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小説395(旅に出ようよ)

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フォレストシンガーズストーリィ395

いろはの「つ」「つねならむ」の続編です。

「旅に出ようよ」


1・繁之

 伊勢神宮は初詣のメッカ。江戸時代の民衆は、一生に一度はお伊勢参りをしたいと願い、その願いもかなわなかった人も大勢いたと、歴史好きの繁之は知っている。
 イスラム教やキリスト教のメッカというものもあって、信徒はその地に一生に一度は行きたいと願うものなのだから、神道日本も同じだったのだろう。

 本庄家は神道ではないが、日本人の常として初詣にだって行く。両親が経営している酒屋は元旦だけは休むので、地元の神社に父と母と姉と繁之の三人でお詣りしていた。

 家族そろって伊勢神宮にも来たことはあるが、三重県郡部の神社の初詣風景と、旅行で訪れたときに伊勢神宮周辺を歩いていた人々とを重ね合わせても、これほどの人出だとは思っていなかった。まさに想像を絶するというやつだ。

「ふへー、よう旅館、予約できたな」

 早めに電話をしておいてよかった。しかし、それでもこの日に部屋が確保できたとは、流行らない旅館なのだろうと思える。

「まあええ。メシさえちゃんと食わせてもらえたらええか」

 はじめてのひとり旅、十六歳の元旦に家を出て伊勢神宮までやってきた。電車も混んではいたが、伊勢へ来る人ばかりってこともないはずなのに。

 ここに行こうと決めたのは繁之だ。父も母も、そこだったら遠くもないから、はじめてのひとり旅でも安心だと賛成してくれた。母が小遣いをくれ、大学生になっている姉からは、赤福餅を買ってきてと頼まれて、その代金プラスアルファをもらった。

 ものすごい混雑にめげてばかりいてはいけない。よっし、行くぞ。繁之は下腹部に力を入れて歩き出す。朝が早かったからもう空腹を覚えてきている。どこかでなにか食べようか? 店も混んでいそうだな。弁当を買おうかな。

 まったくのひとりで行動するのは、地元でだったら珍しくはない。ひとりでたこ焼きを食べにいったり、ひとりで映画を見にいったり、奈良あたりへCDや本を買いにいったり、図書館で勉強したり。そんなときには平気なのに、観光地でひとりというとどうして気おくれするのだろうか。

 田舎者だからかな。ったって、ここにはもっと田舎から来ているひとだっているはずだ。三重県ったって俺の家は奈良に近くて……やっぱ田舎か。郡だもんな。

 寒いのは寒いが、人が多いので気温の低さは感じない。そこらへんの店で買った弁当を食べようと、繁之は五十鈴川のほとりへと降りていった。
 川のほとりで出会った天使。赤いコートを着た標準語で話す美少女。繁之は夢心地で、彼女の台詞や笑い声を聴き、おいしそう、もらっていい? と言って繁之の弁当のおかずをつまんで食べる横顔に見とれていた。

「よっし、元気出たよ。ありがとう」
「あ……」

 一緒に歩こうよ、なんて言えるはずもなく、駆けていってしまった彼女の赤いコートの肩で揺れる、ツインテールの髪を見ていた。
 それからどこをどう歩いて宿に帰ってきたのか、定かな記憶はない。ただただ歩いていただけか。お詣りはしたのか、お賽銭をあげたのか、リュックをかついで歩いていても、荷物の重みも足の疲れも感じなかった。

「お帰りなさい。今日はずっと歩いてらした?」
「はい」
「内宮、外宮?」
「えーと、あの……」
「あらあら、お疲れかな。お風呂に入ってこられたら?」
「はい」

 宿は小さくて古びていたが、清潔だ。大浴場と名前がついていても小さいが、無口な老人がふたり入っていただけで、繁之もゆっくりあたたまることができた。
 夕食も素朴ではあったが、量もたっぷりで味もいい。松坂牛のすきやきとはいかず、ブタしゃぶの鍋がおいしくて、繁之はもりもり食べた。

