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小説78(路地裏の少年)

 ←番外編26(2-4)(どうにかなるさ)後編 →小説79(勝手にしやがれ)前編
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フォレストシンガーズストーリィ78

「路地裏の少年」

1
  
「真夜中の校舎の白い壁に
 訣別のうた刻み込んだ
 朝焼けのホームにあいつの顔
 探したけど涙で見えず
 「旅に出ます」書き置き机の上
 ハーモニカポケットに
 すこしの小銭……」

 こんなふうにはじまる歌がある。

「あれは俺十六
 遠い空を憧れてた
 路地裏で」

 そうだった。十六の俺も、遠い空に憧れていた。東京という遠い空を。

「裏切りの意味さえも知らないで
 わけもなく砕けてはてのひらから落ちた
 あれは俺十八
 肩すぼめて待ち続けた
 路地裏で」

 あれは俺、十八、「路地裏の少年」ふうに歌うと、そんな感じの出だしになるだろう。エッセイを書かなくてはいけなくなって、俺は思い出をたどっていた。
 小柄で細くてガキっぽいのは現在でも変わりないのだが、そのころの幸生と俺は本物のガキだった。いっぱしの大人のつもりでいた弱冠十八歳。横須賀だったら近いのに、独り暮らしなんかしなくてもいいだろ、と俺には思えた幸生と、遠い稚内から上京して独り暮らしをはじめたばかりの俺と、神か悪魔の導きでふたりは出会った。
 単に歌が好きだという理由で入部した者もいるのだろうが、合唱部には実力者が多くて、プロシンガーを幾人も排出している。歴史も長く多人数の合唱部だったから、いくつかの伝説が流布していた。
 一年生だった俺たちの耳に届いていたのは、もっとも近年の本橋・乾伝説だった。二年年上の本橋さんと乾さんの三年先輩、高倉誠氏を俺たちは当然知らない。俺の目はロックに向いていて、合唱部の伝説にはあまり関心はなかったのだが、幸生が目を輝かせて言っていた。
「本橋さんと乾さんに近づきたいよぉ」
「勝手に近づいたらいいだろうが。俺はどうだっていいんだよ。おまえってまったく、女にしか興味ないのかと思ったら、先輩にまでそんなんでさ、無駄だよ。男に興味を示しても疲れるだけだろ。疲れることはしないほうがいいじゃん」
「章、じゃん、とか言うのはやめろ」
「……大きなお世話だ」
「田舎者が都会の言葉を使ってもさまにならねえんだよ」
「じゃん、は都会の言葉か。稚内にいたころから使ってたよ」
「あら、そうなの。やーね、田舎者が都会の真似して恥ずかしい」
「なんだとぉ?」
 あまりにも馬鹿馬鹿しい発端で、俺はキャンパスで幸生に飛びかかった。きゃあ、章が乱暴するーっ、と叫んで飛びのいた幸生は、勢い余って通りすがりの女の子に衝突しそうになった。
「おーっと、ごめんなさい。粗暴な男がいましてね、これだから田舎者はやなんだよね。あなたはどちらのご出身? 僕は横須賀なんですよ。横須賀って知ってます? 知ってますよね。あなたはどちらの学部ですか? 僕は経済学部一年の三沢幸生と申します。ここで会ったのもなにかの縁だし、どこかでお茶でも飲みません?」
 もののついでにナンパか。幸生の趣味は音楽とナンパだとは、そのときの俺はとうに知っていた。
「友達といっしょなんでしょ?」
「あんなのはいいんです。男の友情以上に大切なものがこの世には五万とある。行きましょうよ」
「私は四年なんだけど……?」
「お若く見えますねぇ。いいえ、年齢はどうでもいいんです。愛があるなら年の差なんて……」
「愛があるなら、ね。私はきみに愛はないから」
「愛はここから育てていくんです」
 ぷふっと笑った四年生女子は、じゃあね、とにっこりして歩み去った。
「ふられてやんの。幸生のあほばか軽薄。おまえは女だったらなんでもいいのか」
「なんでもよくはないよ。だけど、ふられたってどうってことないの」
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってやつ?」
「上手な鉄砲はさらに当たる」
「どこが上手な鉄砲だ。二十歳やそこらの女に、お若く見えますね、がお世辞になるとでも思ってんのか」
「お世辞じゃなくて真心だもん」
 ああ言えばこう言う。俺は大学で幸生とつきあっていた一年足らずの間に、彼によって口を鍛えられたのだ。取っ組み合いがうやむやに終わり、俺たちは再び歩き出した。
「友情って聞こえた気がしたけど、それってなに、幸生?」
「誰がそんなこと言ったの? おまえ?」
「俺が聞いてるんだ」
「さあねぇ。なんだろね」
 議論の果てに取っ組み合いになったり、馬鹿話が暴走して取っ組み合いになったり、女の子を取り合っていがみ合ったり、子供がじゃれ合ってるみたいだったり、幸生との喧嘩がストレス解消になっている部分はまさしくあった。とことん険悪にはならないのは、幸生の性格ゆえなのだろう。
 大学二年になる間際に中退してしまった俺は、幸生との仲にもブランクがあった。街ですれちがった記憶はあるものの、そのころの俺の世界はロック一色だったから、幸生なんぞは過去の遺物に思えていた。
 無我夢中でロックの道を突き進み、つまずいて倒れてそれっきり、俺は立ち上がれずにいた。大学をやめて親父に勘当を言い渡され、仕送りもなくなり、生きていかなくてはならないからアルバイトをして、その日暮らしの日々に彩りを添えてくれたのは当時の恋人のみだった。そんなころに幸生と再会した。幸生にフォレストシンガーズに誘われた。
 二度と挫折はしないと心に誓っていたのに、恋人と俺の想いは行き違い、彼女にふられたあの日も、俺はフォレストシンガーズなんかやめようかと考えていた。練習に行く気にもなれなくて部屋で垂れ込めていたら、幸生がやってきた。幸生のことだからストレートには言わなかったけれど、口でたぶらかして俺を公園へ連れ出した。
 恋人に捨てられたあの夜、あのままひきこもっていたとしたら、俺は先輩たちの憤りを買ってフォレストシンガーズをやめさせられていたかもしれない。本橋さんは今でも怒りっぽいけど、あのころは若くてより以上に怒りの炎の燃えやすいタチだったのだから、最初から俺は怒られっぱなしだったのだから。


