グラブダブドリブ

グラブダブドリブ「Secret matter」

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グラブダブドリブ


「Secret matter」


1・司

 寝っころがって天井を眺める。中学生のときにあそこに、アニメの女剣士のポスターを貼った。胴着が破れていて胸が覗いているような、中学生にはどきどきもののポスターだった。
 あれはどうしたんだったか。母は息子にそういうことをうるさくは言わなかったから、怒られたりはしなかった。弟と喧嘩したときにはずみで破れたにしては、位置が高すぎる。今の俺にだったら背伸びすれば届くが、中学生のときには俺にも、小学生の弟たちにも届かなかったはずだ。
 壁やタンスや襖だったら、破ったり傷つけたりした。大学を卒業してロッカーになった俺が出ていくまでは、この家では兄弟喧嘩が絶えなくて、俺が出ていったあとも、秀と要も喧嘩をしていたのだろうし。俺たちの喧嘩って荒かったもんなぁ、と苦笑まじりに思い出す。
「司、ごはんよ」
「へーい」
 呼ばれてのっそり、居間へ出ていった。
 たまの休みにはマンションでごろ寝していることも多いのだが、母がひとり暮らしになっている生家へも遊びにくる。色を抜いて長くして、エメラルドのメッシュを入れた俺のトレードマークの髪は、近所のおばさんたちをぎょっとさせるから、帽子をかぶって。
「……」
 変装というほどでもないのだが、普段とはちがった格好をして、家から離れた場所でタクシーを降りる。家が近づいてくると、昔なじみの近所のおばさんにうさんくさそうに見られた。
「俺ですよ。おばさん、久しぶり」
「……俺って、そんな知り合いはいないけど……」
「沢崎です。顔を見たら思い出しませんか」
「……司くん? お化粧してる?」
「してませんよ」
「……音楽やってるとは聞いてたけど……なんだかこう……」
「母がお世話になってます。じゃあ」
 精一杯愛想よくふるまっている俺を、おばさんは呆れ顔で見ていた。
 呆れられる筋合いはないと思うのだが、男が髪を長くしているだけで、保守的な中年以上男女は眉をひそめる。うちの仲間たちの場合は。
「俺は身内になんか会わないから」
「悠介はそうだよな。俺も常日頃は身内には会わないけど、姉や妹に会うと、まあ、ジェイミー、なんてゴージャスなのっ!! って叫ばれるよ。母も言う、ジェイミー、いつに変わらず綺麗ね」
「親父さんは?」
「ふむ、とか言ってたけど、別にコメントはなかったよ。ボビーは?」
「いかにもミュージシャンだね、って言われるくらいかな」
 ドルフは髪は長くない。ボビーはアメリカ人、ジェイミーはイギリス人で感覚が違い、悠介は身内とは縁を切っているようなのでとやかく言われても気にしない。俺だって家族とはめったに会わないとはいえ、平凡な日本人なのだから、身内やご近所さんのしがらみからは無縁ではいられない。
 近所のおばさんにお愛想を言って家に帰ると、母が俺の好物を作って待っている。弟たちは警官になって警察官舎とかいうところに住んでいるので、あいつらに会う恐れだけはないのだが。
「司、また背が伸びた?」
「背は伸びないけど、素振りは欠かさずやってるし、鍛えてもいるから姿勢はいいだろ」
「……惚れ惚れするようないい男だわ」
「母さん、やめろって」
 内面に関してはずけずけけなす母だが、俺の外見については褒めまくる。弟たちにも、あんたたちは背が高くて顔もよくて、お父さんに似たいい男、と言っているそうだから、間接的にはてめえの夫を褒めているらしい。
 四十になる前に夫を亡くし、ひとりで三人の息子を育ててきた母は、現在は内職をしている程度の年金暮らしだ。父も警察官だったので、年金収入はいいほう。弟たちも小遣いを渡しているのだろうし、俺も時々は渡していた。
