番外編

番外編28(6-2)(青い涙の味がする)

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流水
番外編28

「青い涙の味がする」

1

 おやおやおや? だった。
 彼のほうとは卒業後にもたまには会ってお茶を飲んだりしていたのだが、近頃は彼がかなり売れてきているので、会う機会は少なくなっている。
 彼女のほうとは卒業以来まったく会っていないから、何年ぶりだろう。三十四歳になった私が大学を卒業してからだと、十年以上だ。うぎゃっ、と言いたくなるほどの歳月が流れたわけである。
 ともに大学合唱部の仲間だった、金子将一と沢田愛理、このふたりが連れ立って私がつとめるブティックに入ってくるとは……このふたりは? カップルになったのか? 愛理ちゃんはにこにこと愛らしい笑顔を向け、金子将一はあいかわらず小憎らしいほどに颯爽としていて、金子くんが私に言った。
「店長さんになって栄転するって聞いたから、愛理ちゃんを案内してきたんだよ。愛理ちゃんも覚えてるよね」
「はい。服部さん、おなつかしゅうございます」
「私こそ……愛理ちゃんも活躍してるんだよね」
「地味ですけど、がんばってます」
「うんうん。仕事はもうじき終わるから、食事にでもいこうよ」
 待っててね、と言うと、ふたりそろってうなずき、私は部下に当たる店の若い子たちに指示して閉店準備にかかった。
「店長、男性のほうは金子将一さんですよね」
 三人いる部下たちのうちの最年長、最年長とはいっても二十代のナオちゃんが、店の外にいるはずの金子くんを意識している様子で言った。
「そういえば、聞いたことはありました。金子将一、徳永渉、フォレストシンガーズの五人、みんな店長と大学が同じだって」
「そうよ。チキンスキンの柴垣安武もね」
「柴垣さんって私は知らないんですけど、まあ、それはいいとして……店長は金子さんとは親しいんですか」
「そこまでは言ってなかった? 金子くんと柴垣くんは私と同い年だからね」
「柴垣さんはいいんですけど、女性のほうは?」
「彼女も大学の合唱部の仲間。アナウンサーだよ」
「へええ、すごい」
 すごくはないのだが、有名人と知り合いだと聞けば、普通は誰だってこんな反応を示すだろう。
 ナオちゃんが知らないらしい柴垣安武は、パンクロックバンドのベーシストである。彼もプロとはいえマイナーミュージシャンなので、一般にはさほど知られていない。愛理ちゃんにしてもローカルラジオのアナウンサーなので、よほど熱心なファンでもなければ顔は知らないだろう。
 かたや金子将一は、日本中の誰もが知っているというほどでもないにせよ、かなり有名なシンガーだ。女性とふたりでこんなところを暢気に歩いていていいのだろうか。
 手は閉店準備をしながら、口はいろいろと尋ねたがるナオちゃんの相手をしながら、私は学生時代を思い出していた。
 あのころ……あのころ、私は厚木の高校を卒業して、当時は彼氏だった川添信勝と、親友だった亀井萌子と三人で同じ大学に合格し、三人で東京に出てきた。私はロックが好きで、信勝はフォークソングが好き。
 萌子は法学部だったのもあり、サークル活動はしないと言っていたのだが、信勝と私は音楽関係のサークルを欲していた。
 なかなか信勝との意見が合わなかったものの、ちょっとしたいきさつもあって、キャンパスでギターを弾いていた星丈人さんと出会った。一年年上だった星さんと、そこにあらわれた金子くんと、大野莢子とに誘われた形で、信勝と私は合唱部に入部した。
 学生時代には合唱部のメンバーだった私は、合唱部一筋とは言い切れない生活をしていた。萌子と同じ学部の柴垣くんがロック同好会に入っていて、後には萌子と柴垣くんがつきあいはじめたのもあり、古賀未来との関わりもあって、私はロック同好会ともけっこう関わっていたのだ。
 一年生のときには、ロック同好会の当時のキャプテン、ジョージさんに好かれたり、信勝と喧嘩をしたりして、それなりに青春してたんだな、と思い出す。
 合唱部のスター的存在だった金子将一は、私にとっては小憎らしい男だった。あんな奴は嫌いだと公言していたくせに、彼ともキスしたっけな。星さんもキスしてくれたっけな。信勝とはキスだけじゃなかったけど、キスなんて、別段どうってこともないのだろう。
 きっと星さんは、服部一葉なんていう後輩女子がいたことも忘れているだろう。金子くんは忘れずにいてくれて、時々連絡を取り合っていたけれど、金子くんは記憶力がいいからなのだ。
 いろんないろんなことがあって、青春していた私たち。私は信勝と別れ、卒業して合唱部のメンバーたちとも別れた。グラフィック関係の仕事に就きたかった希望はかなわず、ブティックの店員になったのだが、現在では店長として一店舗をまかされているのだから、多少は出世したのだといっていい。
 大野莢子ちゃんも私と同い年。彼女とは卒業以来一度も会っていないが、どうしているのだろう。古賀未来も私と同い年で、彼女とは数年前に再会して、現在でも友達づきあいはしている。
 柴垣くんとも今でも知り合いではあるが、彼も一応はプロのミュージシャンなので、暇ではない。そうそう私と遊んではくれない。金子くんの親友で、信勝とも仲がよかった皆実くんとも、近頃会っていない。
 他の学生時代の友人も、彼が……彼女が……と思い出す。ロック同好会出身のプロミュージシャンは柴垣くんだけだろうか。ジョージさんやジャックさんはどうしているのだろうか。思い出せば次々に、友達の顔が目に浮かんでくる。
 萌子も柴垣くんとは別れ、勤務先の法律事務所の同僚と結婚した。未来はロックファンで、ロッカー大好き女だったのだが、どうしたわけだか犬のブリーダーを職業としている男と恋をして結婚した。皆実くんも学生時代からの恋人と結婚した。
 未来のかつての恋人だったタクさんも、結婚して沖縄にいると柴垣くんから聞いた。信勝も信子さんという女性と結婚して、ラーメン屋の店主になった。
 独身もまだ多々いるし、結婚したのかどうかも知らない友達は大勢いるけれど、私と年齢の近い彼女や彼たちも三十代になって、大人の顔をして生きているのだろう。
 そうして思い出す学生時代のワンシーンには、くっきりと金子くんと愛理ちゃんがいる。普段は忘れているのだが、ふたりそろって目の前に出てこられると、ありありと思い出してしまう。
 あんなにも愛理ちゃんが恋していたのに、そ知らぬふりで、気づかないふりで、それでいて愛理ちゃんを妹のように可愛がっていた金子将一。あのころはたしか、金子くんは愛理ちゃんを姓でしか呼んでいなかった。
 が、たしかに、さきほどは愛理ちゃんと呼んだ。ということは? うん、三人になったら確認しよう。
 金子将一って奴は闇夜の象だと言ったのは、現フォレストシンガーズの乾隆也だ。私は現在のフォレストシンガーズについては一般的な知識しかないが、三人までは学生時代を知っている。徳永渉もすこしは知っている。
 ふたつ年下の本橋真次郎、乾隆也、三つ年下の本庄繁之、四つ年下の三沢幸生、木村章。三沢くんの学生時代は知らないが、現在の彼は知っている。木村くんは一年で中退してしまっているのだが、彼とは実際に会っている。
 知っているとは言っても、フォレストシンガーズのファンのみなさん程度の知識ではあろうが、知らないわけではない。
 徳永くんも私よりは二年年下で、合唱部時代にはいささかなりとも話をした。私と年齢が近く、私が知っている範囲でいえば、ただいまプロのシンガー、あるいはミュージシャンになっているのは、金子将一、徳永渉、柴垣安武、フォレストシンガーズ、この八人でまちがいないはずだ。
 これまた合唱部の後輩であると、後に知ったDJの酒巻國友というのがいる。そうと知って私も彼に興味を持ったのだが、彼は私よりも五年年下なので、合唱部に同時期在籍はしていなかった。本庄くんみたいに声の低い、三沢くんみたいに小柄で細い男の子だとも、後には知ったのだが。
 その酒巻くんが担当しているラジオ番組に、私が名を述べた八人が交代にゲスト出演していた。そこからもってしても、この八人が私の同窓生のプロのミュージシャンだと見なしてまちがっていないはずだ。
 学生時代の記憶などはあやふやになってしまっている部分もあるのだが、鮮烈な印象だった人々は忘れてはいない。柴垣、金子、徳永、本橋、乾、彼らは私の中にも鮮明に残る男たちだからこそ、プロのミュージシャンになったとも言えるのではなかろうか。
 そんなふうに考えながらも仕事を終え、連れていってほしそうなそぶりに見えなくもないナオちゃんとも挨拶をかわし合い、外に出たら金子くんと愛理ちゃんが待っていてくれた。
「お待たせ。金子くん、どこに連れていってくれるの?」
「服部さん、今夜のお勘定は金子さんにおまかせしちゃいましょうね」
「そりゃそうだよね。学生時代からお金には豪胆だった金子くんが、億の年収のある歌手になったんだから、私も出す、なんて言うほうが失礼だもの」
「……誰が億の収入?」
 苦笑いの金子くんが言い、愛理ちゃんも言った。
「あれ? 億は稼いでないの?」
「あるわけないでしょ。まあしかし、小食の女性たちにご馳走する程度の金はありますよ。ご心配なく。さて、参りましょうか」
 小食って誰が? 愛理ちゃん? 服部さんかな、などと笑い合いつつ、三人で歩き出した。歩き出した先は近くの駐車場で、外車が待っていた。なるほど、これだったら有名人も自由に外出できるってわけだ。


