ショートストーリィ(しりとり小説)

153「はじめての駅」

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しりとり小説153

「はじめての駅」

 用事でもなければ降りることもない私鉄の駅。数子にとっては無縁の駅だから、平素は電車の窓から通り過ぎる景色を見ているだけ。そのはずだった。

「降りるのははじめてだったかな」

 夫が経営する小さな卸問屋で経理の仕事をしている数子は、会社のお使いであちこちに出かけることもある。が、この沿線ではこの駅にはなにもないので、降りたことはなかったはずだ。他にも降りたことのない駅はあるのに、ここが妙に気になった。

 仕事で出かけ、その私鉄に乗った数子は、ふと思い立ってその駅で降りた。なぜか既視感のようなものがある。どうしてだろう? この駅ではなにかあったかしら?

「あ……!!」

 駅から住宅街のほうへと歩いていく途中に、古ぼけた洋菓子店があった。その店を見た瞬間、数子は過去へと舞い戻った。

 四十年以上も昔、数子は大学の同級生だった優次と居酒屋で再会した。

「数子ちゃんは仕事してるの?」
「ちっぽけな会社の経理事務をやってるのよ。優次くんは?」
「俺には夢があるから、アルバイト暮らしだよ」
「大変ね」
「いや、大変じゃないよ。ひとりだけだったら食べていけてるし、なんたって夢があるから」

 どんな夢? と尋ねても、優次は言葉を濁す。彼の夢が気になってたまらなくなって、数子は彼とつきあうようになった。

「数子ちゃん、結婚しよう」
「え?」
「俺のトラベルエッセィ、出版社が買ってくれたんだよ。定期的に書いてみないかって言われたんだ。それだけで食っていけるレベルではないけど、目途は立ったと思う。結婚してきみを養ってもいけると思う」

 あのころは結婚すれば、妻は専業主婦になるのが一般的だった。
 
 第二次世界大戦ごろまでは、サラリーマンの妻、専業主婦というのは少数派だったらしい。庶民は第一次産業に携わっていることが多いから、妻も家業の手伝いをする。舅、姑と同居し、時には夫の妹や弟までが同居し。

 大きな商家などだと、従業員も住み込んでいたりする。大家族を差配する大姑の指揮のもとに姑がいて、嫁はその手下のようにこき使われたとの話もあった。

 家業も当然、家事も当然、妊娠してつわりで苦しんでいたりすると、妊娠は病気じゃない、気持ちがだらけてるからつわりがつらいのよ、と姑に叱られる。無理に働いて気分が悪くなって休んでいると、怠け者の嫁はいらんぞ、と舅に罵られる。

 そんな話はどこにでもここにでもころがっていた。

 戦争が終わって高度成長期とやらがやってきて、サラリーマン家庭が増えていく。団塊の世代と呼ばれる昭和二十年代はじめ生まれ、数子たちの世代が結婚するころには、専業主婦が非常に多くなっていた。ひょっとしたら日本人庶民の稀有な一時代だったのかもしれない。

 なのだから、数子も優次と結婚して退職して主婦になった。優次は夢だったトラベルライターの仕事を手に入れ、早く子どもがほしいねと言い合っていた。

 できるだけ早く親になりたいのは数子も同感だったのだが、そう簡単には妊娠しない。優次の仕事も順調だとはいいにくい。トラベルライターは旅をして紀行エッセイを書くのが主な仕事なのだから、原稿料のあてもなく旅に出ることもある。売れないライターには経費も大変な出費だった。

 そう、あのころ、数子は優次とこの沿線に住んでいたのだ。

 主婦の仕事のひとつは節約。数子は新聞のちらしを見て、スーパーマーケットの特売品を求めて自転車で走り回っていた。この駅……降りたことはないと思っていたこの駅には、たしかに電車でやってきたことはない。自転車でやってきていたのだから。

「アルバイト募集」

 貼り紙を見て応募して採用されて、昼間の数時間、数子は洋菓子店でアルバイトするようになった。優次には内緒。妻を働かせるなんて男に甲斐性がないからだ、と言われかねない時代だった。

