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小説79(勝手にしやがれ)前編

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フォレストシンガーズストーリィ79

「勝手にしやがれ」前編


1・幸生

スタジオの近くの公園で、段ボール箱を囲んでざわめいている小学生たちに遭遇した。
「どうかしたの? ああ……」
 段ボール箱、小学生たち、箱を覗くまでもなく、なにごとが起きているのかは察しがついた。俺が小学生のころにも近いシチュエーションは何度もあって、何度も母が奔走してくれた。乾さんとふたりでその場を通りかかった俺は、乾さんに言った。
「捨て猫ですね。みぃみぃと愛らしい声が聞こえる。この少年たちには、猫好きの母ちゃんはいないのかな。どうしようかな」
「きみたち、猫をうちに連れて帰れるの? 誰か立候補してくれるか。きみ? ご両親は許してくれる?」
 乾さんに問いかけられた子供のひとりが手を上げたのだが、両親の承諾を受けてはいないのだろう。うーん、どうかな、と戸惑っている。箱を見たら子猫が三匹いて、乾さんは彼を見つめて言った。
「きみが連れて帰ってくれても、ご家族に反対されて、もとの場所に捨ててきなさい、って言われるってこともあるね。そうだとしたら……幸生、どうする?」
「誰もこいつらを引き取ってやれないんだね。よし、じゃあ、兄ちゃんが里親さんを探してやるよ。俺にまかせなさい。きみらは暇なんだろ。今夜は俺がこいつらをアパートに連れて帰るから、俺が来るまで面倒見てて。頼んだよ」
 子供たちは喜んでくれて、子猫たちの仮住まいを作ろうと言い合っていた。乾さんと俺は子猫を子供たちに託してスタジオに行き、仕事の話しに熱中して、猫を忘れ果ててしまった。
 忘れてしまったのは俺だけで、乾さんは忘れていなかったのだろう。俺ほどの猫好きではない乾さんだが、約束は約束だからと、仕事をすませて公園に行った。俺は乾さんとは別々の仕事をしていたものだから、その時刻には関係者たちと酒を飲んで笑っていたのだった。
 はっと猫を思い出したのは真夜中で、俺は必死になって公園に駆けつけた。真夜中なんだから当然、子供たちはいなくなっていて、乾さんが樹木の根元に額づいていた。
「……乾さん、猫は?」
「飲んでたのか。もっと早く来られたんじゃなかったのか」
「……そうです。来ようと思えば来られたんだけど、忘れてました。ねぇ、猫は?」
「そこだよ」
 顎をしゃくったのは樹の根元。スコップが樹に立てかけられていて、地面がこんもり盛り上がっていて、俺は悟った。
「死んじゃった?」
「おまえは猫の知識は豊富なんだろ。あんなちびが夜中に公園を徘徊していたら、末路がどうなるかはわかってたんだろ。子供たちは家に帰る時間になって、子猫たちを残して帰っていったんだよ。子供なんだからそうするしかないだろ。俺が仕事を終えて来てみたら、カラスの群れが毛玉をつついてたよ。そういうわけさ」
「……カラスに……」
 子猫や子犬が捨てられたら、大半はカラスの餌食になるとは知っていた。段ボール箱で小屋のようなものが作られていて、その前にはミルクの滓がこびりついた発泡スチロールの容器がころがっていて、子供たちが子猫の住まいを作ってやったのだともわかった。
 ちび猫たちは箱からさまよい出て、カラスの餌になったのか。乾さんを認めて散ったカラスの群れがつついていた子猫の死骸を、乾さんが埋葬してくれたのだろう。
「俺ももっと早く来られたらよかったんだろうけど、どこかでたかをくくっていたよ。おまえは猫が大好きなんだから、子供たちとの約束を守るだろうってな。俺だって同罪なんだけど……飲んでたとはね」
「飲んでたのも仕事だから……」
「ああ、そうだな。仕事は大事だね。たかが猫なんだから、仕事とは引き換えにできないよな。いくら猫好きでもそうだよな」
「……俺、どうしたらいいんですか」
「知るかよ」
 つめたく言って背中を向けた乾さんを見て考えた。子供との約束、たかが猫、俺の気持ちにもそんなものがあったんだ、これで猫好きだなんて言えるのか。
 それから俺は、乾さんが作ってくれた猫の墓の前に佇んで、朝が来るまでじっとしていた。登校時間になって子供たちがやってきて、俺を見つけて駆け寄ってきて、俺は言った。
「ごめん、ごめんな。俺、忘れちゃってたんだよ。きみらとの約束を忘れて、猫を引き取りにこなかったんだ。遅くなって来てみたら……」
「自然の掟はこうなんだよ。残酷すぎるだろうけど言う。ちびたちはカラスに食われて死んじまったんだ」
 かたわらで乾さんも言い、子供たちが泣き出した。俺も子供たちといっしょに泣いて、泣いて泣いて子供たちが学校に遅刻しそうになって、ふと気づくと乾さんはいなかった。しばらくしてから公園に戻ってきた乾さんは、中年の女性を連れていた。
「小学校の先生だよ。あとは専門家にまかせよう。幸生、行くぞ」
「はい。乾さん……俺……」
「おまえって奴は……」
「乾さんってひとは……」
 続きがうまく言えなかったのは、乾さんらしくも俺らしくもなかったけれど、だから俺、乾さんって大好きさ、なんてね、そう考えて、けれど、言うと気持ち悪がられるので控えておいた。俺は今日も公園に来て、猫の墓にキャットフードの小袋を供え、手を合わせた。
「カラスはキャットフードも食うし、袋ごときはくちばしで破っちゃうから、持って帰るよ。ごめんな、ちびたち」
 墓前から袋を引き上げてしまい込み、スタジオへ向かって歩き出した。墓には野の花も供えられていた。子供たちが供えてくれたのだろうか。乾さんだろうか。うつむいて歩いていて顔を上げると、若くて可憐で小柄な女性が立っていた。