おーい、と女性の声がふたり分聞こえて、俺たちはコーラスの練習を中断して声の方向を見た。分厚い記憶のアルバムの最初のほう、フォレストシンガーズデビュー前の思い出だ。実にいくつものできごとがあった練習場所の定番、本橋さんの当時のアパート近くの公園での一夜である。
 女性の声がふたつ、ひとりは美江子さんだ。もうひとりは誰だろ? と俺と顔を見合わせてから、幸生は首を伸ばした。
「きゃあ、まぶしい。すっげえ美人」
「美江子さんもなかなかの美人だけど、あのひとは……誰だ?」
「知らないよ。誰、誰?」
 なにやら色めき立った様子で幸生が全員を見回し、さあ、知らないぞ、と先輩たちは口をそろえた。
 美江子さんと連れ立っている女性は、身長は美江子さんとおっつかっつ。ただしプロポーションがだいぶちがう。言っちゃ悪いけど美江子さんは、中肉中背のごく普通の女性の体格をしている。幸生に言わせると、美江子さんのバストって意外にでかいんだよ、となるのだが、幸生にしたって生のバストを見たわけでもあるまいに、変な妄想を抱いているにすぎないのだろう。
 それはともかく、美江子さんの連れの女性は光り輝く美人だった。美江子さんはTシャツにジーンズ姿だが、彼女は身体にフィットしたキャミソールにミニスカートだ。すらりと伸びた脚に目が吸い寄せられて離れない。幸生はごくりと唾を飲み、あ、鼻血が……だとか言っている。が、乾さんは言った。
「あんな格好で夜中の公園を女の子がふたりきりで……やめてくれよ」
「おまえはよぉ、それが若い男の感想か。おまえは枯れ切ったじじいか」
 言った本橋さんに、乾さんはじろりと一瞥をくれた。
「赤の他人だったら目の保養になるですむかもしれないけど、彼女はミエちゃんの友達なんだろ。心配じゃないのか、おまえは」
「目の保養……おまえはいくつだ」
 ほんとにねぇ、乾さんったら乾さんったら……と幸生が言いかけたとき、ふたりの女性が俺たちの前で立ち止まり、美江子さんが口を開いた。
「うちの大学の後輩の大島真由美さん。章くんや幸生くんの二年下だそうだけど、合唱部じゃないし、学部もちがうから知らないかな。ただいま大学二年生」
 これほどの美人が俺ももといた大学にいるとは、幸生も知らないのだろうか。二年後輩だと俺は知らないのが当然だし、彼女は本橋さんや乾さんが卒業してから入学してきているわけだが、シゲさんと幸生は知っていてもおかしくはない。だが、ふたりとも知らないと答えた。
「だけど、幸生くんはまだ現役の大学生なんだから、知り合いになれてよかったね。大島さんは友達の推薦で、ミスキャンパスコンテストに出場するんだそうよ」
「それはそれは。あなたなら優勝まちがいなしですよ。俺、応援演説しましょうか」
 案の定幸生がしゃしゃり出たのだが、大島真由美嬢は俺たちに挨拶もせずに言った。
「乾さんとお話しがしたくて、山田さんにお電話をかけて連れてきてもらったの。乾さん、あたしってタイプじゃない?」
「は? 俺? 俺はあなたとは面識がないんだけど……」
「あたしは知ってるもん。合唱部のクリスマスコンサートに、フォレストシンガーズがゲスト出演したじゃない? あのときにあたしも聴きにいったの。それでね、がーんって来ちゃったの。乾さんはあたしのタイプなんだもん」
「は、はあ、それはどうも光栄の至りで……」
「なに言ってんの? ねえねえ、乾さん、ふたりっきりでお話しようよ」
「俺たちは練習中なんだけどね」
「そんなのどうでもいいの。行こうよっ」
 他の四人は目の端にも入っていないらしい。彼女は乾さんの手を引っ張って、ブランコのところに連れていった。指をくわえて見送っていた幸生が、実況中継をはじめた。
「真由美ちゃんがブランコに乗りました。乾さんも強制的にとなりのブランコにすわらされました。彼女はしきりに乾さんに話しかけています。なんの話なんでしょうね。言うまでもないか。私をあなたの恋人にしてっ!!」
 そこから幸生の声が女声に変化した。
「ううん、そうじゃないわ。あなたの恋人になってあげる。私ほどの美人にこんなふうに言われてるのよ。断るなんて言語道断でしょ。喜んで、って言いなさい。いやなんて言わないわよね。乾さん、隆也さん、私、あなたを愛してるの。あなたもでしょ? あなたにひと目会った瞬間に、私は恋に堕ちたのよ。あなただってそうでしょ? 私にこんなふうに言われて、喜んで受け入れない男なんていないんだからっ……とっとっと、リーダー、いいところなのに」
「よくない」
 ごちんと幸生の頭にげんこつを飛ばした本橋さんは、美江子さんを非難のまなざしで見た。
「なんだよ、ありゃ」
「あの子、強引なんだもの。どこで調べたのか、私のアパートに電話してきて、フォレストシンガーズに会える場所はどこなんですか? 私、みなさんの大ファンになっちゃったんです、会いたいの、山田さんだったら知ってるでしょ? 教えて教えて、って迫られた」
 ついついこの公園の名と所在地を口にすると、山田さん、連れてってっ、とおねだりされたのだそうだ。
「まあね、練習にしたって聴衆がいても悪くはないかな、と思ってOKしたのが運のつき。駅で待ち合わせて歩き出したら、ころりと言うことが変わって、私にとっての乾さんは抱かれたい男ナンバーワンなの、なんて言ってしなしなして、行くのはやめようかとも思ったんだけど、ひとりででも行きかねないからついてきたの。ごめんね、邪魔になっちゃったね」
「抱かれたい男……なんて大胆なぁ」
 なんてうらやましい、とも言いたかったのではなかろうか。幸生は吐息をついた。
「まったく乾さんってばもてるんだから。どうすんだろ。そしたら今は迫られてるのかな。抱いてって?」
 思わずブランコを見ると、真由美さんの手が乾さんの胸元に忍び込んでいた。見たら失礼だろ、とは思うのだが目が離せない。今度は本橋さんのげんこつが俺の頭に飛んだ。
