別小説

ガラスの靴60

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「ガラスの靴」

     60・本気

「仕事の帰りにほのかと飲みに行く約束したから、おまえも来られたら来てもいいよ」
「行っていいの? やったっ!!」

 出がけのアンヌからお許しをもらったので、胡弓は両親の家でお泊りさせてもらうことにして、ひとりでその店に出かけていった。「インディゴ」という名のしゃれた洋風居酒屋だ。ミュージシャン好みの店らしく、そこここにそれっぽい人の姿がある。

 わりあいに広い店で、アンヌとほのかさんがいるのを発見するには時間がかかった。きょろきょろ見回してようやく見つけたほのかさんを、熱っぽく見つめる男がいるのにも同時に気づいた。
 四十歳くらいか。髪の長い渋いルックスをした、長身で痩せた男だ。彼はじっとじーっとほのかさんを見つめている。妙に気になったので、僕は先に彼に近づいていった。

「あなたってミュージシャン?」
「あ? そうだけど……きみは?」
「どこかで会ったこと、あるかな。僕は新垣笙っていうんだ。僕は専業主夫なんだけど、奥さんがミュージシャンなんだよ」
「専業主夫……笙……聞いたことはあるような……奥さんって?」
「新垣アンヌ」
「……ああ」

 いくぶん離れた席にはほのかさんがいて、その隣にはアンヌもいる。ああ、とうなずいた彼の態度は、アンヌを知っているという意味だろう。伊庭と名乗った彼は小声で言った。

「俺が彼女に見とれてたから、ストーカーだとでも思って警戒して、それできみが寄ってきたのか」
「ストーカーだとまでは思わないけど、どうして見てるのかなとは思ったよ」
「……出ようか」
「出るの?」
「よかったら聞いてほしいんだ」

 同じ店内にほのかさんがいるからなのか、よそに行きたいらしい。好奇心全開になったので、僕は彼についていった。アンヌには何時に来ると約束はしていないから、遅れても怒られないはずだ。

「バンドやってるひと?」
「いや、俺はスタジオミュージシャンだ。ベーシストなんだよ」

 低くて渋くていい声だ。ルックスもいいからもてるだろう。ミュージシャンってやたらもてるんだよね、と憎々しげに言う、ミュージシャンの彼氏や夫を持つ女はよくいる。女のミュージシャンももてるが、変人が多いので男のミュージシャンほどではないかもしれない。

 女のほうが許容範囲が広いのかな。僕はやっぱ女っぽいのかな。別にそれでもいいけど、なんて首をすくめて、伊庭さんに連れられてきた店でカンパリソーダを飲んでいた。

「主夫で奥さんがいるって言うんだから、そっちの趣味じゃないだろ。バイだったりするのか?」
「僕はバイでもゲイでもないよ」
「だよな、安心したよ」

 ちょっとだけ心配していたのか。そんなに簡単に信じていいのぉ? などと言うとややこしくなるので、話ってなに? と見つめ返した。

「あの女、ほのか、知ってるんだろ」
「知ってるよ。ほのかさんの三番目の子の父親は、アンヌのバンドのドラマーだからね」
「ってことは、ほのかの三番目の旦那?」
「んん? あなたこそ、知らないの?」

 年上の男は「くん」付けにするのが正しいはずだが、ここまで年上だと「さん」付けのほうがいい。某ジャニーズ事務所でも、「木村くん」「中居くん」「東山さん」「マッチさん」と呼んでいるようだから、大先輩はさん付けにするべきなのだろう。
 
 それはともかく、意外に伊庭さんはほのかさんの境遇を知らないのか。言ってはいけない……のかな? とも思ったが、こうなったら全部言ってしまうことにした。

「ほのかさんは独身だよ」
「バツイチじゃないのか?」
「結婚はしてないんだ。未婚の母ってやつ。伊庭さんはほのかさんをどこまで知ってるの?」

 シンガーのバックバンドでベースを弾いたり、ギタリストのソロアルバムに協力したり、レコーディングに呼ばれてスタジオミュージシャンを務めたり、伊庭さんの仕事はそういうものらしい。アンヌのバンド「桃源郷」のレコーディングにも参加したことがあるそうだ。

 海外ミュージシャンの日本公演のときにも、伊庭さんは彼のライヴのバックバンドに加わっていた。そのミュージシャン、イギリスのジャズシンガーの通訳として働いていたほのかさんと、伊庭さんが知り合った。

「いい女なんだよな。ハートにずきゅーんっ!! っと来た。俺は当時は結婚してて、女房と娘がいたんだ。女房はどうでもいいけど娘が可愛いから、浮気はばれないようにやってた。女房も薄々は感づいてたんだろうけど、そうするさくは言わなかったよ。だからさ、いい女がいたら寝たいと思うんだ。そのへんはきみだってわかるだろ」
「まあね」

