グラブダブドリブ

「魔法使いの島」後編

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グラブダブドリブストーリィ

「魔法使いの島」後編


4

 本名は城下アイ子、芸名は城下藍。が、私に芸名なんて必要なんだろうか、と藍は思う。
 シンガーになりたくて、高校を卒業してから福岡県の田舎から博多に出て、つてを頼って酒場で歌わせてもらっていた。そんなアイ子をスカウトしてくれたひとがいて、東京に来て城下藍になった。あのころは舞い上がっていた。
 しかし、現実は限りなくきびしくて、まったく売れない。デビューしてから数年が経過しても売れるきざしすらない藍が、どうにか歌っていられるのは、プロデューサーのおかげなのだろうか。
「藍、これ、受けてみろ」
 歌にしがみつきたくて、田舎には帰りたくなくて、藍は彼の言いなりになるしかない。
 今夜もプロデューサーの塩田に、思いやりのかけらさえない仕草で抱かれて、泣きたくなったのをこらえていると、塩田がベッドにパンフレットのようなものを放り投げた。
「グラブダブドリブのライヴに、女性コーラスを使うんだそうだ。時にはいっぷう変わった趣向ってのもいるんだろうな。おまえは歌は下手ではないけど、太ってるし顔は不細工だし、やる前から合格する可能性はゼロに近いけど、やるだけはやってみろ。こんなのにチャレンジできるのも僕のおかげだぞ。感謝しろよ」
「はい、感謝してます」
「手ごたえもないんだよな、おまえは……おまえを見てるとむかっ腹が立ってくるんだよ。ちょっとこっちに来い」
「……はい」
 恐る恐る近づいていった藍の腹に、塩田がパンチを叩き込んだ。
「餅でも殴ったみたいで、僕のこぶしが傷まないのは幸いだな。藍、ちっとはダイエットしてオーディションに臨めよ」
「……はい」
 これでも藍は人前に顔をさらす職業なのだから、顔を殴らないのはありがたいと考えなくてはならないのだろう。塩田さんだって私のために苦労してくれているのに、応えられない私が悪い。強いてそう考えて、ずきずき痛む腹部を抱え、藍は塩田が出ていってから数分後に、ホテルの部屋から出ていった。
 ひとり暮らしのアパートに帰り、鏡を見つめる。不細工で太った女を、なぜ塩田は愛人のように扱うのだろうか。
 なぜだかはわからないけれど、すこしは私を可愛く思っているから? なにもかもをありがたく思わなくてはいけないのだと自分に言い聞かせて、藍は眠った。
 一応はプロのシンガーではあるのだが、仕事はアマチュア時代とさして変わりもない。ささやかな舞台で歌い、レッスンをし、そんな日々を送っていると、塩田に命じられたグラブダブドリブの女性コーラスオーディション当日が訪れた。
 年齢だけは藍も若いのだが、オーディションに集まった女性たちの中にまざると、華やかな孔雀の群れに迷い込んだ、灰色のアヒルになった気分になる。太っているのは私だけ。不細工なのも私だけ。どうしてもそう思う。
 オーディションを受けたあとも、藍はただだだくよくよしていた。歌はちゃんと歌えたはずだけど、見た目がこうでは合格するわけもないよね、と鏡の自分に話しかけていた。
「塩田さんも駄目でもともとみたいに言ってたから、不合格になったとしても、殴られたりはしないかな。どうせ駄目だよね。忘れよう。どうやって塩田さんにあやまるのか、そっちを考えておかなくちゃ。ダイエットしないからだ、って怒鳴られるかもしれないし……」
 自嘲の笑みと涙まじりで、藍が鏡に話しかけていた数日後、真柴豪と名乗る男から連絡があった。
 真柴豪はグラブダブドリブのプロデューサーである。オーディションの審査員にも名を連ねていた。グラブダブドリブのスタジオに来るように言われ、藍はおずおずと出かけていった。
「いらっしゃい、藍ちゃん?」
 迎えてくれたのはグラブダブドリブのヴォーカリスト、ジェイミー・パーソンであった。
「はい。あの、私ひとりですか」
「うん。今日はきみだけだよ。正直言ってさ……」
 金髪のヴォーカリストは、藍とテーブルをはさんで向き合い、言った。
「帯に短したすきに流し、っての? 綺麗な子は多かったけど、歌唱力はそれほどでもないのばっかだったんだよな」
「そう、なんですか」
「きみにしても、はっきり言ったら歌唱力には難があるよ。最高とは言えないよ」
「……でしょうね」
「でも、表現力は最高に近かったな。だいたいからして、俺のこの声のバックコーラスをやる女の子なんだから、ちっとやそっとじゃ合格しないのは当然だろ。おまえは注文が多すぎるんだ、って豪が言ってたけど、つまんねえコーラスだったらないほうがいいんだよ」
「そうですね」
「俺って自信過剰?」
「いいえ。実力に裏打ちされた自信でしょう? 私もジェイミーさんみたいに言ってみたいです」
「ジェイミーでいいよ。で、ものは相談なんだけどさ」
 大きな身体を乗り出して、ジェイミーは言った。
「俺たちの弟分みたいな、坊やがいるんだよ。そいつはロックヴォーカリスト志望で、俺に歌のレッスンをつけてもらいたがってる。そいつがついでなんだけど、藍ちゃんも俺のレッスンを受けるか。きみも先生について歌のレッスンはしてるんだろうけど、俺のバックで歌ってくれるんだったら、俺の方法で教えたいんだ」
「あの……それは……」
「合格したんじゃないんだぜ。俺のレッスンについてこられて、上達して、俺がこれなら行けるって決めたらだ。ついてくるか?」
「はいっ!!」
 ぱーっと目の前が開けた気がして、勢い込んでジェイミーにうなずき、塩田にも報告した。
「へええ。酔狂な奴もいるもんだな。おまえを鍛えたいって? 無駄だと思うけど、やりたいんだっらやれよ」
 塩田はそう言い、励ましてくれているのだと受け取っておいた。
「高石彰巳です。よろしくお願いします」
 レッスンの前に、直立不動で藍に挨拶してくれたのは、ロックヴォーカリスト志望青年だった。
「前にも時々、ジェイミーにレッスンしてもらったんだよ。そんでさ、グラブダブドリブのみなさまのおかげさまで、俺と俺のバンドもデビューできそうになってるんだ。それで、もっと本格的にレッスンしたくてジェイミーにお願いしたら、藍さんのついでに教えてやるって。使い走りでもなんでもやるから、俺も仲間に入れてね」
「こちらこそ、よろしくお願いします。高石さんってルックスもいいし、かっこいいから、ロックバンドのヴォーカルだったら売れるよね」
「そんなに簡単に売れるか、って悠介さんあたりにどやされそうだ」
「そうね」
 藍よりもいくつか年下の彰巳は、グラブダブドリブとの出会いも話してくれた。
「俺がフリーターやってたころに、って、今も仕事はフリーターなんだけどさ、彼女と飲みにいって、帰り道で不良にからまれたんだ。俺は彼女は逃がしてやったんだけど、四人ほどいた不良と喧嘩したら、のされちまうんだろうな、としか思えなかった。そこに別の酔っ払いが通りかかってさ、俺を助けてくれたんだよ。酔っ払いだってのに鮮やかな身のこなし。誰だと思う?」
「さあ……」
「司さんだよ。剣道の有段者なんだぜ。道端にあった木切れかなんかで、不良をばったばったとなぎ倒し、俺の手をつかんで駆け出してから、そいつらと離れたあたりで、司さんは言ったよ」
 女の子を逃がすってところは、おまえを褒めてやるよ、だったのだそうだ。
