別小説

ガラスの靴65

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「ガラスの靴」

     65・忙中

 ホテルのフロントに忘れられているのか、一枚の用紙がのっかったままになっている。ちらっと覗いてみると、島喜保、レティシアとの名前が読めた。シマ・ヨシヤスさんという男性と、外国人の奥さんだろうか。もっと読もうとしたら、ホテルのひとが取り上げて持ち去ってしまった。

「パパぁ、行くよ」
「笙、行くよ」

 むこうでアンヌと胡弓が呼んでいるから、僕もそっちのほうへ走っていった。

 日々、多忙なアンヌが休暇をとって計画してくれた家族旅行だ。小豆島のリゾートホテルのフロントに置き忘れられていたのは、相客がチェックインしたときに書いたものだろう。島のホテルとしてはシーズンオフなので、お客が少なそうなのもあって気になった。

 仕事のときにはロッカーらしく、過激な衣装に身を包み、プラチナブロンドに過激なメイクのアンヌは、プライベートな旅行だと黒髪のかつらをかぶり、シャツにジーンズのカジュアルでかっこいいママに変身する。両方のアンヌを熟知しているのは、胡弓と僕だけだ。

「ママ?」
「そうだよ。パパとママと胡弓、旅行に行くんだ」

 こんなママもあんなママも知っているとはいえ、胡弓は過激なスタイルのママのほうを見慣れているので、今朝は不思議そうだった。

 りょこうりょこう、と嬉しそうな胡弓とアンヌをバックシートに乗せて、僕が車を運転して羽田空港到着。そこからは飛行機とフェリーを乗り継いで小豆島にやってきた。東京からだとわりに遠い小豆島を選んだのは、このホテルにはアンヌの知り合いがいるからだ

 フロントにあんな用紙を置き忘れるなんて、このホテル、大丈夫か? とはいえ、短時間だったのだろうからアンヌに告げ口はしないでおいてやろう。ホテルを経営しているアンヌの知り合いとは男性で、オーナーの娘と結婚して婿養子に入ったのだそうだから、アンヌのモトカレなのかもしれない。

 部屋に案内されて荷物を置き、くつろいでいると、アンヌのモトカレだったのかもしれない男が挨拶にきた。太ったヤンキーって感じで、これだったら僕のほうがずーっとかっこいい。

「アンヌさんは昔よりももっと綺麗になったなぁ。仕事のほうでもご活躍でしょ。こんな素敵な奥さんで、笙さんがうらやましいですよ」
「トクだって、こんなホテルの社長だろうが。いい金づるをつかまえたじゃん」
「おかげさまで」

 金づるって、アンヌもなんてこと言うんだろ。だけど、トクさんはへらへら笑っている。夕食のときに奥さんに紹介するとトクさんは言っていた。

「もう海では泳げないけど、うちには温水プールがあるんですよ」
「そう聞いてたから、水着を持ってきたよ」
「アンヌさんのビキニ……見たいなぁ。人妻になって出産もして、ますます熟れたんだろうなぁ」
「笙、怒れ」

 奥さんをいやらしい目で見るモトカレ。僕が怒るべきなのだろうし、アンヌにも怒れと言われたが、遠慮してアンヌにおまかせした。アンヌはこぶしを固め、トクさんは慌てて逃げていった。

「あたしは電話しなくちゃなんないから、笙が胡弓を連れて先に行ってろ」
「場所はわかる?」
「ここに書いてあるよ」
「アンヌの着替え、見せてくれないの?」

 無視されて、ホテルの案内図を渡された。胡弓を着替えさせ、僕も着替え、着替えやタオルやパーカーを入れたバッグを準備している間に、アンヌはベランダに出ていって電話をしていた。

 海で泳ぐのは無理だが、暑くも寒くもないいい季節だ。ホテルの温水プールはガラス張りで、風の通るスペースもある。南国リゾートふうに作ってあって、子供向けの遊具などもある。胡弓が僕の手を放して巨大なゾウさん型のすべり台へと走っていくのを追いかけていくと、先客がいた。

「こんにちは」
「ああ、こんにちは」

 すこしばかり余分な肉がついてはいるが、グラマーな美人だ。彼女が連れているのは小さい女の子。笙よりはひとつ、ふたつ年上だろうか。大人のほうはアンヌくらいの年ごろか。母と娘らしきふたりは、おそろいのビキニをつけていた。

「あそぼ」
「えと……」

 ものおじしないらしい女の子に誘われて、胡弓が僕の背中に隠れる。女の子は僕の背中に回ってきて、胡弓の手を引っ張った。

「胡弓、恥かしいの? 遊んでくればいいじゃん。パパが見ててあげるから、危ないことはしないようにして遊んでおいで」
「ええ……だって……」
「遊ぼうや。きゅうちゃん? きゅうちゃん、あそぼ」
「レティ、あんまり無理に言うたらあかんよ。きゅうちゃん、いやがってはるんとちゃうの?」

