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小説84(心斎橋に星が降る)

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きらきら
フォレストシンガーズストーリィ84

「心斎橋に星が降る」

1

 将来のこともシリアスに考えなくてはならなくなるのは、通常、大学三年生であろう。もっと早くから考えている人間は当然いるが、俺はその年から、真面目に将来を考えはじめたのだ。
 それまでは真剣にシンガーになりたいとは思っていなかった。歌は大好きなのだから、シンガーになれたらいいな、とは思った覚えがあるが、「なれたらいいな」と「なるんだ!!」には大いなる差がある。
 そのころちょうど、俺は本橋さんと乾さんに誘ってもらって、フォレストシンガーズに加わった。シゲさんとヒデさんも加わり、フォレストシンガーズの最年少ユキちゃんとしての、俺の人生が本当にはじまったのだと言ってもいい。
 であるのだから、俺は将来を真面目に考えるべき年頃に、プロのシンガーを目標に走り出した。他のなにかになろうとは考えてもみなかった、というのは嘘で、役者もやりたいだとか、声優もやってみたいだとか、脇見はしていた。
 役者としては劇団ぽぽろのおばあさん役、声優としては、ラジオドラマのクリスタルムーンの三沢幸生役で、華々しくはないデビューを飾っている。フォレストシンガーズのデビューにしてもまったく華々しくはなかったので、俺の人生に於けるデビューってやつは、意に反して地味なのである。
 それはまあいいとして、それからもちょこちょこっと、本職の歌以外の仕事もしている。シンガーとしての仕事の糧になるのだったら、どんな仕事でも大歓迎ではあるのだが。
「おー、ワオンちゃん!」
 ちょびっと俺を悩ましくさせた出来事の発端は、ワオンちゃんとの再会からだった。
 本名は古久保和音、俺がつけたニックネームのワオンを芸名として、現在の彼女が声優をやっているとは知っている。俺がそう呼んだからって、芸名にしてくれたとは、ワオンちゃんはやっぱり俺を……好きだったというか、好きなんだというか、いずれにしても友達として、ではあろうけれど、今となってはそれでもいい。
 同じ大学の同じ経済学部卒のワオンちゃんが、初に俺たちフォレストシンガーズのライヴの控え室を訪ねてきてくれた。互いに互いがなにをしているのかは知ってはいても、会うのは実に久々だ。
 好きだったのに、あんなに口説いたのに、どうしても俺とは寝てくれなかったワオンちゃんは、だからこそもあって俺の追憶の中できらめく存在となっている。俺は難攻不落な女にこそ燃えるんだ、ってのは、今でもそうであるらしい。
「久しぶり。元気そうだね。三沢くん、このごろフォレストシンガーズも売れてきたじゃないの。私も嬉しいよ」
 そう言って微笑むワオンちゃんは、若い女性と連れ立っていた。
「紹介するね。彼女は蜜魅さんっていって、フォレストシンガーズの大ファンなんだって」
「みつみさんとおっしゃるんですか。はじめまして、ですよね」
「はい。はじめまして。私はフォレストシンガーズのライヴにはよく行ってますけど、お会いするのはもちろんはじめてです。今日はワオンさんにお願いして、楽屋にまで押しかけてしまってすみません」
「いえいえ。僕も嬉しいですよ。ようこそ。蜜魅さんも声優さんなんですか」
 ハニーの蜜と魅力の「魅」、本名だとは思えないが、俺はそんな名前の声優さんは知らない。漫画やアニメは嫌いではないが、熱心なファンでもないので、声優さんについては詳しくはない。
「いえ、漫画家なんです」
「漫画家さんでしたか。失礼しました」
 若くしてデビューしたのであろう。ワオンちゃんや俺よりはだいぶ年下に見える、蜜魅さんは言った。
「この漫画本、お読みになったことはありますか」
 蜜魅さんが差し出したのは、「美貌のしらべ」とのタイトルのついたコミックスだった。蜜魅と名が入っているのだから、彼女の作品なのだろう。美しい絵柄だ。
「すみません。少女マンガってのは俺はあんまり……」
「そうなんでしょうね。普通は男性はそうですよ。あの、進呈しますので、読んでいただけたら……二冊だけなんですよ」
「ありがとうございます。読ませていただきます」
「お忙しいのに、私のほうこそすみません」
 有名漫画家ではないのだろうから、PRしたいのかな、と思って、俺は蜜魅さんがくれたコミックスをありがたくいただいた。いただいたので早速ページを繰ると、超絶美形のロックバンドがあらわれてきた。
「……グラブダブドリブですか。実名漫画なんですね」
「そうなんです。グラブダブドリブサイドには許可はいただいていますので」
「そりゃそうなんでしょうね。うーむ、グラブダブドリブってのは実物も美形ぞろいなんだから、美化っていうんじゃないんだろうし、蜜魅さんの絵もとーっても綺麗だから、リアリティありますよ。楽しみだな。帰ってゆっくり読ませてもらいます」
 コミックスの一、二巻をバッグにしまっていると、黙って蜜魅さんと俺とのやりとりを聞いていた、ワオンちゃんが言った。
「三沢くん、私のケータイ番号、聞いてくれる?」
「そんなの教えてくれるの? 嬉しいな」
 よそのお方の前では、ワオンちゃん、俺とつきあってくれる気になったの? とは言えない。俺には現在ただいまは、貞節を誓うべき女性もいる。が、女友達としてのワオンちゃんとつきあうのならば、なんらやましい点はないはずだ。
 ワオンちゃんとケータイナンバーを交換し、蜜魅さんが持ってきていた色紙にサインをしたためた。本日は控え室には俺が一番にやってきていたので、サインをさせてもらっていると、乾さんもやってきた。
「ワオンちゃんと蜜魅さん? 俺はワオンちゃんともはじめましてかな。幸生に噂を聞いた覚えはあるんだけどね。サイン? はい、喜んで」
 乾さんの記憶には、ワオンちゃんに関するどのあたりが残っているのだろうか。俺は首をすくめたい気分でもあったのだが、乾さんはそうしたよけいなことは言わない。乾さんはワオンちゃんには学生時代の後輩として、蜜魅さんにはファンの方への態度で接していた。
「お、声優さんのワオンさん? そちらは漫画家さん? これはこれは」
 こいつはまちがいなく危ない。ワオンちゃんも蜜魅さんも小柄で、ほっそり華奢な可愛らしい女性なのだから、俺の趣味のタイプ、すなわち章の趣味でもある。だが、章にしてもここでいきなりいずれかをナンパしようとはせず、乾さんに続いてサインをしていた。
「おはようございます」
 シゲさんの声がして、ドアが開く。シゲさんにもふたりを紹介し、やがてやってきた本橋さんにも紹介し、フォレストシンガーズ五人分のサイン色紙が二枚、完成すると、蜜魅さんもワオンちゃんも嬉しそうにお礼を言ってくれて、色紙を抱きしめて控え室から出ていった。
「ワオンちゃんって俺は知らないな。シゲさんは知ってる?」
 よけいなことを言いそうなのも章が最たるものであろうが、章は詳しい事情などは知らない。シゲさんに問いかけていた。
「知らないよ。学生時代も知らないし、俺はアニメなんて見ないから、声優さんってのも知らない。恭子だったら知ってるのかな」
「恭子さんってアニメ好き? 乾さんはワオンさんを学生時代から知ってるんですか」
「幸生に話を聞いた記憶はあるけど、どの女性が幸生にとってどのような意味を持つひとなのかまでは、俺は知らないよ」
「そうなんですか。怪しいな。リーダーは?」
「あのころの幸生はこれでけっこう……だから言ってんだろ。こいつはガキみたいな顔をして、中身もガキでありながら、学生のころから……うん、そんな話をしている暇はない。ライヴの準備だ。幸生、俺のジャケットを盗むなよ」
「やーね、盗むだなんて人聞き悪いわ」
 ずいぶん昔に本橋さんのジャケットを着てステージに出ていったら、女性ファンのみなさまには受けた。それから二、三度やったので、本橋さんは警戒しているらしい。しかし、それで話がそれ、ライヴ準備に取りかかったので、章の突っ込みを受けなくてすんでほっとした。
 ライヴが終了し、やるたびに増えていくお客さまの数やら、お客さまの反応の熱烈さやらに満足して、充足感に満ち足りた気分でうちに帰ると、俺は蜜魅さんにもらったコミックスを取り出した。
 取り出したものの開かずに、学生時代を思い出す。
