ショートストーリィ(しりとり小説)

132「茶飲み話」

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しりとり小説132

「茶飲み話」

 母親を大切にする男はマザコンだと言われがちだが、虹子はそうは思わない。広い家に母親とふたり暮らしの博務がプロポーズしてくれたとき、これだけはお願いすると言われたのも素直に受け入れた。

「うちは広いから、同居とはいっても母は離れで暮らして、僕たちには干渉してこないでほしいって約束したんだよ。約束を守らなかったら僕が母を叱るから、なんでも僕に言ってくれ。母親の悪口を言うな、なんて、絶対に言わないよ。両方の言い分をちゃんと聞いてジャッジするつもりだから」
「わかりました。同居させてもらいます」
「ありがとう」

 上から目線で言われるのは慣れている。博務は大学の准教授で、虹子は彼の教え子だったのだから。
 学生と先生だった時代には、博務は結婚していた。その女性とは死別したとも虹子はよく知っている。博務が妻を亡くした十年ほど前には、虹子はとうに大学を卒業していたが、告別式には参列した。博務の母の松子にもお悔やみを言って、松子が涙にくれていたのも知っている。

 嫁が亡くなったことについて、あんなにさめざめと泣いていたのは、お義母さんは嫁を大切に思っていたからだ。私だってお義母さんに可愛がってもらえるはず。本当の母と娘のように、と考えるのは甘いだろうか。

 ずっと独身だったのだから、結婚はほぼ諦めていた。なのに思いがけなく学生時代の先生に再会して、特に告白もなくつきあうようになった。博務も結婚はもうしたくないのかと思っていたが、プロポーズしてくれた。

 この縁を逃せば一生独身かも、博務は収入も安定しているし、母親のものかもしれなくても持ち家もあるし、という打算があったのは否めない。五十代の新郎と四十代の新婦は、フォトウェディングだけで結婚式を済ませて新生活に入った。

 交際期間は短い。学生時代には触れ合いがあったとはいえ、学生と教授だったのだから深くはなかった。虹子には知らないことがたくさんある。博務は無口なので、自然、情報収集は松子に頼る。離れに住む松子はほとんど息子夫婦の住まいにはやってこないが、虹子が訪ねていけば歓待してくれた。

 庭を横切って離れに向かう。広い縁側でお茶を飲んだり編み物をしたり新聞を読んだり、天気のいい日には松子はたいていそうしてのんびりしていた。

「……お義母さま……あら、お客さまでしたか。失礼しました」
「いいのよ。虹子さんもいらっしゃいな」

 頭を下げながら、虹子は義母と見知らぬ女性とが向き合っている縁側に近づいていった。女性は虹子よりは十くらい年下だろうか。上質そうな和服をまとった涼やかなひとだった。

「このひとが虹子さん。こちらは綾さん」
「はじめまして」
「……はじめまして。お噂は伺ってました」

 簡単に義母が紹介してくれ、綾はお噂、などと言う。かすかに、なんの噂? といやな気分が起きたが、虹子はそれを追い払った。

「博務さんって神経質で、わりにむずかしいひとでしょう?」
「そうなのよね。あんまり喋らないから、虹子さんは気づまりじゃないかと思って心配なのよ」
「お義母さまが虹子さんの話し相手になってあげられるんだから、同居はいいかもしれませんよね」

「それもどうなのかしらね。でも、虹子さんは若くはないから、近頃の若いお嬢さんみたいには、自分勝手じゃなくていいわね。ほら、自己チューっていうの?」
「私みたいに?」
「綾さんはあのころは若かったものねぇ」

 ふたりしてくふふと笑う。あのころとはいつだろう。義母が手元の急須を引き寄せて入れてくれたお茶をすすりながら、虹子は松子と綾の会話を聞いていた。

「だけど、よかったですよね。博務さんに新しいお嫁さんが来てくれて」
「ええ。これで私も安心して冥土に行けますよ」
「お義母さまったら、冥土はまだ早いわ」
「だって、私ももう八十よ」
「八十三歳じゃありませんでした?」
「三つくらいいいいじゃないの」

 またしてもふたりでころころ笑う。
 何者なのだろう。この綾という女は。親戚の娘か? ならば、松子のことはおばさまと呼ぶはずだ。お義母さまだなんてなれなれしい。虹子のいやな気分は高まってきていた。

 会話を聞いていても、ふたりの関係も不明だ。テレビドラマの話から、そういえば藤井さんのお宅では……と虹子の知らない名前の家族の話題になる。そこからまた話題がそれて、虹子の知らない誰かの噂になる。女の茶飲み話には脱線はありがちだが、虹子の知らない話ばかりだった。