「まあ、気持ちのいい食欲。ビールはいかがですか」
「いえ、俺、高校生ですから」
「あら、そうなんですか。すみません」

 恐縮している仲居さんに笑い返して、繁之はようやく人心地がついた。
 十六歳でビールを勧められるって、俺、やっぱり老けて見えるんだ。東京の美少女とこんな田舎のおっさんっぽい高校生が似合うはずもない。

 いつか、いつかは……あんな女の子に似合う男になりたいなぁ。そのためにはどうすればいいんだろ。
東京に行ったからって、俺だと都会的にもならないかもしれない。でも……満腹になるとまた、そんなことを考える、中居さんが繁之に言った。

「おかわり、よそいましょうか」
「はい、お願いします」
 
 かなり満腹はしていたが、もっとごはんを食べてもっと考えよう。繁之は微笑んでいる仲居さんに茶碗を差し出した。


2・隆也

過保護な祖母のふところから飛び出してこられたただけでも嬉しい。

 高校生になる前の春休み。中学校の卒業式もすませ、高校受験にも合格しているから、人生初のあまり勉強しなくてもいい長期休暇だ。春休みなのだから長期でもないが、祖母も勉強しなさいとは口やかましく言わない。

 人生初のひとり旅もしたくて、祖母に言ってみた。反対するかと思った祖母は意外にあっさりと、隆也ももう子どもでもないし、そんな経験をするのもいいね、と言った。

 金沢から京都までサンダーバードに乗った。京都に来るのははじめてではないが、ひとりでははじめてだ。早朝に金沢を出てきたので、昼どきになっている。京都らしいものを食べようか。隆也は京都駅から外に出ていった。

 しかし、京都らしい食べものは加賀料理と似ているのではないか。祖母が乾家に行儀見習いに来ている若い女性に教えて作る家庭料理は、和食オンリーだ。ハンバーグが食べたいと隆也が言って作ってもらっても、和風ソースのハンバーグだったりする。

 中学三年生になった今は諦めていて、洋風のものは外で食べることに決めている。とはいえ、外食の機会もさしてないのだから、今日はイタリアンにしようか。
 小料理屋なんてものにも中学生では入りづらいが、本格的なイタリアンレストランも敷居が高い。迷ったあげくにイタリア料理も出すカフェに入り、京野菜のパスタをオーダーした。

 ランチどきはすぎたので、店はすいている。彩り美しいパスタを運んできてくれたマダムらしき中年女性が、隆也に尋ねた。

「どこからおいやしたんどすか」
「金沢です」
「そうどすか。道理で上品なお坊ちゃんやと思たわ。ご旅行? 金沢やったら京都とあんまり変わらしまへんのとちがいます?」
「似たところはありますね」

 パスタの美しさに見とれてから、隆也はひと口食べた。おいしいです、と笑ってみせると、マダムは満足げに言った。

「京都はこういう料理でも有名なんどすえ」
「そうなんですか。どすえ……その言葉も京都らしいですね」
「内緒やけどね」
「はい」

 いたずらっぽく声をひそめて、マダムは言った。

「今どきの京女は普段はこんな喋り方はせえへんの、うちらは商売人やさかい、京都以外から来たお客さんが、京都らしいなぁって思てくれはるような言葉遣いをするんどすえ」
「そう……どすか」
「大阪からのお客さんだけは、わざとらしいて言いはりますんえ」
「へぇぇ」

 なんとなーく意地悪な響き。京都の人間は底意地が悪いとばあちゃんが言ってたな、と隆也は笑いたくなる。いいや、俺はへっちゃらだよ。意地悪ばあさんのあんたと日夜、闘ってきてるんだもんな。と内心で呟いてマダムに笑いかける。都合のいい誤解でもしたのか、マダムはうっすら頬を染めた。