「楽をさせてもらっているのも、お父さんと頼もしい息子たちのおかげよ」
「頼もしくはないんだろうけど、ひきこもりで親の脛をかじってる四十男なんてのもいるらしいから、そいつらよりはいいんだろうな」
「あんたたちみたいないい男を、世間がひきこもりにしておくはずないじゃない」
「はいよ、お世辞をありがとう」
 揚げ物とビールと、野菜も食べなさいよ、の母心。母と世間話をして、彼女はできた? との質問も飛ばされる。三十をすぎた息子に、結婚しなさいとは言わないのは、俺が世間一般的な仕事をしていないからだろうか。
 中学生で父を亡くしてからは、弟たちとは喧嘩ばかりしていた。ガキのころには他愛もない喧嘩で、俺が高校生くらいになると、裏切者!! 馬鹿野郎!! うるせえっ!! てめえ、この野郎!! と、野獣みたいな野蛮な罵り合い、取っ組み合いになった。
 その分、母と喧嘩はしなかった。
 ものわかりのいい母だったからもある。ガキのころにだったら母に反抗して、親父に殴られたりもしたが、父が亡くなってからは母には頭が上がらなくなったからもある。弟たちもきっとそうだろう。牙を剥き合ってばかりいても、俺たち三兄弟は似ているらしいから。
「ロックやってるともてるんでしょ?」
「概してもてるようだな」
「一度、うちにみなさんを連れてきなさいよ」
「ここにか?」
「いいじゃない。ごちそうするわよ」
 五十代女性は我々のライヴに来たら浮くだろう。業界人の中年女性の姿ならば見るが、母はごく普通のおばさんなのだから、招待してもライヴには来ないだろう。グラブダブドリブはフォレストシンガーズではないのだから、ファンの年齢層は比較的低い。二十代、三十代が中心だ。 
 ライヴに来る以外で、母がうちのメンバーに会う機会はない。わざわざここに連れてくるのか? ジェイミーとボビーだったら呼んでもいいけど、悠介やドルフはなぁ、お互い、気まずくないだろうか。
「お母さんだって美青年は好きなんだもの。会いたいわ」
「……げ」
「げ、とはなによ? うーん、外人さんってどうやってもてなしたらいいんだろ。中根さんなんかは綺麗すぎて、ぽーっと見とれてしまいそうだけどね」
「いい男は息子たちで見慣れてるんだろ」
「中根さんやジェイミーさんって、タイプがちがうじゃない」
「ま、たしかに」
 自分で言う通り、金髪のジェイミーはゴージャスな美青年だ。悠介は俺たちみたいな雑駁な男ではなく、一見は優美繊細。中身は優美でもないが、俺の母の前では優雅にふるまうだろう。
 愛嬌のあるボビーは母とも話を合わせるだろうが、あとでボビーが疲れてしまうのではないか。ドルフは終始ぶすっとしていて、俺が疲れるのではないか。いや、ドルフが年配の女性の前ではどんな態度なのかは知らないので、杞憂かもしれないが。
「言われちゃったら困る?」
「なにをだよ」
「沢崎司さんは……うふふ」
 ステージでのMCのことだろうか。あり得る気がする。
 うちの沢崎はマザコンでね、とジェイミーがステージで喋って、笑いを取るのではないだろうか。男は普通、マザコンだよ、と悠介は言うが、悠介の場合は亡くなった母を慕う美談にならなくもない。俺だって亡くなった父を慕っているのならば美談にもなるかもしれない。
 が、俺の場合のモロマザコンはシャレにもならない。やはりうちのメンバーをこの家に連れてくるのはよそう。
「私も内緒にしておいてあげるからね」
「誰にだよ、なににだよ。俺は母さんに内緒にしておいてもらわないといけないことなんかないぜ」
「そうかしら」
 なんだかえらく嬉しそうだ。母としては息子がマザコンなのは嬉しいのだろうか……嬉しくても不思議はない。内緒にしておいてあげるとは、メンバーにか、ファンにか、もしかしたら俺の彼女にか。誰にだって言ってほしくはない、「マザコン」のひとことなのだから、母の配慮はありがたいと考えておくべきだろう。
 

