を、幸生は駆け寄って迎えてふたり、抱き合った。
「来てくださったんですか、感激です」
 これは乾さん。
「こちらこそいつぞやは。運動不足を痛感しましてですね……」
 これは本橋さん。弥生さんはかっかと笑った。
「若いもんがなに言うてますのん。かっちゃんとヨシくんもいるんやね」
「わーい、弥生おばちゃん」
「かっちゃん、ここにキスして」
「うんうん、してあげる」
 今度はかっちゃんが弥生さんの頬にちゅっとやった。敬語が使えないと美江子さんは眉をひそめていたが、ものおじしない坊やは弥生さんにもなついているらしい。
「かっちゃん、失礼だよ。春日さん、お久しぶりです」
 こちらは丁重にヨシが言い、モモクリも敬意をこめて弥生さんに挨拶した。むろん社長も最敬礼で挨拶し、弥生さんは鷹揚に優しく応えている。章も俺も挨拶をすると、弥生さんは言った。
「さあ、みんな、がんばってよ」
 弥生さんに背中を叩かれて、俺もグラウンドへ飛び出した。
 

2

 ラジカセから流れている曲にいささか違和感を覚える。俺は近くでハミングしている幸生に尋ねた。 
「タイムマシンにお願い、だよな。これって野球の試合に合ってるか?」
「ここらへんはウォーミングアップ曲です。俺さ、この曲の替え歌を書いたんですよ。聴いてくれます?」
 ロックンロールタッチの曲に乗せ、日本語を駆使してノリもよく仕立て上げられているこの歌は、もと歌詞はこんなのだ。

「さあ、不思議な夢と遠い昔が好きなら
 さあ、そのスゥィッチを遠い昔に回せば
 ジュラ紀の世界が広がり
 はるかな化石の時代を
 アンモナイトがお昼寝」
 
 替え歌はこうだった。

「さあ、楽しい夢と野球創世記が好きなら
 さあ、そのスゥィッチをすこし昔に回せば
 緑のスタジアムが広がり
 はるかな古きよき時代
 ベーブルースがお昼寝
 ……
 昼寝してちゃ駄目だってば
 出番だよー、ミスタ・ルース」
 
 最後のツーフレーズは台詞だったし、やや字余りで、もと歌ほどには日本語が駆使されてはいなかったが、お見事、と弥生さんが拍手した。
「ユキちゃん、これって熟考の末に書いた?」
「いえいえ、即興に近いです。ここに来る車の中でね」
「幸生くんの作詞能力はたいしたもんやね」
「褒めすぎですよ、弥生さん。褒められるとこいつは図に乗るんですから」
 言ってみると、弥生さんは笑った。
「ルーツのフルーツの時代からしたら、なんとまあえらい進歩」
「ルーツのフルーツってなんですか」
「弥生さん、そこまで。シゲさんも追求はナシよん」
「ナシもフルーツやわね」
 意味不明の会話に首をかしげていると、乾さんも歌い出した。章もやってきて耳をかたむけていた。

「さあ、ベリィスリリングトリップが好きなら
 さあ、そのスゥィッチをちょっと未来に回せば
 グレイの廃墟が広がり
 得体の知れない存在
 あたりうろうろ徘徊」

 そこまで歌って、乾さんは言った。
「もと歌では過去にしか赴いていないので、俺は未来にしてみたよ。幸生、感想は?」
「……やだね、こんな未来は。やだよね、こういうペシミスティックなのは」
「おまえだったら楽観的未来?」
 章に訊かれ、即興でつくるなら……と幸生は考え、ややあってまたも歌った。

「さあ、素敵な夢と薔薇のブーケが好きなら
 さあ、そのスゥイッチをあなたの未来に回せば
 ウェディングベルが鳴り響き
 あなたのとなりのダーリン
 優しく笑って口づけ」
 