 でけえ女、というのが人々の第一印象であるらしき、私は背が高い。フォレストシンガーズのサンドイッチシゲと自称している、年齢も身長も真ん中の本庄繁之と、身長は同じくらいだ。つまり、男の平均身長並みか、やや高い程度だろう。
 今どきはモデルなんかだったら私よりも高い女はざらざらいるのだが、昔からこの高身長は軽いコンプレックスだった。
 愛理ちゃんも背は低くはない。私と十センチもちがわないだろう。ただし、体型はかなりちがう。愛理ちゃんは母性的な豊満な体型で、私は少年じみた細い体型。長身で細いと洋服は似合うのだが、
この体格のせいでいっそう背が高く見え、男みたいだと言われる傾向もあるのだろう。
 そして、金子将一は私よりもさらに十センチは高い。丸い小型のテーブルに三人ですわって、身近で見ると、金子くんのセンスのよさもたいそうよくわかる。
 ほどほどに筋肉質で長身なのだから、金子くんも洋服は似合う体格をしている。脚も長い上に顔もいいときたら、よほど惨憺たるセンスの持ち主でもない限りは、なにを着てもよく似合うのだろう。
 ごく淡いベージュの麻のジャケット、白いシャツ、シャツには薔薇の地模様が入っていて、パンツは暗い紫。ネクタイではなく、暗赤色の幻想的な薔薇のコサージュが胸元を飾っている。やはりこのセンスは一般の男ではない。
 車の中でも、私は太ってるから、と言っていた愛理ちゃんは、黒のワンピースだ。ルーズフィットのワンピースにビーズのネックレスが似合っていて、金子くんとはお似合いのカップルに見える。
 私は通勤着なのだが、グレイをベースにしたアブストラクトプリントのチュニックブラウスに、スキニーな色落ちジーンズ。ブラウスの生地がソフトめなので、そうカジュアルではない。このカップルとあまりにも雰囲気がちがっていなくてよかった。
「服部さんはファッション関係のお仕事ですものね。さすがにセンスがよくって素敵」
「ありがとう、愛理ちゃん。ファッションっていうか、店員だけどね」
「服部さんのお仕事は不本意なんですか」
「そうでもないよ。まあまあ楽しい」
 最初はファッションや仕事の話をしていた。愛理ちゃんが綺麗な声で私の服を褒めてくれ、金子くんが的確な合いの手を入れる。このふたりは息も合っていると見えた。
 十八のころからふっくらお母さんのようでいて、その実は泣き虫なわがまま娘っぽさもあった愛理ちゃん。十八のころから変に大人びていて悠然としすぎで、たったひとつ年上なだけなのに、愛理ちゃんをとことん子供扱いして可愛がっていた金子くん。
 そりゃあ私は彼女と彼の私生活のすべてを知っていたのではないけれど、私の目には彼らはそう映っていた。
 十九歳の金子くんと、十八歳の愛理ちゃんが大学で出会い、彼女は彼に勧誘されて合唱部に入部したのだと聞いている。
 それから十五年? なんて時が経つのは早いのだろう。ついついそんな感慨にふけりそうにもなるのだが、三人でワインを飲んで無国籍料理を食べて、和やかに会話をしながらも、私はこのカップルを注意深く見ていた。
「これ、ものすごーくカロリーが高くない?」
「バターを使ってるから、高いのかな」
「植物性オイルとバターはカロリーが同じなのよ。金子さん、知らないの?」
「ああ、そうだったね。オイリーな食いものはどうしたってカロリーが高くなるだろ。今夜くらいはダイエットなんて言うなよ」
「今夜くらいって、いっつもそう言うじゃない。金子さんは高級な店に連れてきてくれるから、そういう店で食べるとカロリー過多になるんだよ。何キロカロリーあるんだか、お店のひとに聞いてみようかな」
「愛理ちゃん、カロリーばっかり気にしてたら、メシがまずくなるよ。慎みなさい」
「命令しないで」
 あらあらあら、険悪な雰囲気? 私が見つめると、愛理ちゃんはつんとした。
「服部さんはそんなに細いんだし、金子さんだって食べても太らないんだからいいよね」
「食べても太らないっていうか、俺は食生活が不規則だからだろ。食いすぎたらジョギングしたり、ジムに通ったりもしてるんだよ。カズハちゃん、きみからも愛理ちゃんに言ってやって」
「服部さんみたいにスリムな女性に言われたら、私、かえって気分よくない」
「愛理ちゃん、失礼な言葉は……」
 金子くんにたしなめられて、愛理ちゃんは素直に私に詫びた。
「あ、服部さん、ごめんなさい」
「ううん、いいんだけどね。ま、私はたしかに細いよね。だけど、それはそれで悩みも……」
「細い女性の悩みってなんですか」
「だからさ、細すぎて男の子みたいだとか、よけいに背が高く見えるだとか」
「……うらやましい。私もそんなこと、言ってみたい」
 ますますすねさせたようで、逆効果だったかと後悔していると、愛理ちゃんは言った。
「服部さんは大食漢じゃなさそうですけど、食べても太らない体質なんですか」
「胃下垂気味かな」
「……うらやましい。私も胃下垂になりたい」
「そんなもん、なろうったってなれるんじゃないし、ならないほうがいいよ」
「……ええと……」
「食事中に尾篭な話しになりそうだから、愛理ちゃん、追求しないでね」
「そうですね。だけど、金子さん、私、せめてデザートはパスするからね。ワインもここまで」
「ワインも太るんだね。しかし、俺は飲む。カロリー過多は運動で解消すればいいんだよ」
 あるいは、私ひとりに飲ませるわけにはいかないから、金子くんもつきあってくれるつもりなのだろうか。そういった心配りは金子将一の得意技だった。
「いいないいな、私もなんの心配もしないで、好きなだけ食べたり飲んだりしたいな」
「そうすればいいじゃないか」
「できないから言ってるの。金子さんも服部さんも、太ったことなんかないんでしょ。そんなひとにはわからないの。おふたりはお好きに、どんどん食べて飲んで下さい」
 気になっていたことを質問してみた。
「金子くん、車はどうするの?」
「ここの駐車場に置かせてもらって、帰りはタクシーにするよ。カズハちゃんも送っていくからね」
「私はいいんだけど、駐車場の料金が……私が気にしなくていいのか。大富豪だもんね」
「誰が?」
「あなたが」
 親しげに話すと愛理ちゃんが気を悪くするのかと、ちらっと見てみると、愛理ちゃんはフォークでシーフードフライをぐちゃぐちゃにしていた。
「愛理ちゃん、食べものを粗末にしたら駄目だよ」
「……服部さんまでお説教するんですか」
「そんなふうにするんだったら私が食べる」
「いいですよねぇ、食べても太らないひとは」
 しつこいね、あんたは、と怒りそうになっていたら、金子くんが言った。
「愛理ちゃん、いい加減にしなさい。いい子だからね」
「……いーっだ。私はリリヤちゃんちのおちびちゃんじゃありませんよーだ」
 リリヤとは金子くんの妹で、三児の母になっているとは私も聞いている。そっかー、と思って私は言った。
「似たようなものかもね」
「もうっ、服部さんまでっ」
「学生のころはリリヤちゃんと……今ではリリヤちゃんちのおちびちゃんと……」
「服部さん、なんですか?」
「いいえ、別に」
 同一視、とは口に出せないが、そんなところはあるのかもしれない。
 太るのダイエットのカロリーの、とまだしつこく言っている愛理ちゃんに身を寄せて、その耳元で金子くんがなにやら言った。
「……もうっ、だから……命令しないでってば。そんなのいやだからね」
「さあ、どうしようかな」
「……そんなことしたら……できないくせに……」
「できなくはないさ。やろうと思ったら簡単だよ」
「できませんっ」
「できるよ」
「できてもしたら駄目」
 なにをもめているのか知らないが、このふたりの関係は今ではどうなっているのだろう。考えてもよくはわからなくて、私が関わる必要もないか、と考え直し、私はおいしい料理に集中することにした。
 