「三沢さんだー。フォレストシンガーズの三沢さんですよね。サインしていただけます?」
「はい、喜んで」
「本物の三沢さん? ちょっとだけさわっても……きゃあ」
「いいですよ。どこをさわりたいんですか」
「んんと……握手は?」
「はい。これでよろしいですか。可愛い手だね。ちっちゃいね。俺の手も男にしたらちっちゃいほうだろうけど、あなたの手と較べると無骨だもんね。ついでにこの手の甲にキスなどさせていただいても……」
「そんなあ……あ、きゃっ、乾さん?」
 背中に殺気を感じたのは、乾さんが立っていたからだった。乾さんの前世は猫なのではあるまいか。しょっちゅう音もなく背後に立っている。ファンの女性は乾さんまでがあらわれたので感激してくれていたが、あとから乾さんは言った。
「幸生、めったなことはやるなよ。言うまでもないだろうが、ファンの方をナンパだなんてことをしたら……今のひとはおまえの好みのタイプだったもんな」
「よくごぞんじですね。したらどうなるの?」
「さあなぁ。本橋と相談してみるよ」
「しませんからっ。絶対にしませんっ。リーダーに言いつけるのは勘弁してぇ。いやーん、ユキちゃん、泣いちゃうよぉ」
 ともあれ、ファンの女性に声をかけられるのは、フォレストシンガーズの知名度がアップしてきているひとつの証明といっていいだろう。子供たちは俺たちを知らなかったが、若い女性に認知されているほうが数倍喜ばしい。心に残る傷跡も、嬉しい出来事も抱きしめて、これからも歩いていかなくっちゃ。
 収入もアップしたらペット可の高級マンションに住んで、猫と暮らそう。旅の多い生活で猫の世話がおろそかになるんだったら、ペットシッターさんに来てもらって……それよか、猫好きの女性と結婚して猫のお世話をまかせるほうがなおいいかも。
 蘭子は望み通りの猫好きなダンナを見つけて、子供も生まれて幸せになるんだね。俺にもいつかは、猫好きで、幸生くんを愛してるって言ってくれて、俺と結婚してくれる女性が出現するのだろうか。まあいいさ、そんなの先の話だもん。
 デビューしてから四年がすぎて、振り返れば恋もその道にころがってはいるものの、かりそめだったのかゆきずりだったのか、ひとつも成就していない。恋の成就とはすなわち結婚か。二十七歳の俺にはまだ結婚は早い。なにせシゲさん以外は独身なのだから、年少の俺が本橋さんや乾さんを差し置いて結婚するってわけにもいかないし。
 三十すぎたら結婚も考えよう、それまでは仕事に生きるかたわら、猫好きユキ好きの女性を探そう、うんうん、そうしようとうなずいてたら、電話が鳴った。
「はーい、留守ですよ」
「三沢さん、留守だったら留守電でしょう? 留守なのになんで出るんですか」
「堅いね、おまえは。冗談の通じない奴だね。ジョークにはジョークで応戦しろよ」
「三沢さんの冗談につきあってたら疲れますから。どちらにいらっしゃるんですか」
「自宅です」
「お邪魔してもよろしいでしょうか」
「いいよ」
 携帯電話を切って、沈んだ声を出していた酒巻を待っていたら、ほどなくやってきた。近くから電話をかけていたらしい。
「おっす。んん? 顔が……」
「わかります? 三沢さんにも言ったでしょう?」
 頬がいくぶん赤い。目も赤い。声はダウンモード。俺に言ったとはあれか。酒巻はこのところ仕事でミスを連発したと落ち込んでいて、金子さんや沢田さんにメールで愚痴っていたらしいのだ。俺も愚痴を聞いてやっては、ミスなんて誰でもするんだから、元気出せよ、とありふれたなぐさめを言ってやっていた。
「リーダーがくれた焼酎があるけど、飲む?」
「お酒はけっこうです。今、金子さんのマンションにお邪魔してたんですよ」
「その顔は金子さんか。泣かされてきたんだ」
 非常に涙腺のゆるい奴なので、酒巻はたやすく泣く。頬に大粒の涙がしたたり、嗚咽まじりに話した。
「金子さんにも愚痴を言って、死にたいなんて言ったんです。それで叱られて、ばっちーんってやられました。僕、吹っ飛びましたよ。身体の大きな金子さんに叩かれたら、僕なんか木の葉みたいなものですよね。そうだ、三沢さんは覚えてますか、ケツカルって言葉」
「んんと、大阪弁?」
「大阪弁の中でも特殊な方言だそうです。三沢さんに大阪に連れていってもらったときに、橋の上を自転車で疾走していた男性が言ったでしょ」
 大阪で聞いたような気がした記憶は当たっていた。そうだそうだ、思い出した。
「なんかしてけっかんねーん、ってやつだ」
「そう、それです。信子さんが河内弁だって教えてくれて、あとから実松さんにも教えを請うたんですよ」
 あれは三年ほど前か。まったく売れていなかった俺と、DJになっていなかった酒巻が、俺の仕事のために大阪に行ったのだ。自転車に乗って繁華街を走っていたガラの悪い男に罵られ、その言葉がほとんど意味不明で、俺はきょとんとしてしまって言い返せなかった。
 そこへヒーロー、ではなく、正義のヒロイン登場。ヒロインと呼ぶにはお年をお召しだったが、たこ焼きの屋台の主である信子さんが俺たちを救ってくれ、ナンパ橋についての教えを授けてくれたりもした。
「信子さんって入院したんだったよな。お元気なのかな」
「お元気ですよ。僕は暑中見舞いと年賀状のやりとりをしています」
「知らないぞ、俺は」
「三沢さんには報告してませんでしたっけ。信子さんの住所をお教えしてもいいんですけど、ご本人に確認してからにします」
「俺が信子さんに不埒な真似をするとでも?」
「三沢さんだったら危険ですよね」
「なんぼなんでも……いやいや、そうだね、危険だね。で?」
 ケツカルがどうしたんだ、と促すと、酒巻は言った。
「金子さんったらね、ケツカルに似た下品な言葉を使うんですよ。僕は金子さんにそう言われて、似た言葉があったはずだけど……って考えて、先刻になって思い出したんです」