「そんでね、俺もロックやってるって話して、俺は料理が得意なんだって話もしたら、グラブダブドリブが合宿するから、アキ、おまえ、ハウスボーイやれって命令されて、ハウスボーイだぁ? とは思ったんだけど……」
「グラブダブドリブのハウスボーイって光栄じゃないの。私も女中さんでもいいからやりたいな」
「そっかな。ま、そのおかげで弟分にしてもらって、デビューもさせてもらえるんだから、よかったんだろうな。みんな……いやいや、先入観はよくないね。藍さん、俺はアキって呼んでね」
「うん、アキくん、がんばろうね」
 それからの藍は、ジェイミーの時間が許す限り、他のすべては投げ打ってスタジオに通った。
「前には言わなかったけど、藍さんもわかっただろ」
 疲れ切った顔をして彰巳が言い、アイはうなずいた。
「きびしいよね」
「メッチャきびしいよ。藍さん、声がかすれてる」
「ううん。これしきで弱音なんか吐かない。私よりもアキくんのほうがずっとずっと……」
「俺は慣れてるから平気だよ」
 ピアノに向かって藍にレッスンをつけてくれるジェイミーは、藍がまちがえたりすると、彰巳をぼかっとやるのだ。
「私がとちったのに……殴るんだったら私を……」
「俺は女は殴らない。俺の誇りが許さない」
「でも……」
「そんならアキも殴らなかったらいいのに、だろ? いいや、むかっとしたのを溜め込むと精神によくないから、アキをかるーく撫でてやって、発散するんだよ。な、アキ?」
「変な理屈だけど、ジェイミーが大爆発したりしたらスタジオが嵐になりそうだから、いいんだよ。藍さん、俺が甘受すればいいんだから、気にしないで」
「気にしないでと言われても……」
 あるいは、ジェイミーの謀略でもあったのだろうか。自分が殴られるよりも、自分のミスで他人が殴られるほうが痛い。藍のそんな気持ちを読み取っていたのだろうか。
 もともと仕事には不自由していた身なのだから、すべてをレッスンに賭け、そうして日が流れ、ジェイミーが言ってくれた。
「ここまでついてこられただけでも、藍ちゃんの根性に感服したよ。上達もした。ところがさ、他にいないんだよな。あれからもオーディションはやったんだけど、藍ちゃんレベルの女の子がいないんだ。なんとかして探すから、待機しててくれるか?」
 仕事にはならないのか、といささか落胆した藍を、ジェイミーは優しいまなざしで見つめた。
「ごめんな。きみひとりではコーラスってのも……あとせめてひとり。豪も心当たりを探してくれてる。こうなるかもしれないって予想はしてたのに、それでもきみと歌っていたかったのは……藍ちゃん、彼氏はいるのか」
「彼氏なんていませんけど……」
 むこうが私を愛人扱いして、都合のいいときにだけ呼び出して、抱く男ならいる。そうは言えずにうつむくと、ジェイミーの指が顎にかかった。
「わけあり? この世界っていろいろあるよな。俺も知ってるつもりだよ。やばい奴がいるのか」
「やばくはありませんけど、恩のあるひとがいます」
「ふーん。アキ、むこうに行ってろ」
 姿を見せかけた彰巳を追い払い、ジェイミーが藍を抱き寄せた。
「え? あの……」
「けっこう長くつきあってきただろ。早すぎやしないだろ。好きだよ、藍ちゃん」
「そんな、私なんか……」
「なんで? 私なんかってどういう意味だよ?」
「だって……」
 背は低いし太ってるし不細工だし……しどろもどろで言った藍を抱く、ジェイミーの腕に力がこめられていった。
「苦しくないか。俺は馬鹿力だからさ、苦しくない?」
「苦しくはないけど……そんなことを言われると心が苦しいです」
「藍ちゃんは不細工なんかじゃないよ。可愛いよ。太ってるって言われたら、たしかに細くはないよな。背が低いってのはさ、俺みたいなでかい男は往々にして、小柄な女の子が好きだったりするんだな。いや、きみのルックスも俺の趣味には合ってるけど、中身はもっと好きだ。ああやってレッスンやってて、どんどん好きになった。グラブダブドリブのジェイミー・パーソンの妻は、根性のある女でないと勤まらないんだよ」
「……妻?」
「司は言うんだけどさ」
 たまさかグラブダブドリブの他のメンバーも、スタジオに顔を出す。しかし、藍とは深い会話もしないので、彼らの人となりについては知らない。ジェイミーは苦笑顔で言った。
「ロッカーは結婚したらいけないんだってさ。司は司で好きにすりゃあいいけど、俺も俺で好きにするんだよ。藍ちゃん、俺と結婚を前提につきあってほしい」
「え……そんな……だって……」
「俺が嫌いか?」
 恋愛対象になる男だとは考えてもみなかったのだが、そう言われて改めて考えてみると、嫌いなどでは決してないのだった。
 レッスンはきびしいが、あたたかくて思いやりがあった。彰巳には乱暴な真似もするけれど、冗談半分だと見える。彰巳にしてもジェイミーにぼかっとやられても、いてえなぁ、死ぬっ、とオーバーに言いつつも笑っていた。
 しかし、ルックスがあまりにもきらびやかすぎて、顔立ちも美しすぎて、しかもイギリス人。田舎娘が抜け切れていない私がこんなひとと? そう考えると眩暈が起こりそうだ。
 しかもしかも、ジェイミーは人気ロックバンドのヴォーカリスト。藍にとっては先生であり、仕事の道を拓いてくれるのかもしれない男。そうとしか思えなかったジェイミーにプロポーズされているとは、眩暈の上にも眩暈を感じた。
「本気で言ってる?」
「本気だよ」
「……じゃあ、正直に言う」
 これで愛想を尽かされるだろう。不潔な女、計算づくの女、打算の女、そう見なされるにちがいない。
 言いたくはなかったのだが、藍は塩田との仲を打ち明けた。塩田の名は出さずに、恩のあるひとに……と話す。ジェイミーの腕がゆるみ、突き飛ばされるかもしれないと覚悟を決めて話したのだが、藍を抱きしめる腕にいっそう力がこもっていった。
「苦しいのは俺だよ。なんでそんな奴と……きみはそいつを好きなのか?」
「好きとか嫌いとか、贅沢の言える境遇じゃないから」
「……まちがってるだろ。そんなの恋じゃないだろ。逃げてこいよ、俺の腕の中に逃げておいで」
「できない、きっと」
「どうして? きみがそいつに恋してるってんだったらともかく、嫌いなんだろ?」
「好きになれるはずはないけど、大恩あるひとなんだもの」
 さらに言いたくはなかったが、言った。
「私もジェイミーは好きだけど、ジェイミーにプロポーズされたなんて言ったら、彼はきっと怒るわ。恩知らず、って殴られる」
「そいつはきみを殴るの?」
「クッションがいいから、こぶしが痛まなくていいんだって」
 笑おうとしたら涙が出て、腹を押さえてみせた藍の手に、ジェイミーが大きな手を重ねた。
「ここを?」
「何度もおなかを殴られたけど、顔を殴らないのは思いやりなんでしょうね」
「そんなもん、てめえの……くそっ。藍、俺にまかせてくれないか」
「嬉しいけど、いいのよ」
「よくねえよ。もしもきみが俺を嫌いだって言うんだとしても、そんな奴に縛られていたらよくないよ。別れろ」
「たやすくは別れられない」
 くそっ、と呟いて、ジェイミーが腕をゆるめた。
「楽しかった。嬉しかった。ジェイミーとの仕事は実現できなかったとしても、こうしていられただけでも嬉しかった。ありがとう」
「藍……」
「仕事ができたらもっと嬉しいけどね」
 たぶんこれでさよなら。だけど、心から言ってくれているのだとわかる言葉で、プロポーズまでしてくれた。あなたに出会えてよかった。藍も心からそう感じていた。


