ショートストーリィ(しりとり小説)

160「好きだったのに」

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しりとり小説160


「好きだったのに」

 昆虫の自由研究をしたんだと、誉は男の子たちに囲まれて話している。昆虫図鑑を手に、両親に連れていってもらった山の中を歩いてる誉が目に浮かぶ。その図鑑、見たいな、と友達に言われて、明日持ってくるよと誉は約束していた。

 夏休み明けの小学校の教室は、陽灼した子どもたちで賑やかだ。美白がどうのこうのと言う女の子や、紫外線は身体に悪いんだと言う男の子なんかはいなかった。

 宿題の提出日、誉は友達と約束した昆虫図鑑を持って学校へやってきた。誉は男の子にも女の子にも人気がある。優しい顔立ちで勉強ができ、誰にでも親切でスポーツもうまい。小学校三年生のときに積極的な同級生に初告白されたとの噂もあるが、本人は否定していた。

「はいはい、夏休みも昼休みもおしまいだよ。みんな、席について」

 担任教師が教室に入ってきてからも、児童たちは昆虫図鑑を囲んでざわめいていた。先生が来たので慌てて席に戻る途中で、ひとりの男の子が言った。

「先生、このゴキブリ知ってる?」
「ゴキブリ? 先生はゴキブリは嫌いなんだけど、どれ?」
「ゴキブリにいろんな種類があるなんて、オレ、知らなかったよ」

 児童たちの間を回っていた図鑑の、ゴキブリのページを熱心に見ていたらしい男の子に頼まれて、誉が昆虫図鑑を取り出す。男の子は先生にそのページを示してみせた。

「これだね? チャバネゴキブリ? そっか、すごく語呂がいいじゃない? ああ、そうね、茶羽都喜さんじゃなくて、チャパネゴキさんだね?」

 びっくりして目をぱちぱちさせている都喜を見て、クラス中がどっと笑う。チャバネゴキブリを発見した男の子は得意げに笑っていて、誉はちょっぴり困った顔をしていた。

 教師が公認したようなものなのだから、その日からチャバネ・トキのニックネームはゴキになった。茶羽という変わった苗字も、都喜という、母は品があるという名前ももとから好きではなかったが、その日からは死ぬほど大嫌いになった。けれど、チャバネ・トキって素敵な名前でしょ、と自己満足している母には言えなかった。

「えーっと、茶羽さん、茶羽都喜さん、前に出て答えを黒板に書いて。茶羽さん、聞こえないの? 都喜さん? ゴキさん? あ、まちがえた」

 むずかしい算数の答えを書けと教師に指名され、困惑して戸惑っている都喜に教師がジョークを飛ばす。ゴキゴキ、とクラスメイトたちが囃し立て、教師が制止する。和やかな授業風景だと、都喜以外の全員は思っていたかもしれない。

「茶羽、ごめんな」
「なにが?」

 もとからネクラなほうだった都喜は、そんなニックネームをつけられて以来、ますます暗くなった。あんたは陰気なんだから、と母にまで言われていたある日、日直当番になった誉とふたりでの帰り道だった。

「オレがあんなの、学校に持ってきたから……」
「関係ないよ」
「あると思うんだけどね……あんなあだ名、オレだったらつけられたくないもん。自分がされていやなことはよそのひとにもしちゃいけないって、お母さんもお父さんも言ってたよ」
「……そうだよね」
「だから、ごめん」

 そんなの、キミのせいじゃないよ、と言いながらも胸にあたたかいものが満ちてきて、都喜は一生懸命涙を見せないようにしていた。

「ニックネームというのは親しみをこめて呼び合うものですね。つけるほうは楽しいと思っていても、そう呼ばれるほうがいやがっているのはよくありません。これからは友達の名前は、苗字にさん、くんをつけて呼ぶことにしましょう」

 五年生になってクラス替えがあり、誉と同じクラスだったのを都喜はひそかに喜んでいた。担任教師はおじさん先生に替わり、彼は生真面目にそんなことを言った。誉の図鑑でチャバネゴキブリを発見し、担任の前で発表した男の子はクラスがちがっていたのもあり、都喜をゴキと呼ぶクラスメイトはいなくなった。

 あのエピソードをきっかけに、都喜は誉と親しくなった。ふたりともにおませではなかったので、告白のつきあうのといった関係ではなく、都喜のほうはほのかな恋心を胸に秘めての、子どもの友達同士だった。

「都喜ちゃんはどこの中学に行くの?」
「普通に、公立。誉くんは?」
「オレ、中学受験するんだ」
「そうなんだ」

 優等生なのだから、誉は難なく難関私立中学受験を突破した。都喜は小学校から一般的に進む公立中学に進学し、ふたりは離れ離れになった。子どもがメールを使う時代ではなかったし、電話をするのも親の耳が気になる。手紙を書くよ、と言い合って、事実、文通はしていたのだがじきに途切れた。