3・章

 日帰りならばいいと譲歩した父に、いやだ、一泊する、俺の小遣いで泊まる、と言い張ってバトルになった。母が口を添えてくれて、ようやく父も渋々ながら許してくれた。

 北海道は稚内、雪深いさいはての地から、北海道一の都会へとやってきた。章は札幌に来るのははじめてだ、十二歳まではひとりっ子だった木村家は裕福でもなく、十二歳になってから弟が生まれたのでいっそう貧しくなって、北海道から出る旅行は不可能。札幌までも足は伸ばせず、近場にしか行ったこともなかった。

 本当はもっと遠くに行きたかったけれど、予算が乏しい。稚内から札幌まで六時間もかけて、長距離バスで移動して一泊するだけで精一杯だ。

 四六時中赤ん坊と接しているのではなくても、一歳児が家にいると兄の章も巻き込まれて大変だ。母さんはもっと大変だとは思うが、だからって俺がこき使われるのはまちがってるだろ、と章は憤慨している。あのちびガキ龍がいないというだけでも楽しい。

 幼いころから音楽が好きで、歌は上手だとみんなに言われた。変声期を迎えても章の声はものすごくかん高くて、母が変だと言うものだから気にしているのだが、大人の声になってもソプラノに近いパートが歌える。だからってなんの役にも立たないが、とりえはないよりはあるほうがいいだろう。

 ロックにはまだ目覚めていない十三歳の章は、なんだっていいからコンサートに行ってみたいと願っている。稚内にもアイドルや演歌歌手あたりはやってくるが、本格的な外国のポップスが聴きたい。生で聴きたい。

 札幌でだったら外国のシンガーがコンサートやるんだよな。一泊でちょうどよくコンサートなんかあるわけないし、あったとしても金がないし、金があってもチケットは売り切れてるだろうし。

 なので諦めてはいるが、近い経験ができないだろうか。ライヴハウスなんてものにも入ってみたい。稚内にだってライヴハウスはあるが、地元の不良のたまり場になっていそうで、怖くて入れないのもある。札幌では誰も章を知らないのだから、なんだってできるはずだ。

「音楽喫茶・夢現」
 
 あったかいところに行きたいと父には言ったが、札幌と稚内の寒さは同じようなものだ。
 肩をすくめて通りを歩いていた章は、古びた店の前で足を止めた。

 音楽喫茶と名乗るところといい、店名といい店構えといい、今どきではないのはまちがいないが、こんな店はどんな音楽を聴かせるのだろう。都会の子ではないのもあって、章の音楽の好みは確立していない。これから貪欲に音楽を聴いて吸収し、取捨選択して消化し、歌づくりへと進んでいく段階だ。

 ひとり旅に出たいと言ったのは、うるさい家族から逃げ出すためが主だったのだが、なにかと出会える可能性もある。ほんとはもっと遠くへ行きたかったけど、札幌にしておいてよかったかもな。なんたって都会だもんな。
 
 腹が減ったな、この店で昼飯も食えるのかな。サンドイッチくらいはあるよな。高いかな。でも、入りたい、入りたい。食事を口実にして入ろう。
 生まれてはじめてのひとり旅、生まれてはじめての、音楽を生で聴かせてくれる店。そんな経験がない幼い自分に気おくれしながらも、章はおずおずと店のドアをくぐった。


4・幸生

 念願のひとり旅。妹たちがそばにいないのはこんなにも清々しいのか。幸生は夕暮れの浜辺で、晩夏の風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 家族旅行ならば当然、父と母と幸生と妹たちの五人で出かける。小学生まではそうして両親に連れられて旅行するのが嬉しくてならなかったが、中学生になるとだんだんうっとうしくなってきた。特に妹たちだ。