 
2

 大半が二十代参加であるらしき合コンなんて、行きたくなかったのだが、ナオちゃんが熱心に誘ってくれるので来てみた。来てはみたものの、後悔しか起きない。
 高校生から大学生にかけては、私は信勝ただひとりだった。信勝と別れて就職し、女性相手の仕事になったせいもあって、恋はほとんど訪れてこなかった。そうは言っても彼氏のひとり、ふたりはいたのだが、深いつきあいもしないままに別れた。
 恋多きの正反対の恋少なき人生を歩んで三十四年。近頃では恋は面倒だと思わなくもなくて、いやいや、そんなことではいけない、と考え直して合コンに参加してみたのだが、やっぱり来ないほうがよかった。
「遅くなりまして……」
 二十代男女の中で浮かび上がり、ひとりで料理を食べている私の耳に、途中参加らしき男の声が聞こえてきた。目をやると、彼は若くはない。彼も参加者を見渡し、私と年頃が近いと見て取ったか、近づいてきた。
「こんばんは。僕は信太と申します。こう書いてしのだです」
 手渡してくれた名刺によると、「信太高男」だ。音楽雑誌の編集者の肩書きがあり、私も名刺を手渡すと、彼は私の近くの席にすわった。
「服部一葉さん。カズハさんとお読みするんですね。いいお名前ですね」
「ありがとう」
「ブティックの店長さんですか。さすがにセンスもよくてかっこいいですね」
「そうですか。ありがとうございます」
 あなたもかっこいいね、とは言いにくい。私よりも背が低いようで、いくぶんずんぐりしているのだが、仕事柄か話題は豊富で、音楽の話を次から次へとしてくれた。
「私にも音楽関係の友人は何人かいるんですよ」
「ほお、プロのミュージシャン?」
「金子将一、徳永渉、フォレストシンガーズ、チキンスキンの柴垣安武。みんな私の大学時代の友達です。柴垣くん以外は合唱部も同じでした」
「僕のいる部門はロックだから、他の方はよくは知りませんね。チキンスキンは知ってますけど、柴垣さんとはお会いしたことはありません」
「ロックなんですよね」
 音楽雑誌はあまり読まないが、「ミュージックジャンキー」の誌名には聞き覚えがある。さまざまな音楽を扱う雑誌の、ロック部門に信太さんは所属しているのだそうだ。
「先日はグラブダブドリブのインタビューをさせてもらったんですよ。服部さんもファン? 目が輝いてる」
「そりゃあそうですよ。私は中学生くらいのころからロックが好きで、海外ロックが特に好きで、日本のロックにはそんなに興味はなかったんだけど、グラブダブドリブっていうと気になります。特別にファンでもないけど、インタビューはどんな感じだったんですか」
「中根悠介にね……」
 グラブダブドリブのギタリストだ。ライヴには行ったことがないが、CDを持っているので知っている。長身の素晴らしい美形の中根悠介との会話を、信太さんが話してくれた。
「無愛想で口の荒い奴でしてね、えー、アーティストとして……と僕が言いかけたら、アーティストって誰が? 俺はアーティストなんかじゃねえぞ、とかまされた。アーティストじゃなくてミュージシャンなんだそうですよ。どっちだって同じでしょうに」
「同じではない、とね。金子くんも言ってたな。俺は芸術家じゃないよ、歌うたいだ、って。私はそっちの姿勢のほうが好き」
「そうなんですか。言葉は言葉にすぎないんだから、拘泥する必要はないと思いますがね」
「金子くんは拘泥するんです。中根さんもあのタイプなのかな」
「金子さんを僕は知らないから、なんとも言えませんが」
「そうですよね」
 そんな話しをしている間にも、若いカップルがひと組、ふた組、店から消えていく。ナオちゃんは最初は私に気を使ってくれていたのだが、私が信太さんと話しているのに安心したのか、数人のグループで二次会に行くと言って出ていった。
「みんな消えていくみたいですね」
「僕らも出ませんか? 僕は取引先の若いのに誘われて来てみたんだけど、来てよかったですよ。あなたにお会いできたんだから」
「……ロックの話が合うから?」
「それだけではありません。席を移してゆっくり飲んで、もっと語り合いましょう。服部さんはひとり暮らしなのでしょう?」
「そうです。終電に乗れたらいいんですけど……」
「なら、行きましょうよ」
 いやではなかったので、ふたりで店を出た。参加料を払ってあるのだから、支払いは幹事がしてくれているので気が楽だ。外に出て並んで歩き出すと、信太さんはやはり私よりも背が低かった。
「どこに行きましょうか。飲みますか。服部さんはお酒には強いようですね」
「強いですよ。お酒も料理もしっかり食べて飲んだから、行くんだったらラーメンとか……」
 ラーメン? 言っておいてかぶりを振る。信勝が妻の信子さんと営んでいるラーメン屋はここから近い。そんなところに信太さんと行って、信勝に見せてやりたいと? なんとあさましい考えだ、とおのれを叱りつけていると、信太さんは言った。
「おなかはいっぱいになったんだったら、大人のつきあいをしませんか」
「……意味不明」
「わかってるくせに。いやですか」
「いやです」
「早すぎる? 次回にでも?」
「次回があればね」
 外見は冴えないけれど、話題が豊富で面白い男だ。彼と話していると楽しかったのだから、もう一度会ってほしいと言われたら、拒否はしなかっただろう。
 けれど、大人のつきあい? いきなりそこからはじめるつもりか。彼と普通に交際して、気分が高まっていったのならば、ベッドに入ってもかまわない。私は外見で男を選んだりはしない。金子くんみたいに背が高くて綺麗な顔をした男となんか、恋はしたくない。
 しかし、いきなりはいやだ。あんたもあさましいんだよ、と心で信太さんに言って背を向けた。
「すみません。突然すぎましたね。僕はあなたが好きですよ。せめて電話番号でも……」
「ケータイくらいだったら……」
 そこまでは拒否できず、教えてしまった。信太さんも電話番号を教えてくれ、あっさりバイバイを言った。
 翌日には早速電話がかかってきて、デートしようと言う。いいけどね、と答えたらそういうことになってしまって、店の従業員控え室で電話を切ったところに、ナオちゃんが入ってきた。
「店長、聞こえちゃいました。昨夜の彼?」
「うん、まあね」
「デートですか。いい感じに進んでるんですね」
「ナオちゃんはどうなったの?」
「いい男もいなかったし、私はいいんだ、また今度」
「そうか。私もねえ、信太さんってまあ、悪くはないけど……」
「私には次も、その次もあるけど、店長にはそうそう機会はないでしょう。結婚したくないんですか。信太さんっていうんですね。私はあのひと、まったく知らないけど、仕事は?」
 これだから若い子は嫌いだ。ナオちゃんは嫌いではなかったのだが、無遠慮な台詞に腹を立てそうになったのをこらえて、信太さんに聞いた話をした。
「音楽雑誌の編集者? 店長は音楽好きだし、お似合いじゃありませんか。店長は背が高いんだから、自分より高い男を求めてもそんなには……」
「背はいいの。私より背の高い男はいくらでもいるけど、そんなの求めてないの。別に結婚もしたくはないけど、デートだったらいいよね」
「結婚したくないんですか」
「結婚したいと思える男が出てきたら、してもいいよ」
「そう言ってる間に、本物のおばさんになっちゃいますよ」
「ご忠告ありがとう」
「いえいえ、どう致しまして」
 適当にあしらって、さあ、仕事、と言うと、ナオちゃんも私の部下の顔になった。
 