 家は近いのだから、たまに会うことはあった。ちょっとしゃれた私立中学の制服を着た誉が、女の子と手をつないでいるのを目撃したこともある。中学二年生で都喜の父親が転勤になり、信州へ引っ越していったから、そこで誉とは完全に疎遠になった。

 高校にもスムーズに進学して、誉くんはもててるんだろうな。あの学校は男子校だけど、女の子たちの人気は抜群だから、よその学校の子に待ち伏せされて告白されたりして。都喜はそんな想像をしていた。

 公立高校に進み、地味な公立大学に入り、都喜は理系の研究者の道を選んだ。研究者は大学院に進むのが当然のようにされていたから、都喜も院生になった。勉強や研究に明け暮れていたのもあり、都喜の外見が地味……はっきり言えばおばさんっぽいのもあって、恋愛関連のエピソードはひとつもなかった。

「茶羽都喜「微生物の発酵特性」
 長年こつこつと研究を重ねてきた若手研究員の現時点での集大成である。
 未熟な点は見受けられるが、茶羽は有望株である。将来に期待したい」

 サイエンス雑誌に載った小さな論評に、未来が明るく開けた気がした。それから数日後、雑誌編集部にいる知人からメールがあった。

「茶羽さんの幼なじみだという男性から、茶羽さんのメールアドレスを教えてほしいとのお願いがありました。教えてもいいものでしょうか」

 心臓がどくっと音を立てたのは、その幼なじみが誉だと知ったからだ。三十数年、都喜には恋愛がらみのできごとはただのひとつもなかった。理系男女は恋愛には疎い者が多いとはいっても、彼氏や彼女がいたり結婚したり、といった話はいくらでもある。都喜だって同僚の結婚式に参列した経験はあった。

 なんとなく、私は一生独身だろうと諦観していた都喜が、おりにふれて思い出すのは小学校のときの誉。あんな幼い記憶しかないのだから、ほんと、私って恋愛経験ゼロに近いのね。

 そんなところに誉から連絡があった。論評を書いてくれた学者にはもとより感謝していたが、誉からの連絡があったらいっそう、学者にお礼を言いたくなった。

「では、私からメールします」
「そうして下さい」

 編集者とのやりとりで、誉のメールアドレスを教えてもらった。甘い予感がする。
 いやいや、誉は都喜と同い年なのだから、家庭を持っていると考えるほうが妥当だろう。これだから私は世間知らずなんだ。ただなつかしいだけで、誉は都喜にコンタクトしてきたのであろうに。

「ゴキちゃん、久しぶり。メールをもらって嬉しかったよ。僕のことを憶えてくれていたんだね。会いたいな」
「お会いできたら私も嬉しいです。でも、奥さんが怒ったりなさいません?」
「怒るような奥さんはいませんよ」

 独身だという意味なのか、奥さんはいても怒らないという意味なのか、それも判然としないままに誉と会う約束をした。ゴキちゃんと呼ばれるのもなつかしく甘やかなばかりで、ちっとも不快ではなかった。

「なつかしいな、ゴキちゃん……ああ、ごめん。なつかくして変なあだ名も思い出してしまったよ」
「いいのよ。誉くんがああしてかばってくれて……」

 高校生のころまではごくたまに姿を見かけた誉は、若いころとさして変わってはいない。背が高くてすんなりしていて、それでいて痩せすぎてはいない魅力的な体型をしている。顔立ちにも大人の陰影がついたのか、優し気なばかりではなくなっていたが、好ましい容貌は保っていた。

 遠い記憶の中、昆虫図鑑がらみの出来事がよみがえる。大人になってから知り合った人の中にも、チャバネゴキブリっていますよね、と話題にしたがる者もいたが、そのたび都喜は誉を思い出してほんのりしていたものだ。

「俺が昆虫図鑑なんか持っていったからだろ」
「きっかけはそうだったのかもしれないけど、そのあとで誉くんがかばってくれたんでしょ」
「そうだった……ね。今だったら生徒にあんなことを言う教師は問題だよな」
「チャバネトキ、チャバネゴキって言い出したの、担任の先生だったよね」

 子どものころにはいやでたまらなかったことも、時を経て楽しい想い出に変わった。茶羽都喜というユニークな名前だからこそ、誉も研究論文の署名から都喜を思い出したのだろう。俺もあの雑誌とは関係なくもない仕事をしてるんだ、と誉が話す。口調も友達同士だったころに戻っていた。

「思い出してきたよ。五年生の担任がしょっぱなのホームルームで言っただろ。俺、都喜ちゃんをゴキって言った先生にも言ったんだよ」

 先生が生徒におかしなニックネームをつけるって、よくないんじゃありませんか、と話したら、三年、四年の年の担任教師には一笑に付された。誉くんってゴキちゃんが好きなの? 変わった趣味だね、まで言われて、誉はそれ以上言う気をなくしたのだそうだ。

