ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

FS「シャトン・ノア(黒猫)」

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フォレストシンガーズ

「シャトン・ノア」


 引退したらキャットカフェをやりたいな、と漠然と考える。ロマンスグレイの痩せた小柄な紳士と、お年を召しても可愛いマダムの夫婦で、猫だらけのカフェを経営する。紳士は俺で、マダムは俺の未来の奥さん。

 無邪気な夢ではあるが、俺が一生独身だとしても、いつまでも歌手を続けていけない可能性もあるわけで、そしたらやっぱりキャットカフェかな、貯金しておかなくちゃな。
 東京のキャットカフェなんかに入ると、三沢幸生は猫好きだと知っているファンの女性が待ち伏せしていて取り囲まれる恐れがある。俺は嬉しいけど、お店や相客に迷惑がかかるし。

 なのだから、実際には三沢幸生を待ち伏せするほどのファンはいないとしても、迂闊に知らない店には入れない。だけど、ここだったらいいかな。

 「シャトン・ノア」。ほっそりした黒猫がセクシーなポーズを取っている看板からしても、この店名はフランス語で「黒猫」だ。英語以上にフランス語は解さない俺ではあるが、ノア……ノアールという単語に胸を締め付けられたようになって、扉を押した。

 信州のすこし寂れた街にあるカフェだ。フォレストシンガーズ日本全国全市踏破ツアーの一環として訪れたこの町での、仕事の合間の休憩時間。中には黒猫も、長毛の洋猫も日本猫もいる。お客に向かってつんっとする高嶺の猫もいたが、茶色の大型長毛猫が、テーブルに着いた俺の膝に乗ってきた。

「おー、いい子だね。きみは……ノルウェイジャンフォレストキャットじゃないのかね? そしたら俺とは縁があるんだ。なんて名前?」

 首輪には迷子札がついていて、フォーレスと名前が刻んである。フォーレス……駄目だ、泣けてきそう。水を運んできたおじいさんが、うるうるしている俺を不思議そうに見ている。店内には二組の客がいて、全員男。全員が老人だから、俺のことはまったく知らない様子だった。

 十年も前に拾って母に託し、ほどなく死んでしまったフォーレスは、ノルウェイジャンフォレストキャットなんていう高価な猫ではなかった。ただの駄猫だったけれど、可愛かった。過去には猫にまつわる悲話がいっぱいある俺にとっても、近くて悲しい想い出だ。

 さらに近い悲話に出てくるのが黒猫ノアール。大切にされている健康な猫は二十年ぐらいはざらに生きるから、猫好き蘭子に拾われたノアールもまだ生きているはず。でも、俺のことは忘れたよね? 猫だもんね。

 安普請のアパートに住んでいたから夜には自宅では歌の練習ができなくて、ジョギングがてら公園に出かけていた。三沢幸生専用スタジオがほしいとの夢も今ならば笑い話でもないのだが、あのころは個人的にスタジオを借りて練習する金も惜しかったものだ。
 
 無料で練習できるように工夫して、公園に走っていった夜、蘭子とノアールに出会った。黒猫が縁ではじまった俺の恋。俺の上を通り過ぎていった女はひとりずつは覚えてもいないほどに多いが、その大半は恋愛ではない。蘭子にはまぎれもなく恋をしていた。

 でも、当時の俺には結婚願望はなかった。今でも結婚願望は希薄だが、当時はゼロだった。願望があったとしても、二十代半ばの売れない歌うたいが結婚なんてできるわけもない。

 蘭子は俺よりもひとつ年下だったが、女は若いほどいい条件で結婚できる、と言って、お見合いするの、と宣言して俺を捨てた。あのときにはやさぐれたっけ。ナンパで傷心をまぎらわせようと、あの時期にだけでも相当な数の女と寝た。恋ではなく寝ただけだ。

 ナンパをしては相当数の女と寝ていた時期は、俺には複数回ある。学生時代には数的には可愛いものだったが、高校生だと親父に叱られ、大学生だと乾さんに叱られたから、歯止めになっていたのだろう。誰にも叱られなくなってからは、数も飛躍的にアップした。

 自慢にもならないそんな時期を経て、次の恋、その次の恋と経験したような……あれって恋だったのか? であるような。

 シゲさんが結婚してから一年ほどすぎたころ、金子さんとふたりして公園にいて、蘭子に再会してしまったのだ。蘭子は夫を従えていて、蘭子のおなかはふっくらふくらんでいた。そんなのがショックだったなんて、俺はやっぱり蘭子が好きだったんだ。