「ケツカルに似た言葉?」
「河内弁ってものすっごく荒いんですってね。実松さんが言ってました。あの舌の回りようは、大阪人の実松さんにも真似がしにくいって、三沢さんだったら言えそうだから、今度、レクチャーしてもらって下さいね」
「うん、そうしてもいいけど、河内弁を真似てなんの意味が?」
「知りませんけど、河内弁の話じゃないんですよね。三沢さん、脱線しないで下さいよ」
「脱線したのはおまえだろうが」
 一度は止まっていた酒巻の涙が、再びぽろぽろ頬を伝っていた。
「僕ってなんでこうなのかな。金子さんに叱られて叩かれて泣いて、泣いたらもっと叱られて、自分が情けなくてもっともっと泣けてきて……どうやったら強くなれるんですか」
「章も弱虫なんだよね。あいつはおまえほどは泣かないけど、感情過多っていうのかな、感情のアップダウンがきわめて激しいんだ。そういう性格なんだよ」
「木村さんの話ではなく……」
「俺だって弱いよ」
「三沢さんは弱くなんかありません」
「弱いじゃん。俺だって金子さんにシリアスに叱られて殴られたら泣くよ」
「嘘ばーっかり」
 どうして酒巻に嘘だと断言できるのだかは知らないが、俺は意外に先輩に本気で叱りつけられた経験は少ない。乾さんには強烈に殴られたことがあるが、学生時代から現在に至るまで、先輩には冗談半分のぼかぼかばっかりやられてきて、殴られた俺が本気との境目を判断できないのだとも考えられる。
「おまえのねじのぶっ飛んだ面を見てると気が抜けて、誰だって怒りが中途半端になるんだよ」
 そう言っていたのは本橋さんで、乾さんはこう言った。
「おまえってのはあらゆる要素が軽くできてるから、対している者の気分も軽いほうへと傾くんだよ」
「乾さんの言ってる意味が消化しにくいんですけど、俺もおまえと対してると気が抜けて抜けて抜けて、空気のしぼんだタイヤみたいになってくるもんな」
 シゲさんはそう言い、章は言った。
「おまえはちびで軽くてふわーっのふにゃーっとしてるからだよ」
 ふわふわふにゃっか、言えてる。
 先輩たちと章が述べた三沢幸生評を思い出しているうちにも、酒巻は涙に濡れそぼっていた。頬の赤さからしてもきつくは殴られていないようだが、金子さんに叱られて殴られた、その事実が酒巻を悲嘆にくれさせているのだろう。
 にしたって、こんなちっちゃいの、殴らなくてもいいだろうに、と思わなくもない。金子さんは酒巻にはきびしすぎる傾向があるのだが、先輩としての鍛錬のつもりか。金子さんには金子さんの考えがあるのだろうから、俺が口出しできる問題ではない気もして。
「涙を止める薬はないんでしょうか」
「ないんじゃないの。泣きたくなったら耐えるしかないよ」
 気を紛らわせてやろうかと先日の猫の話をすると、逆効果だった様子で、酒巻は号泣しはじめた。
「うわわのわ。おまえの声って……やっぱシゲさんに似てるね。泣いてる男は見たくないから見ないようにしたら、シゲさんが泣いてるのかと錯覚しちゃうよ。シゲさーん、泣かないで。どうしたの? 恭子さんに苛められた? シゲさんは恭子さんの女心を慮るって配慮ができないから、だね……」
「三沢さん、重複してます」
「ああ、そうだね。あれぇ? シゲさんに三沢さんなんて呼ばれたのははじめてだな」
「僕はシゲさんではありません」
「そうだ、おまえは酒巻國友だ。酒巻國友以外の何人でもないのだ。よし、思う存分に泣け。泣いてすべてを洗い流して再出発しよう。俺も泣こうっと」
 嘘泣きで酒巻につきあっていると、感情移入が起きてきた。僕ちゃんったらかわいそう……僕ちゃんったら僕ちゃんったら僕ちゃんったらぁ……なんて哀れな、なんて幸薄い、なんて可愛い……そうか、やはり涙には効用もあるのだ。
 今度、金子さんにもそれとなく言っておこう。酒巻が泣いてもあんまり叱らないでやって下さいね、涙には浄めの効果があるのですから、そっと見守っていてやって下さいね、と。
 
 
2・國友

 さりげなく見回してみれば、三沢さんの言うところの後輩気質とは、言った当人の三沢さんと僕だろうか。何度目かのライヴの打ち合わせの流れで、金子さん行きつけの店に集まっている八人の中では最年少の僕は、無言で先輩たちの話を聞きながら、思いをめぐらせていた。
 金子将一、徳永渉、フォレストシンガーズのジョイントライヴなのだからして、シンガーである先輩たちは全員、この場にいる。
「学生時代には俺だって、先輩の恩義をおおいにいただいたんだよ」
 そう言う金子さんは、誰がなんと言おうと、本人が否定しようとも先輩気質だ。お兄さんだ。僕にとってはお父さんでもある。徳永さんはどちらでもないのだろうか。一匹狼には先輩も後輩もないのかもしれない。徳永渉は孤高の男、かっこよすぎる。
 本橋さんもリーダー気質、先輩気質だろう。キャプテン気質でもある。八年も前の、キャプテンは怖い、を僕はいまだにひきずっていて、本橋さんには畏怖を抱いている。金子さんには畏敬、本橋さんには畏怖、乾さんには思慕か、憧憬か、男と男でも思慕と名づけてもかまわないはずだ。
 乾さんはサブリーダー気質で、合唱部では副キャプテンだったのだから、統率者の補佐がふさわしいのだろう。なにししても先輩気質ではある。
 シゲさんは真ん中気質? なんて言ったら怒るのか、そうだよ、と言うのか、先輩と後輩の狭間に立って両方のフォローをしているのだからして、なかなかに難儀な役回りと言える。真ん中はどっち気質でもないのだとしても、後輩気質ではなさそうだ。
 木村さんはひねくれ者気質だそうだから、三沢さんや僕とはいささか異なっている。木村さんについては僕はまだよくわかっていないので、この際、どこかに引っ込んでいてもらおう。