「それでもう一度、五年生の担任が決まったときにも言ったんだ。あの先生はわかってくれて、では、私がホームルームでさりげなく言いますよって」
「そうだったんだね」

 ささやかだとは大人になったからこそ感じるのであって、小学生のころには重大事だった。

「あのせいもあって、都喜ちゃんは生物学のほうに進んだの?」
「そこまでは考えてなかったけど、無意識的にはそれもあったのかもしれないね」
「すげぇよね。将来はノーベル賞狙ってる?」
「まさかそんな」

 笑ってみせたが、誉の尊敬のまなざしは快く都喜を刺激した。

「実は俺、バツイチなんだけどね」
「ああ、そうなのね」

 それからは時々会うようになった誉の口から、会うたびに思いがけない事実がこぼれる。三十代半ばの人間がバツイチだったとしてもそれほど問題視する必要もない。価値観の相違、性格の不一致で離婚したんだ、と誉は言うのだから。

「自営業だよ。サイエンスに関係する品物を売ってるんだ。最近は通信販売のほうが隆盛かな」
「食品?」
「そう。健康食品の研究開発がメインだね」

 ならば、たしかに都喜の研究とは無関係でもない。だからこそ雑誌の論評を見る機会もあったのだろう。

「都喜ちゃんは料理は苦手だって言ってただろ。俺はできなくもないんだ。俺の手料理、食べにこない?」
「え、ええ、近いうちにね」
「いやだな、なんにもしないよ。昔の友達同士として、誰にも邪魔されない場所で語り明かしたいだけだよ」
「ああ、そうよね、もちろんだよね」

 いかがわしい方向にちらっと考えかけた自分を、都喜は反省した。

「うげっ……」
「きみは? なんなんだ?」
「いや、いやいや、なんでもないよ」

 彼の住まいに遊びにいくのは躊躇してしまうが、デートのようなことだったら幾度もするようになった。こんなのデートじゃなくて、昔の友達と喋るために食事をするだけ、都喜は自分に言い聞かせていた。だって、つきあってほしいとも言われてないんだから。

 今夜も誉と食事をしていると、立ち止まって都喜の顔をまじまじと見た通りすがりの男に、うげっなどと言われた。誉は気色ばんで立ち上がろうとし、男は逃げ出していった。

「知ってるひと?」
「知らないよ。酔っぱらいじゃないのかな。ねぇ、都喜ちゃん、俺んちに遊びにくるのがいやだったら、きみんちは?」
「いやだとは言ってないよ」

 躊躇するのは男女の関係に……などと邪推してしまうからか。誉はそんなふうには一切考えていないようなのに、私っていやらしいわ。軽く肩をすくめて、都喜は言った。

「私は料理もできないから、誉くんちにお呼ばれするほうがいいかな」
「ほんと? ぜひ来てよ」

 喜んでくれている誉を見て、都喜も嬉しかった。
 約束の日、都喜は最寄りの駅で降りて歩いていた、誉のマンションはわかっていたし、いくぶん早くついたので迎えにはきてもらわず、歩いていくつもりだった。

「……我ながら変なことをやってるとは思うんだけどね」
「……え?」

 前に立ちふさがったのは見覚えのある男。誉と今夜の約束をしたときに、うげっと言った男だった。

「俺、あいつのモトツマの彼氏なんだけどね」
「だから、なんなんですか」
「あいつの元妻、あいつに未練があるみたいでさ」
「……それがどうしたんですか」

 それがどうしたのかは、都喜としても知りたくて立ち止まった。

「俺の彼女、つまり、あいつのモトツマね。その彼女が言うには、あいつに新しい彼女ができたらしい。悔しいからどんな女なのか調べてほしい。それで見張っててあんたを見つけたわけ。うげっな女だったから彼女に報告したら安心したってのか、その反面、そんなうげっな女とつきあうって腹が立つだったりもして、複雑らしいんだよ」
「……」

 うげっとは、都喜のルックスに対するコメントだったらしい。

「あのときに、あんたがあいつのマンションに行くとは聞こえてたんだよな。その話もしたら彼女が、あんたに忠告してあげてほしいって。それであいつのことは吹っ切るって言うから、俺があんたに言いにきたんだよ」
「な、なにをですか?」

 この男は本当のことを言っているのか? 怪しすぎるではないか、とは思うのだが、その続きが聴きたかった。

「……あのさ」
「……」

 男の口から出た台詞は、どれを言ったらあんたはいちばんショック? そのひとことだけでも、都喜には十分にショックだった。そんなにいっぱい忠告があるの? 

次は「に」です。








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~ Comment ~

NoTitle

どうでもいいわけ~~ではないけど。。。
私も幼馴染の友達がいたな~~。
小学生は友達だったけど、中学受験で離れ離れに。
今になったまた付き合いがあるから不思議な妙だよね~~。
・・・と思いながら、遊んでいます。

LandMさんへ

いつもありがとうございます。

幼なじみの想い出は青いレモンの味がする、
なーんて、古い歌がありますが、再会したら嬉しかったりなつかしかったりしても、ろくでもない人間になっていたり。
逆にこっちが、相手に失望されたり。
ありそうですよねぇ。

いい思い出だけのほうが素敵かもしれません。
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