 姉がふたり、妹がふたり、両親、イギリスの大家族のたったひとりの息子として育ったジェイミーは、幼少時から姉妹に囲まれていた。であるからして、女というものは知り尽くしているつもりだったのだ。
 両親も姉妹もクラシック関係の仕事をしていて、子供たちが大人になってからは、家族全員が世界中に散らばって生活している。
 子供のころの数年間を暮らした日本の水が合って、ジェイミーは日本在住を選んだ。反逆したつもりもないのだが、身内とは畑違いのロックの道に進んだ。姉たちも妹たちも父も母も、ふーん、ロックね、と言う程度で、とりたてて反対もしなかった。
 ひとり暮らしをはじめてからは、もとから自由奔放に生きてきたのに拍車がかかり、恋は何度も何度もした。
 妙に堅物なところのある司、女嫌いだと公言している悠介、真相は知らないのだが、女嫌いを通り越してゲイなのではあるまいか、と言われているドルフ、秘密主義なのか、女の影がまったくないボビー。仲間たちと比較すれば、俺はごくごく普通の女好きだと自負している。
 司のように、ロッカーは結婚してはいけない、などというおかしな主義の持ち合わせはないので、いずれは結婚するつもりでいた。
 だが、なんだってこんなにも突然の嵐に見舞われ、こんなにも狂おしく恋をしてしまったのか。あの日の藍の言葉を噛み締めていると、悠介が横で聞いていたとすれば、言いそうな台詞が浮かぶ。
「無意識なのかもしれないけど、救いを求めていたのかな。別れられない、このままでいいの、みたいに言っていた言葉の裏には、私をここから救い出して、があったのかもしれないな」
 いや、悠介ならばもっと皮肉な台詞を口にしそうにも思えるのだが、ジェイミーは敢えて穏便な台詞に変えて想像し、想像の中の悠介に言い返した。
「だったら俺が救い出すよ。めらめらたぎってきたぞ。俺はそいつの手から藍を救出して、俺の妻にするんだ。反対したって聞かない。俺はもう決めたんだよ」
「反対はしないけど、そういうわけあり女だからっていうんで、むしろ闘志に火がついたんじゃないのか?」
「そうじゃないよ。な、悠介、こう言うだろ? 恋はひたむきに楽しいものだけど、愛とはふたりして困難を乗り越えていくものだってさ」
「誰の名言だ?」
「俺のだよ。ジェイミー・パーソンの格言だ。仕事はちゃんとするけど、そいつについても調べる。悠介、邪魔をするなよ」
「しないよ。がんばれ」
 悠介の幻を脳裏から消し去り、ジェイミーは藍が縛られているという男を調べた。
 塩田と名が判明したその男は、いわばちんぴらプロデューサーだ。真柴豪とは格にはるかな差がある。いまやロック界のスーパースターと呼んでも過言ではない、グラブダブドリブの敵ではない。
 ジェイミーは芸能界とロック界は異世界だとの認識を持っているのだが、近接した世界ではある。塩田をこの業界から抹殺するのは、できない相談ではないはずだった。
 しばらくは藍に会いたいのも我慢して、ジェイミーはあの手この手を考えていた。そして出した結論は、当たって砕ける、であった。
「これはこれは、天下のロックスターさまが、私に御用とはなんでしょうな」
 痩せた狐顔の塩田は、呼び出したグラブダブドリブ行きつけの酒場にやってきて、卑屈な物腰で言った。
「藍ですか? あのデブがなにか粗相でも?」
「デブとはなんだよ。俺が惚れた女をデブ呼ばわりするのか」
「へ? あなたがあいつに惚れた? ご冗談は……」
「冗談は言わないんだよ。俺は藍にプロポーズしたんだけど、恩人のあんたときちんと話をつけないと、って戸惑ってた。そこで俺が話しにきたんだ。藍を俺にくれ」
「……いやぁ……」
 かすかな怒りの色が塩田のおもてをかすめたが、じきにそんな色は消え、卑屈な笑みに変わった。
「ご丁寧に恐れ入ります。藍はシンガーとしては大成しそうにないし、玉の輿に乗れるってのはあいつにとって……彼女にとってはラッキーとしかいいようがありませんな。藍をよろしくお願いします。私も肩の荷が下りましたよ」
「いいんだな」
「もちろん。私が反対するわけがないでしょう」
 あっさりしすぎている、簡単に話が進みすぎる。ジェイミーとてそうは思ったのだが、話を煩雑にする必要もないだろうと考え直して、塩田と乾杯した。
 塩田は仕事があるからと、短時間で退席し、酒場に残されたジェイミーは、グラスを見やって考えていた。本当にあれですんだのか? 奴には藍への執着はないのか。藍が考えすぎていただけで、塩田にとっては藍は単なる遊び相手か。
