ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「う」part2

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フォレストシンガーズいろは物語2

いろはの「う」

「海は広いな大きいな」

 空気に春の匂いがまじるようになってきた三月半ば、十七歳の岸野壮は、十六歳の五十嵐あかりに言ってくれた。大山高校の卒業式、一年生と二年生の吹奏楽部員が卒業生たちを送り出すための、演奏をすませたあとだった。

「僕も五十嵐さんを……ありがとう。つきあってくれますか」

 これだけのセンテンスの言葉を向けられるのははじめてで、妙に感動してしまった。岸野さんの声は本当にかなり低くて、それでいて細くてぼそっとしていた。

 吹奏楽部キャプテン、山本さんの仲立ちもあってつきあうようになった私たちは、大学生になってからも社会人になってからも交際を続け、二十代半ばで結婚した。壮は会社員、私は介護士、子どもはできなかったので、二十代のころとさして変わらぬ日々を送っていた。

「高校のころからつきあってるのね」
「ええ、そうなんです」
「初彼と結婚したの? それもいいかもね。私なんかは短大のころまでは彼が途切れなかったけど、こんな仕事に就いてからは男に敬遠されるようになっちゃったよ」

 三十歳になったばかりの私に、老人介護センターの先輩である女性が言っていた。彼女は私よりも七、八歳年上だった。

「私は美人だって言われるんだけど、仕事は地味じゃない? 収入もいいとはいえないよね。若いときだったらこの美貌でエリートと結婚できたのかもしれないけど、もう駄目だ。近頃の男は妻にも学歴や収入を求めるものね。この間紹介してもらった男なんか、三高女性でないといやだって言ってたよ」
「冗談でもなく?」
「マジだったよ、あれは」

 その昔、女性は高身長、高学歴、高収入の男性を求めた。さらに昔はカーつきババぬき昼寝つき、なんていう主婦の理想像もあったらしい。現代は男性が三高妻を望むのだそうだ。

「その点、岸野さんは私なんかよりも美人度は劣るし、大卒だから私よりは学歴は上とはいえ、全体的には私よりも落ちるのに結婚してるんだもんね。私も短大のときに、卒業したら就職なんかしないで結婚してくれ、って言った男と結婚しておけばよかった」

 でも、岸野さんには子どもはいないんだっけ、となぜか嬉しそうに言っていた彼女は退職して、会うこともなくなった。あのころも現在も、夫のいるコーラスグループはまったく売れていないので、そこのところは彼女には告げもしなかったのだが。

 壮と私の結婚式で発表された、山本さんがリーダーで壮がベースマンである「リバプルズ」の結成。山本さんのコネでリバプルズはやがてプロとしてデビューし、最初は大人の男性の歌で売り出そうとしたのだが、まるで売れずに路線変更を余儀なくされた。

「もっと海らしい海を見にいこうか」
「そうだね。ここは都会の海って感じだもの」

 昨日は神戸で子どもの歌のコンサートがあった。打ち上げをすませて神戸に泊まった翌朝、壮と私は電車で西へと向かう。

「フォレストシンガーズのみなさんだったら、こんな電車には乗れないんだろうか」
「そりゃそうでしょ。騒がれるよ」
「だけど……」

 知り合いの子どもの付き添いで来たからと、フォレストシンガーズの三沢幸生さんがリバプルズの楽屋に顔を出してくれた。彼はどうやって帰ったのだろう。

「新幹線のグリーン車だろうね」
「壮は乗ったことある?」
「グリーン車なんかないよ」
「私もないな」

 車窓に海が広がる。関西弁の乗客たちは異世界のひとのようで、壮と私はふたりだけの殻に閉じこもっているみたい。

「……三沢さんが……」
「ん?」
「ううん、いいの」

 フォレストシンガーズの話題を出すと相客たちの耳に入るから、私が途中でやめたと壮は思ったかもしれない。そうではなくて、訊いていいのかどうかも、どう訊けばいいのかもわからなかったからだ。

 リバプルズのデビュー曲を作ってくれた高名な作曲家が、数年前に逝去した。コシロヒロオというその方を偲んでトリビュートアルバムを出すことになり、なんと、フォレストシンガーズとリバプルズがコラボすると決まった。フォレストシンガーズに憧れていた山本さんも壮も、小石川、谷崎両名も大喜びしていた。

「フォレストシンガーズってのは大学の合唱部の先輩、後輩だろ。いちばん下の木村章って奴がいて、僕らを見下げてるような態度を取る。そいつが暴言を吐いて、山本さんは狼狽してたよ。僕と同じベースマンの本庄さんが、木村を諌めようとしてくれた。そこに乾さんが入ってきて、きみらは山本さんの援護もしないのかって。山本さんは泣きそうになって、仕事で泣くような奴は出ていけ、みたいに言われてさ……情けないってのか」
「山本さんが?」

 仕事はどうだった? と尋ねた私に、日ごろは無口な壮がぶちまけた鬱憤。あのときから、彼はフォレストシンガーズに忸怩たる想いを抱くようになったはずだ。

「山本さんもだけど、なんにも言えなかった僕もだよ」
「その調子で喋ればよかったのに」
「ん? 今は喋ったな。これだけ喋ったら疲れたよ」
 
 憧れていた同年輩の、似た構成の男性ヴォーカルグループ。彼らとともに仕事ができて光栄だと感じていたのに、実際に会ってみたら見下げられた。壮はそれ以上は言わなかったが、彼の気持ちは察するに余りある。

