番外編

番外編24(F8 LIVE・TOUR STORY・サイドストーリィ「さくら」)

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桜
番外編24

F8 LIVE・TOUR STORY・サイドストーリィ

「さくら」


1

社会人になったばかりのあのころの私は、なにもかもに戸惑っていた。山崎社長は私の父の年頃の太ったおじさんで、事務職の従業員は私ひとり。出入りしている人種は誰も彼もが音楽業界人。税理士さんなどもいるにはいるのだが、私には音楽関係のひとばかりが目についた。
 「オフィス・ヤマザキ」のトップスターは杉内ニーナさん。そこからぐっと落ちてフォレストシンガーズだな、と社長が教えてくれた。ニーナさんはそのころはライヴツアーで東京にはいなくて、まずはフォレストシンガーズに紹介しなくちゃな、と社長が言っていたら、小柄な男性が事務所にやってきたのだった。
「社長っ、大変だ大変だーっ!!」
「なんだよ、三沢。きみはうっかり八兵衛か」
「なんですか、それは。さすが社長、古い」
「古いと言うってことは、きみも知ってるんじゃないか」
 これでしょ? と手裏剣かなにかを投げる仕草をしてみせてから、三沢さんは私に向き直った。
「新しい事務員さん? フォレストシンガーズの三沢幸生でーす。ユキちゃんって呼んでね」
「あ、ご挨拶が遅れました。このたび入社させていただきました、露口玲奈です。よろしくお願いします」
「お行儀いいね。可愛いね。いくつ?」
「二十歳です」
「短大新卒ってところ?」
「そうです」
「社長、趣味いいですねぇ。ちっちゃくって可愛くって初々しくて、社長の趣味って俺と似てるんじゃありませんか。このこの、奥さんに言いつけちゃおっと」
「私は趣味で社員は選ばないよ」
「そうかなぁぁ」
 ちろちろと横目で社長を見ている三沢さんに、社長は言った。
「大変だって言ってたじゃないか。なにが大変なんだ」
「なんだっけ? そうそう、あれは俺の挨拶がわりです。びっくりした?」
「きみが騒いでるのごときでびっくりなんかしないよ。慣れたよ」
「慣れられるとつまらないな。別の手段を考えなくちゃ」
「別の手段なんて考えなくていいから、他の奴らもスタジオにいるんだったら連れてこい。みんなにも彼女を紹介するよ」
「はいはーい。玲奈ちゃん、あとでね」
 三沢さんが走り出ていくと、社長は苦笑いで言った。
「けたたましくも騒々しい奴だろ。あれであいつも見た目そのままでもないんだが、きみにもだんだんわかってくるよ。ただし、三沢は女には手が早いとか言われてる。木村も危ないかもしれないから、妙な真似をされそうになったら、本橋なり乾なり、山田なりに告げ口しなさい」
「社長じゃなくてですか?」
「私は三沢には……あれはお手上げなんだよ」
「どんなふうに?」
「それもじきにわかるさ」
 フォレストシンガーズのマネージャー、山田美江子さんには先に紹介してもらっていたのだが、メンバー五人とはあの日が初対面だった。間もなく五人がそろって事務所にあらわれ、彼らは新米事務員に丁寧な自己紹介をしてくれた。
「幸生は挨拶したんだよね。では、年下の俺から。木村章です。もとロッカー、ただいまはハイトーンテナーヴォーカリスト。この声が歌うとさらに高くなるんだよ。背は低いけど声は高いのが俺。覚えやすいでしょ」
「本庄繁之です。はじめまして。俺は生まれたときからベースマン。子供のころから声は低かったんだ。ガキのころにはここまでじゃなかったはずだけど、高い声をしていた記憶はないんだから、生まれついてのベースマンなんだね」
「俺たちは歌が職業なんだから、声で自己紹介か。乾隆也です。俺の声は話してるとハイトーンでもないんだろうけど、歌うとかなり高くなるんだよ。玲奈さん、よろしく」
「俺の声は歌ってても喋っててもこんな感じだな。バリトン担当で、フォレストシンガーズのリーダーを仰せつかっております、本橋真次郎です。幸生、おまえは挨拶はすんでるんだろ」
「いえいえ、改めまして、三沢幸生です。僕ちゃんの声も喋ってても高いけど、歌うとこんなの。玲奈ちゃんに俺たちの歌を生で聴いてもらいましょうよ。リーダー、歌いましょう」
「おう、歌おうか」
 歌ってくれたのは、「My girl」だった。私だって歌は好きなのだから、だからこそ音楽事務所に就職したのだから、昔の歌も知っている。フォレストシンガーズの歌もCDでなら聴いたことはある。私のために歌ってくれるフォレストシンガーズの一曲ライヴは、感動的に素晴らしかった。
 あの年のフォレストシンガーズはデビューしてから五年目だったか。秋には本庄さんが結婚して、そのあとで燦劇がデビューした。
「本名は勘弁してね。俺はパール。ヴォーカルがサファイア、通称ファイ。ギターはエメラルド、通称エミー。ドラムがルビー。ベースはトパーズ、通称トビー。宝石がコンセプトで、ルックスも宝石みたいにきらきらの燦劇です。せーの」
 パールが全員を紹介してくれて、五人はそろって、よろしくーっ、と私に頭を下げてくれた。フォレストシンガーズは年少の木村さんと三沢さんが私より六つ年上なので世代がひとつ上だが、燦劇は私とほぼ同じ年頃の派手派手な男の子たちだった。
 はじめてフォレストシンガーズのうちの誰かの住まいに招いてもらったのは、本庄さんの新婚家庭だった。クリスマスイヴイヴにパーティをやるということで、私も山田さんに誘われて連れていってもらった。本庄さんってクマさんみたいだと思っていたから、本庄さんに似たテディベアを作ってプレゼントに持っていった。
「シゲちゃんそっくり」
 奥さんの恭子さんは大喜びしてテディベアを抱きしめてくれて、本庄さんは照れて笑っていたのだが、年が明けたある日、本庄さんが私に言った。
「この間、恭子とちょっと……それでさ、俺、玲奈ちゃんがくれたクマをぶん投げたんだよ」
「喧嘩ですか」
「そんなとこだな。そいつが風呂場に飛び込んで、びしょ濡れになっちまった。ぬいぐるみなんだからどうしようもなくて、ごめん。玲奈ちゃんが丹精込めて作って恭子に贈ってくれたってのに、俺はどうしたらいいんだろ。ごめん、本当にごめん」
「いいですよ。また作りますから」
「俺ってまったく……ものに当たるなんて最低だよな。反省してるよ。あ、乾さん」
「なんだって? なにに当たったって?」
 こういうわけで、と本庄さんは乾さんにも話し、乾さんは怖い顔になった。
「玲奈ちゃん、シゲを許してやってくれる?」
「許すってほどでも……」
「心を込めて作った人形だとか、動物だとかの生き物の形をしたものには、そのひとの魂が宿るんだ。いわば玲奈ちゃんの生き写しっていうのかな。あのテディベアはそういった存在になっていたんだぞ。恭子さんがいとおしんでもいたんだろ」
「はい、恭子はたいへんに可愛がっていました」
「恭子さんは怒らなかったのか」
「やっちゃったものは仕方ないって……」
「できた奥さんだね。シゲ、ちょっと来い」
「はい」