 畏敬、畏怖、思慕、で、三沢さんにはなにを抱いている? 十八歳から二十六歳までの間を離れたり、再び出会ったりして関ってきた合唱部の諸先輩方のうちでは、金子さんと乾さんと三沢さんが僕の特別な存在なのだが、三沢さんへの感情をなんと名づけるべきだろうか。
 俄かには思いつかないので、考えるともなく考えていると、三沢さんっていい性格してるよな、と思えてくる。
「ハイランドスコッチ、グレングロッサっていうんですか。超高級スコッチですよね。俺が飲むと口が腫れ上がりそうだけど、いただきます……んん、うまい、最高!! 金子さんってワインにも詳しいし、車もオベルのザフィーラだっけ。変わったのがお好きですよね。乾さん、うまいって言ったけど、俺は普通の国産ウィスキーがいいです。ウィスキーよか焼酎オンザロックがいいです。リーダーも焼酎が好きですよね。難解なる酒は金子さんと乾さんにおまかせして、リーダー、シゲさん、焼酎で口直ししましょうよ。うわっとっとぉっ!! 高いお酒をごちそうしていただいて、口直しとは失言でした。金子さん、よろしくです」
「なにが? 酒に難解も北海もあるか」
「南の海と北の海、金子さん、お上手」
「シャレを説明するな」
 頭をこつんとやられて、痛いよぉぉ、頭が割れたよぉ、と大げさに騒いで、三沢さんは泣き真似している。金子さんは苦笑いしていて、乾さんが口をはさんだ。
「まことにもって無礼な奴でして、金子さん、そんなのではこいつにはこたえませんよ。バットでも持ってきましょうか。野球の硬球でもいいかな」
「バットや硬球で……よし、俺がやってやろう」
「リーダー、やめて。やめてやめてーっ!!」
「本橋さん、物騒なのはやめましょうよ。幸生の頭がほんとに割れますよ」
 シゲさんも言い、三沢さんは頭を両手で抱えていやんいやんと身体をよじっている。話の主導権を握り、無礼な台詞を口走り、金子さんにこつんとやられて泣き真似はしているものの、三沢さんはこの場の誰にもいやな気持ちを与えてはいない。
 馬鹿幸生、と呟いている木村さんも、つまらなそうな顔をしている徳永さんも、目が笑っている。どうしたら三沢さんみたいな性格になれるんだろう。かつても限りなく考えたけれど、僕はこうはなれっこない。
 叱ると怒るは別ものであって、僕が乾さんや金子さんから受けた行為は、叱られたというものだ。あの行為には後輩への好意も含まれていた。三沢さんじゃないけど、シャレが浮かんで、だからって口にはしない。僕は黙って、まだきゃあきゃあ言っている三沢さんを見ていた。
 だいたいからして、三沢さんは仕事で失敗したとしても、死にたいなんて言わないだろう。たとえ滅入りに滅入っていても、笑い飛ばして冗談にして、シャレを連発して歌でも歌って、なんだったらナンパして女の子とお話しをして、気持ちを切り替えられるのだ。
 だからこそ三沢さんは、先輩にシリアスに殴られたりはしないのだ。僕の見解ではそうなるのだが、三沢さんはどう考えているのだろう。
 先輩と後輩の関係も、個々によって変わってくる。底力のある三沢さんと、力なんてのはどこにもこれっぽっちもない僕とでは、先輩の態度も異なってくる。金子さんはいつだって僕にはきびしくて、それでいて優しくもあって、だけど、三沢さんに対するようには接してくれない。
「おまえは飲んでないんだな」
 ぼんやりしていたら、徳永さんが話しかけてきた。
「ウィスキーも焼酎も嫌いか」
「嫌いではありませんけど、弱いですから。お酒を飲むと僕のひがみ根性が暴走しますよ」
「ひがみ根性?」
「そうなんです。ひがみ……僕は……」
「おい、酒巻」
 話しかけてくるのも珍しいのだが、さらに珍しくも徳永さんの声に焦りが含まれ、三沢さんがすかさず叫んだ。
「あーっ、徳永さんが酒巻を泣かせたーっ!! 先生に言いつけちゃおっと。金子先生、乾先生、徳永さんが國ちゃんを苛めてますよっ」
「言いつけなくても見えてるよ。國、こっちに来るか。いじめっ子の渉くんからは逃げてきて、俺の腕の中に来るか。おいで」
「……金子さん……」
「うげ、金子さんって実は酒巻と……いでっ!!」
 本橋さんにぼかっとやられた木村さんは黙り、三沢さんの目がきらめいた。
「ほおほお、そうだったんだ」
「そうじゃありませんよっ!! 僕は……えーと、金子さんは大好きですけど……」
「やっぱそうなの? 金子さん、どうします?」
「いいよ。抱いてやるからおいで、國」
 どんどんどんどん顔が熱くなっていって、返す言葉が見つからない。シゲさんは相当に薄気味悪そうにしていて、逃げ出したい風情に見える。本橋さんと木村さんは内緒話をしていて、三沢さんと乾さんも内緒話をしている。金子さんは僕を見つめている。金子さんは腕まで広げていて、徳永さんが立ち上がった。
「金子さんにだったらできるんじゃないんですか。酒巻、抱いてもらえ」
「え、え、いやですっ!!」
「いやなのか。好きなんだろ」
「好きっていうのは好きっていうのは……説明できないよぉ」
「また泣いてるな。酒巻、こら……」
 とうとう本橋さんが怒り出し、なにか言おうとしたのをシゲさんが遮った。
「やめてくれぇ。なんでもいいからやめて下さい。吐き気が……」
「吐き気とはひでえ言い方。シゲさん、ここに本物のゲイの方がいたらどうするの?」
 三沢さんは真面目に言い、シゲさんが言い返した。
「いないんだろうが。本物はいないんだろ。いたらいやだよ。差別だって言われたって、いやなものはいやなんだ。金子さん、やめましょうよ。本橋さんも怒らないで。乾さん、なにを笑ってるんですか。酒巻、馬鹿野郎、泣くな!!」
「はいっ!!」
「お、シゲさんの怒鳴り声は効果覿面。俺もそうしようかな。酒巻、泣くな」
「幸生の声では効果半減だよ」
