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小説88(世界中のラヴソング)

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フォレストシンガーズストーリィ88

「世界中のラヴソング」


1 隆也
 
 あの日、こほん、と咳払いをして、本橋がおもむろに切り出した。
「結婚する」
「えー、リーダーが? どなたと?」
 作為的なるびっくり顔か、自然体のびっくり顔か、幸生はそんな表情で問い返し、本橋は無表情で応じた。
「うしろにいる」
「えっ、えっえーっ?!」
 うしろにいるのは……ミエちゃんじゃないか。そうか、ついにそうなったか。俺はなんともいえない複雑な気分を味わっていたものだ。
「ちょっとちょっとのちょっとっと、冗談は顔だけに……って古っ。嘘嘘嘘ぉ。ショックだよぉ」
「なんで? 幸生は美江子さんに恋してたのか」
「そうじゃないよ、シゲさん。なーんにも知らなかったのがショックなの。シゲさんは知ってた?」
「初耳だよ。青天の霹靂ってやつだ」
「でしょ? 章は知ってたのか」
「はじめて聞いた」
「だろだろ? なんとまあ、本橋さんも美江子さんも水臭いったら。乾さんは知ってたんでしょ?」
「知らない」
「うっそだぁ」
 薄々は……気づかないふりをしていたのか。注意深く見ていれば、本橋とミエちゃんがそうなっていたと気づいてもいいはずだった。見えていたのに見ないふり。注意深くは見ないふり。見ないふり、見ないふり。
 何度も恋はした。本気の恋も、本気のつもりの恋もあった。本橋にしてもミエちゃんにしても俺にしても、大学生時代から幾度も別のひとと恋をしては、長続きしないよね、と互いに言ってはため息ついていた。いつから? いつからこのふたりは?
「乾さんは美江子さんとは仲いいですよね」
 幸生とシゲにはまったくの初耳だったようだが、章はなにか知っていたのか、章と酒を飲んだ夜に俺に尋ねた。俺はさりげなく応じた。
「十年以上も友達だもんな。ミエちゃんは美人だし頭いいし、性格もいいし、好きだよ。美人なだけに怒ると本橋より怖いけど」
「言えてる」
「でも、友達のまんまなんだよな」
「友達のまんまなのは嬉しくないと?」
「嬉しいわけねえだろうが」
 I WANNA BE YOUR MAN……魔がさしたのか、俺はビートルズの歌を口ずさみ、章ははっとした顔をした。
「ってな。そういう雰囲気になれない。長く友達でいすぎた」
 魔がさしたのでは決してない。今となってみれば、かつて一度も口にしたことのない想いを、言葉にしてみたかったのだ。だが、もう遅い。
 十八の春に本橋ともミエちゃんとも出会った。三人で歩いてきた。協力して舟を漕いできた。空を飛んできた。本橋はミエちゃんにも、男友達と同じ態度で接していた。山田、おまえと呼び、恋愛話もあけすけに打ち明けあった。やがて仲間がふえ、ミエちゃんも含めて六人になり、六人で歩いてきた。
 恋が長続きしなかったのは、本橋とミエちゃんの胸のうちに棲んでいたのがお互いだったから? 俺もか。俺は俺自身の気持ちには、いくらか前から気づいていた。俺はミエちゃんが好きらしい。だから、だからってどうする? ミエちゃんは俺を友達だとしか見ていない。そんな仲でしかなかったふたりに、今になってなにがはじまるものでもない。
 諦めが早かったのか。本橋はミエちゃんにどうやって告白したのか、あるいはミエちゃんが告白したのか、言ってみなければそれこそ、なんにもはじまりはしないじゃないか。
 ミエちゃんは本橋を、本橋はミエちゃんを選んで結婚するという。俺は引き下がるしかない。この上友人までもを失いたくない。
いつからだったのかもどうでもいい。なにもかもが今さらで、俺は手遅れに泣く運命にあった。笑うしかない。ミエちゃんを失うわけではなく、完璧失恋ってだけで、俺の心の奥深くに、若き日の想い出としてしまっておけばいいんだ。隆也、それぐらいできるよな? 自然な笑みをつくって俺は言った。
「おめでとう。結婚式はいつだ?」
「日取りは未定だが、式はやるよ」
「なあ、シゲ、幸生、章、結婚式では本橋ヌキで歌おうな。なにを歌おうか、楽しみだな」
「リーダー、照れてあばれないで下さいよ」
「幸生、おまえは俺をなんだと思ってる? 動物園の白熊か」
「白熊は照れません。リーダーは人科暴力目男類ってのかな」