 なんてね、と幸生が言い、どっちがいい、おまえは? と章に迫っていた。
「どっちでもいいけど、その替え歌も俺たちのレパートリーに入れようぜ」
「おまえはそう出るわけだ。弥生さんのご感想はいかがですか?」
「即興でそれだけできたらたいしたもんよ、乾くんも幸生くんも。どっちもええねぇ」
 弥生さんは言ってくれたのだが、そのとき、我らがリーダーの雷が落ちた。
「こらーっ、そこの四人! なにをさぼってんだ!! さっさと位置につけっ!!」
 そうだった、今日は音楽ではなく野球の日だ。さっさと位置につこうぜ、と乾さんが苦笑いで言い、乾さんはファーストに、幸生はショートにと身軽な動きで駆けていった。俺はキャッチャーミットをかまえ、ピッチャーの章にうなずきかけた。俺のうしろで審判の声が響く。
「プレイボール!」


 一回表、ピッチャー木村章がなんと、おじさんズを三者連続三振に退けた。大げさにも本橋さんは章を抱擁で出迎え、俺に囁いた。
「たいしたことないな、おじさんたち」
「時差ボケですかね」
「あんなへろへろ球が打てないんだったら、俺たち以上に運動不足だぜ」
 不満そうな顔をして、章も言った。
「俺の球、へろへろですか。シゲさんもなに言ってるんですか。メジャーじゃあるまいし、なんの時差ボケだよ」
「シゲの配球が絶妙だったんだな。よし、円陣を組もう」
「エンジン全開、なんちって」
 得意の駄洒落を言う幸生をこづいておいて、本橋さんはみんなを集め、えいえいおーっ、とやった。乾さんも本橋さんもハイになってるし、みんな楽しそうだ。
 一回裏、一番かっちゃん、さすがに若くて運動神経はいい。ダンスもやってる奴らなんだから、当然か。かっちゃんはボテボテの内野ゴロを打ったが、相手が守備にもたつく間に俊足を飛ばして一塁を駆け抜けていた。恭子がきゃーっと叫ぶのが耳に届く。弥生さんが心配げに言った。
「あんまり興奮したらおなかの赤ちゃんにさわれへんかな」
「そこは山田が見守ってますよ」
 社長が言い、二番ヨシになにか耳打ちした。バントしろと言ったようで、ヨシは器用に一球目でバントを決めた。三番乾さんに本橋さんが言った。
「ガキに負けるな、行け、乾」
「打順だからね、言われなくても行くって」
 いちばん熱くなってるのは本橋さんだ。少年野球経験者だからというただそれだけで四番を仰せつかった俺も、ネクストバッターズボックス、のようなあたりに立つ。
 三番打者の打球は外野に飛んだ。ものすごい歓声が起きる。が、なんと腹の出た肥満体のライトがその打球をキャッチしたのだ。乾さんは走っている途中で天を仰ぎ、オーマイゴッド! と叫んだ。パフォーマンスである。おや、その打球をヒットと勘違いしたかっちゃんが二塁を飛び出して、タッチアウト、残念。
「ごめんねー、えへ」
 戻ってきたかっちゃんが舌を出す。あんなに走っても息を切らしてもいないのは十代の強みか。乾さんはわざとらしくはあはあ言って本橋さんに怒られていた。
「ガキに負けるなと言ったろ」
「あっそ。おまえが走ったあとの顔が楽しみだよ」
「これしきで俺は息なんか切らさないぞ。チェンジだ」
「わかってるって。サード、うるさい。エラーすんなよ」
「ファーストもだ」
 二回表、ホームランを打たれた章は、マウンドで首うなだれた。本橋さんと乾さんが章に駆け寄る。キャッチャーの俺にも三人の会話が聞こえた。
「ソロだ、どうってことない」
 本橋さんが言い、乾さんも言った。