 好きになった女の子は学生時代には数人いた。大学に入学して、合唱部に入部して、はじめて好きになったのはアイちゃん。アイちゃんは永遠の十九歳の姿で、鮮烈に俺の記憶の中にいる。恋人にはなってくれなかったけれど、今でも俺の心の奥底で、愛らしい笑顔を見せてくれている。
 それから何人の女の子に恋をしたのだろう。恋ではなく、寝ただけの女の子だっている。悪辣な手段を用いて女の子をホテルに誘い込み、そうして胸が痛くて、乾さんに打ち明けて、顔までが思い切り痛くなった思い出もある。
 三沢幸生のこの弁舌のテクニックを持ってしても、断じて落ちてくれなかったワオンちゃん。二十歳前後のガキの弁舌なんて、本人が自信満々だったわりにはおぼこいものだったのだろうけど、それで落ちた女の子だっているってのに。
 ナンパの達人だとも言われている俺は、事実、ナンパは得意技だ。ナンパして知り合った女の子とだって、幾度もベッドをともにした。女性経験はかなりの数になるはずだ。
 いちいちそんな女なんて覚えちゃいないけど、そんなにも悪辣な真似は、あれからはしてないよね? お互いの合意のもとに、ベッドでのひとときを楽しんだんだよね? 俺のナンパの口舌だって、女の子は楽しんでくれていたよね?
 ワオンちゃんがどうしてもうなずいてくれなくて、その腹いせもあったのか。くるみちゃんに非道な真似をして、乾さんにこっぴどく叱られて殴られた。くるみちゃんには何度詫びても足りないほどだろうけれど、あの経験は俺の反面教師となった、だなんて、自分に都合のよすぎる解釈なのだろうか。
 だからさ、俺がよくよく覚えてる学生時代の女の子は、アイちゃんとくるみちゃんとワオンちゃんなんだよ。みーんな、難攻不落女だったじゃないか。
 あれきり会っていないくるみちゃんと、会いたかったら俺も天国に行くしかないアイちゃんはともかく、ワオンちゃんと再会できた。ケータイナンバーも教えてくれた。これからは友達づきあいできるんだろうか。
 周囲には男と女で純粋な友達だという人たちが、幾組かはいる。俺は好みの女はベッドに誘いたくなるので、そうはできないのだろうか。けれど、今だったら、ワオンちゃんとだったら、純粋に友達になれるかもしれない。
 女好きナンパ好きの俺には、単なる友達という女の子はいない。仕事の関係の女性だの、シゲさんの奥さんの恭子さんだのは、友達と呼べば呼べるが、なんの遠慮もなくつきあえる相手ではない。
 単なる女友達で、遠慮もなんにもなくつきあえる女の子がいたらな、なんて、考えたことはなかったのだが、そういった友達がいるのはいいことだろう。ワオンちゃんはまんざら知らない仲でもないし、昔、口説いた相手だなんて水に流して、友達になれたらいいな。
「またそうやって、自分に都合のいいことばかり考えてるな」
 癖の架空会話がはじまった。俺の脳裏に出現したのは乾さんだ。
「自分に都合よすぎます?」
「おまえは水に流したとしても、ワオンちゃんは流してくれるのか」
「俺、ワオンちゃんにはひどいことなんかしてませんよ。断られて引き下がったんだもん」
「そうなんだったらいいよ」
「そうですよ。ねえ、でもさ、乾さん、乾さんはこのごろは、俺をあんまり叱ってくれなくなったよね。あいかわらずナンパしては、知り合った女の子と寝たりもしてるんですよ。知ってるんでしょ」
「大人同士ですることには、俺は関知しないよ」
「つめたいんだから。俺はいっつもこうだから……運命の出会いも真実の恋も訪れてこないんだよ。乾さんのせいだ」
「俺のせい?」
「もっと叱って」
「……幸生。それってすこし……」
「俺は変態じゃありません」
「そうは言ってないだろ」
「言ってませんけど思ってるでしょ。変態だってのは章はいつもそう言うけど、先輩たちは言わないよね。変な奴と変態は別でしょ。おんなじ?」
「変態ってのもさまざまあって……」
「うん、もういいからやめましょうね」
「おまえとつきあってたら、俺も眠れなくなってしまうよ。幸生、おやすみ」
「おやすみのキスは?」
「蜜魅さんにいただいた漫画の中には、美少女もいるんじゃないのか。その子にキスしてもらえ」
「そりゃそうだ、そのほうがいい。俺は乾さんに心底恋をするほどの変態じゃないんですからね」
「ああ、ありがとう、幸生」
 そこでようやく幻の乾さんは消滅し、俺はコミックスを開いた。開いて読もうとしたのだが、眠気が差してくる。少女マンガにはなじみが少ないとはいえ、グラブダブドリブが出てくるとなると興味津々だったのだが、夜も更けたのだから眠い。
「またの機会に読みますね。寝ようかな」
 蜜魅さんに言い訳をしてコミックスを閉じ、本棚に片付けようとしたら、第二巻に手紙が挟まっていた。
「……ええ? ファンレター? ラヴレターかな」
 それが俺を悩ましくさせる手紙だったのだ。
「三沢さん、読んでいただけました? こ多忙なのにどうもすみません。私がワオンさんにお願いして、フォレストシンガーズの控え室に連れていっていただいたのは、大ファンの三沢さんにお会いしたいからもあったのです。それともうひとつ、この漫画を読んでいただいて、キャラクターのひとり、セイくんをよーく見ていただきたかったのもありました。いかがですか」
 いかがですか、と尋ねられても、読んでいないので答えようがない。手紙は漫画をしっかり読んだあとのほうがいいのかとも思ったのだが、気になるので続きを読んだ。
「三沢さんは声優もしたいとおっしゃってましたよね。ラジオドラマの「水晶の月」は私も聴かせていただいておりまして、達者な演技力には感服しておりました。このたび「美貌のしらべ」がアニメ化されると決まったのです。キャストはまだほとんど決まっていませんが、セイくんの彼女のマヨちゃんは、ワオンさんが演じると決定しています。三沢さんにセイくんを演じていただきたいとは、無理なお願いなのでしょうか」
 うげ、アニメ化された漫画の声優を俺にやれと? そこまで手紙を読むと、眠気が消えうせていたので、俺は漫画に取り掛かった。
 なるほど、セイって少年は俺に似ている。蜜魅さんは手紙にはそうとは書いていないが、俺の大ファンだと言ってくれているのだから、あるいは、セイのモデルは俺なのかもしれない。口数が多くてひょうきんでおちゃらけていて、音楽が大好きな、なかなかの美少年だ。
 グラブダブドリブファンの恋人、マヨちゃんの感化のもと、セイもグラブダブドリブフリークとなる。グラブダブドリブストーリィと平行して、高校生少年少女のラヴストーリィも展開されていく。ソフトタッチのベッドシーンもあった。
「好きだよ、マヨちゃん、いいだろ?」
「うん、マヨもセイくんが好き。いいよ、来て」
 露骨ではないベッドシーンで、マヨとセイが愛の告白をし合っている。セイ、マヨ、をユキ、ワオンに変えて想像すると、学生のころにこんなシーンをやりたかったなぁ、と思えてくるのだった。
 章と本橋さんはグラブダブドリブの実物と会い、ヴォーカルのジェイミーと歌の勝負なんてものをやり、引き分けであったのだそうだが、俺はグラブダブドリブとは会ったことはない。章が相当なる彼らのファンなので、CDは聴いているのだが、さほどにグラブダブドリブには詳しくはない。
 いや、章は熱烈ファンというだけではなく、もとロッカーとしてグラブダブドリブにはややこしい感情を抱いている様子だが、俺にはそのような感情もない。
 ただ、グラブダブドリブの実物を間近で見てはみたいけど、あいつらってそろいもそろって超絶美形じゃん。そんな奴らのそばには寄りたくないかも、といった感情はある。全員背が高くて、ハーフだのアメリカ人だのイギリス人だのって、そんな奴ら、敬遠しておいたほうがいいじゃん、でもあるのだ。
 けれども、もしかしたら俺がセイ役をやって、そしたらグラブダブドリブって、実物たちが声の出演? その可能性もなくもないのならば、やってみたいかも、となって、漫画を読みながらも、俺は悩ましさ全開になっていった。
 おまけにもうひとつ、セイ役を引き受けたとしたら、ワオンちゃんと共演できる。ワオンちゃんとの親しみが深まる。ん? 待てよ、ワオンちゃんは蜜魅さんとぐる? ぐると言うと言葉が悪いだろうから、共犯? さらに悪いか。
 ぐるでも共犯でもなんでもいいけど、ワオンちゃんは蜜魅さんと語らって、俺にセイ役を引き受けさせたくて、ふたりして控え室を訪ねてきたのだろうか。ワオンちゃんも望んでる? 俺と共演したいの、ワオンちゃん?
 いっそう果てしなく深く悩ましさが募っていき、二巻のコミックスを読み終えた俺の頭の中は、グラブダブドリブいろに染まっていた。

