ショートストーリィ(しりとり小説)

148「大人の事情」

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しりとり小説148


「大人の事情」

 お腹が痛くなって学校を早退し、あの日の僕は自分の部屋でベッドに横たわっていた。

 父も母も、十六歳も年上の姉も会社員だったから、小学校五年生の僕はいわゆる鍵っ子。四年生までは学童保育に通っていたのだが、五年生になったんだからもう大丈夫だと、放課後は留守番するようにしていたのだった。

 ベットでうとうとしていた僕は、玄関のドアが開く音と、父と母と姉の声で目を覚ました。僕が帰っていることには気づかないようで、母が言っていた。

「こんな話、那由多は聞かないほうがいいものね」
「それで、百代は納得したのか」
「……仕方ないじゃないの」
「理由はなんなのよ? 母さんは納得できないな」
「まあまあ、落ち着いてお茶でも飲んで……」

 両親も姉も会社を早退したのだろうか。それとも、もう夕方なのか? 給食を食べたらお腹が痛くなったので、昼休みに先生に申し出て帰らせてもらった。枕元の時計は午後二時。僕は一時間ちょっと、ベッドにいたのだろう。

 那由多とは僕の名前。百代は姉だ。長女が百、長男はさらにさらに大きな数字の単位。無量大数という意味の名前をつけたのは、両親がともに大学では数学を専攻していて知り合って結婚したからだと聞いていた。

 名前はともかく、僕に聞かせたくない話ってなに? 気になるのは当然だから、三人が入っていったダイニングルームのドアに耳をくっつけた。

「心変わりってやつかな」
「彼の浮気?」
「そうなんじゃないの? どうしても結婚はしたくないって言い張るんだもの。そんな気持ちになってる彼と無理やり結婚したって、うまく行かないに決まってると思ったの」
「そうかもしれないけど……」

 二十六歳の姉が先ごろ婚約したとは、僕も聞いていた。父はちょっぴり寂しそうだったが、母と姉は結婚式の話で盛り上がり、僕は姉を冷やかす。最近の家族の会話はそればっかりだった。

 なのに、結婚がやめになった? 彼氏の浮気? 五年生の僕にだって意味はわかる。父は怒っていて、正式に顔合わせもしているのだから、慰謝料が……だとか、むこうの親も謝罪に来るべきだろと言っている。姉は言った。

「そんなのいらないの。自分が惨めになるだけだもの」
「しかし、けじめとして……母さんはどう思う?」
「私は百代にまかせるのが一番だと思う。婚約破棄っていうのも大変なことだけど、結婚式も近くなってからやめたいって言い出すような男と結婚したって、離婚することになるかもしれない。そんなだったら婚約段階でやめるほうがましよ」
「うん、母さん、私もそう思う」

 ひどい奴だな、姉さんのことを好きでプロポーズしたはずなのに……いや、僕は詳しい事情なんか知らないが、結婚とは男が女にプロポーズするものだと決め込んでいた。
 そうして婚約したのに、浮気? 他に好きなひとができて姉さんは捨てられた? 一度だけ会わせてもらった姉の彼、土田という名の男を殴ってやりたくなっていた。

 小学校五年生に殴られてもたいしたダメージにもならないだろうけど、仕返ししてやりたい。大好きな優しい姉を傷つけた憎い奴。

 土田は僕の中ではそんな男として固まった。

 一時間ほどはその話題を繰り広げていた三人は、那由多が帰ってくる時間じゃない? 那由多には徐々に、結婚はしないことになったの、って話そう、と結論づけた。僕は自室に戻り、ベッドに横たわる。わざと大きな音を立ててどたばたしていると、母がやってきた。

「あらっ、那由多、帰っていたの?」
「お腹痛くて早引けしたんだ。母さんも帰ってたの?」
「用事があったんで父さんも姉さんも一緒に帰ってきたのよ。お腹、大丈夫?」
「もう治ったみたい。ずっと寝てたからね」
「お粥作ろうか?」
「普通のごはんでいいよ」

 ダイニングルームに僕も行くと、給食に中ったんじゃないの? みたいな話題になって、その日は姉の婚約破棄には触れられなかった。

 腹痛は一過性のもので、もともとお腹が丈夫ではなかった僕のこと、両親もそれほどに心配はせずに終わった。
 姉の婚約破棄のほうは、姉本人からさりげなく告げられ、僕もさらっと受け止めた。あれから八年、しかし、僕は忘れてなどいない。

 結局、三十四歳になった姉はまだ独身だ。姉は仕事に夢中になって、一般職から専門職の試験を受けて合格し、転勤して北海道にいる。むこうに恋人ができていたらいいんだけど。土田はどうしているのだろうかと、折に触れて思い出していた。

「……レストラン・ツチダ。こんなのできていたんだね」
「ほんとだ。新装開店? 入ってみたいな」
「高そうだね。夏休みにバイトして稼いでから来ようか」
「そうしよう」