 売れている者が強い世界だ。キャリアもちがい、知名度もちがいすぎるほどにちがう、フォレストシンガーズとリバプルズ。コシロヒロオ氏のトリビュートアルバムはさして売れなかったらしいが、フォレストシンガーズはライヴで五人で歌い、アルバム収録曲よりも素敵、とのファンの評判をインターネットで読んだこともあった。

「ここだったら海だね」
「うん、気持ちいいね」

 電車の中ではいつもと同じに無口だった壮が、海辺に出ると話してくれた。

「あれから一度、本橋さんに会ったんだよ」
「フォレストシンガーズのリーダーの?」
「そう。フォレストシンガーズにも売れない時代はあったそうでね」
「そうだったみたいね」

 ランドセルのCMソング収録のために、リバプルズは録音スタジオにいた。そこにやってきたのが、短い間ともに仕事をした本橋真次郎だった。

「お、リバプルズさん、お久しぶりです」
「覚えていて下さったんですか」
「もちろんですよ」

 山本さんが誘ったというよりもお願いして、山本、岸野、本橋の三人でお酒を飲みにいった。

「リバプルズさんはもとから子どもの歌を?」
「いえ、売れなくて……」
「ああ、ちがうんだ」

 どうして子どもの歌グループになったのか、の山本さんの説明を、本橋さんは真摯に聞いてくれた。

「そういうこと、あるんですね。ああ、あるんだな。そっかぁ……うん、そうなんだな」
「これが僕らの生きる道、みたいになってますし、ファミリーコンサートみたいのを開いて、親子で楽しんでもらえると嬉しいんですけどね」
「だけど、なにかがちがうって気分はあるんでしょ? もしもそうなら……」

 本当に歌いたい曲を録音し、自主製作でミニアルバムにするって手段もありますよ、ああ、大きなお世話だったかな、と本橋さんは言った。本橋さんが先に帰っていくと、山本さんは壮に言った。

「知ってはいたけど、踏み出せなかったな。本橋さんに背中を押してもらったような気分だよ。どう、岸野?」
「山本さんと僕のふたりでも、できなくはないでしょうね」
「あとのふたりは乗り気にならないか。そんな気もするな」

 晴れ晴れした顔をした山本さんが、やってみるか、と呟いた、と壮は話した。

「壮、そんな話、はじめて聞いたよ」
「どう話したらいいのかわからなくてね……なんて言うんだろ」

 言葉を選ぶかのように、壮は続けた。

「僕はどうも乾、木村ってふたりには悪印象しかないんだな。だから、山本さんに提案してくれたのが本橋さんでよかったと思うよ」
「三沢さんは?」
「あいつはあかりに色目を使ったから嫌いだ」
「色目って……」

 神戸でのコンサートでは、私もフルート伴奏でステージに立った。私を見た三沢さんが、綺麗なひとだな、と言ってくれたのだった。

「本庄さんは同じベースマンだから親しみは感じるんだけど、やっぱり世界がちがいすぎてるよね」
「そうでもなくない?」
「そうかなぁ」

 売れる、売れない、成功、不成功、有名、無名、立場の差が大きく左右する世界だと、私も知ってはいるつもりだけど。

「海は広いな大きいな
 月がのぼるし 日が沈む」

 低い声で壮が歌う。昨日のコンサートでも山本さんがソロを取り、壮はベースコーラスをつけていた曲だ。私もそっと唱和した。

 そうね、海は広い。

 あなたは歌が好き。子どもの歌は不本意なのかもしれないけど、歌えるってことは嬉しいのでしょう? 月がのぼり日が沈み、月が沈み日が昇る。うまくは言えないけど、歌ってすごすあなたのそんな日々には、いつでもかたわらに私がいるから。

 あかりとふたり、歩いていく人生に歌があれば幸せだって、壮は感じてくれている……はずよね?

END


岸野あかりはここにもいます。

このショートストーリィは「黄色いシャツ」の続編のようなものです。







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~ Comment ~

NoTitle

女性に収入を求めるのはアレだと思いますけどね。。。
男性の立場がなくなるので、あまりそういう人種は・・・いるな。
うん。
まあ、大概の男性はあまりポテンシャルを求めないのが普通です。
求める人は駄目な人なような気がします。
個人的な見解ですけど。
(-_-メ)

LandMさんへ

いつもありがとうございます。

男性に収入を求める女性はアリですか?
今どき、収入の低い層が多くなってますし、エリートはエリート同士で結婚するのだそうですから、庶民はお互いに収入の面でも補い合えたらいちばんいいんですけどね。

ポテンシャルというのはこの場合は?
潜在力、潜在性を意味する物理用語。正式にはそうらしいですが、普通はポテンシャルを高める、みたいに使いますよね?
意欲かな? と漠然と思っていたのですが、潜在能力が正しいのかな? むずかしいですね。
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