novel

小説393(しゃぼん玉)

 ←145「ランナーズハイ」 →FS副詞物語「まっぴら」
shabo.jpg
フォレストシンガーズストーリィ

「しゃぼん玉」


1・将一

 バスルームから歌が聞こえてくる。
 ここはゆきずりと呼ぶには関わりが深くなりすぎた女、愁子の部屋だ。

「お湯にもぐって あたし泣いたの
 ひとり夜更けの バスルーム
 あんな浮気な 男なんてさ
 あたしの方から 別れてやるわよ

 シャワーあびれば 鏡のなかに
 はんぶんだけの お月様
 なにさあんちくしょ おまえとおれと
 二人でひとつなんて 言ってたくせに

 男なんてシャボン玉
 きつく抱いたら こわれて消えた
 男なんてシャボン玉
 恋のはかなさ あきらめましょか」

 シンガーの前で歌うなよ、と笑いたいけれど、笑える歌詞ではない。歌のうまい下手は関係ない。彼女は俺にこの歌詞をこそ聴かせたいのだろうか。
「愁う子? 本名じゃないよね」
「本名はひ、み、つ」
 思わせぶりに笑った愁子とは、その夜のうちにベッドに入った。
 彼女はファッションライターだ。雑誌に洋服や靴やバッグから、コスメまでの記事を書いている。おおむねは無記名記事なのだから、その筋でも有名というわけでもないのだろう。メジャーデビューもしていないシンガーには似合いの女なのかもしれない。
 そういう職業なのだから、ペンネームを使っているのだろう。本名は修子だとか、まったく別の名前だとか。名前とつきあうわけでもないのだから、本名でも源氏名でも筆名でもなんでもいい。
「私みたいな仕事の女は奔放よ。もてるっていうのもあるし、男に都合のいい女扱いされるのもあるし、プライドが高いから男にすがらないってのもあるし、奔放なのが普通かな。将一にも都合がいいでしょ」
「ああ。恋は女を美しくする妙薬よ、って微笑むひとが好きだな」
「私から見ても将一は都合のいい男よ」
 ベッドの中で、愁子は俺の眉や鼻をなぞっていた。
「この太くて形のいい凛々しい眉も、高い鼻も、あなたの目鼻立ちはすべてが形がいいのね。形が良くてもバランスが悪くて綺麗ではない顔になることもあるけど、将一は全体のバランスもとてもいい。あなたがプロの歌手になったら、整形するならこんな顔、って人気投票のベストテンにランクインしそう」
「よく喋る女だな」
「綺麗って言われるの、いや?」
「いやではないよ。だけど、俺は言うほうが好きだ」
「言って」
 上掛けをはねのけて、俺はうつぶせになった愁子の身体のラインを言葉で賛美した。
 きみの顔や身体が好きだ、と思っていた俺。あなたの顔や身体は素敵、それからね、ベッドでの相性も最高よ、と言っていた愁子。俺もそれには同感だった。
 「恋」とはなんなのか、俺にはわからない。女の身体や美貌が好きなだけでも、将来の約束なんかしなくても、恋は恋なのではないのか。安定してしまえば「恋」ではなくなるのだから、危うく揺れる状態のほうが、「恋」を保っていられるのに。
 あなただけ、きみだけ、と誓い合えば揺らめきは減る。他人にはうしろ指をさされるような、いい加減な奴らだと嘲笑されるような、それこそが「恋」なのではないだろうか。
 ひとりの女にのめり込んだ覚えもあるが、続いたためしはない。俺は歌手になりたいのだから、女とは遊びでいい、ベッドだけでいい、そう思ったり、愁子とのこんな恋がもっとも快適だな、と思ったりする俺は、恋に熱くならない彼女がいちばんだとも感じていた。
「将一、入ってくれば?」
 醒めたわけでもない、白けたわけでもない、「おまえが性悪女であれば、このまま一緒に暮らしたけれど……」だなんて、刹那的な男の歌を思い出し、俺は返事をせずに愁子の部屋から出ていった。
「入浴中なんだから鍵はかけておかなくちゃね」 
 外から鍵をかけて、彼女にもらっていた合鍵を郵便受けに落とした。郵便受けからはかすかに、愁子の歌声が聴こえていた。