 
 カラフルなグラブダブドリブいろの頭を振り振り、スタジオのドアを開けると、本橋さんの声が聞こえてきた。
「他人の夢の話なんて下らないだろ。それにだ、山田の前では言いにくいんだよ」
応じる声は美江子さんだ。
「どうして? えっちな夢?」
「馬鹿ぬかせ」
「だって、そうとしか考えられないじゃないの。男同士でなら話せるんでしょ? 私がいたら話せないって、えっちな夢なんだ。やーね、男って」
「誤解だ」
「だったら言ってもいいじゃない。乾くん、なにか納得してない?」
「いえいえ。シンちゃんも淫夢なんか見るのか、ってね」
「いんむ?」
 首をかしげる本橋さんに、えっちな夢ってことよ、と美江子さんが言い、そんなんじゃない、と本橋さんは言い、スタジオに入っていった俺は言った。
「淫夢を題材にしたりしたら、本橋さんの書く詞はきわどくもエロティックなものになるんですよね。俺もそういう夢、見たことありますよ。美江子さん、聞きたい?」
「聞きたくない。幸生くんの妄想夢なんか気持ち悪い」
「そうですかぁ。じゃ、今度見たらエロティックファンタジーみたいな詞を書こうっと」
 その路線も悪くないかもしれない。あからさますぎると引かれるだろうけど、ソフトな繭に包んだエロっぽい詞か。本当に今度書いてみよう。しかし、女のひとはえっちな夢は見ないのか? 美江子さんに尋ねたら怒られるのだろうか。
「それにしても男って」
 美江子さんが言い出した。
「まあね、男だから仕方ないのかもしれないよ。闘争本能は強いし、えっちな気分も強いし、それで女は困らせられるのよ」
 俺も言った。
「俺なんかあんまり闘争心は強くないほうだけど、女性にだって闘争心はなくもないでしょ? あなたは不美人、私は美人、あなたのバッグはバーゲン品、私のバッグはブランド品、とかさ」
「幸生くん、うまいかも」
 ぷふっと笑って美江子さんは言った。
「そうだね、男の闘争心と女の闘争心は別の方面に向かうのかもしれない。この世から男が全滅してしまったら、戦争がなくなるって説もあるけど、なくならないかもしれないものね」
「男を全滅させないで。全滅させるんだったらせめて俺だけは残して」
「女だらけの世界に、男は幸生くんひとりだよ。そんなふうになりたい?」
「……いいのか悪いのかわからなくなってきた」
 嬉しいような気もするし、発狂しそうな気もする。
「夢が発端になって、ええと、ひとことで言えば、RPGっぽい夢かな。それと、ずいぶん前に社長が親父狩りってのに遭っただろ。あれやこれやも考え合わせて、詞を書いてるんだよ。あれはみんな覚えてるだろ。俺はあのとき、したかったこととはちょっとちがうけど、見たかったものは見られたんだ。いつもは邪魔ばっかする奴も参加してたし、幸生と章は参加したうちには入らないけど、おまえらはそれでいいんだし。でな、そういった詞を書いてるわけだ」
「あのころにも言ってたな。男じゃなくて、オヤジへの応援歌か。俺たちが歌って違和感のない応援歌って、どんなふうかな。本橋、完成を楽しみに待ってるよ」
 乾さんが言い、本橋さんはうなずいた。
 数年前に、事務所の社長がオヤジ狩りってやつに遭い、フォレストシンガーズ全員で社長を救い出したという一件があった。
 本橋さんがしたかったこととは、乾さんとのバトルであるようだが、本橋さんとではなく、不良少年相手の乾さんのバトルが見られたからいいのか。シゲさんは夢の中でまで本橋さんと乾さんのバトルを阻止しようとするのか。そしたら、章と俺はけしかけていたのかもしれない。
「タイトルだけは思い浮かんでるんだ。「ラヴィリンス・インフィニティ」という」
「歌詞の中身は?」
「模索中だな」
 いかにもRPGっぽいタイトルだ。本橋さんと乾さんのやりとりを聞きながら、俺は思い出していた。
 あのときは、俺としても、珍しい見ものを見られて楽しくなくもなかった。なにはともあれみんな無事だったのだし、社長は気の毒だったけど、大怪我にまで至らなかったのは本橋さんのおかげで、社長に恩を売れたよね、ってなものでもあるし。
 フォレストシンガーズが歌っても違和感のない、本橋さんの手になるオヤジへの応援歌。どんなものになるのか俺には謎だけど、楽しみではある。俺が書くとしたらこんな感じ。タイトルは……浮かばない。