 そんな名前、どこにでもあるもんな、とは思ったが、姉との婚約を破棄した土田は、レストラン勤務のコックだった。偶然かどうか確かめたいのもあって、高校の友達の赤坂との約束通り、夏休みにバイトをした給料を手に、「レストラン・ツチダ」を訪ねた。

 高校生には高そうに見えるが、庶民的なのであろう洋食レストランだ。ウィークディのランチだと予約もせずに入れた。

「いらっしゃいませ。なにになさいますか」
「えーとね……赤坂、なににする?」
「カニクリームコロッケ」
「僕はグラタンにしようかな。グラタンとライス」
「暑いのにグラタンって、好きだね」

 オーダーを取りに来たのは、四十代くらいのおばさんだ。小太りで美人でもないが、働き者に見える。赤坂とふたりで食事をしていると、店にはお客が出たり入ったりする。そのうちにはふたりの子どもも入ってきた。

「こら……用があるなら裏から入ってきなさいって言ったでしょ」
「お腹がすいたんだもん」
「なんか食べたいよぉ」
「しようがないな。ママが一度帰ってラーメンでも……」

 そんな話をしているのだから、このおばさんの子どもたちなのだろう。幼稚園か小学校一年生くらいのふたりの女の子は、やだやだ、今食べたい、と駄々をこねている。そうしていると、厨房から男が顔を出した。

「パパが作ってやるよ。入っておいで」
「わーい」
「……甘いんだから。すみません、お騒がせして」

 苦笑いのおばさんがお客たちに頭を下げ、子どもたちは厨房に走り込んでいく。あの男の声とあの顔……あの土田だ。八年前よりはすこし太って老けていたが、甲高い声ととがった鼻、細面の顔は特徴的だからよく覚えていた。

 あいつは婚約破棄した女を忘れて、他の女と結婚して子どもも作ったのか。あのおばさんが浮気相手? 姉さんのほうがずーっと美人なのに。

 僕の家は引っ越ししているので、婚約者だった女性の近所とわかっていて店を構えたのではないらしい。なにか言ってやりたくてたまらなくなって、僕は帰りがけにおばさんにメモを渡した。あなたの夫の過去を知ってますか、那由多、と僕の名前をサインした。

 婚約者の弟の名前なんて忘れてしまうのが当たり前かもしれないが、なにしろ僕は「那由多」だ。覚えているほうに賭けよう。無視されたらしようがないつもりで、夜になってから、メモにしたためた公園に出かけていった。

「……あの、なんなんですか」
「奥さんが来てくれたんですね。奥さんは八年ほど前に、土田さんが婚約してたって知ってます?」
「知ってます。婚約者の名前が百代さんで、弟さんが那由多さんっていった。変わった名前だろって言ってましたから、覚えていました」

 奥さんにそんな話もしていたのか。というよりも……?

「じゃあ、土田さんの婚約者から、奥さんは彼を略奪したんだ」
「ちがいますよ。彼女と婚約を解消して傷ついていたころの土田と知り合って結婚したの。那由多さんはなにが言いたいの? 誤解しているの? そもそもどうして婚約破棄されたのか知ってるの?」
「土田の浮気でしょ。詳しくは聞いてないけど、姉はそう言ってましたよ。その浮気相手が奥さんなんじゃないの? 最低だな」
「ちがうったら。那由多くんのほうが知らないのね」

 高校生だと思って、このおばさんは僕をなめている。なめているから出てきたのだろう、どうしてやろうかと思っていたら、うしろから土田も顔を出した。

「……連れてきたんだ」
「連れては……パパ、子どもたちはどうしたの?」
「テレビを見てるよ。ママが出てったのが気になってつけてきたら、そんな昔の話……ママ、そんな話を那由多くんにするなよ。彼は知らないみたいじゃないか」
「そうかもしれないけど、変な誤解をされるのは気分悪いじゃない」
「いいよ、誤解させておけ」

 誤解誤解って、それ以外のなにがあるんだ? 並んで僕を見ている夫婦を、僕も見返した。

「姉が悪くて婚約破棄したとでも言いたいのかよ。姉がなにをしたんだよ」
「どっちが悪いわけでもないんだけどね、昔のことはどうしようもないからね」
「昔のことってなんだよ? 姉のモトカレとか? そのくらいだったらいても普通だろ」
「モトカレくらいだったらいいんだけどね。那由多くん、きみが知らないんだったら知らないままのほうがいいよ」
「最低野郎。僕はあんたを殴りたくてしようがなかったんだ。殴らせろ」
「やめろよ、馬鹿馬鹿しい」

 妙に冷静な土田にむかついて、本当に殴ってやろうとしたら、おばさんに止められた。

「やめなさいよ。姉さんが婚約破棄されたのは那由多くんのせいなのよ」
「ママもやめろって」

 夫が止めるのにはかまわず、おばさんは言った。

「婚約が調ってから、土田のおばあさんが那由多くんの姉さんについて調べたんだって。興信所にお願いしたのは、十六歳も年下の弟がいるって変だなってピンと来たからもあったらしいわ。それで調べてもらったら、おばあさんの想像通り、那由多くんは百代さんの弟なんかじゃなかった」
「やめろよ、ママ」
「ここまで言ったらもうわかるでしょっ」

