番外編

番外編26(2-4)(どうにかなるさ)後編

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番外編26

「どうにかなるさ」後編


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 どれを誰が知っていて、誰はどれを知らなくて、内緒にしなくてはいけないのはどれとどれ? 誰にどれを喋ってはならない? あれとあれは誰と誰でこれとこれは誰と誰。ちがうだろ、それとそれは誰と誰じゃないか。
 頭の中で教えてくれてるのは木村さんと三沢さん? 甲高い声でさえずらないで下さいよ。よけいに頭の中が混乱をきわめるじゃありませんか。
「酒巻さん、なにひとりごと言ってるんですか?」
 ビジュアルロックフェスの夜に乾さんとシゲさんと僕を前に、エミーが話してくれた。木村さんにも話したとエミーは言っていた。玲奈さんはさきほど、僕とともにエミーから聞いた。エミーが燦劇を脱退してハードロックギタリストになりたいと言うその話は、今のところは何人が知っている計算になるのだろうか。
 あのときはそばに恭子さんと沢田さんもいたので、七人か。社長にも燦劇の仲間にも打ち明けていないとエミーは言っていたので、七人で合っているはずだ。僕は手帳にその事実を記した。
「なにやってるんですか、酒巻さん」
「整理してるんです」
 問いかけてくる玲奈さんに答えて、手帳をしまった。エミーは食事をしながら玲奈さんと僕に打ち明け話をして、スタジオに戻っていったのだった。
「さっきも言ったけど、ファイと俺は幼稚園児だったころからの友達だよ。小学校も中学校も高校も同じだったんだ。そうやってずっといっしょにいたからって、お互いのことを全部知ってるわけでもない。俺が中学生になる前からロックが好きで、ギターを弾いてたってのは、ファイは知らなかったんだよな。俺がライヴハウスにロックを聴きにいくようになって、ロック仲間を作ってたのも、ファイは知らなかったみたいだ。そうやってロック仲間ができると、お約束みたいにバンドを組もうって話になるんだよ」
 木村さんも高校時代からロックバンドをやっていたと聞いているが、エミーもまた、木村さんと似た少年時代をすごしていた。武者小路蒼くんがサファイア、鈴木一夫くんがエメラルドと名乗るようになったのは、小学生のころからだと言うので、ロック仲間の間でもエミーはエミーで通っていた。
「高校を卒業してからも俺はロックバンドやってたよ。ロックはやっててもちゃんとした仕事はしてなかったから、職業はフリーターだった。ファイもフリーターで、このまんまじゃどうしようもないよなぁ、お笑いコンビでもやろうか、なんて言うようになったんだ。ファイは中学生のころからお笑いをやりたかったらしいんだけど、お笑いなんてやだよ、ロックやろう、いっしょにロックやろう、って俺が言って……だったのかな。そのころには、ファイも俺がロックが好きだって知ってたんだよな。なんだか頭がごちゃごちゃしてるけど、とにかく、高校を卒業してしばらくしてから、ロック雑誌でメンバーを募集したんだ。けっこうたくさん応募してきて、その中には顔のいい奴もいた。ファイは目立ちたがりの主役になりたがりのって奴だから、最初からヴォーカリストになるって言ってたよ。俺はギターだろ。楽器はそう上手でもなかったけど、その中からトビーとルビーとパールを選んだんだ」
 ベースのトビー、ドラムのルビー、キーボードのパールは、むろんそのころは本名を名乗っていたのだが、三人ともに小柄とはいえ、顔立ちはかなりよかった。たしかにそうだ。
「五人になってバンド名を決めるだとか、どんなジャンルのロックをやろうかだとかって話してて、パールが言ったんだったかな。ビジュアル系ってよくない? ってさ。あとの四人も賛成して、バンド名は「燦劇」って決めて、衣装やらメイクやらもこんなふうにって話してて、盛り上がってたよ。だけどね、俺も賛成はしたけど、なんかちがうって感じてた。俺のやりたいのはビジュアルじゃねえんだよ。でも、みんな楽しそうにしてたし、ビジュアルでって決めてファイが詞を書いて、俺が曲を書いて、それっぽいのを歌ったらファイの声にはぴったりだったんだよな」
 ファイはお笑い志向で、エミーはハードロック志向。パールは演劇をやっていた時期があり、トビーとルビーは中学生のころからロック好きだった。とはいえ、音楽の方向性は彼らが集ったときには定まっていなかった。はからずもパールのひとことで、ビジュアル系へと進むことになり、練習を重ねた。
 そのうちにはライヴハウスに出演できるようになり、次第に熱狂的ファンがつくようになり、インディズレーベルからCDも発売した。
「俺はびっくりしてたよ。高校出てふらふらしてたフリーターの集団だった俺たちが、こんなにうまく行っていいの? って感じだった。そんなある日、乾さんと木村さんと三沢さんが俺たちのライヴを聴きにきたんだ。社長の息子の数馬ってガキが俺たちのファンだったからってんで、社長が乾さんに頼んだんだって。数馬は中学生だったから、そんな子供をひとりでライヴになんかいかせられない。乾、つきそってやってくれ、だったらしいよ」
 すでに熱烈なファンを獲得していたインディズバンドの「燦劇」のライヴに、乾さんを行かせたのは、山崎社長には目論見があったからだった。彼らが乾さんの審美眼にかなったら、オフィス・ヤマザキに所属させてメジャーデビューさせようと。そのいきさつは僕も三沢さんからいくらかは聞いている。
 ところが、社長さんは燦劇がビジュアル系だとは知らなかった。ロックライヴになら行きたいと言ってついていったくせに、あの頑固な音楽的趣味を持つ木村さんは、ビジュアルだと知って激烈な拒絶反応を起こし、三沢さんを引っ張って外に出てしまったので、三沢さんと木村さんは燦劇の音を聴かなかったのだ。
「乾さんはロックには疎いって言ってるけど、その乾さんが社長に、燦劇は悪くないって言ってくれたおかげで、社長もその気になったんだそうだよ。俺たちはそのころはそんなのは知らなかったから、社長に会いにいった日には生意気な態度を取っちまってさ、本橋さんを怒らせた。俺もとんでもなかったかな。若気のいたりっての? なーんもわかってなかったもんな」
 本橋さんも怒っていたのだが、乾さんはさらに怒った。怒ったというと表現がややちがうような気もするのだが、ファイがなにやらやったとかで、乾さんにがっつんと蹴飛ばされた。文字通りキックを喰らったのだそうで、そこまでは知らなかった僕も驚いた。
