novel

小説385(Sunshine filtering through foliage)

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フォレストシンガーズストーリィ385

「Sunshine filtering through foliage」


1・将一

 さんざめく若者たちの声を、仲間のものとして耳を通り過ぎさせていたのは、今から何年前なのだろうか。俺がこの大学を巣立ってから十五年にもなるのだから、このキャンパスを学生として歩いていたのは、それよりも以前だ。
 男の子が口笛を吹く。女の子が悲鳴じみた歓声を上げる。全員が熱狂的に大騒ぎしている中を、キャンパスにしつらえられたステージに、俺の後輩たちが登場してきた。
「こんにちはーっ!! フォレストシンガーズでーすっ!! 僕の名前、知ってくれてますかーっ!!」
 中央に立った小柄な男が聴衆に呼びかけ、耳に手を当てて答えを促す。ステージの前を埋め尽くした学生たちの間から、大声が飛んだ。
「三沢幸生さんっ!!」
 いくつもいくつもの声の中から、ひときわ高い声が上がる。リリヤに似たソプラノに応じて、三沢が満面の笑みで言った。
「はいっ、大正解っ!! こいつは?」
「木村章さーんっ!!」
 女の子に名前を呼ばれ、木村は両手を挙げて応えた。
「はいはい、正解ですよーっ!! 彼は?」
「本庄のシゲさんっ!!」
 ひとりひとりを紹介せずに、三沢がこうして学生たちに彼らの名前を叫ばせる趣向か。三沢がメンバーを示すたびに、乾隆也さんっ!! リーダー、本橋さんっ!! と女の子が叫ぶ。三沢は満悦しごくの表情で、正解、正解っ!! と叫び返していた。
「ありがとう。えー、本日は我々フォレストシンガーズの特別ライヴ、母校キャンパスに於けるライヴに集まってくれて、心から礼を言うよ。おまえらは俺たちの後輩なんだからさ、これでいいか。この口のきき方でいいか? 駄目だったらいやだと叫んでくれ。いやだと言われたら口調は改めるよ。どうだ?」
 リーダー本橋が客席に呼びかけると、先ほどから特別に大きな声で叫んでいる女の子と同じ子であろう、その子がまたしても大声で叫んだ。
「そうやって喋ってくれると嬉しいでーすっ!!」
「そうか。みんなの総意だと思っていいかな。いい?」
 おーっ!! と全員が叫ぶ。
 何度もフォレストシンガーズのライヴは聴いた。三沢はステージでもふざけたり冗談を言いすぎたりはしているが、彼らは常に丁重に、ファンの方々にはお客さまとしての敬意を最大限にあらわしている。
 だが、今日は母校の後輩たちを前にしたライヴだ。これでいいのだろう。
 ロックバンドの連中なんぞの中にはいる。あれはどうやらファンの方が喜ぶからであるようなのだが、ファンのみなさまを「おまえら」と呼び、乱暴なもの言いをする奴らもいる。俺はあれはどうかと思うのだが、言われて喜ぶ女性がいるのだから、いいと言えばいいのである。
 こんなときにはいいのだろう。後輩たちだって嬉しそうにしているのだから、いいのだろう。俺としては多少イラッとしなくもなかったのだが、まあいい。
 俺がいる場所はキャンパス全体を見渡せる、大学建物の中ではもっとも見晴らしのよい部屋だ。俺は窓辺でフォレストシンガーズライヴを見物している。ここは平素は教授の私室なのだが、貸してもらっているのだった。
「おまえたちがそうやって集まってくれているキャンパスを、俺たちも歩いてたんだよ。あれは何年前だったかな、乾?」
 本橋が言い、乾があとを引き取った。