「さあ、じゃあ、お暇しようかしら」
「もうこんな時間? 綾さん、気をつけてお帰りなさいね」
「はい。お義母さまも風邪などひかれませんように」

 では、博務さんをよろしくお願いします、と虹子に頭を下げて、綾は帰っていった。

「あの……」
「おかしいといえばおかしいわよね。前の嫁とこうしてお茶を飲んで話している姑なんて……」
「前の嫁?」

 前の嫁は亡くなったのではなかったか? 混乱しそうになっている虹子に、松子は言った。

「知らなかったの? 博務さんは三度目の結婚よ」
「……し、知りませんでした」

 大学を卒業してからも細いつながりがあったのは、博務が大学教授、虹子が博務の専門分野と関わりのある仕事をしていたからだ。仕事でのつきあいだったから、プライベートは知らない。妻を亡くしたあとの博務が再婚していたとも、虹子はまったく知らなかった。

「最初の嫁が亡くなったのが十年ほど前よね。それから五年ほどたって、博務さんが綾さんを連れてきたの。綾さんはまだとても若くて、こんな若い子が五十近いおじさんと結婚しなくても……と思ったものよ。けれど、愛し合っていたのね」
「……はい」

 知りたくもないような、詳しく知りたいような、複雑な気持ちで虹子は聞いていた。

「綾さんはとってもいい子だったわ。ただひとつ、わがままを言う欠点があったの。私が同じ家にいるのが我慢できない、別居したいと言い出して、博務さんが頑として聞き入れなかったから、別れるしかなかったのよね。綾さんが家を出ていって、半年くらいで離婚が成立したの。綾さんと私は仲が悪いわけではなかったんだけど、嫁と姑みたいになると噛み合わなくなるものなのね。博務さんと離婚した今のほうが、綾さんとは親しくできるんだもの」
「……はい」

 後悔してるのよね、との松子の呟きに、虹子はぎょっとした。

「いえ、あなたに言うことじゃないわね。忘れて」
「はい……」

 忘れろと言われて忘れられるものではない。夫に問い質そうか。知った以上は黙っているのもおかしいのか。いくらなんでも多少は夫を詰ってもいいのではないか。
 自分たちの住まいに戻った虹子は夜まで悩み続け、夫が帰ってきたときにもまだ悩んでいた。が、いつものように食卓についた夫に言ってみた。

「今日、お義母さんのところに綾さんが訪ねていらしたんですよ」
「……そうか」
「それだけ?」
「それだけとは?」

 中背で痩せ形の博務は、好んでは酒は飲まない。食事も出されたものを食べるだけだから、楽といえば楽、物足りないといえば物足りない。結婚と同時に専業主婦になる必要はなかったのではないかと虹子は思っていた。

「どうして教えてくれなかったんですか」
「綾のこと? 言わなかった?」
「聞いてませんよ」
「そうだったかな」

 言ったつもりでいたの? それとも、とぼけてる? 食欲が湧かない虹子を尻目に、夫はごはんのおかわりを所望した。

「今日の煮物はうまくできてるね」
「煮物の話なんかしてません。綾さん……最初の奥さまが亡くなったのは知っていたけど、再婚してたなんてまったく知りませんでした」
「バツイチだと言ったでしょ」
「バツ二じゃありませんか」
「最初の妻はバツじゃない。きみは彼女を侮辱するのか」
「そんなつもりじゃ……」

 バツとは侮辱なのだろうか。虹子を言葉で押さえつけようとしているかのような夫の態度が腹立たしくて、虹子は言った。

「お義母さまはおっしゃいました。綾さんと別れて後悔してるって」
「ああ、僕もなんだ」
「は?」
「後悔先に立たずっていうし、もうきみと結婚してしまったんだから、僕は綾と関わる気はないよ。でも、母が綾と親しくするのは自由だろ」
「でも……」
「きみには母を止める権利はない。母にはきみに干渉しないように言ってあるんだから、きみも同じだよ。この話はここまで。お茶を下さい」

 不満だったが、これ以上は言いつのれない。虹子は口を閉じ、夫と義母の言葉を反芻していた。後悔している……僕も後悔している。

 夫と義母の言葉、綾の態度。棘のように心にひっかかったそれらが抜けないままに、表面は普段通りに博務とも松子とも接している。綾さんが……と言いかけると、その話はおしまいだと言っただろ、と夫に遮られる。ずるい、と子どものように地団太を踏みたくなっても、辛抱するしかなかった。

「あら、虹子さん、今日はお義母さまはお留守ですか」
「綾さん、いらっしゃいませ。義母は千代紙の会の会合で出かけています」
「まだあの会を続けてるのね」

 千代紙で折り紙をしたり、切り絵細工をしたり、さまざまな細かな手仕事をしては、老人ホームや児童施設に寄付したり、折り紙を子どもに教えたりする、そんなボランティアは松子の生きがいのひとつらしかった。