 お、関西弁だ。小豆島は西の島なのだから、関西人が遊びにくるほうが多いはず。むこうも僕の言葉を、あ、東京弁や、と思っているのかもしれない。

 我が家には来客が多い。アンヌは酔うと飲み屋にいる友達でもない人までを連れて帰ってくるので、胡弓は大人には慣れている。じいちゃんやばあちゃんに預ける機会も頻繁で、僕の母の友達にも可愛がってもらっているらしく、老人にもなつきやすい。

 関西弁の大人も周囲にはいるが、関西弁の子どもはいなかったはず。可愛い女の子が関西弁で喋るのが怖いのか、胡弓はなかなか女の子と遊ぼうとせずにもじもじしていた。

「じゃあ、パパも一緒に遊ぼうか」
「……だって……」
「もうっ、あかんたれやなっ!! 男やろ。しっかりしぃっ!!」

 いきなり怒られて、胡弓が目をまん丸にした。僕もびっくりし、女の子のママさんは言った。

「それ、レティのおばあちゃんの口癖なんやわ。レティはようおばあちゃんに預かってもらうんよ。私の姉の子もおばあちゃんに預けられてて、そっちは男の子やから、男やろ、しっかりしぃ、っておばあちゃんに言われてるの」
「レティちゃんっていうの?」

 彼女もため口だから、僕もこんな言葉遣いでいいことにした。

「そう、レティシア」
「ハーフ?」
「ちがうけど、日本人にレティシアって名前、つけたらあかんの?」
「いいですよ」

 ああ、あのチェックイン用紙の名前だ。レティシアとは幼児だったのか。すると……?

「島といいますの。私はシマ・キホ」
「キホさん……」
「喜ぶと保って書いてキホやから、男の名前かとまちがわれるんよ」

 もひとつ納得。ヨシヤスではなくキホだった。フロントで見たなんて言うとトクさんが怒られるかもしれないので、内緒にしておいてあげよう。

「僕は新垣笙。息子は胡弓」
「息子さんとおふたりで? うちとは似てるようで逆やね」
「いや、奥さんも来てるよ」
「……なーんや。シングルファザーなんかと期待したのに」

 いやぁ、たはは、なんて笑うと、キホさんも色っぽく笑う。
 恥ずかしがっていた胡弓はレティちゃんに強引に手を引っ張られて、連れ去られていった。いつも公園でもやっているように、子どもたちを見守りながら大人同士の話をする。

「私はシンママなんよ。去年離婚したばっかり」
「ああ、そうなんだ」
「お決まりの旦那の浮気。やっと吹っ切って、吹っ切った記念にレティと遊びにきたの」
「大変だったんだね」
「ありがとう。笙くんって呼んでもええ?」
「どうぞ」

 どこまで本当のことを話しているのかは知らないが、どうせここで話すだけの縁だ。キホさんは京都で観光バスのガイドをしていて、休暇はめったに取れない。けれど、勤務時間は規則的なのでいいほうだと笑っていた。

「笙くんは仕事は?」
「僕は専業主夫」
「主夫なん? へぇぇ」

 びっくりされるのは慣れっこだし、話さないほうが面倒な事態になるので、たいていの相手には正直に言う。言っていないのはアンヌの継母と異母弟にだけだが、彼らも本当に知らないのだろうか。

「ということは、奥さんがキャリアウーマン?」
「あとから来るから紹介するよ」
「別に奥さんには会いとうないけど、なにしてるひと?」
「音楽関係なんだけど……」

 アンヌのことは正直に言っていいものかどうか、なので言葉を濁す。来たらわかるよ、と言っているのだが、アンヌは来ない。しようがないのでキホさんと僕も子どもたちを連れてプールに入っていった。

 夏には僕もひとりでだったり、パパ友のミチとその継子、ライアンとだったり、数少ないママ友とその子とだったりでプールに行った。僕と同じ年頃の若者は彼女や友達と来ていて、自由に泳いでいる。子連れの僕らは子ども用プールで我が子とおつきあい。

 ぜーんぜん面白くないな、と思ったこともあるが、今日はキホさんといるせいか、面白くなくはない。胡弓もレティちゃんになじんだようで、四人で楽しくやっていた。

「奥さん、来はれへんね」
「仕事の電話が長引いてるんじゃないかな」
「ほんまに奥さん、来てはるん?」
「来てはるよ」

 どういう意味? と見返すと、キホさんはますます色っぽく笑った。

「私を牽制しようと思て、ほんまはいてない奥さんの話をしたとか? 大丈夫よ。取って食えへんから」
「いや、そんなことは……」
「食いたいけどね。笙くん、可愛い」
「いや、あの……胡弓、休憩しようか」