「忘れたよ。忘れるほどに遠い昔でもないけど、過去なんかは忘れて前向きに、だろ。いつだっておまえはそう言ってるじゃないか。シゲ、おまえはどう思う?」
「過去ばかりを振り返っていてはいけないでしょうけど、俺たちがこの大学に通っていたからこそ、俺たちはたった今、ここに立たせてもらってるんでしょう?」
「その通りだな。俺は女の子にはおまえとは呼びかけない主義なんだよ。本橋とはちがって上品にできてるんでね」
 女の子たちの笑い声の中、乾は続けた。
「だから、俺はきみたちをきみたちと呼ぶ。男だったらおまえと呼ぶのが癖になってるから、個人的に男が話しにきたら、おまえって呼ぶよ。ここには半分は女の子がいるから、きみたち、ね。きみたちの中に混ざっているような気がしてならないんだ。あのころに俺が恋してたひとが……」
「乾さん、ひとりで喋らないで。俺の喋る時間がなくなっちゃうじゃん」
「ああ、俺も後ろ向きだったな。幸生、好きなだけ喋れ」
 ステージでの常の彼らとは、互いに話しかける言葉遣いがちがうのも演出だろう。三沢が進み出て言った。
「好きなだけ喋らせていただきますですよ。俺はいっつもこんな感じだから、後輩たちの前でだって態度も変えません。ここにいる女の子のすべての視線を浴びて、恋する乙女の心をびんびん浴びて、俺ってば幸せ。もっと見て、もっと叫んで!!」
 三沢が煽ると、女の子たちがいっそう騒がしくなる。木村が三沢を押しのけるようにして言った。
「おまえに好きなだけ喋らせたら、止まらねえだろ。俺はみんなも知っての通り、ここに通ってたのは一年間だけだ。だからさ、昔はひがんでたりしたんだよ。だけど、大学なんて卒業したかったらすればいいんだし、他にやりたいことがあるんだったら、中退したっていいんだぜ。のんべんだらりと大学生やってるのもそれはそれでいいんだろうけど、飛び出したい奴は飛び出せ。経験者からの忠告だよ。幸生、なんだ?」
「章のほうが俺よりも長台詞じゃん。そろそろ歌に行こうか。ありゃ? 誰か挨拶を忘れてる? シゲさん、どーーーぞ」
 本庄も言った。
「みんな、本当にありがとう。フォレストシンガーズはデビュー十周年を迎えたんだ。その記念で母校で特別ライヴをやらせてもらえる。いつでもライヴは感激なんだけど、特別の感慨ってのがあるね。今日は最後まで聴いていけよ。OK?」
 後輩たちの大歓声の中、フォレストシンガーズの特別ライヴが開始された。
「ああ……いいですね。彼らの歌は……なんと言えばいいんですか、金子さん、こんなときには僕の日本語では、適切な言い回しは浮かびませんよ」
 ドアが開いて入ってきたのは、卒業後も母校で研究を続けている男だ。加藤大河は俺のそばに寄ってきて、窓からライヴステージを見下ろした。
「素晴らしいですね」
「うん。俺にとっても彼らは誇りだよ」
「僕にとってもです。彼らが僕の同窓生だとは、実に誇らしい。金子さんも渉も同様です」
「徳永は? 来ないのか?」
「はて……僕は来るとは聞いておりませんが」
「来たくなったら来るだろうし、来たくなかったら来ないだろ」
「そうですね」
 医学部寄生虫学科の准教授。愛称タイガー。俺の後輩でフォレストシンガーズとも俺とも同業のシンガーである、徳永渉の無二の親友だ。タイガーと俺は窓辺にすわって、フォレストシンガーズのステージに耳を集中させていた。
 そうしていてもここにいるからこそ、なのだろう。俺の想いはさまよい出ていく。耳はフォレストシンガーズの歌を聴いているのだが、意識だけが過去へと舞い戻りたがる。俺の過去にはフォレストシンガーズの全員がいるのだから。