 裏から回れば、義母の離れには玄関を通らずに入ってこられる。親しいひとには義母がそうしていいと言っているのは虹子も知っている。綾はそんなにも義母と親しい相手。仕方のないことなのか。義母が留守だからといって帰るつもりもないらしく、縁側に腰掛けた綾に、虹子がお茶を入れた。

「虹子さんはお義母さまとの同居、平気?」
「ええ、楽しいです」

 まったくの平気ではない。綾があらわれて以来、心はざわめきっぱなしだ。しかし、義母のスパイかもしれない綾に正直に言うつもりは毛頭なかった。

「お義母さまはいいひとだから、深く考えなかったらいいんでしょうけど、若いうちは駄目ね。いやだと思ったらどうしようもなくなってしまったの」
「そうかもしれませんね」
「だけど、変なおうちよね」
「変ですか?」

 変なのは、明らかに年上の私と年下のあなたが、さかさまみたいな口のきき方をしていることじゃないの? と虹子は綾を見返す。が、綾は思いもかけないことを口にした。

「博務さんのお母さんは早くに亡くなって、籍は入れてなくても松子さんは博務さんの継母みたいなものなんだろうって、私は勝手に解釈していたのよ」
「は? それって……」
「やだ。その顔、知らないの?」
「なんですか、なんなんですか?」
「お義母さまと呼んではいるけど、博務さんと松子さんには血のつながりもないし、戸籍上も他人なのよ」

 眩暈がしそうになって、虹子は額を押さえた。

「結婚してから松子さんに聞き出したの。博務さんにそんな話をしても、うるさそうにあしらわれるだけ。その話はもうおしまい、ってぴしゃっと言われたら、それ以上聞けないのよね」
「そうですね」
「だから、松子さんから聞いたの」

 なのだから、主観のみで語られたエピソードだと綾は言う。

 遠い昔、博務の母の友人がこの家にころがり込んで来た。なんでも、その友人、松子は離婚して婚家を追い出され、行くところがなくて博務の母を頼ったらしい。
 幸か不幸か家はやたらに広く、博務の父は鷹揚で、女のひとりやふたり、家の手伝いをしてくれるんだったらいてもかまわないよ、との態度だったらしい。

「だからね、松子さんはお手伝いさんみたいな立場で、この家でずーっと暮らしてきたらしいの。先にお父さんが亡くなり、お母さんも亡くなり、博務さんの最初の奥さんが嫁いできたときには、松子さんが大奥さまみたいな立場になっていたみたい。昔はそんなこともよくあったらしいのよ」
「でも、博務さんは松子さんを母だって……」
「詮索されるのも面倒だから、そういうことにしてあるらしいわ」

 嘘も混じっているのかもしれないが、おおむねはこんな事情で、松子がこの家の刀自のようになっているらしい。するとすると……完全に混乱している虹子に、綾は言った。

「もしかしたら、松子さんは博務さんのお父さんのお妾さんだったのかもしれないね。絶対にそれはないって松子さんは言うんだけど、妻妾同居ってのも昔はあったんでしょ? そんな想像をすると気持ち悪くなっちゃって、松子さんとは同居したくなくなってきたのもあるの」
「それだったらとても……」

 よくわかります、との後半の台詞を飲み込んだ虹子に、綾は笑いかけた。

「まあ、今の私は松子さんと似た立場だから、話が合うようになってきてるのよ」
「似た立場?」
「突っ込みはなしよ。どう? 虹子さんは松子さんとの同居、続けていける? 長くてもせいぜい十年くらいだろうから、我慢する値打はあるけどね」

 似た立場とは、綾もどこかの男の妾だとでも? この年齢で上質な和服姿が決まっているのは、水商売だといわれれば納得できる。パトロンがいると言われてもおおいに納得できそうだ。

 それはそれとして、本当なのだろうか。
 もしかしたら綾が虹子を追い出したくて、博務と復縁したくて言っているのか? いや、だとしたら質問すれば、松子も博務も否定するだろう。戸籍を確認すれば松子と博務の関係はわかるはずだ。

 昔々……昔々……今は松子も老人になってしまっているが、中年だったころには……もしかしたら博務と……だからこそ博務は松子を母と呼び、この家に住まわせ続けているのでは?
 忌まわしい想像をしてしまっている虹子には、綾の微笑までもがまがまがしく映った。

次は「し」です。









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~ Comment ~

NoTitle

確かに恋愛と結婚は違うので。
収入とか立場も十分なステータスですからね。
恋愛結婚だからって人は幸せになるわけでもないですからねえ。。。
打算的に相手を選ぶのも悪いわけじゃない。

LandMさんへ

こちらにもありがとうございます。
恋には純粋な部分もあるはずですが、結婚となると「現実」ですから、打算も入り込みますよね。

結婚って一種の賭けなのかもしれません。
うまくいくか、いつまで続くかは神のみぞ知る。
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