「それはいいんだけどさ、とにかくそういうわけで、俺たちはデビューできた。させてもらったんだね。舞い上がってたからまだまだなんにもわかってなかったけど、デビューしたらしたで、わーっと人気が出たじゃん。フォレストシンガーズより人気は上だなんて言われて、舞い上がりっぱなしで三年以上。あいつらは満足してるんだろうけど、俺はずっと思ってた。こんなんじゃないんだよ、俺のやりたい音楽は、ビジュアルじゃないんだよ。化粧も変な服も高いヒールの靴もいやなんだ。俺なんかギターはちっともうまくないんだから、燦劇以外のバンドでなんかやれるのかって、そのくらいはわかってきてるけど、俺はハードロックがやりたいんだ。他の奴らがビジュアルのまんまで行くつもりなんだったら、抜けるしかないだろ」
 長い話をして、彼の考えは整理できたのか。エミーは語り終えて立ち上がった。
「まだ言えてなかったんだけど、言わなくちゃな。酒巻さん、玲奈ちゃん、聞いてくれてありがとう。酒巻さん、名前なんてほんとはどうでもいいんだよ。当たってごめん」
 ほぼ黙って聞いていた僕は、さっぱりしたような顔になっていたエミーに言った。
「ううん、僕こそごめんなさい。この間もすこし聞いたけど、きみの気持ちはよくわかったよ。話してくれてありがとう」
「私にはよくはわからないけど、そんならみんなに話さなくちゃね。エミー、応援してるからね、ちゃんと話しておいでよ」
「うん、そうするよ」
 そうしてエミーは出ていき、玲奈さんと僕は店に残っていたのだが、ややあって玲奈さんも立ち上がった。
「私も仕事に戻ります。エミーの問題は燦劇のみんなにまかせるしかないんですよね」
「そうですね。僕も仕事がありますので、出ます」
 燦劇の問題は後ほど彼らが報告してくれるだろう。そこで秘密も解禁となる。それにしても、だんだん親しくなってきている燦劇のエミーが脱退するなんて、僕は寂しいけど仕方がない。やめないで、とエミーに言える立場ではないのだから。しょんぼりしながらも玲奈さんと別れて、ラジオ局に向かった。
 本日はまた気が重い。僕がDJをやっている番組にゲスト出演してくれるのは、チャミさんなのだ。仕事中は仕事の話しでいいのだが、そのあとを思うと気が重い。
「近日公開のアニメ映画「宇宙のファンタジー」に声の出演をなさっています、チャミさんです。ようこそいらっしゃいました」
「こんばんはーっ。チャミは女ですよ。この声で男の子かと思われるんですけど、女ですから。声の出演は男の子役ですけどね」
「お美しい妙齢の女性が、お茶目な男の子の役をなさるんですよね。主人公の親友役ですよね」
「親友が何人もいるうちのひとりです。ポンタって名前ですけど、狸ではないんですよ。ひょうきんな人間の男の子です」
「超未来SFアニメだと伺っております。「宇宙のファンタジー」って、テーマ曲もアースウィンド&ファイアのあれなんでしょう?」
「酒巻さん、べースヴォーカルやって。歌いましょうよ」
 ちょっとばかり歌わされてしまったのだが、番組はスムーズに進行していった。が、そのあとで、の僕の予感は大当たりだった。
「お疲れさまでした。酒巻さん、夕食に行こうよ」
「はい……」
「いやそうな顔してる? いやなの?」
「いやではありません。行きましょう」
 お昼も夜も美人と食事、嬉しいなーっ、と言えたらいいのだが、言おうとしたらひきつる。それでも、チャミさんとふたりで食事とお酒の店に行った。
「いつ、乾さんに紹介してくれるの?」
「乾さんには話しました。しかし、乾さんはご多忙ですし、現在は女性とのおつきあいはできない状況だとの返事でした」
「そうは言ってもね、私と会ったら気が変わるかもしれないじゃないの。忙しくっても恋はできるのよ」
「そういうものですか。しかし、断られたんですから」
「会ってもみないで断るって、乾さんって女には冷淡なの?」
「乾さんの女性に対する態度というものは、僕は知りません」
「仲がいいんでしょ」
「僕は男ですから、女性に対する態度とは異なる態度で接していただいていますから」
「優しいんでしょ、乾さんって?」
 全然優しくなんかないんだよ、と言ってやりたかったのだが、乾さんは優しい。女のひとにもおおむね優しい乾さんしか知らないし、僕にも基本的には優しいのだから、彼は冷酷だなんて嘘はつけない。
「酒巻さんが乾さんに会うときに、連れていってくれたらいいんだから。私が口説いたっていいんだから」
「会う予定はないんですけど、鋭意努力します」
「なによ、それ? 逃げ?」
「逃げてはいません」
 我ながら口調が冷淡になってきているのを感じる。チャミさんはふくれっ面になり、煙草に火をつけた。
「ヒカリって知ってる? 芸名はヒカリだけで、苗字はなしのヒカリ」
「芸名とおっしゃいますと、俳優さんか歌手ですか」
「知らないんだね。まるっきり売れてないシンガーだから、しようがないか。ヒカリは私の友達なの。ありがちなんだけどね、ふられちゃってさ、売れてないのもあって、歌手には見切りをつけて故郷に帰るって言ってんのよ。故郷の山形に帰って見合いでもして結婚するって」
 話題が変わったので安心したような、この話はどう続くのかと不安なような、そんな気分で僕は言った。
「僕も山形出身です」
「そうだったの? ヒカリは一年くらい男とつきあってた。彼が誰なのかを私は聞いてるけど、酒巻さんには言わないほうがいいから言わない」
「それはどういう?」
「言わないんだから言わないの」
 当然であろう。僕はそれをじきに忘れるから、いろんなひとに叱られるのだ。
「彼も売れてないひとだったんだけど、近頃は売れてきてるのね。ヒカリは売れないシンガーだって自分にうんざりしてたのもあるし、彼の本心をたしかめたくて言ったんだって。結婚してほしいって。あんたと結婚して主婦になって、ささやかな幸せを手に入れたいって。それっていけないの?」
「いえ。女性の生き方としてはいけなくはないと思いますが」
「だけど、彼につめたく断られた。私も乾さんにつめたくされたのか」
「ってこともないんですけど、すみません」
「酒巻さんがあやまってくれたって意味ないのよ」
「はい、すみません」
「酒巻さんってもてないでしょ」
「まさしく」
「そうだろうね」
 意地悪な目つきで僕を見たものの、チャミさんは気を取り直したようににっこりした。
「今夜は楽しく飲もうよ。映画の話をしてもいい?」
「はい、聞かせて下さい」
 声優さんの仕事の話しやら、僕のDJとしての仕事の話しやらをして、それから先は楽しくすごせたのだが、そろそろ帰ろうかな、と言ったあとで、チャミさんは意味深な台詞を発した。
「売れないでいたころにはおんなじ立場だった女を、そっちが売れたら捨てるんだよね。男なんてそんなものか。私もフォレストシンガーズの男なんかとつきあわないほうがいいのかもね」
「あの、チャミさん、それはいったいどういう意味でしょうか」
「さあね」
「そしたら乾さんには紹介しなくていいんですか」
「それはそれで……私も会ってみたいしね、乾さんにも本橋さんにも」
「本橋さん?」
「じゃ、帰るね。またね」
 なんだなんだ、今の台詞は? 乾さんはいいけど、本橋さんって? 頭の中がより以上に混乱をきわめて、送っていかなくちゃ、と気づいたときにはチャミさんの姿は消えていた。


