ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「に」part2

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フォレストシンガーズ

いろはの「に」

「にほひおこせよ」

 凛として咲く白い梅は香気も強い。古風な日本の女のような控えめな美しさは、私とは正反対だろうか。

「喜多先生~!!」
「デートですか~?!」

 むこうのほうで女子学生たちが手を振っている。母校のキャンパスには、昔からこんな梅の樹が立っていただろうか? 桜だったら目立つが、若いころには梅なんて意識していなかったのかもしれない。

「大人にお節介焼いてないで、早く帰りなさい」
「お疲れさまです。もう終業時間なんだから、僕らもプライベートタイムですよ」
「ほっとけって意味ですね」

 さらに手を振って、女子学生たちがキャンパスから出ていく。私はよけいなことを言った川村を軽くこづいた。

「認めたって意味?」
「晴海さんと僕が恋人同士だって? 認めたらいけないの? うちは職場恋愛禁止?」
「そんな規則はないはずだけど、言わなくてもいいと思うよ」

 ブランクはあるが、私は長くこの大学に通っている。

 十八歳で大学に入学し、四年間で尋常に卒業し、友人のコネで商社に入社した。私は中国語学科だったので、特技を生かせる部署に配属してもらった。

 十年ほどで退職し、中国に渡った。かの地で中国語を学びながら、日本語教室講師のアルバイトをしていた。生徒だった中国人男性と恋をし、プロポーズされ、にも関わらず彼の家族の猛反対に遭って結婚はできなかった。

 日本人なんかと……という反対理由は、そう珍しいものではなかったのかもしれない。日本人学校との契約が切れたので帰国し、一年近くはフリーターをしていた私は、母校から声がかかって中国語学科で会話を教える講師になった。

「合唱部も変わったねぇ。私のころは女子部と男子部が別々だったのよ。それが今は合併して、女の子がキャプテンだって心強いよ」
「喜多先生、フォレストシンガーズはごぞんじですよね」
「知ってるよ。乾くんと本橋くんと、マネージャーの山田さんは同級生だよ。他の三人とも話をしたことはあるな」

 当時の合唱部キャプテン、日向房子が話してくれた。

「木村章さんの弟の龍くんと、三沢幸生さんのいとこの雄心くんが合唱部にいるんですよ。ごぞんじでした?」
「そこまでは知らなかった。そうなんだ!!」

 房子ちゃんと話していて、合唱部の顧問になってほしいと頼まれた。顧問をするような人間ではないが、OGとして合唱部と関わるようになり、講師としてもなんとかやっている。房子ちゃんは卒業していき、龍くんと雄心くんは三年生になった。

 学生として、講師として、私はこの学校に何年も通っている。私以上に長く、一年生のときから、院生を経て准教授になっている、加藤大河という男もいる。私が講師になってから事務局の職員として働くようになった川村とも、いつの間にか親しくなった。

「雄心くんって晴海さんを見ると、なんとなく申し訳なさそうな顔になるんだよね。なにかあった?」
「おばさんを見てると不愉快だからじゃないの?」
「晴海さんを見てると不愉快だって? 逆だと思うけどな。なにもない?」

 ないよ、と川村には応えたものの、あった。
 変な趣味の三沢雄心は、私を好きになったのだそうだ。十五歳も年上だよ。キミ、変態? ではあったのだが、二十歳くらいの男の子が熟女に肉欲を抱くのはなくもない話なのかもしれない。

 要するに肉欲だったのだろう。キスされそうになったことならある。腹立たしくはあっても若い男の子に三十代熟女……いや、もちろん「熟女」は自虐だが、大柄でもない女がかなうわけもなくて、襲われそうになった。

 うまい具合にだかなんだか、そこに通りがかったのが徳永渉。あの手加減を知らない狼は、雄心くんをぼこぼこにしてしまった。

 そんなエピソードがあったものだから、雄心くんは私を見るとなんとも複雑な表情になる。川村も気づいているらしいが、とぼけておいた。未遂にすぎなかったのだから、こっぴどい罰も受けたのだから、雄心くんは忘れればいいよ。私も忘れるから。

「暮れなずむ中での梅の香っていいよねぇ。晴海さん、梅見しようよ」
「見てるじゃないのよ」
「酒と弁当って駄目?」
「学校のキャンパスで花見の宴か……」

 ランチだったらこのあたりでみんなが食べているのだから、禁止ではないのだろうが、酒や弁当なんてなくてもいい。腹が減ったと言う川村をあしらっていたら、彼は鞄から小型のスケッチブックと鉛筆を出してきた。

 こんな仲になったきっかけは、川村の絵だ。彼がキャンパスで写生をしているのを見て、私が声をかけた。見せてもらった繊細な絵が私のアンテナにぴぴっと来たのだった。

「なによりも絵が好きなんですよ。風景画を描くのが好きで、見たことのない景色を絵にしたくて旅に出たくなる。だから仕事が長続きしないんです。大学の事務局だと激務でもないし、長期休暇も取れるらしいから、ツテを頼って雇ってもらったんですよ。金がないと旅もできませんからね」