「章、ドンマイ」
「まだ疲れてないだろ」
「大丈夫です。すんません」
「いいさ、がんばれ」
 そのあとはどうにか抑えたのだが、早くも章に疲労の色が見える。俺は監督に言った。
「ピッチャー替えませんか。草野球なんだから、ポジション替えたり代打を出したあとでまたもとのポジションに戻るのもありなんでしょ?」
「ありでやると言ってたな。私が投げようか」
 やめて下さい、とは言えなくて、俺は焦って言った。
「社長は最後の切り札でしょ。リーダーが気迫で抑えてくれますよ」
「俺か。よし、その前に点を取るぞ」
 最後の切り札を出す前に点を取らなくちゃ。二回裏の先頭打者は四番、俺、あっけなく三振。五番本橋、内野安打、ヘッドスライディング、やりすぎだよぉ、リーダー、と俺は言いたくなったのだが、本橋さんは、どんなもんだい、と言いたげに笑っていた。
 さあ、六番は実はもっとも実力があるはずのモモちゃんだ。が、なんとなんとゲッツーになってしまった。しょんぼりしているモモちゃんに、本橋さんが言った。
「あのおっさんの球は重くて打ちにくい。それに当たったんだから、モモちゃん、パワーあるよ。ゲッツーはまぐれだから気にしなくていい」
「そうですかー、でも、申しわけないです」
「あのおっさんたち、守備がうまいな。な、シゲ?」
「ですね」
 草野球にしてはたしかにうまい。野球経験者が何人かいるのだろうか。年齢は三十八歳……三十一歳の俺の四年上で三十八歳とは計算が合わないのだが、高倉さんは三浪しているのである……の高倉さんより年上が大半らしいのに、動きはいいのだ。本橋さんは伸びをして言った。
「次だ次だ。おっさんに負けてたまるか」
 もはや遠慮もなにもあったものではない。本橋さんはいつの間にか年長者を「おっさん」呼ばわりしている。無意識で言っているみたいだった。
「リーダー、ヘッドスライディングなんかして大丈夫ですか。このあとピッチャーやれるんですか」
 不安げに問う幸生の頭を押しのけて、本橋さんはのしのしとマウンドに向った。うちではいちばん身体の大きなリーダーが、いっそう大きな男に見える。
 三回表、外野に飛んだ打球をクリが落球し、プロだったらまちがいなく二塁打にはなるところだが、打った高倉さんが途中でころんでアウト、続く打者は三振、次はピッチャーゴロ、難なくゴロを処理した本橋さんは、またまた、どんなもんだいって顔になった。
 三回裏、七番幸生がシングルヒットを放った。八番クリはへろっと三振、九番はサードに回った章で、うわわ、またもゲッツーかと目を覆ったが、草野球にそうそうゲッツーはない。章も身が軽くて足が速く、これでワンアウト二、三塁となった。一番に返る。
「かっちゃん、やれ」
「行け、打て」
「なんでもいいから塁に出ろ。あとは俺が打つ」
「ヨシもけっこううまいもんな」
 わいわいがやがや大騒ぎの中、うん、打つ、とバッターボックスに入ったかっちゃん、あえなく三振。二番ヨシ、キャッチャーフライ、一対〇で負けている、の状態が続く。
 四回表にはツーアウト満塁になったが、本橋さんがバッターを内野フライに打ち取って叫んだ。章、取れっ!! だった。章、ダイビングキャッチ。みんな乗ってるね、こんなに楽しいんだったら負けてもいいや、と俺は思わなくもないが、本橋さんは完璧本気モードだった。
「たったの一点だ。追いつくぞ」
「おーっ」