「泣かないで、話すから
 怒らないで、あやまるから
 きみを泣かせるような、きみを怒らせるような
 僕はこんなに馬鹿な男だけど、男なんだから諦めて
 聞いてくれる? 僕の話を」

 喧嘩をして大怪我をして、彼女を泣かせて怒らせて、開き直りつつも言い訳しようとする馬鹿男。俺が書くととこうなってしまって応援歌になんかならない。本橋さんは乾さんに、おまえは女か、ってよく言うのだけど、俺もある面は男じゃないのかもしれない。
 そのくせある面は、変な面は男らしいってか。ちっとも嬉しくないけど、俺は俺だしね、ま、あなたは諦めてくれてるよね、と俺は俺の彼女に言ってみた。


2

 RPGみたいな夢と、過去に社長が遭遇したオヤジ狩り事件を題材に、本橋さんが男全般だかオヤジたちへだかの、応援歌を書いていると言っていた。その影響なのか、俺も夢を見た。俺の夢は「美貌のしらべ」バージョンだった。
 三沢幸生ではなく、俺は高校生のセイ。恋人のマヨちゃんはワオンちゃんであって、アニメではなく実写であった。
「マヨネーズちゃん、デートしようよ」
「あたしはマヨネーズじゃないっての。マヨネーズだなんて長ったらしい呼び方をするのはやめて」
「うん、じゃあ、マヨちゃん、デートしよしよ。俺の部屋に行こうよ」
「セイくんの部屋に行くとなにをするの?」
「愛の会話と愛のひめごと」
「いやだ。あたしは本当に好きなひとができるまでは、処女でいるのよ」
「あのねぇ、マヨちゃん。漫画のマヨちゃんはそうは言わないよ。俺が誘ったっていうよりも、どちらからともなくそんなムードが高まって、ごく自然にそうなったじゃん。きみはもはや処女ではないのだ」
「このあたしは処女なんだよっだ」
「そうなんだったらそうじゃなくしてあげるよ、セイくんがさ」
「いらないの」
 セイは小柄な美少年だ。小柄とはいえマヨちゃんよりは大きくて力もあるので、いやがるマヨちゃんの手を強引に引いてさらっていこうとしていた。
「女の子を無理やりにとは……おまえはなんという真似をするんだ」
 そこに登場したのは、乾さんかと俺はぎくりとした。夢を見ている三沢幸生の意識もある。夢の中のセイも俺であって、頭が混乱しそうなのだが、その男は乾さんではなかった。
「マヨちゃんはいやがってるだろ。手を離せ」
「あんたには関係ねえだろ。どけよ」
 反抗した俺は、そいつにぶん殴られ、そのはずみでベッドから墜落して目が覚めた。
「くそくそくそ、邪魔しやがって……あいつ、誰だっけ? んんと……そうだ、グラブダブドリブの沢崎司だな。沢崎って剣道の有段者だって、章が言ってたっけ。抵抗しても俺であってもセイであっても無駄なのは目に見えてるけど、剣道って言ったら柴垣さんも……柴垣さんのときみたいに、口でたぶらかすってのも無理だったのかな」
 床にすわり込んで、俺はひとりごちた。
「夢の中のマヨちゃんはマヨちゃんじゃなくて、大学生のワオンちゃんだったんだよな。そうなんだからよりいっそう、願いをかなえたかった。せめて夢の中ででもさ。でも、夢で女の子をレイプしたって言ったら、乾さんに殴られるんだろか」
 馬鹿げたひとりごとを言ってから、俺はパジャマを脱いでシャワーを浴びた。
「レイプ願望があるのか、おまえ? 夢でだったらいいって問題でも……」
「うぎゃっ、出てこないで。そんな願望はありませんっ!!」
 冷たいシャワーで浮かび上がりそうになった架空の乾さんを撃退し、俺はバスルームから出てベッドにすわり直した。
 レイプ願望なんてないけれど、いやよいやよもいいのうち、ってな気持ちの女を、言葉で口説き落として、抱き上げてベッドに運んで乱れさせたい、なんて願望だったらなくもない。ハードボイルドな男になってみたいとは、ほんのガキのころからたびたび考えていた。
 そんな願望をシナリオにしてみたこともあるのだが、学生時代には実松さんにぼろかすにけなされたし、比較的最近には、柴垣さんにシナリオを破り捨てられた。
 蜜魅さんの手紙にもあった、ラジオドラマ「水晶の月」はシゲさんが結婚する前の収録だったのだから、四年ほど前になるだろうか。「水晶の月」のシナリオライター、みずき霧笛さんとはすこし親しくなって、彼も近頃は多忙なライターとして活躍しているのだが、みずきさんにもお願いした。
「俺を主役にハードボイルドドラマを書いて下さいよ」
「三沢さんは女役がいいんじゃないんですか。性別不詳の美少女役がやりたいのでは?」
「あとでよく考えてみたら、美少女だったら性別不詳ではないんじゃないんですか」
「一見美少女、実は性別不詳なんですよ」
「それもいいんですけど、俺の真の望みは、ハードボイルドです」
「三沢さんがハードボイルド?」
「無理だなんて言ったら、シナリオライターの名折れですよ」
「……そうかもしれませんね。はい、書いてみます」
 みずきさんはそう言ってくれたのだが、実現していない。さすがのみずきさんにも実現不可能な、俺の望みだったのだろうか。
 ま、俺はハードボイルドよりも、お喋りな高校生役のほうがずっと似合いだよな、とは当人も思う。年齢的にはハードボイルドもやれなくはないのだろうが、ちびで甲高い声でけたたましいさえずりが持ち味のハードボイルド男なんて、いるわけがないではないか。
 もしも俺にハードボイルドドラマ、もしくはハードボイルドアニメの主役をやってほしいと要請が来たら? ご辞退申し上げるしかあるまい。お笑いハードボイルドだったらやりたくないもんね。
 本業の歌もあるのだし、作詞や作曲もしなくてはならないのだから、副業についてばかり考えてはいられない。が、蜜魅さんとワオンちゃんの依頼を先延ばしにしていては悪い。困ったな、困ったな、が俺の本音だ。
 やってみたい気もするのだが、安請け合いして途中で、やっぱり降ります、とは言えないだろう。今日は休日なので、外出せずに漫画を読み直して、じっくり考えてみようとしていたら、乾さんからケータイに電話が入った。
「幸生、昼メシは食ったか? おまえのマンションの近くに来てるんだけど、まだなんだったらうまいものを届けてやるよ」
「うまいもの?」
「うん、章のお母さんがさ、みなさまで召し上がって下さい、って手紙を添えて、スモークドサーモンをどっさり送ってくれたんだ。パンも買っていくから、サンドイッチにしたらいい昼メシになるだろ。食いたいか」