 それってどういうこと? 弟じゃないんだったらなんだ? 僕にはわからないでいると、おばさんが教えてくれた。

「那由多くんは百代さんが十六歳で産んだ息子よ。そういうことがあると、うまくごまかしてお母さんが産んだってことにしてしまうケース、たまにあるらしいよ。だから那由多くんは戸籍上も、百代さんとは姉と弟。だけど、真相を知ってるひとだっているの。興信所はプロだからきちんと調べ上げたのよ。意味が分かった?」

 わかったけど、消化できなかった。おばさんは興奮していて、土田は静かに言った。

「それを知ってしまったら、百代さんとは結婚できなかったんだ。過ちなのかどうかは知らないけど、妻にもうひとり子どもがいるってのはね……僕は正直に、祖母がきみの身上調査をしたら、こんな事実が明るみに出た。悪いけど結婚できない。結婚式場の件やその他諸々は僕のほうでキャンセルするから、きみは、僕が心変わりしたとでも浮気したとでも、周囲には好きに言ってくれていい、ってそう言ったよ。百代さんは弁解もせずに受け入れたから、事実だったんだろうな」
「そんな……」

 土田は奥さんの肩を抱き、きびすを返した。

「ごめんな、きみは知らないんだったら、知らないままのほうがよかったね」
「……パパ?」
「いいよ。ママの気持ちもわかる。帰ろうか」
「そうね」

 夫婦が去っていく。僕は呆然とうしろ姿を見送るしかなかった。

「那由多、レストランに行った日はなんか変だったけど、なにかあった?」
「なにもないよ」
「だったらいいけど……話があるんだ」
「そう? そしたら一緒に帰ろう」

 二学期がはじまった日、ホームルームが終わると赤坂と学校を出た。彼女は恥じらっているような表情で、私とつきあって、と告白してくれた。

「僕は駄目だよ」
「どうして?」
「僕はほんとは……」

 親には話してもいないのだが、誰かに言いたかったのだろう。告白してくれた赤坂にすべてをぶちまけてしまった。

「姉さんには確かめたの?」
「確かめてないよ。興信所が調べたっていうんだから、本当なんだろ。高校に入学するときに見た戸籍謄本では、僕は父さんと母さんの長男になってたけど、そんなの操作できるらしいもんな。ほんとは僕は姉さんが高校生のときに産んだ子なんだ。調べたらわかるらしいんだから、赤坂の親だって調べようって気になったら……」

 馬鹿だねぇ、と赤坂は、呆れた口調になった。

「結婚するんだったらともかく、高校生がつきあうのにそんなことまで調べないよ」
「……あ、そか、だけど、赤坂はいやだろ」
「なんで? それがほんとだったとしても、全然いやじゃない。ずっと先に那由多ともしも結婚することになっても、いやじゃないよ」
「おまえと結婚するなんて、僕がいやだけどな」

 本音ではない憎まれ口をきくと、赤坂は僕の腕を軽くこづいた。

「でもね、どうなんだろ。興信所の調べって絶対にまちがってないのかな。土田さんが嘘をついてるとは言わないけど、ほんとにそんなことがあったんだったら、那由多が立ち聞きしたときに家族の会話に出ない?」
「そういえば、僕はけっこう長いこと聞いてたけど……」

 まったく、そんな話にはならなかった。

「公然の事実だからなのかな……でないと姉が否定しなかったってのがおかしくないか?」
「そんな調査なんかするばあさんがいて、調査を鵜呑みにして婚約破棄しようって言うような男とは、こっちから別れてやるよっ、だったとも考えられるよ」
「なーるほど」

 だから姉は、両親にも理由を告げなかったと。

「僕は赤坂説を支持したいな」
「姉さんに質問してみないの?」
「いつかはするかもしれないけど、どっちでもいいよ。赤坂が僕を元気づけてくれたんだ。うん、そんならつきあおうよ」
「いいよ」

 あれぇ? つきあおうと言い出したのは赤坂だったはずなのに、僕が告白したみたいになってないか? まぁ、それもどっちでもいいけどね。気持ちが晴れた僕のおでこをつついて、赤坂が笑った。那由多ってシスコンだね、と。

次は「じょう」です。







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大人の事情ねえ。。。
子どものときの方が分かりやすくてシンプルでしたけどね。
大人はややこしい。。。
・・・と考えるときの方が多くなりましたね。

好きや嫌いだけで生活が成り立つなら楽でいいのですけどね。

LandMさんへ

いつもありがとうございます。

シンブルで生きやすくてわかりやすかったのは、私の場合は田舎にいた四歳のころくらいまでかなぁ。
徐々に人生が暗くなっていって、小学生になると不眠症になりました。
寝つきが悪くて眠りが浅いまま、大人になりました。

好きや嫌いだけで人生がなりたつ。
なりたたないから大人はややこしい、という意味でしょうかね?
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