 ひとりで悩んでいても答えが見つからないので、ジェイミーも酒場を出た。藍のアパートを訪ねたことはないが、住所と電話番号は知っている。会いたくて、電話をしたら藍が出た。
「今から行っていいか。きみにはプロポーズにいい返事をもらったわけでもないのに、勝手な真似をしちまったんだよ。あやまりたいのもあるし、改めて話しもしたい」
 電話のむこうで息を呑む気配にもかまわず、ジェイミーは一方的に言った。
「誰か来なかったか?」
「……いえ、誰も」
「俺が行くまで厳重に鍵をかけて、誰が来ても入れるな。塩田って奴は特にだ。いいな、藍、わかったら返事をしろ」
「塩田さんと……はい、わかりました」
 タクシーを飛ばして藍のアパートに行き、強く抱きしめて再びのプロポーズ。藍はひたすらに戸惑っている様子だったが、ジェイミーがありったけの誠意を込め、言葉を尽くしに尽くして求愛すると、ようやくうなずいてくれた。
「プロポーズしたんだしさ、こういうこともしてもいいだろ」
「……私、太ってるから恥ずかしい」
「たいして太ってないし、俺はぽちゃっとした女の子が好きなんだよ。藍、俺のマンションに引っ越しておいで。塩田って奴は危険だろ。きみは歌いたいひとなんだから、仕事をやめろなんて言わないけど、塩田とは離れて仕事をしろ。ベッドインも俺のマンションで……いやか?」
「私……なんだか……」
「なんだか、なに? 俺は自己卑下は嫌いだぞ。なんたって自信過剰の俺さまジェイミーなんだから、他人が卑屈なのも嫌いなんだよ。藍、きみは俺が恋したひとだ。自信を持て」
「あなたが恋をした女の藍は、卑下なんかしなくてもいい女? そう言われるとその気になってきちゃう」
「うん、自信過剰夫婦になろう」
 かっさらうようにして藍をマンションに伴ってきて、はじめての夜。塩田とは話をつけた、とだけは藍にも話したのだが、本当にあれですんだのか? との危惧はあった。
 そして、翌日には仲間たちにも宣言した。
「俺は藍と結婚する。昨日から同棲してるんだ。反対意見は聞かない。相談してるんじゃなくて、決定事項として話してるんだよ。司、なんか文句あんのか?」
「いや、悠介は花穂ちゃんで……おまえは藍ちゃんか……ドルフはチカだろ。なんだっておまえたちの趣味ってのは……いやいや、いいんだけどな。ドルフ、なにか文句あるか?」
「司、おまえはこのごろ、いやいや、いいんだけどな、って台詞が多いよな。そもそもチカは俺の彼女じゃないぞ」
「うん、そうだった。チカはいいんだけど……ボビーは、彼女ってのはいないのか?」
「なんで俺の話しになるわけ? はーい、いませんよ。悠介には文句はないよな?」
「ないよ。ジェイミー、おめでとう」
「おまえらも悠介を見習って、素直に言えないのか」
 ぐるっと見回すと、ああ、おめでとう、と三つの声がそろった。
「ジェイミー、見ろよ」
 それからまた数日後、悠介がジェイミーに写真週刊誌を差し出した。
「無名のシンガー城下藍が、グラブダブドリブのジェイミー・パーソンと結婚? 事実じゃないか。しかし、なんでこう早く記事になったんだろうな」
「おまえを強請るのはおっかないから、週刊誌にネタを売って小遣い稼ぎか。つまんねえ野郎もいたもんだな」
「悠介、なにか知ってるのか」
「なにかってなんだ?」
「知らないんだったらいいよ。そういうつまんねえ男の報復手段か。これですんだんだったら御の字ってやつだよ。事実は事実だ」
「しばし周囲が大騒ぎだろうけど、事実なんだからいいよな」
 記事の中身を熟読しようとしたら、悠介が取り上げて雑誌をごみ箱にシュートした。
「玉の輿だのなんだの、記事も下らない文章の羅列だよ。ロッカーと結婚するのって玉の輿か。いつなんどき転落するかもしれない、不安定な仕事の代表なのにさ」
「悠介、藍のルックスだのなんだのを、面白おかしくからかった記事になってるのか? だから俺に読ませたくないんだろ。その気になったら雑誌なんて百冊でも買って読めるんだぞ。買い占めてやろうかな」
「読みたいんだったらどうぞ。おまえの惚れた女をあんなふうに書かれたら、ジェイミーがどう荒れ狂うのか、俺も見たくなくもないしな」
「まったく、根性悪いよな」
 ちっぽけな報復程度は甘んじて受けてやろう。たとえ藍をどう悪し様に書かれても、俺の愛は揺ぎない。藍への愛はそれでいっそう燃え盛る。俺の性格を知らないのか。
 ひとりで力んでいるジェイミーを、悠介が微笑を浮かべて見ている。ジェイミーにはその表情が、その調子だ、それでこそジェイミーだ、と言いたいのだと読めていた。
 