「はーい、お待ちしております」
 間もなくやってきた乾さんによって、なぜ章のお母さんが息子にではなく、リーダー本橋さんにでもなく、乾さんにサーモンを送ってくれたのかとの理由が判明した。
「章はお母さんに贈り物をしてもらうと、いらねえよ、こんなもん、って怒るんだそうだ。そんな金があったら自分の服でも買え、なんだそうだけど、それが章独特の照れまじりの思いやりなんだろ。だからって本橋に送ると、リーダーは怖いんだ、とかって章がお母さんにも言ってるそうだから、章がリーダーに叱られるんじゃないかと、お母さんは心配になるんだよ。母心だね」
「ふーむ、なるぼとっぼたっ」
「ぼた餅じゃねえんだから……うん、幸生、これも食え」
 食パンとサーモンの包みの他にも、乾さんは包みを取り出した。
「なんですか、これ? シュークリーム? 甘いの嫌いなのに、なんだってこんなもんを買ってくるんですか。乾さんの意地悪」
「俺が食パンを買ったベーカリーってのは庶民的な洋菓子も扱ってる店で、サービスにってくれたんだよ。店員さんが俺のファンだとかって言って下さって、六つもくれた。マネージャーさんの分もね、ってその方は言ってらしたんだけど、今日は休みなのはおまえと俺だけだろ。本橋やシゲや章の仕事場に届けにいくってのもさ……」
 だからサーモンも俺にだけ、届けてくれたというわけだ。
「そしたら恭子さんにあげれば?」
「シゲの自宅に電話してみたら留守電だったんだよ。恭子さんも仕事なんだろ。俺も食うからおまえも食え。ファンの方が下さったものを粗末にするとバチが当たるぞ」
「承知致しました。ねえねえ、俺はシュークリームの皮でいいから、乾さんがクリームを食べて。それで半分こになりますよ。シューってフランス語でキャベツって意味なんだよね。よく知ってるでしょ? 僕は可愛いキャベツちゃん、あなたは甘い美声のクリームちゃん。サーモンはサンドイッチの具だからシゲさんだよね。レタスが章で、マスタードがリーダーだ。パンは美江子さんかな。おーっ、僕ちゃん、たとえが上手。ねっねっ、そうしましょうよ」
 聞こえないふりをした乾さんが、きっちり三つのシュークリームを、俺に分配した。
「彼女のところに持っていけばいいのに。乾さんの彼女って辛党?」
 その問いにも乾さんは返事をしてくれないので、サーモンとレタスをはさんだサンドイッチと、三つの大きなシュークリームを食べた。レタスもむろん乾さんが買ってきてくれていて、サンドイッチは美味だったのだが、シュークリームはひとつでも持て余す。なんでこんなにでかいの? と文句を言ったら、乾さんも苦笑を浮かべて言った。
「こういうのが好きなひとにはこのでかさが嬉しいんだろ。う、幸生、俺は腹が……」
「駄目。隆也さん、食べなさい」
「はい、食べます」
 やっとの思いでシュークリームも食べてから、俺は言った。
「ちょうどよかった。乾さん、この間、蜜魅さんがくれた漫画なんですけどね」
 ここはやはり先輩にすがるのが得策であろう。コミックスを乾さんに見せ、まだ誰にも話していなかった、声優要請の話もした。
「となると、レギュラー出演だよな。二巻しかないんだったら短期間のアニメか」
「詳しくは聞いてないんですけど、蜜魅さんは執筆中なんだから、長く続くってことも考えられますよね」
「そうだな。おまえがやりたいんだったら引き受ければいいんだけど、単発じゃないんだったらちとつらくないか?」
「長期レギュラーは無理かな。俺たちも売れてきてるんですものね。俺の本分はフォレストシンガーズなんだもん」
「アニメの仕事に拘束されて、歌をおろそかにすると本末転倒だろ」
「はい、わかりました」
「俺は反対してるんじゃないんだよ。おまえの仕事なんだから、おまえが考えろ」
「考えてるんですけど、結論が出なかったんだもん。ワオンちゃんが噛んでるからっていうのもあるんですよね」
 昔、ワオンちゃんの話を乾さんにもした。どうしても落ちない女なんだ、とも言った。それについても、俺は乾さんに叱られた。
「どうしても落ちない女の子がいて、俺はあいつを落としてみせる、って、おまえが友達に言い触らしてる。そんな話が彼女の耳に入ったとしたら、彼女はどう思う? 他人にそんな話はするな」
 乾さんにはそう叱られ、本橋さんは聞いてくれて、青っぽいアドバイスもしてくれた。そんな会話は本橋さんや乾さんの心に残っているのだろうか。俺が昔を思い出していると、乾さんが意味深にも言った。
「女性経験はますます豊富になられましたか、三沢さん?」
「……言外にはどんな意味があるんですか」
「言外なんてないけどさ、去年の休暇明けだったか。なんだか変だったころがあったよな。三沢さん、なにがおありだったんですか」
「なにもおありじゃございませんですわよ」
「この俺に隠し通せるとでも思ってるのか。白状しろ」
 ジョークっぽく俺の胸倉をつかむ乾さんの手に身をゆだね、胸に倒れ込んだ。
「おや、抵抗しないのか。悲鳴を上げないのか」
「観客がいないからやっても無駄だし、抵抗したって無駄だし。乾さんったら、ユキちゃんをレイプしたいの? 乾さんこそ、レイプ願望があるんでしょ」
「そんなもんはないけど、あったとしてもおまえをレイプなんかしないよ」
「したいくせに。遠慮しなくていいのよぉ」
「……ごまかそうとしてるだろ。その手に乗るか」
「乗ってちょうだいよ」
 話題を変えようとしたのに、乾さんは先の話題の続きを言った。
「いつか言ってた彼女ってのは、ベトナム旅行と関わってるのか」
「もう、やだなぁ、乾さんの勘の鋭いのはよくわかってますから、追求しないで下さいよ。あんまりしつこいと俺、シュークリームを百個ほど買ってきますよ」
「それだけは勘弁してくれ」
 マジでいやな顔をして、乾さんは腕をゆるめた。
「追求しないから、幸生、しみじみとした女の歌を歌ってくれよ。弥生さんに大阪弁の歌を教わったりしてないのか」
「いろいろと教わりました。「心斎橋に星が降る」ってのがいい歌でねぇ。聴いてくれます? 特にこのラストフレーズが……もう、泣けますよ」
 そうそう、俺には女性の親友がいる。仕事仲間というよりも、うんと年上の友達と呼んでも、怒ったりせずに笑ってくれそうな、春日弥生さんに教えてもらった、大阪弁のまじった歌を歌った。