 未解決問題は種々あるのだが、先決なのはヒデさんだ。久し振りに神戸の「酔っ払いカモメ」で会ったヒデさんに、僕は世間話のついでのように話した。
「そういえばね、シゲさんが僕の番組にゲスト出演してくれるってあれは、延期になったんですよ。フォレストシンガーズも多忙ですから」
「そうなんか。ま、どうでもいいけどな」
 気のない素振り。素振りなのか本心なのか、僕にはつかみ切れない。
「全国ライヴにはヒデさんは行かなかったんですよね」
「行くわけないだろ」
「三沢さんって口紅つける趣味がありましたっけ?」
「ないだろ、そんなもん。幸生の口紅つけた顔って……想像すると……しかし、あいつは今でもガキっぽいよな」
「知ってるんですよね」
「見たくなくてもちらちらと目には入ってくるよ。売れてきたんだもんな」
 あなたにとっては、フォレストシンガーズが売れてきたという事実は喜ばしいのか。腹立たしくはないはずだとは思うが、僕にはそれすらもつかみ切れなかった。
「本橋さんの頭は見ました?」
「頭って?」
「坊主頭になってるんですよ」
 これはもはや公然になっている。彼らはテレビには稀にしか出ないのだが、先日、深夜の音楽番組に出演したので、ファンのみなさまもご覧になっただろう。ヒデさんは見ていないようだったので、僕はテレビ番組の話をした。
「ライヴツアーの報告って感じのトークをしてたんですけど、司会者がまずは言いました。本橋さん、スキンヘッドになると頭が小さくなって、いっそう背が高くてスタイルがよく見えますね、かっこいいですねぇ、って。女性の感覚ではそうなんですかね」
「女の司会者だったのか」
「そうです。そしたら横から三沢さんが、だけどさ、頭が寒々しいでしょ? 口紅で真紅の薔薇でも描いたらいいのに、って言ったんですよ。どうも三沢さんは妙に口紅にこだわるんです」
 テレビでは乾さんはこう言っていた。
「寒々しいのはたしかですから、ニットの帽子をかぶるといいんですよね。流行ってるでしょ。編み物の得意な女性ファンのみなさま、うちのリーダーに帽子を編んでやっていただけませんか」
 木村さんは言った。
「男性ファンの方でもいいですよ。斬新なニットキャップをよろしく」
 そこから会話が帽子に移り、三沢さんは別のゲストシンガーの帽子を貸してもらって本橋さんにかぶせようとし、また別のゲストがシゲさんに奇妙な形の帽子をかぶせようとしたりして、テレビ画面では賑やかな笑い声が起きていた。
「後に三沢さんに聞いたところによりますと、本当にファンの方が帽子を送って下さったんだそうですよ。ところが……」
 帽子は数人のファンの女性が送ってくれたので、どれかを選んでかぶると不公平になる。悪くすると選ばれた帽子を編んだ女性が、本橋さんって私に恋をしてくれたの? と考える恐れもある。乾さんは言っていたのだそうだ。
「俺の失言のせいだったか。本橋、送ってもらった帽子をすべて、とっかえひっかえしてかぶれ。いっそ全員でかぶろうか」
 三沢さんから聞いたそんな話をして、僕は言った。
「スターになりつつあると、そういう苦労も出てくるんですね」
「すると、これからは帽子をかぶったフォレストシンガーズか。シゲには似合わないんじゃないのか」
「シゲさんにだって似合いますよ。それでね、フォレストシンガーズは近く東京でライヴをやるんです。そのあとは韓国に進出するんだそうですよ」
 韓国進出ももはや秘密ではない。先輩たちはそれを知らされて燃えていた。
「世界的スターになるんだな」
「世界進出の第一歩は、お隣の国ですよね。ヒデさん、東京でのライヴ、行きません? チケットだったら買えますよ。僕は便宜を図ってもらえますから……ヒデさん」
「ライヴには行かないと言っただろ」
 怒らせてしまったか。しつこく誘いすぎたのか。ヒデさんはマスターに、勘定して、とぶっきらぼうに言って、僕にはおやすみとも言わずに出ていった。
 今日も「酔っ払いカモメ」には他の客はいない。マスターはヒデさんと僕の話には一切口をはさまないものの、会話が漏れ聞こえてはいるだろう。ヒデさんがどういった人なのか、以前から知っていたとしても知らなかったとしても、今では知っているだろうと思える。僕がヒデさんの後輩で、フォレストシンガーズとはなにで、僕がヒデさんになにをさせたがっているのかも、すでに知っているはずだった。
 けれど、ひとりきりにされてしまった僕には、マスターは声をかけない。新しい水割りを作ってくれて、黙ってカウンターに置いた。
「マスターって無口なんですね」
「普通やろ」
 話しかけると返事はしてくれる。錆びた声の神戸弁がニヒルに響く。
「僕も学生時代は喋るのが苦手だったんですよ。山形出身で東京の大学に進学して、山形なまりが恥ずかしいってのもあって、この声がルックスとギャップがありすぎるってのもあって、なるたけ無口でいようとこころがけていたんです」
「ルックスとのギャップか。あんた、ええ声してるやないか」
「ただいまの職業はDJですし、酒巻さんって声だけはいいよね、って女のひとも言ってくれます。声だけよくてもね……マスターもいいお声をなさってますね」
「おっさん声や。わしはおっさんやからな。おっさんの声がこんなんやっつうんは、ギャップはないんやろ」
「マスターはルックスも渋くていらっしゃいますから」
 中背で痩せていて飄々としていて、それでいて時に眼光鋭い。マスターはどんな人生を送ってきたのだろうと、僕は時として考えるのだが、ただの客がそんな質問をしてはいけないだろう。
「おお? こないだの兄ちゃんやんけ」
 ドアが開いて、記憶にある声が聞こえてきた。振り向くと、僕がはじめてここに来たときに因縁をつけてきた、お兄さんたちのうちのひとりだった。