 
5

 冗談じゃねえんだよ、あんな奴らとは係わり合いになりたくねえんだよ、あんな奴ら、大嫌いだーっ!! と絶叫したい。
 もとロッカーである木村章にとっては、グラブダブドリブとは、眩しくも憎らしくも羨ましくも妬ましくも、悔しくも腹立たしくも、それでいて、憧れずにはいられない、といった、否定的肯定的感情が押し合いへし合いせめぎ合ってひしめき合って押し寄せてくる存在である。
 なのであるから、関わりたくないようでいて、関わりたい。ラジオ局で会ったグラブダブドリブのメンバーを見て、逃げようかと一瞬考え、考え直して挨拶をしたら、彼は章を覚えていてくれた。
 お茶でもどうだ? と誘われて、複雑すぎる感情を持て余しそうになりながらも、章は彼についていった。
「そうすると、うちとグラブダブドリブって、似たところもあるんだね」
 華やか至極のルックスの持ち主ぞろい。章にとって羨ましさの最たるものは、彼らのそびえ立つ長身だろう。
 俺は顔はいいと言われるけど、ちびだもんな。ロッカーがちびだったら、それだけで欠点になるんだよ。そんな欠点をはねのけて、人気者になっているちびのロッカーだっていなくもないけど、俺にはそこまでの長所もなかったんだ。
 そんなふうに考えている章に、グラブダブドリブのさまざまな話をしてくれたのは、派手なルックスの彼らのうちでは、比較的地味で目立たないキーボーディストのボビー・オーツだった。
「フォレストシンガーズがうちと似てる? どんなところが?」
「たとえばさ、リーダーの選出方法とか」
「ああ、それか」
「俺がフォレストシンガーズに加わったころは、うちは確立してたんだよ。メンバーがひとり抜けたからって、一年間だけいた大学で幸生とつるんでた俺が誘われたんだけど、あとの四人は完全に固まってた。リーダーも確立してたけど、幸生が話してくれたんだ。あれは乾さんの謀略が含まれてるんだってさ」
「謀略って言うんだったら、うちも悠介の謀略、なきにしもあらずだな」
 グラブダブドリブには過大なばかりの興味を持っている章は、ドラムのドルフ・バスターとは昔なじみだ。
 とはいえ、互いに二十歳前後だった時代に、アマチュアロックバンドの一員として出会い、無名の身同士として多少は話をしたりもしたが、長らく会わずにいた。ドルフは俺のことなんか忘れちまってるよな、と章は考えていたので、コンタクトを取ろうともしなかったのだ。
 だが、ジョイントライヴに出演したグラブダブドリブの控え室を訪ねたことで、ドルフとは再会を果たした。だからこそボビーも章を記憶していてくれたのだが、深い話しなどはしていない。グラブダブドリブのデビューのいきさつなども、雑誌で得た知識しかなかった。
 フォレストシンガーズとグラブダブドリブの人気の差たるや、比べると泣きたくなる、というほどのものであるし、再会はしたものの、ドルフに積極的に会いたいとも思えなかったので、章の知識は彼らの熱心なファンたちと大同小異だろう。
 そんな章に、ボビーがグラブダブドリブの細かい話を聞かせてくれた。
 なんでも、リーダーの沢崎司は、フォレストシンガーズのリーダーである本橋真次郎と性格が似ているのであるらしい。
「司は気が短くて怒りっぽいからさ、あいつをリーダーにしておかないと、暴走する恐れがあるってんだよな。司の性格はいまだそのまんまだけど、俺はリーダーなんだから、ってのを肝に銘じてる部分はあるみたいだよ」
「そのへん、本橋さんに似てるよ」
 三沢幸生の推測とやらを、章はよく覚えていた。
「リーダーは気性が荒いんだよ。喧嘩には滅法強いし、喧嘩の腕前に絶大なる自信を抱いてる。乾さんに言わせると過信だそうだけど、過信でもないと俺は思うよ。んでね、乾さんがはっきり言ったわけではないんだけど、そういう本橋さんの気性を抑えるためにも、リーダーとしてたてまつって、自覚を促す。乾さんの真意にはそれがあったはずだよ」
 まだ章がフォレストシンガーズに参加して間もないころに、幸生はそう言っていた。
 学生時代の合唱部でも、四年生の年には本橋真次郎がキャプテンで、乾隆也が副キャプテンだったのだから、表向きはそれゆえに、本橋がリーダーとなったのだろう。現在でも乾はサブリーダーであるが、もうひとりのメンバー、本庄繁之も言っていた。
「陰の黒幕は乾さんかもな。幸生がその陰の陰にいるような気もしなくはないけど、それでうまく回ってるんだよ。本橋さんと乾さんは最強のコンビなんだ」
 章は一年で中退しているのだが、他の四人は同じ大学の合唱部出身だ。全員が四年間、合唱部で歌っていて、卒業もしている。
 本橋と乾が章よりも二年上、本庄が一年上、三人は章の先輩に当たる。先輩ったって、俺は中退してるんだから、たいして世話にもなってねえんだよ、と考えていた時期もあるのだが、そうは言えない出来事がいくつもあって、やはり先輩には頭が上がらない。
 対するグラブダブドリブは、コンテスト会場で出会った。プロデューサーの真柴豪に見出された格好でプロデビューを果たした彼らは、奇しくも全員が同年だ。
 そうすると、先輩後輩関係のフォレストシンガーズとは、ずいぶんとちがっているだろう。それでも似た部分はあるのだ。