「嫌いになったんとちがうからなと言われたら
 あなたがその先を今は言えん気持ちはようわかる
親の反対なら、そんなもん平気やけど
 揺れてるあなたを見てるのがたまらん」

 おまえって、歌に女性の情感が込められるんだな、天性の才能なんだな、と乾さんがお世辞を言ってくれている。本当にそうだったらいいのにな、と思いつつも、俺は歌った。

「あなたと歩く大阪は綺麗な街やった
 心斎橋に今夜は星が降る
 すこしは泣いたってええやろう」

 ラストのラストで、ええやろぉーーーと声を張り上げると、乾さんが吐息を漏らした。
「俺にもその歌、教えてくれよ。最高にいいな」
「でしょでしょ? 今度ステージで歌いましょうよ。乾さんはコーラスね。ソロは俺。譲りませんから」
「おまえの歌は言うまでもなく認めるけど、その我の強さはなんとかならないのか」
「なりません」
 うちには目立ちたがりがそろってる、と本橋さんは、自身を含めて言っていた。たぶん本橋さんは幸生が筆頭だと言いたいのだろう。
 が、章もロックとなると我を忘れるし、本橋さんにしても乾さんにしても同類で、だからこそシンガーなどという目立つ職業を目指したのかもしれない。シゲさんだけはやや目立ちたがりからはずれているが、ソロで歌うときには気持ちよさそうだ。
「おまえのオリジナルはどうなんだ?」
「詞は書いてるんですけどね、作曲能力には限界を感じてます。乾さんは作曲は?」
「俺は作曲にも意欲的なつもりだよ。限界なんか感じてたらソングライター失格だ」
 いつしか話題は本業の話へと移っていって、俺は、ワオンちゃんともアニメの話をしようと考えていた。恐らくはお断りするだろうけれど、それでワオンちゃんとの仲が途切れてしまったとしても、それはそれで致し方ないのかもしれない。