「なんだよ、それは。暴力目はよけいだ」
「だって、そうだもん。なぁ、章?」
「幸生の言う通り」
 当たってるかも、と小声で言って笑っているシゲが寡黙なのは毎度のことである。シゲにしても無口というほどでもないのだが、幸生の饒舌ぶりと、口数では負けていない俺と、同じく負けない章に圧倒されているのもあり、この三人と比較すれば無口なのは否めない。シゲが口をはさむ回数が少ないのは普通なのだが、章も今日は幸生との常のやりとりが出てこない。
 これはおそらく、章はなにか知っているのだと見当をつけた。なにか知っていたとしてもそれがどうした? 俺こそ本橋やミエちゃんに疑われたらどうする? プライドだけは保っておきたいと、虚しい決意をしていた。
「思い切りべた甘のラヴソングでいこうな。本橋が作詞したやつ」
 楽しみにしておけよ、と本橋に言うと、本橋は早くも照れて怒った顔をし、シゲが言った。
「プロポーズの歌?」
「おー、満開の薔薇ね」
 この暴力目男がさ、あの歌みたいなプロポーズでもしたのか? まさかね。俺が笑っていると、幸生が言った。
「いいですね、あれは本橋さんのソロパートがあるけど、乾さんがそこを歌います?」
「やりましょうか」
「俺も楽しみ。改めてコーラスの練習しようぜ、シゲさん、章」
「最近はあんまり歌ってないもんな」
「幸生、おまえがいちばん張り切ってる」
 章も笑い、俺をちろちろ見た。
「結婚式では静かにしてろよ、本橋」
「うるせえんだよ」
「ミエちゃん、おめでとう」
 おめでとうございます、と、後輩たちもミエちゃんを祝福した。
「ありがとう」
 まさしく満開の薔薇、ミエちゃんの笑顔は華やかにあでやかに、俺の目を射た。本橋とミエちゃんが連れ立って控え室から出ていく。俺はミエちゃんの背中に、好きだったひと、さよなら、と言ってみた。
こうして過去になった好きだったひと、青春のひとこま、なんて想いとは訣別して、ミエちゃんとは今まで通りにつきあう。俺にだってそれぐらいはできる。
「さて、帰るとするか」
 気が早いのだが、結婚式で歌う曲の相談がまとまり、シゲがお先に失礼と出ていくと、俺も立ち上がった。章が身を寄せてきて、ためらいがちに囁いた。
「あの、えと」
「なにも言うな。おまえだけの胸におさめておいてくれよな。こうと知ってたら、あんなこと言うんじゃなかった」
 言わずもがなの言葉を口にしたのは俺の身勝手なのに、おまえは秘密の守れない奴だもんな、と言外に匂わせて見つめると、章は悲しげにうつむいた。ん? こいつももしかしてミエちゃんを?
「乾さん……」
「やせ我慢は男の美徳、だった時代もあるねぇ。俺って古い?」
 俺は寅さんのテーマなど口ずさみつつ、外に出た。やせ我慢? と幸生が呟き、なんでもねえよ、と章がぶっきらぼうに応じるのを聞きながら歩き出した。
 あれから何年? 十八の春からだと足掛け十五年か。思えば遠くへ来たもんだ、って歌もあるけど、考えようによればたったの十五年でもある。将来のほうがずーっと長いんだ。俺たちの人生はまだまだこれからだ。そうだろ、ミエちゃん、本橋、シゲ、幸生、章。
 恋した相手は何人になるんだろう。いちいち覚えていないけど、と考えながらも思い出してみたら、けっこう覚えている。性懲りもなく何度も恋をしては、失恋ばかりの人生を送って、乾さんはもてるから……だなんて言われても、そいつはどこの乾さんだ? ってなもんだ。
 ミエちゃんに関しては勝手に恋して勝手にふられて、ミエちゃんと本橋は手に手を取り合って幸せになる。ミエちゃんには俺みたいな男よりも、本橋のほうが似合っているとも思える。
 寅さんなんか歌ってる場合じゃない。失恋の歌を歌ってる場合でもない。前向きにポジティブに……いつかはきっと俺にもいいことがあるさ、おのれに言い聞かせて歩いていても、うら寂しい風が吹いていた。そして今日、その日がやってきたのだ。俺は新郎新婦を見つめて、自身の想いと追憶に浸っていた。
 ほんの子供のころから、おまえは負けず嫌いだったのだろう。なにごとでも一等賞になりたくて、歯を食いしばって闘ってきた。今でもおまえは俺の知る限りでは一等賞の負けず嫌いだ。
そんなおまえが俺の気持ちを知ったとしたら、勝った!! と単純には言わないだろう、きっと。だから言わないよ。俺の気持ちは俺の胸に、ひっそりとしまっておく。いつかは薄れて消えていくだろうから、その日を待つよ。
