ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「つ」part2

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いろは物語part2

いろはの「つ」

「つねならむ」

 何歳になっていても人間は恋をするものだ。恋をして結婚し、妻となった女の過去に、夫は嫉妬もするものであるらしい。

 六十歳をすぎたバツイチの隼平が、まゆりに恋をしてプロポーズしてくれた。まゆりとて三十五歳になっていたのだから、過去はある。どこにでもいる女のありふれた過去もいくつかあるが、そっちではなく、隼平はまゆりのいささか特殊な追憶に妬いているようだった。

「隼平さんも一緒に行きません?」
「なに? フォレストシンガーズのコンサート……か。まゆりちゃんは行くの?」
「あなたが駄目だとおっしゃるなら行きませんわ」
「そんなことを言うわけないでしょう。しかし……うーん」

 結婚して約一年、今年も金沢でフォレストシンガーズのコンサートがある。デビューしてから十年以上になるフォレストシンガーズは、金沢でも何度も何度もコンサートをやってきたが、近年はほぼ年に一回のペースで、独身時代のまゆりはそれを無上の楽しみにして生きてきた。

 高校生のころにつきあっていた乾隆也は、東京の大学に行くと金沢から出ていってしまい、ふたりの仲もそれでおしまいになった。

 地元の短大を卒業して地元の銀行に勤めたまゆりが二十四歳の秋に、同い年の隆也がフォレストシンガーズの一員としてデビューしたと知った。
 十代のころの彼氏が歌手になった、それはそんなにも珍しいことではないのかもしれないが、そうそう頻繁に、誰にでも起きる事柄ではないだろう。

 五年くらいはまったく売れなかったフォレストシンガーズが次第に有名になっていく。売れない時期にも売れてからも、まゆりは彼らを応援していた。ファンクラブに入り、CDもDVDも買い、コンサートにも行った。むろん、隆也と会うことは一度もなかったが。

 会いたいけれど会いたくない、そう思っていた隆也ではなく、まゆりが会えたのは三沢幸生。そのときのまゆりを目撃して好きになったと、三沢に紹介してほしいと頼んだのが松原隼平だった。

 お父さんみたいな年頃なのだから躊躇はしたのだが、年齢差以外には難もないから結婚した。十七歳年の差カップルの結婚式に、乾隆也が参列してくれた。
 それからだと初の、フォレストシンガーズの金沢ライヴだ。

「まゆりちゃんは乾さんにご挨拶に行ったりするのかな?」
「そんなことは考えてみたこともないけど、あなたは行けるのよね」
「行きたいんだったら楽屋に入れてはもらえるよ」

 なぜなら、隼平はフォレストシンガーズの所属事務所、オフィス・ヤマザキの社長の友人だからだ。

「だから、まゆりちゃんだって入れてもらえるよ」
「そうなんだ……そうなのね。想像もしてみなかったわ」

 テレビにはあまり出ないから、ファンクラブの会報や音楽雑誌で写真を見る程度だった。コンサートでは鮮明に見えるほどの席が買えたためしもなく、CDやDVDやライヴパンフレットの写真は実物とはちがっているような気もして。

 だから、まゆりの中では隆也は高校生の姿で時を止めていた。
 彼の故郷は金沢なのだから、犀川のほとりを歩いていたらばったり出会って……まゆり、いい加減俺を忘れろ、とでも言われる想像をしてみたりもしたが、曖昧な男の像しか結べずにいた。

 隼平とまゆりの結婚式に参列して、僕が作りました、あなたたちに捧げます、と言って歌ってくれた隆也。まゆりさん、隼平さん、おめでとうございます、幸せになって下さいね、と目の前に立って微笑んでいた隆也。

 細身で背が高くて、職業柄なのかおしゃれであかぬけていて、高校生のころとはいえ、こんなにかっこいい男性が私の彼だったなんて……とまゆりを呆然とさせた隆也。

 その隆也と会ってプライベートな話ができる? 隼平の妻となったまゆりは、そんなことのできる立場になったのか。その事実にも呆然としてしまっているまゆりを見て、隼平はいたずらっぽく笑っていた。