「ノアールは元気にしてるよ」
「そう。蘭子ちゃんも元気そうだね」
「幸生くんも、有名になってきたんだよね。よかったね」

 そんな会話をかわしたのは覚えている。幸せになれよって叫べよ、と金子さんに促されて、蘭子とその夫が見えなくなってから叫んだのも覚えている。

 黒猫につながって思い出されるのは、いまだ蘭子だ。あんな女、打算的で依存心が強くて、やきもち妬きで怒りっぼくて、俺の先輩たちや仕事にまで嫉妬したのに。可愛い顔をしてるからってわがままで高慢で、実家暮らしだったからめったに一緒に夜もすごせなくて。

 なのに、俺は蘭子が好きだった。章がスーに執着しているほどではないが、時折は蘭子を思い出す。あんな女と結婚していたら、俺は苦労していただろうにさ。けど、何匹もの猫と、蘭子に似たちっちゃくて可愛い子どもたちに囲まれて、幸せだったかもしれないな。

 我がものにはできなかった女だからこそ、俺はあいつが好きだった、となつかしむのだろう。結婚していたら離婚していたかもしれないのに、横浜での数少ないお泊りデートも思い出す。ちょっと張り込んだホテルの窓から、横浜の港が見えていた。

「三十何年生きてきて、いろいろな女も見てきたけど……な、ノアール、あれ? フォーレスじゃなくておまえが膝に来たの? おまえも迷子札をつけてるんだね。名前は別にあるんだろうけど、ノアールって呼ばせて」
「うみゃ」

 いいよ、と返事をしてくれたことにして、俺は続けた。

「今の冒頭の台詞は、俺の好きなGS出身のシンガーの歌にあるんだよ。もと歌では二十何年生きてきて……でさ、はじめて聴いたときには俺は十代だったから、かっこいいと思ったんだよな。だけどさ、二十何年でなにがわかるってんだ。男は三十過ぎてからだよ」

 どこからか忍び笑いが聞こえた? 気のせいだろう。膝にすわったノアールはゴールドの大きな瞳で俺を見上げて、続きを話せ、と言っているようだった。

「だからさ、ノアール、俺は恋多き男ではなくて、その数だけが多い男なんだよな。なんか虚しいよな。結婚したいとは思わないけど、一生の伴侶だと決められる相手がいるってのはいいことかもしれない。俺にはそんな女、出てこないのかな。猫でもいいんだけど、猫は早く死んじゃうからな。んと……やっぱり笑われてない?」

 ノアールのつもりになった黒猫に向かって、俺は小声で喋っていたつもりだった。が、俺は声が高い。店内にいる五人の老人たちのうちには耳の遠い方もいるのだろうが、すべてがそうではなかったようで、一部、聞かれていたようだ。

「兄さん、若いね」
「三十何年生きたぐらいでなにがわかるんだよ」
「そうそう、男は七十からだぜ」

 人生の先輩方の心の声が聞こえてくるような気がする。改めて見てみると、あのおじいさんたちが俺の将来の姿のようにも思える。とすると、ひとりは店の人間だから、残るは俺を入れて五人、フォレストシンガーズじゃないか。

 背が高くてひょろっとした感じ……背が高くて骨太っぽい感じ……細くて小柄な感じ……中肉中背でわりとがっしりした感じ……それから俺。体型からしても、四十年後のフォレストシンガーズに見えてきた。ってことは俺もおじいさんの仲間入り? そりゃないでしょ。

「ノアール、俺、若い?」
「にゅ?」

 見回してみると、むこうのほうに鏡があった。俺はさりげないふうに席を立ち、ノアールを抱いて鏡に写ってみる。三十三歳、若いといえる年頃ではないが、客観的に観察しても中年には見えない細身の男が、猫を抱いている姿だった。

 ああ、よかった。俺はおじいさんにはなっていない。変な錯覚を起こしてしまった。
 想いだけが過去へタイムトラベルして、現在を飛び越えて未来へ行ってしまったんじゃなくてよかった。俺はまだまだこれからさ。な、ノアール? 今、ここにいる黒猫と、蘭子のもとにいるはずのノアールと、両方に話しかけてみた。

「だよな、ノアール?」
「みゅうう」

 そして、俺自身にも。な、幸生?


END








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