ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「ひ」part2

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フォレストシンガーズ

いろは物語2

「飛花落葉」

 教授の助手と学生として出会った彼と恋に落ちた。むろん私のほうが年上だったが、彼は女の外見や年齢にこだわる男性ではなかったので、私の中身だけを見てくれた。

「万葉集を専攻なさってるの? 私も短歌は大好きよ」
「気が合いますね」

 趣味が合って結びついたということは強い。彼とは会うたび、短歌の話題で盛り上がった。

「額田王を卒論のテーマにするの?」
「迷っているんです。俺は古歌も大好きですけど、現代の歌も好きなんですよね。額田王というひとりの歌人にとどまらず、古代の歌と現代の歌について、みたいなテーマにしようかなって」
「それもいいわね」

 いつしかふたりで会うようになって、時を忘れてそんな話をした。

「もうじき卒業ね」
「……そうですね」
「卒業しちゃったら、乾くんとは二度と会うこともないのかしらね」
「そんなの……寂しいですよ。信子さんは俺から見たら目上の方だから、こんなことは言えなかったんだけど、卒業してしまえば対等の男と女になれるって考えてもいいですか」
「私は目上なんかじゃないわよ。今でも対等じゃないの」

 二月のある日、喫茶店で彼が告白してくれた。

「じゃあ、俺が卒業してからもつきあって下さい」
「それって恋人同士としての交際ってこと?」
「もちろんです。俺は若すぎて結婚の申し込みはできないけど、一刻も早くひとり立ちしてみせます。そしたら信子さんと結婚して、幸せにしてみせます」

 何歳の年の差があると思ってるの? なんて訊かなくても、知っていて申し込んでくれているのだ。年齢差だの、彼は若くてすらりと背の高いかっこいい青年で、私はぱっと見はやつれたふうに痩せたおばさんだということだの、いちいち口にしなくても、乾くんは私と向き合っているのだから、見ればわかる。

 下世話なものはすべて取っ払って、私の魂を見てくれている彼。私だって彼が若くてかっこいいから恋をしたのではなく、心と心が引き寄せ合ったから好きになった。

「じゃあ、よろしくお願いします」
「嬉しいです。ありがとうございます」
「じゃあね、敬語はやめてね。信子って呼んで」
「呼び捨てはしにくいな。あなたが年下だとしても俺は呼び捨てにはしませんよ。信子さん、俺のことも乾くんじゃなくて隆也くんって呼んで」
「わかりました」

 結婚はどうでもいい。ソウルフレンドという言葉もあるのだから、彼とは男と女のそれになれればいい。けれど、それでも男と女。セクシャルな関係だって彼が望むのならば結んでもいい。貧相なおばさんだって、彼の腕の中では額田王のような豊満な美女に変身できた。

「隆也くんに恋してた女の子、いたでしょ」
「誰のこと?」
「いっちゃんって言ったかな。告白されたんじゃないの?」
「女性から告白ってのは何度かされてるんだ。だけど俺は、こっちが本当に恋をした女性とでないとつきあう気にはなれない。だからあなたに俺が告白したんだよ」
「……そうね」

 やがて彼は卒業し、私は大学に残った。

「歌は歌でもそっちを仕事に選んだのね」
「そうなんだ。信子さん、これで俺もあなたと結婚するめどが立ったよ。もうすこしフォレストシンガーズが軌道に乗ったら、あなたを連れ去りにくるから」
「待ってるわ」

 俗世間の恋人たちのような俗っぽいことは、私はしなくてもいいのよ。だけど、純粋で若いあなたは、愛する女を結婚して幸せにしたいと願っている。ならば私も応えてあげたい。その気持ちだけで、私は彼に冷水をかけるような言葉は浴びせなかった。

 あれから十年、二十代だった隆也くんが三十五歳ということは、私は五十五歳。光陰矢の如し……大人は誰だってふと立ち止まると、このフレーズを実感するものだ。

「たまには……」

 通りがかった高級スーパーマーケットに、好奇心を起こして入ってみた。フォレストシンガーズは近年になってかなり売れてきているから、この程度のマーケットで買い物をするのは余裕の収入がある。私も教授の地位についているから収入はよくなったが、生活費は俺の給料から出すように、と夫は言う。年下だからこそ多少はいばらせてあげるのも、かしこい妻の夫操縦術だ。

「いっちゃん、苺大好き」
「うん、僕も苺は大好きだよ。苺、買えば?」
「季節外れだからね、高いね」
「高いの、それ?」
「セイさんって買い物にもめったに来ないから、なにが高いのかわかってないでしょ」
「だって、八百円だろ。高くなんかないじゃん」
「苺としては高いんだよ」

 自分をいっちゃんと呼ぶ女、甘ったるい声。ぎくっとしてその声のほうを見ると、三十代に見える若作りカップルがいた。男のほうは脚本家か作家か、ニュース番組にも顔を出している文化人だ。いっちゃんとは……学生時代に乾くんに横恋慕していた女だった。

