ショートストーリィ(しりとり小説)

157「なんなのでしょう」

 ←FS超ショートストーリィ・四季の歌・幸生「夏の果」 →FS一日の物語「おやすみなさい」
しりとり小説

130「なんなのでしょう」


 定年退職後は農業をやりたいと、若いころから夫の富雄は夢を語っていた。幸い、親戚が残してくれた田舎の小さな家と土地があったので、夫の念願かなって田園地方暮らしをはじめたのだった。

「身体中が痛むよ」
「サラリーマンのときには運動不足だって言ってたものね。サプリを摂ったほうがいいのかしら」
「セサミンなんかがいいのかな。お母さん、探しておいてくれる?」
「そうね」

 息子と娘は独立して都会で暮らしているのだが、慣れ親しんだ「お父さん」「お母さん」の呼び名は互いにしみついてしまっていた。

「私も手伝ったほうがいいの?」
「いいよ。小さい規模の畑なんだし、お母さんは僕以上に日ごろは運動不足だったんだから、寝込まれでもしたらかえって大変だ。お母さんは家事をしていればいいよ」

 農業をやりたかったのは夫であって、今朝子はさして気は進まなかった。夫婦ともに都会生まれの都会暮らし。夫の農業は道楽のようなものなのだから、今朝子までを巻き込もうとしないのはありがたかった。

「お母さんは近所のひとたちのこと、あまりよくは知らないだろ」
「近所っていっても遠いし、ぽつりぽつりと家があるだけでしょ。東西南北、いちばん近いお宅には挨拶にいったけど、他は知らないな」
「だろ。僕の畑からだと近いところにね……」

 この暮らしになって約半年、夫の作物が収穫できるようになってきた。たくさん獲れたえんどう豆のごはんを炊き、野菜中心のヘルシーな食卓を囲んで、夫が言った。

「芸術家が暮らしてるんだよ」
「芸術家っていってもいろいろあるよね。なにしてる人? 作家とか画家とか音楽家だとか?」
「僕らと似た年頃の女性で、陶芸家なんだって」

 気分が乗っていればずっと工房にこもっているので、数か月も外に出ないことがあると、散歩に出かけてきていたその女性が話したのだという。

「今はちょっとゆったりした日常的な暮らしをしてるそうなんだよ。彼女は独身なんだそうで、奥さんと仲良くなれると嬉しいな、遊びにいらしてって誘われた」
「もうそんなに親しくなったの?」
「彼女もあまり外に出なかったから、人恋しい気分だったんじゃないかな」

 メールアドレスの交換をしたと夫が言っていた。それから数日後、陶芸家からメールが届いた。

「我が家に遊びにいらっしゃい」

 夫婦共有のパソコンのほうに届いたメールだったから、夫婦あてなのだろう。夫は喜んで、今朝子に行こう行こうと言う。年ごろは近いのだそうだから、話題はなくもないだろう。メールの署名は「瑞子」、ミズコと読むらしい。

 お酒は飲むのかしら? さあ? 時刻からしても夕食のお招きよね? さあ? 本人に訊けば? 夫に尋ねてもらちが明かない。夫にしても瑞子とは知り合ったばかりなのだから、なにも知らないに等しい。瑞子の住まいだけは夫が知っていたので、お招きにあずかりますとの返事をした。

 工房を兼ねている瑞子の住まいはこじんまりしたものだ。作務衣のような服を着て出迎えた瑞子も、こじんまりした女性だった。たしかに年頃は今朝子や富雄と同じくらい。六十歳前後に見えた。

「あら、奥さんも来たの?」
「……ご迷惑でした?」
「来ちゃったものは仕方ないね」
「……瑞子さん、うちの女房とも親しくなりたいっておっしゃってませんでしたか?」
「言ってませんよ、そんなこと。知らないひとと親しくなんかなりたくないし」