 いつのころからだろう。俺は俺の心を知っていた。知っていて行動を起こさなかった俺。自身の心に気づいて行動を起こしたおまえ。おまえはおまえの知らないところで俺を負かした。完敗だよ。
 昔からおまえはなににつけても、乾、勝負しよう、乾、かかってこい、と俺に挑戦した。おまえは俺をライバル視していた。
フォレストシンガーズの中では俺たちが最年長で、同い年なのだから、互いをライバル視するのは当然だったのかもしれない。俺にもおまえに対するライバル心はあった。それが互いの成長の糧にもなった。などと言ったら、またおまえはいい格好しやがって、と彼は言うだろう。
 ライバルはライバルとして、仲間としても歩き続けてきた。リーダーのおまえがいなかったとしたら、俺たちはここにはいられない。
 もしかしたらおまえはあのひとを、と考えそうになって、なのにそんな考えに気づかないふりでおのれを欺いて、俺はいいわけばかりしていた。
彼女とは十八のころからの友達で、友達でいた期間が長すぎた。今さら、彼女とは恋はできない。恋にはならない。行動なんか起こせない。彼女も俺を気の置けない友人としか見ていない。
 立場は同じだったのに、おまえは一歩を踏み出した。踏み出した足で駆け出して、彼女の手を取ってともに手を携えて、ふたりの恋が実った。ふたりして駆けていくうしろ姿を、俺はただ見送るしかない。
 十八の夏にはじめて見た、あなたの水着姿。あなたの恋人を知って、あんな奴とつきあっても……などと気を揉んだりもした。議論もいっぱいしたし、喧嘩もいっぱいした。友達として抱きしめて、保護者面しないでよね、と怒られたりもした。いつだってずっとずっと、あなたは俺の近くにいた。
 目を閉じると回想の中に、いくつものあなたがいる。笑ってる、怒ってる、困ってる、怯えてる、楽しんでいる、震えてる、話している、悩んでる、学んでる、がんばってる、歌ってる、さざめいている、ため息をついてる、ふくれてる、すねてる、走ってる、歩いてる、泳いでる、食べている、飲んでいる、罵ってる、褒めてる、泣きたいのを我慢して無理に微笑んでいる、泣いている、幸せそうにしている。
 きらめく笑い声、爆発する怒鳴り声、静かな泣き声、優しくあたたかな励ましの声、つめたく突き放す声も、強く叱咤してくれる声も、いつでも俺の耳元で聞こえていた。
 アマチュア時代にあなたが練習場所に差し入れてくれた、あなたの手のぬくもりの味がするおにぎり。あなたが見上げていた桜の花、青空、月、星。耳をかたむけていた潮騒。立ち止まって拾い上げた落ち葉。雪合戦にはしゃいでいた姿。
気の強いあなたが泣いていた日。なに言ってんのよっ、最低っ!! と怒鳴った声までを思い出す。俺は知らず知らずのうちに、友達だったはずのあなたに恋してた。
 俺の思いを揺らめかせた美しいひと。蘭の花に苦味と辛味のスパイスをふりかけたみたいに、きつい言葉を投げかけて俺に喧嘩を売った。かっこつけの天然ボケの八方美人のと、言いたい放題言っては俺を怒らせようとして、しまいにはため息ついて、あんたなんか勝手にすりゃいいのよ、とも言ったね。怒るのはたいていあなただった。
 そのくせあなたは、俺も含めた仲間たちにいつもいつも気配りをしてくれた。友達としてマネージャーとしてのあなたがいなかったら、俺たちはここにいられない。
 四年前のシゲの結婚式の会場で、あなたは言っていた。結婚式っていいもんだね、と。あのころの俺は、あなたへの恋心を知っていたのだろうか。知っていたとしても行動を起こさなかったのだから、いつ気づいたのだとしても結果は同じだ。起こせなかったのではなく、起こさなかったのだから。
 完敗といえば、あなたの心はいつから彼のものだったの? あなたが選んだのは彼なのだから、最初っから俺は完敗だったんだね。馬鹿だね、俺は。おのれを哀れんでなにになる。
 それから時が流れて、本物の二枚目ふうの花婿の本橋のかたわらに寄り添った、銀無垢の花嫁衣裳のあなたがいる。俺のひとりよがりな恋と、ひとりよがりに訣別した日。ありがとう、ミエちゃん。あなたがいればこそ、俺たちはここへたどりつけたんだよ。これからもずっと友達でいて下さい。心からそう言うよ。
 さよならではないのだから。俺の世界では一、二を争う大切なひとと大切なひとが結ばれて、俺はその結婚式を見届けて、幸せなはずだ。今日からあなたは本橋美江子になる。あなたと彼の新しい生き様を、俺は今後も見つめていたい。いつかはきっと、俺にも素敵なひとが……そう信じて。