2・ドルフ

「女は嫌いだなんて言われると、私だって女なんだから悲しいな」
「いや、恋愛したくないってだけで、女性だからと嫌ったりはしないよ」
「どうして女が嫌いなの? いつから? いつまで?」
「むずかしいな」
 テレビには出たくないのがポリシーのグラブダブドリブだが、ラジオだの雑誌の取材だの、プロモを流してミュージシャンたちがロック談義をするだのといった仕事は受ける。今日は生放送のラジオ番組で、女性DJが目を輝かせて俺に質問をしていた。
 本名は波江瑠奈、細くて背が高くて、今どき流行りのルックスをしている。俺の同業者たちの中には、瑠奈と寝た男が数人いるらしいとは聞こえてきていた。
「あたしみたいな女もタイプじゃない? 瑠奈ってモデルみたいだね、って言われるんだよ」
「モデルってそんなにいいかな」
「いいじゃない? 女優が一番だけど、音楽やってる男にはちょっと近寄りにくいみたいだから、モデルに行く奴がよくいるんだよね。モデルに相手にしてもらえないようだったら、モデルみたいなかっこいい美人がいいみたい。だから、あたしはもてるんだよ」
 外見だけで? と言うのは意地悪だろうか。俺は親しくもない女に意地悪な助言をしてやる気はない。
 好みもあるのだから、他人にとやかく言う気もないが、モデルってのは外見がいいのだろうか。長身、細身は今どきの流行で、彼女たちには洋服が似合う。それだけなのではないか? 女優には美人も大勢いるが、モデルに美人はいたっけか?
「ねぇ、ドルフ、どうして?」
「どうしてと言われても……」
 どういった理由で女が嫌いなのか? いつからいつまで嫌いなのか。そう尋ねられても、仕事であってもきっちり答える義理もない。俺にだって論理立てて答えられる質問ではなくて、なんとなく、気がついたら、きっと死ぬまで、としか言いようがないのだ。
 ガキのころには別段女が嫌いではなかった。小学校のときに日本に来たのでそれ以前はぼんやりとしか記憶にないが、女嫌い幼児ではなかったはずだ。
 小学生のときには友達は性格で選んだ。気の合う子どもだったら男でも女でもよくて、しかし、友人は少なかった。周囲が色気づき出す思春期になると男女差を意識するようになったが、俺は女の子とだって深く考えずに親しくしていた。
「ドルフってもてるよね。やっぱかっこいいから」
「俺、かっこいいか?」
「大きいから怖そうだけど、アメリカ人ってのもポイント高いし、スポーツもできるし頭もいいし、無口なところもいいな。顔もよく見たら整ってるよ。あたしとつきあう?」
「こうやってつきあってるんだったらいいけど、恋人とかいうのはいいよ」
「そういうはっきりしたところも、男らしくていいね」
 あの女の子とはその後も、異性だと意識せずに友達を続けていた。女とは友達になれないよ、キスしたくなっちゃうよ、と言っていた男友達もいたから、当時の俺はおくてだったのか。それだけではなかったが、女は嫌いだとは思っていなかった。
 高校のときにドラムをはじめ、平行して陸上競技のあちこちに手を出していたから、恋愛になんか興味がなくなった。女に告白されたり、ドルフはかっこいい、と言われたりするのはたびたびだったから、俺は女は嫌いなんだ、と退けたわけだ。
 大学生のころからバンドを組むようになって、女の子たちのバンドにいたこともある。プシィキャッツのメンバーたちはチカを除けば外見は女っぽかったが、中身は女らしくなかったのでやりやすかった。つまり俺は、「女」っぽい女が嫌いなのだ。
 大人になってからだって、恋愛相手や結婚相手としての女はいらないというだけで、それをして世間では女嫌いだと言うのだろう。