「一緒に行っていいんだったら、僕もついていきますよ。僕はフォレストシンガーズを生で聴いたことはないんだよね」
「そうね。隼平さんもファンになったって言ってるんだから、生で聴くべきよ。一緒に行きましょう」
「チケットと楽屋の件は、山崎に頼もうか?」
「ファンクラブの先行予約ができるわ」
「そのほうがいいかな」

 気持ち的には特別だったけれど、それだけのことだ。それ以外ではまゆりはフォレストシンガーズのファンのひとりにすぎない。乾さんが結婚式に来てくれて、私たちのために作った歌を披露してくれた。他のファンに話したらどれほど羨まれるかと想像して、ひとりでにんまりしてみるのだった。

 オフィス・ヤマザキの社長に頼むのはやめておいたので、真ん中よりもややうしろの端のほうという、まるでよくもないチケットしか買えなかった。楽屋を訪ねる件も山崎社長には頼んでいない。頼まなくても大丈夫だろ、と隼平は言うが、どうしようかとまゆりは迷っていた。

「ここは誰の故郷か、シゲ、知ってるか?」
「知ってますよ。本橋さんも知ってるでしょ」
「さぁ?」

 客席から女性の声が、乾さーん!! と叫ぶ。ステージには本橋真次郎と本庄繁之だけがいて、本橋が言った。

「俺は乾ではありません。こいつも乾ではなく……シゲ、俺たち、ファンの方に名前を憶えていただいてないのかな」
「本橋さん、そういう意味じゃありませんよ。金沢が故郷だって人のことを、お客さまが教えて下さったんです」
「ああ、そっか」

 笑い声が起きる。隼平もまゆりの隣で笑っていた。

「ふるさとってのは、みんな思い入れがありますよね」
「うんうん、三十何年も生きていて、十八年はそこにいたんだもんな」
「本橋さんは生まれてからずっと故郷にいますよね」
「そうなんだな。東京生まれはそういうものかもしれない」
「ああ、乾さんの準備ができたようです」
「そのようです。では、乾隆也の地元金沢のみなさま、乾に故郷に錦を飾らせてやって下さい」

 拍手と大歓声の中に、乾隆也が登場した。和服をまとっているせいもあって、ファンたちは大喜びだ。まゆりの脳裏に、たった一度、一緒に初詣に行った日の隆也がよみがえってきた。

「やっぱり隆也くんも着物を着るんだ」
「時々はね」
「……似合ってるね。あたしも着物、着てきたらよかったな」
「まゆりの白いコートも可愛いよ」

 逆ならば見かけたが、男の子が和服、女の子が洋服のカップルは珍しい。ちょっぴり恥ずかしいようで嬉しくて、混雑した神社の中を手をつないで歩いた。

「金沢を舞台にした演歌を作っていましてね……演歌ってのはうちらしくはないんですが、よそのグループに依頼されたんですよ。昭和の金沢を歌おうと……え? 聴きたいですか? 完成してないんだけどな……聴いてもらおうかなぁ。ここだけの話ってことで、金沢だから特別にってことでね」

 きゃああーっ!! と悲鳴じみた歓声が起きる。乾さんにとっては金沢は特別。故郷なのだから当然よね。そこには私がいるから……なんて、ちょっとだけうぬぼれてもいいかしら?

 かたわらにいる夫はひととき忘れて、日常生活もひとときは忘れて、まゆりは隆也の歌声に身をゆだねていく。目を閉じて聴いていると、金沢の町を手をつないで歩く、隆也とまゆりの姿が浮かんでくるようだった。

END







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~ Comment ~

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こんばんは!
まゆりさんの思い出は綺麗に保存されているみたいですね^^
時間が過ぎてもこんな風に思い出せる恋はとても素敵だなぁと思いました♪

夢月亭清修さんへ

いつもコメントありがとうございます。

考えてみればまゆりの昔々のモトカレは特殊な人で、夫にも彼の動向がわかったりするので、嫉妬も特殊な感じになるのかもしれませんね。
とはいえ、このおじさんはいい年ですので、嫉妬も冗談まじりなのですが。

まゆりのほうはかなり想い出を美化しています。
そんなのもいいものかもしれませんね。
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