 似てるからっていったって、やっぱうちとは……だけどさ、今さら……今さら、なんだって? 俺がグラブダブドリブのヴォーカリストにならないかって誘われたとしたら? 
 章の胸に妄想が生じる。天地がひっくり返ってもあり得ないであろうが、妄想は自由だ。しかし、そんなことを言われたとしても、俺はびびっちまって断るだろうな。びびるだけじゃなくて、俺にはもはやフォレストシンガーズが……
 埒もない妄想にふけっている章の耳に、ラジオ局の喫茶室のうしろの席の会話が届いてきた。どこかで聞いたことがあるような男の声が言っていた。
「だからさ、僕ってスターじゃん。スターだなんて言わなくてもきみも知ってるだろうけど、スターなんだよね。きみとは……なんて言ったら失礼かな。言わなくても知ってるでしょ」
「……そりゃあね」
 応じているのは女の声。ふたりともかなり若い声だった。
「彼女っていうのか、つきあってる女の子は何人かいるよ。女の子が放っておいてくれないんだからしようがないじゃん。それでもいい? 言うまでもないけどさ、それでもいいんだったらついておいでよ。あんまり時間はないんだけど、内緒にしておくって約束するんだったら抱いてあげる」
「……それでもいいよ」
 蚊の鳴くような小声で女の子が応じ、ふたりが立ち上がる気配があった。好奇心に負けた章は、こっそり振り向いて男の顔を見た。
「あいつか。どっかで聞いた声だと思ったんだよな。ボビーも知ってる?」
「タレントだろ。名前は知らないけど、声には聞き覚えはあるよ。だいたい俺はテレビなんて見ないから、タレントも流行歌手もよくは知らないんだけどさ」
「お笑いの奴だったかな。顔で売ってるお笑いなんて本末転倒だろ」
「なんでおまえが怒るわけ?」
 面白そうにボビーが問いかけ、章はアイスコーヒーのグラスをぐっと握り締めた。あの臨時カップルは消えていて、どこに行ったのかは想像したくなかった。
「あの言い草がむかつくんだよ。乾さんだったら今の男の胸倉つかんでさ……」
「乾さんってそういった男か? ま、女の子も女の子だろ。どっちもどっちだよ。あの子もタレントなのか?」
「女の子のほうは知らないよ」
 煙草に火をつけたボビーを睨みつけて、章は言った。
「あんたらもああいうことをしてんのか」
「うちのメンバーたちって、意外と真面目だよ。悠介にも司にもジェイミーにも恋人はいる。司は独身主義で、悠介はどうだか知らないんだけど、ジェイミーは結婚するんだそうだ。だからさ、女との遊びは卒業したんじゃないかな」
「卒業したってことは、以前はやってたんだ」
「やってたのかもしれないな」
 おまえもやってたんだろ、と言われれば否定はしにくいので、章は曖昧にうなずいた。
「ドルフはあれだろ。章だって知ってるだろ」
「女の子バンドにいて女と一切もめごとは起こさないのは、ドルフが恋をしたくない体質だからだとか……誰かに聞いたよ。ゲイっていうのではないのかな」
「俺は知らないよ」
「あんたらはプライベートではあまりつきあわないの?」
「馬鹿話はしてるけど、互いに干渉はしないな」
 そのあたりはフォレストシンガーズとはずいぶんちがう。プライベートに干渉する先輩たちに腹を立てた記憶は章にはたびたびあるのだが、だからこそ、こうしてシンガーとして生きてこられたのかとも思うのだった。
「ボビーは彼女はいないの?」
「いないよ」
「あんたはゲイじゃないんだろ」
「恋をしたことがなくもないけど、面倒なんだよ。俺は恋よりも音楽が好きなんだ。そういう奴だっているんだよ」
「マジで言ってんの?」
「ああ、マジだよ」
 この話題を続けていると、自身のボロもこぼれそうだ。ボビーもこんな話はしたくなさそうなので、無言になってアイスコーヒーのストローをくわえ、章はなおも考えた。
 ロックでなきゃあ、歌っていてもつまらない、なんて、俺ももうガキでもないんだから、そこまでは言わない。俺にとってはいまや、本拠はフォレストシンガーズだ。だからさ、もしもあんたらに誘われたとしても断るよ。
「章、うちのヴォーカリストになってくれ」
 そう言われて断固として断ったら、さぞかし気持ちがいいだろう。
「俺はフォレストシンガーズの章なんだよ。悪いけど、グラブダブドリブに参加する気はないんだ」
 言ってみたい。ものすごく言ってみたい。
「でもさ、グラブダブドリブのステージに飛び入りで加わって、セッションするなんてのだったらいいかな。今度、ライヴを聴きにいくからさ、そのときにはステージに呼んでくれよな。俺のこのハイテナーで、あんたらの演奏をひときわ引き立たせてやるよ」
 果てなく妄想がはばたいていって、きゃはは、と笑いたくなってくる。きゃははでは幸生ではないか。ああ、しかし、言ってみたい。言いたい。
 言ったとしたら、憫笑だか冷笑だか失笑だかを向けられそうで、とうてい言えないのだが、妄想の中ではいくらでも言える。
 打ち消しても打ち消しても、妄想が頭を支配する。もしも俺がグラブダブドリブに誘われたら……章の妄想は大きな翼を広げて、天空へと飛翔していっていた。


