ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「ろ」part2

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フォレストシンガーズ

「驢鳴犬吠」

 だらっとソファに腰かけて目を閉じているおじさん。暇なんだったらどっか行こうよ、と以前にはおねだりしたものだが、ケイさんは仕事をしているのだと知っている。

「哲司、俺のものになれ」
 みたいに言われてさらわれて、僕は十六歳からケイさんと同棲している。二十歳以上も年上の編、作曲家である田野倉ケイの同性の愛人、真行寺哲司のことは、知っているひとは知っている。

 瀬戸内海の小島で生まれ、虐待や放置をされたほどでもないものの、親にはそれほどかまってもらわずに育った。初体験は女の子とだが、男のほうが好きな自覚をし、高校を中退して親戚の春子さんを頼って上京した。

 保護者が春子さんからケイさんに変わってから三年以上。二十歳になった僕はギタリストになりたいという望みがかなわないままに、ケイさんの息子のような女房のような、ペットのような存在として生きていた。

 そんな僕に引き換え、ケイさんは最近売れてきている。五十歳近い年齢になるまでは下積みの売れない作曲家だったらしいのだから、僕がケイさんの運気をアップさせてあげたのかもしれない。

「ねえねえ、ケイさん、腹減らない? なんか食う? ねえ、僕は腹減ったよ。そんならおまえがなにか作れって言う? 料理すんのはめんどくさいから、食べにいこうよ。僕は中華が食べたいな。ラーメンじゃなくて麻婆豆腐とかチンジャオロースーとか、焼き肉もいいな。韓国料理でもいいよ。ねえねえ、ケイさんってばっ!!」

 仕事中に邪魔をすると無視、あるいは叱られる。わかっていながら横でうだうだ言ってみたら、今夜は無視だった。

「つまんねえの。僕、ひとりで出かけてこようかな。金ちょうだいよ。昨日やったって言うんだろうけど、あんなものは一瞬で使っちまったもんね。けっこうたくさんもらったのに使った。なにに使った!? って怒る? なにに使ったか知りたい?」

 横で騒がれたら僕だったら作曲なんかできないが、ケイさんは無我の境地なのか、集中力抜群なのか、知らん顔をしている。かすかにしかめた眉間に皺が寄って、哲学者みたいでかっこいい。ケイさんってよく見たら男前だよね。惚れ直しそう。

 長身で細いボディも哲学者ふうだ。酒にしても食物にしても過剰摂取はしないから、運動もたいしてしなくてもケイさんは痩せている。痩せてはいても骨組みががっしりしていて力持ち。僕なんかは片手でつまんで放り投げられる。

「なんの仕事してんの? 僕も手伝ってあげようか? 僕だって曲は書けるの、知ってるだろ? ケイさんは中年だからさ、ってか、初老に近いじゃん? そんな年なんだから書く曲も年寄りじみてるんだよね。アイドルソングなんかだったら若い僕が書いたほうがよくない? 誰の歌?」

 聴こえないふりなのか、本当に聴こえていないのか。

「腹減ったな、中華行こうよ。連れてってくれないんだったら金、ちょうだいよ。僕がひとりで行ったら帰ってこないからね。うん、まあ、明日になったら帰ってくるかもしれないけど、今夜はよそで寝る。誰と寝るのかって? そんなの、そのときにナンパしてきた奴の部屋かホテルだろうから、誰かなんてわかんないよ。ねえ、ケイさん、ケイさんは誰の曲を考えてるの?」

 完璧シカト。

「誰もナンパしてこなかったら僕がするからいいんだ。今夜は女にしようかな。僕は男のほうが好きで、中でもケイさんがいちばん好きだけど、女に抱かれるのもいいものだよ。ケイさんは女を抱いたことはあるの?」

 どさくさまぎれに非常に重大な告白と質問をしたのだが、返事はなかった。

「昨日はなにしていたか、知りたいんだろ? 知りたくないなんて嘘だよ。知りたいくせに。だって、ケイさんのお金をたくさん使い込んだんだものね。だってね、千鶴なんだよ。千鶴が酔っぱらっちまったから、あいつが飲み食いした分まで僕が払ったんだ。千鶴はデブだけあってよく食うんだよね。未成年のくせして酒もばかばか飲むから、僕の所持金で足りるかどうか冷や汗ものだった」

 ひとつ年下の女優の卵、佐田千鶴。千鶴は失恋して自棄になっていた。

「千鶴におごってやったし、タクシー代も払ったから、ケイさんの金が空っぽになったってわけさ。感想はないの?」

 ないらしく、ケイさんは微動だにしなかった。

「そんでね、千鶴はこのベッドで寝たんだよ。あいつ、処女だって言ってたじゃん。嘘かと思ってたらほんとだった。処女なんてありがたくもないけどね。僕がはじめて寝た女の子も処女だったよ。彼女は僕に責任を取ってほしがったけど、どう責任取るんだよ? てめえが誘ったくせにさ。だから僕は逃げ出したんだ」

 返事はなかったが、続けた。

「千鶴はそんな田舎者みたいなことは言わない。朝早くに出ていっちまったよ。ケイさんによろしくね、とか言ってたな。妊娠はしてないだろうから大丈夫。だけどさ、なにかのまちがいで千鶴に僕の子ができたら? うげぇ、ホラーだな」

 あぐらをかいていた、ソファの近くの床にひっくり返って足をばたつかせてみせた。

「だけど、女って面白いよ。僕は千鶴の外見は好きだな。あいつはデブだって苛めてやるんだけど、ああいうやわらかい身体っていいよね。ケイさんは堅いもんな。男は堅いのが当たり前で、やわらかい身体の男もげげぇだけどね。中身は堅くなくても身体は堅いんだ。ああ、腹減った。なんか食いにいってこよっと」

 止めてもくれないケイさんににじり寄って、頬にパンチを食わせてやろうとしたら、ようやく彼が動いた。

「……おまえの長台詞みたいのを言うんだな」
「なに?」
「驢鳴犬吠」
「ロメイケンバイ……驢馬が鳴き、犬が吠える。取るに足りない聞く必要もないことの意」
「ああ、そうさ」

 感想はそれかよ。なんで怒らないんだよ。処女と迂闊に寝て、責任とれるのか。だなんて、そんなださいこと、言われたら白けるけどね。

「メシ行くか」
「うんっ!!」

 腹の中で渦巻いていた真っ黒な雲が、ケイさんのひとことでぱーっと晴れる。こうなったら千鶴なんかもうどうでもいい。単純な僕の犬の鳴き声は、子犬の甘え声に変化してしまっていた。

END






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