ショートストーリィ(しりとり小説)

146「いけずやな」

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しりとり小説146

「いけずやな」

「お父さん、来月の第三日曜日は空いてる?」
「ああ、空いてるよ」
「紹介したいひとがいるの。うちにいてね」
「初乃……それって……」

 恥じらいを含んだ笑みを見せて、初乃は自分の部屋に入ってしまった。
 二十九歳の娘なのだから、いずれはこんな日が来ると思っていた。曽根の感覚では遅すぎるくらいだ。つきあってる男性はいるみたいよ、と妻から聞いてはいたのだから、ついにその日が来るのであるらしい。

 どんな奴だろう。妻も話を聞くだけで、彼に会ったことはないと言っていた。娘の選んだ男なのだからいい奴に決まっているとは思うものの、稼ぎの少ない頼りない奴だったらどうしようか、との懸念も起きる。

 よほどひどい男ではなかったら反対はすまい。娘の人を見る目を信用したい。楽しみでもあり、不安でもある気分で、曽根はその日を待っていた。

 京都で生まれて育ち、上京してきて東京の大学に入った。曽根くんはたいしたものだ、私の後継者になってほしい、と教授に言われてその気になり、大学院に残って教授を目指していた。結局、曽根の研究はものにはならなかったので、途中で断念して母校の事務職員になった。

 自然、結婚も遅かった。三十五歳になってから、三十三歳の妻と見合いで結婚した。愛したの恋をしたのといったものではない。結婚して子どもがいるのがまともな人間だと思っていたからだ。

 妻とは淡白な関係だったが、四十歳近くなって生まれたひとり娘の初乃は溺愛した。両親に愛されてのびのび育った娘は身体つきも大柄で、勉強もできる美人だ。お父さんが思うほどに美人でもないんじゃない? と妻が笑うのは、やきもちなのではないだろうか。

 私大なので事務職員の定年は七十歳だ。定年前に娘の花嫁姿を見られるのが嬉しい。

 教授が嫌ったので関西弁を使わなくなり、妻も関東の人間なので、京都弁などはすっかり忘れてしまっていたが、久しぶりに故郷に里帰りして今は亡き父と母の墓に参り、初乃も結婚するんやで、と語りかけたりもした。

「ごめんね、お父さん、彼の都合が悪くなっちゃったんで、一ヶ月先にしてもらえないかな。彼からもごめんなさいって」
「仕事か? しようがないわな」

 肩透かしをくらわされた気分ではあったが、一度目は曽根もあっさり諦めた。が、延期が二度、三度と重なると、苛々してきた。

「また延期? どうして? 彼はおまえの親に会いたくないのか。渋ってるのか」
「そうでもないんだけどね……」
「おまえは彼のご両親には挨拶したのか」
「まだだよ。普通、彼女のほうの親に会うのが先じゃない?」
「そうなのか」

 自分たちのときはどうだったか。なにしろ三十年以上前なのだから、どっちが先だったかよく覚えていない。妻の実家のほうが近いから先に挨拶に出向いた……いや、見合いの際には妻の母が同席していたから、すでに会っていたのだった。

 いずれにしても妻の両親も、曽根の両親もとうに他界した。祖父たちと祖母たちは草葉の陰で孫娘の結婚を祝福してくれているだろう。初乃の婚約者、長野宏和と名前だけは聞いた彼は、仕事で多忙らしいのだから待つしかないのである。

「ごめん。やっぱりこの次の日曜日も無理みたい」
「無理無理ばっかりで、もう半年じゃないか。長野くんは真面目に考えてるのか」
「海外出張が入ったのよ」

 海外にも出張するエリート商社マンだというのだから、忙しいのは当然だろう。娘が婚約者を我が家に連れてくると言い出してから半年の間には、彼については徐々に聞いていた。

「実はね、彼、お父さんとは知り合いらしいんだ」
「私の知り合い? どこでどう知り合った?」
「お父さんの大学の卒業生なのよ。お父さんは長く大学院にいたから、学校では顔が広いんでしょ。ああ、事務局の曽根さんのお嬢さん、って、彼が私を見てそう言ったのがなれそめだから、お父さんのおかげもあるかな」
「長野宏和か」

 記憶にはなかったが、娘から聞いた彼の卒業年度の名簿を繰ってみると、たしかに長野宏和の名前があった。

 ふたりだけで婚約を決めてはいるが、指輪をもらったわけでもない。互いの両親に挨拶もしていない。妻でさえも長野に会ったことはないと言う。まちがいなく婚約はしているし、曽根は長野宏和という人物についても多少はリサーチしてみたのだから、待てばいいとは思うのだが。

 しかし、親との顔合わせは大切ではないか。いくら多忙でも万障繰り合わせて婚約の挨拶に来るのが先決ではないか。曽根も妻も焦れてはいたが、だってしようがないじゃない、時間が取れないんだもの、と初乃は言うばかり。

「……私、留学することにしたの」
「え? 長野くんは?」
「知らない。もう知らない。おしまいなのよ」
「初乃……どういうこと?」
「ちゃんと説明してくれ」
「知らない。彼のことなんかもう考えたくもないのよっ」