「あ……乾さん、そんなに……」
 いいからいいから、と乾さんは本庄さんを連れていってしまい、私はそわそわしていた。そわそわのあまりスタジオに行ってみると、本橋さんに会った。
「本庄さんと乾さん、なにかしてませんでした?」
「シゲが乾に説教されてたぞ。シゲはひたすらうなだれて、すみません、反省してます、二度としません、って繰り返してた。玲奈ちゃんがらみなのか」
「クマさんです。テディベアをね……」
 もう一度私も話すと、本橋さんは苦笑した。
「夫婦喧嘩で当たられたクマも気の毒だけど、乾らしい説教だな。シゲもシゲらしい態度だったよ。シゲは口答えもしないし、本気で反省してるんだから、説教もじきにおさまるだろ。玲奈ちゃん、恭子さんに新しいのを作ってやってくれるか。材料費は出すよ」
「そんなのいりません。じゃあ、恭子さんのお誕生日にでもプレゼントします」
「ありがとう。頼んだよ」
 そこに三沢さんと木村さんの声も聞こえてきた。
「幸生、シゲさんが乾さんに怒られてるって、なにがあったんだろ」
「さあ。シゲさんが浮気でもしたとか?」
「まっさか」
「まさかとおまえに言い切れるのか? シゲさんだって俗人なんだから、ついふらふらと魅力的な女の子に吸い寄せられて……ありゃ? まさか相手は玲奈ちゃん?」
「幸生、てめえな、言っていいことと悪いことがあるって、いつになったらわきまえがつくんだ。乾がシゲを叱りつけるったってああなんだろうけど、俺とおまえだとああは行かないと知ってるよな。来い」
「きゃああっ、ごめんなさーいっ!! ぶったらいやーんっ!! 玲奈ちゃんもごめんなさーい。嘘ですからねーっ!!」
「当たり前だろ。軽薄馬鹿」
 木村さんは吐き捨て、三沢さんは走って逃げていき、私はとりあえず安心した。きみにもじきに彼らのひととなりがわかってくるさ、と社長が言った通り、すこしずつ、フォレストシンガーズや燦劇のみんなの個性が見えてくるようになった。
「ファイ、元気ないね。どうしたの?」
 年齢の近い彼らには、タメ口で話せる。問いかけたら、ファイが応じた。
「ふられたんだよ」
「ふられたの? ファイってすっごくもてそうなのに、ふられたりするんだ」
「するさ。こうなりゃ自棄だよ。玲奈ちゃん、デートして」
「自棄でデートなんてやだよっだ」
「自棄なんて言ったら悪いな。玲奈ちゃん、俺とデートしましょ」
「考えておくわ。なんてね、ファンの方に恨まれるから遠慮します」
「ファンなんかどうでもいいんだよ。あの子たちはファンであって、デートしたりする女の子じゃないんだ。ロッカーの女は変なのばっかりだし、玲奈ちゃんとだと気が安まる。いっそ俺とつきあおうよ」
「私が燦劇のファイとつきあってるなんて、スクープでもされたら大変だもの。やめたほうがいいよ」
「俺らはステージではメイクしてるから、素顔だと正体は知られないんだよ。だから大丈夫。俺んち行こう。玲奈ちゃん、愛してるから」
 いったい何人の女に「愛してる」って言ったのやら。私はファイとのそんなやりとりを楽しんでいる部分もなくもなかったのだが、しつこいので言った。
「ファイったら、私を襲おうとしてるの?」
「襲わないよ。なにも玲奈ちゃん襲わなくても不自由はしてないっての。俺に口説いてもらってるんだからありがたく思えよな」
「ありがとう。もういいからね」
「おまえって案外遊んでる? なあなあ、そう? そんならいいじゃん」
 そのとき、うまい具合に乾さんが事務所にやってきて、ファイの襟髪をうしろからぐいっとつかんだ。
「なんてことを言ってるんだ、おまえは」
「うわわ……ジョークだよぉ」
「玲奈ちゃん、ごめんね。無作法な若者にはそれなりの対処のしようってものがあるんで、失礼」
「乾さん……おまかせします」
「まかせて下さい」
「うわわー、やだよぉ」
 ぎゃあぎゃあ騒いでいるファイを引きずって、乾さんは出ていった。
 本庄さんが乾さんに叱られているとなるとそわそわしてしまったのだが、ファイだったら思い切り叱られたらいいと思う。あれだからロッカーなんてのはどうにもこうにも。いっそその綺麗な顔をひっぱたいてもらったらいいのよ、と考えつつも、仕事に戻ったらファイは忘れた。
「ファイは乾さんには形無しなんだよ。最初の出会いでがつんとやられたもんで、怖がってるんだな。あいつは俺たちの間では態度が大きいんで、乾さんに言いつけるぞってのが流行ってるんだ」
 それきり忘れてしまっていたファイとの一件を、あとからエミーが話してくれた。
「私も今度からそうする。エミーも乾さんは怖いの?」
「俺は怖くはないけど、木村さんまで怖がってるみたいだぜ。乾さんってぱっと見は優しそうなのに、あれでああだからな」
「ああって?」
「いいのいいの。男同士の話だから。でな、この間はあのでっかいファイが、ファイよりは小さい乾さんに事務所の外に引きずり出されてきたのを、俺は見てた。ぽいっと放り出されて、この次玲奈ちゃんに無礼な口をきいたら……いいな? って脅迫されて、ファイはもがもが言ってたよ。反抗もできないんでやんの。乾さんはそれだけで行っちゃって、ファイが見てた俺につっかかってきて、取っ組み合いになったんだ。乾さんは振り向いて俺たちを見て、元気でいいねぇ、って笑って立ち去った」
「木村さんと三沢さんもたまに取っ組み合いしてるよね。ファイとエミーもなの?」
「あれは男同士の娯楽だからさ」
「変な娯楽」
 部外者の私には細かい部分は見えるわけもないけれど、そうして時おりふたつのグループと触れ合ってきて、そして三年、今年は両方が全国ライヴツアーに出た。
 燦劇はビジュアルロックバンドなのだから、若い子たちの人気がものすごい。売り出したチケットも即刻ソールドアウトで、社長はほくほくしていた。ヴォーカルグループのフォレストシンガーズのほうは、ソールドアウトとまでは行かない会場もあったのだが、それでも社長は満足顔をしていた。
「なあ、玲奈、私が手塩にかけて育てたグループだけあって、フォレストシンガーズは大きくなりつつあるだろ。燦劇はデビュー前から人気があったんだけど、プロになってからこそが勝負だよ。私の手腕もちっとはあったと、自負してもいいだろ」
「もちろんです。社長、えらい!!」
 拍手してあげると、社長は大きなおなかをそらしてそっくり返った。
 金儲け第一主義のくせに、と陰口をきかれていたりもするのは、社長も先刻ご承知なのだろう。私もはじめのうちは、社長って強欲なのかと思わなくなかったが、彼だって人知れぬ苦労を積み重ねてきたのだと今では知っている。音楽事務所に就職してからの三年間には、私にもさまざまな経験があった。
フォレストシンガーズの五人と山田さんは、同じ大学の同じ合唱部の出身なのだそうだ。木村さんは一年間で中退してロッカーになっていたのだそうだが、三沢さんと木村さんが同い年。本庄さんがひとつ年上。乾さんと本橋さんと山田さんがさらにひとつ年上だと聞いた。