 四回裏、相手のピッチャーが代わった。三番乾、三塁打。かっこいいーっ、と観客席から美江子さんと恭子の大歓声が聞こえ、乾さんはそちらに向けて優雅に一礼した。
「シゲ、打てよ」
「はい」
 どかっと本橋さんに気合のキックを入れられて打席に向ったのだが、またまた三振。そして本橋さんが犠牲フライ、同点となった。
「四番が足を引っ張ってますね。本橋さん、すんません」
「なに言ってんだ。キャッチャーとしてのおまえの配球はいいぞ」
 五回にはどうしても社長が投げたいと言い出して、二点を取られてしまった。五回裏、弥生さんが社長に耳打ちし、社長がうなずくと、弥生さんは俺に言った。
「代打、あたし、かまへん?」
「へ? あの……はい、どうぞ」
 大丈夫ですか? と言うと怒られそうだったので、全員ではらはらしながら弥生さんを見守った。結果は三振だったものの、フルスィングの末だ。なんちゅうパワフルさであろうか。
「あはっ、あかんかったわ。いやぁ、ポンくんも来たん」
 この場合の「いやぁ」は、「あらぁ」といった意味の関西弁だ。乾さんもにっこりした。
「よぉ」
 ふてくされたふりでもしているのか、仏頂面のポンがいた。どんっとベンチに置いたビニール袋は差し入れなのだろう。このあとは仕事だから飲めないんだけど、そういえば弥生さんに頼まれたと、酒屋がビールを大量に配達してきていた。乾さんがポンに言った。
「来たのか、おまえも代打で出ろよ」
「見にきただけだよ。俺、こんなかっこだし」
「ジーンズでだって野球はやれるさ」
「ポン、ホームラン打て」
「ポンくん、ぼくら負けてるんだよ。助けてよ」
 ヨシとかっちゃんにもそそのかされて、ポンがその気になった。腕まくりして打席に立ち、ヒットを打って万歳していたが、続く打者は凡退に終わった。
 七回裏にはモモちゃんがソロホームランを放ち、三対二。その後もめまぐるしく敵味方のピッチャーやポジションが変わったりしたあげく、とうとう九回裏まで進んだ。九回表にかっちゃんがピッチャーで二点を取られたので、点差は三点、うちが負けている。五対二だ。 
 九番章、三振、一番かっちゃん、シングルヒット、二番ヨシはセーフティバントをやってのけ、相手のエラーで両者セーフとなる。三番乾、シングルヒット、ワンアウト満塁で俺に回ってきた。ここまでの打席は俺はすべて三振している。プレッシャーに押し潰されかけていると、本橋さんが言った。
「俺がうしろにいるんだ。ランナーを残しとけよ」
「了解しました」
 いつも思う。うちのメンバーたちには度胸がある。俺にはあまりないんじゃないだろうか。振り向いても恭子の顔が見えない。もうなんにも聞こえない。
「おまえな、それは勇気とか度胸とかじゃない、蛮勇ってんだ」
「万有引力? いてぇっ」
 げんこつがごちっ……なんだったっけ、この記憶は。なにをしでかしたのかは忘れたが、ごく若いころに幸生がリーダーに怒られていたのだ。万有引力、ごちん、を思い出して笑った。笑ったら肝が据わった、気がした。再び振り向くと、恭子が両手をメガホンにして叫んでいる。美江子さんも叫んでいる。シゲちゃん、シゲくん、と何度も名前を呼んでいる。
 物音も聞こえてきた。ラジカセの音楽に合わせて、社長の太い声と弥生さんの力強い声が歌ってる。社長が天下の春日弥生とデュエットとは、役得ですね。社長、音程はずれてる。弥生さん、すみませんね。
 心で弥生さんにお詫びをしながら、俺は音楽に耳を澄ませた。俺の好きな歌……野球をテーマにした歌だった。

