別小説

ガラスの靴48

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「ガラスの靴」

     48・正義

 変な奴がデフォルトというのか、そんな人種ばっかりの音楽業界は僕の住む場所ではない。こうして胡弓を連れてスーパーマーケットへ買い物に出かけ、その前に近所の公園に寄って息子を遊ばせる、こちらが僕の日常生活だ。

 妻はミュージシャン、僕は専業主夫。わりあいに高級なマンション街には専業主婦はたくさんいるが、主夫となるとほんのちょっぴりだ。二十三歳の子連れ美少年が公園にいると浮く。今日は知り合いの姿も見えないから、僕はおとなししく胡弓を見守ることに専念していた。

「……うちの主人、どこへも連れていってくれないのよね」
「白木さんのご主人はお忙しいから」
「ほんと、うちって母子家庭みたい。黒田さんちはどうなの?」

 子どもはどこかで遊んでいるのだろう。僕の隣には主婦らしき女性がふたりすわっていて、お喋りをしている。僕は暇なので、黒田さんと白木さんの会話を聞いていた。

「うちの主人も忙しいよ。だからどこかに連れていってもらおうなんて思わないの。大人なんだからひとりでどこにだって行けるじゃない」
「ひとりで? 女がひとり旅なんかできるわけないでしょ」
「そんなことないよ。私は独身のときにはよくしたよ」
「……勇気があるんだね」

 そういえば僕もひとり旅なんかしたことはないなぁ。アンヌは家族サービスだといって、遊園地に連れていってくれたりはするから、優しい奥さんだよね、とわが身を顧みる。勇気があるんだね、と言ったのが白木さんで、彼女は黒田さんを咎めるように見た。

「勇気なんかなくても、日本語の通じるところだったらひとりで行けるじゃない」
「近く?」
「近くもあるけど、独身のときにはひとりで北海道だの九州だのにも行ったな」
「泊まり?」
「そりゃあそうよ。遠出をしたら泊まるよ」
「ひとりで?」
「うん、ひとり旅だって言ったでしょ」

 信じられない、と呟く白木さんを、黒田さんは愉快そうに見返した。

「ひとり旅も長いことしてないな。白木さんと話していたらしたくなっちゃった」
「危険だよ、ひとり旅なんて」
「国内だったら大丈夫だってば。英語の通じるところだったら海外でも意外に平気よ」
「海外ひとり旅なんかしたの?」
「二回だけね。香港とロンドンに行ったの」

 再び、白木さんはシンジラレナイと呟き、黒田さんは言った。

「日本は治安もいいし、まるっきり平気よ」
「女ひとりで旅館に泊まるなんて言ったら、自殺するんじゃないかって疑われない?」
「やだ、いつの時代の話よ」
「……黒田さん、英語できるの?」
「人並みにはね」

 人並みってどのくらいかなぁ。英語なんて中学生以下の僕は人レベル以下か。もっとも、僕は勉強も音楽も体育も美術もみんなみんな劣等生だから、英語だけじゃないけどね。

「そうだ、秋になったら、旦那に一週間ほど休みがあるのよ。旦那の田舎に帰省しようかって言ってたんだけど、旦那には子ども連れで行ってもらって、私は三日ほどひとり旅しようかな。白木さんと話しててその気になってきちゃった」
「そんなの、駄目に決まってるでしょ」
「どうして?」
「旦那さんが許すはずないじゃない。非常識よ」

 せせら笑うような口調の白木さんに、黒田さんは言い返した。

「子どもももう赤ちゃんじゃないんだから、そろそろひとり旅をしてもいいよ、きみの最高の趣味なんだもんな、俺は三日くらいだったら子守りできるよ、って、彼は言ってたわ。一週間ってのは気の毒だけど、三日間だったらむこうの実家に行ってれば楽なんだし、現実的に考えられそう」
「あのね、黒田さん」