「おまえはピーピングアキラか。幸生も章も見るな。見えないところに行こうぜ」
 ちぇー、見たいのになぁ、の気分に幸生も同感だったのだろう。ぶつくさぼやいていたが、五人でブランコが見えない場所へ移動した。美江子さんは浮かない顔をしていて、シゲさんはそわそわしている。本橋さんはむっとしていて、幸生は好奇心満々の顔。俺はどんな顔をしているんだろう、と考えていると、本橋さんが言った。
「おまえが悪いんじゃないから気にすんな、山田。それにしても俺たちは練習中だぞ。あの子はなんにも考えてないのかもしれないけど、乾の奴まで……」
「リーダー、乾さんが戻ってきて怒鳴りつけたりしたら、嫉妬してるみたいですよ」
「幸生、てめえは次から次へと……黙ってろ」
「だって俺、黙ってられない体質なんだもん。あ、乾さんが来た。リーダー、押さえて押さえて、ね?」
 うるせえ、と吐き捨てた本橋さんに、戻ってきた乾さんが頭を下げた。
「私事で中座してしまって失礼しました、リーダー」
「……あっちはもういいのか」
「女の子をひとりっきりで……しかもあんな格好の女の子を……胸が痛む。だけど、俺はあの子とは関わりたくないんだよ。もうすこし……いや……」
「なにをぶつぶつ言ってんだよ。もてるってのはつらいな」
 ふう、と息で応じた乾さんは、シゲさんを呼んだ。
「シゲ、彼女を頼む」
「俺ですか。そうですね。はい、わかりました」
 私も行く、と言って美江子さんも立ち上がり、ブランコのほうへとシゲさんといっしょに歩いていった。シゲさんが真由美さんを送っていくというわけか。乾さんはそれ以上はなにも言わず、四人で立ったりすわったりしていた。シゲさんがいないと練習再開できない。手持ち無沙汰で、俺は幸生に内緒話をしかけた。
「乾さんってかっこよすぎだよ。おまえだったらよろめいてるだろ?」
「あれだけの美人だもんな。おまえだったらふらふらーっと?」
 たぶんふらふらーっと行っていただろう。真由美さんの目当てが俺ではなくてよかったかもしれない。もっとも、乾さんがタイプだと言う女が俺に抱かれたがるはずもないが。
「節操ないね、章は」
「なんだと。おまえはどうなんだよ」
「さあね。どうでしょうね」
 だけどさ、と幸生は言った。
「乾さんはかっこいいけど、ずっこけてるところもあるんだよ。美江子さんに言わせると、かっこいいんじゃなくてかっこつけなんだって。自分ではどう思ってるんだろうな」
「かっこいいと思ってんじゃないの」
 俺なんかのどこがかっこいいんだ、と乾さんは以前に言ったけど、かっこいいからこそ女の子にもてるのだ。本橋さんやシゲさんは真由美さんみたいな女は嫌いか。乾さんも単に趣味ではなかっただけか。やがて戻ってきたシゲさんは、美江子さんは帰りました、とだけ告げた。練習がはじまり、練習が終わり、乾さんも帰っていくと、幸生はシゲさんにともなく、本橋さんにともなく問いかけた。
「先輩たちは乾さんをかっこいいと思います?」
「思うよ」
 肯定したのはシゲさんで、本橋さんは言った。
「あんな奴、かっこよくなんかねえよ。自意識過剰でいい格好ばかりしやがって、澄ましてすかして……うん、しかしなぁ、女から見たらかっこいいのかもしれないな。あいつは俺みたいな底の浅い男じゃないし……」
 同い年のライバルといえば、幸生と俺もそうだし本橋さんと乾さんもそうだ。同い年のいないシゲさんは、その分ぬぼっとしているのかもしれない。シゲさんだってぬぼっとしているばかりの男ではないのだが、そのときの俺にはそう見えていた。ライバルに対抗意識があるのは当然で、本橋さんの台詞はそれゆえだったのだろうか。否定し切れずに語尾がとぎれて、俺たちも帰ろう、と本橋さんはきびすを返した。
 後日談になるのだが、美江子さんが話してくれた。あの夜、美江子さんはブランコにすわっている真由美さんに話しかけた。おそらくは乾さんにふられたのだろうから、悄然としているのかと思っていた真由美さんは、シゲさんと美江子さんを認めて顔を上げた。その目は怒りにきらめいていた。
「あんなのないよぉ。なに、あのひと」
「なにってなに?」
 彼女がまくしたてたところによると、幸生の実況中継とほぼ同じ顛末だったらしい。しかし、乾さんは言った。
「俺はあなたとは今夜、会ったばかりだ。いきなりそんなことを言われても困惑するしかないよ」
「まずはつきあってみたらいいんじゃない?」
 言いつつ、彼女は乾さんのシャツの胸元に手を忍び込ませた。俺が見ていたシーンである。乾さんはその手をやんわりと、それでいてきっぱりと押し戻した。
「やめて下さい。女の子がどんな格好で出歩こうと自由なんだろうけど、そんな服装で夜中に歩くのはやめたほうがいいよ。俺はあなたに興味はない。悪いけど練習中だから行くよ」
「一度だけでも?」
「一度だけ? 俺は恋のゲームなんかしたくないんだよ。あなたもそんなのは虚しいでしょ? まともな恋をしなさい」
 だってさ、信じられない、と真由美さんは言い、シゲさんと美江子さんは黙り込み、美江子さんはややあって言った。
「そんなら諦めるしかないよね。シゲくんとふたりで送っていくから、帰ろう」
「あたし、諦めない」
「諦めなさい。乾くんって頑固者なんだよ。そう言ったら前言は覆さない。だよね、シゲくん?」
「はい」
 とにかく帰ろう、と美江子さんが促すと、真由美さんは渋々立ち上がった。
「私は説得したの。シゲくんは黙って歩いてただけだけど、私は大島さんを説得したよ。諦めなさい、そんなんだとストーカー扱いされちゃうよ、あなただったら乾くんにこだわらなくても、好きになってくれる男の子はいくらでもいるでしょ、って。しまいには言った。あんなクールぶった年寄りじみた男のどこがいいのっ、とまで言ったの。諦めてくれたんだろか」
 当人の乾さんはなにも言ってくれず、大学で真由美さんと会ったかもしれない幸生もなにも言わなかったので謎のまま、その一件は葬り去られたのだった。