「あー、お兄ちゃん、あんなことしてる」
「いーけないんだ。言ってやろ」
「お母さーん、お兄ちゃんったらねっ!!」
「幸生っ!! なにやってんのっ!!」

 ひとつ年下の雅美と三つ年下の輝美は、兄の悪いところを見つけるのが生き甲斐のようだ。決まって母に言いつけ、母に叱られる。父は鷹揚なほうだが、妹の告げ口に怒って暴力をふるったりすると、体罰を与えられることもある。

 父は嫌いではないが、母は時々嫌い。妹たちはほぼ全部嫌いだ。中学一年生。そんな家族から逃れてのひとり旅は最高だった。

 とはいえ、行く先は叔父の家。父の弟である叔父は独身時代から湘南の一軒家に住んでいて、結婚してからも住み続けている。奥さんが気のいい女性なのもあって、三沢一家は頻繁に叔父の家にお邪魔している。十歳もすぎると、安上がりだからもあるのだろうと幸生も察するようになってきた。

 今回のひとり旅も、叔父の家だからこそ許してもらえたのだろう。それでもいいからひとりで旅したい、と高揚していた気分は、見慣れた海を見ているうちにしぼみかけていた。

 夏は終わろうとしているのでもう泳げない。お盆を過ぎると土用波が立ち、クラゲが出てくるんだと父や母は言う。真夏にはここで泳いだのだから泳げなくてもいいのだが、だったら別のなにかがしたかった。

「そしたら、三浦半島のほうへ行ってきたらどうだ?」
「三浦半島?」
「うちに泊まってるんだから父さんや母さんは安心してるだろ。俺んちを拠点にしてすこし足を延ばせばいいんだよ」

 湘南地方とは、三浦半島沿岸をさす。幸生が生まれて育った横須賀は湘南ではなく、葉山や逗子、茅ヶ崎、藤沢、城ケ島や観音崎をいうのであるらしい。

「美術館とか水族館もあるぞ。車で連れてってやってもいいんだけど、幸生の目的はひとりで行動することだろ」
「うん」
「だったら……」

 地図を広げて叔父があれこれアドバイスしてくれる。その日は義叔母も加わって、明日、幸生がひとりで出かける場所を検討した。

 それだけでも楽しかったのだが、翌日には叔父の家から、わりあいに近いといういつもの海ではない海辺へ行くことにした。海浜公園で思い切り運動もできるという。幸生は別に運動好きではないが、あちこち歩こうと決めた。

 叔母が作ってくれた弁当持参で、バスに乗って海浜公園を目指す。晩夏の海ってもの哀しいな、などとセンチメンタルに浸ったり、頭の中に浮かんでくるメロディをつかまえようとしたりして、バスの中でも退屈なんかしなかった。

 目当てのバス停で降りて歩き出す。浮かんできたメロディを口笛にして、頭の中にとどめておこうと何度も何度も繰り返してみる。海の見えるところまで来ても口笛を吹いていると、むこうのほうで身体をふくらませて毛を逆立てている猫を見つけた。

「おーっ、猫っ!! あ、そだ、猫って口笛が嫌いだよね。ごめんな、やめるから」

 どっち道、喋っていては口笛が吹けないので、にゃんちゃーん、にゃんこちゃーんっ、と呼びながら、幸生はそろそろと猫に近づいていった。

 チャトラの小型の猫だ。オスらしいが、大人にはなり切っていないのだろう。猫は聴覚が異様なまでに鋭いので、口笛は超音波みたいな耳障りなのかもしれない。だからって毛を逆立てて幸生を威嚇するとは、気の強い奴なのだろう。

「逃げるなよ。遊ぼうよ。俺はひとり旅なんだから人間はうっとうしいんだけど、猫だったら大歓迎だよ。あ、そうそう、シャケのおにぎり、食べる?」

 野良なのか、近くの家の猫が遊びにきているのかは知らない。猫の塩鮭は身体によくないとは承知だが、手なづけるためには食べ物が一番だ。幸生は猫好きなのだが、どうも猫には好かれなくて逃げられる。雅美や輝美は猫とは常に相思相愛になれるので、こんなときだけは妹たちにいてほしかった。