 面倒だからそう答えておいたが、僕はアンヌ一筋だから浮気なんかしたくない。しかし、男の生理は同性として理解はできる。特におっさんはこうなのだと知っていた。

「なのにさ、ほのかとは寝たいとは思わなかった。恋をしちまったんだよ。ガキのころの片想い……いや、中学生のときの片想いだって、その女の子とやりたかったよ。生々しかったよ。俺も四十に近くなって枯れちまったのか……いや、そうでもないんだ。ただ、ほのかって女を知りたくて……そばにいたくて……ガラでもなく、片想いの歌なんか書いたりして……」

 どこかで聞いた話のような気もするが、どこにでもころがっているエピソードなのかもしれない。

「ほのかとは仕事のつきあいはあったけど、自分の身の上を詳しくは話さない女なんだよな。子どもがいる、結婚はしてない、程度しか聞かなかった。惚れた女に子どもがいるなんて聞くとちっとはショックなものなんだけど、ほのかに限っては、この女だったらなんだっていい。なにがどうあれほのかなんだから、この女だったらすべてをそっくりそのまま受け入れようって気になったんだ」
「だけど、伊庭さんって結婚してたんでしょ」

 そうなんだよ、と切なげに、伊庭さんはストレートのウィスキーを飲んだ。

「だからさ、フェアじゃないから、離婚したよ。俺はほのかと不倫してるわけじゃないんだけど、頭もハートもほのかでいっぱいになっちまって、女房はもちろん、娘のことだってどうでもよくなっちまった。ほのかほのかほのか、ほのかだけでいい。ほのかはそれほどの女なんだ」
 
 ふーん、そうかなぁ、なんだってそう、ほのかさんに幻想を抱く男がいるんだろ。僕は女っぽいせいか、そこまで彼女が魅力的だとは思わないが。

「だから、慰謝料も養育費もたんまりせしめられて、マンションも取られて、それでも別れて身軽になったんだよ。ほのかのためだったら金なんかいらないんだ」
「で、求愛したの?」
「いいや、それがさ……」

 気持ち悪いほど純情そうに、伊庭さんは笑った。

「言えないんだな。たまにはほのかに会うんだけど、つきあってくれだとか、寝たいだとか、おまえがほしいだとか言えない。世間話くらいしかできない。さっきもインディゴに入ったらほのかがいた。近寄ってもいけずに見とれてるだけだ。ほのかって女神みたいだよな」
「……そぉ?」

 本当のほのかさんがどんな女性なのか知っても? 意地の悪い気持ちもあって、僕は話した。

「ほのかさんには三人の子どもがいるんだよ。上は白人とのハーフ、真ん中は黒人とのハーフ、三番目は日本人。一度も結婚はせずに、三人の子どもをひとりで育ててるんだ」
「……ほぉぉ」

 しばし絶句してから、伊庭さんは呟いた。

「すげぇ。かっこいいってのか……うまい言葉が見つからないけど、そんな女、いるんだな」
「……あなたも年の割に、言うことが幼稚だね」

 その反応は、ほのかさんがそういう母だと知ったときの、ミチや僕にそっくりではないか。

「がっかりはしないの?」
「なんでがっかりなんかするんだよ。さすがは俺の惚れた女だって……ますます惚れたよ。そんな女……そんなのだったらよけいに、俺は……無理だな。俺のものになんかできないな」
「だろうけどね」

 ウイスキーグラスをもてあそびながら、伊庭さんは吐息をついた。

「ノアもそんな女になったら、かっこいいよな」
「ノア?」
「俺の娘だよ」
「……ひょっとしてあなたの元妻って、静枝さんって名前?」
「へ? なんで知ってるんだ?」

 ぽかんと見つめ合う伊庭さんと僕。どこにでもありそうな話だからではなくて、聞いたことがあるのも道理。そうすると静枝さんの元夫ではないのか。

 公園でたまに会う、胡弓の遊び友達、乃蒼ちゃん。乃蒼ちゃんの母である静枝さんは、僕のママ友とも呼べる。僕はパパだが、やっていることは世間一般のママに近いのだから。
 静枝さんはバツイチで、夫が浮気をして離婚したとは聞いていた。夫がよその女に純愛をささげていたらしく、けっ、馬鹿馬鹿しい、みたいに、静枝さんは吐き捨てた。その元夫の名前は聞いていなかったが、ここにいる伊庭さんだったのか。

「そうかぁ、ほんとだったんだ」
「ほんとだったとは?」

 不倫ではなく、本気の恋。それが本当だったとしたら、いっそう許せないと静枝さんは言っていた。その気持ちもわかる気がする。
 奥さんにならばごまかすために、肉体関係はないと嘘をつくかもしれない。けれど、僕にはそんな嘘をついても無意味なのだから、そういう意味で、ほんとだったんだ、と僕は呟いたのだ。

 深いところはわかっていない伊庭さんを連れて、インディゴに戻るべきか。アンヌだったらなんて言うんだろ。伊庭さんの純情に水をぶっかけて踏みにじってぐちゃぐちゃにしたがる、かもしれない。ほのかさんも嘲笑いそうだから、連れていかないほうがいいのか。

 馬鹿らしいとか勝手にしたら? とか笑うのは簡単だけど、ほんのちょっぴりだけ、伊庭さんの気持ちを尊重してあげたい。そう思うのは、女っぽくても僕も男だからなのだろうか。

END









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