「あんた、ラジオに出てるんやてな」
 彼はあのあとでファイと仲良くなっていたようだから、ファイに聞いたのだろう。キムと名乗ったところを見ると、韓国の方であるらしい。
「キムさんはヒデさんとはお知り合いなんですか」
「ヒデって誰や? 知らんで」
「そうなんですか。韓国のご出身ですか」
「在日」
「日本生まれの方なんですね」
「そうや。そやけど、そんなんどうでもええやんけ。俺は港で肉体労働してるんや。ちっこいときから不良でなぁ、ええもん見したろか」
 ええもんとは、太い二の腕に彫ったタトゥだった。かっこいいですねぇ、と笑おうとしたらひきつった。
「こないだのあの、ロックやってるっつう兄ちゃんも、首筋に刺青しとった。あんたも仲間かて言うたら、シールやて。しょうむな」
「ロッカーはやりたがるんですけど、本物の刺青を彫るほどの勇気はないんですよね」
「そんな勇気、ないほうがええんとちゃうか」
 吐き捨てるように言われて、二の句が継げなくなった。キムさんも黙ってしまい、マスターが暇そうにギターを爪弾きはじめる。キムさんが小声で歌う。ひどい音痴だったのだが、そうとは言えなくて僕は席を立った。お勘定は? と尋ねると、マスターは首を横に振る返事をよこした。
「ヒデさんから、ですか。そういうわけには……」
「わしかて、ふたり分ももらうわけにはいかんのや」
「そうですか。ごちそうさまでした」
 おやすみなさい、と頭を下げて、僕は店から出た。港の灯りがにじんで見える。乾さんに頼まれたというのに、ヒデさんをむしろ怒らせた。キムさんの気分まで害してしまったようだし、マスターがなにを思っていたのかなんて、僕にはなんにもわからない。
 なのにヒデさんったら、先輩だからって僕の分まで支払っていってくれた。この店でヒデさんと会った日には、僕はお金を出したことはない。固辞するとヒデさんが怒るから。決して裕福ではなさそうなのに、ヒデさんは先輩後輩関係にこだわっている。 
 港を歩いていると悲しくなってきて、涙がこぼれそうになってきて、「上を向いて歩こう」なんて歌を歌いながら、ただぐるぐると歩いていた。こうしていても非生産的なだけだと思い直して、タクシーに乗って神戸での常宿を告げたつもりだった。
「え? ええんですか」
「はい、お願いします」
 思いのほか酔いが深かったのか。僕はお酒には強くないのだが、土佐の酒豪と飲むとついすごしてしまう。ヒデさんはシゲさんにも負けないくらい強いので、つられて飲みすぎるのだ。今夜は気分が落ち込むことばっかりで、飲んで歩いていてくたびれたのもあって、窓の外を見ているうちに眠ってしまったようだ。
 目覚めたときには夜が明けていた。世界が明るくなっているというのに、タクシーはまだ走り続けている。え? なぜ? 不思議な気分で、僕は運転手さんに話しかけた。
「あの、ここはどこですか」
「もうじき東京都に入りまっせ」
「……東京っ?!」
 声が裏返って、誰が喋ってるんだ、ってなファルセットになっていた。
「錦糸町いうたら東京やろ。ええんですか、て、僕は聞き返したで」
「神戸のホテルって言いませんでした?」
「錦糸町て言うた。東京やろが」
「……ホテル金枝。金の枝って書いてホテル金枝」
「知るかい、そんなホテル。錦糸町いうたら東京の錦糸町しか知らんわ。もうじきつくんやから黙ってすわっとり」
 まぎらわしい地名を告げて熟睡してしまった僕も悪かったのだろうか。ホテル金枝を知らない神戸のタクシードライバーとは、新米なのだろうか。そんなそんなそんなぁ……とわめきたかったのだが、今さらどうにもならないではないか。
 白々と明け初める早朝の街を走る車中で、僕の頭の中も真っ白けにスパークしているのをなだめなだめ、ポケットを探った。お金は足りるはずだ。足りなかったらカードもある。財布は? ない、ない、なーいっ!!
「運転手さん、止めて下さいっ!! 財布がありませんっ!!」
「なんやて? 無銭乗車か。それやったら警察に……」
「待って下さい。財布、どうしたんだっけ……」
 酔っ払いカモメを出るときに、支払いをしようとして財布を出した。マスターにいらないと言われてポケットにしまったはずが、落としたのだろうか。すべり落ちたとも考えられる。酔っ払いカモメの電話番号は知らないので、確認もできない。
 港で落としたのだとしたら、拾われて誰かのものになっているか、楽観的に考えれば警察に届けられているか。いずれにせよ、現状ではどうにもならない。今夜も仕事があるのだから、神戸に取って返すのも不可能だ。運転手さんはルームミラーで僕を睨んでいて、僕はひたすら途方に暮れていた。
 携帯電話はある。こうなれば誰かにすがりつくしかない。金子さんか。とびきり叱られるだろうけど、殴られたって仕方ない。それは仕方ないにしても、今の僕の心情では、ヒデさんの話しまでして金子さんに抱きついて泣いてしまう恐れもあるのだった。
 となると、ヒデさんの話をしてもかまわない先輩。乾さんしかいないではないか。この時刻だったら乾さんはマンションで眠っているだろうか。いなかったとしたら万事休すだが、いてくれるほうに賭けよう。
「お金を貸してくれるひとに電話します。しばしの猶予をお願いします」
「……早うしてや」
 恐ろしく不機嫌な声に促されて、僕は乾さんに電話をかけた。呼び出し音が虚しく響いている。続いて、留守番電話サービスです、と機械的な女性の声が聞こえてくる。絶望感に支配されていっそう途方に暮れていたら、乾さんの眠そうな声が聞こえてきた。
「どなたですか、こんな時間に」
「……乾さん……」
「酒巻?」
 安堵と情けなさとに涙をこぼしている僕を、運転手さんが不気味そうに眺めていた。