 コンテストで山崎社長に認められ、メジャーデビューした彼らの大学の合唱部には、他にもプロシンガーになっている男性がいる。なぜだか女性にはいないようだが、金子将一、徳永渉というプロの歌手も、事務所は別々とはいえ、フォレストシンガーズの学生時代からの仲間だったのだそうだ。
 プロとなったのは本橋さんたちより後だが、本橋さんの二年先輩に当たるという金子さんとも、その二年後にプロになった、本橋さんたちと同年の徳永さんにも紹介してもらった。ニーナさんも金子さんや徳永さんを知っていて、こう言っていた。
「正直言って、フォレストシンガーズはルックスはそれほどでもないわよね。彼らは歌の実力はきわめて優秀なんだから、ルックスはどうでもいいんだろうけど、歌の実力では伯仲していて、ルックスは格段上の金子さんと徳永さんじゃ、フォレストシンガーズは負けるかもしれないんじゃない? 金子さんはすでに彼らに知名度では勝ってるし、彼には円熟味すら感じられる。徳永さんも時間の問題だわね。かっこいいよねぇ、ふたりとも」
「はい。かっこいいです」
「私はこの年だし、彼もいるんだから今さら遅いんだけど、玲奈ちゃんは誰が好み?」
「好みだなんて言えません。みなさん素敵ですから」
「模範解答? 燦劇はどうなの?」
「子供ですね」
「玲奈ちゃんは大人の男性がいいの? 年上好み? 金子さんだったらいいんじゃない」
「私がよくてもあちらさまが……」
「そうねぇ。金子さんってね……うん、たぶんそうよ。乾くんがちらっと……おっとっと、よけいなことは言わないでおこうっと」
「ニーナさん、なんですか」
「いいのよ。若い娘さんには知らないほうがいいってこともあるの」
 するとつまり、金子さんとは若い女には刺激が強すぎる男なのか。そうかもしれないな、と私も漠然と感じていた。
 大きな大学なのだから、卒業生の数は莫大なのだそうで、フォレストシンガーズの出身校からは音楽業界に何人もの人が進んでいる。そのひとり、ラジオDJの酒巻國友さんにも紹介してもらった。酒巻さんとはフォレストシンガーズの千葉ライヴのときにも会った。
「僕は今回のライヴリポートをするんですよ」
 声は低くて本庄さんに似ている。背も低くて三沢さんや木村さんに似ている。一般的に背が高い人間は声が低いんだよ、と乾さんが教えてくれたが、酒巻さんはそこにはあてはまらない。例外はなににでもある、とも乾さんが言っていたので、彼はその例外なのだろう。
「玲奈さんはライヴは今日が初ですか」
「以前のライヴだったら時々は聴きましたけど、今回のライヴツアーでは今日がはじめてです。酒巻さんとゆっくりお話しするのもはじめてですよね」
「お時間がおありでしたら、お茶しましょうか」
「嬉しいな。でも、酒巻さんはお時間はいいんですか」
「すこしなら。僕、お昼を食べてないんで、おなかがすいちゃってるんですよ。失礼して食べさせていただきます」
 彼は三沢さんよりひとつ年下。私よりは五つ年上だ。ファイやエミーにだったら丁寧には話さないのだが、私には丁寧語で話してくれる。「僕」と自称し、メシを食うだのといった荒々しい言葉遣いはしないのも、酒巻さんの特徴だ。あの乾さんでもメシメシって言ってるのに、酒巻さんは根っから礼儀正しいひとなのであるらしい。
「おなかがすいてるのに、サンドイッチで足りるんですか。前にフォレストシンガーズのみなさんにランチをおごってもらったときは、私、びっくりしましたよ。乾さんや木村さんや三沢さんはお店のランチ一人前だったけど、本橋さんはそれにプラスハンバーガーで、本庄さんはから揚げも注文してました」
「シゲさんといっしょにはなりませんよ。僕は胃が弱いんです。食べ過ぎるとかえって痩せますから」
「食べ過ぎて痩せるなんてうらやましい」
「玲奈さんは細いじゃありませんか。もっと痩せたいんですか」
「痩せたくはないけど、太りたくもないな」
「僕は太りたくも痩せたくもないけど、背が高くなりたい。背が高くなって筋肉をつけたい」
「乾さんも言ってました。筋肉がほしいって」
「贅沢な。なにをほざいてやがんだよっ!」
「は?」
 いえいえ、失礼、とこほっと咳をする。酒巻さんも乱暴な言葉遣いはできないのでもないようだ。
「なにをおっしゃってるんでしょうね、乾さんは。あれだけ背丈があったら十分じゃありませんか。乾さんは細いけど、ほっそり長身の男が好きって女性は大勢いますよ。玲奈さんの男性の好みは?」
「好みを言えるほど贅沢ではありませんから」
「ほんとは背が高いほうがいいんでしょ」
「私は小さいから、私よりも高いひとだったらいいです」
「僕も玲奈さんよりは高いかな。玲奈さんよりは体重もありますし、筋肉もありそうですけど、そっかぁ。世の中の女性に縮み薬をふりかけたらいいんだな。発明してくれないだろうか」
「酒巻さん、どうかしました?」
「どうもしません。繰言です。僕はいくつに見えます?」
 二十八歳だと知ってるけど、知らなかったら私と同い年くらいに見える。女性にだったらそう言ったらお世辞になるのかもしれないが、男性には言ってはいけないのだろうか。ためらっていると、酒巻さんは吐息をついた。
「僕は玲奈さんより五つも年上なのに、他人が見ると姉と弟だったりして……」
「そうは見えませんよ。恋人同士に見えるかも」
「優しいですね、玲奈さんは。あ、駄目だ。涙腺が……」
「酒巻さん?」
「ごめんなさい。優しくしてもらうと……だから駄目なんだよ、僕は。女のひとに優しくしてもらうとこうなって、男の先輩に怒られるとああなって、どっちもどっちも……こんなんじゃいつまでたっても……ごめんなさい。食べます」
「はい、どうぞ」
 なにかあったのかなぁ、だけど、私が詮索するのも変だし、となって困っていると、サンドイッチをかじりながらの酒巻さんは弱々しく微笑んだ。
「玲奈さんは小笠原さんって知ってます? 小笠原のヒデさん」
「聞いたことはあるみたいな名前ですけど」
「その程度ですか。そしたらいいんです。ごめんなさい」
「ごめんなさいばっかり。無闇にあやまってばかりってよくないんじゃありませんか」
「おまえは気が弱すぎて、気が優しすぎていい奴すぎて、そんなんで世の荒波を渡っていけるか、ってね、ついこの間も金子さんに叱られて、びしーっと……」
「叩かれた?」
「はい。あれしきは金子さんにしたら殴ったうちには入らないんだそうですが、僕としては殴られたうちに入るんです。父にも母にも殴られずに育ち、優しい姉にもただ優しくされて育った僕は、東京に出てきて合唱部に入ってから、こんな奴だからこそ、いくたびか男の先輩に叱られて怒鳴られて殴られて、ヒデさんにも金子さんにも乾さんにも……本橋さんにも……それでもたいして鍛えられもせず……あ、ごめんなさい、またまた繰言を」
「あやまらないで」
「あ、ああ、すみません」
「ごめんなさいもすみませんも同じでしょうが」
「玲奈さんも優しいばかりじゃないんですね。叱られると身が引き締まりますよ。ありがとう」
「酒巻さんってマゾっ気あります?」
「とんでもない」
 真顔で否定してから、ないよな、ないないない、と酒巻さんはもう一度首を振った。