 三年生の年にはじめて出会った、本橋、乾、山田美江子。美江子さんもどこかにいるのかもしれないが、今日は会っていない。その美江子さんも含めて、三人の後輩が大学に入学してきて、俺が所属していた男子合唱部に、本橋と乾が入部してきた。徳永渉もいた。
 それ以前の過去、十代のころにまで遡ってみると、俺の初恋ってのはいつだっただろうか? 気持ちが横道に入り込むのは、美江子さんが想い出の中にいるからだ。俺は一時は、美江子さんが好きだと思い込んでいたからだ。
 美江子さんへの恋心は一時的なものだったのだが、それゆえに初恋をも想う。美江子さんたちとはじめて出会う前、大学一年生の年に俺は恋をした。けれど、その前には? 十八歳で初恋とは、俺はそれほどウブだったか? 
 中学生のころから海辺でたわむれのキスをしていたから、ウブではなかったはずだ。しかし、俺は恋をしている、との自覚を持った記憶はない。ガキのくせして、たわむれのキス、たわむれの恋か。中学生の俺も小生意気なガキだったのであるらしい。
 クラスメイトの女の子に告白された記憶はある。小学生のころにはやたらにバレンタインチョコをもらって、もらったチョコレートは全部を妹のリリヤに与えた。
「お兄ちゃんがバレンタインのチョコレートをもらうの? もてないのに?」
「俺がもらったんじゃなくて、甘いものは嫌いだって奴がくれたんだよ。そいつはもてるから、チョコレートを山ほどもらって迷惑がってたんだ」
 疑わしそうにしていたものの、リリヤは突っ込みはしなかったので、毎年毎年、今年もそいつがくれた、と言って、リリヤにチョコレートを食わせた。子供のころの俺はチョコレートは好きだったのだが、好きでもない女の子のくれたバレンタインチョコは口にしたくなかったのだ。
 小学校でも中学校でも高校でも、バレンタインチョコと女の子からの告白はいただいた。だが、俺のほうから好きになる女の子はいなかった。
 とすると、大学一年生の恋が俺の初恋か。とはいえ、その恋ははかなく破れ、そのせいでもあるまいが、大学でも他には恋はしなかった。大学時代にも告白めいた言葉をくれた女性はいたが、俺は彼女たちに恋はしていなかった。
 こうして思い出せば、本当の恋は俺は一度もしていない。大学を卒業してからは「うたかたの恋」ならばしたが、燃え盛る恋はしなかった。
 そんな俺に恋をさせた女は、現在はいる。彼女は俺のプロポーズを受けてもくれない、悩ましくも愛しくも恋しくも可愛いひとなのだが、しつこくしすぎて嫌われない程度に、今後も押しまくる心積もりではいる。
 したがって、俺の本気の初恋相手は彼女だ。誰も信じてくれないのでそれとなくしか言わないが、愛理だけが最初で最後の俺の恋人なのだ。そう、最後の、きっと最後の。
 恋の話はそれくらいにするとして、男の後輩たちだ。俺が三年生の年に男子部に入部してきた、本橋と乾と徳永。それからも関わり続けてきた、ふたつ年下の後輩たち。癖のある乾と徳永に較べれば、本橋は単純で可愛い奴だった。
 一年生だった本橋がつきあっていたゆかりちゃんとは、俺も多少の関わりはあった。俺としてはゆかりちゃんを後輩女子だとしか考えていなかったのだが、彼女と話しているときには、本橋についての愚痴も聞かされたものだ。
「本橋くんは無口でもないんですけど、すぐに怒るんですよね。怒るとぶすーっとしちゃって、ただでさえ怖い顔がもっと怖くなるの。彼氏を怖いと感じるって変じゃありません?」
「あいつは生まれつき、怖い顔をしてるんだよ」
「赤ちゃんのときから怖かったの?」
「俺はガキだった本橋は知らないけど、七つも年上で双生児の、空手家の兄さんたちがいるんだそうだね。そこからもってしても、あいつがああ育ったのは当たり前じゃないのかな」