 黒いタイツに白い靴、ミスマッチな組み合わせのようでいて、どきっとした。綺麗な脚だった。
 やや透ける素材のタイツから視線を上にあげていくと、黒い流行の型のスカート、黒いコート、コートの中から覗くのは白いセーター。セーターの胸元からは白のレースのキャミソールも見えている。モノトーンのコーディネートが似合っていた。
「あの、どなたでしたっけ?」
 嫣然と微笑んでみせた女の顔に、見覚えはなかった。
「先日はご無理をお願いしまして。永沢です」
「永沢先生?」
 思わずすっとんきょうな声を出したボビーに、永沢はうなずいてみせた。
「先生には見えない……いや、失礼」
「教師だってプライベートにはこのくらいは」
「素敵ですよ」
「ありがとうございます」
 両親ともにアメリカ人のボビーだが、親戚に日本人とのハーフの少女がいる。もともと家族そろって日本に来たのは、その親戚がつてになってくれたゆえだ。
 母が白人、父が黒人、アメリカには人種差別が根強く残っていて、そんな両親は暮らしていきにくかったのだろう。ボビーが子供だったころ、両親は子供たちを連れ、新天地を求めて日本に渡ってきた。
 日本男性と結婚した父の妹の娘はただいま高校生。最近はあまりつきあいもないのだが、娘の佐知子はボビーを知っていた。なんてったって高校生にも人気のあるロックバンドの一員なのだから当然かもしれない。
 数日前に高校の教師だと名乗る女性から電話があって、ボビーは首をかしげた。高校教師に知り合いなんていないぞ、だったのだ。
「谷佐知子さんをごぞんじですね」
「谷佐知子? ……ああ、僕のいとこです」
「そうらしいですね。グラブダブドリブのボビー・オーツさんが迎えにきてくれなきゃ帰らないと、佐知子さんが駄々をこねまして」
「帰らない?」
 不良高校生であるらしき佐知子は、幾度も夜の街で補導されていて、その夜はついに保護者に連絡がいった。父親と担任教師が引き取りにいったものの、佐知子はへそをまげてしまって、おかしなことを言い出したのだと、永沢教諭は言った。
「お父さまはオーツさんとはそう親しくないとおっしゃいますし、お母さまは今、ご病気で入院なさってるんです。佐知子さんも寂しかったのかもしれませんね。オーツさんに電話してくれと言い張るものですから、私が思い切って」
「俺が行ったらいいんですかね」
 幼いころの面影ならばある佐知子だが、最近はどんな娘に成長しているのか知らない。それでも親戚だ。ボビーがその気になっていると、永沢は言った。
「佐知子さんを電話に出しますので、せめて説得していただけませんか」
「わかりました」
 案外素直にボビーの説教なら聞いた佐知子は、無事に帰宅したのだと、永沢はわざわざ伝えにきてくれたのだった。
 三十歳前後というところか。ボビーと似た年頃だ。教師なんて人種とはまったく無縁だったのだが、そりゃあ教師にも魅力的な女はいるだろう。そういえば仲間のドルフの兄が教師だが、あれは魅力的とは無縁な男である。
「佐知子さんがグラブダブドリブのライブのチケットを手に入れたとかで、私を誘ってくれたんですよ。あの日までは敬遠されてたんですけど、ボビーを呼び出すなんて、せんせ、すごい、とか言って、親しみを持ってくれたようです。改めてお礼を申し上げに参りました」
「それはそれはご丁寧に」
「私もロックは好きなもので、しっかり聴かせていただきます。では」
「佐知子ちゃんは?」
「なんだか恥ずかしがってて、せんせ、ひとりで挨拶してきなよ、よろしく言っといてね、ですって」
「ライブがすんだらいっしょにまたいらっしゃいませんか」
「佐知子さんが行くと言いましたら、お邪魔するかもしれません」
 すらりとしたうしろ姿が遠ざかっていく。ボビーはしばし呆然としていた。
 いやだなぁ、と言っていたらしいのだが、佐知子はライブ終了後に永沢とともに控え室にやってきた。来たら来たではしゃいで、そののち皆で食事に行った。若い子は親や教師の説諭は聞く耳持たなくても、好きなミュージシャンの言うことならば聞くもので、ジェイミーや司の説教にうなずいていた。
「ボビーのいとこでよかったっと。また遊んでね」
「真面目に勉強しろよ」
「高校生は学問が本分だぞ」
 ぺろりと舌を出してはーいと答えた佐知子だが、ボビーの心には永沢……永沢陽子と名前を知った彼女ひとりが焼きついたのだった。
 そんな彼女といつしかつきあうようになった。
 だが、合うわけがないのは自明の理だったのだろう。ロックミュージシャンと高校教師だなんて、世界がかけ離れすぎている。世間体も大切な教師では、男と同棲もできやしない。ボビーは地方での仕事も多い。いつしかすれちがいがふえていった。
「あれ、乗る、永沢さん?」
 恋人同士にはなり切れない。永沢先生、オーツさん、と呼び合っていたのが、永沢さん、ボビーさん、程度の親しみで止まっていた。
「観覧車?」
「夜中の観覧車なんて乗ったことないな、俺」
「私も。乗ってみたいな」
「高くまで上がるよ。怖くない?」
「今どきの高校生のほうが怖いです。ボビーさんは高所恐怖症はないの?」
「平気だよ。今どきの高校生のほうが怖い、か。言えてるね」
 オールナイトで営業している都会の真ん中の遊園地だ。巨大な観覧車がゆっくりと回っていた。
「こんな歌があるね。思い出した」
 この歌を書いた男は、当時妻と離婚してハートブレイク状態だったと聞いている。彼女に別れを切り出された男の、切ない慟哭の歌「観覧車」。俺の状況とはちがうけど、不吉な歌だなとボビーは思い、歌うのをやめた。
「ボビーさんはCDでも歌ったりしないでしょ?」
「ジェイミーは歌の天才だしさ、たまに歌う悠介も歌はうまいもん。俺の出る幕ないよ」
「グラブダブドリブのCDを聴いてると、シンセサイザーやピアノの音に耳を澄ましてるの。でも、ボビーさんの歌も素敵よ。歌って、もっと」
「やだよ、こんな哀しい歌」
「……そうかも」
 会話が途切れた。
 都会の夜の中、観覧車がゆっくりと回る。周囲の灯りが邪魔をして完全な闇には断じてならない都会の夜空に、ひとつふたつ星が見えた。
 恋の経験がないわけではない。司のようにロッカーは結婚してはならない、などと、かたくなな考えを持ってもいない。
「あなたは結婚したい?」
 さりげなく訊いたつもりが、陽子の表情が固くなった。
「まだそこまで行ってないか、俺たち」
「ボビーさんがそんなことを訊くなんて、想像もしなかった」
「いや、俺が相手とは限らなくても、今どきの女性ってどうなのかなって思ってさ」
 ごまかしている、自己嫌悪だった。
「一般論なの?」
「まぁ、あのその……
 煮え切らない態度はボビーの性格なのかもしれない。これが災いして女と長続きしないのだろうか。陽子は答えない。だから恋は面倒なんだよ、とボビーは声に出さずにひとりごちていた。
「今の「観覧車」って歌は離婚した男の魂の叫びってのかな。そういう歌だと思うんだ。聴いててもつらいよね」
「ボビーさんは離婚なんかしたくない。どうせ私と結婚しても、ここまでのつきあいからかんがみて、そうなる可能性はおおいにある。今夜は別れの観覧車?」
「そんなつもりは……」
「ひとの気持ちも境遇も、思い通りにはならないものよね」
 ため息が個室の中を満たして、空気が沈んでいった。