 そんなには好きになれなくても、恋でもなくても、信太さんと話しているのは楽しい。デートなんて久しぶりなのだから、男とふたりきりで飲んだり食べたりして、テーブルごしに笑い合うのも楽しくなくはない。
 そうして幾度かデートして、そろそろいいんじゃないの? と信太さんに言われてホテルに行った。ずんぐりむっくりが裸になると際立って、ぽっこりおなかにげげげとなったのだが、私にふさわしい年頃の男はこんなものか。
 金子くんみたいのが異常なのであって、三十代半ばとなるとこれが普通なのだろう。私は外見は気にしないんだよ、と自分に言い聞かせて、彼と抱き合った。
 が、気持ちは浮き立たない。ナオちゃんはあれからも、信太さんとの進展は? 結婚は? などと訊きたがるのだが、そう言われるのがわずらわしい。考えてみれば私は、信勝以外の男に恋をしたことがないのだった。
 私ってつめたい心の女なんだろうか。信勝にこだわっているわけでもあるまいし、別の恋ができたらいいのに、恋って向いていないんだろうか、などなどと考えていたころに、金子くんがひとりで店に入ってきた。
「愛理ちゃんは?」
「この間はたまたまいっしょだったけど、愛理ちゃんは恋人でもないんだから、いつも連れ立ってはいないよ。カズハちゃんは俺とデートしてくれる時間はある?」
「デートなんかじゃないけど、おごってくれるんだったら行く」
 恋人ではないのか、そんならなんだろ、と考え、まあいいか、私には関係ないんだし、と考え直し、金子くんとこの間のレストランに行った。
「あの日は聞かなかったけど、カズハちゃんは彼は?」
「彼って言うのかな。つきあってるひとはいるの」
「そうなんだね。じゃあ、俺とこうしていたら彼が妬かない? 悪いことをしたかな」
「いいの」
 だって、金子くんと食べたり飲んだりしているほうが、彼といるよりも楽しいよ。彼とだって楽しくなくはないけれど、恋愛のようなものと、恋愛では断じてないつきあいとだったら、後者のほうが気楽でいいんだ。
 やはり私は恋愛には向かないのかと考えつつも、金子くんには当たり障りのない部分の、信太さんとの交際を話した。
「音楽雑誌の編集者で、グラブダブドリブにもインタビューしたって? カズハちゃんとは趣味が似てるんだね。いいカップルなんだろうね」
「まあ、そうなんだろうね」
「そのわりには浮かない顔に見えなくもないけど、俺の気のせいかな。恋愛ブルーってやつもあるんだろうか」
「ブルーじゃないよ」
「そう? ああ、グラブダブドリブって言ったらね……ちょっと待ってて」
 席を立っていった金子くんが、店のひととふたこと、みこと言い交わし、席に戻ってきた。
「俺は一応は彼らとは同業者だし、面識はあるんだよ。カズハちゃんもファンなんだったら紹介しようか。沢崎司が別の店で飲んでるって情報があるんだ」
「ファンでもないけど、会ってみたい」
「うん、行こう」
 音楽関係者御用達の店であるらしき、近くのバーに連れていかれると、金子くんは店のひとに確認して、奥まった場所へと私を伴っていった。個室のドアをノックして、金子くんは中に声をかけた。
「こんばんは、金子です。沢崎くんはひとり?」
「ああ。ひとりだ」
「女性連れですが、よろしいかな」
「女って? あんたの彼女か」
「そうじゃなくて友達なんだけど、グラブダブドリブの大ファンだそうでね」
 そうでもないのだが、グラブダブドリブのベーシストの沢崎司に会えるとなると胸がどきつくのだから、ファンでなくはない。金子くんは私にウィンクし、ドアを開けた。
「こんばんは、どうぞ」
 ぶっきらぼうに言ったのは、ワイルドな顔立ちで長身の沢崎司。金子くんと同じくらいの背丈だろう。金子くんはそこそこ有名なくせにふらふら出歩いているようだが、金子将一以上の有名人たるロッカーは、ひとりでいても個室にこもっているのだ。
「服部一葉さんっていってね、合唱部時代の同級生だよ。徳永ともフォレストシンガーズの面々とも、柴垣とも顔見知りだ」
「柴垣とも? あなたはパンクロック趣味?」
 彼は柴垣くんを知っているらしい。意外だったのだが、かなりの差があるとはいえ、同業者ではあるのだから意外ではないのかもしれない。初対面の挨拶をすませ、テーブルに三人ですわると、沢崎さんは言った。
「あなたはロックやってるの? 合唱部だったんだったらやってないのか」
「バンドをやったりとかはないんです。聴くのが好きなだけです」
「歌うんでしょ? ロックナンバー歌って」
「金子くんの前では歌えない」
「気にしなくていいだろ。こいつは歌はたしかに相当うまいけど、それでもジェイミーは言ってたぜ。俺の敵ではなーい、だそうだ」
 ジェイミーとはグラブダブドリブのヴォーカリストだ。ドラムのドルフ、キーボードのボビー、沢崎さんは仲間たちの逸話も話してくれた。
「うちのドルフがフォレストシンガーズの木村章と昔の知り合いで、そんなこんなで俺たちもあいつらとはちっとは顔見知りになったんだよ。ボビーも章と話したって言ってたし、悠介と俺は本橋や乾や美江子さんともちょっとね。同じ五人のメンバーとはいえ、俺たちとあいつらはずいぶんちがったグループだけどさ。な、金子さん?」
「ちがうんだろうね。グラブダブドリブには体育会体質はないんだろ」
「ドルフは体育大を出てるんだけど、根はロッカーだから」
「沢崎くんは剣道もやってたんだろ」
「あ、私も知ってる」
 同じ業界というものは、狭いというか、あちこちでちょこっとは接点があるらしい。そんな話を私も興味深く聞いていると、金子くんがふと言った。
「ミュージックジャンキーって雑誌、知ってる?」
「知ってるよ。二、三ヶ月前か、悠介が代表してインタビューを受けた」
「じゃあ、信太さんも知ってるんだ」
「悠介にインタビューしにきた記者だろ。覚えてるよ。あいつは阿呆だって悠介が言ってた」
「……あのね、沢崎くん?」
 苦笑いするしかない私の気持ちには気づくわけもない、沢崎さんは続けた。