「食べようよ。おいでよ」

 公園の入口を入ったばかりで、海はまだ遠い。けれど、幸生には海よりも猫のほうがいい。道端に置いてあるのか自然のものなのか、大きな石があったので腰を下ろして、弁当を取り出す。叔母さんも猫好きだから、猫に分けてやっても怒りはしないはずだ。

「名前教えて、ったって口がきけないもんな。喋らなくていいよ。日本語を喋ったら怖いもんな。俺、うちの猫を見てても思うんだ。ミーがなにか言いたげに俺の顔を見る。なんだよ、してほしいことがあるんだったら日本語で言えよ、って言ってから、あ、やめてやめて、喋らないで。怖いから、って言い直すんだよ」

 幸生の命令に応じて、水、と猫が言ったとしたら。え? ミー、喋ったの? と幸生が確認しようとしても、二度となにも言ってくれなかったとしたら。
 水、だったら、みにゃっ、とでも鳴いたのを聴き間違えたと解釈するしかないのだが。

 おまえ、馬鹿だろ、とでも言われたら?
 そして、それっきり二度と口をきいてくれなかったら?
 なんだったんだ、今のは? ミーが喋ったのか? 幸生は悩んで悩んで夜も眠れず、髪の毛が真っ白になってしまいそうな気がする。ミーはそんな幸生の横で澄まし顔で毛づくろいをしていたりして。

 生来、下らない方面には際限もなく想像力がはばたく性格なので、幸生の妄想は果てしもなく広がっていく。そんなことを想い出しつつ、喋らないで、でも、喋ってみて、と言いつつ、幸生は鮭のおにぎりをすこし、猫に与えた。

「オスだろ。茶助にしよう。トラとかって名前にしたら雅美や輝美が馬鹿にするだろうけど、チャスケ、センスあるじゃん? チャスケ、食べるだろ。あ、食べた食べた。うまいか?」

 邪魔をする人間はいないひとり旅、プラス猫。最高じゃん!! であった。


5・真次郎

「あら、僕……ひとり?」
「ひとりです」

 見知らぬ老婦人に声をかけられて、真次郎はむっとしたままで応じた。不機嫌が顔に出ていたのだろう。老婦人はひきつったような笑みを浮かべた。

「ごめんなさいね。身体は大きいわよね。小学生じゃないのよね」
「小学生ですけど、ひとり旅です」
「小学生がひとり旅……親御さんは心配じゃないのかしら。迷子かと思って、でも、迷子になるようなお年でもないのかしらとも思って、ごめんなさい。よけいなおせっかいよね」

 まさに、よけいなお節介だとは思ったのだが、年長者に失礼なことを言ってはいけないと、真次郎は兄たちに口やかましく言いつけられている。相手が失礼でもおばあさんに向かって言い返したらいけないんだよな、と真次郎は我慢した。

 自分から話しかけたくせに、小柄な老婦人とだと大差ない体格をしている十歳に怯んだのか、顔が怖かったのか、老婦人はそそくさと立ち去り、真次郎は再び歩き出した。

 真夏の鎌倉はやはり暑いが、弱音を吐くと兄たちに笑われる。今夜はユースホステルに泊まる予定だ。宿泊までをひとりでするのは生まれてはじめてだった。

 今まではたいてい、兄たちがどこかに連れていってくれた。七歳年上の兄たちは、真次郎が生まれたときから弟の面倒を見ろと親に命じられて従っている。空手をやっている強くて元気な兄たちは、真次郎が生まれた年には小学一年生。当時は母も真次郎には目配りしていたが、十歳の末っ子を十七歳の兄たちに託すのにはなんの心配もしなくなったようだ。