「ある晩、おふくろが俺に言った。おまえが生まれたときは、空は満天の星。
 ……強くもない俺は、泥の中にへたり込んでしまった……」

 歌のフレーズがボビーの頭に浮かぶ。今は満天の星は見えないけど、泥の中にへたり込んだりしたくないよな。それをも辞さず踏み出してみるべきなのだろうか。陽子は俺にとって、愛するひとになりかけているけれど、彼女はどうなのだろう。はっきり答えてくれない陽子の態度が切ない。
 時がしばらく止まればいい。それでも結論は出せっこないのか。結論を出さないまま続けていくのは罪なのか。ボビーの自問自答を乗せて、観覧車は回っていた。
 変な奴ばっかだな、とボビーは、グラブダブドリブの他のメンバーたちをそう考えている。翻って考えると、しかし、もっとも変な奴はこの俺か?
 恋の経験がないわけではないが、恋愛は面倒だと章に話したのも、嘘ではない。あれっきり陽子とのつきあいは途絶え、だから言っただろ、恋なんてしないに限るんだよ、とボビーは、今夜もひとりごちた。
 これって強がりか? 音楽があれば恋なんてなくてもいい。それって強がりか? 今夜もまた、ひとりきりの部屋にため息が充満していた。

END
 


 
 
 

 
 
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~ Comment ~

あけまして、おめでとうございます!

昨年中は、ありがとうございました。
いつも楽しいコメント、西幻はとても嬉しく思ってます~ ^^

で、魔法使いの島、後編、読みました!

おお。今回はちょっと今までとは違う感じ、今までには出てきたことのないようなキャラが登場してきましたね。城下藍ちゃん。
でも親近感のわくキャラです。それに、とても健気なところがいい。
そんなところにジェイミーは惚れたのかな?

藍に対してジェイミーはとても強引な性格っぽくて、そこがロッカーしてていいですね。
いきなり、結婚~!
わお。でも藍ちゃん、幸せになってほしい。
塩田なんて、ほっとけ~!

おー!またまたアキラくん、登場。
ポジティブ妄想しまくってるところが、おもしろい。
でも君は、フォレストシンガーズのメンバーなんだからね!(笑)

ボビー。
「音楽があれば恋なんてなくてもいい。」
これって銀次にも通じるかも。
音楽さえあれば、あとはなにもいらない。
でもボビー、恋はしといたほうがいいかもよ?…

おお~!「おしゃべり階段」!
もちろん、知ってます。
あれ、大好きで何度も読みました。
とんがらしも好き♪かっこいいですよね。

ではでは、今年もどうぞ、よろしくお願いいたします ^^

西幻響子様、あけましておめでとうございます。

お返事が遅くなってすみません。
コメント、ありがとうございます。

藍って女性には嫌われるかと思ってましたので、そう言っていただけると嬉しいです。
こういう女性キャラはたしかに、私はあまり書きませんので、わざさらしいかなぁとも思っていたのですよ。

ボビーのキャラも私には扱いにくくて、どうしても地味になってしまうのですが、響子さんにそう言っていただくと、もっと動かしたくなってきます。
ボビー、がんばれ~

最近はちょっと長いものが書けなくて、グラブダブドリブのショートストーリィを書いたりしています。

去年は本当にありがとうございました。
今年もなにとぞ、よろしくお願いします。

沢山の恋模様

なんだか、世界全体が青系のモザイク模様の中に彩られて、きらきら光りながら空(くう)を覆っている感じ。

フォレスト~ の方では、日本人ばかりのせいか、どこか固いイメージがあって、ここまで自由な恋模様は描かれていなかったような…

章くんが、そんな風に心を羽ばたかせる空間がこちらにはあるんだな、という気がしました。
章くんの、葛藤のような迷いのような、だけどホームであるフォレスト~への愛情のようなそんな心模様もやはりモザイクの青い星空! みたいなイメージで、ものすごく鮮やかに心に迫りました。

章くんはロックの要素が性格的にどこかに潜んでいるから、こちらに登場してもあまり違和感ないですね。

しかし、こうやって、人物の誰もが主人公になってしまう世界ってスゴイ!
fateくんは描きやすいキャラしか描いてあげないから。
置いてけぼりをくう人物がいるんだよな~

fateさんへ

fateさんが書いて下さった素敵な比喩で、タイトルがひとつ浮かびました。

ケイト・ブッシュの「ブルーのシンフォニー」。英語ですから歌詞の意味は知りませんけど、今度はこのイメージで物語を作ってみたいです。

この「魔法使いの島」はグラブダブドリブのみんなを紹介させてもらいたくて、とりあえず彼らそれぞれの恋やパートナーを書こうかと思って書いたのです。

fateさんのおっしゃる通り、けっこうみんな恋には奔放ってか、変な奴も数名ってか、って感じですよね。

キャラのすべてが主人公になってしまうというのも、おっしゃる通りです。新しいキャラを出すと彼か彼女を主役にして物語を書きたくなる癖があるのですよ。

グラブダブドリブも私の愛しいキャラのひとつですし、読んでいただいてありがとうございました。
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