「あの阿呆はさ、悠介にインタビューして軽くあしらわれたせいか、そのうちには悠介に話を聞くよりも、てめえの話しをしはじめやがったんだそうだ。インタビュアーとしてはその姿勢はまちがってるんだけど、そのうちには説教されてるみたいになってきて、悠介はうんざりして、途中で席を蹴立てたくなったと言ってたぜ」
「説教って?」
 金子くんも苦笑いで尋ね、沢崎さんは言った。
「ロッカーなんてのは居場所も定まらないふらふらした奴らだけど、やはり人間はきちんと結婚して、きちんと子供も育てて、人間としての義務を果たすべきですな、だとか言ってやがったらしいよ」
「……信太さんは独身だろ」
「いいや。結婚してて子供もいるってよ。悠介に子供の写真を見せて、いらねえよ、そんなもん、って悠介は言ったらしい」
「……カズハちゃん?」
 知らず凍りついた私を、金子くんがしかめた顔で見る。沢崎さんも言った。
「俺、なんか言ったか? カズハちゃん、信太ってきみのなにか?」
「いいえ。私は知らないひとです。金子くんの知り合いでしょ」
「あ、ああ、そうだ。俺も彼にインタビューを受けるって話が来てるんで、沢崎くんに確認したかったんだよ。阿呆なんだったらそれなりの対処をしなくちゃな」
「あんたにもかよ。中根悠介に続くは金子将一か。信太も気の毒だな」
「なぜ?」
「いやいや、いいんだけど」
 沢崎さんは金子くんよりは年下なのだそうで、多少は言葉遣いに遠慮をしているらしい。おまえではなくあんたなのがそのあらわれなのであろう。
 ロッカーでもそんな気は遣うんだね、なんて笑おうとしたのだが、笑みが強張る。あの野郎、私をだましてたな、と思うと怒り出しそうになって、怒らないでいるのに骨が折れた。金子くんは事情を察しているのだろうから、話が途切れた潮に、沢崎さんに言った。
「ひとりで飲んでるのにあまり邪魔をしたらいけないね。カズハちゃん、おいとましようか」
「そうね。沢崎さん、楽しい話をありがとうございました。サインしていただいてもいいですか」
「いいよ、ってか、ファンの方にサインをさせていただくのは嬉しいですよ。うちの奴らはみーんな傲慢だけど、俺はそうでもないんだ。カズハちゃん、キスもしていい?」
「やめて下さい」
 そう言ったのは金子くんで、沢崎さんは険悪な表情になった。
「あんたがやめろって言う権利があるのか。邪魔なのはあんたひとりだよ。カズハちゃんはここに残って、あんただけが出ていけば?」
「カズハちゃん、キスしてもらいたい?」
「うん」
「……いいの、カズハちゃん?」
「いいの」
 すこーし自棄になっていたのか、私は目を閉じ、沢崎さんのキスをくちびるに受けた。金子くんが焦った声を出し、私はきゃははと笑った。
「カズハちゃん……キスったってくちびるってのは……沢崎、やりすぎだろ」
「ほおお、怒った? やるか」
「やらねえよ。カズハちゃん、きみが怒れ」
「私は怒ってないもん。沢崎さん、とーってもいい気持ちでしたよ」
「だろ。ただのファンじゃなくて……おっととと、金子将一が本気で怒ると、勝ち目のある奴はいなくなるって評判もあるから、ほどほどにしておくよ。カズハちゃんがやれと言うんだったらやるけど、どうする?」
「……ここまででいいです」
「当たり前だろ」
 へーっだ、けっ、と沢崎さんはうそぶき、金子くんはちょっぴり怒っている。
 学生時代に信勝と喧嘩をしていたころに、星さんがキスしてくれた。金子くんもキスしてくれた。かっこいい男のキスは、ほんのひととき気持ちをそらしてくれるのには役立つ。こんな大スターにキスしてもらったのに、金子くんが怒らなくてもいいじゃない、という目で見ると、金子くんは肩を落とした。
 沢崎さんを残して個室の外に出ると、思い出して腹が立ってきた。金子くんも無言になって、ふたりで店からも出て歩いていた。
 結婚しているにも関わらず、合コンに来るだけでも許しがたいのに、最初から信太はああいう態度だったのだから、ただそれだけが目的で、あの場にいたもっとも年上の女に声をかけたのか。私はものほしそうに見えたのか。
 悔しい。なんにも気づかず、彼は独身だと確認もせず、流されてしまった私が悔しい。恋人のいない現在の境遇が、やはり私は寂しかったのか。だからこそ、卑しい男の卑しい手段にはまってしまったのか。
「……悔しい!!」
 思わず小声で叫ぶと、金子くんが私の肩を抱き寄せた。
「愛理ちゃんには悪いけど、そうしててくれると嬉しい」
「いいの、怒らない?」
「今だけはね。私、気持ちが弱くなってるよ。あんな男に未練はないが、自分自身が情けなくて悔しくて、なにかに当たりたい」
「当たってもいいよ」
「どうやって? 殴っていい?」
「それであなたの気持ちが落ち着くのならば、どうぞ」
「私のパンチ、けっこう効くよ。鼻を折っていい? 愛理ちゃんに仕返しされそうだな」
「愛理ちゃんの話はいいから、どうするの?」
「あいつ? 殴るんだったらあいつを殴ってやりたい」
「そのくらいしてもいいだろうな。俺もそいつをぶん殴ってやりたいよ」
 背の高い男の顔を見上げると、友達としての優しいまなざしと出会う。私はそんなに大女ではないのだから、私よりも背の高い男はどこにだっているけれど、今だけは、金子くんの優しさに甘えたくなった。
「金子くんに殴られたら、あいつは再起不能になるよ。そうなったっていいんだけど、金子くんが暴行罪で訴えられたら大変だし、気持ちだけありがとう」
「俺のパンチはカズハちゃんよりも弱いよ」
「嘘はいいからさ。仕返しもあさましいかな。忘れる。別れる」
「仕返しね……復讐なんてものは、そうしたいと願う人間こそを惨めにさせるのかもしれない。一発ぶん殴ってやる程度がいいんだけど、現代人はそうもいかないか」
「いかないよね。金子くん、今夜はありがとう」
「キスしていい?」
「うん、して」
 友達へのキスはおでこにだった。