心斎橋商店街を歩きながら、俺はふと弥生さんに打ち明けた。
「俺、彼女はいるんですよね。俺の彼女、離婚訴訟中で……公表はできない状態でして、俺って今は間男ってのか……」
「あらあら、そうやったん」
 誰にも話していない彼女について、弥生さんには話したくなったのは、俺の甘えだったのかもしれない。
「恋って障害があればあるほど燃え盛る、っていうでしょ? 俺は障害ゆえに燃えてるんじゃないと信じてるんだけど、この胸で荒れ狂う恋の炎は、彼女が晴れてひとり身になったあかつきにも、鎮まらずに燃え続けるんだろうか。ほんのすこし不安なんです。すーっと醒めたり……しませんよね」
「それは当事者でないとわからんけど、醒めたらどうするん?」
「どうしましょう?」
「彼女の離婚が成立して、その途端に恋が醒めてしもたとしたら、そんなものは恋ではなかったんとちがうかな。ユキちゃんはそこまで若いわけでもないけど、恋に恋してたっていうのかしらね。悲劇的状況に身を置いてる自分に酔ってたっていうのか、そういうことやったと考えるしかないんやないかしらん」
 おためごかしも言わず、冷淡に切り捨ててくれる。人生経験豊富な女性の台詞はいっそすがすがしかった。
「肝に銘じておきます。アドバイス、感謝します。ところで、弥生さんはアニメはお好きですか」
「今度はアニメ? ユキちゃんの話しってあっちこっちするんやね。アニメはそんなには見ないけど、少女マンガは好きよ」
「美貌のしらべって漫画、ごぞんじですか」
「知ってるよ。グラブダブドリブ漫画やないの」
 ご年配とはいえ、弥生さんとて女性なのだからして、美形ロックバンドもお好きなのだろう。俺はグラブダブドリブとフォレストシンガーズに、いくらかある関わりの話もした。
「へええ、章くんはグラブダブドリブのドルフと知り合い? この世界も案外狭いんやね」
「そうなんですけど、ドルフも章もこの際無関係で、別の話があるんですよ」
「アニメ? ユキちゃん、声優さんでもやるの?」
 弥生さんもなかなか鋭い。長く生きている女性なのだから、当然だと言っていいのだろうか。
「俺ね……弥生さんにだったら話したいな。聞いてくれますか、ごろにゃん」
「はいはい、どうぞ」
 相談しているのではない。俺の彼女の話も、ワオンちゃんがらみの話も、弥生さんに聞いてほしくて甘えているのもあるだろうが、俺自身の考えをまとめるためにしているのだ。
 夜になりつつある心斎橋通りは人ごみでざわざわしている。昔よりは有名になったのかもしれないが、こんな場所にいれば俺はさして目立たない。弥生さんも同じである上に、こういった場所では行きかう人々は他人の会話には無関心であるのが常なので、俺は他人の耳は気にもせずに言った。
「俺ってば甘えんぼなんですよね。だいたいからして男の虚勢とかいうのがあんまりない男でして、女のひとが大好きなのも、女のひとに甘えられて嬉しいからなのかな。先輩にも甘えてるしね。俺にアニメの声優をやってほしいって言ってくれたひとは、ひとりはアニメ原作の漫画を描いた女性で、その方は俺のファンだともおっしゃってくれました。もうひとりは、俺の大学時代の心残りのひと。不倫みたいな恋の話もしたくせに、こんなことを言ったら弥生さんに軽蔑されちゃうのかな」
「そのひとのことも好き?」
「好きっていうか、うーん、寝たいっつうか」
 どうしてもどうしても落ちてくれなかったワオンちゃんが、大人の女性に変身して俺の前にあらわれたのだ。俺には貞節を捧げるべき女性がいる、と考えた矢先から、昔の望みをかなえたいと思ってしまう。
「ユキちゃんの彼女やていう女性は、離婚訴訟中。まあ、そこにはなにかと事情もあるんやろうし、そういうひとと恋人づきあいをするのは感心せんね、とは私も言いませんよ。そやけど、それはそれとして他の女の子とも寝たい? アホ」
「うっ」
 ユキちゃんはええ子やね、といつだって言ってくれる弥生さんに、真顔で真面目に「アホ」と言われたのははじめてだ。実松さんやヒデさんやシゲさんあたりが口にする「アホ」とは種類がちがう気がした。
「たいがいの女はそんなんは嫌いよ。私もそういうのは嫌い。ユキちゃん、あんたの彼女が離婚が成立したら、結婚するつもりでいるんとちゃうのん?」
「そこまではまだ……」
「結婚はしたくない? ユキちゃんはそういう主義?」
「したくなくもないけど、俺は自由の身でいたいっつうか……」
「そうやね。あんたみたいな男は結婚なんかせんとき」
「……そうでしょうか」
「ほうぼうの女と遊んでたいような男は、結婚なんかせんほうがええんよ」
 ぴしゃりと決めつけられて、俺はうつむきがちに言った。
「そうかもしれませんね。ああ、爽快ですよ。弥生さんに話してよかった。叱ってもらってよかった。昔は乾さんがこんな俺を叱ってくれたんですけど、近頃は、おまえも大人なんだからって言って、叱ってくれなくなったんですよね。そうやってぴしゃっと叱られるのって久しぶり。俺ってやっぱ変態なのかな。叱られると嬉しいんだもん」
「よけいなお世話、ってはねつけられるかと思ってたよ。あーあ、ほんま、ユキちゃんはええ子やね。その女にちゃらんぽらんであるらしきところだけは……男ってそんなもんかな。そやけど、私はそんな男は嫌い。あんたのサガやっちゅうんやったらしゃあないけど、結婚だけはせんときね」
「……はい」
 だってね、俺の愛する詩織さんとはめったに会えなくて、たまに会っても寝てはくれないんだもん。離婚が成立してからね、って言われて、お預けを食らってるんだもん。
 そこまでは弥生さんには言えないけど、だからこそ俺は……俺ってそっちの方面の欲望が強すぎ? ナンパの副産物には時としてそいつがついてくるからこそ、俺はナンパが趣味なんだろうか。いやいや、ただ、女の子とお話するだけでも満足するのだから、そう言っては言いすぎだろう。俺は性欲魔人じゃないっての。
 だけどさ、だからこそ、俺はワオンちゃんによこしまな気持ちを抱いたのか。ワオンちゃんと共演してみたいだとか、純粋な友達になりたいだとか、考えていた心の裏側には、昔かなわなかった望みをかなえたいとの、邪悪なる欲望があったのか。
 そういえばあんな夢も見た。レイプ願望ではなく、ワオンちゃんとそうしたくて見た夢だったのか。俺ってやっぱり……
 そう認めざるを得なくて、そんならワオンちゃんとは今さら深く親しくならないほうがいいかな、とも考えた。ワオンちゃんが俺とのつきあいをも再開させて、それからそうなったとして、彼女の気持ちがどんなふうになるのかは知らないが、そういう方面には進まないほうがいい。
 結局、ワオンちゃんは俺の大学時代の、ちょっとおかしいけどちょっと綺麗な思い出として、心に住んでいてもらうほうがいいんだ。
 黙ってしまった弥生さんとひたすらに歩いていたら、アーケードのないあたりにたどりついた。弥生さんとふたりで歩いていて、ふたりともに黙っているのもめったにない事態だが、弥生さんは怒っているんだろうか、と窺ってみると、平静な声で言ってくれた。
「今日は大阪の空にもちょびっと星が見えるよ」
「……ほんとだ。弥生さん、乾さんも「心斎橋に星が降る」を歌いたいんだそうですよ。この間、乾さんに俺が教えてあげたんですけど、弥生さんが本格的に乾さんに歌唱指導してあげてくれませんか。今度のライヴで乾さんとデュエットしたいんです。俺がメイン、乾さんがコーラスパートで歌うといいでしょう?」
「乾さんに歌唱指導やなんておこがましいけど、ユキちゃんと乾さんの「心斎橋に星が降る」はええやろうね。私も聴きたいわ」
「今度、東京に来られたらぜひぜひ、俺にももう一度しっかり教えて下さい」
「はいな。そんなん言うてたら、歌いとなってきたわ」
「カラオケに行きます? ここでは歌えないでしょ」
「大道芸人やあるまいし……ねぇ。うん、カラオケ、行こか」
 ふたりして小声で「心斎橋に星が降る」を口ずさみながら、弥生さんと手をつないで再び歩き出した。俺は泣いたりなんかはしないけど、弥生さんと歩く大阪は、綺麗な街に見える。
 これを言ったら別の意味で叱られるのかもしれないが、俺の純粋な女性の友達は、弥生さんがいいのだろう。さすがの俺も弥生さんと寝たいとは思えないんだし……おっと、内緒内緒、しーっ、だからね。
 誰にともなく内緒だと言っておいてから、ワオンちゃんにも心で言った。ごめんね、いろいろと考え合わせたら、声優の仕事は無理だよ、お断りの電話をするからね、がっかりしないでね。
 自分に都合のいいことしか考えない俺は、自分勝手にワオンちゃんの思い出やら、現在のワオンちゃんやらを心の中でいじくって、楽しんでいただけだった。弥生さんに叱られて目が覚めたよ。俺ってこの年になっても、年上のひとに叱られないとどうしようもないんだよね。
 うん、そうしよう、と結論づけて見上げた、心斎橋近辺の夜空には、歌のフレーズそのまんまに、今夜は星が降る、であるのだった。