2

川上恭子さんと本庄繁之氏の結婚は、FSがようやくぼちぼち世間に名を知られるようになってきた時期だった。恭子さんとシゲくんが愛し合うきっかけとなったラジオの深夜番組で、ふたりの結婚を発表した。
「ええと、実はですね、僕はこのたび、結婚することになりました」
「あーら、本庄さん、おめでとうございます。お相手はどなた?」
 マネージャーの立場上、表に出ることなどまずない私なのだが、その日はテニスプレイヤーの恭子さんが海外での試合があって欠席で、この機会に美江子さん、話しておいて下さいよ、と彼女に頼まれて初のラジオ出演を果たしていた。私がいるときに発表するのは恥ずかしいんだもん、なのだそうだ。
「いつもは美江子さんの席にいる女性なんですけどね」
「ってことは、川上恭子さん? 本庄さんも隅に置けないんですねぇ。いつの間に?」
「いつの間にか、です」
「なれそめは?」
「なれそめはこの番組ですよ」
「そうだったんですか。じゃあ、本庄さんはFSのペアからあぶれて、恭子さんと組んだのがハッピィウェディングのはじまりだったのね。なんて素敵なのかしら」
「美江子さん、ちと白々しくありませんか?」
「そう?」
 ファンの方というものがふえてきたのも、その番組のおかげだったのかもしれない。続々とファックスが届き、本庄さん、おめでとう、恭子さん、よかったね、などとお祝いの文章やイラストが手元に集まった。その中にはちらほらと、シゲくんを困惑させる内容のものもあった。
「……私が本庄さんのお嫁さんになりたかったのに、だって。思い込みの激しい方もいらっしゃるみたいね。シゲくん、このひと、知ってる? 昔の彼女なんかじゃないよね?」
 番組が終了したあとで、ファックスを一枚ずつ読みながら、私は尋ねた。シゲくんはとんでもない、と手を振った。
「俺には昔の彼女なんてものはほとんどいません」
「ほとんどいなくても皆無じゃないんでしょ? 何人? 無理に聞き出そうとしてるんじゃないから、言わなくてもいいんだよ。シゲくんには何人かなんだろうけど、他の四人はどうなのかしらね。誰がいちばん多いの? 幸生くん? 幸生くんの場合、恋じゃないけど関わりのあった女が多いのかな。そういうのも恋っていうのかな」
「俺はよく知りませんけど」
「そういえば、幸生くんの彼女ってものには一度も会ったことないな、私は」
「俺もありませんね。話もあまり聞かない。あいつは恋愛に関しては秘密主義ですから」
「言えない話ばっかりあるんじゃないの?」
「そうかもしれませんね」
「で、他の三人は?」
 学生時代の本橋くんと乾くんの恋ならば、いくつかは知っている。章くんは彼女についておおっぴらに話すタチなので、彼の恋もいくつかは知っている。乾くんと章くんがやけにもてるらしいのも知っている。
「俺はもてないよ」
 と言ってみたり
「俺がもてないわけねえだろ」
 と言ってみたり、どっちが真実なのかわからない本橋くんだが、本橋くんにしてもまるでもてないはずはない。ああいう男っぽい男が好みの女は世には大勢いるのだから。
 顔立ちにしても本橋くんは醜男というわけではない。美男では決してないし、さほど特徴のある顔立ちでもないのだが、強いていうなら荒削りで精悍で野生的な男の顔、と好意的に表現するのも可能なのだ。背は高いし筋肉質だし腕力はあるし、侠気と正義感に満ち満ちているし、面倒見はいいしあたたかみもあるし。
 なんたって声は最高だしね。好き嫌いがあるので一概には言えないにしろ、あの深みのある、張りも伸びも艶もあるバリトンが、歌うときにはとりわけ素晴らしく女心を衝つ。個人的には私は本橋くんの声がもっとも好き。
 頑固者、乱暴者、怒りっぽい、短気、ぶっきらぼうで繊細さに欠ける、などなどと欠点も数え切れないほどあるけれど、許せないものではない。彼は彼なりに女には優しいのだともわかってきた。本橋くんは乾くんのように優しさをストレートにあらわさないのだとも知っている。乾くんのほうが根は素直じゃないのに、ことによっては本橋くんのほうこそねじくれているのだとも知るようになっていた。
 ファンのみなさまの評によると、本橋さんがいちばん好き、とおっしゃる方は、外見もさりながらリーダーとしての包容力、責任感、加えてあの声、歌、そのすべてがいいのよ、であるらしい。
 一方の乾くんには、高くて清涼感があって爽やかでいて、低い声を出すと大人の男性のセクシーさも漂う彼の歌が好き、ソフィスティケートされた都会的なかっこよさが好き、優しい微笑が好き、との評判がある。乾くんは全体的に涼しげなムードの持ち主で、顔立ちもいわゆるおしょうゆ顔、さっぱりさらりとしているのである。そのタイプの男性が好きな女性には、乾さんがいちばん、となるのもうなずける。
 鋭い目つきはファンの方には見せないので、そこのところは部外者の意識外だろう。乾くんはファンの女性のみならず、知り合いの男性にも人気がある。事務所の社長なんかはなにかといえば、本橋ではなく乾の名を出して頼りにしたがる。逆に嫌うひともけっこういるのだが、個性が強いせいだろうか。
 そして章くん、章くんは美形だ。どことなく翳りのあるまなざし、抑制しようとしてもほとばしる反逆者精神、ロック魂を込めたあの高い声、きーん、と響くメタルの歌声。となると、章くんファンは平均年齢が低い傾向にあるようだ。
 甘みがあるのは幸生くんの声も顔もで、ねじがゆるんでるからだ、なんてリーダーには言われるのだが、いくつになっても幸生くんは可愛い。本性が可愛いだけではないのは今では知っているつもりだが、一見甘くて可愛いので軽く見られ、軽く見られるのを逆手に取って、幸生くんは上手に世の中を渡っていっている。
 あとの四人と比較すれば、シゲくんが地味なのは否めない。ルックスも目立たなければ声も低くて地味。性格も控え目で実直タイプだ。しかし、彼は毅然とすべきときにはどっしり構えて微塵も揺るがない。大地に足を踏ん張って立つ男、なのかな。ちょっぴりうじうじしているところもなくもないけれど、そんな部分のない人間なんかいないだろう。恭子さんはいい男を選んだよね、と言ってあげたかった。
 プライベートでつきあう女性と、ファンに対する態度はむろんちがう。それでも、ファンの女性が彼らに抱く想いと、彼らの恋人が抱く想いには共通点もあるのではなかろうか。彼のここが好き、だとか。
「こんなファックスも届いてますよ」
 もてるのもてないのから気持ちをそらしていた私に、シゲくんが用紙を差し出した。
「……美江子さんはいいなぁ。大学時代から本橋さんや乾さんとずっといっしょにいたんですってね。FSのみんなと友達なんだよね。ファンは知らないことをいっぱい知ってて、ファンには見えない彼らの顔をいっぱい見てるんだよね。ただのファンには美江子さんがうらやましくてしようがないよ。私も一日中、乾さんのそばにいたいな」
 ファン心理ってこういうものなのね、わかる気はするな、だった。乾隆也ファンだと名乗る彼女のファックスにはイラストが添えられていて、超美青年に描かれた乾くんが微笑んでいた。