 
3

 たまーに少人数の合唱部同窓会が開かれているのだそうだが、私は出席するのははじめてだ。金子くんが私を誘ってくれて、気後れしなくもない気分で、会場のレストランに顔を出した。
「お、カズハちゃん」
 真っ先に私に声をかけてくれたのは、皆実くんだった。
「久しぶり。金子くんは来ないの?」
「来る予定だって言ってたけど、あいつは忙しいから、遅刻するんだろうな。本日は俺たちと同学年はきみと俺だけだよ。あとは若い奴らばかりだ」
「えーと、誰か有名人は……」
 有名人になっているかつての仲間はひとりも来ていない。皆実くんの言う通りで、私たちよりもぐっと年下の顔、顔、顔。知ってるひとはいないかな、と見回しても、今のところは皆実くん以外はいない。レストランの広間で皆実くんと話した。
「皆実くんも知った顔がいなくて、心細かった?」
「こういう会ってのはサラリーマンは慣れないもんでね。会話のできる相手がいないとつまらないよ。カズハちゃんが来てくれてよかった」
「私も、皆実くんにすがっちゃう」
「うん、お互いすがろう」
 そこに、若い男がやってきた。
「今夜の幹事の岸本と申します。皆実さんと服部さんでいらしゃいますね。俺は先輩方よりも七年年下に当たりまして、四年生当時には男子部の副キャプテンをつとめておりました。俺の年のキャプテンだった椎名とともに幹事をつとめることになったのですが、椎名は急用で来られなくなりまして、俺がひとりでやらせてもらいます。よろしくお願いします」
「皆実です。いい挨拶だな」
「服部です。ご丁寧にどうも。すると、岸本さんが一年生の年のキャプテンは?」
「三沢さんです」
「ああ、そうなんだ」
 彼は合唱部出身有名人の一員なのだからして、三沢の名前だけで皆にわかる。私は三沢くんとは触れ合いがなかったのだが、フォレストシンガーズの三沢幸生だと知っている。そこからは後輩たちも話しに加わってきて、あなたの年のキャプテンは? などなどの会話が展開していく。
 どうやらこの場では、皆実くんと私が最年長のようだ。近頃はどこにいても最年長だな、なんて考えながらも、椎名くんって私も知ってるけど、あの椎名くんの弟? へええ、などの話題も繰り広げられていった。
 そうしている間にも、遅れてやってくるひともいる。と、岸本くんがドアのほうを見やって、あ、酒巻さーん、と呼んだ。酒巻? あ、となった私も言った。
「DJの酒巻さん? 私は知らないでしょうけど、金子さんと同い年の服部っていうんですよ。ラジオは聴かせてもらってます」
「服部さんですか。はじめまして。ラジオを聴いていただいているとは、ありがとうございます。でも、僕はお名前は存じ上げています。金子さんから聞いたんです。背が高くて凛々しくてかっこいい服部一葉さん、ですよね?」
「凛々しくもかっこよくもないけど、そのカズハです」
「感激です。お会いできて嬉しいです」
 深く腰を折ってお辞儀をする酒巻くんに、皆実くんも言った。
「俺の噂もしてるのかな、金子は」
「金子と呼び捨てになさる先輩は……皆実さんでいらっしゃいますか」
「あいつはやっぱりお喋り男だな。はい、その皆実ですよ」
「うわー」
 小柄な酒巻くんは皆実くんと私を交互に見上げ、ほげっとした顔で言った。
「皆実さんのお噂というよりも、僕の知らなかった時代の合唱部の話しを、金子さんにしていただいてるんです。噂通りですよ。なんでも、本橋さんと乾さんが一年生だった時代には、男子部にものすごくかっこいい男性がいらした。星さんに金子さんに皆実さんに徳永さん。僕は他のお三方とはお会いしましたが、皆実さんだけは知らなかったんです。金子さんにお写真は見せていただきましたけど、実物はもっとかっこいいですね」
「俺も酒巻くんの名前は金子から聞いてるよ。掛け違ってて会わなかったんだな。よろしく」
「はい、今後ともどうぞよろしくお願いします」
 二十名くらいは出席しているだろうか。そのうちの数名の後輩たちが酒巻くんと皆実くんと私を取り囲み、昔の合唱部の話やら、DJの酒巻くんの話やら、金子くんや徳永くんやフォレストシンガーズの話やらをして下さい、とせがんでいた。
「うんうん、順番にね。まずは皆実さんに話してもらおうよ。ざっと見渡したところでは、僕はこの中では皆実さん、服部さんに次ぐ年長なんだね。こんなのって珍しいっていうか、あ、若槻さんも倉石さんも来てるんだ。こっちにおいでよ」
 酒巻くんに呼ばれて、私の知らない若い女性がふたり、寄ってきて私にも会釈してくれた。
 そうすると、酒巻くんでさえも私よりは五つも下。他はさらに年下。卒業して何年もたつと学生時代は薄れていくのだろうから、若い世代が集まるのは当然なのかもしれない。酒巻くんが会場に散らばっている後輩たちを呼び集め、皆実くんを囲んだ。
「俺が中心になるのか。酒巻のほうが喋りは得意だろ」
「皆実さんはあの金子さんに口でも負けなかったんでしょ。聞いてますよ」
「あいつはまたよけいなことを……後輩たちって金子を尊敬してるんだろ」
「はい、してます」
 皆実くんと酒巻くんが、金子将一を肴にして会話を進めていくのを、私も後輩たちにまじって聞いていた。
「ここにいる連中は、リアルタイムでは金子の学生時代を見てないんだな」
「そうです。僕も見ていません」
「なんの話をしようかな。そうやって後輩たちに尊敬されてるプロシンガーの金子将一の名誉を損なうような話は……カズハちゃん、なにかある?」
「あるかもしれないね」
「そういうのをこそ聞きたいですよ。みんなもそうでしょ?」
 一斉に後輩たちがうなずき、皆実くんはいたずらっぽい表情になって言った。
「金子と俺は二年生のときから、合唱部の新入生勧誘活動に駆り出されてたんだ。二年、三年のころは先輩たちが新入生を勧誘している横に立って、合唱部に入部したい、って言ってくる一年生の案内係をやってた。そんなときでも金子はさ……」
「はい、わくわくしますね。ね、みんな?」
 さすがはDJなのだろう。酒巻くんは人の話を聞き出すのがうまい。皆実くんも楽しそうに話していた。
「女の子が来たら、くれぐれも男子部には行かないように、男子部は野蛮だから、って言ったり、お美しい方ですね、あなたが入部して下さったら、女子部はいっそう花園のごとくになりますよ、って言ってみたり、あいつの口数が多すぎるのを、俺が阻止してみたり。考えてみたら、俺は金子の制御装置みたいなものだったな」
「金子くんと皆実くんが案内係をやってたら、それだけでも女子の入部希望者が殺到するからじゃないの? ねえ、酒巻くん?」
 私も言うと、酒巻くんは真面目にうなずいた。
「そうでしょうね。僕が女の子だったとしたら、ぽーっとなっちゃいますよ」
「金子の口数の多さってのは、時には辟易させられたけど、あの口はたいしたもんだよ。あいつは……そうそう、こんなこともあったな」
 皆実くんも話し上手で、後輩たちを笑わせたり感心させたりしている。まるでラジオでも聞いているかのように、私も皆実くんと酒巻くんのやりとりに引き込まれていっていた。
「カズハちゃんは星さんに勧誘されたんだったか?」
 いくつかのエピソードを話してから、皆実くんが私に話を振った。
「そう。星さんと金子くんだった。私は金子くんが嫌いだったんだよ」
 え、どうして? と女の子たちも、酒巻くんも怪訝そうな顔をした。
「背の高い男は嫌いだって。なんでだかそう決めてたの。なんでだか、じゃないな。私の当時の彼氏は私よりも背が低くて、身長コンプレックスが強くてね、だからなのかな。私も背の高い男は嫌いだったんだ。金子将一は気障だったしさ」
「気障ってのは言えてなくもないな」
「でしょ、皆実くん?」
「金子さんを女性の視点で語っていただくのも、僕は興味深いです。服部さんももっと話して下さいますか」
「うん、酒巻くん。金子将一に到達する前には、私の彼の話しってのがあるんだけど、彼とは私が三年生の年に別れたの。その彼と数年前に再会したら、彼は結婚してた。よくある話だけどさ、落ち込んじゃったな。そうそう、皆実くんだったんだよね」