END



 
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ユキちゃんのテンポが好きなんですが、機会があればいろんな女の人と…ってのが…うーん、落ち着いてくれユキちゃん。。

声優似合う!
CMでみかける恋愛シュミレーションゲーム?(キャラと恋が出来るゲーム)の声をやってそうw
お姉さまタイプに好かれて、犬っぽいかわいい弟タイプのキャラを演じている感じがします。

声優で売れるよユキちゃん!!


前回のコメントで「シュッとした」について書いたことについてですが、
こちら(私の周り)だと、顔ではなく体型や雰囲気をさすことが多いです。
スーツで「ビシッと」決める、みたいな。
シュッと…なんて言ったらいいのでしょう…
すらっとしてる?
全体的に軽やかな感じ?
動作がテキパキしてて無駄がない?……みたいな……わかりにくくてすみません。

地域が違うとまったく違う意味だったり、聞いたことない単語が出てきたりしますよね。
ちなみに「ジャス」という単語、何を指さしているかわかりますか?


洋介くん、キムタキだったのですね!
キムタクはカッコイイですからね、何しても許されそうだし、なんでも様になっちゃうからすごいです。
キムタク……うーん、前回「一番ダメ」といったのなかったことに(笑

芸能人をモデルにするとわかりやすくていいですね。
私はいつも顔に関しては漠然としたイメージでザックリとしてますが、
服装や髪形、体型は芸能人で考えたりします(斉藤さんの髪の長さがまさに)

ハルさんへ

いつもありがとうございます。

明石家さんまさんが離婚したあとで女性スキャンダルがあったとき、元妻のしのぶさんから電話があって、言われたそうですね。

「あなた、いつまでそんなことやってるの?」
「たぶん死ぬまで」
たぶん、ユキちゃんも死ぬまでこんな感じだと思います。

男のミュージシャンはもてるようですから、よほどしっかり自分を律せるひとでないと、こうなりがちですよね。ユキは基本、いい加減な性格ですからねぇ。

「しゅっとした」も地方によって感覚がちがうのですね。
すらっとして軽やかで、きちんと決めたスタイルの似合う、すっきりしたタイプの男性ですか?
乾くんは顔はともかく、ムードはそんなふうでしょうね。

「ジャス」?
東北の言葉でしょうか。あとでネットで調べてみようかな~。知りません。
いきなり「ジャス」と言われたら、なに? 外国人の名前? と訊き返してしまいそうです。

芸能人がモデルだというと、イメージはしやすいですよね。
キムタクは日本人だったら誰でも知ってるでしょうし。
ハルさんはキムタクは好みのタイプですか?
私はまったくファンではありませんので、悪口を書いてもらっても全然かまいませんですよ(^^(^^

ルックスについてはモデルがいたほうが、書くほうもやりやすいですね。
彼はあのひと、こっちの彼はあのひと、と、他にもちらほら、モデルのあるキャラがいます。
斎藤さんというと私は新選組の斎藤一を連想するんですけど、ハルさんの書かれる斎藤さんの髪型……誰なのかな、想像中です。
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