 ふーむ、俺は美形だって。あんまり嬉しくないけど、美江子さんは口には出させねどそう考えていたわけだ。
 精悍で野生的な本橋さん、涼しげなムードの乾さん、地味で控えめでどっしりしたシゲさん、甘くて可愛い幸生、女性の目にはそう映るらしい。結論は男としてはシゲさんがいちばん? そうなのかもしれない。だからこそシゲさんはいちばんに結婚した。恭子さんは男のルックスなんかに恋心を乱されない、堅実な女性なのであろう。
「こんなの発表はできないけど、章くんが記念アルバムにエッセイを書くって決まって、私も書いてみたの。これはその一部なんだけどね」
「全部読ませて」
「いや」
 USBメモリを抜いてしまった美江子さんともみ合っていたら、はずみで俺の手が美江子さんの頬に当たった。美江子さんは顔をしかめ、眼鏡がずれた。部屋に入ってきた乾さんが硬い声を出した。
「章……おまえ……」
「喧嘩じゃありませんよっ。美江子さんが……美江子さんのせいで……美江子さんが悪い」
 なんだってこうタイミングよく、ではない、バッドタイミングで乾さんが出現するんだろう。ばっちり目撃された。あんたは超能力者か。トラブル察知予知能力があるのか。俺はしどろもどろになり、美江子さんが乾さんの腕をつかんだ。
「やめてよね。ただの小競り合いだよ。私が悪いの。もったいつけて章くんに私の書いた文章をちょっとだけ読んでもらって、全部はいやだって言ったから」
「事情はわかった。しかしな、章、彼女が悪い? 彼女のせいだ? おまえは昔からそうだろ。叩いたんじゃないにしても、女性の顔に手が当たったらあやまれ」
「なにかといえば男だ女だって言わないでよ」
 かばってくれるつもりなのだろう。美江子さんは乾さんに食ってかかった。
「本橋くんとおんなじじゃないの、乾くんも。乾くんが言うのは、女に暴力をふるう男は許せないだとか、女に殴られても笑って受け止めるだとか、女の顔に手が当たったからどうだとか、つきつめたら同じよ。女のくせに、男のくせにって言うのとどこがちがうの?」
「じゃあ、ミエちゃんには許せるの? 女性に手を上げる男。女性に殴られて殴り返す男。原因はどうあれ女性の顔を叩いた結果になって、ごめんとも言えない男。俺はそんな奴は許せないんだよ。悪いのか」
 乾さんの表情も険しくなってきた。語調も荒っぽくなってきた。
「きみがなんと言おうと、俺は主義をまげるつもりはないよ。それを悪いと決めつけるんだったら勝手にしてくれ」
「開き直ったね」
「ああ、悪いか」
 おろおろしてしまって俺は行動が起こせない。乾さんと美江子さんの口論も見覚えはあるが、たいがいは美江子さんが感情的で乾さんはクールに受け答えしていた。今は乾さんまで感情的になっている。俺はどうしたらいいんだろう。
「男と女は生まれついてちがってるんだよ。社会的な訓練の差だって説もあるけど、あなたは俺と腕相撲して勝てる? やってみてもいいよ」
「論旨がずれてる」
「ずれてない。俺はそういうことを言ってるんだ。肉体的差異は男女にはあきらかにある。持久力や精神力は女性のほうが強いのかもしれないけど、腕力は男だろ。だから俺は俺の主義で行動する。何度も言わなくてもあなたは俺の言いたいことを理解しているはずだ。章に怒ってる俺の気をそらしたいんだろ。俺もそれはわかってるけど、つべこべ言うんだったら飛びかかってきて俺を殴ればいい。俺は俺の主義で対処するから」
「……そういうのもやっぱり男の論理だね」
「ああ、俺は男ですよ。悪かったな」
