ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

FS雨の物語「雨がやんだら」

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フォレストシンガーズ

雨の物語

「雨がやんだら」


 南の窓を細く開けて、彼が言った。

「雨だな。じきにやみそうだから、もうすこししてから出ていくよ」
「……すぐに出ていってくれる?」
「濡れろって言うのか?」
「寒くもないんだから平気でしょ」

 そしたら傘を、なんて言わない。傘を貸しても返してもらうあてはない。もしも彼が傘を返しにきたら、私は彼を部屋に通してしまう。元気だった? ほんの短い間、会わずにいただけなのに、元気だったよ、って見つめ合って、以前のようにキスをして……そんなこと、二度としたくないから。

「つめたい女だな」

 不機嫌そうに私を見て、彼が部屋から出ていく。さよなら、でもなく、じゃあ、のひとこともなく、彼は出ていく。廊下を足音が遠ざかっていった。

 好きだったひとと別れるのは二度目だ。三十路間近になって一度も結婚もしたこともない女としては、二度は少ないのだろうか。十代から二十代前半までの間にだって、軽く男性とつきあったことはあるけれど、相手の顔も名前も思い出せないくらいなのだから、計算にも入らない。

 ひとり目は鮮やかすぎるほどよく覚えている。

 気まぐれを起こして書道教室に通うようになって、親しくなった人は何人かいた。その中にひとりだけ男性がいて、女性の仲間たちと彼の噂をするようになった。

「乾さんって教室を休む日も多いよね」
「なんの仕事してるんだろ」
「こんな時間に書道教室に来るって、激務のサラリーマンではないはずよね?」
「先生、乾さんのお仕事ってなんですか?」

 生徒さんのプライベートは教えられません、との先生の答えに、私たちは想像をふくらませていった。

「乾さん、今日はお時間あります?」
「あ、ええ、あの……すこしくらいでしたら」
「そしたらお茶に行きましょうよ」
「……はい」
「もちろん、みんなでですよ。私とデートしてほしいとは言ってませんよ」
「みんな? ああ、ええ、じゃあ、お供します」

 図々しい年配の女性が乾さんに直接アタックし、乾さんは私の顔を見てからうなずいた。

「隠してるってほどでもないですし、隠すようなものでもないんですけど、歌手なんですよ。売れてないからみなさんはごぞんじないでしょう? フォレストシンガーズっていいます」
「歌手の方が書道に?」
「好きなんです。子どものころに習っていて、さぼってばかりいたのを後悔してまして、大人になって改めてってわけなんですね。ただ、不規則な仕事なんであいかわらずさぼってて、先生にはご了承いただいてるんですけど心苦しいんです」
「歌手なんだったらしようがないわね」

 売れてないとはいえ、プロの歌手と友達になれた、みたいに、教室の仲間たちはウキウキしていたようにも見える。それからは乾さんに時間のあるときは、みんなでお茶や食事に行くこともあった。

「緋佐子さんとは路線が同じなんですね」
「そうみたいですね」

 同じ路線の電車で帰るのは乾さんと私のふたりだけ。いいなぁ、だとか、ずるぅい、だとか言う女性はいたが、聞き流した。独身者も既婚者も混ざっている女性たちは三十代以上で、二十三歳の私がもっとも若い。乾さんも二十代半ばだそうだから、私以外のおばさんたちは見ていないはず。

 背が高くて細身でセンスがよくて、ハンサムというのでもないけれど清潔感のある都会的な男性だ。歌手だなんて私とは世界がちがいすぎるけれど、ちがいすぎるからこそ興味深い。

 最初から好意を抱いていたのが、恋愛感情に変わっていく。だけど、売れていないとはいえ乾さんは芸能人。綺麗で華やかな女性たちに囲まれて仕事をしているのでしょう? 平凡な会社員なんかにその気になるはずがない。時々、熱い視線を感じるのは勘違いよ。うぬぼれちゃ駄目。

「あとでふたりになれる?」

 何人かで食事にいったとき、乾さんにさりげなく耳打ちされて心臓が跳ね上がった。他の女性たちとは別れ、なにげなくさりげなくふたりになって、電車の駅とは別方向へ歩き出した。

「俺のアパートは歩いてでも帰れるくらい近いんだけど、あなたは電車だよね。ご両親と妹さんがいるんでしょ。早く帰らないといけないよね」
「門限があるわけでもないし、今夜は書道教室の日だって親も知ってるから、終電までに帰れば大丈夫。書道の日はみんなで食事をするから」
「そっか。でも、まだ俺の部屋には誘えないな。俺の部屋に泊まりにきてくれられる仲になりたいって言ったら、OKしてくれる?」
「遊びでしょ」
「どうしてそう思う?」
「だって、乾さんはミュージシャンだから」
 