 木村さんが言い、三沢さんはうなだれてみせ、徳永さんは出ていってしまった。金子さんと本橋さんと乾さんはなにもなかったようにお酒に戻り、ウィスキー談義をしている。シゲさんは深く嘆息した。
「シゲさんって……泣いてませんよ。泣いてませんし、僕はゲイなんかじゃありませんからね。金子さんは女性好きのもてもてなんだから、僕にあんなふうに言ったのは恫喝ですよ」
「抱いてやるってのは恫喝になるのか。ふーん、なるほど。俺も男にそう言われたら……うん、わかる気もするけど、金子さんの恫喝って突拍子もないんだな」
「そうでもない場合もありますが、時としてああなるんです」
「俺にはやらないよな」
「シゲさんと金子さんの抱擁シーンですか。ぎゃ……想像したら……きゃー、やめてやめて。消えろ」
「馬鹿野郎。想像すんな。俺までが……吐き気が……やめろ、馬鹿、酒巻、やめろって」
「シゲさんこそ……」
 真ん中気質でもあるのだろうけど、シゲさんに怒鳴られて僕の涙が止まったのだから、シゲさんだって先輩気質と言ってもいいのだろう。僕といると、世の中の人々の大部分は年上気分になる。年下の女の子にまで叱られたりする僕を思い起こせば、僕こそがきわめつけの後輩気質なのだ。三沢さんにしても僕といれば、先輩としての顔でしかなくなるのだから。

 
3・渉

 精神的になにかとややこしいことどももあったのだが、ひとまずそれらは忘れて、俺はひとりで飲んでいた。先ほどまでは打ち合わせの続きで、フォレストシンガーズの奴らと金子さんと酒巻がいたのだが、下らないシーンがはじまったので出てきたのだ。
 まったくあの金子将一って男は、常々超然としたふうをよそおってはいるが、内実はけっこううじうじしているのだと思える。まあ、俺も他人をとやかく言えた義理でもないし、直接金子さんに言うにははばかられて、それでもちっとは言って、ほどほどで止めては、さっさとすっきりしろよ、と苛立っていた。
 金子さんは恋をしているのか。腐れ縁か。俺はどうなんだ。たった一度抱いた女と、それはそれっきりで友達のように関って、彼女が結婚するから故郷に帰ると聞いて心が波立って、俺だってちっともすっきりしていない。忘れていないではないか。
「あの、もしかしたら……」
 ひとりで飲んでいたら、声をかけてきた女がいた。
「徳永渉さん?」
「だとしたら?」
「私を知ってる?」
「知らないよ。有名人?」
「女の子の間では有名なんだけど、男は知らないんだよね。そんならいいわ」
「怒らなくてもいいだろ。知らないけど、これから知り合おう。すわれよ」
 バーのカウンターのストゥルにすわってぶらぶらさせている脚が長い。背の低い者ではフロアには脚が届かないだろうから、彼女はかなり背が高い。学生時代にただひとり、こいつだけは大嫌いだ、と強く感じた女がいたせいか、俺は大きな女が好きではないのだが、彼女は長身とはいえ細いので、あの女と重なったりはしないだろう。
 彼女もここでひとりで飲んでいて、俺を認めて声をかけたのか。あどけなさの残る澄まし顔で煙草をくわえて、火をつけてほしそうな仕草をした。
「ガキじゃねえのか。煙草を吸える年か」
「金子さんもそう言ったよ」
「金子さん? 知り合いか」
「ちょっとだけ知ってる。一回だけいっしょに帰ったの。徳永さんって金子さんほどはかっこよくないけど、金子さんほどじゃなくてもまあまあかっこいいからいいか。火」
「命令すんなよ。俺は女に……まあいいか」
 煙草の火ごときで目くじらをたてるのも下らない。金子さんほどはかっこよくないと言われても、当たっているのだろうから言い返すのはやめて、火をつけてやった。
「十九だよ。徳永さんも吸うんだね」
「俺も十六くらいから吸ってるから、十九のガキが煙草を吸ったからって意見できる筋合いはないな」
「私、初体験は十三だったの。徳永さんは?」
「十六」
「遅い」
「ああ、そうですか」
「金子さんは?」
「金子さんの初体験なんて知るかよ」
「そうなの?」
 どういった知り合いなのかは知らないが、ルカと名乗った女は、金子さんは? 金子さんはね、とあいつの話ばかりする。金子将一という男は、色気づいた年頃の女にならばもてるのだからして、ガキからばあさんまで、彼を好きだの彼のファンだのと言う女が何人いようとも、別段珍しくもない。ルカも金子さんと知り合って惚れたのだろう。
「徳永さんって金子さんの後輩なんだよね。私は高校までしか行ってないから、大学ってどんなところだかよく知らないの。もうじきドラマで大学生の役をするんだけど、役作りがむずかしそう」
「大学生なんてのにもさまざまいるんだから、きみだったらぱっらぱーってした女子大生を演じたらいいんだよ」
「ぱっぱらぱー?」
「古いか」
「古いし、なによ、その言い方は。秀才女子大生をやるんだよ」
「勉強はできるんだな。勉強はできても頭の悪い奴っているんだから、そっちの方向でもいいかな」
「私って頭が悪そう?」
「ちがうのか」
「ちがうよ。失礼ねっ!!」
 思い切りぶんむくれて、ルカは俺の肩をこぶしで殴った。
「あれ? よけないの?」
「これくらいはどうってことはない。さてと、そろそろ帰ろうか。きみはどうする?」
「私も帰る。っていうか、徳永さんのおうちに行ってもいい?」
「はじめて会った女を持ち帰る趣味はない。行くんだったらホテルだな」
「へええ。金子さんはそうは……」
「俺は金子さんではない」
「知ってるけどね、いいの?」
「いいかどうかはきみが決めるんだろ。俺は帰るよ。ついてきたいんだったらついてこいよ」
「……なんだかちがう」
 迷っている様子のルカをカウンターに残し、バーのオーナーに目で挨拶をして外に出ると、ややあってルカが追ってきた。
「私って惚れっぽいのかな。背が高くてかっこいい男が好きだし、女優の仕事をしてたら、そういう男はけっこういるんだよね。口説かれたこともあるし、私のほうから口説いたこともあるよ。子供ができたら困るけど、そうでなかったらいいよね。若いうちは楽しまなくっちゃ」