「だけど ほんとに好きだったの
 バスルームから愛をこめて」

 
2・愛理

 最後に彼と会ってから、何年たつのだろう。あれは合唱部のお別れ飲み会の夜。一年年上の金子将一は間もなく卒業する四年生たちとともに送られる側で、四月になれば四年生になる私は、先輩たちを送る立場だった。
 女の子たちに囲まれてばかりいた金子さんを遠くから見つめ、ようやくチャンスを見つけて近寄っていったら、涙が止まらなくなった。
「沢田さんは案外泣き虫だな。泣くな」
 泣き虫だってよくよく知ってるくせに、「案外」とくっつけて、金子さんは私の涙を指でぬぐってくれた。
 あれからは会っていない、片思いのひと。あのときの指の感触と、低くて甘い優しい声が、私を何年も何年も呪縛し続けている。彼と知り合ってから三年足らず、恋人でもなく、ただの合唱部の先輩と後輩にすぎなかったのに。
 あれから五年。金子さんは歌手になりたいと言っていたけれど、デビューしたとの知らせは聞かない。私はラジオ局のアナウンサーなのだから、そういう情報は早く届く。プロの歌手になるって甘くないんだね。
「沢田さんって、俺と同じ大学なんだってね」
「あら、そうなんですか」
 ローカルラジオ局のアナウンサー、入社四年目。新米の部類の私は命令されたらどんな仕事でもこなす。今日は東京下町の商店街のイベントのリポートに訪れていた。
 音楽やお笑いや手品や、仮設ステージではさまざまな出し物が行われている。有名な芸人さんはいないようだが、子どもたちや若者たちにはこのステージは人気があって、私も演者にもお客にもインタビューしていた。そのうちのひとりのミュージシャンが私に声をかけてきた。
「あのひと、美人だなって言ったら、ラジオのアナウンサーで、沢田愛理さんっていうんだってじいさんが教えてくれたんだ。俺のじいさん、商店街の副会長で、「綸子」の主だよ」
「そうなんですね」
 「綸子」とは和装小物の店で、永田さんと名乗った副会長さんとは私もお話をした。
「じいさんは俺の大学の名前もちゃんと憶えてなくて、沢田さんの大学を聞いて、涼と一緒だったかな、って思ったらしいんだ。沢田さんは二十五? 同期に有名人はいる?」
「ついこの間、フォレストシンガーズがデビューしたって聞きました」
「本橋と乾のグループだろ。俺も聞いたよ」
 合唱部出身男性ヴォーカルグループ、フォレストシンガーズは、同窓生の間でだけは有名かもしれない。永田涼さんと話して、彼は私の一年上だと知った。
「俺は大学を出てもロックやってて、インディズレーベルからCDを出すって話が出てたのが立ち消えになって、傷心の身で戻ってきて修業中だよ。親父はじいさんに造反したから、俺がじいさんの跡を継ぐって決まったんだ」
「すると、ロック同好会出身ですね」
「そうだよ」
「私は合唱部です」
「道理で声がいいな。顔もいいよね。ラジオのアナウンサーって美人なんだな。ってか、沢田さんが美人なんだよね。独身でしょ」
 うなずくと、もっと話がしたいと言う。同じ大学出身で、年齢もひとつしかちがわない。話だけだったらいいだろうと、商店街イベントが終わったら会う約束をした。
「久々でドラムを叩いて、筋肉痛になっちまったよ。俺らの即席バンド、聴いてくれた?」
「私も仕事で飛び回っていたから、ちょっとだけ」
 偶然にも休日が同じだったので、ランチをしようと待ち合わせた。暑くも寒くもない季節だから、カフェの外の席にした。
 時期的にはすこし早いかもしれないが、革のジャケットを着た永田さんはかなりかっこいい。背が高くて筋肉質で、金子さんも大人になってきて、こんなふうな男性になっているのかと想像してしまった。
 ロック同好会はかっこいい男性が多いと名高かった。私は合唱部に入っていても、特に音楽好きでもなく、ロックには興味は薄かったので、ロッカーふうのかっこいい男性への興味も乏しかったが、噂は聞こえてきていた。
「実力は合唱部のほうが上だろうけど、ルックスはロック同好会じゃない?」
「ジャックさんとかルイさんとか、ジョージさんとかタクさんとか、かっこいいよねぇ」
 放送学科の女の子たちが喋っているところに、そのひとたちは外国人? と質問して、愛理、知らないの? と言われたこともある。ロック同好会の男性たちは名前もかっこいいのぞろいだったのだそうだ。
「そうそう。俺はリョウだから普通すぎて、芸名でもつけようかと思ったよ」
「永田さんは金子さんと同い年ですよね」
「金子って、金子将一? そうだね」
「その顔は、金子さんと喧嘩でもしました?」
「喧嘩はしてないけどさ、きみって金子とつきあってたとか?」
 いいえ、ただの先輩です、と応じると、永田さんはコーヒーを飲み、ホットドッグをひと口食べてから話しはじめた。
「どうもあいつは気に食わないって、うちのサークルでも言ってる奴がいたんだよ」
「よそのサークルでも言われてたみたいですよ」
「だろ。あいつは顔はいいし、女子学生ばかりのファンクラブまであるっていうし」
 そのファンクラブ会長が私だった。
「あいつは俺なんか知らないだろうけど、俺は意識してたんだよ。ロック同好会の女の子たちだけは、あんなのよりもリョウさんたちのほうがかっこいいって言うけど、他の全女子学生は金子のほうがいいと言ってる気がしてさ」
「そうでもないんですけどね」
 先輩には星さんがいて、後輩には徳永くん、本橋くん、乾くん、などがいた。金子将一ファンも数多かったが、顔は金子さんに劣るとしても、歌の上手な彼らは校内のスターだった。星さんに至っては、ルックスも相当によかった。
「そうでもなかったんだろうけど、俺らはそう思ってたんだよ。くそっ、俺のほうがかっこいいのに、って歯噛みしてたら、俺の彼女までが言いやがった」
 カメコカメコ……本名を忘れたという永田さんは、学生時代の彼女の話もした。
「カメコってのは沢田さんと同い年で、うちのサークルの子だったんだよ。そいつが言うには、合唱部のコンサートで金子将一を見た。かっこよすぎて歌にも惚れた。ロックファンもリョウの彼女もやめて、ああいう歌のファンに転向しようかな、だってさ」
「本名を忘れても、言われたことは覚えてるんですね」
「頭来たからさ。それで……」
 あちこちに話がそれながらも、永田さんと金子さんの関わりに切り込んでいった。
「ある日、俺はキャンパスで会った見知らぬガキ、一年生であろうガキに、金子への果たし状を託したんだ」
「果たし状?」
「そうなんだよ。その一年生は俺を知らなかったから、ハンバーガーショップの割引券かなんかで釣ったんだ、ところが……」
 泣きべそをかきそうな顔をして、一年生が永田さんに報告にきた。
「途中で別の先輩につかまって、金子さんになにか届けにいくんだろ、見せろって脅されて見せた。見せたらそれを取り上げられて、かわりにこれを届けにいけって。そいつはびびってはいたけど、俺に悪いと思ったらしくて、そっちから託された文面を覚えていた。そいつらは誰なんだかはわからなかったけど、俺と同じく、どこそこに来いって果たし状だったんだよ。あいつはほうぼうで恨まれてたんだ」
「へぇぇ」
 そこに行ってみると、金子さんは三人の男と喧嘩をしていた。
「手を貸してやろうかと思ったんだけど、三人のほうが弱っちかったし、金子はひとりで十分やれそうだったから、ほっぽってきたよ。そのあとで俺までが喧嘩を売ったら真似してるみたいだろ。やむなく断念したんだ。金子が強いってわかったから……ってのは逃げも入ってたかな」
 まったく、男子学生は幼稚ね、と私は心で言った。
「そんなわけで、金子将一っていうと複雑な気分になるんだよ」
「カメコさんとは?」
「なにかで喧嘩して別れたよ。今はフリーだ。沢田さんは彼氏は?」
「いません」
「そっか」
 つきあいの深いひとたちの中には、同じ大学の卒業生はいない。そのころには関わりはなかったとはいえ、学生時代の話のできる永田さんとは、友達になりたかった。