「俺?」
「私の彼と私の仲を修復してくれたじゃない」
「そうだったか」
 忘れてしまったのか、忘れていないのに忘れたと言いたいのか。皆実くんは首をかしげ、私は言った。
「そうだったんだよ。金子くんの話しばっかりしてるけど、ここにいる皆実先輩も男気があって、かっこいい男なんだから」
「カズハちゃん……俺の話しはいいだろ」
「だそうですから、このくらいにしておきましょうか。酒巻くん、話しの邪魔をしてごめんね」
「いいえ、とんでもありません」
「ちょっと風に当たってくるね」
 酒巻くんと皆実くんはさきほどの話の続きをはじめ、私は信勝へのかつての想いを噛み締めながら、バルコニーへと出ていった。
 あれからだって六年も七年もたつのに、信勝の話を、なんだって今さらしたくなったのだろう。相手は後輩たちとはいえ、平素はなんの関わりもないひとたちだからだろうか。皆実くんにも聞いてほしかったからだろうか。
 恋のできない私ではなく、昔はまぎれもなく恋をしていたと、自分自身に言い聞かせたからだったのだろうか。
 あんな奴、信太なんて奴には、恋をしていなくて幸いだったではないか。だからこそ痛手もさしたるものではなかったのだ。だまされたと知って腹を立てただけで、ショックでもなかった。
 メールで縁切りを申し渡してやろうと、私はあれこれ考えた。「奥さまと仲良くね」? 「子供さんの写真、いつか見せてね」? 「既婚者は合コンになんか来ないでね」? 信太に激震を与えるほどの文面は思いつかなかったので、「二度と連絡してこないでね。知ったんだから」と書いてメールを送った。
 そのあとで着信もメールも届いたのだが、電話には出ず、メールはすべて中身を読まずに削除し、それからすべて拒否にした。自宅電話は教えていなくてよかった。ケータイだったら最終的には買い換えるという手段もあるのだから。
 それだけの仲。あんなの全然恋ではなかった。ただの通りすがり。ベッドでつきあっただけさ。なのになんだか、疲れてしまった。
 今日は楽しかったけど、帰ろうかな。そう思って、店のひとに伝言を残した。幹事の岸本さんに、服部はお先に失礼します、と伝えて下さい、と言い残してレストランから出ていった。疲れたのは今夜のひとときではなく、あいつのせいだったのだろうか。
 あいつ、あいつ、信太のくそったれ野郎。やっぱり腹が立つ。未練ではなく腹立ちでいっぱいになって歩いていると、私の目の前にそいつが出現した。
「う……なんであんたがここにいるの?」
「カズハさん、僕の釈明を聞いて」
「聞きたくない」
「……たしかに僕は結婚してるよ。子供もいるよ。しかし、妻とは離婚寸前なんだ」
「グラブダブドリブの中根さんに、子供の写真を見せてお説教したそうじゃない。そんな常套句、聞きたくないね」
「……」
 足を速めてもついてきていた信太は、私の腕をつかんで引き止め、言った。
「きみが電話にも出てくれないから、ブティックに行ったんだよ。ナオちゃんだっけ? 彼女には詳しくは話してないんだね」
「あの子もうるさいから、このごろはそんな話はしてないな。ナオちゃんが私がここに来てるって言ったの?」
 今夜はデートですかー、とナオちゃんに訊かれ、合唱部のみんなとデートするの、と答えた。なんの気なしにレストランの名前も話した。
「そうだよ。ナオちゃんが教えてくれたんだ。お迎えにいくんですか、なんて言われたから、話を合わせておいたんだよ。僕はきみに会いたかったんだ」
「私は会いたくない。二度と私の目の前に出てこないで下さい」
「きみだって楽しんだんだろ」
「卑しい男とは二度と口もききたくない。消えないとひっぱたくよ」
「ほおお」
 ずんぐりした信太は、顔立ちも愛嬌のあるタイプだ。その顔にどす黒い表情を浮かべて、下卑た口調で彼は言った。
「僕はきみを哀れに思って、男に飢えてる寂しい女なんだろうと思って、声をかけてやったんじゃないか。きみは年だって食ってるし、そんなに背も高いし、あの合コンに来てた男たちには敬遠されて沈んでただろ」
「沈んでたっていうよりは、浮いてたけどね」
「沈んでたよ。だから僕が……一度目はもったいつけて断ったけど、脈はありそうだからデートに誘ったんだ。誰がきみみたいなでかい女に声をかけてくれるんだよ。僕は寂しいきみを救ってやったんだ。寝たのはきみも同意したからだろ。僕に妻がいようがいまいが、寝るだけだったらいいじゃないか。どうせそれだけのつきあいなんだから。きみだってほいほいついてきて喜んでたくせに……」
「……」
 あまりの憤りに声が出せなくなって、私は信太を睨みつけた。信太は一瞬怯んだ様子だったが、私の手をつかんで引っ張った。
「カズハ……」
「呼び捨てにしないで。あんたなんかに……」
 歯軋りしたくなる。続きが言えない。抱きすくめられて蹴飛ばしてやろうかと思っていたら、信太の身体が不意に離れた。
「え?」
 瞬時、なにごとが起きたのかわからずにいたのだが、よくよく見てみると、信太を引き戻して投げ飛ばしたのは、柴垣安武だったのだ。
「……柴垣くん? あんたがなぜここに……」
「金子に誘われてよ。合唱部の同窓会なんて俺は関係ねえだろ、って言ってんのに、つきあえよ、とか言われて、近くまで来たんだ。カズハ、俺は事情は知らないけど、なんなんだ、こいつ。おまえはいやがってたんだろ。話が漏れ聞こえたところによると、知り合いなんだよな」
「知り合いではあるよ」
「で、どうするんだ、こいつ」
 見ると、信太は地面にうずくまって呻いている。私は言った。
「助かったよ、柴垣くん。これでいいんじゃない? ほっといて行こう」
「そうなのか」
 それでいいのかな、と言いたそうな柴垣くんを促して、歩き出しながら言った。
「あいつは前に、ちょこっとつきあってた奴。結婚してるくせに私をだましてたの」
「そいつは詐欺だろ」
「詐欺とも言うのかな。私は別れるって言ったのに、ついてきてたんだよ。あれで懲りたんじゃないのかな」
「そうか。よし、ちょっと待ってろ」
「柴垣くん、あれ以上乱暴しちゃ駄目だよ」
「乱暴はしない。言い聞かせるだけだ」
 うずくまったままの信太に近づいていき、柴垣くんは彼を見下ろして低い声で言った。
「カズハはてめえとは別れたんだろ。そんなら俺の女にするから、今後は一切手を出すな。俺は見ての通りの者だ。カズハにつきまとったりしやがったら……いいな、わかってんだろうな」
 見ての通りって、パンクスではなくてヤクザとか? そうも見えなくない柴垣くんは、信太の返事は待たずに戻ってきた。
「あれでいいか?」
「いいんじゃないかな。嘘も方便。それで、金子くんはどうしたの?」
「同窓会会場に行くから、あっちはおまえにまかせる、とか言いやがって、俺に押しつけて行っちまったよ。俺は合唱部の同窓会になんか行きたくねえんだから、こっちを引き受けたわけさ」
「ふたりで見てたの?」
「金子も見てたよ。おまえが男となにやらしてるのは見てた。声もいくらかは聞こえた。金子はなんにも言っちゃいなかったけど、なんとなくはわかるよ。カズハ、大丈夫か?」
「うん、私はなんともない」
 疲れたような気分だったのも、むしろすっきりしていた。
「女になった気分だな」
「カズハは女だろ」
「そうなんだけど、柴垣くんみたいに背が高くて強い男に守ってもらってさ、これって悪くない気分なんだよね」
「おいおい、おまえらしくないぜ」
「私らしいってどんなの? ねえ、会場に戻ろう」
「なんで俺が……俺には関係ねえだろ」
「行くつもりだったんだろ。合唱部の出身者たちの中にだって、チキンスキンを知ってるひともいるよ。紹介してあげるから」
「いらねえよ」
「誰も知らなかったら寂しい?」
「寂しくねえ。パンクスの宿命だ。行かねえってのに」
「いいからいいから」
 今度は私が柴垣くんの腕をつかんで、もと来た道を逆戻りしてレストランに入っていった。
「ほらほら、合唱部なんてのはこんな歌を歌うからさ……」
「金子くんだね」
 広間には、後輩たちに囲まれて、歌っている金子くんがいた。