「いいわけしてんのか」
「してないよ。いいわけなんかしなくてもいいもん。口説かれても嫌いだったら断ったけど、私が誘ったら男はみんな、嬉しそうについてきた。中にはひとりかふたり、逃げた奴もいたんだよね。あれって意気地なしだから? 徳永さんは意気地があるの?」
「女を抱くにも意気地は必要なんだろうけど、俺は女に口説かれるのは大嫌いだ。背の高い女も嫌いなんだよ。きみは高いな」
「私はモデルでもあるんだからね、背が高くないと仕事ができないの。背が高いからって口説いてくれないの?」
「行こうか」
「うん」
 簡単すぎてつまらないのだが、面倒が少ないのは幸いだ。ガキのくせして本当に遊び慣れていると、抱けばわかったルカは、ベッドに細長い姿態を投げ出して言った。
「徳永さんは何人目? いくつだっけ?」
「金子さんのふたつ下だよ」
「すると、二十九か。十六ではじめてで……一年にひとりじゃないよね。一ヶ月にひとりくらい?」
「下らない。過去の女を数えてなにになるんだ」
 何ヶ月にひとりだなんて計算はできない。続けざまだった時期もあれば、途絶えた時期もある。ただし、過去を振り返れば、俺はただの一度も恋はしていない。したのかもしれないが、くだらなさ過ぎる顛末を思い出したくもないのだった。
「言っておくけど、二度目はないからね」
「いいね、好きだよ、そういう思想は」
「……すがってよ、捨てないでくれって言ってよ、また会おうって言ってよ」
「言ったらどうするんだ」
「いやだよっだ、って答えるの」
「サドか、おまえは」
「そうかもね」
 けろりと笑って腕を伸ばしてくる。彼女の本音がどこにあるのか、わからなくてもいい。わからないほうがいい。男も女もこうやってけろりとしていたら、人生は心底ややこしくなくなるのだが。


4・國友

 後輩気質の僕にも同い年の仲間やら、年下の連中やらはいた。僕の初恋は大学一年生で、現フォレストシンガーズマネージャーの山田美江子さん、三つ年上で、本橋さん、乾さん、徳永さんと同い年だ。よくも四年生の先輩に告白なんかできたものだ。あのころの僕には勇気はあったのに、なけなしの勇気を使い果たしたのだろうか。
 五月ごろだったか、山田さんに告白してうなずいてもらって、恋愛方面では薔薇色気分になっていた。夏の合宿で内緒にしていた山田さんとの恋がみんなに露見したのは、三沢さんが大声で暴露してしまったせいなのだが、僕にもいる同い年の仲間がこっそり僕に尋ねた。
「酒巻、山田さんに告白したのか」
「うん、したよ」
 あれは八年前、僕に尋ねたのは尾崎くん。同じ十八歳だというのに、彼は大柄でたくましい身体つきをしていて、そのくせ子供っぽくて、やんちゃ坊主みたいな面差しをしていた。
「俺にも好きな先輩がいるんだ。よし、告白しよう」
「誰?」
「おまえに関係ねえだろ」
 陰気な奴は嫌いだよ、と言われたこともあるので、僕は尾崎くんの前に出ると腰が引けていた。先輩方は一年坊主には手加減もしてくれるのだが、同い年となるとそういう配慮はしてくれない。怖いキャプテンの本橋さんとは別種の怖さを尾崎くんには感じていた。
「四年生と一年生のカップルのかたわれがここにおるやろ。三年生と一年生にもカップルが誕生したんやな。くそ、こら、酒巻、山田さんと幸せになれよ」
 当事者は僕に報告してくれなかったのだが、そう言ったのは実松さんで、僕は問い返した。
「僕ではない一年生って尾崎くんですよね。三年生の女性ってどなたですか」
「沙織ちゃんや」
「榛名沙織さんですか。そうだったんですね」
「沙織ちゃんはちっちゃいから、でっかい尾崎と寄り添っていちゃいちゃしてたら年下にも見えたで。それはそうと、酒巻、おまえ、なんで同じ年の男を呼び捨てにせえへんねん」
「なんとなくしにくくて……」
「同い年は呼び捨てでええねんで」
「ええ、でも……」
 合宿のときに榛名さんに告白してうなずいてもらって、尾崎くんと榛名さんはカップルになった。僕は山田さんにその合宿でふられて泣いて、小笠原さんに叱りつけられたのだが、尾崎くんと榛名さんは仲良くカップルを続けていた。
 それから時が流れて、尾崎くんも僕も四年生になった年、あの年には尾崎くんが副キャプテンだったのだが、副キャプテンが夏の合宿にやってこなかったのだ。
「尾崎はなんだか落ち込んでるんだ。いろいろあったみたいでさ」
「なにがあったの、矢沢くん?」
「おまえには関係ねえよ」
 関係ねえよ、ばかり言われていたのだから、僕は友達だと思っていた同年齢の者たちには、あまり親しみを持ってもらっていなかったのだろう。尾崎くん本人も僕には、なぜ落ち込んでいるのかを話してくれなかった。
それからまた時が流れて、卒業後に尾崎くんと再会した。そのときには彼は電気屋さんの販売員で、僕は客だったので、プライベートな話はできなかった。
 あれからまたしても時が流れ、シゲさんの結婚式では榛名さんに会った。榛名さんと仲良しだった宮村さんも招待されていて、合唱部の女性部員としては、榛名さんと宮村さんがシゲさんと仲がよかったんだと、ふたつ年下の僕はよくは知らなかった事実を知った。
 時が流れていくうちに、榛名さんと尾崎くんも別れたのだろう。結婚式では榛名さんとも話したが、彼女の口からは尾崎くんの話題は出なかった。
「酒巻くんの合唱部時代の友達だったってひとに会ったよ」
 ただいま、ともにFM放送での番組を担当している、声優のフランさんが教えてくれた。
「家電量販店でアニメのイベントがあって、声優たちも呼ばれてたの。私も行ったんだよね。そしたら、パソコン売り場の主任さんだっていう身体の大きな男性が話しかけてきたのよ」