 常々の彼と変わりもなく、俺のかたわらで賑やかに飲んでいた幸生が、ふっと黙った。どうした? と見返すと、いいえとかぶりを振る。それからうつむいてぽつっと言った。
「誰かと誰かは同じ立場だったのにね」
「……知ってたのか」
 知らないはずがないだろう。気づかれていないのかと思っていたのは、俺の願望にすぎなかった。言ってから目を閉じた幸生の表情が、すべてを物語っていた。
「手後れだよ。俺の気持ちを俺が悟ったときには、後手だったんだ。いいんだよ、幸生。こんなのって何度も経験したんだから。今までと同じにやってくさ。できるよ」
「乾さんにだったらできますよね。俺にはできないだろうけど」
「人生すべからく、やってやれないことはない」
「やれないことだってありますよ。たとえばさ、乾さん、妊娠できる?」
「無茶を言うな」
「でしょ? 他にもあるよ。乾さんには絶対に不可能な行為」
「秒速百五十キロのスピードボールを投げる。三メートルジャンプをする。五オクターブの声を出す」
「花嫁衣裳を着るとか?」
「それだったらできなくはないな」
「できるんだったらやってみせて下さい」
「やりたくない。やれるだろうけどやりたくないことってのもあるんだよな」
 そこからはすっかりもとの幸生に戻り、十センチパンプスを履いてステージに立つだとか、生身のライオンと裸で抱き合うだとか、マシンガン乱射の真っ只中に飛び出していくだとか、と並べ立て、にゃはっと笑った。
「女にはできて男にはできないことの代表は妊娠ですが、他にもなにかあります?」
「逆だと、誰かを妊娠させるってことだよな。他にもあるのか」
「男を恋に堕ちさせる、ってのは男にはできる?」
「できる男もいるだろ。おまえは男に恋をされたいのか?」
「今さらなに言ってんの。されたくなーい」
「改めて安心したよ」
「安心して下さいね」
 我らがマネージャーと我らがリーダーの結婚式が終わって、新婚カップルはハネムーンに旅立った。その休暇に合わせて、他の四人も長めの休暇に入る。休暇が明けたら長期ライヴツアーの開始だ。
「俺はさ……」
「なに、乾さん?」
 その続きは言わないほうがいい。俺は結婚はしないほうがいいんだ、とは。けれど、一度は結婚生活なんてものも経験してみたい。してはいけないのか、俺には結婚は許されないのか。めくるめく想いを胸のうちでころがしていたら、幸生が言った。
「俺に恋してるんですか。そりゃあね、俺もね、どっちかが女だったら考えてもいいんだけど、法律上も結婚できないしぃ……」
「そうだよな。よかったな」
「いいんだろうか」
 天然も作為も入っているのであろう幸生のおとぼけに、俺の想いが深刻にはならずにすんだ。