2

 所属事務所の事務員といった立場は案外、彼らのライヴを聴きにいきづらい。社長が千葉に行かせてくれたものの、他の地方のステージには行けなくて不満だった。今日はとうとう最終日の浜松。今日を逃したらしばらく行けないではないか。私は社長に直訴した。
「社長、早退したらいけませんか。浜松に行きたいんです」
「今から行ってもライヴには間に合わないだろ」
「打ち上げ会場にお邪魔するだけでも、行かせて下さい」
「遅くなりそうだけど、しようがないな。気をつけて行ってきなさい」
「ありがとうございます」
 やっとお許しが出て東京駅に駆けつけたのだが、新幹線の時間がうまく合わなくて、浜松にたどりついたのは遅い時刻だった。ライヴはとっくに終了している。打ち上げ会場は外から窺っても大盛り上がりの様相で、入っていけない。私はおもてに立ってレストランを見上げていた。
「もっと早く早退させてくれたらよかったのに。社長のケチ。意地悪」
「玲奈ちゃんは一人前の社会人なんだから、仕事が優先だよ」
「……乾さん?」
「酔っ払っちまったから、酔い覚ましに外に出たんだよ。いっしょに入る?」
「いいです。私なんかたかが事務員なんだから、関係ないし」
「関係なくはないよ。そしたら歩こうか」
 シャワーを浴びてから抜け出してきたのか、並んで歩き出した乾さんは石鹸の香りがしていた。
「裏方さんのスタッフさんたちにだってたいそうお世話になったんだよ。玲奈ちゃんもそのひとりだ。感謝してます。ありがとう」
「感謝なんかしていりません。私はスタッフでもなかったし、フォレストシンガーズのファンでもあるのに、せめてもう一度、ライヴが聴きたかった」
「東京でもやるよ」
「それだって行けるかどうかわからない。社長は意地悪なんですもの。フォレストシンガーズのライヴの日にはいつだって残業させるの。横浜だの川崎だのさいたまだのにだったら行けるかもしれないって思ってたのに、玲奈、悪い、これやっといて、って、わざと私をライヴに行かせないようにしてる」
「玲奈ちゃん、ちっちゃい子みたいな駄々をこねるんじゃないよ」
「駄々じゃないもん。事務所なんてやめちゃおうかな。そしたら、好きな日にライヴに行ける。社長に邪魔されないし」
「本心だったら止めないけどね」
「乾さんも意地悪なんですね。そりゃあね、私なんかいてもいなくても関係ないんでしょうけど」
「困った子だね。玲奈ちゃん。すわろうか」
 歩いていたら小さな公園に入っていて、乾さんは私にベンチを示した。
「私は帰りますから、すわらないもん」
「まったく、子供みたいに」
「子供だもん。私は乾さんより八つも年下の子供ですから」
「そう言われると俺もおじさんに近づいてきたのかなって、しみじみしますなぁ。八つも下だったか」
「知らなかったんですね。どうせ私なんかそんなもので……」
「私なんかって言うのはやめなさい。すわりなさい」
 いやです、とそっぽを向くと、耳元で言われた。
「玲奈ちゃんは子供なんだったね。八つも下だってのは知ってるよ。三年前に二十歳だった玲奈ちゃんはよく覚えてる。二十三か。まさしく子供だな。その態度は子供以外のなにものでもない。すわらないんだったら俺にも考えはあるよ。女の子を腕ずくでってのは俺の主義には反するんだけど、この際しようがないな。すわらないつもり?」
「ずるい」
「ずるくてもいいんだよ。すわれ」
 荒々しい響きのある声で命令されて、私はベンチにすわった。乾さんもとなりにすわった。
「ずるいずるい」
「すわらないと落ち着いて話せないだろ。寒くないよね。あのね、玲奈ちゃん、きみとはじめて出会ってから三年。その間に俺たちはほんのすこし、ビッグとまでは行かないまでも、ミドルくらいには近づいてきてるでしょ」
「ビッグまではまだかな」
「自覚はしてますよ。それでも、スモールからは脱してきてるんだ。誰のおかげ?」
「努力」
「俺たち自身の? それもしてこなかったとは言わないけど、それだけで売れる世界じゃないんだよ。俺だって社長の悪口は言うけど、知ってるよ。社長が俺たちを見出してくれて、売れなくても見捨てずに面倒を見てくれて、どれだけ心を尽くしてくれたか。うちのみんなはよくよく知ってる。その社長の手助けをしてくれたのは玲奈ちゃんじゃないか」
「私なんかなんにもしてません」
「なにもしてなくはないんだよ。自分では言えないのかもしれないけど、玲奈ちゃんのおかげも多々あるんだよ。玲奈ちゃんが次のステップに向かおうとして事務所をやめるんだとしたら、俺には止める権利なんてないけど、そうじゃないんだったらこれからも力を貸して」
「……私なんか……」
 困ったように微笑んで、乾さんは私のおでこをつついた。
「俺たちのファンでもいてくれるんだよね。その上に俺たちの仲間でもある。そんな玲奈ちゃんがいなくなってしまったら寂しくて耐えられないよ。やめるなんて言わないね?」
「だって、ライヴに行きたいもん。フォレストシンガーズのライヴには全部行きたい。そんなときには残業拒否していいですか」
「そうは行かないでしょ。仕事は仕事なんだから」
「乾さんから社長に言って下さい。あんまりこき使うとやめちゃうから」
「俺はそういうのは好きじゃないよ。仕事は仕事だ。きちんとやりなさい。やめるってのを脅迫の手段に使うのも嫌いだよ」
「そういうことを言う乾さんも嫌いです」
「きみも引かない子だね。頑固者」
「乾さんには負けますから」
「……俺が負けるんだよ。金子さんだったら……うん、俺は金子さんじゃないんだし、妹もいないし、駄々っ子だった章を扱うようにはいかないか」
「木村さんって駄々っ子だったんですか」
 身近で仕事をするようになる以前のフォレストシンガーズには、私はさして関心を持っていなかった。昔の彼らは知らない。
「ある意味、そうだったな。反抗的なくせに弱気でさ、だから反抗もピントがずれてたってのか、筋が通ってなかったってのか、俺も若かったから章には苛立って、声を荒げたりもしたよ。悔しかったらかかってこい、この馬鹿野郎、って怒鳴りつけたりもした。今となっては赤面ものだね。たったふたつ年上の若造がさ」
「乾さんが……その木村さんと私を同じに扱う? やだやだ」
「女の子には言わないよ。馬鹿野郎、かかってこいなんて」
「かかっていったらどうします?」
