ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「く」part2

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フォレストシンガーズ

いろはの「く」

「雲の通い路」


 記憶をくすぐるこの店名……誰かに教えてもらった歌のフレーズだったか。「雲の通い路」……そうだ、百人一首じゃないか。

「酒巻はなんの学問を学ぶんだ?」
「僕は航空学です。将来は飛行機を作るほうの仕事に就きたいんです」
「パイロットじゃなくて?」
「パイロットって身長制限があるでしょう?」
「あると思うけど、おまえはまだ背も伸びるだろ」

 十八歳だった僕は、ほんのちょっとでもいいから、乾さんの言う通り、背が伸びないかと期待はしていた。けれど、父も母も姉も祖母も祖父も、僕の一家は小柄家系だ。姉の夫が唯一長身だが、彼は僕と血のつながりはないし。

 結局、百五十五センチほどだった十八歳の酒巻國友は、成人式のときには百五十八センチだったのだから、ほんのちょっとは伸びたわけだ。

「百七十センチになりたかったな」
「僕は百六十センチになりたかったです」

 小さいのは同じでも、僕より五センチ高い三沢さんとは、そんなふうに言い合った。
 身長ではなく、百人一首の話だった。

 パイロットではなく航空機を作る仕事に就きたいと願っていた僕に、俺は万葉集を学んでるんだよ、と話してくれた、三歳年長の合唱部の副キャプテン。乾さんは百人一首も全部暗記していて、メロディをつけて口ずさんでいた。

「そうそう。天津風、雲の通い路吹き閉じよ、乙女の姿しばしとどめん、だったよね。乙女って天女のことだって乾さんが教えてくれたけど、綺麗な女の子……風流だな」

 ここはその乾さんの故郷、金沢。僕は現在はニューヨークに留学中で、乾さんのいるフォレストシンガーズも出演するジョイントライヴの司会を仰せつかって一時帰国中だ。フォレストシンガーズの五人は全員、僕の大学の、合唱部の先輩である。

 一時帰国中でも仕事はしているものの、余暇だってある。日本にいるのだから日本らしい情緒のある土地に旅行しようと思い立った。京都にしようか、いや、金沢にしよう。

 山形県生まれの僕は意外と北陸地方にはなじみが少ない。雪国から雪国に行く気にならなかったせいもあるのだが、ニューヨーク暮らしのためも、三十歳をすぎたためもあって、日本らしさにも惹かれるようになってきていた。

 しかも、百人一首の歌を店名にした喫茶店、和風喫茶「雲の通い路」。最高ではないか。店は空いていたので中に入った。いらっしゃいませ、と出迎えてくれたのは小柄で綺麗な女性だ。若くはないが、天津風の乙女のようなひとだった。

「よろしいですか」
「はい、どうぞ」
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」

 カウンターの奥にいるのは年配の男性だ。この店は彼と彼女でやっているようで、父と娘なのだろうか。年ごろ的にはそんな感じだった。

「えーっと、お抹茶と求肥餅をお願いします」
「かしこまりました」

 学生時代にいやな想い出があるのもあり、苦いからもあって僕はコーヒーが苦手だ。大人の男は喫茶店ではコーヒーをオーダーするものらしいが、紅茶やココアや抹茶のほうがずっと好き。窓際にすわると、香林坊の通りを行きかう人々が見えた。

「あ、フォレストシンガーズ……CDですか」
「ええ。私、大ファンなんです」
「あの……えと……ママさんでいいんですかね」

 間もなく、女性が抹茶とお菓子を運んできてくれる。店内に流れる音楽は、フォレストシンガーズのバラードになっていた。

「はい。このお店は夫とやっておりますので」
「ご主人……」
「ええ、むこうにおります」

 むこうとはカウンターの奥だ。微笑んで会釈するあの男性が、この女性の夫なのか。ずいぶんと年の差カップルであるらしい。

「ママさん、フォレストシンガーズのファンですか」
「そうなんです」
「僕も大ファンです」
「それはそれは……」

 静かな店に静かに流れるこのアルバムは、フォレストシンガーズ「ラヴバラード」であろう。僕はDJという職業柄もあり、フォレストシンガーズの後輩ということを誇りにしているのもあって、フォレストシンガーズにはすこぶる詳しい。いつかはFSの自叙伝を出版したいという野望もあった。

 自分のことを書くのが自叙伝なんだから、僕が書くと伝記になるのかな。ま、どっちでもいいよね、と思いつつ、乾さんのリードヴォーカルとお茶とお菓子のひととき。ほんのり甘い求肥が、あちこち歩いてちょっと疲れた身体を癒してくれた。