 
2 真次郎

まったくもって俺って奴は不器用で、プロポーズするまでにどれだけうだうだしたことか。しかし、一歩踏み出せばあとは一気呵成に進めた。
「おまえは別の恋ってのはしてるのか?」
「してないよ。本橋くんは?」
「してない」
「ほんと?」
 してはいたけど、とうに終わった。月日が薬になるとは真実で、音沙汰も途絶えたヒカリは遠い存在になっていた。
「だったらな、山田……」
「山田山田ってね、本橋くん、知ってる? 私は山田って姓が好きじゃないの。せめてもうすこし品のある名前っていうのか、ひとひねりした姓だったらよかったのに」
「苗字はどうしようもないだろ。美江子は?」
「平凡だけど、名前のほうは嫌いじゃないな」
「本橋って苗字は?」
「悪くないと思うよ」
「そんなら、本橋美江子になっちまえ」
 へっ? という表情をした山田は、ややあって満面の笑みを見せた。
「ね、覚えてる?」
「何年前の約束だったかな」
「覚えてるんだね」
「当たり前だろ。な、本橋美江子になれ。結婚しよう」
 夫婦別姓がどうのこうのと言いそうな女だと思っていたが、意外にも素直に山田はうなずいた。
 別姓のかわりに、私のためだけに歌って、なんぞと言い出しやがって、顔から火が噴き出しそうになったのを耐えて歌った。なんでそういうことで照れるかなぁ、と山田は不思議がっていたが、恥ずかしいものはどうしようもないではないか。ステージで観客を前に歌うのはなんでもないのに、ただひとりの女に歌を捧げるのがこんなにも照れくさいものだとは、俺も不思議ではあるのだが。
 消えたはずの女の面影が、ちらりと顔を出したがる。彼女とも心でなにか約束したような記憶があるけれど、今さらそんな約束に意味ないよな、ごめんな、とだけ言って、俺は追憶をシャットアウトし、山田美江子でいるのもあとしばらくのはずの女に、くちびるを近づけていった。


まるで口癖のように、私がついてるんだからね、しっかりしなさい、と言っては、山田美江子は俺の肩や背中をどやした。いてえだろ、この馬鹿力女、暴力女、と言い返して、おまえなんかがついててくれたって……とぼやいて、それでいて、俺は悠然と歩み去っていく彼女の姿を、不可解な心持で見つめていたりもした。
 そうか、俺にはおまえがついてるんだな、あいつらには言えない本音も、おまえにだったら言えるんだ、と見直した気分になって、それからだったのだろうか。いつしか山田美江子の女としての存在を意識するようになったのは。そのころにはまだ山田をどう意識しているのか、わかるようなわからないような、だったのだけど。
 ラジオなどでは乾も幸生も章も、即興でこしらえた歌を歌っている。詞もメロディもふいに湧き上がってくるのであるらしい。俺にはその技はなくて、作詞作曲は練りに練らないとできないのだ。美江子が不満げに言う、私は歌を捧げてもらったことなんかない、とは、私もあなたに歌を捧げてほしいな、なのであろう。その要望に応える必要があるだろう。
 