「玲奈ちゃんが俺に? さて、どうしましょうか」
 のほほんと笑っている乾さんを見ていると、胸のうちがもやっとしてきた。
「こうやって?」
「おいおい、実践しなくていいよ」
 振り上げた手をつかまれて、そのまんま、私は乾さんの胸に倒れ込んだ。
「おいたはいけないよ。きみはちっちゃな女の子じゃないんだから。俺だって聖人君子じゃないんだから。俺は並みの欲望を持つ並みの男だよ。あのホテルが俺たちの今夜の宿舎。一夜限りの恋のゲームでいいんだったら、このまま抱いてさらっていくよ。いいの?」
「脅迫ですよね」
「そうかな。ためしてみようか。玲奈ちゃんにそういった経験があるのかどうかは知らないけど、二十三歳の女性を軽く扱おうとすると逆襲されて、こっちが食われるって恐れもあるんだよね。抱かれたいの?」
「そんな冷酷な声で言われたって、そういうムードにならないし」
「ムードを高めさせていただきましょうか。くちびるから?」
「週刊誌にスキャンダルを売り込みますよ」
「お、言うね。それから?」
「それからって……もうないし。私は乾さんの口になんか勝てません。離してよ」
「離れてごらん」
 もやっがむかっに変わったので、隙を見て手を上げたら首のあたりにモロに当たった。
「う……いてっ。小さいくせに力が強いね。玲奈ちゃんはどうする? 新幹線の最終には間に合うかな」
「間に合わなかったら、乾さんの部屋に泊めてくれるんですか」
 立ち上がった乾さんに唐突に抱き上げられて、無言で歩いていく乾さんの腕の中で、私は固まっていた。
「あ、あの、私、一夜のゲームなんていやなんだけど」
「今さら無理だ。俺はその気になったよ。確認してみる?」
「確認? けっこうです。降ろして」
「いやだ」
「乾さん……そんなのって……私は乾さんは好きだけど、そういう好きじゃないから……そうじゃないから……好きでもないのにこんなのいやだから」
「いたずらっ子の玲奈ちゃん、めっ、だよ」
「乾さんこそ……めっ、ですよ」
 大きな口を開けて笑ってから、乾さんは私を地面に降ろした。
「ごめん、ジョークがすぎた。俺もファイと似たようなもんだな。玲奈ちゃんは充分に俺の口と張り合ってたよ。一年に一度くらいはこうやってきわどい勝負をしようか」
「したくない」
「で、真面目な話。今夜はどうするの?」
「ここからわりあい近くに、親戚があるんです。泊めてもらうって約束してあるから、行きます。タクシーに乗ったらすぐですから」
「用意周到なんじゃないか。だったら安心だね」
「明日は休みをもらってますから、明後日には社長に告げ口しようっと」
「なにを? いいよ、どうぞ」
 正直に洗いざらい言ったら、叱られるのは私だろうからやめておこう。乾さんは表通りまで私を送ってくれて、タクシーを止めてくれた。休暇が明けたらまたよろしくね、と言い残して、乾さんは背を向けた。私、乾さんを叩いちゃったんだ。うわっ、ごめんなさい、今さらながら、私は乾さんの背中に向かって小声であやまったのだった。
「ライヴには間に合いませんでしたから、親戚の家に泊めてもらっただけでした」
「そうか。残念だったな」
 翌々日には出勤して、東京のライヴには行かせて下さいね、と社長と指切りまでして、仕事に励んでいるうちにフォレストシンガーズの休暇が終わった。
「おはよう、玲奈ちゃん、社長は?」
「今朝は遅くなるって……本橋さん、その頭……」
「海坊主とでも言いたいのか」
 なんとなんと、本橋さんったら丸刈り頭。頭が小さくなると背が高く見える。もともと長身の本橋さんがいっそう大きく見えて、私は本橋さんの青い頭に見とれていた。
「本橋さん、すわってみて下さい」
「こうか」
「……そうしないと私には本橋さんの頭のてっぺんが見えない。ジャリッパゲとかはないみたいだから、綺麗な丸刈りですね」
「ハゲはねえんだよ。玲奈ちゃん、社長に言っておいてくれ。本橋はイメージチェンジのためにスキンヘッドにしました。見たかったらスタジオに来て下さい。頼んだよ」
「はい。言っておきます」
 本橋さんは出ていき、お昼近くになって事務所に出勤してきた社長に報告すると、社長は眉をしかめた。
「本橋のスキンヘッドか。別に問題はないんだろうけど、男が頭を丸めるってのはわけありだぞ。女が頭を丸めるのは尼になるためだよな」
「そうでもないんじゃありませんか。女だって美貌を誇るひとがおしゃれのためにスキンヘッドにするのは、たまにはありますよ」
「うん、それはそれで似合ってたら色気があっていいかもしれない。本橋では色気はないわな」
「セクシーでなくもなかったですけど」
「本橋のどこがセクシーだよ。あいつが坊主になったらやーさんふうになるだろ」
「そうとも言えます」
「見てこようか」
 どうも好奇心であるようで、社長はスタジオに行き、長い時間戻ってこなかった。戻ってきてから社長は言った。
「まあな、あいつらは会社員でも営業マンでもないんだから、丸刈りだって五分刈りだって虎刈りだってモヒカンだってアフロだっていいんだし、話題性もあっていいのかもしれないよ。やっちまったもんは戻せないんだから、いいったらいいんだよ。本橋はイメージチェンジだとか心機一転だとか言ってたが、乾が言った。社長に断りを入れるべきでしたか、だとさ。いいんだけどな、釈然としないな。なんなんだろ、あれは」
「理由がないとスキンヘッドにしたらいけないんですか」
「いけなくはないよ」
「私もモヒカンとか、していいですか」
「やめなさい」
「私は駄目なんですか」
「どうしてもしたいんだったらしてもいいけど、玲奈は……いや、似合うかもな。やれよ」
「いやです。髪は女の命ですから」
「やれと言ったらいやだと言う。どっちでもいいよ」
 もちろん、乾さんにからかわれたというか、脅されたというか、そのようなことは言わない。だけど、私を子供扱いしないひとと恋がしたいな、とは思う。
 仕事にはまあまあ慣れてきた。社長ともけっこうやり合えるようになっている。そろそろ恋愛どき? 短大のころに彼氏はいたけど、子供っぽい恋だったのだから、大人の恋がしたいな。誰かいないかな。そのようなことをもやもやと考えている私のむかいの席で、社長は本橋さんのスキンヘッドについてなのか、むずかしい顔をして考え込んでいた。