 木で鼻をくくったようないらえとはこれだろうか。鼻白んでしまった今朝子は帰ろうかと思ったのだが、まあまあ、と夫になだめられて住まいに足を踏み入れた。

 ダイニングキッチンには現代的なシステムキッチンと、荒削りな木で造られた大きなテーブル、二脚の椅子がある。テーブルにはなにも載ってはいなかった。

「富雄さんはすわってて。今朝子さんは手伝って」
「あ、はい」
「富雄さん、前に言ってたでしょ。家では貧乏くさいものしか食わせてもらってないから、たまには洋風のうまいものが食べたいなって」
「いや、貧乏くさいっていうか、僕の作った野菜がメインになるから」
「奥さんは料理が下手だから、富雄さんの作ったしょぼい野菜がますますしょぼい食いものにしかならないって、言ってたじゃないの」
「いや、それはジョークってか謙遜……」

 冷や汗をかいているような富雄を一瞥してから、瑞子は今朝子に指図する。パエリアを作るのよ、ふたり分のつもりだったけど、パエリアだったら今朝子さんひとりくらい増えてもどうにかなるでしょ、あなたはそんなに大食じゃないよね、と言いながら、冷蔵庫から食材を出してきた。

「野菜は食べ飽きてるんだったら、パエリヤとブイヤベースにしようかね」
「あのぉ、すごく時間がかかるんじゃありません?」
「料理がうまくもない女ふたりだと、時間はかかるかもね」
「あのあの、今から作っていたら何時になるか」
「そんなにおなか減ってるの? しようがないね、そんならこれでも食べる?」

 戸棚から瑞子が出してきたのは、ポテトチップスやスナック菓子だった。

「忙しい時期にはこんなものを食べて飢えをしのいでるのよ。今朝子さんほどじゃないだろうけど、私は家事が好きってわけじゃないから、極力手抜きしたいの」
「私は家事が嫌いってこともないんですけど……」
「当たり前じゃないの。専業主婦なんでしょ」
「ええ、まあ、働いてもパートくらいで……」
「長いことそればっかやってりゃ、ちっとは家事だって上達しますって。家事なんか上達してもね……そんなもん、子どもにだってできるんだから」

 無言になってしまった富雄は、ここに妻を連れてきたことを後悔しているのだろうか。目配せが伝えたがっているのは、お母さん、怒らないで、だろうか。

「パエリヤは次の機会にしようかね。ああ、お土産? なに、これ?」
「お口に合うかどうか、お酒はお好きかどうかもわからなかったから、これをネットで注文したんです」
「こんなの食べると太るでしょ。私はお気楽な主婦じゃないんだから、太ると身軽に動けなくなるからお菓子は控えてるのよ。お酒はないって? 飲まないわけがないじゃない。ビールだったらあるから、今夜はお菓子で酒盛りだ」
「椅子が……」
「私は立ったままでも平気だよ」

 そんなわけにもいかないでしょ、と富雄が言うと、瑞子は奥から小型の椅子を運んできた。

「こういうことは男がするもんじゃないの?」
「いえ、でも、主人が勝手によそのお宅で動くわけにもいきませんから……」
「気の利かない夫婦だね。まあいいから飲めば?」

 無難なお土産をと選んだ、焼き菓子の詰め合わせだ。瑞子は盛大に文句をつけたものの、うん、意外とうまいじゃん、と言いながらよく食べた。瑞子の言った通り、その夜はスナック菓子や焼き菓子やらでビールを飲み、一時間ほどで退散することにした。

「私の非常食がなくなっちまったよ。富雄さんひとりで来たんだったら、ゆっくり料理ができたのにね」
「もう来ませんからご心配なく」
「そっか、今度は私が行くよ。今朝子さんの料理はまずくてしょぼいらしいけど、私も料理上手でもないんだから我慢できるよ。まずいもんには慣れてるしね」
「……今夜はごちそうさまでした」
「うん、ごちそうしちまった」

