ショートストーリィ(しりとり小説)

158「賞味期限切れ」

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しりとり小説

158「賞味期限切れ」

 給湯室は昔は女子社員のたまり場だったと、出水兼定の母は言っていた。昨今はお茶に関する業務を女子だけが行うのではないが、それでも給湯室には男子は入っていきにくい。けれど、職場では最下っ端、入社二年目の兼定は、時間が空いたときに先輩たちのデスクにある湯呑を三つほどまとめて、洗ってあげようとしていた。

「……世の中、なにが起きるかはわからないものですよね」
「そりゃまあ、そうですけどね……」
「だから、徳光さんだって希望を捨てなくてもいいと思うんですよ」
「そうねぇ」
「そうですよ」

 誰もいなかったら給湯室に入ろうかと思っていたのだが、中から女性たちの話し声がする。
 男子社員が他人の湯呑を洗うことについては、賛否両論さまざまな意見を聞かされたから、女子のいる場所でやるのははばかられるのだ。

「その湯呑は女性のものじゃないのかね? いくら若いとはいえ、男子のきみにそんなものを洗わせる女子はろくでもないな。独身の女子だろ? だから嫁に行けないんだよ」
「……いえ、デスクには先輩はいなくて、そこに置いてあったから僕が勝手に持ってきたんです」
「湯呑を出しっぱなしで離席するとは、それだけでも女としてなってないだろ」

 頭の固い古参男性はそう言った。

「あら、出水くんが洗ってるの? いいわねぇ。息子をそんなふうに育てたお母さんにお会いしてみたいな。家でも洗いものなんかするの?」
「家ではしませんが……」
「家でもしなくちゃ駄目よ。結婚しても洗いものはあなたの担当ってことで」
「……は、はい」

 ベテラン女性のひとりはそう言い、別のひとりはこう言った。

「いくらなんでも会社で男性がそんなことをしなくてもいいんですよ。外部の方にでも見られたら、ここの会社は男子に湯呑を洗わせてるのかって笑われます。私がするから貸して」
「そんなの変ですよ、出水くんが自主的に洗ってくれてるんだから、あなたが取り上げたら悪い前例ができるじゃないの。男子はしなくていい、女子にさせろって」
「私は男性がこんなことをしてるのは嫌いなの」
「あなたの好き嫌いでものを言わないで」

 女子社員同士のもめごとになったりもした。
 なので、女子のいる給湯室で堂々と洗いものはしにくい。あとでやろうかと引き返そうとした兼定の耳に、自分の名前が聞こえてきた。

「だけど、いくらなんでも出水くんじゃ……」
「いくらなんでもってことはないでしょ?」
「だって、出水くんって何歳? 失礼だけど、徳光さんから見たら孫のようなものじゃありません?」
「孫なんて、失礼すぎるわよ」

 聞き覚えのある声なので誰なのかはわかる。山田と田中、三十代くらいの女子社員がふたりと、大ベテラン六十代の徳光女史の会話だった。

「出水くんは去年、入社したのよね。大卒?」
「院卒って言ってたから、二十五くらいかな?」
「そしたらやっぱり孫じゃない」
「いくつちがうのかな? 孫はなくない?」
「私の友達に孫のいるひと、いるよ」
「えー? 三十代でしょ?」
「三十八で孫ができたの。彼女は二十歳で出産して、娘が十八で出産したのね。早婚家系なんだよ」
「ヤンキーなの?」
「田中さん、さっきから失礼すぎ」

 話題がそれて三十代のふたりはくすくす笑っている。徳光の発言も聞こえた。

「山田さんのお友達の年齢で孫ができていたら、たしかに出水くんは孫ですね。私ももう六十もすぎたんだから、どれだけ若く見えたって中年にはまちがいないんだから、若ぶる気もないんですよ。それに、なにも私はそんなことは言ってないじゃないの」

 自分の名前が出ているのと、会話が抽象的でつかみにくく、主題が不明なのが気になって、兼定はものかげに身を潜め、彼女たちの声を聞いていた。

「定年が延長になったから、私も四十五年……もっとかしら。高校を卒業して入社したんだから、五十年は経ってないけど近いわね」
「当時は高卒でこの会社に入社できたんですね」