 まあ、通常は女は女なのだから、女っぽくはない女だとか、私は男っぽいって言われる、と公言する女なども好きではない。チカのようなきわめつけの「男みたいな女」がいい。とはいってもチカも女だしなぁ。身体は女だし、男に恋をする女だし。
 などなどと考えて、瑠奈には生返事をしていた。
「ゲイってわけでもないんだよね」
「男にも恋愛はしないよ」
「恋愛嫌い? セックスが嫌い? 女は嫌いだから結婚したくないけど、セックスだったらしたいって男、ぶっちゃけ、多いじゃない?」
「そうなのかな」
 来るものは拒まずだったように思える、独身時代のジェイミー。誰でもいいわけではなく、好き嫌いは激しいが、好きなタイプの女だったら拒まないらしい司。
 このふたりはセックス好きだろう。悠介は心底惚れた女でないといやだと言うから、彼の場合は女嫌いというのでもなく、異性に恋する沸点が低いというべきかもしれない。ボビーはどうなんだろ? 彼こそが恋愛は面倒だという男なのだが、セックスは好きなのだろうか。
「うちのメンバーは変わり者ぞろいだから、一般的な男ってよく知らないよ」
「ドルフは変わり者のきわめつけだし?」
 もうすこし遠いところにいる知人には、瑠奈の言うような男は数多くいる。ミュージシャンには、暇つぶしの娯楽に女、と思っている奴だって多々いる。彼らは真面目に女とつきあいたいのではなく、寝たいとしか考えていないはずだ。
 そういった需要にマッチする。瑠奈みたいな女がいる。それで八方丸くおさまる……のだったらいいが、割り切るつもりが修羅場を迎え、ということもあるのだろう。
「恋をしたことぐらいはあるんでしょ?」
「ないなぁ」
「嘘だぁ。ほんとにないんだったら人間じゃないよ。ドルフってターミネイター? そんな感じもするね」
 きゃらきゃら笑っている瑠奈に苦笑を返しながら、考える。
 恋をした記憶はない。初恋の記憶もない。あんな奴は大嫌いだ、との強い感情を持った記憶もないから、俺は非人間的なのかもしれない。ただ、恋ではない行為だったらあった。
「ドルフが好き。ドルフは女が嫌いでセックスも嫌いだって噂だけど、ほんと?」
「ああ、そうだよ」
「私も嫌い?」
「嫌いというよりも関心ないな」
「嫌いじゃないんだったら……」
 抱いて、と迫った別のバンドの女。はねつける気にならなかったのは、俺は彼女に関心がないわけではなかったのか。肉感的な美女だったから、性的関心は持ったのか。
 情にほだされたってやつもあったのかもしれない。俺のアパートに連れていった彼女とひとときをすごし、彼女に打ち明けられた。彼女はバンドを解散して田舎に帰る。その前に想いを遂げられて幸せだったと。あのひとときは俺にとっても、気恥ずかしい青春のひとこまだった。
 それだけしか経験がないからこそだが、悪い追憶ではない。だが、そのことで味をしめて、女を抱きたいなぁ、などと思うようにもならなかった。
「恋をされたことだったらあるんでしょ」
 泣きぼくろのあった女の顔を思い出そうとしていると、瑠奈が言った。
「ドルフはもてるよね。女に飢えてない、超然とした男ってもてそうだもの」
「もてたとしても気にしてないよ」
「きゃぁ、かっこいい。でもさ、なにかあるでしょ」
「なんにもないって」
 番組の恰好がつかないのか、単純な好奇心なのか、瑠奈が突っ込む。揶揄している口調で、ドルフってかっこいいね、と言う目が冷たい。俺のたった一度のエピソードを話せば、特ダネみたいなものなのかもしれないが、公共の放送で口にする気は毛頭なかった。