 きみの都合のいいときに連絡して、と言われて、話をするのにおかしくない時間に余暇ができれば電話をして、永田さんとお茶を飲んだり食事をしたりするようになった。
「……ふーん、あんたか」
 秋が深まってきているので、カフェの外の席というわけにもいかない。今日は永田さんとは夕方に、何度か会った喫茶店の店内で待ち合わせた。小さな喫茶店には永田さんはまだ来ていなくて、知らない女性が立ってきた。
「失礼ですけど……?」
「アナウンサーだってわりには太ってて、だっさい女だね」
「どなたなんですか」
「私の男に手を出すな」
「は?」
 他人の男に手を出した覚えはないが……もしかして? 
「永田さんの彼女なんですか?」
「そうだよ。悪いか」
「あのね、落ち着いて下さいね」
 背丈は私よりもやや低く、華奢な体格の女性だ。永田さんには彼女はいないと言っていたし、私は永田さんとはつきあっているわけでもないのに、どうすればいいのだろうか。
「とにかく、すわって話をしましょうよ」
 どうにかすわってくれた彼女は、愛香と名乗った。
「涼のケータイを見たの」
 テーブルについてコーヒーを注文してから、愛香さんはぶすっとした顔で話しはじめた。
「あんたの名前、愛理でしょ。私は愛香。あんたはエリって読むみたいだけど、愛の字が同じだし、誰だろ、って思ってメールを見たの。そしたら、デートの約束メールが何通もあった。
「デートじゃありませんよ。私は永田さんに恋愛感情は持ってませんから」
 聞こえてもいない様子で、愛香さんは続けた。
「あたしが告白しても無視するくせに、こんな女と……って悔しくてさ、あんたの顔を見にきたの。沢田愛理ってアナウンサーだったら顔は調べられたから」
「そうですか」
「あたしは涼が好きなの」
「ええ、でも、私としてはそう言われても……あの、永田さんは?」
「お店のパートのおばちゃんに頼んで、引き留めてもらってる」
 この話からすると、愛香さんは永田さんの店の従業員なのか、同じ商店街で働いているか、だろう。
 どう言えばいいのかもわからなくて、だからって席を立つわけにもいかなくて、私は黙ってすわっていた。愛香さんも下を向いて、鼻をすすり上げていた。そのままどのくらいの時間が経過したのか。永田さんの声にふたりともに顔を上げた。
「愛ちゃん……なんでここに?」
「涼は沢田さんが好きなんでしょっ!!」
「え……えーっと……」
 突然叫ばれて、永田さんが二、三歩あとずさりする。半分ほど埋まった店内のお客さんたちにも注目されて、永田さんはしどろもどろになっていた。
「だけど、沢田さんは涼に恋愛感情なんかないって言ってたよ」
「あ、あー、うー、そうなのか」
「そんなら諦めて、あたしとつきあおうよ」
「……えー、あの……沢田さん?」
「私は帰りますから」
 男と女の場合は友達づきあいといっても、たやすくはないものなのだと学んだ。
 永田さんのほうはどれほどの感情を持っていたのか知らないが、私は彼に恋をしてはいず、愛香さんは彼に恋していた。私が愛香さんの立場だったとしたら、沢田愛理みたいな女の存在は腹立たしいだろう。彼を好きでもないんだったら回りをうろちょろするな、とでも言いそうだ。
 あのあと、永田さんがどうしたのかも知らない。愛香さんに攻められてうなずいてしまって、恋人同士になるのもいいだろう。
「私はやっぱり金子さんでないと……」
 学生時代の話、イコール金子さんの話。永田さんと友達づきあいがしたかったのは、私の知らない金子さんのことを話してくれたから、もあったのだから。