「悪く考えればどうとでも考えられるんだけど、おまえのミスだってことにしておこうか」
 タクシーを乾さんのマンションの前につけてもらい、乾さんが支払いをしてくれて、乾さんの部屋に通してもらい、昨夜からの顛末をざっと語り終えた僕に、乾さんは沈んだ声で言った。
「おまえがそんなに酔うとは珍しいんだけど、つまり、ヒデとの会談は不首尾に終わったと?」
「はい。重ね重ねすみませんっ!!」
「そっちはおまえが悪いんじゃないって、前もって言っただろ。気にするな」
「そのあとは僕が悪いんです。頭を剃ろうかな」
「おまえにスキンヘッドは似合わないよ」
「……ごめんなさいっ!!」
 車の中でもむせび泣いてはいたのだが、もはやたまらなくなって声を上げて泣き出した。泣いている僕を残して、乾さんはキッチンでなにかしている。甘い香りが漂ってきたので目を向けると、ホットミルクとホットケーキがテーブルに並んでいた。
「僕ちゃん、食べなさい」
「僕は僕は僕は……」
「ホットミルクは心が落ち着くよ。食べて飲んで泣き止みなさい、僕ちゃん」
「僕ちゃんって……僕はぁ……」
「声は立派な大人の男なんだけど、そうやって泣いてると小学生にしか見えないんだよな。おまえの十八番のギャップってやつがはなはだしすぎるよ。泣き声もオヤジみたいだし、聞いてられないんだ。泣くな」
「はい。でも……僕はぁ……」
「國ちゃんはいい子いい子。いい子だから泣かないんだよ。抱っこしてあげようか」
「……乾さんっ!!」
「お、その調子だ。泣くくらいだったら怒れ」
「怒れる立場じゃありませんよ。駄目だ……涙が涙が……僕は僕はぁ……」
 しばらく乾さんは黙り、それから声が低くなった。
「立て」
「……はい」
「気をつけ」
「はい」
「歯を食いしばれ」
「え?」
「言われた通りにしろ。先輩の命令に従えないのか」
 非常に低いおっかない声に逃げたくなりながらも顔を見ると、乾さんの目はかすかに笑っていた。
「……歯を食いしばると口がきけなくなりますんで、先に言います。先に言うったってなにを言ったらいいんだか……乾さんのおかげで僕は九死に一生を得ました。ありがとうございました。お願いします」
 目を閉じて歯を食いしばると、一呼吸置いて乾さんの低音が響いた。
「馬鹿野郎!」
 大音響の怒鳴り声ではなかったのだが、その声に打たれたようになって、僕は尻餅をついた。その姿勢で見上げると、乾さんはほっと息を吐いた。
「怒鳴ったからってころぶなよ。涙は止まったか」
「乾さんの戦法ってそうなんですね。金子さんのほうがストレートですよ」
「こういう場合、金子さんだったらおまえにどうするんだ?」
「タクシー料金を払ってくれて、部屋に入れてくれるまでは乾さんと同じでしょうね。そのあとで泣いたら殴られます」
「金子さんに殴られたことはあるんだったよな」
「幾度かあります」
 涙は止まりかけていたので、フロアにあぐらをかいた乾さんのとなりに正座した。
「前にも言ったんですよ。僕、先輩に殴られるたびに一ミリ背が伸びる気がするって」
「金子さんに?」
「そうです。乾さんの反応はいかに?」
「そんなら百発ばかりぶん殴ってやろうか。って、これじゃ本橋だな」
「本橋さんの反応だったらそんな感じでしょうね。二百発殴られたら二十センチ伸びるのか。やってもらおうかな。そしたら乾さんくらいの背丈になれるんだ」
 背の低い仲間の三沢さんとだったら、こういった会話はテンポよくはずむ。三沢さんは話を変な方向にねじまげるものの、背が高くなりたいよな、との結論は同意見なのだから。
 が、乾さんは当惑顔になる。俺には筋肉が足りない、なんて贅沢をほざく乾さんだが、僕と較べたら天と地ほどにかっこいい男なのだから。乾さんはもてるのだから。僕のようにだらしなくもないし、僕のようなドジは踏まないし、僕のように泣いたりもしない。見た目は男性的でもないけれど、中身は偉丈夫なのだから。
 身長が高くなりたいな、って、身長の低い男に言われたって、長身の男は当惑するしかないのだろう。僕の気持ちなんか、長身の乾さんに理解できるはずがない。
「千葉ででしたか、三沢さんとそんな話をしてたときに、本橋さんがいらしたんです。俺だってそんなに背は高くない、なんて本橋さんが言って、三沢さんに攻められてましたよ。本橋さんも三沢さんに口で攻撃されるとたじろぐんですよね」
「ああ。泣き止んだな」
 話をそらせようとしているようだが、僕は蒸し返した。
「乾さんは殴るんじゃなくて怒鳴りつけたから、縮みました」
「肝がか。俺の怒鳴り声は迫力ないだろ」
「ありますよ。乾さん……ほんとにごめんなさい。あれもこれも……」
「もういいよ。思い出すとまた泣くんだろ」
「そうでしょうね」
「食おうか」
 朝ごはんまでごちそうしてくれて、怒鳴ったのだって僕を泣き止ませるための手段で、乾さんは優しい。乾さんにもひっぱたかれたことはあるけれど、金子さんに殴られたのよりも軽かった。それに……僕はあの日を思い出していた。
 ほんのり甘いミルクと、ホットケーキのバターと蜂蜜の香りと、乾さんの優しい声が僕を癒してくれる。自分が悪くてこんな目に遭ったのに、癒してもらおうなんて甘すぎる。心根が甘ったれているからこそ、僕は先輩に叱られてばかりいるのだろう。
 先輩のみならず年下の玲奈さんだとか、仕事で関った女性だとか、ラジオ局の人々だとかにも叱られてばっかりの僕は、乾さんにも昔、叩かれた。
 乾さんが作ってくれた朝ごはんをふたりで食べていると、あの夜を思い出す。笑ったり騒いだりの合間に、三沢さんが言った言葉が胸に迫ってくる。その前の惨めな一夜も蘇る。乾さんはあの日、どこへ消えたんだろう、三沢さんのアパートに戻ってこなかったな、乾さんは忘れちゃったかな、そんな昔の過ちは、今さら話したって意味もないよね。
 先輩はずるいという気持ちも否めないけれど、卒業してから何年たっても先輩に迷惑をかけっぱなしの後輩は、先輩にとっては厄介者なのかな。だけど、それでも面倒見てくれるんですよね。僕が言うべき言葉は今はただひとつ。ありがとうございます、これまでの分はもちろん、これからの分も先に言っておきますから。
 

