ショートストーリィ(しりとり小説)

152「銀杏の葉」

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しりとり小説

152「銀杏の葉」

 なんでもかんでも一緒にやりたいという男。千代の彼氏はそんな人物だった。
 恋人時代にはそれもよかった。彼はそんなにも私を好きなのよね、愛されているから一緒にいたがるのよ、可愛いよね、彼って。

 新婚時代にもまだよかった。愛し合って結婚したのだから、千代だって、このひととずっと一緒にいたい、人生が終わるまでそばにいたい、と願って家庭を持ったのだから。

「千代は最近、僕にちっともかまってくれないよね」
「見たらわかるでしょ? 鮎子に手がかかるのよ」
「そりゃあね、赤ちゃんに手がかかるのはわかるよ。だけど、僕は寂しいな。千代はもう僕を愛してないの?」
「子どもみたいなことを言わないで。そんな暇があったら鮎子のおむつを替えてよ」
「まったくもう、千代は鮎子鮎子って……」

 子どもが産まれたらそちらが優先になるのは当然ではないか。出産直前に退職し、鮎子が二歳になるまでは専業主婦をしていた千代がいくら言っても、夫はからみつきたがる。たまには遊びにいこうよ、デートしようよ、と言いたがる。

「鮎子を人ごみに連れだしたり、車で遠出したりってまだしたくないのよ」
「お母さんに預かってもらえばいいじゃないか。僕は千代とふたりきりでドライヴとか、デートとかがしたいんだよ」
「私は鮎子を預けてまで遊びにいきたくないの」
「冷たいな。千代は鮎子と僕のどっちが大事?」
「あなたは鮎子が可愛くないの?」
「可愛いけどさ……」

 そりゃあ娘は可愛いけど、僕は寂しいよぉ、と甘えたことを言っていた夫は、徐々に鮎子を疎ましげに見るようになっていった。

「おまえのせいでママはパパとちっとも遊んでくれなくなったんだ。早く大きくなって出ていけよ」
「そういうことを言わないで」
「高校を卒業するまでくらいは養ってやるつもりなんだから、言うくらいいいだろ」

 いい年をした立派な大人がなんてことを……たしかに愛し合って結婚したはずのふたりの想いは、あのころからすこしずつ噛み合わなくなっていった。

 二歳になった鮎子を保育園に入れ、千代は復職した。時短が使える職場だったとはいえ、二歳児を抱えて共働きをするのは相当にハードだ。千代の毎日はてんやわんやの大騒動となり、ますます夫にかまっている時間はなくなった。

「ママ、ソックス買っておいてくれた?」
「あ、忘れてた。あなたは大人なんだから、自分のものは自分で買ってよね」
「買っておいてくれるって言ったくせに……」
「ママ、鮎子が保育園で使うエプロン、作ってくれた?」
「そっちはできてるよ」

 まったく、子どもがふたりいるようなものだ。鮎子は母親手作りのエプロンが嬉しくて自慢する。自慢された父親はすねる。鮎子ばっかりいいな、と夫に言われて、千代はげんなりするのだった。

 そんな日々だったのだから、ふたり目を作ろうという気にもならない。娘と夫が千代を取り合って張り合う。人によってはそうされるのが幸せだと感じるかもしれないが、千代としては鮎子はともかく、夫がだんだん嫌いになりつつあった。

「……好きな女性ができたんだ」
「え? あら……離婚するの?」
「離婚って、ママと? 僕が浮気してるって聞いたら、怒りも泣きもせずにそんなことを言うのか? きみは僕と離婚したいのか」
「あなたがその女性のところに行きたいんだったら、離婚するしかないんじゃない?」

 一瞬、これで鮎子とふたりで生きていける!! と欣喜雀躍したくなったのだから、我ながら薄情な妻である。が、自分が浮気をしておいて夫は涙をこぼした。

「ママが僕をないがしろにするからだよ。だから僕は寂しくて、浮気に走ったんだ。僕がそうやってバカげた真似をしたら、ママも僕のことを考えてくれるかもしれないと思ったんだよ」
「ママ、パパ、離婚なんかしたら駄目っ!!」

 娘から見ると父親というよりも、どこかしら兄のような存在である。であるから、それなりに父親を慕っている。娘のために離婚は思いとどまった千代だった。

「ええ? ひとり旅?」
「旅ってほどじゃなくて、ひとりで日帰りバスツアーに参加するのよ」
「僕は連れていってくれないの?」

 結婚してから十七年、よその夫はもはやこんなにも妻に執着しないはずだ。夫はいまだに千代を愛しているらしいが、愛ってうっとうしいわ、としか千代には思えない。愛なんて親子の間にだけ通えばいいのよ。

「鮎子も高校生になって、これで私の育児も一段落。ひとり旅がしたくなったの。最初から泊りがけはハードルが高いから、まずは日帰りで行ってきます」
「僕も行きたいな」

 あいもかわらず子どもみたいな夫を無視して、バスツアーに参加した。
 もみじの紅葉や黄金いろの銀杏が美しい、錦秋の高原をバスで走るツアーだ。主要駅を回って乗客を乗せたバスが走る。千代が乗り込んだ際には、窓際に先客がいた。

「おひとりなんですか」
「ええ」
「私もひとりなんですよ。よかった、道連れがいて。弘美と申します」
「私は千代です」

 せっかくひとりになりたかったのにぃ、とは思ったのだが、ここであまりに無下にすることもできない。バスの座席は決まっているのだから、千代がつんけんしたりしたらツアーの間中気まずくなるではないか。