「BASEBALL KID'S 今もBASEBALL KID'S 
 意味などないのさ、ただ好きなだけ」

 「BASEBALL KID'S ROCK」だ。あれは中年に達したプロ野球選手が体力の衰えを実感しつつも、まだまだやれるとおのれを鼓舞する歌だった。俺の今とは状況がちがうけど、俺だってやれるさ。恭子、見てろ。 
 チアガールならぬチアボーイになって、章と幸生は踊っている。三塁と二塁にいるかっちゃんとヨシも踊りたそうにしている。ピッチャーは高倉さんだ。悪いけど打たせてもらいますよ、なーんて心で言って、高倉さんを睨み据えると、本橋さんの大声が聞こえてきた。
「行けーっ、シゲ!」
 誰も彼もがシゲと呼び、シーゲ、シーゲ、シーゲ、の大合唱となった。その中から弥生さんと本橋さんと恭子の声は聞き取れる。ちっとは余裕もあるのだ、シゲには。
 ゲッツーなんかない、せめて一点だけでも取る。アウトになってもリーダーも控えてる。まだワンアウトだ。そんな邪念が一瞬、消えた。バットに手ごたえ? なにが起きた? 無我夢中で走り出す。打球の行方を目で追うと、遠く遠く、はるか遠くまで飛んでいる。俺の田舎にはまだ空き地なんてのもあったなぁ。少年野球時代に空き地で野球をしていて、よそのうちの窓ガラスを割ったのを思い出した。
「シゲさんっ、すげぇっ!!」
「シゲ、やったぞ、ホームラン!!」
「シゲさんっ、大好きっ!! サヨナラ満塁ホームランだーっ!!」
「……え? 嘘……」
 嘘じゃないっ、早くホームへ走ってこいっ、と乾さんのハイトーンヴォイスが叫ぶ。かっちゃんもヨシも俺をシゲさんと呼び、飛びはねている。俺を大好きと言ったのはどっちだろう? 頭が混乱してきたものだから、知らずガッツポーズが出て、やってしまったあとで恥ずかしくなった。
「乾さんっ、嘘じゃないんですか」
「嘘じゃねぇよっ。シゲ、すごいぞっ」
 うわーっと大声とともに、みんなが本塁に到達した俺を目掛けて走ってくる。幸生と章が俺の背中をどかどか殴り、モモちゃんが抱きついてきた。クリはモモちゃんのうしろでうろうろしている。かっちゃんとヨシはダンスをはじめ、社長と弥生さんはベンチ前で握手していた。ポンまでが歓喜の輪に加わっている。本橋さんも俺の頭をぼこっと殴り、笑った。
「よーし、最後の最後に最高の仕事をやるのが四番だ。シゲ、よくやった」
「……はあ」
「なにをぼけっとしてるんだ。胴上げしてやりたいぐらいだが、あっちにゃ先輩もいるしな。ピッチャーは高倉さんだし、やめとこうか」
「やめて下さい、それだけは」
「だな」
「恭子さん、失神してないかね」
 そう言って乾さんも笑った。みんなみんな笑ってた。気になって見てみたら、恭子は失神などしていず、美江子さんと抱き合って、どうも泣いているみたいだった。おいおい、オーバーだよぉ、なんて考えながらも、俺まで泣きそうになっていた。
「本橋さん、ランナーを残せなくてすみません」
「それだけは気に入らないが、今回ぱかりは許す」
「アホか、おまえは」
「うるせ、アホはおまえだ」
 子どもみたいに、本橋さんと乾さんが口げんかをしている。
 恭子ー、見てたか? 見てたよな。嬉し泣きしてるんだよな。俺がきみにかっこいいとこ見せたのなんて、はじめてだった気がする。惚れ直した、なんて言ってくれないかな。
「シゲ、なににやけてんの? ああ、その歌、おまえの声に似合ってるな」
 おまえ、いい声だな、って、俺に初に声をかけてくれた、乾さんの言葉も思い出す。そういう低い声は必要だよな、ってかたわらで本橋さんもうなずいていた。あれが俺のFS第一歩だったのだろうか。オヤジ声だといわれたりもするけど、俺はこんな声に生まれてよかった。
 口からこぼれているのは、BASEBALL KID'S 今もBASEBALL KID'S 意味などないのさ、ただ好きなだけ……ほんとに俺、改めて野球をやりたくなってきた。こんなに燃えたのも久しぶりだ。あ、しかし、高倉さんは? 
「本庄、やったな、かっこよすぎ、できすぎだ。まんがじゃねえんだから、こんな展開はあり得ないってのに……くそ、くそくそ、俺の完敗だよ。今度は絶対に勝つからまたやろうぜ。本橋、乾、本庄、みんなもおめでとーっ!! 畜生ーっ!!」 
 この馬鹿野郎っ!! 本庄の馬鹿馬鹿、大馬鹿ヤロウっ、けど、かっこよかったぞーっ、などなどのおじさんズの大合唱の中、サヨナラ負けを喫した当のピッチャーは、吼えながらも祝福してくれた。

                                             
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