5

 若かりし日の過ちと較べれば、先日の失敗談は軽いもんだ、とは言えないけれど、乾さんがいてくれたからこそ、警察に突き出されずにすんだ。
 今日はフォレストシンガーズの東京でのライヴの日。ライヴが終了すれば打ち上げになるのが常で、ひとりでライヴを聴きにいっていた僕も参加させてもらっていた。乾さんに改めてお礼を言っていると、三沢さんが横合いから尋ねた。
「なんのお礼? 酒巻、おまえ、また乾さんに迷惑かけたのか」
「はい。申し訳ありません」
「なにやったの? 白状しろ」
 乾さんがそんな話を口外するわけもないのだから、三沢さんも知らないのだろう。みなさんに話します、と僕が応じると、本橋さんとシゲさんと木村さんもやってきた。
「神戸でね……」
 仕事の関係者とお酒を飲んだ、と発端はそう変えて、残りは起こったことをおおむねありのままに話し、後日談も話した。
「仕事があったんでその日には行けなかったんですけど、三日後にそのお店に行きました。曖昧な記憶を探りつつ歩いていたら、そのお店にたどりつけました。財布はあったんです。マスターが拾っておいてくれました。誰のものだかわからなかったけど、お客さんの財布だろうって……」
 ありのままに話すと破綻が生じる。ヒデさんに触れざるを得なくなる。そうならないように頭を回転させつつ、ところどころ嘘をまじえて話した。実は僕が東京に帰った翌日に、マスターから僕の携帯電話に電話がかかってきたのだ。
「一昨日はろくに掃除もせんと店を閉めて帰ったもんやから、気がつけへんかった。昨日は休みやったんで、今日の夕方に店に来て落し物を拾たんや。酒巻さんの財布やろ。取りに来るか」
 財布の中に僕自身の名刺が入っていたからと、電話をして知らせてくれたマスターにも感謝して、僕の心の霧の一部分は晴れた。東京に帰った三日後に「酔っ払いカモメ」を訪ねたのは事実で、マスターはお礼を言う僕に面倒そうに、気いつけや、と言っただけで、財布がなくてどうしたんだ? とも尋ねなかった。
 大人の男はよけいな口はきかないのだろう。それにしても、あのマスターはよけいではない口もきかない。喋るのが面倒くさそうな男に、よく客商売がつとまるものだ。
 ともあれ、財布は中身も丸ごと僕の手元に戻ってきた。これでヒデさんも丸ごとシゲさんのもとに戻ったら万々歳なのだが、人間はそうは行かない。財布にはない意志が人間にはある。ヒデさんは土佐の人間だけあって頑固者で、後輩の指図なんて絶対に受けないのだから。
「財布が返ってきたんだったら、乾さんに金を返したのか」
 三沢さんは言い、木村さんも言った。
「神戸から東京までタクシーって、いくらになるんだよ。無駄金だな」
 スキンヘッドが板についてきている、本橋さんも言った。
「なあ、乾、半分くらいはカンパ……」
「本橋、甘い。今回の件は酒巻の教訓として身につけておく必要性があるんだから、金は酒巻が払うべきなんだ。酒巻、耳をそろえて返せよ」
「はい……もちろんですが、もうすこし待って下さいね」
「返すのは当然だろ」
 言ったシゲさんは、あとから僕に別の話をしかけてきた。
「酒巻、ごめんな。おまえの番組にゲスト出演するってのが延期になっちまっただろ。スケジュールの都合がつかなくて、神戸まで行ってる時間がないんだよ」
「僕もとっても残念ですが、韓国行きってのもあるんですものね」
 仕事以上にヒデさんがだ。あるいはヒデさんは、シゲさんが神戸に来るのだったら会いにいこう、と考えていたのかもしれないのに。だけど、シゲさんには言えない。まだ言えない。
「仕事で海外に行くってのもはじめてだよ」
「シゲさんは新婚旅行では行かれたんですよね。他のみなさんもプライベートで恋人と、ってのだったらあるんだろうな。僕もそういうのもしたいけど、それよりも、アメリカへ音楽の勉強に行きたいんです。仕事を休ませてもらって留学するような余裕はありませんから、当分は無理なんですけどね」
「音楽の勉強のために留学か。向学心があっていいな。酒巻、えらい」
 素直に褒めてくれるシゲさんを欺いているのは心苦しいのだが、言ってはいけない。言うとヒデさんの頑なさが増して、どこかへ消え失せてしまって二度と会えないかもしれないのだから。僕は心でシゲさんに侘びながら、顔は笑って、海外旅行の話に花を咲かせていた。
 いつだってライヴのあとでも、木村さんと三沢さんは歌っている。今夜もふたりで歌っている。ダンスナンバーっぽいバラード曲になると、スタッフの女性が踊りを誘いにきた。シゲさんは照れまくりながらも女の子に手を引っ張られてフロアに連れ出され、照れまくりながら踊っている。恭子さんに言いつけちゃお、と大きな声で言った三沢さんに、シゲさんが言い返した。
「仕事の続きなんだからいいんだよ」
「本庄さんって、女の子とダンスするのも仕事なんですか」
「いや、あの、失礼」
 ダンス相手の女性がふくれ、シゲさんがへどもどしているのを見て笑っていると、エミーがあらわれた。
「エミー、きみもライヴを聴きにきてたの?」
「俺はフォレストシンガーズの歌には興味ないんで、そろそろ打ち上げやってる時間だろうと思って来たんだよ。酒巻さんもいるんだったらちょうどいいや。聞いて」
 例の件だろうと、僕はエミーとふたりで外に出た。
「正式決定したんじゃないんだけど、俺たちの内輪でだけは決定した。燦劇は一時、活動休止。解散じゃないんだよ。たったの三年で休止なんて生意気なのかもしれないけど、すこし離れて各自で音楽についてじっくり考えようっての? ほら、男と女も煮え詰まったら冷却期間って置くじゃん。あれと同じみたいな?」
「僕はそんな経験はないんだけど……いや、僕の経験はいいんだよね」
「ほえ? 酒巻さんって女とつきあったことないの?」
「あるよ。あるけど冷却期間はないんだよ。そんな話じゃないでしょ。続けて」
 面白そうに僕を見つめてから、エミーは続きを言った。
「ファイがさ……俺の話をしたらファイが……あんなになるって嬉しくなくもなかったな。ま、それはいいとして、冷静なのはパールだったよ。あいつはああ見えて……うん、それもいいんだった。トビーとルビーは困った顔をしてたけど、パールが話をまとめてくれた。みんなして一時的に休止して、考えよう、これからどうするか考えようって。ファイもトビーもルビーも、それでいいかな、って言ったよ。だから、俺は武者修行に行ってくる」
「どこへ?」
「ロックの本場ったらアメリカかイギリスだろ。木村さんはブリティッシュロック好きだけど、俺はアメリカンハードロックが好きだから、アメリカ。LAかな」
「……いいなぁ。僕も行きたいな」
「いっしょに行く?」
 行きたいけど、僕はまだそんなことができる立場ではない。エミーといっしょに行っては、修行にも勉強にもならない気もする。
「俺だってひとりで行きたいよ。LA美人の恋人を連れて帰ってこようっと」
「エミー、それって不純じゃない?」
「そう? うん、俺もさっぱりした。やっぱきちんと話してよかったよ。みんなわかってくれたもんな。フォレストシンガーズの皆様方にも報告しなくちゃ」
 そう言って中に入っていったくせに、エミーはスタッフの女の子に手を引かれて嬉しそうに、シゲさんのかわりにフロアで踊りはじめた。酒巻さんが話しておいて、と無責任にも言って、エミーはなかなか達者なステップで女の子をリードしている。今夜はビジュアルロッカーのいでたちではないので、ダンスしている姿が決まっていた。
「エミーがどうかしたのか? えらくさばさばした顔になってるな」
「木村さんもエミーには打ち明けられていたんですよね。結論が出たそうです。何度も話すのもなんですから、みなさんに報告……エミー、自分で言えよ」
「ちょっと待っててね」
 ああ、あれか、と木村さんはうなずいている。本橋さんと三沢さんは知らないのかもしれないので、エミーがダンスを一曲、踊り終えるのを待っていた。やがて、木村さんが他の四人も呼んできてくれて、エミーがさきほどの話を繰り返した。
「活動休止ったって来年になるだろうけど、そういうことになったから。他の奴らがどうするつもりかは知らないけど、俺はLAに行って、ひと回り成長したギタリストになって帰ってきます。なーんてさ、ほんとかよ、おい、こら、エミー」
「先に言うな。俺が言えなくなっちまうだろ」
「本橋さんに言われる前に言ったんだよ。あのね、本橋さん……」
「ん?」
 エミーが本橋さんの耳元でなにやら言い、本橋さんは、バーカ、と呟いてエミーの頭をこつんとやった。エミーは乾さん、シゲさん、木村さんの順に頭を下げ、三沢さんは言った。
「俺には挨拶なし?」
「三沢さんにはなにか……あ、そうだ。あったあった。ナンパってこうするんだぞ、ってさ……」
「教えてやろうとしたら、間に合ってます、って言ったじゃん。おまえらにナンパのやりようを教えてやろうとした俺が馬鹿でした。こっちが教えてほしいっての。きゃっ、リーダー、睨まないで」
「いい年しておまえはまったく……エミー、がんばれよ」
 はい、と爽やかな笑顔を見せて、エミーは再び、女の子に誘われてフロアに出ていった。
「ああすればよかったのにな……後悔先に立たずか。なんでもない。俺も踊ってこようかな」
 独言めいた本橋さんの台詞が、なにを指しているのかは僕にはわかった。きっと他の四人にもわかったのだろうが、三沢さんが混ぜっ返した。
「誰か、リーダーと踊ってやって下さーい。足を踏まれないようにくれぐれも気をつけてね」
 立候補してきた女の子と手をつないで、本橋さんもフロアに出ていった。見ている僕はたいそう複雑な気分だったのだが、これもまた絶対的他言無用事項だ。
 チャミさんを乾さんに紹介するのは避けよう。本橋さんにほのめかすのもやめておこう。下手をすると事態が深刻化して、いくつもある問題の中でも最大にふくらんでしまいそうな懸念がある。そんな経験はまったくない僕は、大人の話に首を突っ込むのは断じて回避しようと、身震いしそうな決意をしていたのだった。