「観光ですか」
「そうなんです」
「楽しんでいかれますように」
「ありがとうございます」

 もっと話していたかったが、僕がママさんを独占するわけにもいかない。お客が少ないのは中途半端な時間だからか。ママさんはカウンターのむこうに入っていって、ご主人と小声でお話ししている。まゆりちゃん、隼平さん、と呼び合っているふたりは、年の差はあっても睦まじい夫婦だ。

 どこかで聞いたことのある名前だな。まゆりさんって僕くらいの年齢かな。隼平さんは僕の父くらいの年に見える。あんなに若くて綺麗な奥さんで、ご主人は嬉しくてたまらなさそう。世間的には三十をすぎたら若くもないのだろうけど、隼平さんから見ればまゆりさんはたいへんに若い。

 あああ、いいな、僕も結婚できるんだろうか。僕はすこし年上からすこし年下までだったら、年齢には特にこだわりはない。できれば僕よりも背の低い、優しいひとがいいな。

 条件をつけられる立場でもないのに、いつだってふられてばかりのもてない男なのに、どうしたって理想を追ってしまって、だから僕はいつまでも独身なんだ。

「俺だって独身だよ。今どき都会の三十代男、独身、なにも珍しくないだろ」
「乾さんはもてすぎて結婚しないんでしょ。僕は逆ですから」
「おまえも言うようになったね」

 最近、乾さんとかわした会話を思い出す。乾さんにはじめて、おまえの学びたい学問は? と質問されたときには、乾さんはなにを勉強してるんですか? とも問い返せなかったのに、僕も生意気になったもんだ。

 十八で東京に出てきてからもうじき十五年。東京からも出ていってニューヨークで暮らしている僕が、思慕し、尊敬している乾さんの故郷にいる。乾さんの好きな百人一首から取ったのであろう店名の和風喫茶で、店主夫婦の会話を聞いている。

「……この声、乾さんだよね」
「あら、隼平さんにもわかるようになりましたか」
「特徴的だもんな。僕もまゆりちゃんと結婚したおかげで、ひと声発してくれたら誰が誰だかわかるようになったよ」
「それでやっとファンの第一歩ね」
「第一歩か。道は長いね」
「大丈夫。私が導いてあげるから」
「うん、頼りにしてるよ」

 まゆりさんはよっぽど、フォレストシンガーズのファンなんだな。そんな話もしたいな、と僕は考えていた。

「あれはCDにはしないのかな」
「あれはしたら駄目なの」
「駄目なの?」
「だって、あれは乾さんがあなたと私のためにだけ作って、あなたと私のためにだけ歌ってくれた曲よ。他のひととは共有したくないの」
「そういうものか」
「そうよ。私は欲張りなんだから」

 店が暇なせいか、夫婦は楽しそうにお喋りをしている。僕も混ぜてほしいけど、割り込んでもいけないからあれこれ想像する。
 あれってなんだろ? 乾さんがあなたと私のために……? まゆりさん、まゆりさん。聞いたことのある名前だ。

「高校時代には彼女はいたよ。小さくて可愛くて、時々ちょっとワルぶりたがる女の子。まゆりって名前の彼女とは、俺が東京に来たから別れてそれっきりさ」

 この記憶は正しいのか。まゆりさんに尋ねてみる? それとも、乾さんにメールして訊いてみる? とも思うが、そんなことはしないでおこう。ちがうと言われたらがっかりだから、僕はただ、このまゆりさんはあのまゆりさんなのだと想像して、頭の中で像を作る。

 このまゆりさんを高校生に戻して、僕の知っているもっとも若いときといえば大学四年生の乾さんをさらに若返らせ、まゆりさんと寄り添わせる。うん、素晴らしくお似合いだ。

 だけど、ふたりは結ばれなかったんだね。乾さんはいまだ独身で、まゆりさんはこんなに年上の男性と結婚して幸せそう。もてもて乾さんにも恋は思い通りにならないものなんですね。
 なんて、勝手な想像をしてみたら、いつも乾さんに感じるひがみ根性が、ほんのすこしだけ薄れていった。

END









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~ Comment ~

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身長は私も欲しかったな~~と思いながら。
あと2㎝ぐらいあれば。。。
・・・と願望がありましたけど。
今は田舎暮らしの30代の男性独身ですね。

LandMさんへ

いつもありがとうございます。

2センチでいいんですか?
そのくらいだったら私もほしいです。
私は女性の平均身長に2センチ足りないくらいですから。

一昔前は地方は東京に比べて結婚が早いって言われてましたね。
そういえばテレビ東京の「アド街っく天国」とかいう番組で、若い女性のおしゃれコレクションみたいなのをやってますが、地方では子持ち女性が多いような気がします。

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