「悪くはないんだけど、乾くん、ちょっと変わった?」
 むしろ今回は美江子さんが冷静で、うふふと笑った。
「いっつも涼しい顔ばかりして、憎たらしくも気障な奴だって思ってたけど、今は人間的だね」
「うるさい、黙れ……ん? 俺は今、なんと言った?」
「うるさい、黙れ。本橋くんにだったらいちいち覚えてないほど言われてるけど、乾くんに言われたのってはじめてだよ。感動的かもしれない」
「……ごめん。少々気が立ってました。章に言ってるつもりだったらしい」
「相手が男か女かで、そこまで態度を変える男って一般的? 本橋くんが変わってるの?」
 興味津々の顔つきで美江子さんが俺を見、俺はやっと口を開いた。
「美江子さん、すみません」
 あやまるのが遅い、と乾さんは俺に八つ当たりを向け、美江子さんはにこっとした。
「いいのよ。たしかに私が悪かったんだから」
「な、章、ミエちゃんのほうがおまえよりずっと潔いだろ。だからおまえは……やめた。俺は反省してきますよ。今日はどうかしてる」
「反省だったら猿にもできる、ってなにかで言ってたね」
「……きついね。では、失礼」
 片手を上げて乾さんは出ていき、美江子さんは舌を出した。
「あれはきっとそうだよ。乾くんは彼女と喧嘩したんだ。それで気が立ってどうかしてるのよ。深刻なもめごとじゃないんだったらいいけど、乾くんは章くんとはちがうから、なんとかするでしょ」
「……きついですねぇ、ほんと」
「そう? 私もひとこと多い? 私も反省しなくちゃね。反省はあとからするけど、なんだか安心したなぁ。ああいう乾くんも乾くんの中にはいるんだよね。クールぶったかっこつけの一面ばかり見てるとうんざりしちゃうのよ。いっぺん心底怒らせてみたいんだけど、そこまではいかなかったか」
「そこまでは行ってませんね。怒り一歩手前だった。美江子さん、趣味よくないよ。乾さんを心底怒らせたらどんなだか、美江子さんは知らないでしょ」
「知らない。どんなの?」
「うむ……うむむ……」
 ひとつひとつ話していたら日が暮れる。俺にしても乾さんの本気の怒り噴出は稀にしか見ていないので、本橋さんのほうがよく知っているだろうと思って言った。
「リーダーに訊いてみたら?」
「本橋くんからも聞いたことはあるよ。でも、この身で体験してみないと実感湧かないんだもの。しかも私に対しての怒り。それってどんな感じかな」
 真っ先にシゲさんが結婚したものの、あとは全員独身なのだが、美江子さんは乾さんの彼女とやらを知っているのだろうか。怒らせるとあとが厄介なので、俺は恋人を怒らせたいとは夢にも思わないが、女性にはこんな気分があるものなのだろうか。
 あの怒りっぽいリーダーにしたところで、美江子さんには俺たちに対する態度とはかなりちがう。まして乾さんなら、美江子さんに怒っても先ほど程度だろう。ゆえに、女は男をなめてる。そうなのか。よくわからない。
「女はわかんね。まあいいか。美江子さん、全部じゃなくてもいいから、俺が読んでもかまわない部分だけでも読ませて下さいよ。藁にもすがりたい。エッセイってむずかしすぎる」
「私の文章は藁なんだね。じゃあ、章くんに読んでもらっても支障のないところをピックアップしてみる」
「お願いします。それよりいっそ、エッセイ本を出しません? フォレストシンガーズのマネージャーが見た、彼らの赤裸々なるこの十年」
「いいの? やばいよぉ」
「……やばいか。前言撤回。やめて下さいね」
 さあ、どうしよっかな、が美江子さんの返事だった。