あんな話は乾さんも誰にもしなかったのだろうか。だーれもなんにも言わないってことは、だーれもなんにも知らないのだろう。
 もったいなかったとは言わないけれど、時間がたって思い出すと、むかついてくる。乾さんにむかつくのではなく、私自身にだ。なんだってあんな反応しかできなかったの、玲奈? なんだか思い切りバッカみたいじゃん? なのである。
 もうすこしなんとかしようがあったのではないか、と思ってみても、もうすこしなんとかってどうするの? しかない。過ぎてしまったことを悩んでも意味はないのだが、しばし悩んでいたころに、社長のお使いで燦劇のスタジオに行った。酒巻さんもいっしょで、そのときにエミーから、ずいぶんと重要な打ち明け話をされたのだ。
 燦劇のギターのエミーが、脱退したいと言い出した。仲間たちに話す前に、私に話してくれた。酒巻さんもいる席で、いつになく真面目な顔をして、長い長い話をしてくれた。
「私にはよくはわからないけど、そんならみんなに話さなくちゃね。エミー、応援してるからね、ちゃんと話しておいでよ」
「うん、そうするよ」
 そう言ってエミーは出ていき、私の悩みはそちらに向けられて、乾さんがらみの一件は忘れ果ててしまった。数日の後、事務所で向き合っていた社長が、私の頬をつついて言った。
「玲奈、憂いありげな顔をしてどうした? 好きな男でもできたか」
「そんなのいません」
「紹介してやろうか」
 いつだったか山田さんも、社長ってお節介なんだよね、と言っていた。どうやら山田さんにも男性を紹介していたらしいのだが、どんなひとを紹介したのだろう。私にはどんなひとを? 好奇心は動いたが、自分の彼氏くらい自分で探すもん、と胸のうちで言い返した。
 社長にはエミーの件を話してはいけないだろう。エミーが脱退すれば、燦劇はどうなってしまうのだろうか。ただいまのところ、オフィス・ヤマザキの売れっ子ナンバーワンバンドの燦劇は、解散してしまうのだろうか。
「若い娘がくよくよしてるように見えるのは、恋ではなくて失恋したのか? うん?」
「いいえ」
「その顔は悲しいことがあった顔だよ。私に言ってみなさい」
「なんにもありません。社長、暇なんですか」
「暇なはずないだろうが。うちの社員の玲奈がそんな顔をしているから、気がかりで尋ねてるんだよ。私は忙しいんだぞ」
「知ってます。忙しいんだったら、社長は社長の任務を遂行して下さい」
「……玲奈、おまえ……」
「なんですか」
「誰かと似た顔をする。誰かってのは……」
「誰ですか」
「……山田だよ」
 あんな美人のお姉さんに似ていると言われて、きゃっとなったのだが、社長が似ていると言ったのは、顔ではなくて表情だったらしい。
「まったくな、近頃の女の子はしっかりしてるよ。おまえさんはまだまだ可愛いと思ってたけど、身近にあんなきついのがいるんだ。似てきてもしようがないさ。なあ、玲奈?」
「はい」
「きみにはエプロン姿が似合う、マニキュアなんかしないでくれ、って男に言われたらどうする?」
「マニキュア? ネイルですよね」
「どっちでもいいだろ。同じものだろ」
 このおじさんはなにを言い出すのか、なんなんだ、それは? またまたつまらない悩みを生まれさせるつもりか。
「きみには花嫁衣裳も似合うだろうな。ああ、いっしょになる気もないくせに、ああ、エプロン姿がよく似合う。爪も染めずにいてくれと、女がほろりと来るような……」
「歌ですか。演歌?」
「そうだよ。こう言われたらほろっとするか?」
「ほろっとなんかしません。社長って音楽事務所の社長のくせに、歌が下手」
「悪かったな。しかし……」
 お説教好きのおじさんは、私の顔を見つめて言った。
「エプロン姿が似合うね、マニキュア……ネイルか、そんなもんはしないでくれ、って男に言われてさ、ほろっとしちゃったりするのが可愛い女なんだよ。山田だったらさしずめこうだろうな」
「どう?」
「あんたもおそろいのエプロンつけて、家事をしなさいよ。誰が可愛いの? 可愛いなんて言われて女が嬉しいとでも思ってるの? 馬鹿じゃないの。ネイルをしようとどうしようと、私の自由でしょうが。そんなところまで束縛するのか、あんたは?」
「……社長、山田さんの口真似はわりと上手ですね。声は全然似てませんけど」
「似てるわきゃないだろ。私はオヤジ、山田は……うん、お姉さんだな。声はどうでもいいんだ。私は山田の思想もよく知ってるだろ。山田と長年ともに働いてきて、ああ、ああ、と何度も嘆息しそうになったよ。山田は美人だし、あれで男にはもてるんだそうだ。なのにいつまでも結婚しないのは、根本的に可愛くない女だからだろ。え、そうじゃないのか?」
「社長、どうしてそんなにムキになるんですか」
「心配しとるんだよ、私は。山田がこのまま一生独身で……」
「あのね、社長」
 んん? と見返す社長に、私ならば声だけは社長よりは似ているであろう、山田さんの口真似で言った。
「大きなお世話です。そんな心配している暇があったら、社長はそのおなかを引っ込めるためのダイエットをなさったらいかが?」
「……まったくきみはぁ……わかったよ。私の腹についても大きなお世話だ。ほっといてくれ」
「はーい」
「で、玲奈の思想は?」
「エプロンが似合うからネイルはやめろって、なんだか全然つながってないけど、そう男に言われたら? 古ぅ、かな」
「ああ、そうか」
 なぜだかうなだれて、社長は事務所から出ていった。
 わけのわからないお説教で考えを邪魔されなくなったので、私はひとりになってつくづくと考えた。エミーは自分のやりたいようにやればいい。けれど、燦劇は解散しないでほしい。私はビジュアル系ロックなんて好きではないけれど、燦劇のみんなは好きなのだから、うちの事務所にいてほしい。活躍していてほしい。
 そのためにはどうしたらいいの? 私にはなんにも思いつかないけれど、今は恋どころじゃない。燦劇のみんなの今後を見届けるのが先決だ。私にわかっているのは、今のところそれだけ。なんの役にも立たない事務員に、してあげられることはないのだろうか。
 フォレストシンガーズは解散なんかしないと、私は信じている。デビュー前にはメンバーチェンジがあったそうだが、デビューしてから八年、ずっと同じ五人が、ずっと仲良く歌っている。売れなくても、あの社長にお説教ばかりされていても、めげずに歌い続けてきた。
 それって偉大だよね、と私は思う。もっともっと長く同じメンバーでやってきたグループはいるにはいるが、フォレストシンガーズはそのひとたちと同等に偉大だ。
 燦劇もそうはできないのだろうか。できないのだったらせめて……仕事は上の空であれこれ考えていると、フォレストシンガーズの五人がぞろぞろと事務所に入ってきた。
「社長は留守?」
 三沢さんが尋ね、出かけましたー、と答えてから、私は質問してみた。
「フォレストシンガーズは長年売れなかったけどくじげずにがんばってきたんだ、おまえもしっかりやれよ、って社長に前に言われたんですけど、ちょっと不思議なんですよね。長年売れなかったのにクビにならなかったって不思議。どうしてなんですか?」
「うーん、そうだねぇ」
 浜松での夜のできごとは忘れたふりをしているらしき、乾さんが腕組みをし、私は再び言った。
「だって、普通はそんなに売れなかったらクビになるんじゃないんですか。私の仕事は慈善事業じゃないんだから、って社長もよく言ってますよ」
「そうだね」
 苦笑まじりに乾さんが言った。
「社長も商売でやってるんだから、よくもあれだけ売れない俺たちに辛抱してくれたものだと思うよ。感謝してますよ、社長。売れないのに続けてこられた理由か。かそけくも小さな光が俺たちの前途を照らしていた。ほんのすこしずつ光が近づいてきた。売れないとはいっても、はるかに長い階段を一歩ずつ一歩ずつ登っていくように、すこしずつすこしずつ上向いていくのを社長も感じ取ってくれていたからじゃないのかな。上昇はしていたんだ。停滞はしても決して後退はしていなかった。歩みはのろくてもひたすら前進、ひたすら上昇、そんな日々だったと我々も社長も信じていたからこそ、無名の時代が長く続いても投げ出さなかったんだよ」
「乾さん……えっと……それって……」
 むずかしいなぁ、と私は呟き、本橋さんも言った。
「乾はものごとをむずかしく表現するのが癖だから、悩まなくていいんだよ。早い話がこういうことだ。明日は売れなくてもあさってだ。あさってが駄目ならしあさってがあるさ。ってさ、社長も俺たちも楽観的な思考ができたからだな」
「本橋さんの言うこともけっこうむずかしいですよ」
「そうか。シゲだとどう表現する?」
「俺ですか……ええと……」
 彼もまた腕組みをして、シゲさんは考え考え言った。
「ちょっとずつは売れてたからかな。ファーストアルバムよりはセカンドアルバム、ファーストライヴよりは二度目のライヴ、段階を踏むごとにわずかにでも売り上げが伸びたから……かなぁ。社長はそれを命綱にしてたんでしょう」
「ふむふむ。章は?」
「俺はファンをないがしろにする傾向があるって、乾さんによく怒られたんだけど、ファンの方々のおかげですよ。ライヴに来て下さったファンがリピーターになり、熱心なファンが熱烈なファンに変わっていき、固定ファンになってくれた。必ずCDを買ってくれるファンもふえた。ラジオ番組でファンになってくれる方も出てきた。シンガーが売れるってことは、すべてファンあってのものだ、でしょ、乾さん? 乾さんの受け売りに俺の考え方もプラスしてみました」
「そこまでわかってんのにおまえは、いまだに大切なファンにつっけんどんな態度を取るんだよな。うん、こいつらの言はどれも正解だよ。玲奈ちゃん、わかった?」
 曖昧に乾さんの言葉にうなずくと、三沢さんが本橋さんの脇腹をつついた。
「またリーダーってば、俺をないがしろにする。おまえは黙ってろ、言わなくていいいって? そんなのないよ。俺にも言わせて。俺は黙っていられない体質だって知ってるくせに。言わせて言わせて言わせてぇ」
「……うるせえな。言え」
「……あれれ? 俺の言うべき言葉が残ってないよ。リーダー、俺を後回しにするからですよ。みんな奪われてしまってなんにもない。んんとんんとんんと……」
「おまえは悩んでたら静かでいいよ。一生悩んでろ」
 本当に悩みはじめた三沢さんを見て笑ってから、乾さんが言った。
「ファンの方々が第一、第二は社長、ミエちゃんも玲奈ちゃんも、それから、こいつら」
「こいつら?」
「わかるでしょ、玲奈ちゃん」
 こいつらのおかげで続けてこられた? ならば、燦劇だっていつかはそう言える日が来るのではないだろうか。それでもやっぱり、エミーは離れていってしまうのか。うむうむうむむーーー、と声まで出して悩んでいる三沢さんを見て笑ってしまいながらも、私は燦劇を思っていた。