 子ども用プールでレティちゃんと遊んでいる胡弓が、やだー、と返事をする。レティちゃんも、いややー、と応じる。僕はキホさんにお願いした。

「いっぺん本気で泳いできたいから、胡弓を見ててくれますか」
「ええよ。私も笙くんの本気の泳ぎ、見てみたいわ」

 頬がぽっぽっとするのを冷やすためにも泳ぎたい。温水なので風呂で泳いでいる気分になりつつ、五十メートルクロールした。
 水面から顔を出すと、胡弓とレティちゃんとキホさんが拍手してくれていた。このごろまともに泳いでいなかったけど、僕は水泳は苦手じゃないから、身体が覚えていたらしい。

 それからも子どもたちと遊んだり、僕が泳いだり、キホさんも泳げば? と促しても、私はええわ、と言われたり、ジュースを飲んだり、そうして二時間くらいはプールにいたのだが、アンヌはあらわれない。子どもたちが疲れてきたようなので、それぞれに抱っこしてプールから出た。

 着替えて外に出ると、キホさんも出てきていた。気持ちのいい夕暮れだから、中庭を突っ切って歩いていく。四人ではあるが、レティちゃんも胡弓も抱っこされてうとうとしているので、ふたりで散歩しているような気分だ。

「きゅうちゃん、重くない?」
「寝られると重いけど、なんとかなるよ。キホさんこそ、レティちゃんは胡弓より大きいし、重いでしょ」
「私も慣れてはいるけど、お父さんが抱っこしてくれたらなぁって思うわ。笙くんは男のひとやもんね。私よりは力があるよね」
「まあね」

 寂しそうに微笑むキホさんを見ていると、胸がきゅっとなる。浮気をして妻と娘を捨てた男を詰ってやりたくなってきた。

「あ……」
「ん?」

 広い中庭の真ん中に吹き抜けの四阿があって、木のテーブルとベンチがしつらえてある。そこでなにか飲んでいるのは、トクさんとアンヌだ。仕事の電話じゃなくてさぼっていたのか。僕がちょっとだけむっとしていると、キホさんが言った。

「さっき言うてた、このホテルの婿養子さんよね。奥さんの知り合いて、モトカレ?」
「知らないけどね」
「息子を旦那さんにまかせっぱなしで、浮気したはるんとちゃうの?」
「アンヌはそんなことはしません」
「そうかしら。知らぬは亭主ばかりなり、ってね」

 いやらしーく笑ってから、キホさんは囁いた。

「うちらも浮気、せえへん?」
「……う……おーい、アンヌー!!」

 やばい。それもいいかも、なんて言いそうになってしまった。キホさんはシングルマザー。下手をしたら僕は息子と娘のふたりの子持ちになって、もっと下手をしたらもうひとり子どもができて、僕が働かなくてはならなくなるかもしれない。駄目だ、笙、おまえにはそんな役目は無理だよ。

 ふらっとなりかけた気持ちを立て直し、アンヌ、助けてっ!! のつもりで叫ぶ。アンヌは僕らに気づいて小さく手を振り、トクさんも小さく会釈する。近づいていくと、アンヌが言った。

「あたしも疲れてるからさ、胡弓と遊ぶよりものんびりしたかったんだ。胡弓は寝たのか」
「胡弓は遊び疲れたみたいだよ」
「そっか」

 こちらは? と言いたげに見たアンヌに、キホさんが挨拶した。

「お母さんやのにそんなこと言うてたら、私が笙くんをもらいますえ」
「……おまえ、何者だよ?」
「おまえ? 初対面のあんたにおまえ呼ばわりされるいわれはないわ。そんな下品な女やと捨てられますえ」
「別れるなんてことがあったとしたら、捨てるのはあたしだよ。あたしに捨てられたら笙は生きていけないんだから。笙、行くぞ」
「……はい」

 怒ってる? アンヌだって息子と遊ぶのをさぼって、こんなところでモトカレかもしれない男と喋ってたんじゃないか。

「きゅうちゃん、行ったらいやや」
「へ? あ、レティちゃん、またね。バイバイ」
「胡弓、そんなガキにかまうな」

 まっ!! と柳眉をさかだてるキホさん。まあまあ、まあまあ、とおろおろしているトクさんを無視して、アンヌは僕の腕から胡弓を奪い取り、先に立って歩き出した。
 アンヌったら、夫と息子がもてたから妬いてるの? そんなことを言うとぶっ飛ばされそうだから黙っているが、そうだとしたら嬉しい。アンヌも人の妻、人の母なんだね。

つづく









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~ Comment ~

NoTitle

歳を重ね、子どもを産めば妖艶さが増す。
アンヌがまさにそのような感じですよね~~。
良い歳のくい方を私もしたいものです。
アンヌを見ていてそう思う。。。

LandMさんへ

いつもコメントありがとうございます。

馬齢を重ねるとか、白髪は叡智の証明ではないとか。
そういうのもありますものね。
アンヌはまだ三十ですので、妖艶さが増すってほどでもないのですが、いい年の取り方をしていると感じていただけると嬉しいです。
アンヌも喜んでおりますです。
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