 右端には本橋さんがいる。白のTシャツにジーンズ、紺系のチェックのシャツを羽織って、袖を腕まくりして、右腕に力こぶを作って、不適な面構えをしている。そのとなりは乾さん、シルバーグレイのスーツに純白のシャツ、ブルーのネクタイ、左手はポケットに入れ、右手には煙草を持って、かっこつけたポーズで微笑んでいる。
 真ん中はシゲさん、紺のトレーニングウェアの上下で、左手でバーベルを持ち上げて、なんのこれしき、とでも言いそうな表情をしている。その左は幸生、胸に大きくYの文字をプリントした紺のTシャツに白のハーフパンツと、ボーイズファッションであぐらをかいて、無邪気っぽく大口を開けて笑っている。
 左端は俺だ。ショッキングピンクのシャツに白革のパンツ、白のロンドンブーツのおかげで、背丈は他の三人に負けていない。斜に構えて反抗的なまなざしをカメラに向けている。
 普通は十周年を記念するべきなのだろうが、八周年記念で政令指定都市ライヴツアーをやったのだから、もののついでなのか、全国ツアー記念も兼ねて特別アルバムを出し、俺がエッセイを書くことになったのだ。多数決で決まったのだからして、俺も不平はちょびっとだけにして書いた。美江子さんも協力してくれた。
 アルバムの初期限定盤に、ファンの方々のご要望によりポスターをつけることになった。俺の前にあるのはそのための写真だ。各自が各自らしいファッションをして、ただし、表情とポーズはファンの方のイメージに合うように、と五人で相談をまとめた。ファッションの基本色は白と紺。その中で乾さんのグレイと、俺のピンクがいくぶん異彩を放っている。
「あまりにもロッカーロッカーしてるのもなんだけど、ちょびっとロッカーテイスト……ってえと、ロンドンブーツだな」
「章はロンドンブーツ? そしたら俺ばっかちびじゃん。俺はすわろう。服装はユキちゃんらしく子供っぼくね」
「俺はかっこつけの乾さんなんだろ。スーツにネクタイ。世は禁煙ブームだから、時代に逆行してくわえ煙草ってのもいいかもしれないな」
「俺はおしゃれには縁がないんですから、いっそトレーニングウェアだと俺らしいでしょ。そうしますよ」
「俺も洒落っ気はないから、昔から着てる普段着にするよ」
 俳優じゃないんだから演技はむずかしかったが、表情やポーズは自然にこんなふうになった。はたしてファンのみなさまは、らしいなぁ、と考えてくれるだろうか。俺にはみんながらしく思える。
 CDジャケットはオーソドックスにステージ衣装だ。アルバムタイトルもオーソドックスに「フォレストシンガーズ・AGE8」。ブックレットの表紙にはデビューシングルの写真を使い、一枚目をめくると、ポスター写真の服装をした本橋さんが豪快に笑っている写真があって、リーダーのご挨拶が読める。
「みなさま、フォレストシンガーズを長年に渡ってご愛顧いただきまして、まことにまことにありがとうございます。八年の間、歌い続けて走り続けて参りました。ひとえにファンのみなさまのおかげです。八周年記念アルバムをお聴き下さい。みなさまのご期待を絶対に裏切りません」
 二枚目には乾さん。写真は本物の二枚目ふうにクールに決めていて、乾さんからもひとこと。
「俺は世界一の幸せ者だとつくづく感じています。素晴らしいと呼ぶには語弊がありますが、そう言ってもさしつかえない仲間たちと、こうして歩いてこられました。ここまで来られたのもファンのみなさまのご厚情のたまものです。ファンのみなさまは語弊もなにもなく素晴らしい。多謝」
 三枚目は幸生。シゲさんではなく幸生なのは、「三枚目」であるからだ。幸生は口をキスの形にしていた。
「はーい、ユキちゃんですよぉ。ファンのみなさま、愛してまーす。僕のハートすべてを込めて、いっぱいのキスを贈りまーす」
 四枚目がシゲさん。写真は生真面目な表情をしている。文章は苦手だよぉ、と愚痴りつつも、シゲさんも短文を寄せていた。
「世界一の幸せ者だなんて乾さんが書いてますけど、世界一の幸せ者が五人そろったのがフォレストシンガーズです。僕は感無量です。本当に本当に、ファンのみなさま、ありがとうございます」
 五枚目が俺だ。写真は五人ともがポスターと同じ服装で、俺の表情はにこにこ顔になっていた。
「えっとですね、僕からのメッセージは巻末エッセイでお読み下さい。今はひとことだけ。ファンのみなさま、ありがとうございました。今後とも我々フォレストシンガーズをなにとぞよろしく」
 挨拶文のコンセプトは「ファンに感謝」なのであるからこれでいいのだ。続いてめくっていくと、歌詞カードにそれぞれが書いた詞や曲のコメントなども載っている。ひとりひとりが自分のテーマ曲というものを作り、そこにも短文を書いたのだった。