 
3

解散ではなくて、こうするんだよ、と教えてくれたのは、パールだった。
「一時休業だね。燦劇は休止するんだよ。休業前ライヴツアーをやって、休業直前ライヴってやつもやって、日時を決めて休業する。来年になるだろうな。それからエミーはLAに行くって」
「ロサンジェルス?」
「ありふれてるけど、エミーがやりたいのはハードロックだから、本場に勉強しにいきたいんだってさ」
「パールたちはどうするの?」
「俺はこれからどうするか考える。本橋さんに弟子入りして、キーボードを教えてもらおうかな。いやがられるだろうな。うん、俺は俺で考えるよ。ファイもトピーもルビーもね」
「社長には話した?」
「話したよ。玲奈ちゃん、心配してくれてありがとう」
「私なんか……」
 鼻の奥がつーんとする。顔が歪んでしまう。パールは優しく微笑んで、私の頭を撫でた。
「そんなに気にしてくれてたんだね。ねえ、エミーはフォレストシンガーズのおじさん……じゃなくて、お兄さんたちにも話してたみたいだけど、玲奈ちゃんにも詳しく話したんだろ? もしかしたらお互い、好意を持ってたっての?」
「エミーだけじゃなくてね、私は燦劇のみんなが好きなの」
「そうかー。エミーに告白されたりってなかったの?」
「ないよ、そんなの」
「告白されたらどうする?」
「私はロッカーとなんかつきあえない。普通の女の子なんだから」
「うん、正しい考えかもね。エミーはまだしもまともだと俺は……そうでもないのかな。俺はまともなんだけどね」
「エミーはまともじゃないの? ロッカーなんてそんなものだろうから、聞いても幻滅もしないよ。パールには彼女がいるんでしょ?」
「いるよー」
「休業中に彼女と結婚すれば?」
「それもいい考えかもしれない」
 そうして燦劇の今後については、決着がついてしまったのだ。
 一介の事務員の私がどう気をもんでも、やめないで、と願っていても、彼らがみんなで話し合って決定したことに異は唱えられない。ただ寂しくて、それでも、彼らは彼らの決めたようにするしかないのだと、私は自分に言い聞かせていた。
「ジャパンダックスってのがいてなぁ、玲奈は知らないだろ」
 燦劇の一時休止に伴うライヴの検討やら、メディアにどうやって発表するかやらで、社長も多忙になっていた。が、今日は暇があるのだろうか。私の前にすわって話しかけてきた。
「知らないよな」
「知りません」
「フォレストシンガーズと同時期にデビューしたロックバンドだよ。本橋や木村がそいつらを嫌ってて、すったもんだもあったらしい。山田がちっとは話してくれたけど、私はよくは知らないんだ。そんなジャパンダックスが解散して、燦劇がうちからデビューした。燦劇は解散じゃないんだけど、ジャパンダックスが解散すると言ってきた日を思い出すな。どっちのバンドも私に相談もなく、解散だの休止だのって決めやがって……」
 すこしばかり怒っている声で、社長は続けた。
「近頃の若い奴らは割り切ってるから、あんなもんなんだろうな。ましてロックバンドだ。しようがない。フォレストシンガーズもいつかはああ言い出すんだろうか」
「フォレストシンガーズは絶対に解散なんかしません。ずーっと五人で歌っていくんです」
「いやにきっぱり言い切るね。ずーっと五人で、か。私もそう信じたいけど、先がどうなるかなんて、誰にもわかるはずがないんだよ。無常感が起きてくる。そうだろ、玲奈? フォレストシンガーズの身の上にだって、なにが起きるかわからない。不吉な考えは持ちたくないから、私は言わないけどな」
「不吉な考えなんて聞きたくありません」
「うん、ごめんな」
 いつも元気なおじさんも、売れっ子バンドの休止で参っているのだろうか。ため息をついたり髪をぐしゃぐしゃやったりしていた社長は、しばしの後に言った。
「それでな、新人を発掘してきたんだ」
「新人ですか」
「デュオだよ。女の子と男の子だ。近いうちに玲奈にも会わせるから、楽しみにしていなさい」
 ジャパンダックスが解散して間もなく、燦劇がうちの事務所に入った。燦劇が活動休止すると決まったら、新人デュオが入ってくるという。このおじさん、仕事はちゃーんとやっているんだ。そりゃそうだよね、社長なんだから。
 フルーツパフェという新人デュオは、社長の知り合いがスカウトしてきたのだそうだ。私も彼と彼女がやってくるのを楽しみに待っていたら、年が明けたころに挨拶にあらわれた。
「栗原桃恵でーす。モモちゃんって呼んでね」
 とっても可愛い顔立ちで、とっても可愛い声をした女の子が、事務所にも来て私にも挨拶してくれた。彼女のかたわらには男の子がいて、彼もぺこっと頭を下げて言った。
「栗原準と申します。事務員さんですよね。僕らについては社長からお聞き及びでしょうか」
「フルーツパフェっていう新人デュオの方たちがいらっしゃるとは聞いてますけど、詳しくは聞いてません。露口玲奈です。よろしくお願いします」
 社長はどこかに出かけていったらしく、ソファにかけて緊張の面持ちのふたりにお茶を出して、私も彼らの前にすわった。
「おふたりは苗字が同じなんですね。ごきょうだい?」
「ううん、夫婦なの。玲奈ちゃんって呼んでいい? 私とおんなじくらいの年頃だよね。私は二十一歳。彼はクリちゃんって呼んでくれたらいいんだけど、私よりもひとつ年上で、私たちは結婚してるの」
「へええ、その若さで夫婦? 私は二十三だけど、玲奈ちゃんでいいですよ。じゃ、モモちゃん、クリちゃんね」
「はい、よろしく」
 えくぼのできる愛らしい笑顔のモモちゃんと、誰かに似ていると思わなくもない小柄なクリちゃんと、三人でお話した。お話とはいっても、クリちゃんはたいそう無口で、ほとんど口を開かない。自然にモモちゃんと私ばかりが話していた。モモちゃんは最初は緊張していた様子だったものの、よく喋りよく笑い、じきに私とは打ち解けた。
「いつ結婚したの?」
「去年」
「早い結婚だね。どうしてそんなに早く? 子供もいるの?」
「いないよぉ。できちゃったじゃないんだもん。どうしてそんなに早く結婚したのかって? だって、愛し合ってるから。ね、クリちゃん?」
「うん、モモちゃん」
「ふーん。若い夫婦デュオってのはそれはそれで、そんなにはいないだろうから話題にはなるかもね」
「玲奈ちゃんには彼はいるの?」
「いない」
 パールの彼女のおのろけも聞かされたし、今度はモモちゃんのおのろけか。だんだん腹立たしくなってきた。クリちゃんは私には恥ずかしそうな顔ばかりするくせに、モモちゃんが、ね、クリちゃん? と言うと、とろけそうな顔をするのだから。
「フォレストシンガーズのみなさんには会った?」
「まだ会ってないよ。フォレストシンガーズって知らなくはないんだけど、知ってるってほどでもなくて……どんなひとたち?」
「モモちゃん、フォレストシンガーズはあなたたちの先輩に当たるんだよ。去年の秋にはライヴツアーもやってたのに、行かなかったの?」
「ごめんなさい。行ってない。だって、ね、クリちゃん?」
「ごめんなさい。僕もフォレストシンガーズってよくは知りません」
「歌を聴いた?」
 あんまり、とふたりが口をそろえるので、CDをあげようかと考えて思いとどまった。
「いっつも三沢さんが言ってる。三沢さんは友達にだって、俺たちのCD買ってね、って言うんだって。あげたんじゃ売り上げに貢献してもらえないじゃん、だそうよ。だからね、あなたたちもフォレストシンガーズのCDを買って勉強してね。あなたたちは男女デュオとはいえ、ハーモニーで売るってところもあるんでしょ。フォレストシンガーズはいいお手本になるんだから、しっかり聴いて勉強して」
「あのぉ、玲奈さんって……」
「なんでしょうか、クリちゃん?」
「口調が社長に似てらっしゃいますね」
「社長に似てる?」
 山田さんに似ていると言われれば嬉しいけれど、社長と似ているとは気絶したくなる。知らず知らずに影響を受けているのだろうか。気絶したくなるだとか、CDを買って売り上げに貢献しなさい、だとかは三沢さんの影響も?
「やだっ。やめてっ。社長にだけは似てると言われたくありません」
「そうなんですか。すみません」
「クリちゃんも誰かに似てるよ。小さくて細くて。声はクリちゃんのほうがずっと高いから、声質は三沢さんに近いかな。三沢さんほど歌は上手じゃないだろうけど、声は似てなくもないよね。だけど、外見は……そうだ、酒巻さんに似てるんだ」
「酒巻さんってどなたですか」
「ねえねえ、玲奈ちゃん、酒巻さんってこんなに美形なの?」
「は? 美形?」
 誰が美形なのだろうか。モモちゃんはたしかに可愛いが、クリちゃんは小柄であるせいかまったく目立たない、どこにでもいそうな普通の男の子だ。
「恭子さんって玲奈ちゃんから見てどう?」
 いつか三沢さんに質問されたのを思い出した。
「絶世の美人?」
「絶世のってほどでは……」
「だよね。玲奈ちゃんの困り顔が物語ってるよ。でもさ、シゲさんから見たら恭子さんは絶世の美女なんだ。夫婦とはそういうもの。そうでなくちゃ夫婦にはならない。うんうん、シゲさんを見てると人生勉強になるなぁ」
「そうなんですか……」
 ってことはつまり、美人というほどでもない恭子さんが、シゲさんには絶世の美女に見える。だから、たいした顔ではないクリちゃんが、モモちゃんには美形に見えると? そう解釈しておくしかないだろう。
「玲奈ちゃん、どうしたの? 私、変なこと言った?」
「言ってないよ、モモちゃん。うんうん、そういうものなんだね。私がクリちゃんに似てるって言ったひとは、クリちゃんほどの美形ではないの。でもね、見た目やら雰囲気が似てる。酒巻さんっていって、フォレストシンガーズの後輩なんだ。そうはいっても大学の後輩で、職業はDJさん。仕事でお世話になるかもしれないんだから、そのうち紹介してあげるね。酒巻國友さんって名前も覚えておきなさいね」
 はい、とふたりは素直にうなずき、私もちょっぴり先輩面してる? なーんて、内心では苦笑いしていた。社長に似てるなんて言われないようにしなくっちゃと思いながらも、私の言い方もお説教じみてるのかな、とも考えていた。