「世界中のラヴソングをすべて歌っても足りない
 僕の心はそれだけでは足りない
 きみへの心は果てしなく深く広く
 僕自身の言葉でしか語れない」
 
 僕でいいのか、きみでいいのか。僕自身の言葉と言うのなら、俺、おまえ、でないと似つかわしくないか。あなたにすると、あなたって誰? と美江子が笑いそうな気もする。今夜は美江子は仕事で遅くなると言っていたから、ひとりの時間がふんだんにあるのだが、思い出が邪魔をしにくるのだった。
 遅くなっても美江子は俺の待つ家に帰ってくる。すこし疲れた顔をして、おかえり、と迎えた俺に笑いかけてキスした。疲れていても美江子はよく喋るので、すぐには寝ずに話をしていた。 
男らしいとは、女の口から出る場合、褒め言葉ではないと乾が言っていた。それが褒め言葉なのか否かは女にもよるのかもしれないが、美江子だとどうだろう。本人は微妙だと笑う。
「だけどね、本橋くんには歴然としてあるでしょ? 俺は男なんだから、って矜持。乾くんにもあるんだろうね。その気持ちは乾くんと本橋くんでは別々の方角へ向かうんじゃないかな。たとえば乾くんは、女に殴りかかってこられても甘んじて受ける? 女に暴力をふるう男は、同じ男として許せない? そんな感じだよね」
「たしかにな。おまえってどこか、乾に……乾が好きか」
「友達としては好きだよ。つきあいにくいところもあるけど、友達としては興味深いひとだもの。他の三人もそう。本橋くんだけは……ね?」
「俺だけは、なんだ? 喧嘩相手か」
「そういうところもあるけど……こんなことは本橋くんにしかしないよ」
「していただいてありがとう」
 恩着せがましく言うな、と小声で言ったら、美江子は俺をぎゅっと抱きしめた。背丈は俺の肩のあたり、細いというほどではないにしろ、筋肉や骨格は俺とはちがいすぎる。すんなりした腕が、美江子よりずっと大きな俺の身体を抱きしめていた。
ほどよくやわらかな肉づきの身体が、俺の無骨な身体とぴったり密着して、一度は言ってみたくなってくる。しかし、言えないのが俺だ。愛してる、なんて恥ずかしすぎる。だからせめて歌で告げよう。
 やきもち焼きで独占欲が強すぎて、男らしいのかと思ったらそうじゃない、と言って俺をふった志保を思い出し、きみも今ごろは、どこかの男とこんなふうにしているのかな、と考えた。昔の女を思い出すのは不実なのだろうか。三十二年も生きていれば、昔はあるのだからしようがない。美江子にだってあったと俺は知っている。
「俺は男なんだから、っていうのは矜持になるみたいだけど、私は女なんだから、って矜持になる? これは過去の伝統がよくないんだね。女って負の部分ばかりを強調されてきたんだもの。演歌なんか聴いたら、今どきの女がこんなはずないでしょ、って怒りたくなるよ。それにひきかえあなたたちの歌は、女に媚びてるって言われたりするんだよね。ほどほどはむずかしいね。あなたたちの歌にだって、身勝手男の歌もあるんだけど」
「あれは乾が書いたんだろ」
「本橋くんの書く詞は意外にも、甘ぁいラヴソングが大半だよね」
 身勝手男の歌とは、乾隆也作詞、木村章作曲の「enjoy falling in love」だろう。こんな歌詞だ。

「あなたがほしいよ
 あなたも俺を求めてるよね
 あれやこれやと考えてなんの意味があるの?
 大切なのはただひとつ
 あなたと俺の恋

 明日がなに? 昨日がなに?
 大切なのは今日、この一瞬
 次の瞬間は見えない
 見えるのは互いだけ

 そうだね、わかりはしないさ
 明日の俺がどこにいるのか
 俺がふらりと消えてしまったら
 あなたは忘れればいい
 忘れて次の恋を探せばいい

 さよならなんて想像しないで
 今だけを楽しもう」

 無頼派気取りの勝手な奴、と美江子は呟き、ま、俺たちもたまにはな、と俺も呟いた。
「乾くんは声だけじゃなくて、書く詞もバラエティに富んでるよね。頭の中身が複雑だからかな」
「俺は単純だからな」
「ふむふむ」
「乾の話ばかりしてないで、寝よう」
「気分を害したの? もしかしたらもしかして、やきもち? きゃ」
 仲間たちの話題は頻繁に出てくるのだから、乾の話をしても気分を害するには値しない。シゲや幸生や章の話題ならばなんとも感じないのに、乾となると少々むしゃくしゃしたりすることがあるのは、どんな心の動きのなせる技なのだろうか。奴は俺の多岐に渡る永遠のライバルだからか。
ライバルといえば徳永渉もいるのだが、乾は徳永とは別種のライバルだ。ライバルでもあり親友でもある。そんな男は俺の周囲には乾隆也ただひとりだ。
「やきもちなんか焼くか。ばーか」
 荒っぽく抱え上げてベッドに放り出したら、美江子は口をとがらせて言った。
「ばーかはどっち? 本橋くんってけっこうやきもち焼きだよね」
「……やきもち焼きではない」
 これも男の矜持ってやつなのか。やきもちもほどよい程度ならば、女だと可愛い。男はみっともないと俺は思う。
 志保に言われてはじめて知ったのでもないが、俺は事実、嫉妬深いのだろう。乾にむしゃくしゃするのは嫉妬までは行かないのだが、他の男だとジェラシーの火が燃える。いつかもいつかも……と思い出すと、美江子に関わった男への妬心がよみがえってきた。
 山田美江子を女だと意識しなかったころでも、美江子の恋人にめらめらしていた。あのころは、そんなの俺には関係ねえだろ、と強いて考えていた。美江子だって曇りなき目で見れば魅力的な美人だ。美江子は昔はえらくもてた。
「本橋、念のために訊きたいんだが」
 大学生になってからの美江子の初の男、三年先輩の星さんに訊かれた。
「おまえと美江子はどんな仲なんだ」
「ただの友達です」
「ただの友達ってのはどんなだ? できるものなら美江子をおまえの女にしたいけど、できないから指をくわえてるんじゃないのか」
「そういう気持ちはゼロです」
 あんな色気のない女、とも言えないでいる俺に、星さんは言った。
「美江子は俺の女だ。忘れるな」
「忘れませんよ」
 誰があんなの、とも言わなかったが、思ってはいた。
 思っていたつもりだったが、当時から俺の心には美江子への恋があったのだろうか。昔の話はどうでもいいけれど、これから先は美江子を俺ひとりのものにしていたい。誰にも奪われたくない。
「あなたはあなたの妻が、よその男性から女性として見られないほうがいいの?」
「わかったよ、いいから寝よう」
 寝よう、という言葉をさらりと日常的に口に出せるのは、夫婦になったからこそなのだろう。美江子を女として意識しはじめてからは、言いたくてもなかなか言えなかった。
 キスするのさえ一大決心だったのだから、美江子を抱いたのはプロポーズのあとだ。なんとまあ、今どきらしからぬ俺たちだったのだろうか。
 俺がだらしなかったからなのかな。いい意味で男らしい男になりたいと思ってるくせに、俺はちっとも男らしくなんかない。おまえが男らしすぎるせいなんじゃないのか? と言ったらムードぶちこわしになりそうなので言わずにおいた。