「なぜかこの駅は素通りばかり
 なんとなく降りてみただけなのに

 忙しく並ぶ店の中ほど
 シュークリーム売るきみを見つけた

 知らなかったよ、きみが昼間バイトしてることなど」

 ふたりともに休日だった朝、数子が遅めに目覚めると、となりの布団は空になっていて、別室からそんな歌が流れてきていた。優次は音楽が好きで、いいステレオがほしいなと言ってはいたものの、お金がないからとレコードプレイヤーのみを使っていた。

「僕の貧しさをそっと助ける
 きみのけなげさに僕は泣けたよ」

 知っていてこんな歌を……? 数子ははじめて聴くフォークソングのような歌だ。優しい声、静かなメロディ、哀愁も感じられる曲調だった。

「優次さん……」
「やぁ、おはよう」
「おはよう、朝ごはんにするね」

 それ、誰の歌? なんていうタイトル? とも数子は訊かず、優次もなにも言わなかった。偶然だったのかもしれない。

 そのせいだったのかどうだったのか、四十年もたてば真相はまったくわからないが、それから優次と数子はすれちがいが多くなり、子どももできないままに別れた。

 アルバイト生活の男なんかと結婚するとは許さん、と数子の父が言ったものだから、結婚式も挙げていない。籍についても深く考えていなかったから、あとで知ったところによると、数子は戸籍上は結婚も離婚もしていなかったのだった。

「私、昔、同棲していたことがあるの」
「へぇ……意外だな」
「そんな女はいや?」
「終わってるんだろ」
「もちろんよ。ただ、同棲経験のある女なんかいやだって思うひともいるから、正直に言ったの」
「若気のあやまちってやつかな。気にしないでいいよ」

 今の夫にプロポーズされたときに打ち明けたら、彼はおもてにちらっと嫌悪感を浮かべた。本当にちらっとだったから、数子の気のせいだったのかもしれない。

 それから四十年足らず。
 優次との日々は決して悪しき記憶でもなければ、若気の過ちでもない。けれど、小さな傷になってはいたから、封印してしまっていたのだろうか。

 あんな歌、うちの娘にも息子にもぴんとは来ないだろうな、と数子は思う。子どももいない主婦だったらアルバイトくらいして当たり前だ、アルバイトですむんだったら楽じゃない? 甘えなんじゃない? 他人にはそう言われる時代になった。

 アルバイトのせいではないのかもしれないが、優次は妻を働かせていることになにかを感じたのだろう。男のプライドが傷ついたのか罪悪感なのか、それが作用して優次と数子は別れた。

 この駅には降りたことがない、だけど、気になる、と思っていた駅。降りるのははじめての駅。比較的近くに大好きだった優次と住まい、自転車で買い物にきて、自転車でアルバイトに来ていたこの駅。あの歌のタイトルも「はじめての駅」だった。

次は「き」です。








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~ Comment ~

NoTitle

こういう男の甲斐性というか何と言うか、最近では共働きって当たり前ですが、それでも気にする人は今でもいますよね~。
この「はじめての駅」って実際にある曲なんですか^^?

夢月亭清修さんへ

いつもありがとうございます。
基本的には俺が一家の大黒柱になりたい、という男性は、今でもけっこういるみたいですね。

「はじめての駅」はとてもとても古い、大阪ローカルではかなり人気のあった、ザ・ムッシュというフォークグループの歌です。私は相当好きでしたので、復刻版CDを持っています。
ザ・ムッシュで検索するとかまやつひろし氏が出てきますが、かまやつさんとはまったく関係ない、古い古いミュージシャンたちです。

NoTitle

確かに昔はなかなか女性が仕事というのもなかったですからねえ~~。
しかし、そのまま別れたっていうのも世知辛いですねえ。
やっぱりすれ違いが多いと駄目なんですかねえ。。。

LandMさんへ

いつもありがとうございます。

人と人の出会いにはそれほどのバリエーションはないようにも思うのですが、別れの理由はたくさんありますよね。
え? そんなことで? だったり。
なんで別れないの? じれったいな、だったり。

すれちがいが多すぎるっていうのも、別れの大きな理由かもしれませんね。それでも平気、そのほうがいい、というカップルもいそうですが。
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