ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

FS一日の物語「午前」

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フォレストシンガーズ

一日の物語

「午前」

 藤棚が外から見えたのに誘われて、通りすがりの神社の鳥居をくぐった。鳥居も小さく、神社自体も小さい。事務所と我々の練習用スタジオのある通りからほど近い住宅地にある神社だが、このあたりに来るのははじめてだった。

「おや……」
「あ、村上さん、こんなところでなにを?」
「いやね、いや……早退させてもらったんですよ」

 オフィス・ヤマザキの事務員さん、村上さんがいた。六十歳はすぎた男性で、定年退職しなくていいんですか? と社長に尋ねるも、したかったらしてもいい、したくなかったら働け、と言われたので働いていると聞いた。

「娘婿がね……」
「娘さんのご夫君?」
「ふくん? ああ、夫ってことですね。乾さんは時々、むずかしい言葉を使うから……」

 むずかしくはないと思うが、夫君と書くと「おっとくん?」と誤解するひともいる。最近は「彼女さん」「弟君」などという書き言葉が氾濫しているせいだろうか。俺なんかは「弟君」だと「おとうとぎみ」と読んで高貴なお方なのかと思うが、「おとうとくん」である。「おとうとさん」が一般的なのではなかったのか。

 口に出すと、「ふくん」はわかりにくいのかもしれない。それでも村上さんの年ごろならばわかってくれた。

「今日と明日は娘婿は休みで、娘は朝早くから母親と……つまり、私の妻とふたりで旅行に出かけたんですよ。小さな孫は娘婿が責任もって面倒を見ると約束した。ところが、どうしても仕事に行かなくてはいけなくなったと、SOSが入りましてね」

 俺の父親よりも年上であろう村上さんは、俺たちフォレストシンガーズの面々にも丁寧に話す。つまりそのSOSに対処するために、村上さんは早退してここで娘婿を待っているというわけだ。

「事務所に来てもらうわけにもいかないけど、こっちのほうが娘一家の住まいには近い。むこうは子連れですし、ここだったらいいかなと思いましてね。で、乾さんは?」
「俺は仕事の時間が変更になったんですよ」

 売れないシンガーズだから粗略に扱われているとは考えたくないが、その傾向はおおいにある。今日は午前中から俺ひとりに、雑誌の取材という仕事が入っていた。

 デビュー曲の「あなたがここにいるだけで」の作詞者が乾隆也だからと、音楽雑誌の作詞関係の記事のための取材だ。取材を受けた経験も少ない新米シンガーは勇んで、約束の時間よりも早く出版社へと出かけていった。

 出版社はオフィス・ヤマザキからだと近いのだが、到着すると受付で言われたのだ。

「すみませーん。担当者は別件でどうしてもはずせない仕事が入りまして、乾さんは時間を変更してもらえます? 午後からもう一度いらして下さいね」

 わかりました、と引き下がるしかないではないか。
 これが売れっ子シンガーだったとしたら、こんな扱いは受けないのにな、とひがみつつ、時間つぶしのために事務所に行くつもりだった。が、別に事務所に用があるわけではない。藤の花を愛でて、神さまにお詣りしてこようかと神社に入ったら、村上さんと出会ったのだった。

「まさかその編集者って、村上さんの娘さんのご夫君ってことは……」
「うちの娘婿も編集者ではありますが、漫画雑誌だと聞いてますよ」
「だったらちがいますよね」

 ならば、俺も村上さんにつきあおう。村上さんとふたり、藤棚の下へ歩いていく。村上さんは若いころから社長の下で働いているのかと、質問してみた。

「私はバンドマンだったんですよ」
「ああ、やはり村上さんも音楽関係なんですね」
「ええ。ジャズをやってました。だけど売れなくてね……結婚して娘ができて、娘がふたりになって、妻も働いてはいたけど、ふたりの子供を抱えて接客業をやっているのは大変だ。妻も私も時間が不規則なのもあって、妻が身体をこわしたんですよ」

 音楽には見切りをつけよう、父親として生きようと決意した村上さんは、オフィス・ヤマザキの社長になったばかりの旧友、山崎敦夫氏にお願いした。

「うちの事務をやるかって言ってもらって、雇ってもらったんです。私も事務職は素人だし、山崎さんも社長として素人だしで苦労しましたよ。ニーナさんにはどれだけ厄介かけたか……」

 杉内ニーナさんはオフィス・ヤマザキの看板だ。社長はニーナさんのために事務所を立ち上げたのだとも聞いていた。

「そうだったんですね」
「山崎さんのおかげで、娘たちも結婚して孫が持てました」

 こんな話を聞くと、ヒデに思いを馳せてしまう。
 フォレストシンガーズがデビューする前に、結婚するから歌はやめると宣言して脱退してしまった小笠原英彦。彼も人の夫として、いずれは父にもなる身としての生き方を選んだのだろう。

「ああ、ここだよ」
「お父さんっ!! すみませんっ!!」

 ベビーカーを押した三十歳くらいの男が、村上さんに赤ちゃんをまかせて駆け出していく。俺には軽く頭を下げて、彼は焦って走っていってしまった。

「じゃあ、私はこの子を家に連れて帰りますよ。乾さんもお仕事、がんばって下さいね」
「わかりました。村上さんも育児にがんばって下さい」
「はい……おー、よちよち、帰ろうね」

 赤ちゃんは女の子らしく、ベビーカーも洋服もピンクだ。村上さんは俺と話していたときとは声音も表情も変えて、孫が可愛くてたまらないおじいちゃんに変身していた。

「バイバイ」

 と俺は赤ちゃんに手を振る。村上さんを見送ってから、再び神社の奥へと歩を進めた。
 
 思いがけなくも村上さんと山崎社長の昔話を聞かせてもらって、この神社に入ってきてよかった。甘い香りのする藤棚の下で、俺はこの神社の神さまに手を合わせた。昼まではここで、藤の姿と香りに身を任せていようか。

END







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~ Comment ~

NoTitle

何気ない会話だけど、なんだかしみじみしますね。
みんな、何かしら夢を諦めて、いまの平安な幸せを築いている。
それも、きっと正しい選択なんでしょうね。
今が幸せならば感謝。
男って、女よりも、夢を諦めなきゃならない事って多いんだろうなあ・・・。

しかし、60の人にも「難しい言葉を」って言われちゃう乾君w
たしかに、弟君って書いてあると私は迷わず「おとうとくん」って読むなあ。

limeさんへ

いつもありがとうございます。

前に高貴なお方の出てくる小説を読んでいて、「弟君」の単語、私も思わず「おとうとくん」と読んでしまいました。
おとうとくん、彼女さん、夫さん、娘ちゃん、とかいうの、違和感あるんですよね。特に書き言葉だと。

夢を追いかけて生きるというのは、私なんかから見たら眩しくも素敵な生き方に思えますが。
成功しなかった場合、立ち止まって振り返って後悔するってこと、ありそうですよね。
それでもいいつもりだったとしても、歳を取ってから……っていうのはつらいものがあるだろうなぁ。
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