 生まれてから二十四回目のお花見。小さなころの桜の花なんてものは記憶に残っていないけれど、今年もまた春が来て、桜が咲いた。
 一番の売れっ子の座は燦劇に奪われたのかもしれないけれど、看板ミュージシャンの座は絶対に譲らないはずの、オフィス・ヤマザキ筆頭シンガー、杉内ニーナ。フォレストシンガーズ。事務所一の新米デュオ、フルーツパフェ。
 山田さんは欠席だが、社長と私も加わって、今夜はオフィス・ヤマザキのお花見飲み会だ。
「ああ、今年も変わりなく美しいな。玲奈ちゃん、見てごらん」
 事務所から近い公園に穴場があるんですよ、と教えてくれたのは乾さんなのだそうで、社長のあとから私もついて公園に行くと、大きな桜の樹のそばに連れていってくれた。
「すごーい」
「だろ? 何年前かな、はじめてここで六人で夜桜の花見をしたんだよ。それからも何度かはやった。あれから人間たちの身の上には運命の変遷ってやつがあって、時は移ろい、人も移ろい、しかし、桜は変わらずここに立ち、ちっぽけな人間たちを見下ろしている」
「はあ」
「年に一度、桜は美しく咲いてはかなくも潔くも散るんだね。俺も見習いたいよ」
「……はい。ねえ、乾さんって去年の……」
「ん? なんの話?」
 忘れたふりなのか、あんな話はしたくないのか、乾さんはとぼけているので、半年も前の出来事を、私も持ち出すのはやめた。
「私にはむずかしい表現なんてできないけど、綺麗ですねぇ」
「うん、それでいいんだよ。言葉なんてのは時に空疎なんだから、美しい、それだけでいいんだ」
「はい、美しいです」
 夜の中に咲く桜はたしかに美しいが、それよりも私はおなかがすいた。ここは穴場だそうなので、他にはお花見客はいない。三沢さんや木村さんがブルーシートを地面に敷き、シゲさんがごちそうを並べ、モモちゃんがお手伝いをしていて、クリちゃんはそのそばでうろうろしていた。
 ニーナさんと社長は煙草を吸いつつお話中。乾さんが別の桜のもとに歩み寄っていくと、本橋さんが私のとなりに立った。
「本橋さん、髪、伸びましたね」
「気まぐれみたいなもんだからさ、いつまでもスキンヘッドにしてるつもりはなかったんだよ。玲奈ちゃん、腹減っただろ。俺も減った。シゲなんかは腹の虫がぐうぐう鳴いてるんじゃないかな」
「おなかもすきましたけど、フルーツパフェのふたりは、シゲさんになついてるんですね」
「モモクリか」
「モモクリ……あ、たしかに」
「俺たちはそう呼んでるぜ」
 栗原準と桃恵夫婦。クリちゃんとモモちゃんだから、どっちもフルーツってことでフルーツパフェ。社長が命名したのだが、モモクリのほうが呼びやすい。モモクリ三年カキ八年、だとか、どこかで聞いたことのあるひとりごとを呟きながら、本橋さんはシートのほうへと歩いていった。
「お手伝いしなくちゃ」
 気がついて私も走っていったときには、宴会の支度は整っていた。社長もとりたててお説教しないので安心して、私は呼ばれるままに、木村さんと三沢さんの真ん中にすわった。
「さてと、今夜は無礼講だ。こうやってニーナまで一緒に花見するなんて、はじめてだよな」
 社長が言い、ニーナさんも言った。
「今夜はモモクリ歓迎お花見なんでしょ。社長が乾杯の音頭を取るのが筋かもしれないけど、クリちゃんってすっごく無口なのよね。そんなことでは、シンガーとしては苦労するわよ。クリちゃん、乾杯の口上を述べてごらんなさい」
「へっ、僕ですかっ?! モモちゃん、どうしよう……」
「モモちゃんにすがるな」
 木村さんが言い、三沢さんも言った。
「おまえも俺たちと変わらないちびでさ、声も俺たちと変わらず甲高くて、親近感ってのは湧くよ。でもでも、寡黙な男がいいなんて思ってんじゃないだろうね、クリ? モモちゃんは無口な男が好きなの?」
「無口なのは三沢さんや木村さんや乾さんと比べて、でしょ? クリちゃんは私とふたりっきりだったらちゃーんと喋るんです」
「愛してるとか言うの?」
「言うよぉ」
「ほおお、クリ、言ってみろよ。今、ここで」
 三沢さんにじーっと見られて、クリちゃんは真っ赤になった。
「クリちゃんは無口でもいいの。私が言ってあげるからね。クリちゃん、愛してるわ」
 なぜだかシゲさんがため息をつき、乾さんは言った。
「いいねぇ。素敵なカップルだよ。しかし、クリ、奥さんが衆人環視のもとで、愛してると言ってくれたんだ。愛の言葉を贈り返せ」
「……乾さん……苛めないで……モモちゃん、助けてよ」
「うんうん、私はそんなクリちゃんも好きだよ」
 モモちゃんに抱きしめられて、クリちゃんはモモちゃんの肩に頬を乗せ、本橋さんが言った。
「クリ、おまえはそれでも男……いや、いいよ。勝手にやってろ。クリ、勝手にやっててもいいけど、乾杯の口上はやれよ」
「そうそう。おまえらだってMCやるんだろ」
「幸生の言う通りだよ。MCもモモちゃんにまかせっぱなしか」
「はい、そうです、本橋さん」
 立ち上がったモモちゃんが、高らかな声で言った。
「みなさん、今夜は私たちのために、歓迎飲み会をやっていただいてありがとうございます。クリちゃんとふたり、がんばっていきますので、よろしくお願いしまーすっ!! 乾杯っ!!」
 いいの、あれで? と三沢さんが私の耳元で囁き、いいんじゃないですかー、と囁き返し、宴会がはじまった。
「みんなみんな、私の周りからいなくなってしまうのか。きみたちもか、ん? 本庄?」
「社長、酔うのが早すぎますよ。社長は泣き上戸ですか、からみ上戸ですか。酒は綺麗に飲むものです。ニーナさん、おっしゃって下さい」
「いいわよ、本庄くん。ね、山崎あっちゃん? みんなみんないなくなっても、私はあなたの近くにいるからね。私だけじゃ不満なの?」
「ニーナ、ありがとう」
 本名山崎敦夫である社長がニーナさんの手を握って頬ずりしている。三沢さんは、きゃーー、奥さまに言いつけてやろっ、と騒いでいる。そんな大騒ぎの中に、五人の男の子が近づいてくるのが見えた。
「お、来たぞ」
 つつかれて木村さんの視線の先を見たら、燦劇の五人だった。パールがにっこり手を上げて、代表するように言った。
「俺たちもまぜてー。社長、モモクリの歓迎会兼、俺たちの送別会。いいでしょ?」
「ああ、いいよ。パール、飲め」
「はいはーい。ここ、いい?」
 私のとなりにはエミーがすわり、以前よりは大人びてきた表情で言った。
「玲奈ちゃん、心配してくれてたんだってな。ありがとう」
「当たり前じゃない。だけど、決まってよかったね。寂しいけどさ……」
「寂しいんだったらついてくる? 玲奈ちゃんも俺とL.Aに行こうよ」
「私までいなくなったら、社長が泣きますよね」
「そうだ。玲奈をさらっていくな、エミー。泣くぞ」
「おっと、オヤジに泣かれたら困る。玲奈ちゃん、ジョークだよ」
 あったりまえじゃん、と言い返してみても、やっぱり寂しくて、燦劇のみんなを見ていると泣きそうになる。泣きたいのをごまかそうとお酒を飲んでいたら、ファイが言った。
「ねえねえ、フォレストシンガーズの先輩たち、歌ってよ」
「ロックか?」
 木村さんが問い返し、トビーが答えた。
「ロックもいいけど、しっとりしたやつ。桜の歌ってのは?」
「桜の歌ってフォレストシンガーズのレパートリーにある?」
 ルビーも言い、三沢さんは言った。
「桜の歌っていっぱいあるよね。なにがいいかな。モモちゃんはどれがいい?」
「んんとねぇ……」
 綺麗な声で、モモちゃんが歌った。

「桜の花びら散るたびに
 届かぬ思いがまたひとつ
 涙と笑顔に消されてく
 そしてまた大人になった」

 クリちゃんがハーモニーをつけ、他のみんなが聴いている。モモちゃんの高い可憐な声が響き、歌が終わると私も言ってみた。
「ほら、独唱、さくら、っていうの、ありますよね。あれってぴったりじゃありません? 今度はフォレストシンガーズのみなさん、お願いします」
「独唱ったら俺? 玲奈ちゃんは俺のソロが聴きたい? はいはい、三沢幸生、歌わせていただきますよ。え? ソロでなくてもいいの? じゃあさ、みんなで歌おうよ。燦劇も歌え。社長も玲奈ちゃんもモモクリもだよ」
「三沢さん、僕ら、モモクリじゃなくてフルーツパフェなんですけど……」
「横からどうでもいいこと言ってる奴がいるけど、どうでもいいから却下。ニーナさん、歌い出しをよろしくお願いします」
「私に譲ってくれるとは、三沢くんも可愛いところがあるのよね」
「はい、僕ちゃんは永遠に可愛い可愛いユキちゃんですから」
 誰がー、可愛くなんかねぇよっ、いい年して、気持ちわりぃーっ、などなどと、フォレストシンガーズの他の四人も燦劇の五人も、社長までもが三沢さんに言っている。三沢さんが指を口に当ててしーっとやり、ニーナさんの歌が聴こえてきた。

「僕らはきっと待ってる
 きみとまた会える日々を
 桜並木の道の上で
 手を振り叫ぶよ」

 見上げれば満開の桜。ニーナさんはパワフルな声を抑え気味にして、静かに優しく歌っていた。そこで歌を途切れさせ、言った。
「続きは玲奈ちゃん、歌って」
「私ですか? やだ、恥ずかしい」
「燦劇のみんなへのはなむけだよ。恥ずかしがってちゃ駄目。三沢くんに負けちゃうよ」
「三沢さんに勝とうとは思ってませんけど」
 しかし、私も酔ってきていて度胸が据わってきたので、立ち上がって歌った。

「霞みゆく景色の中に
 あの日の歌が聴こえる」

 うひゃあ、キーが高いよぉ、苦しいよぉ、と弱音を吐くと、三沢さんがあとを引き取ってくれた。

「桜さくら、今咲き誇る
 刹那に散りゆくさだめと知って」

 いつしか全員が歌っている。燦劇もモモクリも社長もニーナさんも歌っている。山田さんも来られたらよかったのに、と思いながらも、私もみんなと歌った。

「さらば友よ
 旅立ちのとき
 変わらないその想いを
 今……」

 またまた涙があふれそうだけど、きみとまた会える日々、そんな日が必ず来るはず。
 今夜は飲んで歌って騒いで陽気にすごして、明日の明日のまた明日、そのまたもっと明日には燦劇との別れが来るのだけど、燦劇の復帰を信じて、私は明日からもがんばろう。恋もしたいし、仕事も一生懸命がんばって、明日からも玲奈は、えいえいおーっ!! だよ。

END





 
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