「私は本橋くんの兄さんたちに会ったことはないんですけど、兄さんたちも怖いんでしょうね」
「怖いってのにも種類はあるでしょ? どう怖いの?」
「だから、顔が……怒ると顔が怖い」
 十八にして強面ヅラってのはなかなか……と俺は思っていたのだが、ゆかりちゃんには我慢できなかったようで、ほどなくふたりは別れてしまった。
 どうも本橋は、金子がゆかりちゃんになにかしら吹き込んだか、もしや口説きでもしたか、と疑っていたようなのだが、俺はなんにもしてはいないのだから、弁解はしなかった。二年生になったら本橋は、乃里子ちゃんとつきあいはじめた。
 あれでけっこうもてる本橋は、女の子とのつきあいを重視しない性格をしていたのだろう。大学では二年生の年までの本橋しか俺は知らないのだが、その後も本橋は……まあ、それはいい。
 本橋に較べると、乾は基本性格はねじれているものの、女の子には本橋とは真逆の接し方をしていた。乾が大学一年生当時の彼女は香奈ちゃんといい、相当な美人だった。一見おとなしげな小柄な香奈ちゃんは、実は性格はきつめだったのだろう。香奈ちゃんからも乾については聞いた。
「十八の男の子って乾くんみたいなのが普通ですか。普通じゃないでしょう?」
「きみに対する乾の態度はどんなふう?」
「他人に話すようなことではないんですけど、思いやりがありすぎるって言うんでしょうか。彼といると苛々するんです」
「ふーむ。勉強になるね」
「金子さん、馬鹿にしてます?」
「してませんよ」
 少なくとも女の子に関しては、正反対の本橋と乾だった。
 そしてもうひとり、徳永。奴はいまだにそうなのだが、女とは真面目につきあおうとしない。徳永の大学時代の彼女はただのひとりも知らないが、徳永の女の親友、喜多晴海ちゃんとだったら俺も親しくしていた。しかし、晴海ちゃんは徳永の友達なのだから、徳永が恋人に対している際の例には引けないだろう。
「恋ってのは発情期の別名でしょ」
 たしか徳永はそう言った。彼の思想とはそういったものか。いまだ徳永は、女は性欲処理のための存在だとしか考えていないのか。
 どれだけ関わってみても、俺には徳永はつかみ切れない。とりわけ女性関係は理解不能なのでうっちゃっておくとして、歌の方面では本橋も徳永も乾も極上の才能を持って生まれてきた男たちだ。才能と努力と合唱部が、彼らを磨き上げた。
 それが証拠に、と言っていいのかどうかはこころもとないが、敢えて言うならば、それが証拠に彼らは全員、プロのシンガーとなった。
 そして、その一年後には本庄と小笠原が合唱部に入部してきた。小笠原は一時期は行方不明になっていたのだが、フォレストシンガーズ結成当時のメンバーだったのだ。そしてそして、その一年後には三沢幸生と木村章が入部してきて、フォレストシンガーズの全員が俺たちの大学の、俺たちの合唱部の仲間となった。
 三沢と木村は俺が卒業してからの入部であるので、彼らの学生時代はほとんど知らない。小笠原や本庄にしても、本橋や乾ほどには知らないので、こっちのふたりの女性関係はまったく知らないに等しい。
 歌唱力にしても、小笠原も本庄も地味ではあった。本橋の世代と三沢の世代の狭間で、本庄の世代は端境期だとも言われていた。
 俺が大学に入学した年からだと、十八年もの時が流れた。俺の高校生までの時代と、大学生以降の時代がちょうど同じになる。そしてそしてそして、俺は今、母校のキャンパスでフォレストシンガーズ十周年記念特別ライヴを聴いている。
 美江子さんは本橋と結婚し、本庄はもとテニスプレイヤーの恭子さんと結婚し、父親にもなった。本橋と本庄以外はいまだみんな独身ではあるが、恋ではなくてもありすぎるほどにいろんないろんないろんな……。