 
3・悠介

 大人になってくるとしなくなることを、高校生のときにやった。すなわち、家族に嘘をついて彼女と旅行に行くこと。
 高校生のときにできた初の恋人、あれから長く恋人はできなかったから、俺が生涯で二度だけした恋の最初の相手だ。菜摘とつきあうようになったのは高校二年生の年で、それから約一年の後、春休みの前に、菜摘が言った。
「お父さん、転勤が決まったの。私は東京に残って、東京の大学に行きたいって言ったんだけど、女の子をひとりで残してなんかいけないって……」
 そうなのならばどうしようもないではないか。親がかりの身は親に従うしかない。俺だって高校生の身では独立できにくいから、大嫌いな祖父母に食わせてもらう屈辱に甘んじていた。
 ならば最後に……。
「菜摘、旅行しよう」
「……いいよ」
「おまえはおまえの親に話す、口実を考えろよ」
「悠介はいいの?」
「俺は男だしさ」
 頼んでもいないのに祖母が小遣いは豊富にくれるので、貯金はしてあるから金はなんとかなる。が、高校三年生になる春休みに女の子と旅行するとストレートに言えば、祖母に止められるだろう。
 父が仕事でフィリピンに赴任していたとき、現地妻のようにしていた女に産ませた子が悠介だ。父は彼女をぽいっと捨てて帰国し、母は悠介を産んで一族の中で育てた。俺が五歳の年に父が亡くなり、祖父母の調査で隠し子がいると判明した。
 祖父の事業を継ぐため、血縁があるというだけで日本に呼び寄せられ、おまえは将来は会社社長になるのだ、と決められて育った。
 そんな祖父母を好きになれるはずもないし、好きになろうとも思っていないが、大人にはなりたかった。なのだから内心では反抗しても外面だけは従順に、俺は一年後の家出を目標に生きている。電気屋で住み込みで働いて、大学に通う手筈も整えていた。
 その前に一度、好きな女の子と旅行がしたい。家に帰ると、俺は祖母の部屋に出向いた。祖父は仕事が生きがいなので、家にはめったにいない。
「春休みには予備校に通います」
「予備校? 悠介さんはお勉強はできるのでしょう?」
「成績は優良なつもりですが、僕が受験する予定なのは文系では最高峰の大学です。現役合格するには休暇中の猛勉強も必要です」
 大学には行っておいたほうがいいだろうが、仕事とは特段関わりもない、学問は好きなものを選べばいいと、祖父は言った。そこだけは話せるじいさんなのだ。祖母はといえば、おじいさんがそうおっしゃるなら、と言う。昔ながらの夫唱婦随の夫婦だった。
「ですので、春休みは遠方の予備校で合宿生活に入ります。自分で手続きその他もすませますので、おばあさまはご了解いただければいいです」
「ああ、そうなの。あなたがそう言うんだったらいいですよ。おじいさまにも報告しておきます。お金はいくら必要なんですか」
 実際にそのような勉強のための合宿はある。パンフレットはもらってきていたので、そこに記載されていた所定の料金を口にした。
「大学生まではしっかり勉強すればいい、行きたければ大学院に行ってもいい、悠介さんが優秀なのはわしの孫だから当然だ、社会人になってからでも悠介さんだったら遅くはないから、しっかり勉強しなさい、おじいさまの方針としてはそのようですよ」
「はい、ありがとうございます」
 このじいさんばあさんと暮らしていて、俺には慇懃無礼が身についた。悠介の心のこもっていない丁寧さは怖い、と後年になって誰彼からともなく言われるようになった。
 いずれにせよ、俺が勉強さえしていれば祖父母は満足だったようだ。したがって特にうるさく詮索もされず、了承してくれた。菜摘のほうは女友達に口裏を合わせてもらって女の子グループで旅行すると言ったらしい。彼女は引っ越すと決まっていたから、親も許してくれたようだ。
 とすると、二泊三日。それだけの旅行にすれば大きめな荷物を持って、俺は出かけていった。菜摘との旅行が終わったら、ひとりで放浪でもするつもりだった。
「悠介が放浪なんかしてたら、男のひとに襲われるよ」
「俺をなめてんのか?」
「なめてはいないけど、悠介って綺麗だから、男のひとも変な気になるんじゃないかって……」
「変な気ってこんな気?」
 はじめてふたりきりになったのだから、ベッドを見るとその気になって、菜摘と抱き合った。俺は年齢のわりには血気盛んでもなかったが、好きな女だったら当然抱きたかった。
 ホテルで抱き合ったり、海を見つめてロマンティックしたり、青春していたなぁ、なんて思い出すとくすぐったくなる。こんな俺にもそんな経験はあるんだよ、っていうか。冷血漢でもないんだよ、って、誰に言い訳しているのか知らないが。
 あんなこと、二度としないのだろうな。俺には彼女はいるから、浮気旅行だったら可能性はあるのかもしれないが、浮気なんて面倒なことはしたくもないから、俺はきっと一生、そのたぐいの嘘はつかないはずだ。

 
4・ジェイミー

 
 かつて、俺はメンバーたちとこんな会話をしたものだ。

「司は独身主義だよな。結婚したら所帯じみるから、ロッカーってのはファンに夢を見てもらうのが仕事なんだから、夢の世界の王子さまみたいでいるべきだって、そう言いたいんだろ」
「俺は夢の世界の王子さまなんてタイプでもないけど、まあ、そうだな」

「悠介は彼女も結婚したがらないし、てめえも血を残したくないとか言ってただろ。司には隠し子だったらできるのかもしれないけど、悠介は子もいらないと」
「いらないよ。司だって、親父になる気もないだろ」

「ドルフは悠介とは別種の女嫌いか。意外とチカと結婚したりって、ないのか?」
「あるわけねえだろ」

「ボビーはよくわからないんだけど、女嫌いじゃないよな? 独身主義でもないんだろ」
「女は嫌いじゃないよ。結婚は絶対にしないとも言い切れないけど、その前の段階が面倒なんだ」
「つまり、恋が面倒?」
「恋愛もつきあいもメンドクサイよ」