END
 

おまけ・美江子と真次郎の相性診断

相性診断
本橋真次郎さん(32歳男性)と山田美江子さん(32歳女性)の相性は74%でした

(評価は◎○△×の4種類)
評価項目 評価 コメント

精神年齢 △ 山田美江子さんのほうがオトナすぎるので本橋真次郎さんは立場がなく、疲れてしまいそうです。本橋真次郎さんの奮起が期待されます

スタート ○ 恋愛のスタートは少しぎこちなさもありますが問題ないでしょう。二人ともそれなりに不器用なので心を開きづらいのですが、初期の相性は良く、お互いにいい部分を見つけながら意気投合できるようです

トラブル対処 ○ トラブルに直面して本橋真次郎さんは思考が停止しがちです。多少のすれ違いはありますが山田美江子さんが上手にフォローしてくれるでしょう

努力 △ かなり努力面では問題を抱えています。特に山田美江子さんが付き合ってしばらくして徐々に太りだすなど、気が緩む傾向にある点が気になります。本橋真次郎さんに不満が蓄積しそうです

外敵 ○ 本橋真次郎さんがなかなかモテるので山田美江子さんは多少心配するかもしれません。ただ、外敵というほど派手にモテないので落ち着いて静観すれば問題ないでしょう

愛着 ○ 時間が経つと、本橋真次郎さんは山田美江子さんに対し愛着を感じ、離れ難くなります。その逆はそうでもないのでその温度差は気になるところですが…

結婚 ○ 結婚の相性はわりと良いようです。お互いに責任感もあり、長期的な信頼関係を築くのは下手ではありません。ただ懸念されるのは、二人とも結婚後に怠け者カップルになりそうな点です。結婚前の魅力は失われそうです

熱愛期間 4か月と12日程度
熱中度 本橋真次郎さん→★★★☆☆ 山田美江子さん→★★☆☆☆
別れた後 本橋真次郎さん→カスリ傷 山田美江子さん→平然

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山田美江子さんの恋愛成績表 恋愛レベル「中学生初恋級」(18段階中9位) 恋愛タイプ「初期好印象型」 #hanihoh http://j.mp/sqG79x


本橋真次郎さんの恋愛成績表 恋愛レベル「成田離婚級」(18段階中12位) 恋愛タイプ「無愛想型」 #hanihoh http://j.mp/tx4tk0

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著者の感想

精神年齢……当たりすぎ。恋愛のスタートも、なんで知ってるの? ってほどに当たっています。別れた後の美江子の「平然」も当たっていそう。シンちゃんはかすり傷ではすまないと思いますけどね。
シンちゃんの「無愛想型」は大当たりです。

この相性診断は、美江子と真次郎の結婚まで読んでいただいた方に見てもらいたくて、こっそりこんなところにおまけとして加えました。

美江子、隆也、繁之の「恋愛成績表」は「お遊び篇」カテゴリにあります。
真次郎と恭子のもあるのですが、似た部分が多いので、三つだけアップしてあります。
興味を持って下さった方は、見てやって下さいね。ある面は大当たりです。笑ってしまいます。






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