幕間1

静まり返っていたり、喧騒に満ちていたりもするキャンパスが、今日はしごく賑やかだ。
 私のいる大学の卒業生たちが、フォレストシンガーズ十周年記念特別ライヴとやらをやっている。在校生や卒業生や、噂を聞きつけた校外の者たちも、聴衆として集っているのだろう。五人の男がステージで歌っている。彼らの歌を聴いて感慨に耽っている者たちもいる。
 金子将一……私の記憶にも強く刻まれている男が、校舎の窓からライヴを見ている。彼のかたわらにも男がいる。彼は加藤大河。両名ともに私の記憶には残っていた。

 
2・大河

 陳腐な言いようをすればギリシャ彫刻の男神のような。日本人にすれば顔は濃いほうで、背も高くて美しい筋肉質の身体をしている。
 大学生になって友達になり、そのまま友達が続いている徳永渉の学生時代の先輩であり、同業の先輩でもある金子将一とはじめて会ったのは、僕も大学生のときだったか。渉に紹介してもらったはずで、日本人にもここまで綺麗な顔をした男がいるんだな、と思ったものだ。
 他人に心を開かない渉が親しくしているのは、金子さんと喜多晴海さんと僕くらいのものか。彼は誰のことでも悪く言う傾向があり、ライバルともなると悪口雑言がはなはだしくなる傾向もあり、金子さんや喜多さんについても無茶苦茶に言う。僕には面と向かって毒舌を吐く。
 渉が毒舌を吐く相手には、意外にあたたかな気持ちを持っているような……本当に嫌いならば話題にものぼせないのではないかと思わなくもないような……とすると、金子さんと僕が見ているフォレストシンガーズの面々にしても口で言うほど嫌ってはいないのではないかと思うのだが、僕は自分の判断に自信はない。
 加藤大河については、あいつは俺の友達だ、と公言しているようだから、悪感情は持っていないのだろう。それだけは自信がある。
 金子さんとふたりして窓辺にもたれ、小さく見える姿を眺めながら歌を聴いている彼らがプロの歌い手集団になったのは十年前。僕は年長の本橋さんや乾さんと同年なのだから、僕が二十四歳の年に彼らはプロになった。
 当時の僕は大学院生で、卒業してからも母校の研究所に生息していた。学生時代に愛していた女性とは別れ、彼女とは二度と会うこともなかったが、さまざまな人間模様は見てきた。感情が激しく波立つような性格ではない僕は、いつだって傍観者だった。
 この大学の住人となってから十五年余り。「寄生虫に人生を捧げた男」と呼ばれていても、僕だって人間なのだから、さまざまな人々を見てさまざまな感慨を持った。
 ロンドンで育って、始祖の国、日本に帰って大学生になった。子どものころからやっているフェンシングクラブに入部し、同い年の女性と恋仲になった。徳永渉と友人になり、渉を取り巻く人々を横から見ていた。僕自身にはさしたる事件は起こらなかったのだが、渉と彼のライバルたちは見ていて面白かった。
「タイガーは卒業してからもここにいるんだろ」
「おそらくはいますね」
「じゃ……ああ、そうだな」
 ここに僕がいるから、渉が会いにきてくれる。渉に恋していた乃里子さんに、僕もほのかな想いを抱いたりした。僕は恋愛については異常なまでに疎いので、乃里子さんと渉と僕の三角関係だったのか? と人に問われても明確な答えは出せないが、近かったはずだ。
 乃里子さんの心には、フォレストシンガーズの本橋真次郎さんがいた。恋心というものは次第に美しく変化していくのか。我々はまだそんな境地に至る年齢でもないが、本橋さんも乃里子さんも別の相手と結婚したのだから、そのような感覚もあるだろう。
 フォレストシンガーズに続いて金子さんが、それから渉もプロの歌い手になり、学園祭やその他のステージで彼らの歌を聴く機会もあった。
 喜多晴美さんは中国に留学し、帰国して母校の中国語学科の講師の職に就いた。現在では僕のもっとも親しい女友達といっていい喜多さんは、金子さんや渉やフォレストシンガーズや、喜多さん本人も所属していた合唱部にも関わっている。
 合唱部も変化していて、代替わりもしている。
 現在の合唱部には、我々よりもはるかに下の世代が活躍している。僕の生徒でもある、木村龍くんや三沢雄心くん。龍くんや雄心くんは兄さんたちのステージをどこかで聴いているのだろうか。
 こんなところにいるとなんとなく、ステージで歌っている主役やら、彼らに声援を送る若者たちを見下ろす仙人にでもなったような気がする。いい歌だなぁ、渉がライバル視するだけあって、あなたたちの歌は絶品ですよ。渉が大嫌いだと言うあなたたちは、それだけ大きな存在だからこそ、あんなにも敵視されるのだから。
 盛り上がるステージを囲んでいる若者たちは、青春にきらめていていまぶしいほどだ。木漏れ日がきらきらと降り注ぎ、風が木の葉をそよがせる。同感だよ、と囁く声が聞こえるような気がして金子さんを見やったら、彼は目を閉じてハミングしていた。