「尾崎尚吾くんですか」
「そんな名前だったな。親友だったの?」
「そこまでではありませんが、友達ではあったつもりです。身体の大きな男性っていうと、尾崎くんを思い出すんですよ」
 数年前に出会ったときにも、僕はパソコンを買いにいったのだ。尾崎くんはパソコン売り場にいたのだから、主任になっていてもうなずける。
「酒巻くんと同い年には見えなかったけど、尾崎さんは酒巻くんと私の番組を聴いてくれてるみたいだったよ。会いにいってくれば?」 
 迷ったのだが、せっかくの情報なので、フランさんが教えてくれた店に行った。忙しく立ち働いている店員さんたちを見回すと、僕を見て笑顔になった男性がいた。
「おー、酒巻? フランさんに聞いたのか」
「そ、そうなんだけど、尾崎くん? これはそりゃあ……」
「なんだよ。俺、変わったか」
 変わったも変わった。筋肉質でがっしりしていた尾崎くんが、相当に太っていておじさんに見える。これでは僕と同じ二十六歳には見えないだろう。
「あのころは太ってなかったよね」
「あのころっていつ? 結婚してから太ったんだ。来てくれたんだから飲みにいこうぜ」
「う、うん、よかったら……」
 学生のころだって飲んではいたけど、尾崎くんとふたりきりでお酒になるなんてはじめてだ。もうじき仕事が終わると言う尾崎くんよりも先に、指定された店に行って待っていると、のしのしゆさゆさと尾崎くんがやってきた。
「酒巻は独身か。二十六だったら結婚してるほうが少ないよな。俺は一昨年に二十四歳の若い身空で結婚しちまって、かみさんは妊娠してたから食欲旺盛でさ、どんどこ料理を作るんだよな。かみさんは料理がうまいんで、つられて食ってたら太ったよ。かみさんは子供を生んで腹がへこんだんだけど、俺はメタボ腹になっちまった。醜いか」
「ううん、貫禄があっていいよ」
「二十六で貫禄ってもな……おまえはあいかわらず細くてちっこいんだな」
「そうだよね。貫禄なんて全然つかないよ。すると、尾崎くんは結婚してパパになったの?」
「そうだよ。双子の娘」
 定期入れに入れた写真を見せてくれた。
「可愛いね。奥さんも美人だ。小柄な奥さん?」
「おまえより小さいだろうな。おまえも知ってるだろうけど、俺って小柄な女が好きなんだよ。学生のころから何人かつきあった女はちっちゃいのばっかりで、ついにこいつにつかまっちまった。いいんだよ、娘たちは可愛いし、かみさんだって可愛いんだから。パパ、このおなかをどうにかしなさい、ってかみさんが言って、娘たちも回らぬ口で、パパ、しなしゃい、とかってさ……たまんね。可愛いよぉ」
「一歳で喋れるんだ。さすが尾崎くんの娘さんだね」
「かみさんもよく喋るぞ」
 一歳半になったというちっちゃな双子の天使を、両腕に抱いた小柄な奥さんが、写真の中でにっこりしている。奥さんはほっそりしているが、腕はたくましく見えた。
「去年だったか。合唱部の先輩たちとおまえがラジオでトークしてただろ。かみさんに頼んで録音してもらって、全部聴いたよ」
 土、日の放送なので、サラリーマンの実松さんも全部聴いたと言ってくれていたが、電気店勤務の尾崎くんは土、日は休めないのだろう。休日に子供たちを寝かせてから、奥さんと聴いてくれたのだと話した。
「木村さん、三沢さん、本庄さん、徳永さん、乾さん、本橋さん、ひとり飛ばして金子さん、の順番だったよな」
「その通り。だけど、どうしてひとり飛ばすの?」
「柴垣さんって言ったっけ。俺はあのひとは知らないもんな。木村さんも金子さんも、合唱部の先輩だったころは知らないけど、合唱部出身だろ。柴垣さんはロック同好会だったんだから、俺には関係ねえし」
「僕には関係あるんだけど、感想はどうでした?」
「木村さんって気難しそうだな。大変だっただろ」
「そうでもないけど……」
 三沢さんはあいかわらずお喋りで面白い。本庄さんも結婚したんだ、どんな奥さん? 美人? 徳永さんは意外だったな、あんなに喋るひとだったか? おまえ、本橋さんにはびびってただろ? 金子さんって喋っててもかっこいいよなぁ。などなどと、尾崎くんも先輩たちの現在を知っているのだから、なかなか適格な批評を述べてくれた。
「乾さんは?」
「俺、乾さんに言われたんだよ。今でも覚えてる」
 合唱部に入部して間もないころ、尾崎くんと矢沢くんは乾さんに昼食をおごってもらったのだと言う。その際に、一年生のふたりは僕の悪口を言ったのだそうだ。
「陰気だとか、俺たちを馬鹿にしてるだとか、あいつは病気なんじゃないかとか……」
「なんの病気?」
「背の伸びない病気だよ」
「僕は病気で背が伸びないんじゃなくて、体質なんだよ」
「わかってるけど、そのようなことを言ってだな、乾さんに説教されて、乾さんは尾崎をひいきしてるって……そこまで言って、だったら、おまえたちに昼メシをおごるのもひいきか、って言い返された。そうだよな。そんときはカレー食って、乾さんはからいのには弱いみたいで、ひいひい言っててさ、乾さんにも弱みはあるのかと嬉しかったりした」
「嬉しいの?」
「そうだよ。先輩の弱みを握れるのは嬉しいじゃないか」
 からいのに弱い弱みを握ってなんになる、と僕は思ったのだが、尾崎くんは話題をそらした。
「合宿のときにも一年生たちが集まってて、俺はカニに花火をくっつけて飛ばそうとしたり、誰かが女の子のスカートをまくろうとしたりして騒いでたら、乾さんがあらわれたんだよ。このええかっこうしいのくそったれってさ……」
「乾さんが?」
「そうだよ。乾さんって女の子に人気があったし、憎らしかったんだ。だけど、なんて言われたんだったかな。論破されちゃって降参した。乾さんもあいかわらずだろ」
「うん、あいかわらずいい先輩だよ。僕は卒業してからもお世話になってるんだ」