 言っていた通りに、川村は時々ふらりと行方不明になってしまう。彼氏といつも一緒にいるのは面倒だと思う私にはほどよい恋人になってくれていた。

「晴海さんって結婚はしたいの?」
「したくないよ」
「本心?」
「本心」
「出産願望はないの?」
「ないな」

 夜の気配に包まれかけている梅樹を描いているのか、川村はスケッチブックに目を落としたままで話を続けた。

「この前に絵を描きにいった四国の街で、夕飯を食った飯屋の娘さんと話したんだよ。その娘さんは二十代だけど子どもがふたりもいるって。僕の彼女は年上で、僕がこんなだから結婚なんて考えられなくて……って話をしたら、えらく責められたんだ」
「川村くんのせいだけじゃなくて、私もこんなだからだもんね」
「晴海さんはそう言ってくれるけど、本心じゃないんだったら……結婚できる相手を探したほうがいいのかなって」
「川村くんがそのつもりなら、別れたっていいんだよ」
「……そう言われるだろうと思ってた。寂しいな」

 恋は幾度かしたけれど、絶対にこの男と離れたくないと思うほどの執着を感じた経験はない。恋心と執着心はイコールなのか。だとしたら私の恋愛感情はいつだって希薄だ。

 学生時代には彼氏はいなかった。ちょっとだけのつきあいだったらあるが、恋人同士ではなかった。大河だの徳永だの、男友達とつきあっているほうが気楽でよかったから。
 就職が決まったころにできた彼氏とは、お金でもめて別れた。

 中国でプロポーズまでしてくれた彼氏とも、彼の家族の反対で別れた。情に厚いひとだったから彼のほうが泣いていたが、私としては、駄目なものは駄目だよね、程度だった。

 この彼とはどうなんだろう? 三十代半ばになった私の、結婚願望も出産願望もないという気持ちは、強がりだと取られても仕方ないのだろうか。川村は私には都合のいい男。彼にとっても私は都合のいい女。それで十分なのに。

「これからは老けて衰える一方だぞ。彼氏ができたんだったら結婚しろ。そいつがいい加減な男なんだったら、子どもだけでも産むって手もあるな。おまえだったらひとりで育てていけるだろ」

 この台詞は徳永。大河は言った。

「川村さんですよね……うん、まあ、たしかに彼はね……僕は風来坊的な男は悪くないと思いますけど、夫として父としてはちょっと……だけど、喜多さんのお相手としては適任かもしれませんよ」

 本橋くんも言った。

「三十過ぎて彼氏がいるんだったら結婚したほうがいいかもな。俺は美江子と三十二で結婚しただろ。結婚生活って悪くはないもんだよ」
「そうだよ、晴海もやってみたら? 私から見ると川村さんはオススメしにくいけど、誰か紹介しようか。乾くんはどう?」
「乾と喜多が夫婦に? 想像できない……」

 独身の徳永や大河の台詞などに説得力はないが、本橋&美江子夫婦のほうの言い分にはちょっとだけ心が動いた。

「いいんだよ。川村くんは好きに生きたらいい。私も好きにするから。年のことなんか忘れよう」
「あなたがそれでいいんだったら、僕はとても居心地がいいからいいんだけどね……後悔はしない?」
「三十代の間にしっかり考えて、子どもを産みたくなったら妊娠してみようかな。認知はするんだろうね?」
「認知だけでいいの?」
「それだけでいいよ」

 こんなお気楽な会話、世の良識ある大人に聞かれたら叱られそうだ。うちの両親だったら激怒するだろう。

「ああ、いい香り」

 けれど、私はこうして生きていきたい。そんな私にちょうどいい男がそばにいて、季節になれば梅の香りを感じて、風まかせで生きていきたい。ふと気づけば私は年老いて、川村くんはいなくなっていて、ひょっとしたら彼はどこかの女と結婚してまっとうな夫に、父になっていたとしても?

 いいさ。そんな未来にもきっと、この梅の香りはそばにいてくれるだろうから。

END








 
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~ Comment ~

NoTitle

中国の男性は、日本人との結婚願望がものすごく強いみたいですね。
私も学生時代に一か月、中国を彷徨う旅をして、その時お世話になった学生さんに何度も手紙をもらい、求婚されました(笑)
とってもいい人だっだけど、19歳の小娘に手紙で求婚は、ねえ・・・。
多分今でも、日本人女性はモテモテだと思うけど、国同士のいざこざもあるし、ちょっと難しそうな気がします。
彼女、結婚しなくて正解だったと思う。
梅の花。
今では桜の方がもてはやされてるけど、本来梅の方が高貴な花とされていたんですよね。
ね♪ 菅原道真公。

limeさんへ

いつもありがとうございます。

そうなんですね、中国では日本女性がもてると。
その反面、アジアでは日本人は嫌われていたりもするでしょう?
私は香港に行ったときに、日本人だと知られてなんだかすごーくいやな顔をされたこともあります。

台湾だけは親日みたいですが、日本人は秀吉の時代から、ちっちゃい国のくせに周辺の国を侵略しようとしたり、滅茶苦茶やってますから、しようがないんでしょうね。

フォレストシンガーズの女性キャラの中では、私はこの喜多晴海がいちばん好きかもしれません。
強がりも無意識で入っているのかもしれませんが、潔いひとって好きです。
そのあたり、もっとうまく書けたらいいんですけどね。

菅原道真公が愛した梅は、学問の場、大学のキャンバスにもふさわしいですよね。

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