「黙っていても、すこしずつ年をとっていく
 身体の中は思い出だらけ
 久しぶりにふと顔を合わせた
 あいつの顔が、おかしいくらい老けていた」

 これってロックでしょ? と言ってみると、柴垣くんは真顔でかぶりを振る。ロックではなく、信勝が好きだったフォークソング。「青い涙の味がする」だった。

「青春なんて言葉の
 意味さえわからずにあのころは生きていた

 青春なんて言葉を
 てのひらで握りつぶしてた
 あのころの僕たちさ」

 金子将一がこんな歌を歌うのも珍しいのかもしれないが、後輩たちはしんとして聞き入っている。柴垣くんは舌打ちしていたが、私も金子くんの歌に聞き惚れていた。
 柴垣くんも金子くんも、おかしいくらいになんか老けてないよ。皆実くんもだよね。うん、私もだよ、そんなには老けてない。
 けれど、すこしずつ年をとっていく私たちは、この歌のまんまの青春をすごして、青春ではなくなった今も、精一杯生きている。これからも生きていくのだろう。いろんないろんないろんな、気が遠くなりそうにいろんなことを経験して。
 歌っている金子くんが、柴垣くんと私を認めて手を上げた。柴垣くんはいやそうな顔をして、目で金子くんに合図している。誰かひとりくらいは、チキンスキンの柴垣くんを知っててあげてね、と私は声には出さず、後輩たちにお願いしていた。

END


これにて第二部完結です。
第三部、第四部もお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。

 
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