「そうなんだな。俺は合唱部の奴っていったら、矢沢とたまに飲むくらいなんだよ」
「矢沢くんはどうしてるの?」
「あいつは故郷の函館に帰って、地元の大学に編入して、地学の研究をやってるんだ。家が金持ちだからいまだに学生なんだけど、研究家なんてのはじじむさいよな」
 先輩たちにはずっとお世話になっているけれど、同い年の仲間と話す機会は僕にはまずない。尾崎くんと思い出話をしたり、彼のほうにも僕のほうにも聞こえてきている昔なじみの情報を交換したりするのは、とても楽しいひとときだった。
「で、女のひとは?」
「女性の先輩っていえば、山田さんと沢田さんだけだね。僕は音楽業界と放送業界の方々とは交流があるけど、他の業界のひとは知らない。音楽業界の山田さんと放送業界の沢田さんくらいだな」
「俺も女はよく知らないけど、矢沢が言ってたよ。俺たちと同い年の堀内さんっていただろ」
「ああ、実松さんと同じ大阪弁の女の子だね」
「そうそう。矢沢は彼女と会ったんだって。矢沢は言ってたよ。堀内さんが独身だったらつきあってもらうのに、結婚しちまってたよ、だって。堀内さんは函館近郊の農家の嫁になってるんだけど、矢沢も独身で、彼女もいないんだってさ」
「僕にも彼女はいないよ」
 女性の話題を持ち出すってことは、堀内さんの噂をしたかったからか、それとも、榛名さんがどうしているのか、探りを入れたかったのか。
 同年齢の男女との触れ合いが少なかった僕は、堀内さんと言われても曖昧な記憶しかない。榛名さんはシゲさんと同い年なので、卒業してからは多少のつきあいがあったとはいえ、深い会話をしたわけでもなく、今はどうしているのかよく知らない。
 実松さんやシゲさんとならば話す機会もしばしばあるので、彼らは榛名さんの近況を知っているのかもしれない。尾崎くんが知りたいのだったら尋ねてみるという手段はあるのだが、結婚して幸せな尾崎くんに、過去の恋を思い出させるのはよくないだろう。彼にしてもはっきり榛名さんの名を出しているのでもないのだから、言わずにおいた。
「酒巻にも彼女はいないのか。だけど、彼女ってほどでなくても女はいるんだろ」
「女のひとは周囲に大勢いるよ」
「そういう意味じゃなくてさ、わかってるくせに」
 どことなくいやらしい微笑みが、尾崎くんの表情をよぎった。
「俺にも紹介してくれよ」
「きみは結婚してるんだろうが。どうして紹介しなくちゃいけないんだよ」
「ちょこっとつきあうんだったら、小柄でなくてもいいんだよ。アナウンサーなんてのは理知的できりりっとしてるんだろ。声優さんは顔はまずいのかと思ってたら、女の声優ってそうでもないじゃないか。色っぽい美人もいたよ」
「フランさんも結婚してるよ」
「フランさんじゃなくてもいいんだよ。結婚しててもいいんだよ。お互いの合意のもとにっての、あるだろうが」
 意味はわかるが、わかりたくない。
「歌手なんてのもいいよなぁ。俺なんかはそういう仕事やってる女とは知り合えないんだから、おまえに頼んだら紹介してもらえるかなぁ、って、楽しみにしてたんだよ。なんでもいいから見繕って……」
「品物みたいに言わないで」
「なんでおまえが機嫌を悪くするんだ。おまえは女か」
「男だよ」
「知ってるよ。だけど、おまえは女に生まれたらよかったんだ」
 男子合唱部には歴代、口が回りに回る人間がいるといわれていた。僕の知っているところから言えば、金子さんからはじまって、乾さんに実松さんに三沢さん、小笠原さんも徳永さんもその部類であって、そして、尾崎くんがその系譜を継ぐとも言われていた。
 であるのだからして、僕がDJという口を使う仕事に就いていても、尾崎くんの口にはかないっこない。尾崎くんも電気店勤務、口を駆使して仕事をしているのだから、口が衰えていないのだ。
「女だったらちっちゃくても可愛いもんな。俺みたいに、小さい女が好きだって言う男はけっこういるだろ。小さい男が好きだって言う女はほとんどいないだろうが。おまえは性格だってそうなんだから、女に生まれたほうがよかったんだよ。そのくせ声はそれなんだから、まるっきり男らしくないくせしやがって、声ばっか男らしいんだから、だからおまえは変な奴なんだよ。ちっとは洗練されて都会の男になったのかと期待してたら、野暮なところもまるっきり変わってない。そんなんでDJなんて仕事をよくもやってるもんだな」
「……はあ、三沢さん並みのマシンガントークだね。だけど、結婚してて可愛い娘さんたちもいる尾崎くんが、女のひととちょこっとつきあうなんて許せないよ。それをして女みたいだと言うんだったら勝手に言っててくれ」
「ふーん、おまえも口は……当たり前か。だけどさ、そんな堅いこと言わないで」
「いやだよ。真面目に女のひとと交際をして、結婚したいと思ってる僕に彼女がいないのに、結婚してるきみになんか女のひとは紹介しない」
「ケチ」
「ケチで言ってるんじゃないよ。すると、なにか。きみはそんな魂胆で僕とお酒を飲みたかったのか」
「半分はな」
「そうなのか。どうせ僕を友達だとは……」
「友達だから頼んでるんだろ」
「そんな友達なんかいらないよ」
 言った途端に後悔したのだが、口から出した言葉は消せない。尾崎くんは僕を睨み据え、僕も彼を睨み返し、しばしののちに尾崎くんは荒々しく立ち上がった。
「ぶん殴ってやりたいんだけど、おまえなんか俺が殴ったら泣くだろ。そんな奴は殴らない。馬鹿野郎、勝手にしろ」
「勝手にしろって……なんで僕がきみに……」
「殴らないよ、おまえみたいな弱虫」
 ずきーんっと胸に刺さる、僕も重々自覚している言葉の暴力を投げつけて、尾崎くんはテーブルにはお札を放り投げ、のっしのっしと歩み去っていった。

 
後編に続く


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