 
 ひとつずつ秘密が秘密でなくなっていく。忘れようと決めたものもある。忘れられないのはヒデさんだ。怒らせてしまったのだから、もしかしたら酔っ払いカモメにもあれっきりあらわれないのかと危惧していたのだが、会えた。
「昨今はクリスマスシーズンが早まってますよね。クリスマスはまだ先なのに、神戸の街にもイルミネーションがきらめいてるじゃありませんか。今夜はシャンパンでもどうですか」
「俺はバーボンにするよ」
 昔はわりに愛想がよくて、三沢さんに近いところもあったはずなのだが、近頃ヒデさんはぶっきらぼうだ。僕とは会いたくないからか。だとしたらこの店には来ないはず。いや、この店が好きだから来るけれど、本当は僕は邪魔なのか。
 神戸から東京までタクシーで帰った話をしたら、ヒデさんは呆れて笑い、アホちゃうんか、おまえは、と僕の頭をこづいた。
「マスターが財布を拾っておいて下さったんで、僕もなんとか破産は免れましたけど、乾さんにはひとかたならぬお世話になりました。昔から乾さんと金子さんにはお世話になりっぱなしなんですけど、最近はより以上に迷惑をかけてますよ。こんな後輩、いないほうがいいと思われてたりして」
「そうでもないだろ」
 ヒデさんも思ってますか。そうでもないよ、って。訊けないけれど、そう答えてくれたのだと考えておくことにした。
「この間、本屋で立ち読みしてたら音楽雑誌があってな、覗いたらスキンベッドの本橋さんが写ってた。帽子をかぶってる写真もあった。どっちも似合ってたよ。本橋さんだったら学生時代にあの頭をしてたら、応援部主将でもぴったりだったよな」
「三沢さんは任侠道だって言って、木村さんはパンクスだって言って、美江子さんはアスリートだって言って、本橋さんは自分で海坊主だとか言って、じゃりっぱけがどうとか言った女の子もいたんですけど、応援部ってのも似合いますね」
 もしかしたら、ヒデさんが進んでフォレストシンガーズの話題を出すのははじめて? 態度が軟化してきつつある証拠だといえるのだろうか。
「美江子さんか。シゲたちは雑誌なんかでも見られるけど、美江子さんはマネージャーだから出てこないだろ。おまえは美江子さんの話をすると胸が痛むのか」
「過去ですから胸は痛くありません」
 現在に近い時期にもなにかとあったので、胸は痛まなくもないのだが、ヒデさんが興味を示しているのだから、好機を逃してはならない。
「美江子さんは昔から美人でしたけど、近頃は美しさに磨きがかかって眩しいばかりです。大人の女性の翳も加わってきてるんでしょうね。学生時代よりもほっそりなさったのかな。頭がいいのはあのころのまま。服装のセンスもよくなったようですし、最高の美人ですよ」
「ふーん。えらくよく見てるんだな」
「そういう意味ではないんですけど……おっかないのにも磨きがかかったかな。美江子さんにも昔からちょくちょく叱られましたけど、今でも叱られてます。神戸から東京までタクシーで帰った話をしたときにも……」
 打ち上げの夜には、美江子さんは遅れてやってきた。三沢さんが美江子さんにその件を話すと、美江子さんはため息をついて言ったのだった。
「酒巻くん、あなたらしくもなく飲みすぎるってどうしたの? 男っていうのはお酒に逃避する傾向があるみたいだけど、あなたはそんな男にならないようにね。生活費は大丈夫?」
「大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」
「乾くんに、お金はきちんと返しなさいよ」
「借金返済を待っていただいているからこそ、僕はかろうじて食べてるんですけど」
「そうだね。食べないと生きていけないからしようがないか。無駄な出費をしてると、そのうち痛い目に遭うんだからね。心しておきなさいよ」
 ってね、美江子さんにも叱られましたよ、と話すと、ヒデさんは声を立てて笑った。
「三沢さんもそんなふうに言ってましたけど、先輩に叱られるってあったかいんですよね。僕には恋人もいないし、家族もいないし、ひとり暮らしで野放図にしていたら放埓になってしまう。先輩たちに叱っていただければこそ、真人間でいられるってのもあるんじゃないかと思います」
「恋人もいないのか?」
「いません」
 俺もおんなじ、とぼそっと呟いてから、ヒデさんはなにか言った。その声もぼそぼそしていて聞き取りにくかったのだが、会いたいな、と言った? 確認したらもう一度言ってくれるだろうか。
「俺も学生のころには、先輩に叱られたよ。俺が徳永さんに暴言を吐いた話、聞いたか?」
 が、話題は変わっていた。
「聞いてませんけど、徳永さんにですか」
「そうなんだ。酔ってたからよくは覚えてないんだけど、実松んちでその当時の一年生たちが騒いでて、金子さんと徳永さんも来てたんだよ。遠い記憶であやふやになってるけど、酔って寝て起きたら、みんなは帰ってて、実松が教えてくれた。実松もそうはよく覚えてなかったのかな。俺が徳永さんに暴言を吐いたってのはまちがいなかったみたいで、なんでも、都会人の臭みは鼻持ちならないとか……」
「ご本人に向かって?」
「そうだよ。金子さんも都会人だろ。焦ったね」
 びゅーん、ずばーんっ、と音を立てそうな勢いで疾駆し、ヒデさんは実松さんのアパートから大学まで急いだ。合唱部の部室には金子さんがいたのだそうだ。
「金子さんは、あの徳永に向かってあんな台詞、むしろ爽快だったみたいに言ってたけど、叱られたよ。なんて言われたのかまでは覚えてないんだけど、殴られるよりこたえる説教ってこれか、と思ったのは覚えてる。金子さんってすげえなぁ、とも思ったよ」
「僕も今でもそう思います。僕は金子さんにも乾さんにも殴られたんですけどね」
「へええ、乾さんや金子さんがおまえを殴るのか」
 こんなにちっこくてガキみたいのを? とヒデさんは言いたいのだろう。そうは言わないので僕が言った。
「罰としてだとか、乾さんの場合は、自らをも叱ってたっていうのか……」
「自らを叱っておまえを殴るってのは解せないけど?」
「上手に言えないんですけど、そうなんですよ。僕は殴られると泣いてしまうんですけど、そうやってすこしずつ先輩に導いてもらって、鍛えてもいただいて、早く大人に……」
「アホか。いくつじゃ、おまえは」
 冷笑半分ではあったが、ヒデさんの声にはぬくもりもあった。
「僕に焼酎のストレートを飲ませて、ヒデさんは乾さんに叱られたんでしょ?」
「そうだったかな」
「ヒデさんに殴られたときには、僕は幼児に近い子供でしたよね」
「いつの話だよ。忘れたよ」
「僕は忘れません。僕の初恋のひとは……あのひとはいったいなにをどう……女のひとってなんでああも……だけど、本橋さんだって……」
「本橋さん?」
 うわっ、うわうわうわっ!! と叫びそうになったのをこらえて、僕も話題を変えた。
「ヒデさんは金子さんや乾さんの本質ってわかってますか」
「わかるわけないだろ。誰の本質もわからないよ」
「……そうですね。僕にもわからない。男のひともわからないんだから、女のひとがわかるわけはない。本質なんてわからなくても、僕は金子さんや乾さんや……先輩たちの魂ってやつ……ソウルってやつを……シゲさんや本橋さんや三沢さんも……うまく言えないな」
「章は?」
「木村さんとはいささか距離がありますので、縮めるように努力します。そうそう、本橋さんですけど」
 名前を出してしまった本橋さんを、こうつなげるのは可能だった。
「僕が東京までタクシーで帰って、乾さんにお金を借りた話をしたら、本橋さんは言ってくれたんですよ。乾さんはきびしかったけど、本橋さんが言ってくれました。半分ほどカンパしてやろうか、って言いかけた本橋さんは、甘い、って乾さんに退けられてましたけど」
「うん、本橋さんはな……そういう人だ」
 短い返答に、ヒデさんの想いが揺れて感じ取れる。会いたいな、会いたい、きっとそう思ってる。
「ヒデさんもここで会った、ファイは覚えてますか?」
「ロック兄ちゃんか」
「ファイは燦劇ってビジュアル系ロックバンドのメンバーなんですよ。ファイの仲間のエミーってギタリストが、燦劇から抜けたいって言い出しまして、一時活動休止って線で結論を出したと聞きました。それを聞いたときに本橋さんは……俺たちもああできてたらなって。意味は通じてますよね」
「なんのこっちゃら」
 とぼけているが、ヒデさんはわかっている。僕はそう確信して、何度目かに話題を変えた。
「三沢さんは休暇のときには四国に行ってたんですって。高知にも行ったんでしょうね」
「桂浜か四万十川の近くでライヴやりたいな……ってなぁ……幸生は覚えてるのかな。思い出話なんてつまらんよ。酒巻、歌おうか」
 歌おうと彼が言い出したのもはじめてではなかったのだろうか。そこで僕は提案した。
「三沢さんの歌った歌、僕はなんとなくしか知らなかったんですけど、ヒデさんは知ってます? 古いフォークソングでしょうね。「どうにかなるさ」ってタイトルです」
 知ってるよ、とヒデさんが歌い出すと、マスターがギターで追っかけた。