 皮肉は通じているのかいないのか、じゃあね、と手を振った瑞子は、見送りにも出てこなかった。

「……いや、僕はあんなことは言ってないんだよ」
「あんなことって?」
「今朝子の料理がまずいとかしょぼいとか……そりゃあね、謙遜で、うちの女房は特に料理が上手ってわけでもないのに、最近は僕の作った野菜をメインにしてるから、食卓が貧しい、みたいには言ったけどね」
「愚妻だとかって言うのは日本の文化なんだから、あなたの言いたいことはわかるわよ」
「だよね」

 その程度のことを妻のいないところで夫が言うのは、若くはない今朝子には当然かと思える。それをそのまま、いや、それ以上に悪いほうに歪曲して、本人の前で口にした瑞子にびっくりなのだった。

「瑞子さん、あなたが好きなのかしら」
「好き? いや、あのね、僕ら、そんな仲じゃないから」
「焦らなくてもいいんですよ。私もそんなふうには誤解してないから」
「当たり前だよ」

 もっともつらかったのは実は夫だったのかもしれない。富雄だって瑞子に会うのは二度目で、彼女のひととなりなどは知る由もなかったのだろうから。

「瑞子さんからメールが来たよ」
「私は関知しませんから、あなたが対処しておいて」
「お母さん、怒ってる?」
「怒ってはいないけど、私は瑞子さんとはつきあわないことにしましたから」
「せっかく同じ年頃で、友達になれると思ったのに……」

 男の感覚ではそんなものなのかもしれない。今朝子としても自らの心境を詳しく語る気にもなれなかったので、適当に流しておいた。

「あのぉ……」

 こちら、瑞子先生のお友達のお宅でしょうか? そう言って訪問してきたのは、見知らぬ若い男性だった。

「友達ではありませんけど、ご近所ですから知り合いですよ。どなたですか」
「わたくし、こういう者です」

 彼が差し出した名刺には、芸術世界・編集部・常滑清、とあった。

「瑞子先生はただいま、創作意欲の波が来ているそうなのです。私は工房に入ることを許していただいていますので、お作品の進捗具合などは聞けました。そのときにこのお宅のことを伺いまして、瑞子先生は私にかまっている暇はないが、こちらでしたら主婦がいるからお茶のひとつくらい出してくれるだろうと……いえ、瑞子先生はそうおっしゃいましたが、私はなにもお茶をごちそうになりにきたのではなく、ご挨拶を……いやいや、ありがとうございます。ごちそうになります」

 やだぁ、あいつっておたくっぽい、と娘が評していた誰かと、常滑は体格が似ている。小柄でぷっくりしていて、若いくせに腹部が膨満した体型だ。彼は芸術おたくなのか? 観察しつつも今朝子はお茶を出してやった。

「常滑さんって、土地の名前にありますよね」
「はい、愛知県の常滑焼きは有名です。私は当地の出身ではないのですが、この名前のせいで陶器に興味を持ったのはあります」
「芸術世界って雑誌ですよね」
「はい。私は編集部では窯元、陶芸家を担当しています」

 たった一度会ったきりで、それからは今朝子のほうが敬遠している瑞子とは、夫はメールのやりとりをしているようだ。夫も瑞子の話はしないが、あの一度きりで、今朝子には瑞子の印象が強烈に焼きつけられた。あのひとならば、お茶はよそで飲ませてもらってこい、と言ってもなんの不思議もない。

 そこに、畑に出ていた夫も休憩のために帰宅した。常滑は夫にも脱線まじりの丁寧な挨拶をし、夫のために用意していた昼食を、今朝子は常滑にもふるまった。

「やっ、よろしいんでしょうか? これはこれは恐縮です。このあたりには昼食をとる店もないとは知っていたんですが、用意もしていませんで……」
「瑞子さんはおっしゃいませんでしたの? お昼も今朝子に食べさせてもらえって。それとも、今朝子は料理が下手だから、食べるとおなかをこわすとか……」
「ああ、そのようなことは言われてましたね。いやいや、おいしいです。実に美味です」

 おそらく、瑞子が言ったのは後者の台詞だろう。夫のための昼食はオムライスと野菜スープ。今朝子は特別に料理上手でもないが下手なつもりもないので、常滑が美味だと言うのも当然のこととして受け止めた。