 彼らの言わんとしていることはわからなくもないが、本当の意味では俺には理解できない。
 要するにグラブダブドリブのメンバーは全員、結婚するつもりはないようだ、とだけ理解した。ドルフはそもそも女を好きにならない。ボビーの場合は、女とつきあうのが面倒だと言うような奴にはなにを言っても無駄だ。本当はつきあっていて、やっぱり面倒だ、となっているのかもしれないが。
 司と悠介も好きにすればいい。俺も好きにする。気に入った女の子たちとつきあって、この子は抱き心地はいいけど、性格的には弱そうだから妻には向かない、だとか、プロポーションはいいけど細すぎるから、母としては向かない、だとか、勝手な感想を持っていた。
 二十代のころにはそうやって、遊びの恋だけをしていた。不倫もあった、遊びのつもりが深みにはまりそうになって逃げたこともあった。そんな恋の記憶が、過去から続く俺の道の中に、いくつもいくつも落ちている。くすんでしまった記憶も、いまだ輝いている記憶もあった。
 問題はこれだ。
 十三歳で初体験をして以来、何人の女性とベッドに入ったのか。十七歳までは年にひとりぐらいだったはずだが、十三歳は彼女、十四歳は彼女、十五歳は……彼女? 十六歳は……あれ? 十七歳の年の相手は誰だったか? 誰かいたはずだけど。
 十八歳から二十代の十年間を加えると、もはや記憶がごちゃごちゃになる。
 世界中に知人は散らばっていて、時として、あら、ジェイミー、久しぶり、と声をかけてもらえる。その相手が妙齢の女性だったりすると、俺は時たま悩む。この女性とは寝たんだったか? 思わせぶりなことを言われたとしても、ほんとに寝たのだったか? どうだったか、うー、思い出せない、となることが間々ある。
 あのときは、ほら、うふ、だからね、だなんて、脅迫されたらどうしよう? とまで、いらぬ心配をしたりもする。
 幸いにも脅迫されたことはないが、今後もないとは言い切れない。女性関係をきちんと思い出してデータベースに入れておくべきか。それもやりすぎだしな。
 独身時代になにをやっていたって、そのころは自由だったんだからどうだっていいだろ、独身時代の俺はそう思っていた。「ジェイミーはもてたに決まってるわよね、過去はいいのよ、うん、いいの」
 そう言ってくれる妻の微笑はわずかに不気味ではあるが、過去は許してくれるのだろう。ただ、我が家にはもうひとり女性がいる。今はまだ幼い俺の娘、リーヤが大人になって父親の過去の所業を知ったらどうなるのか。
 
「忘れて 閉ざした 記憶の中に 本当に 大切な 物を探してる

 (Bring me down) 優しくなぞるその指や
 (Don't go away) 微笑みかける笑顔も

 知らず 知らず 心に鍵かけて
 知れば 知る程 胸に刺さる

 忘れかけた 心の隙間から 辿り着けない 未来を求めても
 オルゴールを止めて 眠りの中へ 籠の中の森で眠る Secret

 無情な針が刻み分けた時 想い出さえも切り分けてみよう
 何が残るか見てみたい お遊戯みたいにしてみたい
 So tell me why I don't know why
 夢か現か飛び越え
 Hold on me tight in sleeping forest
 (秘めた願いは)“XYZ”」