 取りようによってはこれも失礼な台詞だが、徳光は取り合わなかった。

「そんなに長く独身でひとりでがんばってきたのよ。いやなこともあったけど、ずっとずーっとここで働いてきたの。自分を褒めてあげてもいいでしょう?」
「そうですよね、徳光さん、えらいです」
「私はそうはなりたくないけど……いえ、大変でしたよね」

 昼休みに社員食堂で同席したときに、兼定も徳光から同じような言葉を聞かされた。十八歳で入社した徳光は、二十五歳で入社した兼定よりも、転職しないで働き続ければ社歴が長くなる。
 田中の台詞にも同感の部分はある。僕もこの会社で定年まで働きたくないな、進歩もないじゃないか、とも思うが、十代から働いてきた徳光に敬意は表していた。

 なのだから、徳光に声をかけられると愛想よく対応し、いたわってはあげていた。老齢の先輩に対する礼儀のつもりだった。

「もう忘れたけど、ほんとに大変だったのよ。私が若いころには女の子はいじられてこそ華みたいなところがあって、セクハラなんて言葉もなかったわ。ちょっとくらいさわられたりからかわれたりしてるのは今のうちだけだよ、って上司に笑われた。ほんとだったわね。三十近くなるとセクハラもなくなったわ」

 忘れたと言いながら、徳光は若かりしころのエピソードを披露する。外出している課長が帰社するまでは兼定も暇なのであるが、この女性たちも同様なのだろう。

「給料は安いし、いつまでたってもお茶くみやコピーやお使いやらって仕事しかさせてもらえなくて、あとから入った男性たちが出世していくのよ。そのうちには女性総合職ってのもあらわれて、生意気な女の子におばさん呼ばわりされたこともあるわ」
「高卒ですからねぇ……」
「私は短大卒だから、出世なんかできないし……」
「私も。最近は大卒どころか院卒も増えてるもんね」

 山田と田中は短大卒らしく、兼定としては首をかしげてしまう。徳光は年齢的に大学に進学しない女性もよくいたのだろうが、三十代なら大学に行けばよかったのに。学歴がないから出世できないと愚痴をこぼす奴は嫌いだった。

「そんな私に神さまがくれたご褒美かと思わなくもないのよ」
「ご褒美なんですか?」
「そう。そのつもりでお話をしたり、たまにはお茶を飲んだりして楽しくお喋りしているだけでよかったんだけど、彼、思わせぶりなんだもの」
「思わせぶりってどんなふうに?」

 好奇心満々で山田が尋ね、田中はふんと鼻を鳴らした。

「こんな話、彼にもしたのよ。そしたら優しい目をして、そんなにがんばって働いてきたあなたを尊敬します、これからは僕が……なんて言ってくれたりね」
「僕が、なにしてくれるんですか?」
「どきどきしちゃって、そこまでは訊けなかったわ」

 羞じらいを含んだような老女の声。彼女が話している内容は兼定の記憶にあった。

「世の中、なにが起きるかわからないのよね。……ううん、片想いでいいの。神さまがくれたご褒美を、ほんのちょっとは私たちに未来もあるのかなぁ、なんて考えながら味わうのよ」
「彼、旬の若者ですものね」
「彼は旬だけど……」
「もうっ、田中さん、嫉妬してるの?」
「は? 誰がっ!!」

 旬って……それ、僕? 思わせぶり? 片想い? 兼定の背中をぞぞーっと悪寒が這いあがってきた。

「片想いだったら迷惑ではないでしょうし、存分に愛でたらいかが?」
「迷惑だなんて、田中さんって失礼なことばっかり……すみません、徳光さん」
「いいえ、いいのよ。田中さんが迷惑だとか言っても、彼はそうは思っていないんだからいいの」
「……ですよね」

 いや、思ってるよ。やめてくれよ。
 短大卒の三十代に片想いされても迷惑だけど、気持ち悪いとまでは思わない。が、六十代高卒って……いや、その年齢ならばハーバードかスタンフォードの大学院を卒業していようとも……迷惑だ。やめてくれ。

 彼は旬だけど、徳光さんは……と田中が言いかけ、山田が止めたのは……賞味期限切れ? そんなものは五十年前に切れてひからびてるだろ。ってか、徳光さんには賞味期限もなかったんじゃないのか? これ以上聞いていると給湯室に怒鳴り込んでいきたくなりそうで、兼定は足音を忍ばせて、その場から逃げ出していった。

次は「れ」です。








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