3・将一

 
 愁子と別れてからだって、俺は同じようなことばかりしている。
 ほとんど日も経たぬうちに女と知り合って、彼女のほうから積極的に近づいてきて、今度こそ、ベッドでのつきあいだけができるのかと幻想を抱いて。

「いつか女に みがきをかけて
 人魚みたいに きれいになるわ
 見間違うような あたしをみてさ
 後悔したって 知らないからね

 男なんてシャボン玉
 きつく抱いたら こわれて消えた
 男なんてシャボン玉
 恋のはかなさ あきらめましょか」

 今度は俺が歌ってみる。
 男がシャボン玉だったら女はなんだ? しゃぼん玉はふわふわと飛んでいき、そいつを悔しい想いで見送る女はなんだ?

「女なんてお月さま
 遠く離れて 見てたら綺麗」

 しかし、近づけばでこぼこの死の世界だ。
 それとも、女は薔薇の花か。私は都合のいい女なんだろうけど、あなたも私の都合のいい男よ、約束なんか求めない。今が楽しかったらいい、言葉ではあっさりさっぱりした女を装って、抱きしめると棘に刺される。
「月並みだな」
 詞で「女」というものを表現すると月並みになってしまう。俺は作詞はしないのだから、曲にしようか。上辺はきらきら光って綺麗で、中身はどろどろぐちゃぐちゃ。そんな女を曲にしてみたら……ピアノの鍵盤でメロディを作り出す。
「あなたがそんなひとだなんて、私は知らなかったな」
「知らなかっただろ? 知らないほうが華だってこともあるんだよ」
「それでもね……」
「それでも?」
 ふっと聞こえたのは誰の声? 俺がこんなふうな生き方をしてはいなかったころに、身近にいた女だろうか。涙をこぼして俺を見送っていた彼女のもとからも、俺はしゃぼん玉になって飛んでいった。彼女は悔しい想いではなく、切ない想い、恋しい想いを俺に抱いている?
「おまえの想いも幻想だよ」
 過去の追憶もしゃぼん玉のようで、ゆらゆら揺れて遠い遠い世界へと吸い込まれていった。

END








スポンサーサイト


  • 【145「ランナーズハイ」】へ
  • 【FS副詞物語「まっぴら」】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【145「ランナーズハイ」】へ
  • 【FS副詞物語「まっぴら」】へ