 娘にだけは軽蔑されたくないから、よくない過去は封印したいのだった。


5・ボビー

 ペルシャ絨毯というと臙脂だの黄土色だのを連想するのだが、見せてもらった写真の絨毯はモスグリーンだった。いい色だなと思っていると、横から口を出した女性がいた。
「珍しい色合いですよね」
「あ、やっぱりそうですか」
「モスグリーンは珍しいですよ。これ、シルクなんでしょ? それでこのお値段? いいなぁ、ほしいなぁ」
「えと……?」
「あ、失礼。私はこういう者です」
 シンセサイザーの新作を見たくてやってきた、デジタル楽器の展示場だ。俺が興味を引かれた小型シンセを同じように見ていた男がいて、これ、いいですね、ほしいな、高いな、と言い合っていたら、また別の男が写真を出したのだ。
「高木さん、ペルシャ絨毯がほしいって言ってたでしょ。これと物々交換しない?」
「ええ? そんなの、僕は楽器屋の店員にすぎないんだから、無理ですよ」
「そっかぁ、やっぱりな」
 好奇心に駆られて俺も絨毯の写真を見、そうしているとその女性も寄ってきた。彼女がくれた名刺には、貿易商社のバイヤーという肩書があった。
「私はこういうものを見る目はありますよ。だから言うの。私が個人的にほしいんだ。お勉強してくれます? お勉強っていうのは、値引きって意味ね」
「俺は日本語は大丈夫ですよ。わかります。そっか、いいなぁ」
 マンションの絨毯が古びてきているので、新しいのがほしいと思っていた。しかし、俺はシンセサイザーを見にきたのだ。絨毯マニアでもあるまいし、ペルシャの逸品なんていらない。家具量販店でそこそこのものを買えばいいのだが。
「物々交換は無理だけど、俺もほしいな、もうちょっと安くなりません?」
「あら、私が先ですよ。私が買うの」
 最初に俺と話していた男と、あとから話しかけてきた女性が言い合っている。この値段だったらお買い得ですよ、と写真を持っている男も言っている。安くして、無理です、と値段交渉が続いていた。
「その値段じゃお話になりませんよ」
「じゃあ、これは?」
「あ、僕だったらここまでは出しますよ」
「私はここまで。邪魔しないで」
 高木さんって誰だったかな? 誰が誰だかわからなくなってきたな、と思いながらも、俺の目は写真に吸い寄せられる。絨毯をほしがっている男と女と、絨毯の持ち主は電卓やメモを駆使して交渉していて、俺もシンセはそっちのけでその話を聞いていた。
 別にシンセは今すぐほしいわけでもない。ペルシャ絨毯のほうがほしくなってきた。バイヤーさんがいいと言うのだったらいいのだろう。そのくらいの金、俺にはどうってこともないし。
「もうちょっと、どうにかならないかな」
「俺ももうちょっとだけ安くしてくれたらな」
「これ以上は勘弁して下さいよ」
「あの……実物を見せてもらえませんか」
 言うと、買いたがっていたふたりは黙り、写真の持ち主が言った。
「あなたはどなたでしたっけ?」
「グラブダブドリブのボビー・オーツっていうんですけど」
「グラブダブドリブ?」
「ええ? グラブダブドリブってあのグラブダブドリブ? ほんとだ。本物だ」
「きゃあ、すごい人に会っちゃったわ」
 そんなに騒がなくても、とは思うが、こういう反応を示されることもなくもない。俺は苦笑いして言った。
「俺も絨毯の争奪戦に参加させて下さい。相場ってのがよくわからないけど、こんなものですか」
「うわぁ、グラブダブドリブの方には負けそうね」
 貿易会社のバイヤーだというのだから、彼女、名刺によると村田さんという女性は専門家なのだろう。熱心にペルシャ絨毯について語ってくれる。もうひとりの男は、僕は負けでしょうね、と言って去っていき、長時間かけて絨毯を見せてもらう相談がまとまったのだった。
「で、これ、買ったんだ」
「ふーん、いくらだって?」
「百万はしなかったよ。シンセのいいやつよりも安いんじゃないかな」
「ふむふむ」
「ジェイミーはこういうの、詳しいのか?」
 見せてほしいと言われたのでマンションに伴ってきたジェイミーは、絨毯を検分していた。
「詳しくはないけどさ……ボビーの話を聞いてると……詐欺っぽい気がしなくもなく……」
「村田さんは保証してくれたよ」
「ぐるだと考えられなくもなく……だけど、おまえは気に入ってるんだろ」
「色も肌触りもいいよ。買ってよかったと思うけど、まちがえた?」
「いいんじゃないのかな、ボビーは金持ちなんだし、独身だし」
「おい、ジェイミー、はっきり言えよ」
「俺にもよくはわからんからさ」
 お手上げのポーズをして、ジェイミーはキッチンに入っていく。勝手にウィスキーを出して飲みはじめたジェイミーは、つまみはないのか? とかほざいている。俺は膝をついて絨毯を見つめた。
 尋ねられるままにジェイミーに、細かく説明したのが悪かった。はっきり言ってくれないから俺としても気分はよくないが、ジェイミーは専門家ってわけでもないのだから、気にしないでおこう。調べるつもりになったら鑑定だってできるのだろうが、そっちの専門家に頼んだりしないでおこう。
「ジェイミー、絨毯の話はおまえにしかしてないんだから、秘密にしておけよ」
「そう? そのほうがいいのかもな。ボビー、食うもんない?」
「冷蔵庫になにかあるだろ」
 自分で買って自分で気に入っているのだから、他人にとやかく言われる筋合いはない。この満足感を永続させるためにも、これ以上他人に吹聴するのはやめておこう。


END





 
 
 
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