 視線では胡弓を追いかけ、僕は聴覚を女性たちの会話に向けていた。

「そんなのよけいに無理でしょ。旦那の親が許すはずないじゃない」
「大丈夫。話せるひとなんだから。その話も前に旦那の母としたのよ。子どもはもう私が預かれるようになったんだから、あなたはひとりで遊びにいっていいわよって言ってくれたの」
「美容院とか買い物くらいでしょ」
「私がひとり旅を好きなのは、旦那の母もよく知ってるわ。彼女も今でも、義父をほったらかしにしてひとり旅をするらしいんだもの」
「……主婦失格ね」

 ちらっと見ると、白木さんの眦はきりきり吊り上がっていき、黒田さんは面白そうな顔をしていた。

「相談してみようっと。旦那も義母もきっと賛成してくれるわ。どこに行こうかな」
「……私はひとり旅なんかしたくもない。怖いわ」
「したくない人はしなくてもいいんじゃない?」
「そんなの、旦那さんやお姑さんが許すはずがない。無理にやったりしたら離婚されるよ」
「そうなの?」
「そうよそうよ。主婦が子どもをほったらかしてひとり旅……絶対に、ぜーったいに許されないわっ!!」

 なんでそんなにムキになる? 僕としては不思議な気持ちで、白木さんを見つめてしまった。

「……ひとり旅なんて、子どもを預けてひとり旅なんて、なにかあったらどうするのよ。一生後悔するんだよ」
「そんなことを言ってたら、幼稚園にもやれないんじゃない?」
「それとこれとは別よ。私は絶対にしたくない。ひとり旅なんてしたくない。旦那はどこへも連れていってくれないけど……」

 ぶつぶつぶつぶつ、白木さんの声が聞き取りづらくなってきた。

「したくないよ。したいわけないし……主婦がひとり旅なんて、自分で勝手に都合よく、旦那や姑が許してくれるなんて決めてるけど、許してもらえるわけもないんだ。そんなこと、主婦がそんなこと……いいなぁ。うらやましいなぁ……え? ちがうったら!! 私は誰かにしろって言われてもしないわよ。するわけないじゃない。黒田さん、そんなこと、言わないほうがいいよ。やめておきなさい」
「白木さん、どうしてそう必死になってるの?」

 僕が訊きたかったことを黒田さんが質問してくれ、黒木さんはぶつぶつ口調のままで言った。

「許してもらえるはずないからよ。あなたが非常識な主婦だって言われて、離婚されたりしたらかわいそうだからよ」
「大丈夫だってば。そんなことで旦那も義母も怒らないから」
「……旦那さんやお義母さんが許したとしても……」

 目に焔をたぎらせて、白木さんは黒田さんを睨み据えた。

「私が許さない」
「は?」

 思わず、僕も黒田さんと一緒に、は? と声を出していた。

「パパぁ、おなかすいた」
「あ、そうだね。買い物にいこうか」

 うまい具合に胡弓が寄ってきたので、息子の手を引いてその場から逃げ出す。白木さん、怖かった。なんなんだろ、あれは。僕には白木さんの剣幕が理解できなかったので、その夜は珍しく早く帰ってきて家族で食卓を囲んだアンヌに話した。

「なんで白木さんはあんなに怒ってたんだろ?」
「結局、自分もひとりで自由にしたいんじゃないのかな。ひとり旅は怖いからしたくないにしても、私は夫や義母に押さえつけられて自由なんかほとんどない。あんただけ恵まれてるなんて許せない。その心理が、主婦失格って台詞になるんじゃないのか」
「ふーん」
「あたしの推測だけどさ」

 夫や姑が許したとしても私が許さない、その心理って……アンヌが言った。

「正義の味方ってとこかな」
「あ、なるほど」

 はた迷惑な正義の味方もいたもんであるが、黒田さんはむしろ面白がっていたようだから、まあ、いいかもしれない。

つづく





 



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