 パニックを起こしそうな両親にそう言い放ち、初乃は部屋にこもってしまう。思い出してみれば、初乃が婚約者を連れてくると言い出してから一年、初乃は先日三十歳の誕生日を迎えていた。

「お母さん、どういうことだ?」
「知りませんよ。私だって寝耳に水だわ」
「お母さんの監督不行き届きじゃないのか。娘の婚約のことなのに無責任な」
「だって、初乃はなにを訊いてもはぐらかすんだもの。彼に会ったらわかるわよって」
「婚約破棄されたのか」
「そうかもしれないわね……」
 
 途方に暮れて妻と顔を見合わせていた時間がすぎると、猛然と腹が立ってきた。

「そんな一方的な……結婚の約束ができていたんだったら、婚約不履行で訴えるって手があるんじゃないのか」
「でも、そんなことをしたら初乃に傷が……」
「傷がつく、そういうものか」
「三十もすぎたいい大人なんだから、とりあえずは本人にまかせておくしかないんじゃないかしら」

 そうするしかないかと夫婦で相談をまとめていたら、本人は留学のほうを決定してきた。

「年明けから一応、一年間の予定でボストンに留学します。会社もスムーズに辞められることになりました」
「初乃……」
「詳しくなんか訊かないで。私だってつらいのよ」

 静かな怒りが燃えているような初乃の目を見ていると、曽根としてもそれ以上は言えなくなってしまう。妻も小さなため息をついているばかりだった。

 年が明けると、傷心の娘はアメリカに旅立っていった。大学の英文科を卒業して、英語を使う部署で働いていた娘だ。英語には堪能なのだから大丈夫だろう、それに、なにしろもう立派な大人だ。婚約者に捨てられた傷をいやすための留学、一年間なのならばそれもいいと、曽根も自分に言い聞かせているしかなかった。

 けれど、やはり長野には怒りがおさまらない。よけいな真似をして娘にばれた場合の初乃の怒りも怖いが、今は娘は日本にはいない。捨てた女に長野が連絡を取るとも思えない。逡巡の末、曽根は卒業生名簿にある、長野の自宅に電話をかけた。

 東京が故郷である長野の実家は、幸いにも名簿の住所そのままであり、母親らしき年配の女性が電話に出た。

「息子はひとり暮らしをしてるんですけど、母校から連絡があったと伝えます。折り返し電話をするように申しますので」
「では、ここにかけていただけますか」
 
 大学事務局と名乗って電話をしたのだが、連絡先は曽根の個人携帯番号にした。息子が婚約までして捨てた女の父親だとは、長野の母はまったく考えてもいないのか。事務的に応対していた。

「もしもし、長野ですが、事務局の方ですか。実家にお電話いただいたそうで……」
「はい、あの、同窓会の件で……」
「同窓会ですか。ああ、僕、明日大学の近くへ仕事で行くんですよ。そのときにお訪ねしてもいいですか」
「よろしければぜひいらして下さい」

 長野からの電話があった時間が遅かったせいか、本人がそう言い出してくれた。渡りに船と曽根も承諾し、翌日、本人に会った。

 スポーツマン体型で長身の、容姿のいい青年だ。三十一歳、初乃よりもひとつ年上の彼は、初乃と長くつきあっていたから三十をすぎても独身なのか。他に女ができて初乃を捨てたのではないのか。曽根は我知らず、対面した長野を睨んでいた。

「曽根さん……えーっと、曽根初乃さんとは……曽根さんって……ああ、そうだ、初乃さんから聞いたことがあるんですよ。忘れてました。初乃さんのお父さんですか」
「そうです。よくもいけしゃあしゃあと」
「はあ、いけしゃあしゃあって……」
「こちらにいらして下さい」
「はい」

 人目のある場所のほうが衝動を抑えられる。ふたりきりになったりしたら曽根は長野に殴りかかってしまうかもしれない。平静を装って長野を導き、ふたりはキャンパスに出ていった。

「もう忘れたんですか」
「曽根さん、初乃さんからなにか聞いておられるんですか」
「聞いてますよ、当然です」
「だったら、曽根さんも忘れて下さったほうがいいでしょう?」
「どこまでもいけしゃあしゃあとした男だな。初乃がどれだけ傷ついたか、あんたは想像もしてないのか」
「傷ついたと言われましてもね」

 激昂したいのを我慢して、キャンパスを歩きながら、曽根と長野は話していた。

「曽根さんはどこまで、話を聞いておられるんですか。どうも誤解しておられるように思います。こんなだまし討ちみたいな形で僕を大学に呼び出すって、ちゃんと理解してらしたらしないでしょうから」
「あんたのほうの見解では、このたびの婚約不履行はどうなるんですか」
「こんやくふりこう?」

 きょとんとした顔をして問い直してから、長野は眉をしかめた。

「ちょっと待って下さいよ。僕は初乃さんと婚約なんかしていません」
「この期に及んで逃げ台詞か。私は初乃から婚約したと聞いてるんだ」
「僕はそんな覚えはありません。こうなったら全部話しますよ。お父さんには不愉快だろうから言いたくなかったけど、言うしかないもんな」