幕間2

 長く長く生きている私は、ひとりひとりの学生たちの記憶を身体の奥深くにしまっている。ゆっくりと思い出す、今日の主役になっている七人の男たちと、彼らの周囲にいた女の子や男の子を。
「おまえとはおかしな縁があるんだな。しようがないから面倒見てやるよ」
 見えてきた風景は、若き金子将一と、彼に向かって話している眉目秀麗な青年の姿だった。
「特に同じ大学に進もうって約束したわけでもないけど、一緒になっちまったのは縁があるんだろうな」
「学部は別でも合唱部は同じだろ」
「そうなんだけど、面倒見てやるってなんだよ? おまえに面倒を見てもらわないといけないほどに、俺は頼りないのか」
「ほっぽっておくとおまえの口が物議をかもしそうで……俺は金子将一の制御装置……うん、まあ、なるようになるかな」
「なにをぶつくさ言ってんだよ」
「いや、男子合唱部ってのは封建的らしくて、先輩に無礼な口をきいたりすると殴られるって聞いたんだよ。おい、金子、聞いてないだろ」
「見ろよ、皆実、綺麗な女の子がいる。大学ってさすがに高校とはちがうな」
 皆実という名前の青年は、やっぱり聞いてないじゃないか、と呟いた。
「日本の大学ってどう?」
「と言われましても、僕は日本の大学しか知りませんから」
「ああ、そっか。加藤くんはロンドンにいたときは高校生だったのよね」
「そうです。あの、富子さん、タイガーと呼んでもらえませんか」
「タイガー?」
 がっしりした青年と、長身の凛々しい娘が話している。ふたりともにうっすらと赤くなって、タイガー、富子さん、と呼び合って、どちらからともなく手をつないだ恋のはじまり。
「……なんだよ、なんか文句あんのかよ?」
「文句ありそうな目をしてた? 鈍感なくせにわかるのか」
「俺が鈍感だとおまえに迷惑かけるのか」
 目をとがらせているのは本橋真次郎、彼はベンチの前に立ち、ベンチにすわって彼を見上げているのは乾隆也だ。
「迷惑はかかるんだけど、それはまあいいよ。それよりも、もう一度今のフレーズを歌って」
「あ、ああ」
 真次郎が歌い出し、彼の歌を聴いてじっと考え込んでいた隆也もややあって歌い出す。ふたりの声が風に乗って木の葉たちを心地よくさせ、梢に留まった小鳥もともに歌っていた。すこし離れたところから彼らを見つめている少女は山田美江子。私には彼女の心が陶酔しているのまでが読めていた。
「徳永さんって外見はすごくいいよね」
 そう言ったのは背の高い娘。彼女の両隣には本庄繁之と小笠原英彦がすわっていた。
「外見のえい男は中身がようないんやきに」
「ヒデ、土佐弁」
「うるさいな、シゲは。泉水ちゃんはなにが言いたい?」
「うーん、そんならヒデだって……ま、いいけどね」
「言いたいことがあるんやったらはっきり言え」
 うふふっと笑った娘が立ち上がる。そんなことを言うんだったら、ヒデも中身はよくないの? そうでもないけどね……との彼女の気持ちが、余韻のように私の回りに漂っていた。
「あの子は?」
「……パス」
「贅沢言ってんじゃねえよ」
 このふたりは三沢幸生と木村章だ。そこにすわってキャンパスを歩く女の子の品定めをしている。幸生は、あの子もいいじゃないか、と言い、あんなのパス、と章が言い続け、しまいに幸生が憤然と言った。
「てめえの面を考えてものを言え……って、おまえにだと言いにくいのがむかつくんだよ。てめえの身長を考えてものを言えっ!!」
「おまえに言われたくねえんだよっ!!」
 叫び返した章が幸生に飛びかかり、ふたりして地面をころがっている。十八歳の少年というよりも小学生のようで、私も人間たちには聞き取れない笑い声を立てていた。
 ずっとずーっとここに立ち続けている私の根元のベンチに腰掛けて、話していた彼や彼女。ここに立っていることだけしかできず、それを不満だとはひとかけらも感じず、私は想い出ばかりをため込んでいく。想い出たちがぽかっ、ぽわっと時の中に浮かんでは消えていった。
 おーい、金子さーんっ!! とステージにいる五人が呼んでいる。窓から手を振った金子将一の姿が消えたのは、彼もステージで歌うつもりなのだろうか。