 双生児の兄たちに守られて、どこででも真次郎はのびのびと行動していた。こんなことをすると兄ちゃんに殴られる、兄ちゃんに怒られる、兄ちゃんに馬鹿にされる、兄ちゃんに笑われる。行動規範のすべては「母」でも「友達」でも「先生」でもなく兄だった。

 体育会系だけあった礼儀にはうるさく、弱い者イジメをするな、年長者には敬意を払え、といった躾は受けてきたが、母みたいな細かいことは言わない。あいつらは俺をおもちゃにしやがって、とは思っても、真次郎は兄たちが好きだ。

 好きだが、十歳にもなっていつだって兄たちに守られているのは悔しくなってきて、夏休み前に言い出してみた。泊りがけでひとり旅がしたいと。

 ふたりで相談した兄たちが了承してくれ、鎌倉へ行くと言ったのも許してくれた。小学生のひとり旅だとユースホステルがいいと助言もしてくれて、兄が葉書で予約してくれた。
 栄太郎と敬一郎は真次郎の中ではふたりでひとりの「兄ちゃん」なので、どっちがなにを言い、どっちがどうしたのかはどうでもいい。兄ちゃんの助言に従って電車に乗り、鎌倉にやってきた。

 電車に乗るのも鎌倉に来るのも初ではない。東京で生まれて育った真次郎は、小学校の遠足や兄たちとの遠出でも頻繁にここに来た。
 江ノ電に乗り換えて稲村ケ崎まで行き、海のむこうの富士山を眺める。海水浴客もサーファーもいて、俺も泳ごうかと思っていたらおばあさんに声をかけられたのだ。
 
 ひとりで泳いでもつまらないかな、と思い直して、歩くことにした。
 サザンオールスターズをはじめとする、湘南サウンドに出てくる地名だ。道に迷ったら困るから江ノ電の線路沿いに歩こうか。いや、地図があるんだから自由に歩こう。

 そのつもりで山手のほうへと上っていく。しゃれたカフェなどもあるが、ひとりで入る気にはならない。小学生男子がひとりでカフェに入ったら、店の人が戸惑いそうだ。昼食はコンビニで買ったおにぎりと弁当。弁当ひとつでは足りないのでおにぎりもふたつ買った。

 あてもなく歩いていると空腹になってきたので、真次郎は適当なところで弁当を広げた。高い場所に来るときらきら輝く海が見える。陽射しはきついが風が気持ちよくて、おにぎりも美味だった。

「あれ?」
「また会ったわね。尾けてるわけじゃないんだけど……僕に迷子だなんて言っておいて、私が迷子になったみたい」
「僕じゃなくて真次郎です」
「真次郎くん? ああ、私もおなかがすいちゃったわ。一緒に食べていいかしら」
「……どうぞ」
 
 変なばあちゃんだなとは思ったのだが、まさかストーカーでもあるまい。老婦人は真次郎の隣に腰を下ろし、包みを開いた。

「真次郎くんのお弁当、買ったものなのね」
「母が作ってくれるって言ったんだけど、夏だから腐ったらいけないから」
「ああ、そうね」
「俺は腹は丈夫だから、おなかをこわしたことなんかないんだけどね」
「あら、そうなの。私のは梅干しが入ってるから大丈夫よ。よかったらどうぞ」
「……ありがとうございます」

 警戒心はすこしだけある。おまえはガキなんだから、知らない人間には気をつけろ、と兄たちには言われていた。けれど、おばあちゃんのくれたおにぎりはおいしくて、顔がほころんだ。

「うまーい」
「そう? おにぎりにはコツがあるのよ。そりゃあコンビニのよりはおいしいはずだわ。なんだか嬉しいな。真次郎くんはこんなおばあちゃんとつきあってくれて、いい子だね」
「えと、そうかな」

 ところで、ここはどこかしら? と老婦人は言い、真次郎は地図を取り出し。最初は完全に子ども扱いしていた老婦人に頼られているようで、けっこう気分がよかった。

END







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