 そこにかけましょう、と長野に言われて、ふたりはベンチに腰を下ろした。

「二年ほど前に、会社の飲み会……クリスマスパーティだったかな。自由参加の会社のパーティで、初乃さんと知り合ったんです。曽根さんって、うちの大学の事務局にいらしたな、そんなによくある名前でもないし、親戚? とかって声をかけたのは僕です」
「その話は聞いてるよ」
「初乃さんと僕はポジションはちがってたけど、年も近いし、話をしてるとけっこう楽しかったんで、複数で飲み会に行ったりってのはありました」

 そういうつきあいだったらあったが、長野としては恋愛対象とは見ていなかった。初乃のほうから長野を好きになったのか、デートに誘われたのだと言う。

「だけど、ふたりっきりってのはね……そんな気にはならないから、またみんなで飲みにいこうよ、そのほうがいいなって断りました」
「なんで初乃はあんたの恋愛対象じゃないのかね? 女として魅力的だろ」
「そこまで言いたくないけど……タイプじゃないってんですかね。僕はもっとほっそりした女性が好きですから」

 あんたは初乃が太りすぎだと言うのか、と曽根はまた怒りたくなった。近頃は痩せた女が流行っているが、初乃のように背も高くてしっかりした身体つきのほうが、女としては正しいに決まっているってのに。

「そう言っても初乃さんはしつこくて、あまりしつこいから二度ほど食事はしましたよ。でも、同情でデートするってのもまちがってるから、あるときはっきり断ったんです。僕は初乃さんとつきあうつもりはない。悪いけど、複数で会ったりするのもやめようって」

 女がデートを申し込み、男にすげなくふられる。曽根の年代から考えれば、なんと哀れな娘だろうと初乃を思ってしまう。

「それでもしつこいんだな。あんまりしつこいから……こんなことは言いたくないんですけどね……」
「こんなことってなんですか」
「どうしても参加するしかない会社の飲み会で、初乃さんと一緒になりました。彼女もちょっと酔ってて、僕も酔ってて、一度でいいの、お願い、一度だけ抱いてって言われました」
「……抱いたのか」
「酔ったはずみでね」

 ふてくされたように口にする長野の言葉が、嘘だとは曽根にも思えなかった。

「そしたら、これでもうこっちのものよ、なんて笑われてぞっとしたんです。その場はそれだけだったけど、三ヶ月ほどして呼び出されて、子どもができたみたい、結婚するしかないよね、親に挨拶に行ってって言われました」

 それがあの、お父さん、来月の第三日曜日は空いてる? の娘の台詞だったのか。曽根の目の前が暗くなった。

「僕も焦ってしまって、そうするしかないかと思ったんですよ。だから……行くしかないかって答えたんです。けど、結婚なんかしたくない。酔ってて避妊の処置をしたのかどうかも覚えていないのは僕の落ち度もありますけど、それだってだまされたようなものでしょ。のらくら逃げてたんですけど、たまに会う初乃さんのおなかはいっこうに大きくもなってこない。問い詰めたら嘘だったって……」

 ふぅ、としか曽根は反応できなかった。

「僕も頭に来て、二度と会わない、この卑怯者!! だとかって罵ってしまいましたよ。それからも同じ会社なんだから、顔を合わせることはあります。あの手この手で誘惑されたり脅されたり、どうして僕にそんなにも執着するんだろって思ってたんですけど、僕だっていやなものはいやです。去年、初乃さんが退職したって聞いて、これでようやく逃げられたって心から安心したんです」
「わかりましたよ」
「……曽根さん?」

 二人の間に起こったことと、おのれの心情をぶちまけてすっきりしたのか、長野の表情はいくぶん晴れて見えた。嘘をつけ、初乃がそんな真似をするわけがない、うぬぼれるな、長野に投げつける罵詈は浮かびはしたが、そんな気はもうなくなっていた。

「いけずやな……」

 娘の言い分を頭から信じて、長野を悪く思っていたほうが精神衛生にはよかったはずなのに。なんだって神さまはそんなことを私に知らせるんだ。調べようとしたのは自分なのに、神さまに責任転嫁でもするしか、曽根にはしようもなかった。

次は「な」です。








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~ Comment ~

NoTitle

う~~む。
付き合いというのはお互いの同意があって満ち溢れるものだと思いますけどね。
それが一方通行になって満たされるものなのか。。。
・・・と言われると、今回の結末は必然なんでしょうね。。。
(ーー;)

LandMさんへ

いつもありがとうございます。

母は愚かで父は哀れ。
親というものにはそんな一面もあると、そういうのを書いてみたかったのです。

相思相愛ではないと、愛されていないほうは結ばれても虚しいと思うのですけど、自分のほしいものはなんでも、それが人であっても手に入れないと気が済まないってひと、いるみたいですよね。

我が娘がそんな女だと知らなかった父。
知らないままのほうがよかったのにね。
神さまって意地悪だなぁ、と。
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