3・将一 
 
「突然の雨にさらわれた
 二人の時計
 無口なあなたがつぶやいた
 “さようなら”で
 心変わり気付いていたのよ前から
 “君が思うほど ぼくは強くない”
 冷えた言葉 歩道に投げ捨てて
 小さくかすんだ背中を見つめた
 雨にぬれたポプラがゆれている

 地下鉄に急ぐラッシュアワー
 ほこりにまぎれ
 見慣れた背中を探している
 悲しいことね
 いつの日にか痛みがうすれる時まで…
 “あなたがいないと とてもさみしいよ”
 秘めた言葉 胸に抱いたまま
 小さくかすんだ昨日を丸めた
 風にゆれるポプラ舞いおりる

 時が過ぎて季節はめぐっていくけど
 “あなたがいないと とてもさみしいよ”
 秘めた言葉 胸に抱いたまま
 小さくかすんだ昨日を丸めた
 風にゆれるポプラ舞いおりる

 みんな思うほど誰も強くない
 冷えた心 そっと暖めて
 何かを失くして傷つけ合っても
 悲しいほど私は歩いてる」

 揺れる木漏れ日の中、ポプラの枝も揺れている。フォレストシンガーズの五人とともに歌う俺にも、後輩たちが声援を浴びせてくれる。シンガーってやつは三日やったらやめられない。きっときっと、世界中のシンガーが俺のこの想いには同感してくれるはずだった。


END



 
 
 
 


 
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~ Comment ~

NoTitle

確かにアイドルが母校を巡るというのも面白いですし、感慨深いですよね。番組でもそういう企画がありますけど、確かに見ていて面白かったです。
アイドルは華やかですけど、こういう人間味があるものも読んでいて嬉しい気持ちになりますね(*^-^*)

LandMさんへ

いつもありがとうございます。
アイドルもそういうこと、やるんですよね。
母校の学園祭にOBやOGのバンドが出たりってのもよく聞きますよね。

フォレストシンガーズはアイドルには程遠いですが、母校の現役学生から見れば一種のアイドルかもしれませんよね。
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