「野菜はご主人のお作なんですよね。よろしいですな、自給自足で」
「自給自足まではまだまだですが、徐々にそうなっていけたらと望んでいますよ」
「ご主人は瑞子さんのボーイフレンドだそうですが、激励してあげて下さいね」
「ボーイフレンド……ですか」

 日本語に訳せば男友達なのだから、それでもいいではないか。今朝子としては嫉妬する気もなかったが、夫は困惑顔をしていた。

「瑞子さんはまさしく芸術家気質なんですよね。気に衣着せずにものをずばすばおっしゃるところが実に小気味よい。私のような若輩者は頭ごなしに叱られてばかりですが、ためになるんです。そんな瑞子さんが頼りにしてらっしゃるようなんですから、ご主人は人徳者なんですよね」
「いや、そんなことはまったく……」
「すこしは休憩もなさっては、とお勧めしましても、瑞子さんはおっしゃいます」

 お気楽な主婦じゃないんだから、私は仕事に命を懸けてるんだから、休憩なんかしてられないんだよ、と瑞子は言ったと、常滑は嬉しそうに語った。

「ああなると瑞子さんは食事もなさらない。私はそんな先生を尊敬しておりますが、あれでは身体をこわしてしまわれないかと心配なのですよ。ああ、いいことを思いついた。今朝子さん、うちの編集部からお金は出しますんで、先生に食事を届けていただけませんか? よけいなとこだと叱られるかもしれませんが、できればお掃除もしていただけるとありがたいです。賃金と申しますか、時給ですかね。おいくらくらいが? 編集長と相談して今朝子さんのご希望に添えるようにと……」

 なんで私がそんなことをしなくちゃいけないのよ、と言うのも面倒になって、今朝子は席を立った。

「お洗濯は、瑞子先生がおいやでしょうかね」
「さあ、私にはなんとも……常滑さんは瑞子さんに肩入れしておられるんですね。陶芸家としての彼女を非常に高く買っておられるわけでしょう?」
「それもありますが、人間としての瑞子さんを尊敬してるんです」
「人間として、ですか」
「ええ、女性としても」
「女性としても……?」

 饒舌な編集者は、滔々と続けた。

「女って陰湿でしょ。思ったことをストレートに口にしないで、お世辞をまじえたり心にもないことを言ったりする。腹の中は真っ黒けなくせに、表面を取り繕う。私だって昔は女に恋したこともありましたが、もうやめました。あんなわけのわからないものと恋愛して結婚なんかしなくても、私は平気です。その点、瑞子先生は裏表のない真っ白な女性だ。彼女が若かったら、私は瑞子先生と結婚したいくらいです」
「ほぉ、それはそれは……」

 静かに水を出して汚れ物を洗いながら、今朝子は常滑と夫の会話を聞いていた。

「あれほど人間として、女性として、芸術家としても素晴らしい、崇高なまでの方にお会いしたのは最初で最後ですよ。私は瑞子先生にこの生命を捧げて尽くします」
「そこまでおっしゃるんでしたら、あなたが住み込みの家政夫になって料理や掃除もしたらどうですか」
「いや、私はそんな卑俗なことは……それは主婦の役目でしょ」
「だから主夫になったらいいんじゃありません?」
「いえ、私は男ですから……」

 あるいは、常滑には編集者として瑞子を持ち上げて置く義務があるのかもしれないが、ここまで彼女を賞賛できるとは、今朝子にはびっくりでしかない。夫も瑞子に心酔しているふしはあるから、彼女にはオスを引きつけるフェロモンがあるのだろうか。今朝子は瑞子となど関わりたくないが、そのあたりを観察したいとの興味だけは出てきていた。


次は「しょう」です。









スポンサーサイト


  • 【FS超ショートストーリィ・四季の歌・幸生「夏の果」】へ
  • 【FS一日の物語「おやすみなさい」】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【FS超ショートストーリィ・四季の歌・幸生「夏の果」】へ
  • 【FS一日の物語「おやすみなさい」】へ