「前のときにはつわりってあんまりなかったんだけど、ふたり目はわかんないらしいからね」
「つわりってすっぱいものが食べたくなるんだろ」
「そういうのもよくあるけど、変なものが食べたくなったりもするんだって。今はいっちゃんはすごく苺が食べたいの」
「だから、買えばいいじゃん。ムゥだって苺は好きだろ」
「もちろん大好きだよ。セイさんも食べる?」
「うん、食べる。三パック買えば?」

 あの会話からすると、いっちゃんはふたり目の子どもを妊娠している。彼女は乾さんよりもふたつ、三つ年下だったはずだから、三十二、三歳か。二十代で結婚して出産したとしたら、そのくらいでふたり目は順当だ。連れの男は夫なのだろうか。

 小さなパックに苺が五粒で八百円。いくらなんでもね、こんなの買えないわよね、心の中で乾くんに話しかけて、私は特になにも買わずに外に出た。出ると再び、いっちゃんとセイさんに出くわした。

「ムゥってどんな字を書くんだっけ?」
「核爆発の核と夢」
「核夢か、センスいいな」
「でしょ? いっちゃんが考えたの。だけど、モトダンのママ、つまりいっちゃんの元姑は、核だなんて最悪だとか言ってさ、センスないんだから」
「シャレがわかんないんだな。それで別れたわけ?」
「モトダンは泣いてたけど、あんな姑、顔も見たくなかったんだもん」
「俺にはおふくろはいないから、ポイント高いだろ」
「そこだけはね」
「そこだけはってなんだよ」

 外を歩きながらこんなプライベートな話をするとは恐れ入るが、おかげで私もいっちゃんの事情が知れた。姑との確執により離婚したいっちゃんは、セイさんとつきあっている。ふたり目の胎児は誰の子なのだろう? 関係ないけど気になって、駐車場までは尾行することにした。

「けどさ、いっちゃんだったらバツイチでも子持ちでも、引く手あまただよな。今まで誰とつきあった? 俺と知り合うまでに、俺の知ってる奴だったら誰がいる?」
「えーと、いちばんはじめはフォレストシンガーズの乾隆也」
「ああ、そうなんだ」

 嘘ばっかり!! ふられてたくせに!! と言ってやりたい。私はいっちゃんが乾くんにふられる現場を目撃していた。が、言いにいける立場ではないので我慢した。

「大学のときだよ。乾さんがしつこくて、どうしてもつきあってほしいって泣きつかれたの。でも、ほら、いっちゃんってお金のかかる女じゃん? 乾さんはデビューもできなくて貧乏だったから、このままではきみを幸せにできない、ごめん、って別れたの、彼、号泣してたな」
「男泣かせの苺」
「その通り」

 彼女の本名が苺だったのも思い出した。

「そのあとはタケちゃんとか……」
「お笑いの? 年寄りのほう?」
「若いほうだよ」
「いっちゃんは有名人泣かせでもあるんだな。サッカーの誰かともつきあってただろ」
「トーマスとつきあってたよ。外人とは結婚したくなかったから別れたの」
「そんでもって、トクと結婚したんだよな。マーシャルともつきあってなかったっけ?」
「よく知ってるね」

 私の知らない名前も出てきたが、いっちゃんの恋愛遍歴は相当に華やかであるらしい。けれど、そんなの幸せでもないし素敵でもないのよ。女はただひとりの男性と深く愛し合うのがいちばん。

「いちばん好きだったのは乾さんかなぁ。いっちゃんは今はフリーなんだから、教えてあげたら乾さんもその気になるかもね。復縁ってやつ?」
「駄目だよ。いっちゃんは俺と再婚するんだろ」
「まだ決めてないもーん」

 その気になんかなるわけないでしょ。乾さんには私がいるのよ、とは言えない私をそこに置き去りに、いっちゃんとセイさんは車に乗って去っていった。

 学生時代と変わらぬほどに若くて華奢で、私には荒んでいるとしか思えない生活が表にはまったくあらわれていない可愛い顔のいっちゃん。背が高くて奇抜なおしゃれの似合う、ルックスも悪くないセイさん。浮つき加減もお似合いのカップルだった。

「ああやって軽く軽く、世の中渡っていく女もいるのよね。ね、乾さん?」

 ひとりになって歩き出す私の行く手には萩の花。風が花と葉を散らせていた。

「いっちゃんと話をしたかったな。私はあなたが乾さんにふられていたのを見てたのよって言ってやりたかった。あの調子なんだから、いっちゃんの並べ立てた男の名前だって、どこまでが本当なんだか……ええ? あなたも変わりないでしょって? 私は他人には言わないもの。妄想しているだけだもの」

 他人に吹聴するのと、心で妄想しているのとはあまりにもちがう。学生時代の乾さんとほんのひとこと、ふたこと言葉をかわしただけの年上の女は、片想いを続けて楽しい妄想を作り上げただけ。
 片想いという意味では同じようだったいっちゃんも、別の妄想を作って他人に言い触らしている。そこはたいへんにちがっているはずだ。

 所詮、妄想だって花や葉っぱのようなもの。風が吹けば飛んでいってちりぢりになるばかり。

END






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