 まっすぐに私を見つめて、乾さんは言ってくれた。

「俺は遊びの恋はしないんだ。チャコちゃん、つきあって下さい」
「……チャコって呼んで」
「ありがとう」

 そんなふうにしてはじまった恋だから、私はいつでもどこかで乾さんを疑っていた。

 電車に乗って訪ねた乾さんのマンション。マンションよりはアパートの名前がふさわしい小さな部屋に、乾さんは金沢から大学入学のために上京して以来住んでいた。

「こんな部屋で暮らしてる貧乏人なんだから、チャコが想像しているような仕事じゃないんだよ」
「でも……やっばり……」
「チャコを好きになったから、チャコだけが好きだから告白したんだ。信じろよ」
「うん、信じる」

 信じようと決めた。乾さんは女慣れしているようで、私とのつきあいもスムーズでスマートで、私はいったい何人目の女? 現在進行形でも何人目かの女なの? と詰りたくなっては我慢した。

 けれど、やっぱり。

 居酒屋で見てしまった、仕事のできそうな美人と乾さんのツーショット。彼女は俺たちのマネージャーだよ、と乾さんは言ったけれど、そんなふうではなかった。彼女のほうは乾さんを仕事仲間だと思っているだけかもしれないが、乾さんは彼女が好きでしょ?

 それからもう一度。
 駅で乾さんを見た。綺麗な女性を送ってきたのか、彼女が電車に乗ってから乾さんに声をかけた。

「キスされてたね。見ちゃった」
「……いや、仕事の関係者だよ」
「そおお? やっぱりミュージシャンなんてのは……前にだって……」
「前に、なに?」

 怒りたいのか泣きたいのか、わからない気分で私は歩き出し、乾さんが追いかけてきた。

「声優さんたちのアルバムにコーラスで参加するって、話しただろ。彼女は声優さんだよ。キスしてくれたのは送ってくれてありがとう、の意味だろ。彼女には婚約者がいるんだそうだよ」
「声優さんなんてのも、いい加減なんだよね。婚約者は捨てて隆也さんのところへ来たらどうするつもり?」
「俺にはきみがいるから、帰ってもらうよ」
「どうだか。前にもね」

 前にも? 訊き返す乾さんに、早足で歩きながら話した。

「なんで私、隆也さんの見たくないシーンばっかり見るんだろ。私が隆也さんの部屋に泊まって、そのあとで隆也さんたちは島根に行くって言ってたよね。帰ってきた日の夜、私もいたのよ。「花束」に」
「見てたの? 声をかけてくれたらよかったんだ」
「女性と食事してる隆也さんに、声なんかかけられるわけないじゃない」
「彼女はうちのマネージャーだよ」
「マネージャーったって若い女性じゃないの。恋人同士にだってなれるでしょ。いい雰囲気で乾杯してにっこり見つめ合って、そのあとで隆也さんは、彼女の耳元でなにか囁いてた。口説いてるんだろうと思ったから、私は友達との飲み会から抜け出してひとりで帰ったの」
「ちがうよ。仕事の話をしてたんだ」

 堰を切ったみたいに我慢していた諸々があふれ出して、止まらなくなっていた。

「隆也さんってやっぱりもてるんだもの。私はミュージシャンだなんて仕事のひととは……はじめから……ついていけないってわかってたのに」
「俺はきみについてきてほしいんじゃないよ。一緒に歩いていきたいんだ」
「それって結婚したいって意味? ちがうでしょ」
「結婚はまだ……」

 駅の構内をぐるぐる歩いていた。ただ、ぐるぐるぐるぐると。

「結婚はいいんだけど、そうやって女のひとと……そんなのいやなの。私の神経が変になるの。見たくないのに見ちゃって、
苛々もやもやして、やきもちなんか妬きたくないのに」
「チャコ、ごめん。俺んちに行こう」
「いや。行かない」

 走り出した私と、見送っていた乾さんの姿が、ドラマのワンシーンみたいに目に浮かぶ。あのとき、雨が降っていたのだったか。客観的に見ていたシーンではないのに、綺麗な別れの想い出にすりかえているみたい。
 
「雨がやんだらお別れなのね
 ふたりの想い出 水に流して
 二度と開けない南の窓に
 ブルーのカーテン弾きましょう

 濡れたコートで濡れた身体で
 あなたはあなたは
 誰に会いにいくのかしら」

 あのころの私は親元で暮らしていたから、乾さんのマンションに行くことだったらあっても、私の住まいに彼を招いたことはない。乾さんは私の今の住まいなどは知るはずもない。いっときつきあっていた緋佐子なんて、完全に忘れてしまったに決まっているけれど。

 二度目の恋が完全に消えていくまでの間、私は一度目の恋のことばかり考えていた。
 あれからフォレストシンガーズはちょっとだけ有名になったけれど、私はあのまんま、もうじきに独身の三十歳になってしまう。

 雨がやんだら……じゃなくて、雨が降ったらいいのに。
 すべてがかすんでしまうような細雨の中を、むこうからやってくる人がいる。黒い傘のその人は……隆也さん? そんなはずないのに、そんなはず、あったらいいのに。

END








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