「おみかん、どうぞ。千代さんは結婚なさってるのね」
「ええ。娘がひとりいます」
「私はこの年までずっと独身だったんですよ。っていっても、結婚をあきらめたわけでもないんだけどね。千代さん、いくつ?」
「四十三」
「あらぁ、同い年だわ。嬉しい」
 
 同い年のなにが嬉しいのか知らないが、千代も調子を合わせておいた。

「綺麗ですね」
「紅葉が見事よねぇ。私たちも人生の秋だから身につまされるわ。千代さんの娘さんって何歳?」
「もうじき十六歳です」
「ああ、青春ね。うらやましいわ」

 窓辺を弘美に占領されているのは、決まっている席だから仕方ない。できればそっちにすわって、ひとりで車窓の景色に浸りたかったな、と千代はため息をついた。

「ご主人、なんの仕事をなさってるの?」
「普通のサラリーマンです」
「千代さんは専業主婦? ご主人の稼ぎがいいんでしょうね。私も専業主婦に憧れるわ」
「いえ、働いてます」
「パート? 楽でいいよね。私も結婚して仕事をやめたいな」

 フルタイムで働いているのだが、いちいち言うのも面倒だった。

「今から私に出産ってできるかしら」
「……さあね、個人差があるからなんとも……」
「千代さんは何歳で産んだの?」
「二十六歳でしたね」
「あんまり若く子どもを産むと未熟だから、虐待したりするかもしれない。私くらいの年になってたら精神的に成熟してるから、むしろ子育てにはいいかもしれないのよ」
「そうかもしれませんね」

 当時は二十代前半の出産だって早くもなかった。今でも早くもないし、四十を過ぎての出産は非常に困難なはずだが、反論はしないことにした。

「娘さん、なんて名前? どちらの学校?」
「弘美さんはなんのお仕事をなさってるの?」
「公務員よ」
「安定していていいですね」
「そうでもないのよ」

 そこからは延々、公務員の苦労話が続く。夫や娘について詮索されたくなくて話をそらしたのが徒になった。
 観光地に到着してバスを降りると、当然のように弘美は千代と行動をともにしたがる。同じバスに乗っているおばあさんなどは、弘美と千代は最初から友達だと思っているようだ。

「そうでもないんですよね。お友達になられたんでしょ?」

 添乗員に問われ、ええ、もう親友よ、と弘美は千代と腕をからめた。
 
「弘美さんは絵画はお好き?」
「そんな高尚な趣味はないわ」
「じゃあ、私、あの展覧会を見てきますから……」

 「樹」というタイトルの小さな絵画展が、通りすがりの美術館で開催されていた。千代も特に絵が好きなわけでもないが、弘美と別行動がしたかったのだ。

「そんなの見るの? つまらないじゃない」
「ですから、弘美さんとはバスで落ち合うことにして……」
「ひとりだったらもっとつまらないから一緒に行く。ええ? 五百円? 高ぁ」

 不満たらたらでついてきた弘美は、つまらない、つまらないを連発する。地元では高名な画家らしく、季節感あふれる樹木と葉っぱの絵の数々は千代にはつまらなくなかったが、弘美が暗い顔をしているので伝染しそうになった。

「ねぇ、千代さん、お茶しましょうよ。こんなのもういいでしょ」
「ええ、そう……ね」
「こんなものに五百円なんてもったいなーい」

 だったらついてくんなよ、とは言えない千代だった。

「千代さんとお友達になれたから嬉しいわ。これでもう親友よね。えーっと、メールアドレスを……」
「あ、私、ケータイ忘れてきちゃった」

 バスの中ではスマホを出したりはしていない。それだけはよかったと安心している千代に、弘美が名刺をくれた。
 ○○市役所戸籍係主任、とある名刺に、弘美はメールアドレスとスマホの電話番号、個人の住所も書き添えた。

「じゃあ、住所教えて」
「帰ったらメールしますから」
「住所を教えてもらえないの? 千代さんってどこか頑ななところがあるよね。親友でしょ。なーんか信用されてないみたいで不愉快だわ」
「……はぁ」

 こんなことになるのならば、最初からお断りすべきだった。気まずくなるのなど気にしないで、ひとりになりたくて来たんですから、とでも言えばよかった。
 あんたとなんか親友になった覚えはない。通りすがりみたいな関係の女を信用できるわけがない。今、ここでそう言いたいけれど。

 家に帰れば夫が、楽しかった? お土産は? 寂しかったよ、今度は僕も連れてって、と言いたがるだろう。想像しただけでうんざりだ。 さすがに就業中はメールもしてこないが、仕事が終わったら夫がスマホに電話をしてくるのではないか? こっそり電源を切っておかなくては。

 思えば千代の人生、誰かに執着されるようにできているのかもしれない。ひとり旅の前哨みたいなつもりで乗ったバスでさえも、変な女にからまれる。

 今度こそ、今度こそ、本当のひとり旅をしよう。
 そのときにはもしも、誰かに道連れになりたいと言われても、断固断ろう。あ、バスの出発時間よ、と言って千代は立ち上がった。

「絶対にメールちょうだいね。裏切られたら泣くからね」
「あらぁ、綺麗」

 ひらっと肩先に舞い降りてきた黄色い銀杏の葉を、千代は指でつまんだ。ぬれ落ち葉って言葉もあったっけ。ううう、ぞっとするわ。千代はふーっと息を吸い込み、銀杏の葉を思い切り吹き飛ばした。

次は「は」です。








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