「仕事も慣れたし街にも慣れたよ
 それでも行くのか どうにかなるさ
 一年住んでりゃ未練も残るよ
 馬鹿だぜおいらは どうにかなるさ
 愛してくれたひとも ひとりいたよ
 俺など忘れて幸せつかめよ
 ひとりで俺なら どうにかなるさ」

 三沢さんが歌っていたのとは歌詞がちがっている。ヒデさんの心情にはこの部分が……? 泣き出しそうになって洟をすすると、頭をごちんとやられた。
 こんなふうにして、ヒデさんは街から街へと流れてさすらって、神戸にたどりついた。どうにかなるさ、って生きてきた。僕が先輩たちの恩義に報いるために、いや、僕がそうしたいからもあって、ヒデさんをフォレストシンガーズのみなさんに再会させる企ても、どうにかなるのだろうか。
 どうにかなるさ、ではいけないけど、どうにもならない、よりはいいではないか。シゲさん、乾さん、本橋さんも三沢さんも木村さんも、僕がどうにかしてみせますからね。美江子さんも金子さんも徳永さんも実松さんも、ヒデさんと親しくしていたすべてのひとに、僕は心で言っていた。
 すぐにとはいかなくても、いずれは吉報をもたらせると信じて、僕は励みます。待ってて下さいね、ヒデさんが僕の望みをかなえてくれる日を。

 END


 
 


 
 
 
 

 
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