 本橋真次郎作詞作曲「My soul」、乾隆也作詞作曲「すこしだけ立ち止まれば」、三沢幸生作詞作曲「なに言ってんの」、木村章作詞作曲「I am watched」、本庄繁之作詞作曲……は、俺には歌は書けない、とシゲさんが言い張って、春日弥生作詞、金子将一作曲の「花の名前は」となった。
 「My soul」はソウルミュージック、「すこしだけ立ち止まれば」はフォークソング、「なに言ってんの」はなんとも名づけようのないリズムとメロディの歌であって、ユキオふうとしか形容のしようがない。「I am watched」は言わずと知れたハードロックで、「花の名前は」はジャージーなバラードである。各々のテーマ曲は各々がソロを取り、他の四人がコーラスで加わった。たとえば幸生は、自らの曲にこんなコメントをつけていた。
「けたたましくも騒々しくもやかましいユキちゃんってのは、今さら言うまでもなくみなさまに知られているわけですし、そんならそういう曲を書こうっと、となってできあがった歌です。お聴きになれば説明するまでもなく、ああ、ユキちゃんだー、となるはずです。楽しみにしてて下さいね」
 だそうで、たしかに実に幸生である。どんがらがっちゃのがっちゃがっちゃ、のイントロに乗せて、幸生の超高音が轟き渡り、なんだなんだこれは、と驚いているうちに曲に引き込まれて聴き惚れている。少なくとも俺はそうだった。
 それからそれから、長めの俺のエッセイが載っていて、裏表紙は現在の我々の集合写真で、そろいのブルーのスーツを着て手を振っている。真ん中は本橋さん、右にシゲさん、幸生、左は乾さん、俺。なだらかなカーブを描く身長順の写真だ。ブックレットの中にも写真がちりばめられていて、なかなか豪華な写真集のおもむきもある。俺たちはルックスが売りではないんだけど、写真を喜んでくれるファンってのもいるわけで。
「エッセイはむずかしすぎますよ。アルバムのために特別に曲を書いたんだけど、それをかわりにできません?」
 言ってみたら、それはそれ、これはこれだ、と却下された。
 アルバム収録曲は、五人のテーマが五曲、特別曲は木村章作曲の「少年」である。「路地裏の少年が年を食って」みたいなタイトルにしたかったのだが、ぱくりはあきらかなので無難なタイトルにした。
 この曲は乾さんと俺がギターを弾き、本橋さんがピアノを弾くインストゥルメンタルだ。オリジナルがもう二曲、三沢幸生作詞、木村章作曲「出会いのいきさつ、別れの顛末」。それからそれから、昔々に幸生が俺に挑戦した「ハートブレイクボーイ」。この曲をいじっていると、いまだにスーが……だって、俺には彼女がいないんだもん、なのだけど、まあ、それはいい。
 あとはカバーバージョン。その昔に本橋さんと乾さんが初デュエットした想い出の一曲、ふきのとうの「白い冬」、本橋さんが歌うジョン・レノンの「イマジン」、乾さんが歌うH2Oの「LORELEI」、シゲさんが歌う風の「海岸通」、幸生が歌う大滝詠一の「君は天然色」、俺が歌うHEARTの「バラクーダ」。五人でかわるがわるソロを取る往年のGSの名曲「想い出の渚」。ラストは五人のコーラスで、エルビス・プレスリーの「やさしく愛して」。
 「少年」「白い冬」「My soul」「すこしだけ立ち止まれば」「なに言ってんの」「I am watched」「花の名前は」「出会いのいきさつ、別れの顛末」「ハートブレイクボーイ」「イマジン」「LORELEI」「海岸通」「君は天然色」「バラクーダ」「想い出の渚」「やさしく愛して」。全十六曲のラインナップである。ソウルもフォークもロックもポップスもバラードも入ってて、お買い得ですよぉ、と自慢したい出来栄えになっていた。
 どうにかこうにか書き上げた自作のエッセイを読み返しながら、俺はしみじみしていた。十周年記念はもちろん、二十周年記念アルバムなんてものも出せたらいいなぁ。いいや、きっと出すんだ。そのころの俺たちはいったいどんなふうになっているんだろう。四十代のオヤジヴォーカルグループか。それもきっと楽しいだろうな。
 あれは俺十八……だった俺は、もうすぐ三十歳。路地裏の少年が大人になったよ、って、少年だった俺に見せてやりたい。三十になろうっていうのに、大人になったとは言い切れないのだが、あと十年もしたら本物になれるさ、と一応、楽観しておこう。

END


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